南総里見八犬伝(022)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十一回・序など
東都 曲亭主人 編次
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【見返】
里見八犬傳第三輯
曲亭馬琴あらはす/柳川重信畫
全五册
書肆/山靑堂

【目録】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第三輯だいさんしふ總目録さうもくろく
巻之壹 第二十一回
額藏がくざう間諜かんてふ信乃しのを全まつたうす。 犬塚いぬつか懐舊くわいきう青梅あをうめを觀みる。
同巻 第二十二回
濱路はまぢ竊ひそかに親族しんぞくを悼いたむ。 糠助ぬかすけ病やみて其子そのこを思おもふ。
巻之貮 第二十三回
犬塚いぬつか義ぎ遺託ゐたくを諾うけひく。 網乾あぼし漫そゞろに歌曲かきよくを賣うる。
同巻 第二十四回
軍木ぬるで媒なかたちして荘官せうくわんに説とく。 蟇六ひきろく偽いつはりて神宮かにはに漁すなとりす。
巻之参 第二十五回
情ぜうを含ふくみて濱路はまぢ憂苦ゆうくを訟うつたふ。 奸かんを告つげて額藏がくざう主家しゆうかに還かへる。
同巻 第二十六回
權けんを弄もてあそびて墨官ぼくくわん婚夕こんせきを促うながす。 殺さつを示しめして頑父ぐわんふ再醮さいぜうを羞すゝむ。
巻之四 第二十七回
左母二郎さもじらう夜よる新人はなよめを豪奪ごうだつす。 寂寞じやくまく道人どうじん見げんに圓塚まるつかに火定くわじやうす。
同巻 第二十八回
仇あたを罵のゝしりて濱路はまぢ節せつに死しす。 族うからを認みとめめて忠與たゞとも故ふることを譚かたる。
巻之五 第二十九回
雙玉さうぎよくを相換あひかえて額藏がくざう類るいを識しる。 両敵りやうてきに相遇あひあふて義奴ぎぬ怨うらみを報むくふ。
同巻 第三十回
芳流閣はうりうかく上せうに信乃しの血戰けつせんす。 坂東ばんとう河原かはらに見八けんはち勇ゆうを顕あらはす。

統計とうけい三十回くわい其その第一回だいいつくわい第だい二十回くわいに迄いたりては既すで于前板ぜんはんの両輯りやうしふに録しるせり

【序文】書下し
八犬傳第三集敍 [著作堂]
門前に狂狗有れば、其酒沽れず。而れども主人は曉さとらず。猶且つ酒の沽れざるを恨めり。癡情是の若き者。之を衆人と謂ふ。衆人に淸濁有り。猶酒に醥與(と)醠と有るがごときなり。而して淸すめる者は其の味淡薄。醉と雖醒易し。濁る者は其の味甘美にして。酩酊す。奚ぞ今を思ふ者之衆おほくして。後を懼るゝ者之寡きや。是の故に。瞿曇氏法を說て以地獄果天堂樂有りと爲(す)。是に於後を思はざる者懼る。又何ぞ耳を貴ぶ者之衆して。目を賤めざる者之寡きや。是の故に南華子物論を齋(ひと)しうして以爭訟を禁とゞめんと爲す。是に於耳を貴ひ目を賤む者愧つ。然れども彼の寂滅之敎の若き。媚る者衆して。悟る者彌々寡し。宜むべなり。其媚る者は。口に經を誦すれども。其義を釋くこと能はず。其迷ふ者は。心に利益を祷れども。之を欲する所以を知らず。凡そ之の如き之禪兜。度すると雖其功有ること無し。昔者震旦に烏髮の善智識有り。因を推し果を辨し。衆生を誘ふに俗談を以し。之を醒すに勸懲を以す。其意精巧。其文竒絕。乃ち方便を經と爲。寓言を緯と爲す。是を以其の美錦繍の如し。其甘きこと飴蜜の如し。蒙昧蟻附して去ること能はず。既にして有る所之煩惱。化して屎溺と爲なり。遂に糞門を觧脫するときは。則覺ず奬善之域に到り暫時無垢之人と爲ると云ふ。亦竒ならずや。餘少わかかりし自り愆て戲墨を事とす。然れども狗才馬尾を追て。於閭巷に老たり。唯其の勸懲に於。每編古人に讓らず。敢て婦幼をして奬善之域に到ら使んと欲す。嘗て著す所の八犬傳。亦其の一書なり。今其編を嗣こと三たびにして。刻且まさに成らんとす。因て數行を簡端に題す。嗚呼狗兒の佛性。無を以字眼と爲。人は則媚て其尾を掉るを愛す。我は則誤て帝堯を吠んことを懼る。冀くは瞽者の爲めに。煩惱狗を獵て以一條の迷路を開かん。閱する者幸に其無根を咎ること勿れ。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱 [馬琴][乾坤一草亭]

【序文】原文
八犬傳第三集敍 [著作堂]
門前有狂狗、其酒不沽。而主人不曉。猶且恨酒之不沽。癡情若是者。謂之衆人。衆人有淸濁。猶酒有醥與醠也。而淸者其味淡薄。雖醉易醒。濁者其味甘美。而酩酊矣。奚思今者之衆。懼後者之寡也。是故。瞿曇氏說法以爲有地獄果天堂樂。於是不思後者懼矣。又何貴耳者之衆。不賤目者之寡也。是故南華子齋物論以爲禁爭訟。於是貴耳賤目者愧矣。然若彼寂滅之敎。媚者衆。悟者彌寡矣。宜。其媚者。口誦經。而不能釋其義。其迷者。心祷利益。而不知所以欲之。凡如之之禪兜。雖度無有其功。昔者震旦有烏髮善智識。推因辨果。誘衆生以俗談。醒之以勸懲。其意精巧。其文竒絕。乃方便爲經。寓言爲緯。是以其美如錦繍。其甘如飴蜜。蒙昧蟻附不能去焉。既而所有之煩惱。化爲屎溺。遂觧脫糞門。則不覺奬善之域暫時爲無垢之人云。不亦竒乎哉。餘自少愆事戲墨。然狗才追馬尾。老於閭巷。唯於其勸懲。每編不讓古人。敢欲使婦幼到奬善之域。嘗所著八犬傳。亦其一書也。今嗣其編三而。刻且成。因題數行於簡端。嗚呼狗兒佛性。以無爲字眼。人則愛媚掉其尾。我則懼誤吠帝堯。冀爲瞽者。獵煩惱狗以開一條迷路。閱者幸勿咎其無根。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱[馬琴][乾坤一草亭]

