テキストの快楽(006)その2

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(04)


 身を切るやうな寒い風が吹き出した。たうとう雨になって 、それが夜晝ぶつ通しに降りつづく。イルトィシ河までもう十八露里の所で、例の自前馭者から私を引繼いだフョードル・ハーヴロヴィチといふ百姓が、 これより先へは行けないと言ひ出した。豪雨のためイルトィシ河畔の牧地が、すっかり水浸しなのだといふ。昨日プストィンスコ工村からやって來たクジマも危く馬を溺れさせるところだった、待たなきゃならねえ。
 「何時まで待つのかね」と私が訊く。
 「そいつあ分らねえ。神樣にでも尋ねなされ。」
 百姓小屋へはいる。座敷には赤い上シャッを着た老人が坐ってゐて、苦しげに息をついては咳をする。ドーフル氏散をやると大分鎭まった。しかし彼は藥を信用しない。樂になったのは「辛抱してじっとしてゐた」お蔭だといふ。
 坐り込んで考へる。今夜はここに泊ったものかしら。だがこの老人は夜通し咳をするだらうし、恐らく南京蟲もゐるだらう。それに明日になったら、益ゝ水嵩が增さぬものでもあるまい。いやこれは、いっそ出發した方が利口だ。
 「やっぱり出掛けるとしよう,フヨードル・パーヴロヴィチ」と私は亭主に言ふ、「とても待つちやゐられないからな。」
 「そりゃ旦那の宣しいやうに」と彼は大人しく應じる、「水ん中で泊ることにならにゃいいが。」
 で、出發する。雨はただの降りやうではない。所謂土砂降りである。私の乘つてゐる旅行馬車には屋根がない。はじめの八露里ほどは泥濘の道を、それでも跑《だく》を踏ませて行つた。
 「こりやまあ、えらい天氣だ」と、フョードル・ハーヴロヴィチが言ふ、「本當をいふと長いこと河へは行って見ねえで、水出もどんなだか知らずにゐましただ。そこへもって來てクジマの奴が、ひどく威すもんで。いや何とか行き通せねえでもなささうだ。」
 だがそのとき、 一面の大きな湖が眼の前にひろがる。それは水に浸《つか》った牧地だ。風がその上をさまよひ嘆き、 大きな<うねり 傍点>を立てる。そこここに小島や、 まだ水に浸らぬ地面の帶が頭を出してゐる。道の方角は橋や沼地に渡した粗朶道でわづかに知られるが、それも皆ふやけて脹れ返り大抵は元の場所からずれてゐる。湖の遙か彼方には、 褐色の見るからに暗澹たるイルトィシの岸が連なり、 そのうへに灰色の雨雲が重く垂れてゐる。岸のところどころに斑ら雪が白い。
 湖にさしかかる。大して深くはなく、車輪も水に浸ること凡そ六寸に過ぎない。橋さへなかったら割合に樂に行けたかと思はれる。橋の手前では必らず馬車を降りて、 泥濘か水の中に立たされる。橋を渡るには、先づその上に打上げられてゐる板や木片を集めて、浮き上った端の下に支《か》はなければならぬ。馬は一匹づつ離して渡らせる。フョードル、ハーヴロヴィチが馬をはづす役で、 はづした馬をしっかり抑へてゐるのが私の役目である。冷たい泥だらけの手綱を握ってゐると、强情な馬が後戻りをしたがる。着物は風に剥がれさうだし、雨は痛いほどに顏を打つ。仕方がない、引返すか。――だがフョードル・パーヴロヴィチは默って何も言はない。私の方から言ひ出すのを待ってゐるらしい。私も默ってゐる。
 强襲で第一の術を陷れる それから第二の橋、第三の橋と。……ある所では泥濘に足をとられてすんでのことで轉ぶところだった。またある場所では馬が强情を張って動かなくなり、頭上を舞ふ野鴨や剛がそれを見て笑った。フョードル・ハーヴヴィチの顔附や、その悠々として迫らぬ動作や、また落着き拂った沈默振りから推すと、こんな目に逢ふのは初めてではないらしい。それどころかもっと酷い目に逢ふのも珍しいことではないらしく、出口のない泥濘や水浸しの道や冷たい雨などは、夙の昔に平氣になってゐると見える。彼の生活も並大抵ではないのだ。
 やっと小島に辿りつく。そこに屋根無しの小屋がある。びしょ濡れの糞の傍を、びしょ濡れの馬が二匹步いてゐる。フョードル・パーヴ口ヴィチの呼聲に應じて、小屋の中から鬚もぢやの百姓が手に枯枝を持って現はれ、道案內に立って吳れる。この男が枯枝で深い場所や地面を測りながら、默って先に立って行くあとから、私達もついて行く。彼が私達を導くのは、細長い地面の帶の上である。つまり、所謂「山背」づたひに行くのである。この山背を行きなされ。それが盡きたら左に折れそれから右に折れると、別の山背に出ます。これはずっと渡船場まで續いてゐますぢや、と言ふ。
 あたりにタ闇が迫って來る。野鴨も鷗も居なくなつた。鬚もぢやの百姓も、私達に道を敎へて置いて、 もうとうに歸ってしまった。第一の山背が尽き、また水の中に揉まれなから左に折れ、それから右に折れる。するとなるほど第二の山背に出る。これは河の岸まで續いてゐる。
 イルトィシは大きな河だ。もしエルマク*が氾濫のときこの河を渡ったのだったら、鏈帷子《くさりかたびら》技着てゐないでも溺れ死んだに違ひない。對岸は高い斷崖をなして、まるで不毛である。その向ふに谷が見える。フョードル・パーヴロヴィチの話では、私の目的地であるブストィンノエ村*に出る道は、この谷聞に泻って山を越えるのだといふ。こちらの岸はなだらかな斜面で、水面を拔くこと二尺あまりに過ぎない。やはり秃山で、風爾に曝されたその姿は見るからにせり辷りさうだ。濁った波のうねりが白い齒を剝き出して、さも憎らしげに捧を打つては直ぐ後へ退《ひ》く。その有様は、打見たところ蟾蜍《ひきがへる》か大罪人の怨靈ぐらゐしか住むとも思はれぬこの醜いつるつるの岸に觸るのも汚らはしいといつた風である。イルトィシの河音はざわめくのではない。また吼えるのでもない。その底に沈んだ棺桶を、片端から叩いて行くやうな音を立てる。咒はれた印象だ。
 渡守の小屋へ乘りつける。小屋から出て來た一人が言ふ。――この荒れ模様ぢやとても渡れませんや。まあ明日の朝まで待ちなされ。
 で.そこに泊ることになる。夜通し私は聞く――船頭たちや馭者の鼾を、 窓をうつ雨の音を、風の唸りを、それから怒ったイルトィシが、 棺桶を叩いてゐる音を。……翌る朝早く岸に出る。雨は相變らず降ってゐるが、風は稍ゝ收まった。けれど渡船ではとても渡れない。少さな舟で渡ることになる。
 ここの渡船の仕事は、自作農の組合の手で營んでゐる。從って船頭の中には一人の流刑囚もなく、皆この土地の人間である。親切な善良な人間ばかりだつた。向ふ岸に渡って、馬の待ってゐる道へ出ようとつるつる辷る丘を攀ぢ登って一行く私の後から、彼等は口々に道中の無事と、健康と、それから成功とを祈って哭れた。……が、イルトィシは怒ってゐる。……

