南総里見八犬伝(012)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十一回・序など
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳 第二輯 巻一
【見返】
文化丁丑孟春刊行
曲亭馬琴著 柳川重信畫
有圖八犬傳第弐輯
山青堂藏刻

【序】書き下し

八犬士傳第二輯自序[玄同]

稗官新奇之談。嘗作者ノ胸臆ニ含畜ス。初種々ノ因果ヲ攷索シテ。一モ獲ルコト無スハ。則茫乎トシテ心之適スル所ヲ知ラズ。譬ハ扁舟ヲ泛テ以蒼海ヲ濟ル如シ。既ニシテ意ヲ得ルトキ。則栩々然トシテ獨自ラ樂ム。人之未視ザル所ヲ見。人之未知ラザル所ヲ識ル。而シテ治亂得失。敢載セザルコト莫ク。世態情致。敢冩サザルコト莫シ。排纂稍久シテ。卒ニ册ヲ成ス。猶彼ノ舶人。漂泊數千里。一海嶋ニ至テ。不死之人ニ邂逅シ。仙ヲ學ヒ貨ヲ得テ。歸リ來テ之ヲ人間ニ告ルカゴトキ也。然トモ乗槎桃源ノ故事ノ如キ。衆人之ヲ信セズ。當時以浪説ト為。唯好事ノ者之ヲ喜フ。敢其虚實ヲ問ハズ。傳テ數百年ニ迨スハ。則文人詩客之ヲ風詠ス。後人亦復吟哦シテ而シテ疑ズ。嗚乎書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信與不信ト之有リ。國史ノ筆ヲ絶シ自リ。小説野乗出ツ。啻五車而己ナラズ。屋下ニ屋ヲ加フ。今ニ當テ最モ盛也ト爲。而シテ其言詼諧。甘キコト飴蜜ノ如シ。是ヲ以讀者終日ニシテ而足ラズ。燭ヲ秉テ猶飽コト無シ。然トモ於其好ム者ニ益アルコト幾ント稀ナリ矣。又夫ノ煙草能人ヲ醉シムレトモ。竟ニ飲食藥餌ニ充ルコト無キ者與以異ナルコト無シ也。嗚呼書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信ト不信與之有リ。信言美ナラズ。以後學ヲ警ム可シ。美言信ナラズ。以婦幼ヲ娯シム可シ。儻シ正史ニ由テ以稗史ヲ評スレハ。乃圓器方底而己。俗子ト雖固ニ其合難ヲ知ル。苟モ史與合ザル者。誰カ能ク之ヲ信セン。既ニ已ニ信セズ。猶且之ヲ讀ム。好ト雖亦何ソ咎ン。予カ毎歳著ス所ノ小説。皆此意ヲ以ス。頃コロ八犬士傳嗣次ス。刻成ルニ及テ。書賈復タ序辭ヲ於其編ニ乞フ。因テ此事ヲ述テ以責ヲ塞クト云フ。

文化十三年丙子仲秋閏月望。毫ヲ於著作堂ノ南牕木樨花蔭

簑笠陳人觧識

[震坎解][乾坤一草亭]

【序】原文

八犬士傳第二輯自序[玄同]

稗官新奇之談。嘗含畜作者胸臆。初攷索種々因果。一無獲焉。則茫乎不知心之所適。譬如泛扁舟以濟蒼海。既而得意。則栩々然獨自樂。視人之所未見。識人之所未知。而治亂得失。莫不敢載焉。世態情致。莫不敢冩焉。排纂稍久。卒成册。猶彼舶人。漂泊數千里。至一海嶋。邂逅不死之人。學仙得貨。歸來告之于人間也。然如乗槎桃源故事。衆人不信之。當時以為浪説。唯好事者喜之。不敢問其虚實。傳迨數百年。則文人詩客風詠之。後人亦復吟哦而不疑。嗚乎書也者寔不可信。而信與不信有之。自國史絶筆。小説野乗出焉。不啻五車而己。屋下加屋。當今最爲盛。而其言詼諧。甘如飴蜜。是以讀者終日而不足。秉燭猶無飽焉。然益於其好者幾稀矣。又與夫煙草能人醉。竟無充飲食藥餌者無以異也。嗚呼書也者寔不可信。而信與不信之有。信言不美。可以警後學。美言不信。可以娯婦幼。儻由正史以評稗史。乃圓器方底而己。雖俗子固知其難合。苟不與史合者。誰能信之。既已不信。猶且讀之。雖好亦何咎焉。予毎歳所著小説。皆以此意。頃八犬士傳嗣次。及刻成。書賈復乞序辭於其編。因述此事以塞責云。

文化十三年丙子仲秋閏月望。抽毫於著作堂南牕木樨花蔭

簑笠陳人觧識

[震坎解][乾坤一草亭]

