中井正一「土曜日」巻頭言(11)

◎正月の気分は遠い追憶に似ている  一九三七年一月五日

 一九三七年が全世界に一様に来ることは何でもないようだが、人間全体に一様の親しい感じがするものである。「元旦や昨日の鬼が礼に来る」といったように、年のはじめは対立感情がフトなくなる日である。
 一体お祭りとか騒動は人を結びつけるものである。東京震災のとき『ロンドン・タイムズ』は、「かかる災害にあって、人間は文明のヴェールがいかに薄いかを知る。日本は今やS・O・Sをかかげるべきである。全世界は直ちにこれを救いにいかねばならない」と書いた。米国からは食糧や毛布や靴や義援金を積んで軍艦が全速力をもってやってきた。
 そこには何の私心もありえようがないほどの咄嗟のことであった。これがあたりまえの人の心であり、これでさえあれば何の悲しみも怖れも、この三七年度にはないわけである。
 文明のヴェールはいつでも人間にとって薄いのだし、全世界の人間は、ただでさえ、そう楽に生きてはいないのである。東京震災のあの瞬間に全世界にあたえたショックのような気持ちが永くつづいてくれさえしたら、わが世は永遠の正月気分なのである。課長も社員も、やあおめでとうといったような正月気分でいられたらどんなにいいかと思わぬ人はあるまい。
 しかし、救いにきたその軍艦が東京震災くらいいつでも再現できることを、気づきはじめると、わが世の春も酔もさめる感じがする。
 文化というとむつかしいようだが、この正月気分のように、人間が瞬間ホッと本然の自分にたち帰った気持ちと行動を、いろいろ分析し守り育てることなのである。
 その本然の姿とは、それに帰ろう、それに帰ろうとしている人間の失った故郷である。歴史の幾千年もの過去は、その本然の姿の中に生きていたのに、いろいろの機構が、人間をそこから引き離し、追い出し、追放したのである。
 これに反して、人間ができたとか、しっかりしてきたということ、この素直な心を曲げて歪められた世界観で塗り固め、一つの疎外された世界観でガッチリ凝り固まる。そのことは口にはいわないが、実に淋しい影を人間に与えた。
 正月とかお祭りとか騒動、または物想うとき憩うとき、この凝り固まった殻を破って、それを溢れて、遠い遠い想い出と懐郷の気分が、平和と自由と協力の懐しさが込みあげてくるのである。抑えた真実がその姿を包みきれないのである。
 今年も、週末の何れの日をも、この真実を解放する憩いと想いとしようでないか。

編者注】図は、「土曜日」1937年1月号表紙

中井正一「土曜日」巻頭言(10)

◎真理は見ることよりも、支えることを求めている 一九三六年十二月五日

 ある人たちはあるいは世の中はもっと悪くなるかもしれないという。そのいろいろの理由をあげ、その必然を説いてくれる。
 そして若い人たちが無邪気に真理とし、欠乏を欠乏として主張するとき、そんなことは今の時勢では通らないし、無駄な努力だという。
 そして、いつかよい日が向こうから歩いてくるかのようにわずかな行動をも止め、また他の行動を批判し嘲笑する。
 世の中がもっと悪くなることを知っていることが、あたかも歴史の全部の知識であるかのごとく、弁証法の全部であるかのごとくである。果たしてそうであろうか。
 地図に描いた線のように、図式的に一つの点から他の点に歴史がその道を辿るものだろうか。辿るといって横から見ていていいはずのものだろうか。
 そうではない。
 一つの動きから他の動きに移るわずかな移動の、その動きのモトはなんであるか。それをもう一度考えなおさなければならない。
 生活の真実が、あらゆる無理な暴力に抵抗する。その抵抗の真実が、歴史のあらゆる動きのモトではないのか。
 世の中が悪くなれば、その無理な暴力にさらに抵抗する自然な力が、歴史そのものを動かしているのであって、善くするも、悪くするも、日常の小さな人々の正しさを支える主張の上にかかっているのである。
 人々の小さな欠乏が、その欠乏を自覚して正しくその主張を高めることによって、歴史と生活が、その方向を正しく変えてくるのである。
 真理は平常の小さな事の中にかくれているのであって、大げさなポーズや、知ったかぶりな図式の中にあるわけではない。
 どんな大きな声で演説してみても、旗と行列を何年繰り返してみても、何の英雄も一番簡単な肉の値段を一銭でも下げることはでぎなかったではないか。否、数字はその反対を黙って物語っている。
 真理と勝利は常に日常の生活の味方である。自分たちの小さな生活の周囲の、どんな小さな正しい批判も、どんなささやかなる行動も、それは歴史を一端より一端に移動せしめる巨大なる動きのモトとなりうるのである。
 歴史は横から見られるよりも、その中に入つて、それを支えることを求めている。男も女も諸君の一つ一つの小さな手が、手近な生活の批判と行動を手離さないことを、真理は今や切に求めている。