【口絵説明】
【口絵1】
犬山いぬやま道節どうせつ忠與たゞとも
田單燕ヲ破ル之日/火平原ヲ燎ク/阿難寂ヲ示ス之年/煙兩扞ヲ和ク
劍術の極秘は風の柳かな
犬飼いぬかひ見八けんはち信道のぶみち
【口絵2】
酢もあらばいざぬたにせん/網さかなえびとかにはの/舩で味噌すれ
荘客ひやくせう糠助ぬかすけ
大塚おほつか蟇六ひきろく
軒のつまに/あはひの貝の/片おもひ/もゝ夜つられし/雪のしたくさ
奴隷しもべ背介せすけ
簸上ひかみ宮六きうろく
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南総里見八犬伝(021)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第二十回
東都 曲亭主人 編次
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一雙いつそうの玉兒義ぎよくじぎを結むすぶ
三尺さんしやくの童子どうじ志こゝろさしを演のぶ

「七歳しちさいの小児せうに客路たびぢに母はゝを喪うしなふ」「犬川衞二が妻」「荘之助」

 信乃しのは庭に人ありて、呼禁よびとゞむるその聲を、聞くといへども些ちつとも擬議ぎきせず、はや刺つきたてん、と刃やいばを擧あぐるに、筋縮すぢつまり腕癱麻かひなしびれて、死を速すみやかにすることかなはず。「こは朽くちをし」、といく遍たびか、死しなん〳〵、とするほどに、眞先まつさきに進むものは、是則これすなはち別人ならず、嚮さきにも來つる糠助ぬかすけなり。「吐嗟あなや」とばかり、騷ぐものから、白刃しらはにやおそれけん、後うしろのかたへ立遶たちめぐりて、矢庭やにはに信乃を抱禁いだきとむれば、前なるは蟇六龜篠ひきろくかめさゝ、左右より腕かひなを攬とりて、聊いさゝかも動うごかせず、「且まづこの刃やいばを放はなてよ」、といへども信乃は手を緩ゆるめず、「おん面おもては認みしれども、名吿なのりもあはざる伯母君御夫婦、何なにとして來ませしぞや」、といはれて龜篠酸鼻なみだぐみ、「心つよき親に似て、そなたもさはいふにやあらん。黃童わらはべなれどもさかしげ也。みづからよく辨わきまへ給へ。わらはは素もとより女子をなこの身として、弟おとゝが所帶を奪うばへるにあらず。父も弟おとゝも討死うちしにせし、と風の便りに聞えしころ、切せめては親の蹟あとを立たてん、と思ふばかりに蟇六どのを、壻むこに招とりつゝ幸さいはひに、庄園せうゑんを給はりて、村長むらおささへになり登りし、夫に科とがはなきぞとよ。尒しかるに弟おとゝは存命ながらへて、故鄕こけうにかへれど、足蹙あしなへたり。職つとめに堪たへざる身を見かへらで、吾儕わなみ夫婦をいといたう、憎みて義ぎ絕ぜつせし事は、おのが心の僻ひがみにこそ。强顏つれなき弟おとゝと思へども、腐欄くさりても指およびはきられず。此度こだみ御敎書破卻みきやうしよはきやくの越度おちど、いかで親子を救すくはん、と心を盡す甲斐かひもなく、番作ははや自殺して、そなたも共にと、衝箚つきつめしは、稚をさなこゝろに似げなき短慮。死しぬるに及ばず。この末を、且聞まづきゝてよ」、と諫いさむれば、蟇六瞼ひきろくまぶたをしばたゝき、「番作が生前いきのうちに、わが本來の赤心まこゝろを、しらせざりしは殘念也。切せめてその子を養ひとりて、女兒濱路むすめはまぢを妻めあはせなば、先祖の血絡ちすぢ斷絕せず、世にも人にも憎にくまれし、わが身は後うしろやすかりなん。やをれ信乃よく聞けかし。御敎書の事、大かたならぬ、越度をちど也とはいひながら、原畜生もとちくせうの所爲わざにして、犬はさら也そのぬしたる、番作が命を隕おとせば、一切つや〳〵後難あるべからず。縱たとひその子どもらに、おん咎とがめありといふとも、われ亦またよろしく申ときなん。嚮さきに糠助が走り來て、|如此々々しか〳〵と吿つげしかば、固もとより義絕の親族たりとも、自殺の變へんを聞きゝながら、なほ讐敵あたかたきの思ひをせんや、と來て見たればこそはからずも、汝が必死を禁とゞめたれ。はやく刃やいばをおさめよ」、と言葉を竭つくせば、糠助ぬかすけも共侶もろともに諫いさめけり。
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南総里見八犬伝(020)

南總里見八犬傳第二輯卷之五第十九回
東都 曲亭主人 編次
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龜篠奸計糠助かめさゝかんけいぬかすけを賺すかす
番作遠謀孤兒ばんさくゑんぼうみなしごを托たくす


「番作ばんさく遺訓いくんして夜よるその子こに村雨むらさめの太刀たちを授ゆづる」「しの」「犬塚番作」「帶雨南离楚知春北入燕」「つるき大刀さやかに出る月のまへに/雲きれて行むら雨の空 玄同」

 卻說莊客糠助かくてひやくせうぬかすけは、憖なまじいに信乃しのを副たすけて、犬を蟇六ひきろくが背門せどに追入れ、計りし事は齟齬くひちがひて、犬を失ふのみならず、咎餘とばしりわが身に係らん欤か、と思へばはやく逃にげかへりて、妻孥やからに緣由ことのよしを吿つげ、「もし庄官せうくわんより人來て問とはば、在あらずと答へよ」、といひあへず、奧まりたる處に隱れて、衣引被きぬひきかつぎて臥ふして見つ、起おきても心安からで、「いかに〳〵」と思ふ程に、果して蟇六ひきろくが小厮こもの來て、「糠助ぬかすけぬし宿所にありや。我內政わがうちがたの呼よばせ給ふに、とく〳〵」といそがすを、しばしは「在らず」と欺あざむく物から、使つかひは櫛くしの齒を挽ひく如く、再ふたゝび三みたびに及びしかば、今は脫のがるゝ路もなし。「さはれ內政うちがたよりとかいへば、そのことならじ」、と思へども、思ひかねつゝ出いでかぬるを、女房に諫いさめられ、小厮使こものづかひに引立ひきたてられて、已やむことを得ず使とゝもに、蟇六が宿所へゆきけり。

