槙村浩「日本詩歌史」(002)


第一章 序論

    芸術の起源と童心――原始共産制時代における詩の任務――古事記か?万葉集か?……唯物弁証法か?社会主義リアリズムか?
 芸術の起源と童心との関係について、われ/\は今まで書かれたもののうちで最も美くしいものゝ一つを、老マルクスの遺稿の中に持っている。
 「人は再び小供になることは出来ない。もしなったら馬鹿になるだろう。だが、小供の純朴さは彼を喜ばせないだろうか? 彼は再びより高き段階において、その純真さを再生産するために、努力してはならないだろうか?小供のような性質の人には、いかなる年令期においても、小供の心の特質が、その純真さをもって蘇えるものではなかろうか? 人類が最も美しく展びたその社会的幼年期は再び復帰せざるーの階段として、なぜ永久の魅力を与えないだろうか? しつけの悪い小供もあれば、早熟な小供もある。古代民族の多くは、かかる範疇に属していた。正常なる小供はギリシャ人であった。彼等の芸術がわれ/\に対して魅力を有するとゆう事実は、それがその上に生長せる社会階段の未発展なことゝ矛盾するものではない。魅力はむしろその結果である。そしてそれはむしろ、芸術がそのもとに成立し、しかもそのもとにのみ成立するをえたところの、未熟なる社会的条件が、決して復帰しえないとゆう事実と、不可分的に結合しているのである。」(河上肇、宮川実両氏共訳「経済学批判序章」の最后の節)
 こんな小供がある!――彼は人類が最も美くしく展びたその社会的幼年期を、素朴な原始共産主義的な生活の中で生きぬいていた。それは生活そのものが美くしい詩だった。われくは昨日までその断片を、インデアンやアイヌの中にもっていた。今日でもパプアや興安嶺の山奥には、こうした世界が埋もれている。だがわれ/\の祖先は、二千年の昔、それをもっとひろ/”\とこの日本列島の上に持っていたのだ。彼等は財産を共同にし、全体の会議で何事も決定した。結婚と狩猟と戦争と農耕と遊戯と響宴と、すべての場合に彼等は種族と氏族の共同感情を、高い芸術にまで灼きつくすことを忘れなかった。会合で、詩人は伝統的な或は即興的な詩を歌い上げた。詩は例外なく音楽を伴っていたし、全員が彼について歌い出すと、詩は舞踏に変化した。いろんな部門の芸術家たちが、絵や彫刻をほどこした楽器や仮面を携えて躍りはじめた。男と女は、別々でなく、個人的でなく、一人の例外もなく全体が任意にえらび合った組み合せで、愉快な種族の宴舞え加わった。彼等の芸術的指導者は、また必ず政治的指導者の属員だった。詩人の技術者は、普通なくてわならぬ者として酋長のひとりに選ばれたし、また酋長のすべては、全体が詩人である種族を統率して行く上において、概して愉快なすぐれた歌い手だった。
 木や石で築き、草や土でふいた小屋、或は円天井の美しい建築の下の野つ原が、彼等の会場だつた。一方には鋤と弓矢、一方には弓矢と剣が、彼等の芸術的な集会場と各人のまわりに設備されていた。それは彼等の詩と生産と舞踏との共通な道具でもあった。
 彼等は穀物や、果物や、鳥獣の肉や乳でこさえた、この上もない愉快なコクテールで、おたがいの心と胃袋の底までをひたし合った。それは苦悩を忘れるための虐げられた人々のアヘンでもなく、カフェ・マルキシストが、やらぬ仕事の口実に乾杯する酒杯でもなかった。この飲料を酒となづけるのは、彼等の詩に純粋芸術のヴェールをきせて眺め、或は野蛮なぼろっきれとして捨て去ると同様、実に「集団の頭脳と心臓と生殖器とを一貫してつらぬく消化器」に対する無理解な誣告だったのだ。
 だが、われくは正しく「ギリシャの芸術」を想像しうるか? もしこの言葉が直ちに、ミロンやフィヂアスの黄金像をきみらに聯想さすならば、きみらは日本原始共産主義芸術の言葉によって、直ちに無器用な図体の大きい奈良の大仏を聯想しないことをふしぎと思うがいゝ。あの神聖な禿鷹のように荘麗で 奈良の大仏から油をひっこぬいて四角四面に整然と突つ立てたようなパルテノンが、市民貴族の宝冠と奴隸市場と共に存在した頃は、滅亡後の破片の上に公平を幻想した仮装的共産主義は、その未来の逆説的表象としての、社会大衆主義者お好みのブルジョア・デモクラシーの、逆さにうつった影と一しよに、これっぱかしも残っていなかったのだ。優秀な文化と政治の建設者たる作者は美くしかったへラスに俄然最后のとどめを刺した「文字化されたホーマー」の出現する以前のギリシャ原始共産制時代の誠実な南欧の種族社会にこそ、あんなにも健全に歴史の頂点コースを進んだ、成長する小供の純真な思い出を托したのだ。とげられぬブルジョア民主主義的理想に知らず知らずにかこまれている人々は、原文の社会的意義を必ずや読み代えるだろう。だが、われ/\をして仔細に点検せしめよ。いやしくも奴隸に対する暴虐と、彼等を支持する神聖貴族の芸術のーかけをさえ、わが老マルクスが愛した証拠を、これっぱしでも見つけることは出来ないのだ。