中井正一「土曜日」巻頭言(09)

◎秩序が万人のものとなる闘いそれが人間である ー九三六年十一月二十日

 ある哲学者は、自分の存在を、自分で否定できること、例えば自殺することができること、これが人間が存在それみずからよりも優れた自由をもっている証拠だという。
 それが、石やら、星やら、動物よりも、人間がすぐれている証拠だといおうとする。
 そのことはとんでもない間違いである。
 自分が自分で死ぬことは、人間の闘いとったみずからの秩序に、暴力を奮って、それを破壊して土とか、水とかの秩序に還すことである。
 それは決して、人間の誇りではない。
 人間の誇りは、死を賭して、破滅をも賭して、人間の秩序が万人のものとなる創造への厳かな闘いを挑むことの中にあるのである。ダダ的な単なる破滅への戯れ、似而非抑的な無への落着、「地の涯」的な虚無への感激、フランコ的な存在そのものへの火遊び、ただそれだけでは秩序へのいたずらなる暴力である。
 しかし、また行動のないただ秩序の認識、図式的な歴史の推移の見透しと見極めだけでは、それがいかに賢明であっても、それがいかに的確であっても、ただそれだけでは秩序のいたすらなる無力である。
 秩序の正しい認識の下に、しかも欠乏に差し出す嬰児の学のような、直截な無邪気をもって、命を賭けた秩序が万人のものとなる創造への闘い、この闘いの中に、一個の人問の意味のすべてが含まれているのである。
 新たなヒューマニズムは、命をかけていることの感じの中に在るのでもなく、また単なる合理の誇りでもない。
 合理が万人のものとなることに向かって、自由に向かって、存在そのものをかけている關い、この存在みずからの賭けられた存在、命をかけた命、この中にヒューマニズムの意味があるのである。
 しかもこの合理に向かって存在をかける闘いは、幾万年の人間の闘いの勝利を教えてくれた方法である。
 合理が万人のものとなることが、弓矢と武器を獲ることよりも、もっと近道であり、困雄でもある、最も急を要する大切なことであることを知らせてくれたのも、この闘いの幾万年の教訓である。
 私たちは週末の一日をこの幾十万年の人間の誇りを顧ることに皆そうではないか。

中井正一「土曜日」巻頭言(08)

◎人間の最後への勝利への信頼が必要である ー九三六年十一月五日

 水がすき間があれば常に低いところに降りるように、自然は噓をついたことはない。
 人間はこの噓のない自然の現象に副って、みずからを処してゆ.くほかはないのである。そして、自然と闘い、人間みずからの生活を合理化してゆくこと、それが生きてゆくということである。生活みずからにも人間は噓はつけないのである。噓をついたところで、足下から、それははげてゆくのである。
 何故なら自然と人間との戦いは切実であって、噓を許さないし、噓をつけば人間は直ぐみずからを傷つけずにいないのである。
 噓はすぐ傷となってあらわれる。
 小さい傷なら、噓は噓をもって覆える。しかし、そのことによつて傷はそのロをより大きく開く。
 覆うべくもない傷口となって万人の前に横たわるのである。
 噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。
 万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。
 そのとき、人間はまともに自然に向かう戦いに参加することができるのである。そして、実に数百万年を勝ってきた人間の勝利の戦列に加わることができるのである。
 人間のなした過失が二千年つづいたといって、嘘を二千年いわれつづけたといって、地球を支えるアトラスのように、すべてを支えてきた人間たちは希望を失いはしない。
 人間の祖先の親しむべき人たちは数万年をどしやぶりの雨の中に、数十万年を氷河の中にみずからの生活を守りつづけてきたのである。そしてそれを正しく守りつづけたからこそ、ここに存在したのである。
 今ここに人間がいることは、希望を失い、自棄に堕ちるには余りにも切実であり、真実への闘いの結果なのである。
 結晶がその噓のない秩序を宇宙の前に誇るように、人間はその秩序を宇宙の前に築きあげつつあるのである。