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南総里見八犬伝(019)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十八回
東都 曲亭主人 編次
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牝めを追おふて紀二郎きじらう糠助ぬかすけが屋棟やねに挑いどむ」「犬塚番作」「しの」「ぬか助」

簸川原ひのかはらに紀二郞きじらう命いのちを隕おとす
村長宅むらおさやしきに與四郞疵よしらうきずを被かうふる

 應仁おふにんは二年にして、文明ぶんめいと改元せらる。文明二年、信乃しの十一歲、母なくなりて三年みとせ以來このかた、父に事つかへてます〳〵孝なり。さらぬだに番作ばんさくは、行步ぎやうぶ不自由なるものゝ、はやく鰥夫やもをとなりしより、年々とし〳〵に氣力衰おとろへ、齡五十よはひいそぢに滿みたずして、齒は脫ぬけ、頭かうべ白くなりつ、病煩やみわづらふ日の多かるに、なほ手習子等てらこらを集合つどへては、いと囂かしがましとて手本をとらせず。「さはれ年來としころ衆人もろひとの、扶助たすけによりて親子三人みたり、餓うへず凍こゝへずありけるに、その子孫こうまごに敎をしえずして、只たゞわが餘命を貪むさぼらば、人はたこれをよしといはんや。かゝれば鄕さとに利を遺のこして、彼等が恩義に報むくはんには」、と豫かねてより思ひしかば、病やまひの間ひまあるをり折をりに、水旱すいかんの准備てあて、荒年くわうねんの夫食ぶしき、すべて農家日用の事をのみ述のべしるして、是を一卷ひとまきとし、里老等さとのおきならに贈りしかば、僉みなこれを見て嘆賞し、「犬塚生いぬつかうぢは手迹美事しゆせきみごとに、武藝ぶけいをよくすと思ひしに、農業蠶養こがひのうへまでも、人のしらざる所を得たり。この書は不益ふゑきの賜たまものなり。寫し傳へて祕藏ひざうせよ。寔まことに可惜士あたらさむらひを、埋木もれきにすることよ」、といはざるものはなかりけり。
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南総里見八犬伝(011)

南總里見八犬傳卷之五第十回
東都 曲亭主人 編次
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「一言いちごん信まことを守まもつて伏姫ふせひめ深山しんさんに畜生ちくせうに伴ともなはる」「金まり大すけ」「伏姫」「やつふさ」

