南総里見八犬伝(012)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十一回・序など
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳 第二輯 巻一
【見返】
文化丁丑孟春刊行
曲亭馬琴著 柳川重信畫
有圖八犬傳第弐輯
山青堂藏刻

【序】書き下し

八犬士傳第二輯自序[玄同]

稗官新奇之談。嘗作者ノ胸臆ニ含畜ス。初種々ノ因果ヲ攷索シテ。一モ獲ルコト無スハ。則茫乎トシテ心之適スル所ヲ知ラズ。譬ハ扁舟ヲ泛テ以蒼海ヲ濟ル如シ。既ニシテ意ヲ得ルトキ。則栩々然トシテ獨自ラ樂ム。人之未視ザル所ヲ見。人之未知ラザル所ヲ識ル。而シテ治亂得失。敢載セザルコト莫ク。世態情致。敢冩サザルコト莫シ。排纂稍久シテ。卒ニ册ヲ成ス。猶彼ノ舶人。漂泊數千里。一海嶋ニ至テ。不死之人ニ邂逅シ。仙ヲ學ヒ貨ヲ得テ。歸リ來テ之ヲ人間ニ告ルカゴトキ也。然トモ乗槎桃源ノ故事ノ如キ。衆人之ヲ信セズ。當時以浪説ト為。唯好事ノ者之ヲ喜フ。敢其虚實ヲ問ハズ。傳テ數百年ニ迨スハ。則文人詩客之ヲ風詠ス。後人亦復吟哦シテ而シテ疑ズ。嗚乎書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信與不信ト之有リ。國史ノ筆ヲ絶シ自リ。小説野乗出ツ。啻五車而己ナラズ。屋下ニ屋ヲ加フ。今ニ當テ最モ盛也ト爲。而シテ其言詼諧。甘キコト飴蜜ノ如シ。是ヲ以讀者終日ニシテ而足ラズ。燭ヲ秉テ猶飽コト無シ。然トモ於其好ム者ニ益アルコト幾ント稀ナリ矣。又夫ノ煙草能人ヲ醉シムレトモ。竟ニ飲食藥餌ニ充ルコト無キ者與以異ナルコト無シ也。嗚呼書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信ト不信與之有リ。信言美ナラズ。以後學ヲ警ム可シ。美言信ナラズ。以婦幼ヲ娯シム可シ。儻シ正史ニ由テ以稗史ヲ評スレハ。乃圓器方底而己。俗子ト雖固ニ其合難ヲ知ル。苟モ史與合ザル者。誰カ能ク之ヲ信セン。既ニ已ニ信セズ。猶且之ヲ讀ム。好ト雖亦何ソ咎ン。予カ毎歳著ス所ノ小説。皆此意ヲ以ス。頃コロ八犬士傳嗣次ス。刻成ルニ及テ。書賈復タ序辭ヲ於其編ニ乞フ。因テ此事ヲ述テ以責ヲ塞クト云フ。

文化十三年丙子仲秋閏月望。毫ヲ於著作堂ノ南牕木樨花蔭

簑笠陳人觧識

[震坎解][乾坤一草亭]

【序】原文

八犬士傳第二輯自序[玄同]

稗官新奇之談。嘗含畜作者胸臆。初攷索種々因果。一無獲焉。則茫乎不知心之所適。譬如泛扁舟以濟蒼海。既而得意。則栩々然獨自樂。視人之所未見。識人之所未知。而治亂得失。莫不敢載焉。世態情致。莫不敢冩焉。排纂稍久。卒成册。猶彼舶人。漂泊數千里。至一海嶋。邂逅不死之人。學仙得貨。歸來告之于人間也。然如乗槎桃源故事。衆人不信之。當時以為浪説。唯好事者喜之。不敢問其虚實。傳迨數百年。則文人詩客風詠之。後人亦復吟哦而不疑。嗚乎書也者寔不可信。而信與不信有之。自國史絶筆。小説野乗出焉。不啻五車而己。屋下加屋。當今最爲盛。而其言詼諧。甘如飴蜜。是以讀者終日而不足。秉燭猶無飽焉。然益於其好者幾稀矣。又與夫煙草能人醉。竟無充飲食藥餌者無以異也。嗚呼書也者寔不可信。而信與不信之有。信言不美。可以警後學。美言不信。可以娯婦幼。儻由正史以評稗史。乃圓器方底而己。雖俗子固知其難合。苟不與史合者。誰能信之。既已不信。猶且讀之。雖好亦何咎焉。予毎歳所著小説。皆以此意。頃八犬士傳嗣次。及刻成。書賈復乞序辭於其編。因述此事以塞責云。

