南総里見八犬伝(004)

南總里見八犬傳卷之二 第三回
東都 曲亭主人 編次
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景連信時暗かげつらのぶときあんに義實よしさねを阻こばむ
氏元貞行厄うぢもとさだゆきやくに館山たてやまに從したがふ

 卻說安西三郞大夫景連かくてあんざいざぶらうたいふかげつらは、近習きんじゆのものゝ吿つぐるを聞きゝて、結城ゆふきの落人里見義實おちうどさとみよしさね、主從三人しゆうじゆうみたり水行ふなぢより、こゝに來きたれる縡ことの趣おもむき、大おほかたは猜すいしながら、後難こうなんはかりかたければ、速すみやかには回答いらへせず、麻呂信時まろのりぷときを見かへりて、「如此々々しかしかの事ことになん。何なにかと思ひ給ふやらん」、と問とふを信時聞きゝあへず、「里見は名ある源氏げんじなれども、こゝには緣えんも好よしみもなし。無二むにの持氏もちうぢがたなれば、結城氏朝ゆふきのうぢともに荷擔かたらはれ、籠城三年ろうぜうみとせに及ぶものから、京鐮倉きやうかまくらを敵てきに受うけては、命いのちを豫かねてなきものと、思ふべき事なるに、落城らくぜうの日に及およぴて、親の擊うたるゝをも見かへらず、阿容々々おめおめと迯にげかくれ、こゝらわたりへ流浪さそらひたる、とるよしもなき白徒しれものに、なでふ對面たいめんし給ふべき。とく追退おひしりぞけ給ひね」、と爪彈つまはじきをして說諭ときさとせば、景連且しばらく頭かうべを傾かたむけ、「某それがしもさは思へども、用もちふべきよしなきにあらず。彼等かれらは三年みとせ籠城して、戰たゝかひには熟なれたるもの也。義實年としなほわかしといふとも、數萬すまんの敵軍てきぐんを殺脫きりぬけずは、いかにしてこゝまで來くべき。召入よぴいれて對面し、その剛臆ごうおくを試みて、使ふべきものならば、定包さだかねを討一方うついつほうの、大將たいせうを得たりとせん欤か。又また使ふべきものならずは、追退おひしりぞくるまでもなし。立地たちところに刺殺さしころして、後のちの禍わざはひを禳はらひなん。この議ぎはいかに」、と密語さゝやけば、信時しば〳〵うち點頭うなつき、「微妙いみじくはかり給ひにけり。某それがしも對面すべきに、准備ようゐし給へ」、といそがせば、景連猛にはかに老黨ろうどうを召よぴよして、箇樣々々かやうかやうと說示ときしめし、武藝力量兼備ぶげいりきりやうかねそなはつたる、壯士等ますらをらに謀はかりことを傳つたへさせ、只管ひたすらにいそがし立たつれば、信時も又、倶ぐしたる、家臣等かしんらを召よびのぼして、その縡ことのこゝろを得させ、あるじ景連もろ共ともに、客房きやくのまにぞ出いでたりける。その縡ことの爲體ていたらく、をさ〳〵武ぶを張はり、威ゐをかゞやかして、安西が家臣廿人、麻呂が從者ともひと十餘人、僉みないかめしき打扮いでたちして、二帶ふたかはに居ゐながれつゝ、飾立かざりたてたる數張すちやうの弓弦ゆつるは、壁かべに畫ゑがける瀑布たきの如ごとく、掛かけわたしたる鎗薙刀やりなぎなたは、春の外山とやまの霞かすみに似たり。廊ほそどのには幕まくを垂たれて、身甲はらまきしたる力士りきし、十人あまり、「すは」といはゞ走り出いで、かの主從しゆうしゆうを生拘いけとらんとて、おの〳〵手獵索てぐすを引ひきてをり。
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南総里見八犬伝(003)

南総里見八犬伝巻一第二回
東都 曲亭主人 編次
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「落葉岡おちばがおかに朴平ぼくへい無垢三むくざう光弘みつひろの近習きんじゆとたゝかふ」「山下定かね」「那古ノ七郎」「杣木ノぼく平」「洲さきのむく蔵」「天津ノ兵内」