禁きんを犯おかして孝德一婦人たかのりいつふじんを失うしなふ
腹はらを裂さきて伏姬八犬子ふせひめはつけんしを走はしらす

 義實よしさねの夫人五十子おくかたいさらこは、八房やつふさが爲體ていたらくを、人の吿つぐるに驚きて、裳もすそを褰かゝげて遽いそがはしく、伏姬のをはします、子舍こざしきへはや來給ひしが、と見れば處陜ところせきまでに、侍女們をんなばらは戶口とぐちにをり、治部殿ぢぶどの[義實をいう]もをはしませば、姬ひめには恙つゝがなきものから、親子が中に犬を置おきて、問答もんどうの最中もなか也。言ことの葉はの果はつるまでとて、竊聞たちぎゝしつゝ潸然さめさめと、うち泣なきてゐましけり。とはしらずして侍女們をんなばらは、出いでてゆく犬におそれて、おもはず左右へひらきしかば、交加ゆきかひの路みちやゝあきて、躱かくれ果はつべうもあらざれば、走り入いりつゝ姬うへの、ほとりへ撲地はたと伏沈ふししづみ、聲を惜をしまず泣給へば、義實は愧はぢらひて、うち見たるのみ物宣のたまはず。伏姬ふせひめは母の背そびらを、拊なでおろし、又撫なでおろし、「緣由ことのよしを聞召きこしめせし欤か。おん心持こゝちはいかにぞや」、と慰なぐさめられて、母うへは、頭かうべを擡もたげて淚を拭ぬぐひ、「聞きかずはいかで歎なげきをせん。喃なう伏姬、よにも怜悧さかしくましませば、殿とのの御諚ごでふに表裏うらうへなく、賞罰せうばつの道直なほかれとて、名を汚けがし、身を捨すて給ふ。そは父うへに孝行なり共、情ぜうに悖もとり、俗よに背そげなば、誰たれかはこれを譽侍ほめはべる。凡生およそいきとし括いけるもの、二親ふたおやならぬもあらざるに、母が歎きをおもはずや。さりとては心つよし。幼稚をさなきときの多病なる、母の苦勞をやうやくに、昔かたりになすまでに、生育おひたち給へば又更さらに、見增みます標緻きりやうは、月も花も、及ばぬものをいかなれば、われからその身を贄にゑにして、悔くやしとだにもおぼさぬは、あやにまつはる物ものの怪けの、しうねき所爲わざに侍るべし。やよ覺さめ給へ、覺さめ給へ。年來としころ念ずる神の加護かご、佛の利益りやくもなき世欤か」と、諭さとしつ泣なきつ、いとせめて、くり返し給ふ母の慈悲ぢひに、伏姬は堪たへかねし、淚を袖そでに推包おしつゝみ、「しか宣のたまへば不孝の罪、おもきが上になほ重し。親の歎なげきもかへりみず、なき後のちまでも名を汚けがす、それ哀かなしまぬに侍らねど、命運めいうんの致す所、寔まことに脫のがれぬ業因ごういんと、思ひ決さだめて侍るなる。これ臠みそなはせ」、と左手ゆんでに掛かけたる、珠數ずゞさや〳〵と右手めてに取り、「わらはが幼稚をさなかりしとき、役行者えんのぎやうしやの化現けげんとやらん、あやしき翁おきながとらせしとて、賜たまはりしより身を放さぬ、この水晶すいせうの念珠ねんじゆには、數かずとりの玉に文字もじありて、仁義禮智忠信孝悌じんぎれいちちうしんこうていと讀よまれたる。この文字もんじは彫ゑれるにあらず、又漆うるしして書かけるに侍はべらず、自然しぜんと生せうじ見あらはれけん、年來日來としころひごろ手に觸ふれたれども、磨滅すれうすることなかりしに、景連かげつらが滅びしとき、ゆくりなく見侍れば、仁義の八字は蹟あとなくなりて、異ことなる文字もんじになり侍り。この比ころよりぞ八房が、わらはに懸想けさうし侍るになん。これ將はた一ッの不思議なる。過世すくせに定さだまる業報欤ごうほうか、と欺くはきのふけふのみならず、その期ごを俟またで死しなばや、と思ひしはいくそ遍たび、手には刃やいばをとりながら、否いなこの世にして惡業あくごうを、滅ほろぼし得えずは、後のちの世に、浮うかむよすがはいつ迄までも、あらしの山にちる花の、みのなる果はてを、神と親とに、任まかせんものを、と形あぢきなき、浮世の秋にあひ侍り。これらのよしをかしこくも、曉さとり給はゞおん恨うらみも、忽地散たちまちはれてなか〳〵に、思ひ絕たえさせ給はなん。さても十とあまり七年なゝとせの、おん慈愛いつくしみを他あだにせる、子は子にあらず前世さきのよの、怨敵おんてきならめ、と思食おぼしめして、今目前まのあたりに恩義を絕たち、御勘當ごかんだうなし給はらば、身ひとつに受うくる恥辱はぢは又、生うまれ來こん世の爲也、と墓はかなく賴む彌陀西方みださいほう、佛の御手みての絲薄いとすゝき、尾花をばなが下もとに身をば置おくとも、竟つひに惡業消滅あくごうせうめつせば、後うしろやすく果侍はてはべらん。只願たゞねがはしきはこの事のみ。是これ見て許させ給ひね」、とさしよせ給ふ珠數ずゞの上に、玉なす淚數かずそひて、いづれ百八|煩惱ぼんなうの、迷ひは解とけぬ母君はゝぎみは、疑うたがはしげに顏うち熟視まもり、「さまでよしある事ならば、初はじめより如此々々しか〳〵、と親にはなどて吿つげ給はぬ。什麼そもその珠數ずゞに顯あらはれしは、いかなる文字ぞ」、と問給へば、義實「此これへ」、と取とりよして、うち返し〳〵、つく〴〵と見て嘆息たんそくし、「五十子いさらこ思ひ絕たえ給へ。仁義禮智の文字もんじは消きえて、顯あらはれたるは如是畜生によぜちくせう、發菩提心ほつぼだいしんの八字なり。是これによりて又思ふに、八行五常はつこうごじやうは人にあり、菩提心は一切衆生いつさいしゆせう、人畜にんちくともにあらざるなし。かゝれば姬が業因ごういんも、今畜生ちくせうに導みちびかれて、菩提の道へわけ入らば、後のちの世さこそやすからめ。寔まことに貧賤榮辱ひんせんゑいちよくは、人おの〳〵その果くわあり。姬が三五の春の比ころより、鄰國りんこくの武士はさら也、彼此をちこちの大小名だいせうめう、或あるひは身の爲、子の爲に、婚緣こんえんを募來もとめこしたる、幾人いくたりといふ事をしらねど、われは一切承引つやつやうけひかず。今茲ことしは金碗大輔かなまりだいすげを、東條とうでふの城主にして、伏姬を妻めあはせて、功ありながら賞を辭し、自殺したる、孝吉たかよしに、酬むくはばや、と思ひつゝ、言過失ことあやまちて畜生に、愛女あいぢよを許すも、業ごうなり因いんなり。五十子いさらこは義實を、うらめしとのみ思ひ給はん。只たゞこの珠數ずゞの文字を見て、みづから覺さとり給ひね」、と叮嚀ねんごろに慰めて、說ときあかし給へども、晴はれぬは袖の雨催あまもよひ、聲曇くもらして泣給ふ。
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南総里見八犬伝(010)

南總里見八犬傳卷之五第九回
東都 曲亭主人 編次
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「戲言けげんを信しんじて八房やつふさ敵將てきせうの首級しゆきうを献たてまつる」「里見よしさね」「杉倉氏元」「里見よし成」「伏姫」「八ふさ」