[注]
*エルマク ドン・コサックの首長。十六世紀後半寡兵を以てウラルを越えシベリヤに侵入して、イルトィシ河までの範圖を確立した。
*ストィンノエ村 「不毛の村」の義。

読書ざんまいよせい(062)

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(03)

       三

 チュメーンからトムスクまでの間には、シベリヤ街道に沿つて一つの小村も部落もない。あるのは大村ばかりで、それが二十乃至二十五露里、時には四十露里もの間隔を置いてゐる。この土地に莊園が見られないのは、つまり地主がゐないからである。工場も水車場も、旅籠も見られない。……沿道で人の住む氣配のするものと言へば、風に唸る電線と里程標ぐらゐなものである。
 村には必らず敎會がある。時によると二つもある。學校もまづ村每にあるらしい。百姓小屋には一軒ごとに掠鳥の巢箱があつて、それも垣根とか白樺の梢とかの、手のとどきさうな低い所に置いてある。掠鳥を可愛がるのはこの土地の風習で、これには猫も手を出さない。庭といふものはない。
 寒さのびりびりする夜を乘り通して、明け方の五時に、自前馭者の家の座敷に坐つてお茶を飮む。その座敷といふのは廣々とした明るい部屋で、飾りつけなどは、クールスクやモスクヴァあたりの百姓の夢想だも及ばぬほどに立派である。淸潔なことは驚くぱかりで、塵ひとつ汚點ひとつない。塵は白塗り、床《ゆか》は必らず板張で、それをペンキで塗るか、または色模様の粗麻布を敷きつめるかしてある。卓子が二脚、長椅子がー脚、 それに椅子、食器棚、 窓の上には鉢植もある。一隅には寢臺があつて、羽根蒲團や赤い被ひを掛けた枕などが、その上に山を築いてゐる。この山に登るには椅子を臺にしなければ駄目だ。そして寢ると、身體は浪の底に沈み込む。シベリヤの人はふつくらした寢床が好きなのだ。
 隅の聖像を中心に、兩側には繪雙紙が貼りつらねてある。皇帝の肖像がかならず幾通りかあつて、それからゲオルギイ・ポベドノーセッツ*、「ヨーロッパの諸君主」(その中にはどうした譯か、ペルシャの王樣までが見受けられるーー)、績いてラテン語やドイツ語で題銘の入《はい》つた聖徒の畫像、 バッテンベルグ公*やスコベレフ*の半身像、それからまた聖徒の像。……壁の裝飾にはボンボンの包紙や、火酒《ヴオトカ》のレッテル卷煙草から剝いだペーパーまで使つてある。この貧相な飾りは、堂々たる寝臺や色塗りの肘とまるでそぐはない。だがどうも仕樣がないのだ。藝術の需要は旺盛なのだが、藝術家の方で現はれて來ないのだから。扉を見たまへ。それには靑い花と赤い花の咲いた木が描いてある。何やら鳥もとまつてゐるが、どうも烏よりは魚に似てゐる。木は壷から生えてゐる。その壷によつて見ると、これを描いたのはヨーロッパ人ーーつまり追放者に違ひないことが分る。天井の環形も煖爐の飾りも、同じく追放者が塗《ぬ》たくつたものだ。いかにも不細工な繪ではあるが、この邊の百姓にはこれだけの腕前もないのだ。九ケ月のあひだ、拇指だけ別になつた手袋をはめたなりで、 指を一本一本伸ばす暇もない。やれ零下四十度の酷寒、やれ牧場が二十露里も水浸しになつた。——さうして短い夏が來ると、一時に疲れが出て肩は張る、筋は拘攣《つれ》る。こんな風ではどうして繪なんかやつてゐる暇があらうか。彼等が畫家でも音樂家でも歌手でもないのは、 年ぢゆう自然との猛烈な鬪爭に追はれてゐるからだ。村で手風琴の音のすることも滅多にないし、また馭者が唄ひ出すのを待つてゐたら、なほさら馬鹿を見る。
注]
*ゲオルギイ・ポベドノーセッツ 希臘神話の農事の神から轉化したと推測されるキリスト敎の聖者の一人。ロシヤでは家畜の保護者の性質を帶びてゐる。畫像としては、槍を以て龍を突く騎士の姿であらはされる。
*バッテンペルグ公 初代のブルガリヤ公アレクサンドル(在位一八七九――八六)。口シヤ政府の意に抗つて憲法を制定し、ルーマニヤ、セルビャと戦つて勝つた。
*スコベレフ ロシヤの有名な將軍(一八四三――八二)。七七・八年の露土戰爭をはじめ赫々たる武勲が多い。
 あけつぱなしの扉から、 廊下ごしに別の部屋が見える。板敷の明るい部屋である。そこでは仕事の眞最中だ。お主婦さんは、年のころ二十五ほどのひょろ長い女だが、いかにも人の善ささうな柔和な顏をして、 卓子のうへの揑粉を揑ねてゐる。眼にも胸にも兩手にもきらきらと朝日が當つて、まるで揑粉を日光と揑ね混ぜてゐるやうだ。亭主の妹らしい娘がブリン*を燒き、屠殺したての仔豚を料理女が茹でる。亭主はフェルト惺靴の製作に餘念もない。何もしないのは老人だけだ。婆さんは兩足をぶらさげて煖爐《ペチカ》に腰かけ、溜息まじりに呻いてゐる。爺さんは咳をしながら煖爐のうへの床《とこ》に寝てゐたが、 私の姿を見るとのこのこ這ひ下りて、 廊下を越して座敷へはいつて來た。世間話がしたいのだ。……今年の春は相憎と近來にない寒さでしてと、先づそこからロを切る。やれやれ明日はもうニコラ様*で、 明後日はまた耶蘇昇天節だといふに、 咋夜も雪が降りをつて、 村の往還ぢやどこかの女子《おなご》が凍え死にましてな。家畜どもは餌がないので細くなりますし、犢なんぞはこの寒さで腹を下します。……それから今度は私に向ひ、どこから何處へ何の用でつつ走りなさる、 奧さんはおありか、 女子供はもうぢきに戰《いくさ》があると噂しよりますが、 あれは本當でせうかなどと尋ねた。
注]
*プリン 英米で朝食に供する本來の意味でのパンケーキに似てゐる。
*ニコラ樣 「ニコラの日」の意。露曆五月九日を指す。「ニコラ様が濟んだら冬を讃へよ」といふ諺がある。
 子供の泣聲がする。それでやつと、寝臺と煖爐のまん中に小さな搖籃が吊つてあるのに氣がついた。お主婦さんは揑粉を抛り出して、こつちの部屋へ駆け込んで來る。