編者注】
 嘘・虚偽が、特に「政治」や「ビジネス」の世界で、まかり通る世の中なれど、長いスパンでみると、「真実」が優ると信じる他ないのだろう。「噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。」
 先日、医療生協の地域でのまとめ役だった、S さんが亡くなった。嘘のない人柄は誰からも好かれていた。十年以上まえになるだろうか、母の日を前に、カーネーションのギフト券を、「お母さんへのプレゼントに使いよし。」と進呈したことがあった。彼は、そのままその券を、母親に手渡したそうだ。「花を買ってから、それを渡すもんや!」と思ったが、彼らしい率直さの現れだったかもしれない。最晩年は、幾たびかは、意にそぐわないことも多かったと推測するが 彼の誠実な人生を思い、心から悼む。

 図は、「土曜日」の3度目の表紙。

木下杢太郎「百花譜百選」より(017)

◎46 ひゝらぎもくせい 柊木犀

昭和十八年十月廿二日
天平の仏像に関して稿を起す。Dematiaceae (注 黒色真菌)に属する病原菌に関する論文を閲す。小川太一郎氏の成層圏飛行の講演を聴く。

Wikipedia ヒイラギモクセイ

付】「市街を散歩する人の心持」「荒庭の観察者より」

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正岡子規スケッチ帖(014)

八月四日

①翠菊 エゾキク
伊予松山ニテハ江戸菊
又ハ「タイメンギク」トイフ
又「タイミンギク」(大明菊カ)トモイフ
仙台辺ニテハ朝鮮菊トイフトゾ

②同日夕刻
石竹《セキチク》

中井正一「土曜日」巻頭言(06)

◎ポーズに気づいた瞬間に行動は空虚になる ー九三六年九月十九日

 みっちりしたボー卜の練習をしているとき、漕いでいる者がフト岸を気にし出したとき、敏感な舵手にはそれがわかるものである。
 自分のフォームを人が見ていると思い、また見せようと思った瞬間、一本一本水に切り込んでいる櫂先から、スーッと力がさめるように消えてゆくものである。
 見てくれ<傍点>のこころ、これでどうだのこころ、こうしているんだよ、のよの字<傍点>。それは切っても切っても流れる水のように、こころの底に溢みくる湿気である。
見てくれ<傍点>のこころはそれがどんなにかすかであっても、マネキン人形のもつ硬さをもっている。それは単なるポーズである。行動はこわばり、止まり、やがて他のものに転換してゆく。とんでもないものに移りゆく。
 このベルトに一端を喰われたら、どんなにもがいても、あせっても、あばれても、それはユックリその道を辿って、マネキンがそうであるように、喰い込まれ、きざまれて、売り物になってゆく。レッテルの貼られた何物かが、その腕から下げられる。
この見てくれの自分のポーズの下をかい潜って、身を翻して、行動みずからの真実の中に拶入することは、チョトやソットの困難ではない。
 自分が未だつかんでいない真実を主張して議論が前のめりになっているとき、周囲の見透しのないのに、見ろ<傍点>と身構えて見るとき、いつもポーズは変装して、こころの底で道化ている。
 ポーズはそれが悪意であるときよりも善意であるときにしのび込んでくる悪戯者である。何故なら賞められる<傍点>ということの中に糜爛剤を落してゆく奴なんだから。
 そしてポーズをなくするということにこだわれば、またニヒリズムのポーズとして、彼はくっついてくるのである。それは人間を行動より奪い取る一つの思想の真空である。
 見ること<傍点>にだけ終始するものは、この見られる<傍点>ことを、気にすることは永遠に断ち切ることができない。嬰児のごとく、卒直に欠乏に泣き欠乏に手をさしのべる行動<傍点>こそが、はじめて嬰児のごとく自然の前に險を閉じ、自然をも万人をもまた彼の前に無限の愛をもって眼を閉じしむるのである。
 われわれの機構の中に何が欠乏しているか、それに卒直に手をさしのばすことは、ポーズに手渡すには余りに厳かな必要である。
『土曜日』はあらゆるポーズを脱るる半日である。