盟誓ちかひを破やぶりて景連兩城かげつらりやうぜうを圍かこむ
戲言けげんを信うけて八房首級やつふさしゆきうを獻たてまつる

 卻說安西景連かくてあんさいかげつらは、義實よしさねの使者なりける、金碗大輔かなまりだいすけを欺あざむき留とゞめて、しのびしのびに軍兵ぐんびやうを部てわけしつ、俄にはかに里見の兩城りやうぜうへ、犇々ひし〳〵と推寄おしよせたり。その一隊ひとそなへは二千餘騎、景連みづからこれを將いて、瀧田たきたの城の四門しもんを圍かこみ、晝夜ちうやをわかずこれを改せむ。又またその一隊ひとそなへは一千餘騎、蕪戶訥平等かぶととつへいらを大將にて、堀內貞行ほりうちさだゆきが籠こもりたる、東條とうでふの城を圍かこませ、「兩城一時いちじに攻潰せめつぶさん」、といやがうへにぞ攻登せめのぼる。その縡ことの爲體ていたらく、稻麻とうまの風に戰そよぐ如ごとく、勢ひをさ〳〵破竹はちくに似たり。このとき里見の兩城りやうぜうは、兵粮甚乏ひやうろうはなはだともしきに、民荒年たみくわうねんの役えきに勞つかれて、催促に從はず、只呆たゞあきれたるのみなれ共、恩義の爲に命いのちを輕かろんじ、寄手よせてを屑ものゝかすともせざる、勇士猛卒ゆうしもうそつなきにあらねば、をさ〳〵防戰ふせぎたゝかふものから、主客しゆかくの勢ひ異ことにして、はや兵粮に竭つきしかば、食しよくせざる事七日に及べり。士卒はほと〳〵堪たへかねて、夜な〳〵、塀へいを踰こえて潛出しのびいで、射殺いころされたる敵の死骸しがいの、腰兵粮こしひやうろうを撈取さぐりとりて、僅はつかに餓うへに充みつるもあり、或あるは馬を殺し、死人の肉を食くらふもあり。義實よしさねいたくこれを患うれひて、杉倉木曾介氏元等すぎくらきそのすけうぢもとら、もろ〳〵の士卒しそつを聚合つどへ、さて宣のたまふやう、「景連は表裏ひやうりの武士ぶし、盟ちかひを破り義に違たがふ、奸詐かんそは今さらいふにしも及ばねど、さのみおそるゝ敵にはあらず。彼かれ兩郡の衆ひとを將いて、わが兩城を攻擊せめうてば、われも二郡の衆ひとをもて、彼かれが二郡の衆ひとに備ふ。よしや十二分に勝得かちえずとも、午角ごかくの軍いくさはしつべきに、わが德足たらで五穀登ごゝくみのらず、內に倉廩空さうりんむなしうして、外ほかには仇あたの大軍あり。甲乙こうおついまだわかたずして、ちから既に究きわまれり。縱百樊噲たとひひやくはんくわいありといふとも、餓うへては敵を擊うつによしなし。只たゞ義實が心ひとつ、身ひとつの故ゆゑをもて、この城中にありとある、士卒を殺すに忍びがたし。今宵衆皆烏夜こよひみな〳〵やみに乘まかして、西の城戶きとより走り去れ。辛からくも命を全まつたうせん。その時城しろに火を放かけて、且まづはや妻子さいしを刺殺さしころし、義實は死すべきなり。二郞太郞じろたらうもとく落おちよ。その術てだては箇樣々々かやう〳〵」、と精細つばらかに示し給へば、衆皆みな〳〵これを聞きゝあへず、「御諚ごじやうでは候へども、その祿ろくを受うけて妻子やからを養ひ、難なんに臨のぞみて筍且かりそめにも、脫まぬかるゝことは要えうせず。只顯身たゞうつせみの息の內に、寄手よせての陣へ夜擊ようちして、名ある敵と刺さしちがへ、君恩くんおんを泉下せんかに報ほうぜん。この餘の事は露つゆばかりも、願ねがはしからず候」、と辭ことばひとしく回答いらへまうすを、義實はなほ叮嚀ねんごろに、說諭とききとし給へども、承引うけひく氣色けしきなかりけり。
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南総里見八犬伝(008)

南總里見八犬傳卷之四第七回
東都 曲亭主人 編次
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「一子いつしを遺のこして孝吉たかよし大義たいぎに死しす」「杉倉氏元」「金まり八郎」「里見よしさね」「百姓一作」「上総の大介」「玉つさ怨霊」