文化十三年丙子仲秋閏月望。抽毫於著作堂南牕木樨花蔭

簑笠陳人觧識

[震坎解][乾坤一草亭]

【目録】

南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしふ總目録さうもくろく

巻之壹 第十一回

仙翁やまひとゆめ冨山とやましをりす。貞行さだゆきあん靈書れいしよたてまつる。

同巻 第十二回

冨山とやまほら畜生ちくせう菩提心ぼだいしんはつす。流水ながれさかのぼり神童しんどう未來みらいくわく。

巻之貮 第十三回

尺素ふみのこし因果いんくわみづかうつたふ。雲霧さきりはらつ妖孽あやしみはじめてむ。

同巻 第十四回

のりものとばして使妾つかひめ渓澗たにかはわたす。しやくならしてヽ大ちゆだい記總ずゞたまたづぬ。

巻之参 第十五回

金蓮寺きんれんじ番作ばんさくあたつ。拈華庵ねんげあん手束たつかたびゝととゞむ。

同巻 第十六回

白刃はくじんもと鸞鳳らんほう良縁りやうえんむすぶ。天女てんによほこら夫妻ふさい一子いつしいのる。

巻之肆 第十七回

妬忌ときたくましくして蟇六ひきろく螟蛉やしなひこもとむ。孝心こうしんかたうして信乃しの曝布たきはらひす。

同巻 第十八回

簸川原ひのかはら紀二郎きじらういのちおとす。荘官むらをさやしき與四郎よしらうきずかうむる。

巻之伍 第十九回

亀篠かめさゝ姦計かんけい糠助ぬかすけすかす。番作ばんさく遠謀ゑんぼう孤兒みなしごたくす。

同巻 第二十回

一雙いつそう玉兒ぎよくじむすぶ。三尺さんしやく童子どうじこゝろさしぶ。

統計とうけい二十くわいその第一回だいいつくわいよりだい十回くわいいたつすで于肇輯ぢやうしふ第一巻だいいちのまきろくしつ

【口絵】

醉ぬとはいはれぬ春の花さかり/さくらも肩にかゝりてそゆく
亀篠
丁丑百八拾八番
軍木ぬるて五倍二ごばいじ
犬塚番作
春風のやしなひたてしさくら花/またはるかせのなそちらすらむ
手束たつか

遠泉不救中途渇/獨木難搘大厦傾
奴隷しもべ額藏がくざう
犬塚信乃しの
いせのあまか/かつきあけつゝ/かたおもひ/あはむの玉の/輿になのりそ
一万度太麻

土田どたの太郎
丑五千六百三番/山崎
網乾あぼし左文二郎さもじらう
三保ノ谷か/しころに/似たる破傘/風にとられしと/前へ引く也
巻舒在手雖無定/用舎由人却有功
交野かたの加太郎
板野井太郎
雨たれの/おとしつゝして/又さらに/もるこそよけれ/軒の月影
濱路

 この編第二の卷に至りて、伏姬の事つくせり。かゝれば肇輯ぢゃうしふ第十回なる題目は、[きんおかして考德たかのり一婦人をうしなふ。腹を裂て伏姬八犬子をはしらす。すなはちこれ也。]第十三回たるべきもの也。しかるをさきいだせしは、發端ほつたんいまだつくさずして、はやく刊行せしゆゑに、その大かたをしらせんとて、物語はいとのちなるも、その繍像さしゑさへさきにしつ。およそは七卷なゝまき十四回を、前ぜんちつとせまほしかりしに、書ふみやの好みやむことを得ず、かくて每編五卷いつまきを、年々とし〳〵つぎいだす事になん。

 右の簡端かんたんなる出像中さしゑのうちにも、第三しふの卷々にて、はじめて說出ときいだすものあり。そは軍木五倍二ぬるでごばいじ網乾左文二郞あほしさもじらう土田土太郞どたのどたらう交野加太郞かたのかたらう板野井太郞いたのゐたらうすなはちこれ也。かねては發端のみにして、八士のうへは定かならぬに、書肆ふみやせめふたがんとて、稿本したがきはまだ其處そこへ至らず、すぢすらいまだ考起かむがへおこさで、無心にしてまづをあつらへ、のちにその畫にあはしつゝ、作りなしたるところもあれど、こと大かたはたがへるものなし。こは豫が心ひとつもて、ともかくもすることながら、只彼傭書剞劂たゞかのようしよきけつの手にあやまたるゝもの多かるを、よくもたゞすにいとまなし。これらも例の事なれば、看官みるひと察し給へかし。

馬琴再識

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仙翁やまひとゆめ富山とやましをり
貞行暗さだゆきあん靈書れいしよたてまつ