一箭いつせんを飛とばして侠者白馬けうしやはくばを悞あやまつ
兩郡りやうぐんを奪うばふて賊臣朱門ぞくしんしゆもんに倚よる

 安房あはは原もと、總國ふさのくにの南邊みなみのはてなり。上代あがれるよには上下かみしもの分別わいだめなし。後のちにわかちて、上總下總かつさしもふきと名なつけらる。土地擴漠ひろくして桑くは多し。蠶飼こかひに便たよりあるをもて、總ふさを貢みつぎとしたりしかば、その國をも總ふさといひけり。かくて總ふさの南邊みなみのはてに、居民鮮をるたみすくなかりしかば、南海道阿波國なんかいどうあはのくはなる、民をこゝへ遷うつし給ひて、やがて安房あばとぞ呼よばせ給ひぬ。日本書紀景行紀やまとふみけいこうきに、所云淡いはゆるあはの水門みなとは是これ也。
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南総里見八犬伝(002)

南總里見八犬傳卷之一第一回
東都 曲亭主人 編次
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「義実よしさね三浦みうらに白龍はくりうを見みる」「里見よしさね」「杉倉木曽之介氏元」「堀内蔵人貞行」

季基すゑもと訓をしえを遺のこして節せつに死しす
白龍はくりう雲くもを挾さしばさみて南みなみに歸おもむく

 京都きやうとの將軍せうぐん、鐮倉かまくらの副將ふくせう、武威ぶゐ衰おとろへて偏執へんしうし、世は戰國せんこくとなりし比ころ、難なんを東海とうかいの濱ほとりに避さけて、土地とちを闢ひらき、基業もとゐを興おこし、子孫十世しそんじゅっせに及ぶまで、房總あわかづさの國主こくしゆたる、里見治部さとみぢぶの大夫たいふ義實朝臣よしざねあそんの、事蹟じせきをつら〳〵考かんがふるに、淸和せいわの皇別みすゑ、源氏げんじの嫡流ちやくりう、鎭守府ちんじゆふ將軍せうぐん八幡太郞はちまんたろう、義家朝臣よしいへあそん、十一世じういつせ、里見さとみ治部ぢぶの少輔せういう源季基みなもとのすゑもとぬしの嫡男ちやくなん也。時に鐮倉の持氏卿もちうぢけう、自立じりうの志頻こゝろざししきりにして、執權憲實しつけんのりさねの諫いさめを用ひず、忽地たちまち嫡庶ちやくしよの義ぎをわすれて、室町將軍むろまちせうぐん義敎公よしのりこうと、確執くわくしつに及びしかば、京軍きやうぐん猛にはかによせ來きたりて、憲實に力を勠あはし、且かつ戰ひ且進かつすゝんで、持氏父子ふしを、鐮倉なる、報國寺ほうこくじに押籠おしこめつゝ、詰腹つめはらを切きらせけり。是これはこれ、後花園天皇ごはなぞのてんわうの永享ゑいきやう十一年、二月十日のことになん。かくて持氏の嫡男義成よしなりは、父とゝもに自害じがいして、屍かばねを鐮倉に留とゞむといへども、二男じなん春王はるわう、三男さんなん安王やすわうとまうせし公達きんだちは、辛からく敵軍の圍かこみを脫のがれて、下總しもふさへ落おち給ふを、結城氏朝迎ゆふきのうぢともむかへとりて、主君しゆくんと仰あほぎ奉たてまつり、京都の武命ぶめいに從はず、管領くわんれい(淸方持朝きよかたもちとも)の大軍たいぐんをも屑ものゝかすとせず。されば義に仗よつて死をだも辭ぢせざる、里見季基さとみすゑもとを首はじめとして、凡およそ持氏恩顧おんこの武士ぶし、招まねかざれどもはせ集あつまりて、結城ゆふきの城しろを守りしかば、大軍に圍かこまれながら、一トたびも不覺ふかくを取らず、永享十一年の春の比ころより、嘉吉元年かきつぐわんねんの四月まで、籠城三年ろうぜうみとせに及ぶものから、外ほかに援たすけの兵つわものなければ、糧かても矢種やだねも竭果つきはてつ、「今ははや脫のがるゝ途みちなし。只たゞもろともに死ねや」とて、結城の一族いちぞく、里見の主しゆう從じゆう、城戶推きどおしひらきて血戰けつせんし、込入こみいる敵をうち靡なびけて、衆皆みなみな討死うちしにする程ほどに、その城竟つひに陷おちいりて、兩公達ふたりのきんだちは生拘いけどられ、美濃みのの垂井たるゐにて害がいせらる。俗よにいふ結城合戰ゆふきかつせんとはこれ也。
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南総里見八犬伝(001)