景連奸計信時かげつらかんけいのぶときを賣うる
孝吉節義義實たかよしせつぎよしさねに辭ぢす

 杉倉木曾介氏元すぎくらきそのすけうぢもとが使者、蜑崎十郞輝武あまさきじうらうてるたけ、東條とうでふよりはせ參りて、麻呂信時まろののぶときが首級しゆきうを進まゐらせたりければ、義實よしさねは大床子おほせうじのほとりに出いでて、件くだんの使者をちかく召めさせ、合戰かつせんの爲體ていたらくを、みづから問とはせ給ひしかば、蜑崎十郞まうすやう、「兵粮乏ひやうろうともしくまします事、氏元豫かねてこゝろにかゝれば、百姓們ひやくせうばらを催促さいそくして、運送うんそうせばやと思ふ程に、安西景連あんさいかげつら、麻呂信時、はや定包さだかねにかたらはれて、海陸かいりくの通路を塞ふさぎ、小荷駄を取らん、とわれを俟まつ。縡ことの難義なんぎに及びしかば、氏元ます〳〵憂悶うれひもだへて、いたづらに日を過すぐしたり。しかるに景連、一夕竊あるよひそかに、家隸某甲いへのこなにがしをもて、氏元にいはするやう、『山下定包は、逆賊ぎやくぞく也。よしや蘇秦張儀そしんちゃうぎをもて、百遍千遍相譚もゝたびちたびかたらふとも、承引うけひくべうは思はざりしに、信時にそゝのかされて、渠かれが爲に途みちを塞ふたぎ、良將勇士を苦くるしめしは、われながら淺猿あさまし、と後悔臍こうくわいほぞを噬かむものから、信時只管ひたすら鏃やじりを磨とぎて、說とけども思ひかへさねば、是これも亦靴またくつを隔へだてて、癬かゆきを掻かくに異ことならず。猜つら〳〵事の情ぜうを量はかるに、信時は匹夫ひつふの勇士、利の爲に義を忘れて、貪むさぼれども飽あくことなし。景連舊好きうこうを思ふ故ゆゑに、一旦いつたん合體するといへども、もし悞あやまちを改あらためずは、狂人を追ふ不狂人、走るは共にひとしかるべし。所詮しよせん合體の念おもひを飜ひるがへし、まづ信時を擊果うちはたして、兵粮ひやうろう運送の路を開き、里見殿さとみとのに力を勠あはして、賊首ぞくしゆ定包を討滅うちほろぼし、大義を舒のべんと思ふのみ。曩さきにはたま〳〵來臨らいりんせられし、里見ぬしを要えうとゞめず、あるじ態ぶりの禮儀いやなかりしは、彼かの信時が拒こばめるゆゑなり。願ふは和殿わどの、城を出いでて、短兵急たんへいきうに攻せめかゝれ。信時は野猪武者ゐのしゝむしや也、敵を見て思慮もなく、一陣に進んず。そのとき景連後陣ごぢんより、さし挾はさみてこれを擊うたば、信時を手取てとりにせん事、掌たなそこを返す如ごとけん。狐疑こぎして大事だいじを悞あやまち給ふな。をさ〳〵回答いらへを俟まつ』といへり。しかれども氏元は、敵の謀はかりことにもや、と思ひしかば、佻々かろかろしく從はず、使者の往返度わうへんたびかさなりて、僞いつはりならず聞えにければ、さは信時を擊うたんとて、安西に諜てふじ合せ、降ふりみ降ふらずみ五月雨さみだれの、黑白あやめもわかぬ暗夜くらきよに、二百餘騎を引率いんぞつし、枚ばいを銜ふくみ、鑣くつわを鉗つぐめ、麻呂信時が屯たむろせる、濱荻はまをぎの柵さくの前後ぜんごより、犇々ひしひしと推おしよせて、鬨ときを咄どつとつくり掛かけ、無二無三むにむざんに突ついて入いる。敵よすべしとはおもひかけなき、麻呂の一陣劇騷あはてさわぎて、繋つなげる馬に鞭むちを當あて、弦つるなき弓に箭やをとり添そえ、紊立みだれたつたる癖くせなれば、只活路たゞにげみちを求もとむるのみ、防戰ふせぎたゝかはんとするものなし。そのとき信時聲を激はげまし、『憑たのもしげなきもの共どもかな。敵は正まさしく小勢こぜい也。推包おしつゝんで擊うちとらずや。落おとされて前原まへはらなる、安西に笑わらはれな。擊うてよ進め』、と烈はげしく令げぢして、眞先まつさきに馬乘出のりいだし、鎗やりりう〳〵とうち揮ふりて、逼入こみいる寄手よせてを突倒つきたふす。その勢ひは正まさに是これ、群むらがる羊ひつじの中うちに入いる、猛虎まうこの暴あるゝに異ことならず。士卒はこれに勵はげまされ、將後陣はたごぢんなる安西が、援來たすけきなんと思ひけん、逃にげんとしたる踵きびすを旋めぐらし、唬叫わめきさけびて戰へば、こゝろならずも躬方みかたの先鋒せんぢん、面外とのかたへ追おひかへされ、路みちのぬかりに足も得えたゝず、辷すべり跌つまつき引ひきかねたり。當下そのとき杉倉氏元は、眼まなこを瞪いからし、聲をふり立たて、『一旦破りし一二の柵さくを、追おひかへさるゝことやはある。名を惜をしみ、恥はぢをしるものは、われに續け』、といひあへず、白旄採さいはいとつて腰に插さし、鐙あぶみを鳴らし、馬を進めて、烏夜やみに晃きらめく長刀なぎなたを、水車みづくるまの如く揮廻ふりまはして、信時に擊うつて懸かゝれば、笧かゞりの火光ひかりに佶きつと見て、『汝なは氏元欤か。よき敵也。其處そこな退のきそ』、と呼びかけて、鎗やりを捻ひねつて磤はたと突つけば、發石はつしと受うけてはねかへし、引ひけばつけ入いり、すゝめば開き、一上一下いちじやういちげと手を盡す。大將かくのごとくなれば、躬方みかたも敵も遊兵ゆうへいなく、相助あいたすくるに暇いとまなければ、氏元と信時は、人を雜まじへず戰ふ程に、信時焦燥いらつて突つき出いだす、鎗やりの尖頭ほさきを氏元は、左手ゆんでへ丁ちやうと拂除はらひのけ、おつと唬おめいて、向上みあぐる所を、長刀なぎなたの柄ゑを拿延とりのべて、內兜うちかぶとへ突入つきいれて、むかふざまに衝落つきおとせば、さしもの信時灸所きうしよの痛手いたでに、得堪えたヘず鎗やりを手にもちながら、馬より摚だうと滾落まろびおつる、音に臣等わくらは見かへりて、飛とぶがごとくに走はせよせて、その頸取くびとつて候」、と言葉せわしく聞えあぐれば、義實つく〳〵とうち聞きゝて、「氏元がその夜の軍功、賞するに堪たへたれども、計略足はかりことたらざりけり。景連猛にはかに心裏反うらかへりて、信時を擊うたする事、その故ゆゑなくはあるべからず。夫兩雄それりゃうゆうは竝立ならびたゝず。信時景連相與あひともに、われを擊うつとも早とみに捷かたずは、必變かならずへんを生ずべし。然さるを氏元ゆくりなく、安西にそゝのかされて、信時を擊うちとりしは、躬方みかたの爲に利はなくて、景連が爲になりなん。彼かの安西は何なにとかしつる」、と問とはせ給へば蜑崎あまさき十郞、「さン候景連は、その夜よさり躬方みかたの爲ために、征箭一條そやひとすぢも射出いいださず、いつの程にか前原まへはらなる、柵さくを退しりぞきて候」、と答こたへまうせば、義實は、扇あふぎをもつて膝ひぎを鼓うち、「しかれば既に景連が、奸計かんけいは著あらはれたり。わが瀧田を攻せめしとき、勝敗測はかりかたしといへども、定包さだかねは天神地祇あまつかみくにつかみも憎にくませ給ひて、人のゆるさぬ逆賊なり、一旦その利あるに似たるも、始終全しじうまつたからじとは、景連は思ひけん。定包竟つひに滅亡めつぼうし、義實その地を有たもつに及びて、信時は安西が翼たすけになるべきものならず。只大たゞおほばやりに勇めるのみ、與ともに無謀むぼうの軍いくさをせば、脆もろく負まけなんことをおそれて、陽うへには義實と合體して、氏元に信時を擊うたせ、景連はその虛に乘じやうじて、平館ひらたてを攻落せめおとし、朝夷郡あさひなこふりを合あはせ領れうして、牛角ごがくの勢ひを張らんとす。鼓うちし扇あふぎは外はづるゝとも、わが推量は違たがはじ」、とその脾肝はいかんを指さすくごとく、いと精細つばらかに宣のたまふ折、氏元が再度の注進ちうしん、某乙なにがしをとこはせ參りつ、「信時既に擊うたれしかば、殘兵頻ざんへいしきりに紊みだれ騷さわぎて、逃にぐるを直ひたと追捨おひすてて、氏元は軍兵ぐんびやうを、纏まとめて軈やがて東條へ、歸陣して候ひしに、豈あにおもはんや景連は、はや前原まへはらを退しりぞきて、平館ひらたての城を乘取のつとり、麻呂まろが采地朝夷れうぶんあさひな一郡、みなおのが物とせり。狗骨いぬほねをりて、鷹たかに捉とらせし、氏元は勞して功なし。おん勢せいをさし向むけ給はゞ、先鋒せんぢんを奉うけたまはりて、朝夷一郡いへばさらなり、景連が根城ねしろを屠ほふりて、この憤いきどはりを散はらすべし。このよしまうし給へ」とて、孝吉貞行等に書簡を寄せたり。金碗かなまりも堀內も、こゝに至りてその君の、聰察叡智そうさつゑいちに感伏かんふくし、「はやく景連を討うち給へ」、と頻りに勸すゝめ奉れば、義實頭かうべをうち掉ふりて、「否いな安西は討うつべからず。われ定包さだかねを滅ほろぼせしは、ひとり榮利ゑのりを思ふにあらず、民の塗炭とたんを救すくはん爲也。さは衆人もろひとのちからによりて、長狹平郡ながさへぐりの主ぬしとなる、こよなき己おのが幸さいはひならずや。景連梟雄けうゆうたりといふ共、定包が類たぐひにあらず。その底意そこゐはとまれかくまれ、志をわれに寄せ、木曾介氏元が、信時を擊うつに及びて、渠かれいちはやく平館なる、城を拔ぬきしを媢ねたしとて、軍いくさを起し、地を爭ひ、蠻觸ばんしよくの境さかひに迷ひて、人を殺し民を損そこなふ、そはわがせざる所也。景連奸計行おこなはれて、平館を取るといへども、なほ嗛あきたらで攻來せめくるならば、一時いちじに雌雄しゆうを決すべし。さもなくは境さかひを戍まもりて、こゝより手出しすべからず。僉みなこの旨むねをこゝろ得よ」、と叮嚀ねんころに喩さとし給へば、孝吉貞行は、さらにもいはず、左右に侍る近習輩きんじゆのともがら、蜑崎等もろ共に、感佩かんはいせざるものもなく、「いにしへの聖賢せいけんも、此このうへややはある」、と只顧稱贊ひたすらせうさんしたりける。かくて義實は、手づから氏元に書を給はりて、渠かれを賞ほめ、渠かれを喩さとして、安西を討うつことを禁とゞめ、「人の物を取らんとて、わが手許たなもとを忘るゝな。鄙語ことわざにいふ、飽あくことしらぬ、鷹たかは爪つめの裂さくるかし。籠城ろうぜうの外ほか、他事あだしこと、あるべからず」、と警いましめて、蜑崎十郞等を還かへし給ひつ。
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南総里見八犬伝(007)