うまとばして貞行さだゆき瀧田たきたおもむく」「このわけだい十六ちやううらみえたり」「堀うち貞ゆき」

 里見治部少輔義實朝臣さとみぢぶのせうゆうよしさねあそんは、山下やました麻呂まろ安西等あんざいら大敵だいてきほろぼして、あさのごとくみだれたる、安房あは四郡しぐんをうちおさめ、威風上總ゐふうかつさの盡はてさへに、なびかぬ武士もなかりしかば、鐮倉かまくら兩管領りやうくわんれい山內顯定やまのうちあきさだ扇谷定正おうぎがやつさだまさも、[康正こうせい元年、成氏許我なりうぢこがへ退出のち、顯定定正、兩管領りやうくわんれいたり。]侮りかたく思ひけん、かさね京師みやこ執奏しつしまうして、義實の官職つかさをすゝめ、治部大輔ぢぶのたいふになしてけり。かやうにめでたき事のみぞ、歲々としとしにうちつゞけども、義實はいぬる年、安西景連あんざいかけつらに攻せめうたれて、籠城困窮難義ろうぜうこんきうなんぎおり士卒しそつ飢渴きかつすくはんとて、思ひおもはず一ひとことの、あやまちによりて最愛なる、おん息女伏姬むすめふせひめを、八房やつふさの犬にともなはせ、かれはや富山とやまりしより、たえてその安否あんひをしらず。世のきこえ人のそしり、忘るゝひまもなきまでに、いとくやしくぞ思召おぼしめす。さりとて色にもいだし給はず、「彼溪澗かのたにかは路絕みちたえて、わがかたざまのものにはさら也、親にも一切つやつやあはせずとも、もし樵夫獦人きこりかりひとに、見らるゝことのありもせば、親胞兄弟おやはらからあはんより、しほにましてはづかしき事なるべし」、と思ひ給へば、さきには國中こくちうふれしらして、凡良賤士庶およそりやうせんししよをいはず、山稼やまかせぎするものなりとも、くだんの山に登ることを許されず、「もしこのむねそむくものは、必首かならずかうべはねん」とぞ、おきてさせ給ふにも、亦生憎またあやにくに、あさなゆふな、みこゝろにかゝるものは、金碗大輔孝德かなまりだいすけたかのりなり。「かれは安西景連に、兵粮ひやうらうからんとて、かりそめいででゆきしより、今にその存亡いきしにしれず。はかられてとりことなりなば、果敢はかなく命をおとしけん。さらずは陣沒うちじにしつるなるべし。功ありながら賞を辭し、腹切はらきつうせたりける、親孝吉たかよしとゞめあへず、末期まつごに誓ひしことあれば、いかでその子を一城いちぜうぬしにもせん、女壻むこにもせん、と思ひしもよにあだなりき。まかせぬものは人のうへ、みつればかくる月を見ても、去こぞに今ことしもかはらねど、かはりはてしは渠かれらのみ。いかになりけん」、とばかりに、人にとふべき事ならぬ、子に迷ふ親の常闇とこやみは、われから照らすよしもなく、ひとり物をぞ思ひ給ふ。

 現百萬騎げにひやくまんぎの敵を見ても、ものゝかすとせざりける、智仁勇ちじんゆうの三德を、かねも備へし大將たいせうすら、又今さらにすべなくて、かくまで思ひ屈し給へば、まいて義實の夫人五十子おくかたいさらこは、その月その日伏姬に、別れしときの面影おもかげのみ、たゞ目にそひてなきくらし、泣明なきあかし給ひつゝ、「渠恙かれつゝがなくあらせ給へ、歸り來る日にあはせ給へ」、と神に佛にいくたびか、うちあはするたなそこも、指もほそりて朝夕の、はしとるまでもものうげに、御膳ぎよぜんもすゝませ給はねば、ひぢちかに使つかはるゝ、專女房おさめにようばうもろともに、「おんことわり」とまうすのみ、そをなぐさめんよしもなく、「おの〳〵心を鬼にして、富山の奧にわけ登らば、ひめうへのおん所在ありかを、つひにしるよしなからずやは」、としのび〳〵に相譚かたらひつ、「行者ぎやうしや石窟いはやへ代參」といひこしらへ、さて彼山かのやまおもむきて、おぼつかなくも伏姬を、たづねまゐらすることしば〳〵なり。そがなかに、こゝろざしはありながら、山道やまぢすさまじさにも登らで、かのふもとよりかへるもあり、年來武家としころぶけに給みやつかへて、心ざましきものは、鄕導者みちびきひとに先をうたして、からくしてわけ入る物から、蜑崎あまさき十郞輝武てるたけが、推流おしながされたりといふ山川のあなたへは、鄕導者みちびきひともおそれてわたさず、もとより川の向ひには、狹霧さぎり時なくたちこめて、水音みづおとおどろ〳〵しく、其處そことも見えず、こなたなる、岸のいばらに花はさけども、はりむしろるこゝちして、毛骨みのけいよたつのみなれば、やがよりひきかへして、これらも本意ほゐとぐる事なく、只如此々々たゞしか〳〵つげ申せば、五十子はまたさらに、「聞けばきくとてなつかしき、姬の患苦くわんくはとやあらん、かくやあらん」と村肝むらきもの、こゝろひとつにおしはかる、なげきのきりまがきには、しのばれぬ身ぞあぢきなき。「この世からなる人畜にんちくの、せうへだてていつまでも、あふせのなくはたれをかも、ともしによる夏蟲なつむしの、こがれて物を思はんより、われはやしなん」、と口說くどきあへず、しはぶきしげく泣給ふ。かゝるゆゑにぞ後竟のちつひに、ながき病著いたつきふし給へり。