【目録】

南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしふ總目録さうもくろく

巻之壹 第十一回

仙翁やまひと夢ゆめに冨山とやまに栞しをりす。貞行さだゆき暗あんに靈書れいしよを獻たてまつる。

同巻 第十二回

冨山とやまの洞ほらに畜生ちくせう菩提心ぼだいしんを發はつす。流水ながれに沂さかのぼりて神童しんどう未來みらい果くわを説とく。

巻之貮 第十三回

尺素ふみを遺のこして因果いんくわ自みづから訟うつたふ。雲霧さきりを拂はらつて妖孽あやしみ肇はじめて休やむ。

同巻 第十四回

轎のりものを飛とばして使妾つかひめ渓澗たにかはを渉わたす。錫しやくを鳴ならしてヽ大ちゆだい記總ずゞたまを索たづぬ。

巻之参 第十五回

金蓮寺きんれんじに番作ばんさく讐あたを撃うつ。拈華庵ねんげあんに手束たつか客たびゝとを留とゞむ。

同巻 第十六回

白刃はくじんの下もとに鸞鳳らんほう良縁りやうえんを結むすぶ。天女てんによの廟ほこらに夫妻ふさい一子いつしを祈いのる。

巻之肆 第十七回

妬忌ときを逞たくましくして蟇六ひきろく螟蛉やしなひこを求もとむ。孝心こうしんを固かたうして信乃しの曝布たきに禊はらひす。

同巻 第十八回

簸川原ひのかはらに紀二郎きじらう命いのちを隕おとす。荘官むらをさ舎やしきに與四郎よしらう疵きずを被かうむる。

巻之伍 第十九回

亀篠かめさゝ姦計かんけい糠助ぬかすけを賺すかす。番作ばんさく遠謀ゑんぼう孤兒みなしごを托たくす。

同巻 第二十回

一雙いつそうの玉兒ぎよくじ義ぎを結むすぶ。三尺さんしやくの童子どうじ志こゝろさしを述のぶ。

統計とうけい二十回くわい其その第一回だいいつくわいより第だい十回くわいに迄いたつて既すでに于肇輯ぢやうしふ第一巻だいいちのまきに録ろくしつ

【口絵】

醉ぬとはいはれぬ春の花さかり/さくらも肩にかゝりてそゆく
亀篠
丁丑百八拾八番
軍木ぬるて五倍二ごばいじ
犬塚番作
春風のやしなひたてしさくら花/またはるかせのなそちらすらむ
手束たつか

遠泉不救中途渇/獨木難搘大厦傾
奴隷しもべ額藏がくざう
犬塚信乃しの
いせのあまか/かつきあけつゝ/かたおもひ/あはむの玉の/輿になのりそ
一万度太麻

土田どたの土ど太郎
丑五千六百三番/山崎
網乾あぼし左文二郎さもじらう
三保ノ谷か/しころに/似たる破傘/風にとられしと/前へ引く也
巻舒在手雖無定/用舎由人却有功
交野かたの加太郎
板野井太郎
雨たれの/おとしつゝして/又さらに/もるこそよけれ/軒の月影
濱路

 この編第二の卷に至りて、伏姬の事盡つくせり。かゝれば肇輯ぢゃうしふ第十回なる題目は、[禁きんを犯おかして考德たかのり一婦人をうしなふ。腹を裂て伏姬八犬子を走はしらす。則すなはちこれ也。]第十三回たるべきもの也。しかるを前さきに出いだせしは、發端ほつたんいまだ盡つくさずして、はやく刊行せしゆゑに、その大かたをしらせんとて、物語はいと後のちなるも、その繍像さしゑさへ前さきにしつ。およそは七卷なゝまき十四回を、前帙ぜんちつとせまほしかりしに、書肆ふみやの好み已やむことを得ず、かくて每編五卷いつまきを、年々とし〳〵嗣出つぎいだす事になん。

 右の簡端かんたんなる出像中さしゑのうちにも、第三輯しふの卷々にて、はじめて說出ときいだすものあり。そは軍木五倍二ぬるでごばいじ、網乾左文二郞あほしさもじらう、土田土太郞どたのどたらう、交野加太郞かたのかたらう、板野井太郞いたのゐたらう、則すなはちこれ也。豫かねては發端のみにして、八士のうへは定かならぬに、書肆ふみやが責せめを塞ふたがんとて、稿本したがきはまだ其處そこへ至らず、すぢすらいまだ考起かむがへおこさで、無心にしてまづ畫ゑをあつらへ、後のちにその畫にあはしつゝ、作りなしたるところもあれど、縡こと大かたはたがへるものなし。こは豫が心ひとつもて、ともかくもすることながら、只彼傭書剞劂たゞかのようしよきけつの手に悞あやまたるゝもの多かるを、よくも正たゞすに遑いとまなし。これらも例の事なれば、看官みるひと察し給へかし。

馬琴再識

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仙翁やまひと夢ゆめに富山とやまに栞しをりす
貞行暗さだゆきあんに靈書れいしよを獻たてまつる