編者注】
 写真は、「土曜日」第34号(昭和12年・1937年6月5日号)に掲載された、淀川長治氏の投稿。この号はさしずめ、映画「失われた地平線」(Wikipedia)特集号のようだ。反ファシズムの「牙城」ともいうべき「土曜日」は、このように多彩な執筆陣を備えていた。淀川長治氏なども、その気骨ある一人である。

 画像の二次利用はご遠慮ください、

中井正一「土曜日」巻頭言(05)

◎どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕こう 1936年9月5日

 ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』の中に忘れられない一つのシーンがある。ミーチャが検事の訊問の後、疲れの後に夢見る場面がある。何処か荒涼たる曠野を旅行しているらしい。霙の中を馬車は走っている。妙に寒い感じである。
 直ぐ近くに小さな村があって、何軒かの真黒な百姓家が見えている。百姓家の大半は焼払われて、ただ焼残った柱だけが突立っていた。村に入ろうとすると道の両側に大勢の女達が並んでいる。みんな瘠せさらばっって妙に赤ちゃけた顔をしている。
 一人の女が手に泣き叫ぶ赤ん坊を抱いている。彼女の乳房はもう乾上って一滴の乳も出ない。赤ん坊は寒さのために土色になった。小さな露出しの掌を差伸ばしながら声を限りにないていた。
 ここで、ミーチャは印象的な問を繰返し出すのである。そして、「いいや、いいや」……「聞かせて呉れ、何故焼出された母親達がああして立っているんだ。何故人間は貧乏なんだ。何故餓鬼は不幸なんだ。何故真裸な野っ原があるんだ。何故あの女達は抱合わないんだ。何故接吻しないんだ。何故喜びの歌を歌わないんだ。何故黒い不幸の為に斯んなに黒くなったのだ。何故餓鬼に乳を飲ませないんだ?」
 彼は心の中で斯ういう事を感じた。自分は愚かな気違じみた訊き方をしている。けれども自分は何してもこういう訊き方をしたいのだ。何うしても訊かねばならないのだ。彼はまた斯うも感じた。今まで一度も経験した事のない感激の中に泣き出したい様な気持にさえなった。そしてもうこれからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく……。
 ドストエフスキーのこんな場面とその感じは、夢よりももっと痛切な現実である。感じだけに立止まればそれは夢である。しかし、人間がみんなでこの不幸の状態に自らを導いたのだと気付いたとき、この不幸を耕す鋤を腕に感じた時、そこに招くが如き新しい光がさし来り、刺す様な現実として醒め来るのである。どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕けばよい。その行動は、この感じと夢が、どんなに困難であるかということと、命を賭ける値ある悦びであるかということを知らしめるであろう。

編者注】
 かろうじて残っていたFacebook ノートより。戦前の良質なドストエフスキー受容がそこにはあると思う。

 この八月に、学生時代の芝居仲間の、F君が亡くなった。能登への地方巡業(「ドサ回り」と称していた)の時、酒を飲み夜遅くまで騒いでいた時、F君がぬっと現れ、「夜は寝るもんや!」と言われたことを今でも鮮明に覚えている。彼のK高校在学中、彼なりに「激動の時」を経験し、大学入学後は学部は違ったが、芝居でも、役づくりに真剣で、彼の生真面目なところが魅力的だった。卒業後、久しぶりに「政治的」な話をしたところ「学生時代のあの頃と変わらんな!」と返してきた。
 自分では、変わったつもりであり、その言葉に一時的には厶ッとしたが、今考えれば褒め言葉だったかもしれない。ありがとう、F君!「これからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく」という自分の心にあるミーチャの思いは変わらないのだよ!