 醫官くすし斛火壺氷こくくわこひやうじゆつに、死をかへさんとほりすれども、その功杏林けうりん滿みつるによしなく、驗者げんざ兩部習合りやうぶしゆがふに、じやはらはんとほりすれども、その法枯木こぼくに花さくのめうなし。月にまし日にそひて、いともあやうく見えさせ給へば、義實よしさねはそのさり、枕上まくらかみたちよりて、みづから病苦をとひ給ふ。かしつきの老女等おふならが、「殿とののわたらせ給ひき」、とまうすによりて五十子いさらこは、童等わらはらたすけられて、やうやくに身を起し、言葉はなくて義實の、おんかほ、つく〴〵と向上みあげ給ふ。まぶちおちいり、頬骨ほふほねの高きあたりへはふりかゝる、淚のつゆたまも、たのみすくなき形容ありさまに、義實もつく〴〵と、見つゝしきりに嘆息し、「けふは心地こゝちのいかにぞや。今四五日たらんには、やうやくおこたり給はめ、と醫官等くすしらはまうすなる。何事なにことも心つよく、氣長けながく保養し給へ」、と慰め給へば、手をひざに、おきかえてかうべふり、「醫官くすしなにとまうすとも、かくまでに瘦髐やせさらばひて、返らぬ旅に逝水ゆくみづの、ながらふべくははべらぬかし。やみわづらふはたれゆゑならん。そはまうさずもすいし給はめ。よしや蓬莱不死ほうらいふしの術、不老ふろうの業もなににせん。とてもかくても現身うつそみの、いきのうちなる思ひでに、あふことかたき伏姬に、今一たびのあふよしあらば、わらはがための仙丹奇方せんたんきはう、これにましたる藥ははべらず。如此しかまうさば淺はかなる、婦女をんな愚癡ぐちぞ、僻事ひがことぞ、とさとし給はん。しかはあれど、國のため、親のために、身をにゑにして家犬かひいぬに、ともなはれつゝ足曳あしひきの、山路やまぢさしいりにし姬が、儔稀たぐひまれなる心操こゝろばえを、類罕たぐひまれなる因果いんくわぞ、とおもひすてさせ給ひなば、民には仁義じんぎの君なりとも、子には不慈ふぢなる親とまうさん。いとはゞかりあることながら、國にまことうしなはじとて、その子をすてさせ給ふとも、富山とやまも君がしろしめす、よつこふりの內ならずや。さらば年々とし〳〵月每に、安否あんひとはせ、みづからも、いゆきて見もし見られもせば、かたみ憂苦うきなぐさむる、よすがともなり侍らんに、樵夫炭燒牧童等きこりすみやきうしかひらまで、くだんの山に入ることを、とゞめ給ふはいかにぞや。よしや齋忌ゆゆしき魔所ましよなりとも、まことせば、親なり子なり。國のかみたる威德いきほひもて、今なほ姬はつゝがなく、かの山おくにありやなしや、しらまく思召おぼしめすならば、かたくもあらぬ所行わざなるべし。思ひたゝせ給はずや。これのみ今般いまはの願ひに侍り。心つよし」、とうらみつ、勸解わびつ、せはしきいきつきあへず、かき口說くどかれて義實は、默然もくねんたるかうべもたげ、「いはるゝ所道理どうりなり。緣故ことのもとおすときは、わが一言ひとことあやまちより、子をすてはぢのこす事、おんにましていかばかり、くちをしく思はざらん。人木石ぼくせきにあらざれば、恩愛おんあいほだしたつことかたく、執しうぢやくきづな釋易ときやすからず。こゝろこまの狂ふまに〳〵、こゝに煩惱ぼんなうの犬をはゞ、公道おほやけのみちたえはてて、あなどおかすものあらば、本州このくに再びみだるべし、と懼思おそれおもひてぜうさき、欲をとゞめて見かへらず、山兒等やまがつらまで彼山かのやまに、登ることをゆるさざりしは、姬がために恥をおほひ、愛におぼれてはうまげのりこえざるわがこゝろを、たみにしらせん爲なれども、おん身がなげ不便ふびんなり。退しりぞきて思慮をめぐらし、姬が安否あんひをしらすべし。心やすく思ひ給へ」、とうけひ給へば、五十子は、「さてはこゝろとけ給ふやみわづらはずはいかにして、よにありがたきおふせをきかん。まつ程はきものなるに、そはいつころに侍るべき」、ととはれて霎時沈吟しばしうちあんじ、「たやすくもあらぬ所行わざながら、おん身が爲にいそがさば、とほからずして吉左右きつさうあらん。心あてに身を愛し、まち給ひね」、と叮嚀ねんごろに、いらへやがて義實は、外面とのかたいで給へば、童等わらはらがこゝろ得て、あとき、又さきたちて、はるかに送りたてまつりぬ。