「馬うまを飛とばして貞行さだゆき瀧田たきたに赴おもむく」「この画ゑの觧わけ第だい十六張ちやうの背うらに見みえたり」「堀うち貞ゆき」

 里見治部少輔義實朝臣さとみぢぶのせうゆうよしさねあそんは、山下やました、麻呂まろ、安西等あんざいらの大敵だいてきを滅ほろぼして、麻あさのごとく紊みだれたる、安房あはの四郡しぐんをうち治おさめ、威風上總ゐふうかつさの盡處はてさへに、靡なびかぬ武士もなかりしかば、鐮倉かまくらの兩管領りやうくわんれい、山內顯定やまのうちあきさだ、扇谷定正おうぎがやつさだまさも、[康正こうせい元年、成氏許我なりうぢこがへ退出後のち、顯定定正、兩管領りやうくわんれいたり。]侮りかたく思ひけん、再かさねて京師みやこへ執奏しつしまうして、義實の官職つかさをすゝめ、治部大輔ぢぶのたいふになしてけり。かやうにめでたき事のみぞ、歲々としとしにうち續つゞけども、義實はいぬる年、安西景連あんざいかけつらに攻擊せめうたれて、籠城困窮難義ろうぜうこんきうなんぎの折おり、士卒しそつの飢渴きかつを救すくはんとて、思ひおもはず一言ひとことの、失あやまちによりて最愛なる、おん息女伏姬むすめふせひめを、八房やつふさの犬に伴ともなはせ、渠かれはや富山とやまへ入いりしより、絕たえてその安否あんひをしらず。世の聞きこえ人の譏そしり、忘るゝ隙ひまもなきまでに、いと悔くやしくぞ思召おぼしめす。然さりとて色にも出いだし給はず、「彼溪澗かのたにかはに路絕みちたえて、わが方かたざまのものにはさら也、親にも一切つやつやあはせずとも、もし樵夫獦人きこりかりひとに、見らるゝことのありもせば、親胞兄弟おやはらからに遭あはんより、八やしほにまして恥はづかしき事なるべし」、と思ひ給へば、曩さきには國中こくちうに詢ふれしらして、凡良賤士庶およそりやうせんししよをいはず、山稼やまかせぎするものなりとも、件くだんの山に登ることを許されず、「もしこの旨むねに背そむくものは、必首かならずかうべを刎はねん」とぞ、掟おきてさせ給ふにも、亦生憎またあやにくに、あさなゆふな、みこゝろに懸かゝるものは、金碗大輔孝德かなまりだいすけたかのりなり。「渠かれは安西景連に、兵粮ひやうらうを借からんとて、苟かりそめに出いででゆきしより、今にその存亡いきしにしれず。謀はかられて擒とりことなりなば、果敢はかなく命を隕おとしけん。さらずは陣沒うちじにしつるなるべし。功ありながら賞を辭し、腹切はらきつて亡うせたりける、親孝吉たかよしを禁とゞめあへず、末期まつごに誓ひしことあれば、いかでその子を一城いちぜうの主ぬしにもせん、女壻むこにもせん、と思ひしもよに化あだなりき。まかせぬものは人のうへ、盈みつれば虧かくる月を見ても、去歲こぞに今年ことしもかはらねど、かはり果はてしは渠等かれらのみ。いかになりけん」、とばかりに、人に問とふべき事ならぬ、子に迷ふ親の常闇とこやみは、われから照らすよしもなく、ひとり物をぞ思ひ給ふ。

 現百萬騎げにひやくまんぎの敵を見ても、屑ものゝかすとせざりける、智仁勇ちじんゆうの三德を、兼かねも備へし大將たいせうすら、又今さらに術すべなくて、かくまで思ひ屈し給へば、況まいて義實の夫人五十子おくかたいさらこは、その月その日伏姬に、別れしときの面影おもかげのみ、只たゞ目にそひて泣なきくらし、泣明なきあかし給ひつゝ、「渠恙かれつゝがなくあらせ給へ、歸り來る日にあはせ給へ」、と神に佛にいく遍たびか、うち合あはする掌たなそこも、指も細ほそりて朝夕の、箸はしとるまでも懶ものうげに、御膳ぎよぜんもすゝませ給はねば、臂ひぢちかに使つかはるゝ、專女房おさめにようばうもろ共ともに、「おん理ことわり」とまうすのみ、そを慰なぐさめんよしもなく、「おの〳〵心を鬼にして、富山の奧にわけ登らば、姬ひめうへのおん所在ありかを、遂つひにしるよしなからずやは」、としのび〳〵に相譚かたらひつ、「行者ぎやうしやの石窟いはやへ代參」といひこしらへ、さて彼山かのやまに赴おもむきて、おぼつかなくも伏姬を、索たづねまゐらすることしば〳〵なり。そが中なかに、志こゝろざしはありながら、山道やまぢの凄すさまじさに得えも登らで、かの麓ふもとより還かへるもあり、年來武家としころぶけに給事みやつかへて、心ざま雄を々ゝしきものは、鄕導者みちびきひとに先をうたして、辛からくしてわけ入る物から、蜑崎あまさき十郞輝武てるたけが、推流おしながされたりといふ山川のあなたへは、鄕導者みちびきひともおそれて涉わたさず、固もとより川の向ひには、狹霧さぎり時なく立たちこめて、水音みづおとおどろ〳〵しく、其處そことも見えず、こなたなる、岸の茨いばらに花は開さけども、針はりの席むしろに坐をるこゝちして、毛骨みのけいよたつのみなれば、軈やがて是こ首こより引ひきかへして、これらも本意ほゐを遂とぐる事なく、只如此々々たゞしか〳〵と吿つげ申せば、五十子は又またさらに、「聞けばきくとてなつかしき、姬の患苦くわんくはとやあらん、かくやあらん」と村肝むらきもの、こゝろひとつにおし量はかる、歎なげきの霧きりの籬まがきには、忍しのばれぬ身ぞ形あぢきなき。「この世からなる人畜にんちくの、生せうを隔へだてていつまでも、あふせのなくは誰たれをかも、ともし火ひによる夏蟲なつむしの、焦こがれて物を思はんより、われはや死しなん」、と口說くどきあへず、咳しはぶきしげく泣給ふ。かゝる故ゆゑにぞ後竟のちつひに、ながき病著いたつきに臥ふし給へり。