 「ねえ商人の旦那、 ひよんな事がありますもので」と、彼女は搖籃をゆりながら、柔和な笑顏を私に向ける、「二た月ほど前、 オムスクから赤ん坊を抱へた町人女が來て泊り込みました。……しやんとした身裝《みなり》をしとりましたが。……何でもチュカリンスクでその兒を生み落して、洗禮もそこでして來たとか申しました。產後のせいか道中で加減が惡くなりましてね、私方のこれニの部屋に寢かせてやりました。亭主持ちだと言つとりましたが、なに分りは致しません。顏に書いてあるぢやなし、旅行券も持つちやをりませんもの。赤ん坊だつてきつと父親《てておや》の知れない…」
 「餘計なことまでほざきをる」と爺さんが呟く。
 「來てから一週間ほどしますと」とお主婦さんは續ける、「かう申すのです、――『オムスクへ行つて夫《やど》に會つて來ますわ。サーシャは置いといて下さいな。一週間したら貰ひに來ますから。連れて行つて道中で凍え死なしちや大變ですものね。……』そこで、 私はかう申しました、――『ねえ奧さん、世の中にや十人十二人と子供を授かる人もあるのに、家のも私も罰あたりでまだ一人も授からないんです。物は相談だが、サーシャ坊をこのまま私らに貰へませんかね。』すると暫く考へとり
ましたが、やがて、『でもちょいと待つてドさいな。夫に相談して見て、一週間したら手紙でお返事しませう。さあ、夫《やど》が何と言ひますか。』 でサーシャを置いて出て行きましたが、 それつきりもう二た月にもなるのに、姿も見せず手紙も來やしません。とんだ喰はせ女《もの》で。サーシャは親身になつて可愛がつてやりましたが、今ぢや家の子やら他人《ひと》の子やら、さつぱり分りませんです。」
 「その女に手紙を出すんだね」と私は智慧を貸した。
 「なるほど、 旦那の仰しやる通りだ」と、亭主が廊下から言ふ。
 彼は這入つて來て、私の顏を默つて見てゐる。まだ何か智慧の出さうな顏附だと見える。
 「そんなこと言つたつて、出せるものかね」とお主婦さんが言ふ、「苗字も言はずに出て行つたもの。マリヤ・ペトローヴナ、それつきりさね。オムスクの町はお前さん廣いからね。とても分りつこないさ。雲をつかむやうなもんで。」
 「なるほどな、 そいつは分らねえ」と亭主は相槌をうつて,また私の顏を見る。まるで『旦那、何とかなりませんか』とでも言ふやうだ。
 「折角これまで馴れつこになつたものを」と、お主婦さんは乳首をふくませながら言ふ、「夜晝なしに泣聲が聞えると、違つた氣持になるぢやないか。この小屋までが見違へるやうになるぢやないか。それを、明日にもあの女が戾つて來て連れて行くかと思ふと、一寸先は闇で……」
 お主婦さんの眼は眞赤になつて、淚が一ぱい溜つた。そして急ぎ足で部屋を出て行つた。亭主はその後姿へ顎をしやくてて、薄笑ひを浮べて言ふ。――
 「馴れつこになつただと……へん、不憫になりやがつた癖に。」
 さう言ふ自分も馴れつこになつて、 やはり不憫になつて來てゐるのだが、男としてそれを白狀するのは極りが惡いと見える。 ,
 何といふ心善い人のだ。お茶を飮みながらサーシャの話を聞いてゐるあひだ、私の荷物は外の馬車に積みつぱなしにしてある。ああして置いて盜《と》られはしまいかと尋ねると、彼等は笑つてかう答へる。――
 「誰が盜むものかね。よる夜中だつて盜みやしねえでさ。」
 事實、旅行者が盜難に逢つた噂は、道申絶えて.耳にしなかつた。その點では、この土地の風俗は醇朴を極め、一種善良な傳習を守つてゐると言ひうる。たとひ馬車の中に財布を落したとしても、拾つた馭者が自前の馭者なら、中も改めすに返しに來ることは疑ふ餘地がない。驛馬車にはあまり乘らなかつたので、その方の馭者の事はほんの一例しか舉げられないが、宿場で待つ間の退屈凌ぎに手に取つて見た不平帳では、盜難の訴へはただー件しか眼につかなかつた。旅人の長靴を入れた袋が紛失したのである。しかも袋は間もなく見附かつて持主の手に歸つたから、 當局の裁決が示してゐるやうに、この訴へは結局「詮議に及ばず」なのだ。更に迫剝事件になると、噂話にも上らぬほどである。まるであつた例しがないのだ。ここに來る途中で散々に威かされた例の破落戶《ごろつき》にしても、旅行者にとつては兎や鴨ほどにも害はないのださうだ。
 お茶には、小麥粉のブリンや、凝乳と卵の入つた揚饅頭や、小さな燒菓子や、角形《つのがた》パンの揚物などが出た。プリンは薄くつて、厭に脂つこい。角形パンになるとその味ひも色合も、 どうやらタガンログ*やドン・ロストフ邊の市《いち》でウクライナ人の賣つてゐる、 あの黃色い孔だらけの環形ラスクを思はせる。シベリヤ街道に沿つては到るところ、パンの燒き方が非常にうまい。每日、 大量に燒くからであらう。小麥粉の値段は安く、四貫目で三四十銭位なものだ。
注]
*タガンログ ロストフに近く、アゾフ海に臨む港町。チェーホフは此の町で生れた。
 だが、パンの揚物だけでは腹の蟲は收まらない。そこで晝食に何か料理を頼むとすると、 出るものとい へば、 何處でも必らず「鴨のスープ」に極つてゐる。このス—プには手が附けられない。どろどろに濁つた液體のなかを、野鴨の肉片だけならまだしも、中身も碌に洗つてない臓物までが泳いでゐる始末である。まるで美味《うま》くはないし、見ただけでも胸がむかつく。どの百姓小屋を覗いても、獵の獲物が貯へてある。シベリヤでは狩獵の法律などはまるで行はれず、一年ぢゆうぶつ通しに小鳥を射つ。しかしどれだけ射つたにしても、野禽の盡きる心配はまづあるまい。チュメーンからトムスクに至る千五百露里の間に野禽の群は夥しいが、使へる鐵砲は一挺だつてないし、飛ぶ鳥の射落せる獵人は百人に一人位なものであらう。鴨を捕るときには、.普通は沼泥の現はれた所やびしょびしょの草の上に腹這ひになつて、大人しく坐つてゐるのだけを狙つて射つ。そのうへ彼等の立派な鐵砲は五度やそこら引金を引いたのぢや中々彈丸《たま》が飛び出さないし、いざ發射すると肩や頰にひどい反動が來る。幸ひに獲物に當つたにしても、それから先がまた一苦勞である。長靴と上股引をぬいで、冷たい水の中を這ふやうにして行く。この土地には獵犬がゐないのである。