 しばらく更新が滞っていたが、テキスト中心の記事ゆえ、著作権の切れた著作のアップをボツボツ再開…今更、「勧善懲悪」の「八犬伝」ではあるまいにと思ったが、HTML の ruby タグに興味を持ち、テキスト処理での正規表現からの《》→ ruby タグへの変換とエディタでの実装がまあまあうまくいったので…全百八十回、いつまでかかるのやら…焦らずに…

 南総里見八犬伝のテキストとして、「ふみくら」氏のサイトがある。残念ながら、第30回までであり、HTML 版はコードが、Shift-JIS である。そこで、「序文」類を、UNICODE に変換し、掲載する。
 また 本文の第2回目以降は、今を去る20年前(校正:2005年3月25日とある)に、「ちまえの館」さんが、アップされたものを、基本的に底本とし、随時岩波文庫版(新字表記)および、国立国会図書館アーカイブを参考とした。図は,多くは岩波文庫版から掲載した。
 底本などの漢字を旧字体に統一した。
 ルビは、ruby タグを用いた。
 〳〵:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)、濁点付きの二倍の踊り字は「〴〵」とした。ブラウザの種類によっては、連続したように見えたり、二行にわたって表示されたりする。
 UNICODE 表にない漢字は、ネコのおやつサイト(南総里見八犬伝翻刻)の文字データを利用した。それでもない時は、自作などで、画像にて作成した。
 編者からの注は、最小限にとどめ、上記外字など、〚〛で示した。

 あらためて、「ふみくら」さん、「ちまえの館」さん、「ネコのおやつ」さんのご尽力に敬意を表す。

 以上、各回ごとの注記は基本的には省略する。


『南總里見八犬傳』第一回より「序文」など

【外題】
里見八犬傳 肇輯 巻一

【見返】
曲亭主人藁本\南總里見八犬士傳\柳川重信像\山青堂

【序】書き下し
八犬士傳序[噪野風秋]
初め里見氏の安房に興るや、徳誼以て衆を率ゐ、英略以て堅を摧く。二總を平呑して、之れを十世に傳へ、八州を威服して、良めて百將の冠たり。是の時に當て、勇臣八人有り。各犬を以て姓と爲す。因て之を八犬士と稱す。其れ賢虞舜の八元に如ずと雖ども、忠魂義膽、宜しく楠家の八臣と年を同して談ずべきなり。惜い哉筆に載する者當時に希し。唯だ坊間の軍記及び槇氏が『字考』、僅かに其姓名を識るに足る。今に至て其の顛末を見る由し無し。予嘗て之を憾む。敢て残珪を攻めんと欲す。是より常に舊記を畋獵して已まず。然ども猶考据有ること無し。一日低迷して寝を思ふ。䁿聴の際だ、客南總より來る有り。語次八犬士の事實に及ぶ。其の説軍記傳所の者と同からず。之を敲けば則ち曰く、「曾て里老の口碑に出たり。敢て請ふ主人之を識せ」予が曰「諾、吾れ將に異聞を廣ん」と。客喜て而して退く。予之を柴門の下りに送る。臥狗有り。門傍に在り。予忙として其の尾を踏めば、苦聲倏ち足下に發る。愕然として覺め來れば、則ち南柯の一夢なり。頭を回して四下を覽れば。茅茨客無く。柴門に狗吠無し。言コヽニ熟〳〵客談を思へば、夢寐と雖ども捨つべからず。且に之を録せんとす。既にして忘失半ばに過ぐ。之を何奈すること莫し。竊かに唐山の故事を取りて。撮合して以て之を綴る。源禮部が龍を辨ずるが如きは。王丹麓が『龍經』に根つく。靈鴿書を瀧城に傳るが如きは。張九齢の飛奴に擬す。伏姫八房に嫁するが如きは。高辛氏其の女を以て槃瓠に妻すに傚へり。其の他毛擧に遑あらず。數月にして五巻を草す。僅に其の濫觴を述て。未だ八士の列傳を創せず。然と雖ども書肆豪奪して諸を梨棗に登す。刻成て又其の書名を乞ふ。予漫然として敢て辭せず。即ち『八犬士傳』を以て之に命す。
文化十一年甲戌秋九月十九日。筆を著作堂下の紫鴛池に洗ぐ。
   簑笠陳人觧撰
  [曲亭馬琴著作堂之印][乾坤一草亭]
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