 醫官くすしは斛火壺氷こくくわこひやうの術じゆつに、死をかへさんと欲ほりすれども、その功杏林けうりんに滿みつるによしなく、驗者げんざは兩部習合りやうぶしゆがふの符ふに、邪じやを禳はらはんと欲ほりすれども、その法枯木こぼくに花さくの妙めうなし。月にまし日にそひて、いとも危あやうく見えさせ給へば、義實よしさねはその夜よさり、枕上まくらかみに立たちよりて、みづから病苦を訪とひ給ふ。傅かしつきの老女等おふならが、「殿とののわたらせ給ひき」、とまうすによりて五十子いさらこは、女めの童等わらはらに扶たすけられて、やうやくに身を起し、言葉はなくて義實の、おん顏かほ、つく〴〵と向上みあげ給ふ。瞼まぶちおちいり、頬骨ほふほねの高きあたりへはふりかゝる、淚の露つゆの玉たまの緖をも、賴たのみすくなき形容ありさまに、義實もつく〴〵と、見つゝ頻しきりに嘆息し、「けふは心地こゝちのいかにぞや。今四五日經へたらんには、やうやくおこたり給はめ、と醫官等くすしらはまうすなる。何事なにことも心つよく、氣長けながく保養し給へ」、と慰め給へば、手を膝ひざに、措おきかえて頭かうべを掉ふり、「醫官くすしは何なにとまうすとも、かくまでに瘦髐やせさらばひて、返らぬ旅に逝水ゆくみづの、ながらふべくは侍はべらぬかし。病やみわづらふは誰たれゆゑならん。そはまうさずも猜すいし給はめ。よしや蓬莱不死ほうらいふしの術、不老ふろうの業も何なににせん。とてもかくても現身うつそみの、生いきのうちなる思ひでに、あふことかたき伏姬に、今一トたびのあふよしあらば、わらはがための仙丹奇方せんたんきはう、これにましたる藥は侍はべらず。如此しかまうさば淺はかなる、婦女をんなの愚癡ぐちぞ、僻事ひがことぞ、と諭さとし給はん。しかはあれど、國の爲ため、親のために、身を贄にゑにして家犬かひいぬに、伴ともなはれつゝ足曳あしひきの、山路やまぢを指さして入いりにし姬が、儔稀たぐひまれなる心操こゝろばえを、類罕たぐひまれなる因果いんくわぞ、とおもひ捐すてさせ給ひなば、民には仁義じんぎの君なりとも、子には不慈ふぢなる親とまうさん。いと憚はゞかりあることながら、國に信まことを喪うしなはじとて、その子を棄すてさせ給ふとも、富山とやまも君が知しろしめす、四よつの郡こふりの內ならずや。さらば年々とし〳〵月每に、安否あんひを問とはせ、みづからも、いゆきて見もし見られもせば、迭かたみに憂苦うきを慰なぐさむる、よすがともなり侍らんに、樵夫炭燒牧童等きこりすみやきうしかひらまで、件くだんの山に入ることを、禁とゞめ給ふはいかにぞや。よしや齋忌ゆゆしき魔所ましよなりとも、誠まことを推おせば、親なり子なり。國の守かみたる威德いきほひもて、今なほ姬は恙つゝがなく、彼かの山おくにありやなしや、しらまく思召おぼしめすならば、難かたくもあらぬ所行わざなるべし。思ひたゝせ給はずや。是これのみ今般いまはの願ひに侍り。心つよし」、と恨うらみつ、勸解わびつ、せはしき息いきを吻つきあへず、かき口說くどかれて義實は、默然もくねんたる頭かうべを擡もたげ、「いはるゝ所道理どうりなり。緣故ことのもとを推おすときは、わが一言ひとことの失あやまちより、子を棄すて、恥はぢを遺のこす事、おん身みにましていかばかり、朽くちをしく思はざらん。人木石ぼくせきにあらざれば、恩愛おんあいの絆ほだし、斷たつことかたく、執着しうぢやくの霸きづな、釋易ときやすからず。意こゝろの駒こまの狂ふまに〳〵、こゝに煩惱ぼんなうの犬を逐おはゞ、公道おほやけのみちたえ果はてて、侮あなどり侵おかすものあらば、本州このくに再び亂みだるべし、と懼思おそれおもひて情ぜうを剖さき、欲を禁とゞめて見かへらず、山兒等やまがつらまで彼山かのやまに、登ることを聽ゆるさざりしは、姬が爲ために恥を掩おほひ、愛に溺おぼれて法はうを枉まげ、則のりを踰こえざるわがこゝろを、民たみにしらせん爲なれども、おん身が歎なげき不便ふびんなり。退しりぞきて思慮をめぐらし、姬が安否あんひをしらすべし。心やすく思ひ給へ」、と諾うけひ給へば、五十子は、「さては御みこゝろ解とけ給ふ欤か。煩やみわづらはずはいかにして、よに有ありがたき仰おふせをきかん。まつ程は憂うきものなるに、そはいつ頃ころに侍るべき」、と問とはれて霎時沈吟しばしうちあんじ、「輙たやすくもあらぬ所行わざながら、おん身が爲にいそがさば、遐とほからずして吉左右きつさうあらん。心あてに身を愛し、俟まち給ひね」、と叮嚀ねんごろに、應いらへて軈やがて義實は、外面とのかたへ出いで給へば、女めの童等わらはらがこゝろ得て、後あとに跟つき、又先さきに立たちて、迥はるかに送り奉たてまつりぬ。