南總里見八犬傳卷之三第六回
東都 曲亭主人 編次
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賞罰せうばつを締あきらかにして義実よしさね玉梓たまつさ等らを誅戮ちうりくす」「玉つさ」「定かねが首級」「戸五郎が首級」「どん平が首級」

倉廩さうりんを開ひらきて義實よしさね二郡にぐんを賑にぎはす
君命くんめいを奉うけたまはりて孝吉三賊たかよしさんぞくを誅ちうす

 卻說瀧田かくてたきたの軍民等ぐんみんらは、まづ鈍平等どんへいらを擊うたんとて、二にの城戶陜きどせまし、と詰寄つめよせて、鬩ときを咄どつと揚あげしかば、思ひがけなく塀の內より、鎗やりの穗頭ほさきに串つらぬきたる、生頸なまくびを高く揚あげ、「衆人もろひとわれを何なにとかする。われはや非を悔くひ、逆ぎやくを去さり、志こゝろざしを寄手よせてにかよはし、逆賊定包さだかねを誅伐ちうばつせり。誘いざもろ共に城を開きて、里見殿さとみどのを迎入むかへいれずや。同士擊どしうちすな」、と呼よばゝらして、城戶きどを颯さつと推おしひらかせ、岩熊鈍平いはくまどんへい、妻立戶五郞つまだてとごらう、鎧戰袍華よろひひたたれはなやかに、軍兵夥ぐんびやうあまた前後に立たゝして、兩人床几せうきに尻しりを掛かけ、軍團把ぐんばいとつてさし招けば、軍民等は呆あきれ惑心まどひて、件くだんの頸くびを向上みあぐるに、こは紛まがふべうもあらぬ、定包が首級しゆきうなり。「原來さては鈍平戶五郞等、脫のがるべき途みちなきを知りて、はや定包を擊うちたるならん。憎し」、と思へど今更に、同士擊どしうちするによしなければ、已やむことを得ずその令げぢに隨ひ、城樓やぐらに降參こうさんの幡はたを建たてて、正門おほてのもんを推おしひらき、鈍平戶五郞等を先に立たゝして、軈やがて寄手よせてを迎むかふれば、里見の先鋒金碗せんぢんかなまり八郞、縡ことの仔細しさいをうち聞きゝて、定包が首級を受うけとり、軍法なれば鈍平等が、腰刀こしかたなさへ取とりおかして、大將に報知奉つげたてまつれば、義實よしさねは諸軍を進めて、はやその處へ近つき給へば、鈍平等は阿容々々おめおめと、沙石いさごに頭かうべを掘埋ほりうづめて、これを迎奉むかへたてまつり、城兵等ぜうひゃうらは二行にぎやうについゐて、僉萬歲みなばんぜいと唱となへけり。且しばらくして後陣ごぢんなる、貞行も來にければ、前駈後從ぜんくごしようの隊伍たいごを整へ、大將徐しづかに城に入いりて、隈くまなく巡歷じゆんれきし給へば、神餘じんよがゐまぞかりし時より、只管驕奢ひたすらけうしやに耽ふけりしかば、奇麗壯觀きれいさうくわん玉を敷しき、金こかねを延のべずといふことなし。加以これのみならず、定包又さだかねまた民を絞しぼりて、飽あくまで貪貯むさぼりたくはへたる、米穀べいこく財寶倉廩くらに充みちて、沛公はいこう[コウソ]が阿房あばうに入いりしとき、幕下ばくか[頼朝ヨリトモ]が泰衡やすひらを討うちし日も、かくやとおもふばかり也。さりけれども義實は、一毫いちごうも犯おかすことなく、倉廩くらをひらきて兩郡なる、百姓等に頒與わかちあたへ給へば、貞行等これを諫いさめて、「定包誅伏ちうふくしたれども、なほ平館ひらたて、館山たてやまには、麻呂安西まろあんさいの强敵ごうてきあり。幸さいはひにこの城を獲えて、軍用乏ともしからずなりしを、一毫いちごうも貯たくはへ給はず、百姓ばらに賜たまはする、賢慮けんりよつや〳〵こゝろ得かたし」、と眉まゆうち顰ひそめてまうすにぞ、義實聞きゝてうち點頭うなつき、「しか思ふは眼前の、理ことわりに似たれども、民はこれ國の基もとなり。長狹平郡ながさへぐりの百姓等、年來としころ惡政に苦くるしみて、今逆ぎやくを去さり、順じゆんに歸きせしは、飢寒きかんを脫のがれん爲ならずや。然さるをわれ又貪むさぼりて、彼窮民かのきうみんを賑にぎはさずは、そは定包等に異ならず。倉廩くらに餘粟あまんのあわありとも、民みな叛そむきはなれなば、孰たれとゝもに城を守り、孰たれとゝもに敵を禦ふせがん。民はこれ國の基もと也。民の富とめるはわが富む也。德政空むなしからざりせば、事あるときに軍用は、求もとめずも集あつまるべし。惜むことかは」、と宣のたまへば、貞行等は更にもいはず、感淚坐そゞろに禁とゞめかねて、おんまへを退出まかでけり。
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南総里見八犬伝(006)