読書ざんまいよせい(050)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(018)
「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」から(続き)

編者より】
 チェーホフの最晩年の三作、「谷間」「僧正」「いいなづけ」は、どれをとっても、珠玉の作品である。
 ただ、前二作は、「いいなづけ」が「希望」の兆しが垣間見られたが、作品は、少しニュアンスが違う。「谷間」では、ロシアの田舎でも、「資本主義的な蓄積」がその開始時期も過ぎ、生産資本として成り立ってゆく時代の人物群像である。その代表である商人ツィブーキン家の次男の嫁、アクシーニアは、本格的な工場経営に乗り出す。その上で、長男の嫁リーバの幼子を、やや悪意を持って死なせてしまう。チェーホフは、その子を毛布にくるんで家路をたどるリーバの描写が物悲しく描いている。「僧正」では、幼い頃に別れた母親が、聖職者になった僧正ピョートルの礼拝の時も、名乗りをあげられない。その時は、ピョートルが、死の床にあった最期の時間に手を握りしめた一瞬であった。二作品で、チェーホフは、未来への展望は、一切語らない。チェーホフ的な「ペーソス」の極地であろうか?
 筆致や人物造形はまったく違うが、バルザックの、前者は、貴族階級の没落をテーマとした「農民」に、後者は、聖職者としての出世が思うようにいかなかった僧侶の寂しい晩年まで描いた「ツールの司祭」にシチュエーションが似ていることが興味深く感じた。

ーーここからーー

 彼は己れの卑劣さの高みから世界を見おろした。

 ――君の許嫁は美人だなあ!
 ――いやなに、僕の眼にはどんな女も同じことさ。

 彼は二十万円の富籤をつづけざまに二度抽き当てることを夢想していた。二十万ではどうも少ないような気がするので。

 Nは退職した四等官。田舎に住んで、齢は六十六である。教養があり、自由主義で、読書も好きなら議論も好きだ。彼は客の口から、新任の予審判事のZが片足にはスリッパを片足には長靴を穿いていることや、何とかいう婦人と内縁関係を結んでいることを聞き込む。Nは二六時ちゅうZのことを気にして、あの男は片足だけスリッパを穿いて、他人ひとの細君と関係しているそうですな、とのべつに彼の噂話をしている。そのことばかり喋っているうちに、挙句の果には奥さんの寝間へでかけて行くようにさえなる(八年この方なかったことである)。興奮しながら相変らずZの噂をしている。とうとう中気が出て、手足が利かなくなってしまう。みんな興奮の結果である。医者が来る。すると彼をつかまえてZの話をする。医者はZを知っていて、今ではZは両足とも長靴を穿いているし(足がよくなったので)、例の婦人とも結婚したと話す。

 あの世へ行ってから、この世の生活を振り返って「あれは美しい夢だった……」と思いたいものだ。

 地主のNが、家令Zの子供たち――大学生と十七になる娘――を眺めながらこう思う。「あのZの奴は俺の金をくすねている。贓ねた金で贅沢な暮しをしている。この学生も娘もそれ位のことは知ってる筈だ。もしまだ知らずにいるのなら、自分たちがちゃんとした風をしていられるのは何故かということを、是非とも知って置くべきだ。」

 彼女は「妥協」という言葉が好きで、よくそれを使う。「私にはとても妥協は出来ませんわ。」……「平行六面体をした板」……。

 世襲名誉公民のオジャブーシキンは、自分の先祖が当然伯爵に叙せられるだけの権利のあったことを、人に納得させようといつも懸命である。

 ――この途にかけちゃ、あの男は犬を食った(通暁しているの意)ものですよ。
 ――まあ、まあ、そんなこと仰しゃっちゃ駄目よ。家のママとても好き嫌いがひどいの。
 ――私、これで三度目の良人おっとなのよ。……一番はじめのはイヴァン・マカールィチって名でしたの。……二番目はピョートル……ピョートル……忘れちゃったわ。

 作家グヴォーズヂコフは、自分が大そう有名で、わが名を知らぬ者はないと思っている。S市にやって来て、或る士官と出逢う。士官は彼の手を長いこと握りしめて、さも感激したように彼の顔に見入っている。Gは嬉しくなって、こちらも熱烈に手を握り返す。……やがて士官がこう訊ねる、「あなたの管絃楽団オーケストラは如何ですか? たしかあなたは楽長をしておられましたね?」

 朝。――Nの口髭が紙で巻いてある。

 そこで彼は、自分がどこへ行っても――どんなところへ行っても、停車場の食堂へ行ってさえ尊敬され崇拝されてるような気がしたので、従っていつも微笑を浮べながら食事をした。