 このとき義實よしさねの嫡男ちやくなん、安房二郞義成あはのじらうよしなりは、去歲こぞより眞野まのに在城ざいぜうして、安西景連あんざいかげつらが殘黨を討成うちたいらげ、彼處かしこを治め給ふものから、「母うへのおん病著いたつき、いと危あやうし」、と聞えし日より、老臣杉倉木曾介氏元すぎくらきそのすけうぢもとに城を守らし、瀧田たきたに來まして母うへを、眞成まめやかに看みとり給ふ、孝心等閑なほざりならざれば、義實は更闌こうたけて、竊ひそかに義成を招まねかせて、件くだんの縡ことの趣おもむきを、おちもなく吿つげしらし、「われ苟かりそめに五十子が、心をやすくさせん爲に、忽卒あからさまに諾うけひしが、輝武てるたけを本はんにして、おそれぬ人もなき山へ、誰たれをか遣やりて姬を訪とはせん。よしや不敵ふてきのものありて、彼處かしこへ使つかひせんといふとも、事得遂ことえとげずはわが威ゐを貶おとして、その身も其處そこに亡ほろびなん。とてもかくても難義なんぎ也。和殿わどのは何なにと思ひ給ふ」、と問とはせ給へば小膝こひざをすゝめ、「某それがしもこの事は、侍女們をんなばらがまうすにて、はや傳聞つたへきゝ候ひし。絕たえてひさしき姉うへの、安否をしらばこよなき幸さいはひ、最歡いとよろこばしく候へども、賢慮寔けんりよまことにその所以ゆゑあり。所詮此彼しよせんこれかれと人を擇えらみて、家臣に仰付おふせつけらるゝまでも候はず。某それがしには二人ふたりなき、姉君あねぎみの義ぎにをはしませば、義成これを承うけたまはりて、富山の奧へわけ登らんに、索たづねあはで、やは已やむべき。縱彼犬たとひかのいぬに灵れうありて、雲を起し、風を喚よび、人の心を惑まどはすとも、妖ようは德に勝かたずといへり。母の慈善を盾たてとしつ、父の武德を鎧よろひとして、家傳かでんの弓箭ゆみやを手挾たばさみゆかんに、絕たえて障礙せうげはあるべからず。命めいぜさせ給へ」と請ふ、言葉せわしく拳こぶしを捺さすりて、はや打立うつたつべき氣色けしきなるを、義實は手を抗あげて、推禁おしとゞめつゝ頭かうべをうち掉ふり、「和殿わどのがごときは血氣けつきの勇ゆうのみ。智ある人は事に臨のぞんで、おそれて謀はかりことを好むといはずや。父母在ふぼゐますときは、遠く遊ばず。況危まいてあやうきに近ちかづくをや。わが子とて多くもあらぬ、和殿は家の柱石いしすえなるに、漫そゞろに早はやりて過失あやまちあらば、甚はなはだしき不孝なるべし。さればとて吾われも亦また、崇たゝりをおそれてゆかざるにはあらず。生涯せうがいあはじ、見られじとて、別れし姬は玉匣たまくしげ、まだふたとせのけふに得堪えたへず、こなたより訪とはせんこと、影護うしろめたき所行わざなれば、胸くるほしく思ふかし。さりとて今宵こよひに限ることかは。再かさねておもはゞすべもありなん。この事侍女們をんなばらにもこゝろ得えさして、外よそへな洩もらさせ給ひそ」、と諭さとして許し給はねば、義成は又さらに、まうすべき言葉もなく、畏かしこまりて退出まかで給ふ。