 このとき義實よしさね嫡男ちやくなん安房二郞義成あはのじらうよしなりは、去歲こぞより眞野まの在城ざいぜうして、安西景連あんざいかげつらが殘黨を討成うちたいらげ、彼處かしこを治め給ふものから、「母うへのおん病著いたつき、いとあやうし」、と聞えし日より、老臣杉倉木曾介氏元すぎくらきそのすけうぢもとに城を守らし、瀧田たきたに來まして母うへを、眞成まめやかとり給ふ、孝心等閑なほざりならざれば、義實は更闌こうたけて、ひそかに義成をまねかせて、くだんことおもむきを、おちもなくつげしらし、「われかりそめに五十子が、心をやすくさせん爲に、忽卒あからさまうけひしが、輝武てるたけはんにして、おそれぬ人もなき山へ、たれをかりて姬をとはせん。よしや不敵ふてきのものありて、彼處かしこ使つかひせんといふとも、事得遂ことえとげずはわがおとして、その身も其處そこほろびなん。とてもかくても難義なんぎ也。和殿わどのなにと思ひ給ふ」、ととはせ給へば小膝こひざをすゝめ、「それがしもこの事は、侍女們をんなばらがまうすにて、はや傳聞つたへきゝ候ひし。たえてひさしき姉うへの、安否をしらばこよなきさいはひ、最歡いとよろこばしく候へども、賢慮寔けんりよまことにその所以ゆゑあり。所詮此彼しよせんこれかれと人をえらみて、家臣に仰付おふせつけらるゝまでも候はず。それがしには二人ふたりなき、姉君あねぎみにをはしませば、義成これをうけたまはりて、富山の奧へわけ登らんに、たづねあはで、やはやむべき。縱彼犬たとひかのいぬれうありて、雲を起し、風をび、人の心をまどはすとも、ようは德にかたずといへり。母の慈善をたてとしつ、父の武德をよろひとして、家かでん弓箭ゆみや手挾たばさみゆかんに、たえ障礙せうげはあるべからず。めいぜさせ給へ」と請ふ、言葉せわしくこぶしさすりて、はや打立うつたつべき氣色けしきなるを、義實は手をあげて、推禁おしとゞめつゝかうべをうちふり、「和殿わどのがごときは血氣けつきゆうのみ。智ある人は事にのぞんで、おそれてはかりことを好むといはずや。父母在ふぼゐますときは、遠く遊ばず。況危まいてあやうきにちかづくをや。わが子とて多くもあらぬ、和殿は家の柱石いしすえなるに、そゞろはやりて過失あやまちあらば、はなはだしき不孝なるべし。さればとてわれまたたゝりをおそれてゆかざるにはあらず。生涯せうがいあはじ、見られじとて、別れし姬は玉匣たまくしげ、まだふたとせのけふに得堪えたへず、こなたよりとはせんこと、影護うしろめた所行わざなれば、胸くるほしく思ふかし。さりとて今宵こよひに限ることかは。かさねておもはゞすべもありなん。この事侍女們をんなばらにもこゝろさして、よそへなもらさせ給ひそ」、とさとして許し給はねば、義成は又さらに、まうすべき言葉もなく、かしこまりて退出まかで給ふ。