読書ざんまいよせい(059)

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(02)

       二

 アバツコエといふ大きな村(チュメーンを距る三百七十五露里)を、五月六日の前夜おそく發ったとき、 馭者になつたのは六十がらみの老人だった。馬を附けようといふ間際になって、彼は蒸風呂ですつかり汗を出したうへ吸瓢《すいふくべ》を使って血を取つた。何故血を取るのかと訊くと、腰が痛むからと答へる。年に似合はぬ元氣な老人で、身體もなかなかよく動くのだが、 さう言へば步き工合がどうもをかしい。脊髓癆だと見える。
 背の高い無蓋の旅行馬車に乘り込む。二頭立である。老人が鞭を振って何やら叫ぶ。しかし昔のやうには聲も出ず、まるでエヂプト鳩みたいにゴロゴロいふだけだ。
 道の兩側にも遙かの地平線にも、蛇のやうに這ひながら燃える火がある。去年の草が燃えるのだ。わざわざそれを燃すのがこの土地の習慣だといふ。が乾き切ってゐるため燃えが惡く,炎の蛇は所々斷《き》れたり、消えたかと思ふとまた燃え上ったりして、悠々と這ひ廻るのである。火叢からは火の粉が散る。上の方には白い煙が昇る。火が急に小高い叢に燃えつく時は實に美しい。炎の柱が地上七尺ほどにも伸びて、 大きな煙の塊りを天へ投げあげるかと思ふと、まるで地心に沈み込みでもするやうに、直ぐまた崩れ落ちる。その蛇が白樺の林へ這ひ込むときは、 また一段と美しい。林一面にばつと明るくなって、白い幹が一本一本はっきりと見え、樹立の落す影に明るい班紋が入り亂れる。このイルミネーションを見ると、 何か不安な氣持がして來る。
 向ふから驀地に凍りついた凸凹道をがらがら云はせながら、郵便の三頭立《トロイカ》が駆けて來る。老人が周章てて馬首を右へ轉じると、重さうな巨きな圖黑をした郵便馬車が飛ぶやうにすれ違ふ。歸りを急ぐ馭者が乘つてゐるのだ。また別の馬車の音が聞えて來る。見ると卜ロイカがもうー臺、全速力で向ふから突進して來る。私達の方は急いで右へ避けたが、意外千萬にもトロイカの方は何故か右へは避けずに左へそれて、 眞向ふから飛びかかって來る。ああ、 ぶつかるぞ、 と思ふ間もあらばこそ、たちまち轟然たる音を發して、こちらの二頭も郵便馬車の三頭も眞黑な塊りに化してしまつた。旅行馬車は後足で突立ち上り、 地面に抛り出された私の上からは、ありつたけのトランクの包みが。……茫然自失の態で、そのまま地而に轉がってゐると、又もや三臺目のトロイカの疾驅する響が聞え出す。『さあ』と私は考へる、『今度こそはお陀佛だ。』だが有難いことに負傷は大したこともなく、手も足も折れてゐないので、私は地面から起きあがれる。跳び起きるが早いか道傍へ駆け出して、吾ながら奇妙な聲で喚き立てる。――
 「とまれ、とまれよう。」
 空つぽと見た郵便馬車の中から、むくむくと人影が起き上り、 手綱の方へ手をのばす。そして三臺目のトロイカは、私の荷物をかすめて危く停る。
 二分間ほどは沈默のうちに過ぎる。まるで狐につままれたやうな形で、ー體何が持ち上ったのやらさっぱり分らない。梶棒は折れ、馬具は裂け、鈴をつけた頸圏《くびわ》が地面に散らばり、馬は苦しげに息を吐く。馬もやはり茫然としてゐるらしく、どうやら傷も重いらしい。老人はうんうん唸り、 溜息をつきながら起きあがる.。先に行つた二臺のトロイカが引返して來た。そのうちに四臺目のトロイカが來、さらに五臺目が來る。……
 それから猛烈な罵詈雜言がはじまる。
 「瘡でも出來《でか》せ!」と衝突した馭者がわめく、「その口に瘡さ搔け! 眼はどこへ附けとるだ、 この老耄れめが。」
 「どっちが惡いだ」と老人は泣聲でわめく.、「手前が惡いくせして、ぽんぽん言ひくさる。
 その悪口の言ひ合ひから僅かに推察し得たところによると、衝突の原因はかうであつた。郵便を運んだ歸りのトロイカが五臺、 アバツコ工を指して行く。規則では歸りの車は緩くり走らせることになってゐるのだが、先頭の馭者が退屈ではあり、また一刻も早く暖かい思ひがしたいので全速力を出した。ところが續く四臺の馭者はみな寢込んでゐて、誰も手綱を取る者がない。つまり殘りの四臺は、馬が全速力でー臺目を追ふなりにしてあつたのだ。もし私が旅行馬車の中でいい氣持に眠つてゐたり、或ひは三臺目のトロイカが二臺目のすぐ後に續いて來たのだつたら、到底無事には助からぬ所だつたのだ。
 馭者たちはありったけの聲を出して罵り合ふ。その聲は十露里先でも聞えるに違ひない。とても堪らぬほど怒鳴り散らす。相手の持ち合はせてゐる凡ゆる聖なるもの貴いもの大事なものを、何から何まで殘らず辱め瀆し去らねば已まぬ、これらの醜惡極まる言葉や文句を考へ出すには、さぞかし莫大な機智や憎念や不淨な考へが消費されたことだらう。こんな惡口のつける者は、シベリヤの馭者や渡船夫のほかにはゐない。みんな囚徒に仕込まれたのだといふ。しかも馭者の中で一番大聲に罵り狂ふのは、ぶつけた當の馭者である。
 「ええ、もう止めろ、馬鹿者めが!」と老人が遮る。
 「何だと?」と、例の馭者は十九ほどの餓鬼だったが、それが物凄い劎幕でつめ寄つて、老人の鼻先にぬつと立つ、「それがどうした?」
 「手前もよっぽど。……」
 「それかどうした?言って見ろ、どうしたつてんだよ。梶棒の切れつ端でぶんのめすぞ。」
 この調子では、今にも摑み合ひになるかと思つた。暁闇、遠近には草を燒く火が見えてはゐるが、 そのため冷え切つた夜氣は別段溫まるでもなく、一と塊りになつたまま嘶き聲を立ててゐる癇の强い物騷な馬の傍で、この亂暴な暄嘩の群に圍まれてゐるのは、何とも言ひやうのない淋しさだった。
 老人はまだぶつぶつ言ひながら、例の病氣のせゐで足を高く持ち上げるやうにして馬と旅行馬車の周圍を步いて、手當り次第に繩や革紐を解いて廻る。それで折れた梶棒を結《いわ》へようといふのである。それから今度は道路に腹這ひになって、燐寸をすりすり、輓革を搜す。私の荷物の革紐までが徵發された。やがて東の方が紅らむ。野雁も夙《とう》に眼をさまして啼いてゐる。やがて馭者たちも行つてしまふ。だが私達は相變らず立ちづめで、修繕に餘念がない。何べんも進まうとして見るのだが、折角結んだ梶棒は忽ちぽきんと行く。で、またも行軍中止だ。……寒い。
 やっとのことで、村まで辿りつく。二階建ての百姓小屋のところで車を停める。
 「イリヤ・イヴァーヌィチ、馬さあるかね?」と、 老人が呼ぶ。
 「あるだよ」と、誰やらが窓の中で陰氣な聲を出す。
 小屋で私を出迎へたのは、赤シャツを着た大男である。素足で睡さうな顏をしてゐる。まだ寢呆けてゐると見えて、何やら薄笑ひを浮べてゐる。
 「南京蟲にあつちや敵はねえでさ、大將」とぼりぼり搔きながら、だんだん顏一ぱいに笑ひ出しながら彼が言ふ、「座敷はわざと煖めねえだ。寒いと奴さん步かねえからね。」
 ここでは南京蟲や油蟲が這ふとは言はずに步くと言ふ。旅行者が行くと言はずに、 つつ走るといふ。「旦那は何處へつつ走りなさる」と訊く。つまり「何處へ行きなさる」の意味である。
 家の外では馬車に油を差したり、 頸圏の鈴をぢやらつかせたりしてゐるし、代り合つて馭者になったイリヤ・イヴァーヌィチは身支度をしてゐる。そのひまに私は、部屋の隅にうまい場所を見附けて、 穀粒か何かの袋に頭を凭せたかと思ふと、 すぐさまぐつすり痕込んでしまふ。やがて夢の中に私の寝臺が出て來る、 私の部屋が出て來る。夢の中で私は歸つて食事をしながら、 自分の二頭立が郵便のトロイカと衝突した話を、 家の者にして聽かせる。が二三分したかと思ふと、イリヤ・イヴァーヌィチが私の袖を引張つて言ふのが聞える。――
 「さあ起きるだ、 大將。馬が出來ただ。」
 懶惰、寒がり!それらの惡德を嘲笑ふこれは何といふ揶揄であらうか。寒氣は縱橫十文字に背中ぢゆうを走り廻る。また馬車で行く。……もう明るくなって、 空は日の出前の金色に染まる。道にも野づらの草にも、 痛ましい白樺の幼樹林にもー面に霜が降りて、まるで砂糖漬けを見るやうだ。どこかで蝦夷山鷄《えぞやまどり》が啼いてゐる。