 義實はそがまゝに、臥房ふしどに入いらせたまへども、寢ねられぬまゝに、「とやせまし、かくやせまし」、と思ひかねて、はや曉あけかたになりし比ころ、ゆくともしらず身は只たゞひとり、富山とやまの奧の溪澗たにかはの、こなたの岸に立在たゝずみ給ふ。當下齡そのときよはひは八十やそぢあまり、百とせちかき一個ひとりの老翁おきな、おん背後あとべより參りつゝ、義實に申すやう、「この山ふかく入らせ給はゞ、おん鄕導みちしるべ仕らん。さはれこの川はわたしがたし。右手めてのかたに樵夫きこりがかよふ、一條ひとすぢの細道あり。去歲こぞよりしてこの山の掙かせぎを禁斷せられしかば、荊棘ちかやいやがうへに繁茂おひしげりて、何處いづこを路徑みちともわかたねば、僕既やつがれすでに枝を折をりかけ、或あるひは草を紈わがねなどして、栞しをりして候へば、其處そこよりおん供仕らずとも、迷まよはせ給ふべうもあらず。究きはめて本意ほゐを遂とげ給はん。彼方かなたより進すゝませ給へ」、と指ゆびさし誨をしえまゐらする。義實不思議の事におもひて、その名を問とはんとし給ふに、忽地たちまちに覺さめてけり。「是華胥國これくわしよこくの一夢いちむ也。おもひ寐ねの夢憑たのむに足たらず」、とふかくは意こゝろにとめ給はず、この朝あしたも此彼これかれと、民の訴訟うつたへを聽定きゝさだめ、やうやく裡面うちに入いり給へば、土圭ときのきぎみも未ひつじに近かり。