 義實はそがまゝに、臥房ふしどらせたまへども、ねられぬまゝに、「とやせまし、かくやせまし」、と思ひかねて、はやあけかたになりしころ、ゆくともしらず身はたゞひとり、富山とやまの奧の溪澗たにかはの、こなたの岸に立在たゝずみ給ふ。當下齡そのときよはひは八やそぢあまり、百とせちかき一個ひとり老翁おきな、おん背後あとべより參りつゝ、義實に申すやう、「この山ふかく入らせ給はゞ、おん鄕導みちしるべ仕らん。さはれこの川はわたしがたし。右手めてのかたに樵夫きこりがかよふ、一條ひとすぢの細道あり。去歲こぞよりしてこの山のかせぎを禁斷せられしかば、荊棘ちかやいやがうへに繁茂おひしげりて、何いづこ路徑みちともわかたねば、僕既やつがれすでに枝ををりかけ、あるひは草をわがねなどして、しをりして候へば、其處そこよりおん供仕らずとも、まよはせ給ふべうもあらず。きはめ本意ほゐとげ給はん。彼方かなたよりすゝませ給へ」、とゆびさをしえまゐらする。義實不思議の事におもひて、その名をとはんとし給ふに、忽地たちまちさめてけり。「是華胥國これくわしよこくの一いちむ也。おもひの夢たのむにらず」、とふかくはこゝろにとめ給はず、このあした此彼これかれと、民の訴訟うつたへ聽定きゝさだめ、やうやく裡面うちり給へば、土圭ときのきぎみひつじに近かり。