読書ざんまいよせい(052)

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(01)

     

 「シベリヤはどうしてかう寒いのかね?」
 「神様の思召しでさ」と、がたくり馬車の馭者が答へる。
 もう五月といへば、ロシャでは靑葉の森に夜鶯《うぐいす》が喉をかぎりに歌ひ、 南の方なら夙《とう》にアカシャやライラックの花も匂ってゐように、ここチュメーン*からトムスクへの道筋では、土膚は褐色《かちいろ》に黑ずみ、 森といふ森は裸かで、 湖沼には氷がどんよりと光り、 岸や谷あひにはまだ斑《まだ》ら雪さへ殘ってゐる。…
 その代りにといふのもをかしいが、これほどに夥しい野禽の群を見るのも、 生れて初めてのことだ。眼をずらせて行くも、野づらを渉り步き、水溜りや道傍の溝を泳ぎまはり、また危く馬車の屋根をかすめんばかりに、白樺の林へと物憂げに飛んでゆく野鴨の群。あたりの靜寂を不意に破ってひびく聞覺えのあるきれいな啼聲に、おどろいて眼を上げると、丁度頭のうへを渡ってゆく一番ひの鶴。それを見ると、ふつと淋しい氣持になる。野雁も飛んで行く。雪のやうに眞白な白鳥も、 列を作つて飛んで行く。……方々でぼと<傍点>鴫《しぎ》の低いつぶやきが聞え、鷗の哀しげな啼聲もする。
 天幕馬車を二臺と、 それから男女の百姓の一隊を追ひ越す。これは移住民だ。
 「どこの縣から來たね?」
 「ク—ルスクでさ。」
 一人だけ風體の違つた男が、仲間に遲れてよたよたと蹤いて行く。顎をきれいに剃り上げ口髭はもう白く、百姓外套の背中には何やら得體の知れないだん袋が附いてゐる。風呂敷にくるんだ胡弓を二丁、兩腋に抱へてゐる。ー體何者なのか、この胡弓はどうしたものかは、訊かないまでも自然とわかる。やくざで怠け者で病身で、人一倍の寒がりで、洒好きで、そのうへ小心者のこの男は、親父の代から兄貴の代までずつと餘計者扱ひにされたから、 のらくらと生き存ヘて來たのだ。親父の財產も分けては貰へず、嫁も取っては貰へずに。……そんな事はしてやるまでもない男なので、野良へ出れば風邪をひくし、酒にかけては目がないし、祿なことは言ひ觸らさないし、 取柄といったら胡弓を弾くことと、子供たちを集めて煖爐《ペチカ》の上でわいわい騷ぐ位なものだ。その代り胡弓と來たら居酒屋でも、婚禮の席でも野原でも、所きらはず弾き步いたが、それが中々の見聿な音色だった。だが今その兄貴が、家も牛も有りつたけの家財道具も手放して一家を引き連れ遠いシベリヤを指して行く。やくざ者も一緖について行くのは、ほかに食ふ當てもないからだ。二丁の胡弓も後生大事に抱へて行く。……やがて目指す土地に着けば、シベリヤの寒さにー堪りもなくやられる。肺病になって、誰一人氣づかぬほどそっと靜かに死んで行く。その昔鄕里の村の人々の心を、浮き立たせたり沈ませたりした胡弓の方は、二束三文に賣り飛ばされて、渡り者の書記か、それとも流刑囚かの手に渡る。それから渡り者の子供たちが、絃《いと》を切ったり柱《ぢ》を折ったり、 胴に水を入れたりして遊ぶ。……引返した方がよささうだ、小父さん。
 力マ河を遡る船の上でも、移住民の群を見掛けた。中でも思ひ出されるのは、亜麻色の鬚をした年の頃四十ほどの百姓だ。甲板のベンチに腰掛けて、足もとには家財道具《がらくた》を詰め込んだ袋が並べてある。その袋の上に、鑑縷を着た子供たちが轉がつて、 荒涼としたカマ河の岸から吹きつける身を切るやうな寒風に縮み上つてゐる。百姓の顏には、「もう諦めましただ」と書いてある。眼には皮肉な色が浮んでゐる。だがそれは、われとわが内心に浴びせる嘲笑なのだ。謂はば、無殘至極な裏切りやうをして吳れた、過去半生に對する嘲笑なのだ。
 「これより惡くなりつこねえさ」と彼は言って、 上唇だけで笑ふ。
 誰一人とり合ふ者もなく、また別に問ひかける者はなくても、一分ほどすると彼はふたたび繰り返す。――
 「これより惡くなりつこはねえさ。」
 「惡くなるとも」と別のベンチから、 人參色の髮をした眼のするどい土百姓が應じる。これは移住民ではない。――「惡くなるとも。」
 いましがた追拔いた百姓たちは、默りこくつてゐる。天幕馬車について、よろよろする足を引き摺りながら、どの顏を見ても鹿爪らしく何か一心に考へ込んでゐる風だ。……私はそ辻を見て心に思ふ、――「よくない生活と見たら潔くそれを振り切つて、生れ故鄕も生れた古巢も棄てて行けるのは、非凡な人間だけなのだ、英雄だけなのだ。……」
 間もなく、今度は流刑囚の列に追ひついた。手械《てかせ》の音を立てながら,三四十人ほどの囚徒が道を行く。兩側には銃を擔った兵士が附添ひ、後から馬車が二臺ついて行く。囚徒の中の一人はどうやらアルメニヤの司祭を思はせる。もう一人の鷲鼻で額のひろい大男の方は、どこかの藥種屋の勘定臺の向ふに坐つてゐたやうな氣がするし、三番目の消耗した蒼白い深刻面は、まるで斷食の坊主にそっくりだ。とても一人一人の顏を覗いてゐるひまはない。囚徒も兵士もみなぐったりしてゐる。道は惡いし、步く氣力もないのだ。……泊りの村まではまだ十露里もある。村に着けば直ぐ飯にありつけるし、磚茶《せんちや》も飮める。それからごろりと横になるのだが、待ち兼ねてゐた南京蟲が直ぐさま身體一面にべ つたりと貼りつく。疲れ切って睡くて堪らない人間にとって、これはとても敵はぬ執念の鬼だ。
 日が暮れると地面は凍てついて泥濘が切り立つた起伏を作る。馬車は躍リ跳ね、色んな聲を立てておめき鳴る。寒い。人の住む家も見えず、人つ子一人通らない。……ひそともせぬ闇はただ黑々と、物音ひとつしない。聞えるのは車が凍土を嚙む音と、 たまに卷煙草を吸ひつける火の色に夢を破られて、 道傍に飛び立つ二三羽の野鴨の羽音ばかり。……
 川に出る。渡舟を見附けて越さなければならぬ。河岸には人影もない。
 「向ふ岸へ行つとる。瘡《かさ》つかきめが」と馭者が言ふ、「旦那、 ひとつ吼えて見るかね。」
 痛くて泣くのも悲しくて泣くのも、助けを呼ぶのもただ人を呼ぶのも、 この土地では引括めて吼えるといふ。從ってシベリヤで吼えるのは熊だけではなく、雀や鼠も吼えるのである。「引懸つて吼えくさる」と、鼠のことを言ふ。
 で、吼えはじめた。かなりの川だし、それに眞暗なので向ふ岸は見えない。……じめじめした川風で先づ足が冷え、つづいて全身が冷えて來る。……聲を合はせて半時間吼え、 一時間吼えたが、 渡舟はやって來ない。水にも、 空ーぱいの星屑にも,墓のやうに眞音な靜寂にも,やがて飽き飽きしてしまふ。退屈まぎれに親爺と話し込んで、 十六のとき嫁を貰ったこと、子供は十人あったがその中死んだのは唯の三人に過ぎぬ こ と、 父親もお袋もまだ健在《まめ》なことなど を知る。 父親もお袋も 「キルジャキイ」――つまり分離宗徒《ラスコーニキ》で、煙草は喫ます、一生涯イシムの町のほかには町を見たこともないが、自分はまだ若いから少々身體を甘やかさせて貰つて煙草をやる、とも言った。この眞暗な荒涼たる川にも、 鱘魚《てふざめ》やネルマ鮭や、ひげ<傍点>や魣《かます》が棲んでゐるが、漁る人も漁る手立てもないといふ話もした。
 だがやっと、水を切る音が正しく間を置いて聞えはじめ、 川面に何やら不細工な黑い物があらはれた。それが渡舟だつた。恰好はまづ小形な傳馬船に似て、橈子が五人ほど乘つてゐる。橈身のびろい二本の長い橈は、蟹の蝥《はさみ》そつくりである。
 舟を岸につけると、 橈子たちは先づ手始めに喧嘩をはじめた。さも憎らしげに罵り合つてはゐるが、別段これといふ理由もない所を見れば、 まだ寢呆けてゐるのに相違ない。彼等の飛び切り上等の悪口を聽いてゐると、 母親のあるのは私の馭者や馬や橈子たちだけではなくて、水にも渡舟にも橈にもどうやら母親*があるらしい樣子である。橈子たちが吐き散らした罵詈雜言のなかで、最も物柔かで無邪氣なのは、「瘡でも出來《でか》せ」乃至「その口に瘡さ搔け」といふのであった。ここで瘡*とは一體どんな瘡を指すのか、 訊いては見たが分らず仕舞だつた。何しろ私は毛皮の半外套に長靴をはいて、帽子眞深といふ服裝《いでたち》だから、暗闇ではこれが「旦那」とは分らぬらしい。で橈子の一人が、私に向って嗄聲で呶鳴りつけた。――
「これさ、そこの瘡つかき!ぽかんと口を開いてゐずと、馬でもはづせよう。」
 渡舟に乘る。渡船夫たちは罵り喚きながら橈を取る。これは土着の百姓.ではない。無賴な生活のため社會に擯斥されてここへ送られて來た、まぎれもない追放囚である。だが登錄先の村でも、 やはり彼等は暮らせないのだ。第一退屈だし、耕作の術《すべ》はもともと知らないか、さもなければ忘れてゐるし、他所の地面は可愛くもないし――そんな譯でここへ出て、渡舟場稼ぎをしてゐるのである。どれもこれも、瘦せこけ.て荒み切つた顏附をしてゐる。それにその表情といつたらどうだ! この人達はここまで來る道々、手錠で二人づつ繫ぎ合はされて囚人舟に乘せられたり、列を組んで街道を步かされたり、百姓小屋に泊って南京蟲に所嫌はず刺されたりする間に、骨の牘まで麻痺してしまったのだ。 今では夜晝なしに冷たい水の中を動き廻つて、眼に入るものといへば荒涼とした川岸の眺めばかりだ。しまひには身も心も凍り果てて、生きる目當ては唯一つ酒と女、女と酒。……もはやこの世の人ではなくて、獸なのだ。それのみならず、馭者の親爺に言はせると、あの世へ行っても碌なことはないらしい。罪の報いで地獄へ落ちるといふ。