 浩處かゝるところに一個ひとりの近臣、廊ほそどののかたよりまゐりて、恭うやうやしく額ぬかを著つき、「堀內藏人ほりうちくらんど、召めしに應おふじて、東條とうでふより參上さんぜうせり」、と申上あぐれば、義實は眉まゆうちよせて、頭かうべを傾かたむけ、「われ貞行さだゆきをよびたることなし。五十子いさらこが病著いたつきを、傳聞つたへきゝてみづから來にけん。そはとまれかくもあれ、われも問とはんと思ふことあり。よき折なるに、こなたへ召めせ。とく〳〵」、といそがして、且しばらく左右を遠ざけつ、欣然きんぜんとして俟まち給ふ。されば藏人貞行は、ひさしく東條に在城して、民たみを撫育ぶいくの心|篤あつく、一郡既に治おさまりにたれど、日に三省さんせうの敎をしえを守りて、且しばらくも安坐あんざせず、よろづ務つとめに暇いとまなければ、去歲こぞより瀧田たきたへ參らざりしに、ゆくりなくも今こゝに、見參げんざんに入りしかば、義實はほとり近く、招きよして坐ざを賜たまひ、「藏人恙つゝがなかりし欤か。汝なんぢ東條に令かみたる日より、われ亦三虎またさんこの誣言しひごとを聞かず。その忠心まこゝろの致す所、歡よろこびこれにますことなし。此度こだみの參府さんふは五十子が、疾病危やまひあやうしと傳聞つたへきゝて、安否あんひを問とはん爲なる欤か」、と問とはせ給へば、貞行は、やうやくに頭かうべを擡もたげ、「御諚ごでふでは候へども、曩さきに君命くんめいを受うけし日より、彼一城かのいちぜうを戍まもること、某それがしが職分なるに、よしや意中こゝろに見參げんさんを、庶幾こひねがひ候とも、免許みゆるしを蒙かふむらで、參るべうも候はず。火急くわきうの召めしに物とりあへず、只今參著さんちやく仕りぬ。さるを召めさず、と宣のたまふは、おん戲たはむれにやあらんずらん」、といはせもあへず、「やをれ藏人、われに心の憂うれひ多かり。何なにたのしくて戲たはふれに、汝なんぢをはる〳〵と召めしよすべき。且何まづなにものかわが命めいを、汝に傳へて誘引いざなふたる。人せうにんありや。覺おぼつかなし」、と敦證圉いきまき給へば、貞行も意得こゝろえがたくおもへども、騷さわぎたる氣色けしきなく、「御諚ごじゃうをかへすは恐かしこき所行わざ也。さりながら一條ひとくだり、縡ことの趣おもむきを申上ん。きのふ老おいたる雜色ざふしきがおん使つかひなるよしを吿のりて、東條へ來にければ、出いでて見るに、認みしらぬもの也。訝いぶかりながら謹つゝしみて、君命を承うけたまはるに、彼かのおん使、某それがしに吿つげていふやう、『此度夫人こだみおくかたのおん願ひにより、屋方やかたみづから富山とやまに赴おもむき、伏姬君ふせひめぎみを訪とひ給はんとて、をさ〳〵その用意あり。さはれ晴はれなることにはあらず、しのび〳〵の狩倉かりくらにて、音に聞えし高峯たかねなるに、非常の備そなへなくンばあらず。さればとて從者ともびとを、夥將あまたいてゆかんは不便ふべん也。よりて此度こだみのおん供には、和殿わどのをこそ、と思召おぼしめして、俄頃にはかに召めさせ給ふになん。某それがしはこの年來としころ、洲崎すさきの崫いはやのほとりに處をる、名もなき下司げすで候ヘども、件くだんの山の案內を、よく知しつたりと聞召きこしめされ、鄕導みちしるべにとて召めしよせられ、このおん使さへうけ給はりて、老足ろうそくながら走り來つ。則すなはち殿の御敎書みぎやうしよ』とて、襟えりに掛かけたるを恭うやうやしく、解ときおろして遞與わたせしかば、某それがし拜見仕るに、翁おきなが口狀こうでふも符合ふがうすなれば、露つゆばかりも疑ふことなく、件くだんの翁おきなをかへすとやがて、馬に鞍くらおきうち乘のりて、從者ともびとのつゞくを俟またず、夜よをこめ、途みちをいそがして、御館みたちに參りてうけ給はれば、縡ことみな實に相違せり。原來彼翁さてはかのおきなこそ、癖者くせものに極きはまれり。と思へどもまざ〳〵しき、御敎書みぎゃうしよはこゝにあり。これ臠みそなはせ」、と懷中くわいちうより、とう出でて返し奉たてまつれば、義實さや〳〵とうち披ひらき、「これはいかに」、と貞行が、方かたに引向ひきむけて見せ給へば、貞行再びうち驚き、「現某げにそれがしがきのふ見し、文字もあじはこゝにひとつもなく、如是畜生發菩提心によぜちくせうほつぼだいしん、と二行八字に變ぜしは、奇き也、奇なり」、とばかりに、呆あきるゝこと半晌はんときあまり、又いふよしもなかりけり。
 義實よしざねはこの一句に、忽地曉たちまちさとりて卷まきおさめ、「藏人汝くらんどなんぢがまうす所、僞いつはりなくは不思議の事也。抑そも〳〵きのふ使者と稱せうして、この書しよを遞與わたせし翁おきなが年齡としばえ、その面影おもかげはいかなりし。詳つばらに吿つげよ」、と宣のたまへば、貞行羞はぢたる氣色けしきにて、「件くだんの翁は八十やそぢあまり、百もゝとせにも及ぶべし。眉まゆは長うして、綿花わたのはなを重のべたるごとく、齒は皓しろうして、瓠核ひさごのたねを連つらねたるに異ことならず。躬みは瘦やせたれども、健すこやか也。老おひたりと見れば、いと弱わかかり。眼光まなこのひかり人を射て、威ゐあれども猛たけからず。よにいふ道顏仙骨どうがんせんこつとは、渠かれなるべし」、とまうすにぞ、義實は思はずも、掌たなそこを丁ちやうと拍うち、「こゝにも似たる奇談あり。そは疑ふべうもあらず、洲崎すさきの崫いはやに迹垂あとたれ給ふ、役行者えんのぎやうじやの示現じげん也。且まづはじめより吿つげん」とて、夫人おくかたに諾うけひ給ひし、伏姬の安否を訊とふべき事、又義成の孝心勇氣、思ひつかれて見し夢に、富山の奧のこなたなる、岸に遊びて思はずに、翁おきなに遭あひし縡ことの趣、首尾はじめをはりを說ときしらし、「夢は五臟ござうの疲勞つかれに成なる、賴むに足らずと思ひしが、只今汝なんぢがまうしつる、翁の面影わが夢に、見えつるものと彷彿さもにたり。加旃如是畜生云云しかのみならずによぜちくせうしか〳〵の八字をもて、過去未來を示せしは、伏姬穉をさなかりしとき、多病にして嗄音なくこゑたえず、しかるに洲崎の窟いはやなる、役行者えんのぎゃうじやの利益りやくによりて、後健のちすこやかに生育おひたちにき。この折に感得せし、水晶すいせうの念珠ねんじゆには、仁義禮智忠信孝悌じんぎれいちちうしんこうてい、この八やつの文字もんじあり。この後籠城難義のちろうぜうなんぎの折、わが一言ひとことの失あやまちにて、姬を八房に許ゆるせし日、件くだんの八字は消滅きえうせて、いつの程ほどにか如是畜生發菩提心によぜちくせうほつぼだいしん、と讀よまれたり。因よりて思ふにわが女むすめは、嘉吉かきつ二年夏の季すゑ、伏日ふくじつの比ころ生れしかば、名を伏姬ふせひめと喚做よびなせしが、後竟のちつひに人にして犬に從ふ、名詮自性めうせんじせう、それ將脫はたのがれぬ因果いんぐわならんに、渠かれ身を棄すてたる緣故ことのもとは、親の爲、國の爲、仁義八行じんぎはつこうを世の人に、喪うしなはせじとの爲なれども、苦節義信くせつぎしんの善果ぜんくわによりて、如是畜生によぜちくせうに誘引いぎなはれ、遂つひに成等正覺じやうとうせうがくに、入れるものにぞあらんずらん、とわれもはじめて曉さとりにければ、敢復あへてまた姬を禁とゞめず、渠かれが望のぞみに任まかせしより、はや二年ふたとせになりぬれども、安否を訪とはず、訊とはせもせず、樵夫獦人等きこりかりびとらまで彼山かのやまに、入いることを禁とヾめしに、今五十子いさらこが疾病危やまひあやうく、そが情愿ねぎごとの默止もだしがたさに、姬の安否をしるよしもがな、と思へどもなほ思ひ難かねつる、豫よが夢に見し翁おきなの面影おもかげ、この書しよを汝なんぢにとらせしといふ、そのものと一點つゆたがふことなし。祫かれといひ恰これといひ、神變不測しんへんふしぎの應驗おうげんにて、義實が疑惑を解とかし、富山の奧へ導き給ふ、行者ぎやうじやの示現じげん疑ふべからず。かゝれば是法度これはつとを復かへし、我意がゐを枉まげて伏姬に、再會の時到いたれり。則權者すなはちごんじやの示現に任まかし、汝を將いてわれゆかん。この事は沙汰さたすべからず。人は唯たゞ奇を好むもの也。示現靈應愆じげんれいおふあやまたで、われもし姬にあふことあらば、民喋々たみてふ〳〵と奇を談じて、これより鬼神きしんの德を淫みださん。又彼山かのやまに遊ぶといふとも、終つひに伏姬にあふことなくは、夢を信じて影を逐おひ、假にせものを認みて風を捕とる、義實が愚ぐを民に知らして、世の胡慮ものわらひになりぬべし。大約此度およそこたみの從者ともびとは、汝が外ほかに、列卒せこ十四五人ンたるべき欤か。これらも言葉寡すくなきもの、よろづ老實まめなるを擇えらぶべし。翌あすはつとめてわれ出いでなん。准備こゝろがまへをせよかし」、と且かつ示し、且かつ命じ給へば、貞行ふかく感佩かんはいして、敢復あへてまた一議に及ばず、既すでにして稟まうすやう、「姬うへ幼穉いとけなくをはしませし時、役行者えんのぎやうじやの靈驗利益れいげんりやく、彼水晶かのすいせうの珠數ずゞの事は、某それがしも粗ほゞこれをしれり。此度こだみの奇特きどくに符合ふがふす、と思召合おぼしめしあはされしは、亦但またたゞ君が睿智えいちの德。倂しかしながら姬うへの、至善節義しいぜんせつぎにあらざりせば、斯まで奇特候はんや。今打鎚うつつちは外はづるゝとも、御判斷は錯たがふべからず。御遊山ごゆさんの事しかるべし。いそがせ給へ」、と應いらへまうして、軈やがて遠侍とほさぶらひに退出まかでけり。