 浩處かゝるところ一個ひとりの近臣、ほそどののかたよりまゐりて、うやうやしくぬかつき、「堀內藏人ほりうちくらんどめしおふじて、東條とうでふより參上さんぜうせり」、と申あぐれば、義實はまゆうちよせて、かうべかたむけ、「われ貞行さだゆきをよびたることなし。五十子いさらこ病著いたつきを、傳聞つたへきゝてみづから來にけん。そはとまれかくもあれ、われもとはんと思ふことあり。よき折なるに、こなたへせ。とく〳〵」、といそがして、しばらく左右を遠ざけつ、欣然きんぜんとしてまち給ふ。されば藏人貞行は、ひさしく東條に在城して、たみ撫育ぶいくの心|あつく、一郡既におさまりにたれど、日に三省さんせうをしえを守りて、しばらくも安坐あんざせず、よろづつとめいとまなければ、去歲こぞより瀧田たきたへ參らざりしに、ゆくりなくも今こゝに、見參げんざんに入りしかば、義實はほとり近く、招きよしてたまひ、「藏人つゝがなかりしなんぢ東條にかみたる日より、われ亦三虎またさんこ誣言しひごとを聞かず。その忠心まこゝろの致す所、よろこびこれにますことなし。此度こだみ參府さんふは五十子が、疾病危やまひあやうしと傳聞つたへきゝて、安否あんひとはん爲なる」、ととはせ給へば、貞行は、やうやくにかうべもたげ、「御諚ごでふでは候へども、さき君命くんめいうけし日より、彼一城かのいちぜうまもること、それがしが職分なるに、よしや意中こゝろ見參げんさんを、庶幾こひねがひ候とも、免許みゆるしかふむらで、參るべうも候はず。火くわきうめしに物とりあへず、只今參著さんちやく仕りぬ。さるをめさず、とのたまふは、おんたはむれにやあらんずらん」、といはせもあへず、「やをれ藏人、われに心のうれひ多かり。なにたのしくてたはふれに、なんぢをはる〳〵とめしよすべき。且何まづなにものかわがめいを、汝に傳へて誘引いざなふたる。せうにんありや。おぼつかなし」、と敦證圉いきまき給へば、貞行も意得こゝろえがたくおもへども、さわぎたる氣色けしきなく、「御ごじゃうをかへすはかしこ所行わざ也。さりながら一條ひとくだりことおもむきを申上ん。きのふおいたる雜色ざふしきがおん使つかひなるよしをのりて、東條へ來にければ、いでて見るに、みしらぬもの也。いぶかりながらつゝしみて、君命をうけたまはるに、かのおん使、それがしつげていふやう、『此度夫人こだみおくかたのおん願ひにより、屋方やかたみづから富山とやまおもむき、伏姬君ふせひめぎみとひ給はんとて、をさ〳〵その用意あり。さはれはれなることにはあらず、しのび〳〵の狩倉かりくらにて、音に聞えし高峯たかねなるに、非常のそなへなくばあらず。さればとて從者ともびとを、夥將あまたいてゆかんは不便ふべん也。よりて此度こだみのおん供には、和殿わどのをこそ、と思召おぼしめして、俄頃にはかさせ給ふになん。それがしはこの年としころ洲崎すさきいはやのほとりにる、名もなき下司げすで候ヘども、くだんの山の案內を、よくしつたりと聞召きこしめされ、鄕導みちしるべにとてめしよせられ、このおん使さへうけ給はりて、老足ろうそくながら走り來つ。すなはち殿の御敎書みぎやうしよ』とて、えりかけたるをうやうやしく、ときおろして遞與わたせしかば、それがし拜見仕るに、おきな口狀こうでふ符合ふがうすなれば、つゆばかりも疑ふことなく、くだんおきなをかへすとやがて、馬にくらおきうちのりて、從者ともびとのつゞくをまたず、をこめ、みちをいそがして、御館みたちに參りてうけ給はれば、ことみな實に相違せり。原來彼翁さてはかのおきなこそ、癖者くせものきはまれり。と思へどもまざ〳〵しき、御敎書みぎゃうしよはこゝにあり。これみそなはせ」、と懷中くわいちうより、とうて返したてまつれば、義實さや〳〵とうちひらき、「これはいかに」、と貞行が、かた引向ひきむけて見せ給へば、貞行再びうち驚き、「現某げにそれがしがきのふ見し、文字もあじはこゝにひとつもなく、如是畜生發菩提心によぜちくせうほつぼだいしん、と二行八字に變ぜしは、也、奇なり」、とばかりに、あきるゝこと半晌はんときあまり、又いふよしもなかりけり。
 義實よしざねはこの一句に、忽地曉たちまちさとりてまきおさめ、「藏人汝くらんどなんぢがまうす所、いつはりなくは不思議の事也。そも〳〵きのふ使者とせうして、このしよ遞與わたせしおきな年齡としばえ、その面影おもかげはいかなりし。つばらつげよ」、とのたまへば、貞行はぢたる氣色けしきにて、「くだんの翁は八十やそぢあまり、もゝとせにも及ぶべし。まゆは長うして、綿花わたのはなのべたるごとく、齒はしろうして、瓠核ひさごのたねつらねたるにことならず。やせたれども、すこやか也。おひたりと見れば、いとわかかり。眼光まなこのひかり人を射て、あれどもたけからず。よにいふ道顏仙骨どうがんせんこつとは、かれなるべし」、とまうすにぞ、義實は思はずも、たなそこちやううち、「こゝにも似たる奇談あり。そは疑ふべうもあらず、洲崎すさきいはや迹垂あとたれ給ふ、役行者えんのぎやうじや示現じげん也。まづはじめよりつげん」とて、夫人おくかたうけひ給ひし、伏姬の安否をふべき事、又義成の孝心勇氣、思ひつかれて見し夢に、富山の奧のこなたなる、岸に遊びて思はずに、おきなあひことの趣、首尾はじめをはりときしらし、「夢は五臟ござう疲勞つかれる、賴むに足らずと思ひしが、只今なんぢがまうしつる、翁の面影わが夢に、見えつるものと彷彿さもにたり。加旃如是畜生云云しかのみならずによぜちくせうしか〳〵の八字をもて、過去未來を示せしは、伏姬をさなかりしとき、多病にして嗄音なくこゑたえず、しかるに洲崎のいはやなる、役行者えんのぎゃうじや利益りやくによりて、後健のちすこやか生育おひたちにき。この折に感得せし、水晶すいせう念珠ねんじゆには、仁義禮智忠信孝悌じんぎれいちちうしんこうてい、このやつ文字もんじあり。この後籠城難義のちろうぜうなんぎの折、わが一言ひとことあやまちにて、姬を八房にゆるせし日、くだんの八字は消滅きえうせて、いつのほどにか如是畜生發菩提心によぜちくせうほつぼだいしん、とよまれたり。よりて思ふにわがむすめは、嘉吉かきつ二年夏のすゑ伏日ふくじつころ生れしかば、名を伏姬ふせひめ喚做よびなせしが、後竟のちつひに人にして犬に從ふ、名詮自性めうせんじせう、それ將脫はたのがれぬ因果いんぐわならんに、かれ身をすてたる緣故ことのもとは、親の爲、國の爲、仁義八行じんぎはつこうを世の人に、うしなはせじとの爲なれども、苦節義信くせつぎしん善果ぜんくわによりて、如是畜生によぜちくせう誘引いぎなはれ、つひ成等正覺じやうとうせうがくに、入れるものにぞあらんずらん、とわれもはじめてさとりにければ、敢復あへてまた姬をとゞめず、かれのぞみまかせしより、はや二年ふたとせになりぬれども、安否をとはず、とはせもせず、樵夫獦人等きこりかりびとらまで彼山かのやまに、ることをとヾめしに、今五十子いさらこ疾病危やまひあやうく、そが情愿ねぎごと默止もだしがたさに、姬の安否をしるよしもがな、と思へどもなほ思ひかねつる、が夢に見しおきな面影おもかげ、このしよなんぢにとらせしといふ、そのものと一點つゆたがふことなし。かれといひこれといひ、神變不測しんへんふしぎ應驗おうげんにて、義實が疑惑をとかし、富山の奧へ導き給ふ、行者ぎやうじや示現じげん疑ふべからず。かゝれば是法これはつとかへし、我意がゐまげて伏姬に、再會の時いたれり。則權者すなはちごんじやの示現にまかし、汝をてわれゆかん。この事は沙汰さたすべからず。人はたゞ奇を好むもの也。示現靈應愆じげんれいおふあやまたで、われもし姬にあふことあらば、民喋々たみてふ〳〵と奇を談じて、これより鬼神きしんの德をみださん。又彼山かのやまに遊ぶといふとも、つひに伏姬にあふことなくは、夢を信じて影をひ、にせものて風をる、義實がを民に知らして、世の胡慮ものわらひになりぬべし。大約此度およそこたみ從者ともびとは、汝がほかに、列卒せこ十四五人たるべき。これらも言葉すくなきもの、よろづ老實まめなるをえらぶべし。あすはつとめてわれいでなん。准備こゝろがまへをせよかし」、とかつ示し、かつ命じ給へば、貞行ふかく感佩かんはいして、敢復あへてまた一議に及ばず、すでにしてまうすやう、「姬うへ幼穉いとけなくをはしませし時、役行者えんのぎやうじや靈驗利益れいげんりやく彼水晶かのすいせう珠數ずゞの事は、それがしほゞこれをしれり。此度こだみ奇特きどく符合ふがふす、と思召合おぼしめしあはされしは、亦但またたゞ君が睿智えいちの德。しかしながら姬うへの、至善節義しいぜんせつぎにあらざりせば、斯まで奇特候はんや。今打鎚うつつちはづるゝとも、御判斷はたがふべからず。御遊山ごゆさんの事しかるべし。いそがせ給へ」、といらへまうして、やが遠侍とほさぶらひ退出まかでけり。