*チュメーン シベリヤ鐵道(一八九一――一九〇三年)の敷設される前、迫放囚はこの町を通過するのを例とした。一八二三年から九八年までの間に、この町は九十萬人餘に上る囚人とその家族の暗鬱な行列を見送つたと言はれる。
*母親云々 ロシヤ特有の罵言に、相手の推親を引合ひに出して罵る極めて烈しいのである。撓子たちは當の喧嘩相手のみならず、水や舟などの無生物にまで、この罵言で當り散らしたのであらう。
*瘡 家畜の肺や胃腸を冒し、人間にまで感染するシペリヤ脾脫疽(Anthrax)を指すものであらう。

読書ざんまいよせい(050)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(018)
「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」から(続き)

編者より】
 チェーホフの最晩年の三作、「谷間」「僧正」「いいなづけ」は、どれをとっても、珠玉の作品である。
 ただ、前二作は、「いいなづけ」が「希望」の兆しが垣間見られたが、作品は、少しニュアンスが違う。「谷間」では、ロシアの田舎でも、「資本主義的な蓄積」がその開始時期も過ぎ、生産資本として成り立ってゆく時代の人物群像である。その代表である商人ツィブーキン家の次男の嫁、アクシーニアは、本格的な工場経営に乗り出す。その上で、長男の嫁リーバの幼子を、やや悪意を持って死なせてしまう。チェーホフは、その子を毛布にくるんで家路をたどるリーバの描写が物悲しく描いている。「僧正」では、幼い頃に別れた母親が、聖職者になった僧正ピョートルの礼拝の時も、名乗りをあげられない。その時は、ピョートルが、死の床にあった最期の時間に手を握りしめた一瞬であった。二作品で、チェーホフは、未来への展望は、一切語らない。チェーホフ的な「ペーソス」の極地であろうか?
 筆致や人物造形はまったく違うが、バルザックの、前者は、貴族階級の没落をテーマとした「農民」に、後者は、聖職者としての出世が思うようにいかなかった僧侶の寂しい晩年まで描いた「ツールの司祭」にシチュエーションが似ていることが興味深く感じた。