 それと同じことが、日本にも確実に言われる。もし人が老マルクスと共に万葉集を愛するならば、彼は何故奴隸貴族と奴隸宗教の所産を愛するかを明らかにし、その理由を白状せねばならぬ。解放の戦士の中にこうした人があるのはおかしい! われ/\はしみ/”\と、彼等が貴族的な感情の故に革命を愛し、彼等のパルテノンと万葉集的情緒にふれぬ限りにおいて、戦線から転向しないのではないかを疑わざるをえない。
 もし詩が万葉集から出発するならば、その起源は、こうした孤高な遊蕩児の感情であり、相互強姦のきものを個人的強姦にきせようとする恋愛の感情である。それは根本的には、性の姦淫の形をかった身分の姦淫である。奴隸宮廷は、「花をかざして今日もつどえる」ひまたっぷりの大宮人を選者として、「宮木ひく泉の口に立つ柚の憩う間もなき*」ご奴隸の憂愁の上に、この詩集を編みあげた。ダーウィンが詩をもたぬ禽獣の大きい自然と種の中に没入した愛欲の起源について世界歴史上の現実のあらゆる遺跡と、現実のあらゆる証拠とが、個人的な恋愛よりも共通な社会的感情から、詩と芸術とそしてあらゆる文化とが生れてきたのを立証していることを、われ/\が自分自身に確証せねばならぬ時期に遭遇せねばならぬとは、何と情けないことだろう! ロビンソンの島にしろ、パスカルの鳥にしろ、神と同様恋愛からは決して詩は生まれなかった。
*万葉集」巻11二六四五「宮材引く泉の柚に立つ民の息ふ時無く恋ひわたるかも」槇村は柚と民を入れまちがえた。
 「古事記か?万葉集か?」これは「シェクスピアか? シルレルか?」よりもっと日本社会=芸術史的に興味ある問題を提起する。
 何よりも万葉集以前にれっきとした詩が存在し、それがみじんも奴隸と暴政の記録と憑據《ヒョウキョ》のー片もない時期に、美くしい小供の文化の花を咲かせたことを、両者をはっきり差別された懸隔のあるものとして、がんこな俗物どもになっとくさせることは、何と骨の折れることだろう。――こんなことは判りきったことだ!  ー九三二年の恐慌以来四五年間の、労働者農民の生活状態のはげしい悪化が、多くの人々に次第に、正しい詩の任務をはっきりさせると共に、正しい詩の起源をはっきり胃の腑と一しょに頭にたたきこませたことは、事実なのだ。そのためにどんなに多くの真率な前衛と、無名の詩人とが身をもって道びらきしたことだろう!だが、問題は決して楽観的ではない。なぜプロレタリア詩をひつくるめて現代の全体の詩は、われ/\に低調と不快と憂鬱と退却の感じを与えるだろうか。それは質的よりむしろ量的に、生活の単語を拾い上げた。われ/\の生活と戦線の悪化に対して、治維法にへしまげられた、事実上の半無抵抗主義の蔭に詩を置くならば小説以上に詩の立遅れは克服しがたいものとなるであろう。単に量的に生活の単語を拾い上げることで一時をごまかすことを特徴とする受け身の社会主義的リアリズムに、美くしい真理の仮面をきせ、唯物弁証法と或は異った或は同じものとして、実際上茫漠たるあいまいさの中に置き、敗北と屈従を合理化しようとする試みの前に、これらの似而非な誤謬的理論が常によってもって伝説的な出所とするサヴェート芸術理論の歪曲された楣を残して置くこと、そして彼等をして日本を横行するに委さして置くことは、十分に検討されずして葬り去られんとする唯物弁証法の正統を血のにじみ出る実践をもって、生活とのすきまなき合一さとの上に、築き、かつ戦いとったわれ/\✕✕芸術家の恥辱ではないか。「受動的な社会主義的リアリズムか?能動的な唯物弁証法か?」本稿の末尾においてもっと説明されるはずのこのスローガンは、まづ日本詩歌史の初頭において、「万葉集か?古事記か?」のスローガンを正しく理解することを、その一つの歴史的典據となしうるだろう。

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