 義實はこゝろに祕して、くだんことおもむきを、夫人おくかたにもつげ給はず、たゞ嫡男義成よしなりに、如此々々しか〴〵密語さゝやき給へば、義成もまた感嘆して、やみ給はず。父に代りて彼山かのやまへ、おもむかばやと思召おぼしめせども、權者ごんじやの導き給ふもの、われならざるにすべもなし。ことにこの日はおんはゝ五十子、いよゝます〳〵やみつかれて、いともあやうく見え給へば、ちから及ばずとゞまり給ふ。義實は五十子が、生前いのちのうちにと心いそしく、そのあくるをまちわびつゝ、「長狹富山ながさとやまふもとなる、大山寺おほやまでらまうで給ふ」、とふれさせて、未明まだきよりいで給ふ。微行しのびあるきの事なれば、おんともは堀內藏人貞行等、以下廿人にはすぎざりき。


靈書れいしよかんして主從しゆう〳〵うたがひをとく」「如是畜生發菩提心」「よしさね」「貞ゆき」「よしなり」

 さる程に義實よしさねは、貞行と二騎にき馬をならべて、只管ひたすらむちあげ足掻あがきを早め給ひしかば、その日のうちに乘著のりつけて、はや富山とやまへぞ登り給ふ。とかくして山川のほとりまで來給ふに、巖石いはほ形狀かたち樹木こだち光景ありさま、すべて見しの夢にたがはず。試みに荊棘ちがやをわきつゝ、みちもとめて一町あまり、右手めてのかたへ入り給ふに、果して枝をまげ、草をわがねて、往々ところ〳〵しをりありけり。主從しゆう〴〵今この栞を見て、思はず目と目をあはするまでに、信を增し心勇いさみて、はるか後方あとべを見かへれば、貞行がほか步立かちだちなれば、從者ともびとら遠離とほざかりて、續くものたえてなし。しばらくして馬奴只くちつきのをとこたゞひとり、喘々あへぎ〳〵登り來にければ、義實これを御覽ごらんじて、「すでにこの應驗おふげんあれば、他人あだしは從ふもえうなし。かのものには馬をひかし、ふもとへかへしてともまちさせよ。とくとく」、といそがし給へば、貞行はこゝろ得果えはてて、くだんの男を呼よびちかづけ、やまひば〚国字 木+屠〛に繋留つなぎとめたる、馬をゆびさし、如此々々しか〳〵、とおふせつたへて麓へかへし、これより主從また二人しをりみちをもとめつゝ、やまびるかさかたふけ、葛藤かつらに足を取られじとて、かたみに高く聲をかけて、羊腸つゞらをりなる山みちを、其首そこともわかずのぼりつをりつ、からくして進む程に、彼川上かのかはかみめぐにけん、下闇したやみをゆきぬけて、川のあなたへいでにけり。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十一回)

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