ーーここからーー

 彼は己れの卑劣さの高みから世界を見おろした。

 ――君の許嫁は美人だなあ!
 ――いやなに、僕の眼にはどんな女も同じことさ。

 彼は二十万円の富籤をつづけざまに二度抽き当てることを夢想していた。二十万ではどうも少ないような気がするので。

 Nは退職した四等官。田舎に住んで、齢は六十六である。教養があり、自由主義で、読書も好きなら議論も好きだ。彼は客の口から、新任の予審判事のZが片足にはスリッパを片足には長靴を穿いていることや、何とかいう婦人と内縁関係を結んでいることを聞き込む。Nは二六時ちゅうZのことを気にして、あの男は片足だけスリッパを穿いて、他人《ひと》の細君と関係しているそうですな、とのべつに彼の噂話をしている。そのことばかり喋っているうちに、挙句の果には奥さんの寝間へでかけて行くようにさえなる(八年この方なかったことである)。興奮しながら相変らずZの噂をしている。とうとう中気が出て、手足が利かなくなってしまう。みんな興奮の結果である。医者が来る。すると彼をつかまえてZの話をする。医者はZを知っていて、今ではZは両足とも長靴を穿いているし(足がよくなったので)、例の婦人とも結婚したと話す。

 あの世へ行ってから、この世の生活を振り返って「あれは美しい夢だった……」と思いたいものだ。

 地主のNが、家令Zの子供たち――大学生と十七になる娘――を眺めながらこう思う。「あのZの奴は俺の金を贓《くす》ねている。贓ねた金で贅沢な暮しをしている。この学生も娘もそれ位のことは知ってる筈だ。もしまだ知らずにいるのなら、自分たちがちゃんとした風をしていられるのは何故かということを、是非とも知って置くべきだ。」

 彼女は「妥協」という言葉が好きで、よくそれを使う。「私にはとても妥協は出来ませんわ。」……「平行六面体をした板」……。

 世襲名誉公民のオジャブーシキンは、自分の先祖が当然伯爵に叙せられるだけの権利のあったことを、人に納得させようといつも懸命である。

 ――この途にかけちゃ、あの男は犬を食った(通暁しているの意)ものですよ。
 ――まあ、まあ、そんなこと仰しゃっちゃ駄目よ。家のママとても好き嫌いがひどいの。
 ――私、これで三度目の良人《おっと》なのよ。……一番はじめのはイヴァン・マカールィチって名でしたの。……二番目はピョートル……ピョートル……忘れちゃったわ。

 作家グヴォーズヂコフは、自分が大そう有名で、わが名を知らぬ者はないと思っている。S市にやって来て、或る士官と出逢う。士官は彼の手を長いこと握りしめて、さも感激したように彼の顔に見入っている。Gは嬉しくなって、こちらも熱烈に手を握り返す。……やがて士官がこう訊ねる、「あなたの管絃楽団《オーケストラ》は如何ですか? たしかあなたは楽長をしておられましたね?」

 朝。――Nの口髭が紙で巻いてある。

 そこで彼は、自分がどこへ行っても――どんなところへ行っても、停車場の食堂へ行ってさえ尊敬され崇拝されてるような気がしたので、従っていつも微笑を浮べながら食事をした。

 鶏が歌っている。だが彼にはもはや、鶏が歌っているのではなくて、泣いているように聞える。

 一家団欒の席で、大学に行っている息子がJ・J・ルソオを朗読するのを聴きながら、家長のNが心に思う、「だが何と言っても、J・J・ルソオは頸っ玉に金牌をぶら下げちゃいなかったんだ。ところが俺にはこの通りあるわい。」

 Nが、大学に行っている自分の継子を連れて散々に飲み歩いた挙句、淫売宿へ行く。翌る朝、大学生は休暇が終ったので出発する。Nは送って行く。大学生が継父の不品行を咎めてお説教をやり出したので、口論になる。Nがいう、「俺は父親としてお前を呪うぞ。」「僕だってお父さんを呪います。」

 医者なら来て貰う。代診だと呼んで来る。

 N・N・Vは決して誰の意見にも賛成したことがない。――「左様、この天井が白いというのはまあいいとしてもですな、一たい白という色は、現在知られているところではスペクトルの七つの色から成るものです。そこでこの天井の場合でも、七つの色のうちの一つが明るすぎるか暗すぎるかして、きっかり白になってはいないという事も大いにあり得るわけです。私としては、この天井は白いという前に、ちょっと考えて見たいですな。」

 彼はまるで聖像みたいな身振りをする。

 ――君は恋をしていますね。
 ――ええ、まあ幾分。

 何事がもちあがっても彼は言う、「こりゃみんな坊主のせいだ。」

 Fyrzikov.

 Nの夢。外国旅行から帰って来る。ヴェルジボロヴォの税関で、抗弁これ努めたにも拘わらず、妻君に税をかけられる。

 その自由主義者が、上着なしで食事をして、やがて寝室に引き取ったとき、私は彼の背中にズボン吊を認めた。そこで私には、この自由主義を説く俗物が、済度すべからざる町人であることがはっきり分った。

 不信心者で宗教侮蔑者を以て任じているZが、こっそりとお寺の本堂で聖像を拝んでいるところを誰かに見つかった。あとでみんなからさんざん冷やかされた。

 ある劇団の座長に四本煙突の巡洋艦という綽名がついている。もう四度も煙突をくぐった(身代限りをした)ので。

 彼は馬鹿ではない。長いこと熱心に勉強をしたし、大学にもはいっていた。だが書くものを見るとひどい間違いがある。

 ナーヂン伯爵夫人の養女は段々と倹約《しまり》屋になって行った。ひどく内気で、「いいえ」とか「はい」とかしか言えない。手はいつもぶるぶる顫えている。或るとき、やもめ暮らしの県会議長から縁談があって、彼のところへ嫁に行った。やっぱり「はい」と「いいえ」で、良人にびくびくするばかりで、少しも愛情が湧かなかった。或るとき良人がとても大きな咳をしたので、彼女は動顛して、死んでしまった。

 彼女が恋人に甘えて、「ねえ、鳶さん!」

 Perepentiev《ペレペンチェフ》君。

 戯曲。――あなた何か滑稽なことを仰しゃいな。だってもう二十年も一緒に暮らしてるのに、しょっちゅう真面目なお話ばかりなんですもの。あたし真面目なお話は厭々ですわ。

 料理女が法螺を吹く、「ワタチ女《チョ》学校へ行ったのよ(彼女は巻煙草をくわえている)……地球がまんまるな訳だって知ってるわよ。」

 「河船艀舟錨捜索引揚会社」。この会社の代表者が、何かの紀念祭には必ず現われて、N気取りのテーブル・スピーチをやる。そしてきっと食事をして行く。

 超神秘主義。

 僕が金持になったら、ひとつ後宮《ハレム》をこしらえて、裸のよく肥った女どもを入れとくね。尻っぺたを緑色の絵具でべたべた塗り立ててね。

 内気な青年がお客に来て、その晩は泊ることになった。不意に八十ほどの聾の婆さんが灌腸器を持ってはいって来て、彼に灌腸をかけた。彼はそれがこの家のしきたりかと思ったので、大人しくしていた。翌る朝になって、それは婆さんの間違いだと分った。

 姓。Verstak《ヴェルスターク》*.
*長い腰掛。

 人間(百姓)は愚かであればあるほど、その言うことが馬にわかる。

「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」(終了)

読書ざんまいよせい(049)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(017)
「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」から
付き】「可愛い女」「おでこの白い仔犬」雑感