 義實は意こゝろに祕して、件くだんの縡ことの趣おもむきを、夫人おくかたにも吿つげ給はず、只たゞ嫡男義成よしなりに、如此々々しか〴〵と密語さゝやき給へば、義成も亦また感嘆して、已やみ給はず。父に代りて彼山かのやまへ、赴おもむかばやと思召おぼしめせども、權者ごんじやの導き給ふもの、われならざるにすべもなし。特ことにこの日はおん母はゝ五十子、いよゝます〳〵病やみつかれて、いとも危あやうく見え給へば、ちから及ばず留とゞまり給ふ。義實は五十子が、生前いのちのうちにと心いそしく、その夜よの曉あくるをまちわびつゝ、「長狹富山ながさとやまの麓ふもとなる、大山寺おほやまでらへ詣まうで給ふ」、と徇ふれさせて、未明まだきより出いで給ふ。微行しのびあるきの事なれば、おん供ともは堀內藏人貞行等、以下廿人には過すぎざりき。


「靈書れいしよを感かんして主從しゆう〳〵疑うたがひを觧とく」「如是畜生發菩提心」「よしさね」「貞ゆき」「よしなり」

 さる程に義實よしさねは、貞行と二騎にき馬を竝ならべて、只管ひたすらに鞭むちを揚あげ、足掻あがきを早め給ひしかば、その日のうちに乘著のりつけて、はや富山とやまへぞ登り給ふ。とかくして山川のほとりまで來給ふに、巖石いはほの形狀かたち、樹木こだちの光景ありさま、すべて見し夜よの夢にたがはず。試みに荊棘ちがやをわきつゝ、途みちを索もとめて一町あまり、右手めてのかたへ入り給ふに、果して枝を曲まげ、草を紈わがねて、往々ところ〳〵に栞しをりありけり。主從しゆう〴〵今この栞を見て、思はず目と目を注あはするまでに、信を增し心勇いさみて、迥はるかに後方あとべを見かへれば、貞行が外ほか、步立かちだちなれば、從者等ともびとらは遠離とほざかりて、續くもの絕たえてなし。且しばらくして馬奴只くちつきのをとこたゞひとり、喘々あへぎ〳〵登り來にければ、義實これを御覽ごらんじて、「既すでにこの應驗おふげんあれば、他人あだしは從ふも要えうなし。彼かのものには馬を牽ひかし、麓ふもとへかへして供ともまちさせよ。とくとく」、といそがし給へば、貞行はこゝろ得果えはてて、件くだんの男を呼近よびちかづけ、山やまひば〚国字 木+屠〛に繋留つなぎとめたる、馬を指ゆびさし、如此々々しか〳〵、と仰おふせを傳つたへて麓へかへし、これより主從亦また二人ン、栞しをりに途みちをもとめつゝ、山やま蛭びるに笠かさを傾かたふけ、葛藤かつらに足を取られじとて、迭かたみに高く聲をかけて、羊腸つゞらをりなる山みちを、其首そこともわかず躋のぼりつ躓をりつ、辛からくして進む程に、彼川上かのかはかみを巡めぐり來きにけん、樹この下闇したやみをゆき脫ぬけて、川のあなたへ出いでにけり。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第十一回)

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