 鶏が歌っている。だが彼にはもはや、鶏が歌っているのではなくて、泣いているように聞える。

 一家団欒の席で、大学に行っている息子がJ・J・ルソオを朗読するのを聴きながら、家長のNが心に思う、「だが何と言っても、J・J・ルソオは頸っ玉に金牌をぶら下げちゃいなかったんだ。ところが俺にはこの通りあるわい。」

 Nが、大学に行っている自分の継子を連れて散々に飲み歩いた挙句、淫売宿へ行く。翌る朝、大学生は休暇が終ったので出発する。Nは送って行く。大学生が継父の不品行を咎めてお説教をやり出したので、口論になる。Nがいう、「俺は父親としてお前を呪うぞ。」「僕だってお父さんを呪います。」

 医者なら来て貰う。代診だと呼んで来る。

 N・N・Vは決して誰の意見にも賛成したことがない。――「左様、この天井が白いというのはまあいいとしてもですな、一たい白という色は、現在知られているところではスペクトルの七つの色から成るものです。そこでこの天井の場合でも、七つの色のうちの一つが明るすぎるか暗すぎるかして、きっかり白になってはいないという事も大いにあり得るわけです。私としては、この天井は白いという前に、ちょっと考えて見たいですな。」

 彼はまるで聖像みたいな身振りをする。

 ――君は恋をしていますね。
 ――ええ、まあ幾分。

 何事がもちあがっても彼は言う、「こりゃみんな坊主のせいだ。」

 Fyrzikov.

 Nの夢。外国旅行から帰って来る。ヴェルジボロヴォの税関で、抗弁これ努めたにも拘わらず、妻君に税をかけられる。

 その自由主義者が、上着なしで食事をして、やがて寝室に引き取ったとき、私は彼の背中にズボン吊を認めた。そこで私には、この自由主義を説く俗物が、済度すべからざる町人であることがはっきり分った。

 不信心者で宗教侮蔑者を以て任じているZが、こっそりとお寺の本堂で聖像を拝んでいるところを誰かに見つかった。あとでみんなからさんざん冷やかされた。

 ある劇団の座長に四本煙突の巡洋艦という綽名がついている。もう四度も煙突をくぐった(身代限りをした)ので。

 彼は馬鹿ではない。長いこと熱心に勉強をしたし、大学にもはいっていた。だが書くものを見るとひどい間違いがある。

 ナーヂン伯爵夫人の養女は段々と倹約しまり屋になって行った。ひどく内気で、「いいえ」とか「はい」とかしか言えない。手はいつもぶるぶる顫えている。或るとき、やもめ暮らしの県会議長から縁談があって、彼のところへ嫁に行った。やっぱり「はい」と「いいえ」で、良人にびくびくするばかりで、少しも愛情が湧かなかった。或るとき良人がとても大きな咳をしたので、彼女は動顛して、死んでしまった。

 彼女が恋人に甘えて、「ねえ、鳶さん!」

Perepentievペレペンチェフ君。

 戯曲。――あなた何か滑稽なことを仰しゃいな。だってもう二十年も一緒に暮らしてるのに、しょっちゅう真面目なお話ばかりなんですもの。あたし真面目なお話は厭々ですわ。

 料理女が法螺を吹く、「ワタチチョ学校へ行ったのよ(彼女は巻煙草をくわえている)……地球がまんまるな訳だって知ってるわよ。」

 「河船艀舟錨捜索引揚会社」。この会社の代表者が、何かの紀念祭には必ず現われて、N気取りのテーブル・スピーチをやる。そしてきっと食事をして行く。

 超神秘主義。

 僕が金持になったら、ひとつ後宮ハレムをこしらえて、裸のよく肥った女どもを入れとくね。尻っぺたを緑色の絵具でべたべた塗り立ててね。

 内気な青年がお客に来て、その晩は泊ることになった。不意に八十ほどの聾の婆さんが灌腸器を持ってはいって来て、彼に灌腸をかけた。彼はそれがこの家のしきたりかと思ったので、大人しくしていた。翌る朝になって、それは婆さんの間違いだと分った。

 姓。Verstakヴェルスターク*.
*長い腰掛。

 人間(百姓)は愚かであればあるほど、その言うことが馬にわかる。

「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」(終了)