南總里見八犬傳卷之三 第五回
東都 曲亭主人 編次
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「瀧田たきたの城しろ攻せめに貞行さだゆき等ら妻立つまたて戸五郎とごらうを追おふ」「金まり八郎」「里見よしさね」「堀内貞行」「妻立戸五郎」

良將策りやうせうはかりごとを退しりぞけて衆兵仁しゆへいじんを知しる
靈鴿書いへはとしよを傳つたへて逆賊頭ぎやくぞくかうべを贈おくる

 山下柵左衞門尉定包やましたさくざゑもんのぜうさだかねは、麻呂安西まろあんさいへ遺つかはしたる、その使者瀧田たきたへ立たちかへりて、「彼輩かのともがらは忽卒あからさまに、歸降きごうのよしをいはざれども、いたく怕害おそれて候ひし。遠からずしてもろともに、みづから詣來まうきて罪を勸解わび、麾下きかに屬しよくせんこと疑ひなし。その爲體ていたらくは箇樣々々かやう〳〵、如此々々しか〴〵に候ひき」、となきことまである如く、辭ことばを飾り、首尾精細しゆびつばらかに、飽あくまで媚こびて吿つげしかば、定包ます〳〵こゝろ傲おごり、夜よをもて日に續遊興つぐゆうきやうに、士卒しそつの怨うらみをかへりみず、或あるは玉梓たまつさと輦てくるまを共にして、後園おくにはの花に戲たはむれ、或あるは夥あまたの美女を聚あつめて、高樓たかどのに月を翫もてあそび、きのふは酒池しゆちに牛飮ぎういんし、けふは肉林にくりんに飽餐ほうさんす。一人いちにんかくの如くなれば、老黨ろうどうも又淫酒いんしゆに耽ふけりて、貪むさぼれども飽あくことなく、費ついやせども盡つくるをしらず。王莽わうまうが宇內くにのうちを制する日、祿山ろくさんが唐祚たうのまつりを傾かたむくるとき、天日私てんじつわたくしに照らすに似たれど、逆臣はながく命めいをうけず。定包が滅ほろびんこと、必かならず久しからじとて、こゝろあるは目を側そはだて、爪彈つまはぢきをするもの多かりけり。
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南総里見八犬伝(012)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十一回・序など
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳 第二輯 巻一
【見返】
文化丁丑孟春刊行
曲亭馬琴著 柳川重信畫
有圖八犬傳第弐輯
山青堂藏刻

【序】書き下し

八犬士傳第二輯自序[玄同]

稗官新奇之談。嘗作者ノ胸臆ニ含畜ス。初種々ノ因果ヲ攷索シテ。一モ獲ルコト無スハ。則茫乎トシテ心之適スル所ヲ知ラズ。譬ハ扁舟ヲ泛テ以蒼海ヲ濟ル如シ。既ニシテ意ヲ得ルトキ。則栩々然トシテ獨自ラ樂ム。人之未視ザル所ヲ見。人之未知ラザル所ヲ識ル。而シテ治亂得失。敢載セザルコト莫ク。世態情致。敢冩サザルコト莫シ。排纂稍久シテ。卒ニ册ヲ成ス。猶彼ノ舶人。漂泊數千里。一海嶋ニ至テ。不死之人ニ邂逅シ。仙ヲ學ヒ貨ヲ得テ。歸リ來テ之ヲ人間ニ告ルカゴトキ也。然トモ乗槎桃源ノ故事ノ如キ。衆人之ヲ信セズ。當時以浪説ト為。唯好事ノ者之ヲ喜フ。敢其虚實ヲ問ハズ。傳テ數百年ニ迨スハ。則文人詩客之ヲ風詠ス。後人亦復吟哦シテ而シテ疑ズ。嗚乎書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信與不信ト之有リ。國史ノ筆ヲ絶シ自リ。小説野乗出ツ。啻五車而己ナラズ。屋下ニ屋ヲ加フ。今ニ當テ最モ盛也ト爲。而シテ其言詼諧。甘キコト飴蜜ノ如シ。是ヲ以讀者終日ニシテ而足ラズ。燭ヲ秉テ猶飽コト無シ。然トモ於其好ム者ニ益アルコト幾ント稀ナリ矣。又夫ノ煙草能人ヲ醉シムレトモ。竟ニ飲食藥餌ニ充ルコト無キ者與以異ナルコト無シ也。嗚呼書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信ト不信與之有リ。信言美ナラズ。以後學ヲ警ム可シ。美言信ナラズ。以婦幼ヲ娯シム可シ。儻シ正史ニ由テ以稗史ヲ評スレハ。乃圓器方底而己。俗子ト雖固ニ其合難ヲ知ル。苟モ史與合ザル者。誰カ能ク之ヲ信セン。既ニ已ニ信セズ。猶且之ヲ讀ム。好ト雖亦何ソ咎ン。予カ毎歳著ス所ノ小説。皆此意ヲ以ス。頃コロ八犬士傳嗣次ス。刻成ルニ及テ。書賈復タ序辭ヲ於其編ニ乞フ。因テ此事ヲ述テ以責ヲ塞クト云フ。

文化十三年丙子仲秋閏月望。毫ヲ於著作堂ノ南牕木樨花蔭

簑笠陳人觧識

[震坎解][乾坤一草亭]

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