 もとは、松下裕氏の訳書にあるので、孫引きになるが、阿刀田高氏が、「レーニンのある文章で、メンシェヴィキだったかの論敵を揶揄して、「チェーホフの『可愛い女』のように、支配勢力にすり寄ってゆくだろう」と書いている。自分の作品がこんなところで利用されるなんて、草葉の陰でチェーホフもびっくりしたことだろう。また、「可愛い女」=悪女説も根強かったのだろう。でも、昨今を考えれば、KM党首などは、そんな役割なんだと、ふと思いついた次第。

ここから
題材・断想・覚書・断片(01)

 ……何という馬鹿げたことだろう。第一、何という偽善だろう。相手をやりこめて、不愉快な思いをさせるのがその男の目的なら、何もグラノーフスキイ*なんかを持ち出す必要はないではないか。
 私は傷めつけられ散々に侮蔑された感情を抱いて、グリゴーリイ・イヴァーノヴィチの家を後にした。私は美辞麗句や、美辞麗句に隠れる連中に対する憤懣の念で、胸が一ぱいだった。家に帰る途々こう考えた。――或る者は社会を罵り、或る者は俗衆を罵る。過去を讃美し現代を非難して、理想がないなどと喚き立てる。だがそんなことは、二三十年前にもやはり言われたことではないか。それはもう役目を勤め上げて、廃れ物になりつつある紋切型ではないか。そして今日それを繰り返す者は、自分が若さを失って、時代に遅れつつあることを白状することになる。昨年の落葉の中に埋れる者は、昨年の落葉とともに朽ちるのだ。私は考えているうちに、こんな気もしはじめた――今や時勢におくれつつある無教養なわれわれ、喋ることは俗っぽく、考えつくことは陳腐なわれわれは、すっかり黴が生えているのではあるまいか。われわれがインテリ仲間同士で古びた襤褸の山を掻きまわしたり、昔ながらのロシヤ流儀で啀み合いをやったりしているひまに、われわれの周囲には何時の間にか、見も知らぬ別の生活が沸き立っているのではあるまいか。「睡り娘」みたいなわれわれに、やがて突如として大事件が襲いかかるだろう。その時になって諸君は、商人のシードロフだのエレツから出て来た郡立学校の教師だのという、われわれなどより眼も見え知識もひろい人間が、われわれを舞台のずっと後方へ追いやるのを見るだろう。何故なら彼等はわれわれ皆んなを束にしたより働きがあるからだ。また私は思った――私達が互いに啀み合いながら、瞬時も喋々することをやめない言論の自由を、いま突然与えられたとしたら、私達ははじめのうちはその使い途に困るに相違ない。折角のその自由を、互いのスパイ的行為だの財慾だのを新聞紙上で暴露し合うことに濫費するのが落ちではあるまいか。そしてわが国には人間らしい人間も、科学も、文学も、何から何まで一切ありはしないという怖るべき事実を、社会に向って立証するのが落ちではあるまいか。ところでこんな事実を突きつけて社会を慴えあがらせることは、われわれが現にやっていることだし今後もやることだろうが、みすみす社会の勇気を挫くことになるのだ。つまりわれわれは社会的意義も政治的意義も持っておらぬということをはっきり裏書きすることになるのだ。また私は考えた――新しい生活の曙光が射さぬうちに、われわれは縁起でもない老婆や老人になり果てて、その曙光から厭わしげに顔をそむけ、他に率先してその曙光を讒誣中傷するようになるであろう。……
*西欧派の有名な思想家。(一八一三―五五)

 ――ママはしょっちゅう貧乏話ばかりするんです。それがとても変なんです。なぜ変かっていうと、第一私達は貧乏で、乞食みたいに人様の情に縋っているくせに、結構な食事を頂いてますし、こうして大きな邸にいますし、夏には田舎の持村へ避暑をしますし、一向に貧乏人らしくないんですからね。きっとこれは貧乏じゃなくて、何かしら別の、もっと悪いものなんでしょうよ。第二に変なのは、もう十年このかたママは利払いのお金を工面するだけのことに精根涸らしているんです。あれだけの精力があるんなら、それを何かほかのことに使ったら、今じゃこんな家は二十軒ぐらい建っていはしないかと思いますね。第三に変なのは、私達の家の一番つらい仕事はママが背負っていて、私の肩にかからないことです。これが私には一ばん不思議で、気味のわるいことなんです。ママは、今しがたも自分で言ってましたが、ちゃんと考えがあると言うんで、そこらを頼み廻って肩身の狭い思いをしています。借金は日ましに殖えるばかりですが、私は今の今までママの手助けは何一つしないのです。それに、この私に何が出来ましょう。私はいくら考えて見ても、何にも分らないんです。私にはっきり分っていることは唯ひとつ、私達は坂道をぐんぐん降りて行くところだということだけです。先に何があるか――そんなこと誰が知るもんですか。今にも私達は貧乏のどん底に沈みそうだという話ですし、貧乏は恥辱だとかいうことも聞きますが、何しろまだ貧乏をしたことがないので、それも私には分らないんです。

 あの婦人たちの頭の中味は、その顔色や服装と同様に灰いろで色つやがない。彼女達が科学だの文学だの傾向だのといった話をするのは、彼女達が学者や文学者の妻なり姉妹なりだからに過ぎない。彼女達がもし警察署長か歯科医の妻なり姉妹だったら、きっと火事や歯の話を、同様の熱心さでするに相違ない。縁もゆかりもない科学の話を彼女達にさせて置いて、黙って聴いているのは、とりも直さずその無学に阿ることである。

 もともとそんなことは、みんながさつで愚劣なことなんです。詩的な恋愛なんて言ったって、山の上から無意識に落ちてきて人を圧し潰す雪崩みたいな、無意味なものに思えるんです。ところが音楽を聴いていると、そうした一切――つまり何処かの墓の下で睡っている人もあれば、命びろいをして、白髪婆さんになっていま劇場のボックスに収まってる女もある、といったようなことは、安らかで荘厳なことのような気がして、あの雪崩にしろもう無意味なものとは思えないんです、だって大自然の中には、何一つ意味のないものはないんですからね。そして一切は赦されるんです。赦さなけりゃ可笑しいんです。

 古くなって、そろそろ用をしなくなったソファや腰掛や寝椅子を、鄭寧に労わるオリヴ・イヴァーノヴナの様子は、老いぼれた犬や馬に対するときと同じだった。したがって彼女の部屋は、さながら家具の養老院とでもいった風な有様だった。鏡のまわりにも、どの卓子の上にも、どの飾棚の上にも、半ば忘れられた人々の一向に見栄えのしない写真が立ててあって、壁には今まで誰一人として眺めたことのない絵が掛けめぐらしてあった。青い笠をしたランプがたった一つともっているだけなので、部屋の中はいつも暗かった。

 君が「前へ」と叫ぶ時には、前へとはどっちのことなのか、必ずその方角を示し給え。もし方角を示さずに、この言葉で坊さんと革命家とを同時に焚きつけたら、彼等は全くちがった道を進むだろうことを認め給え。

 聖書のなかに、「師父たちよ、爾の子等が心を騒がすな」とあります。身持のわるい出来損いの子等にさえそうせよというのです。ところがうちの坊さんたちは僕をいじめるんです、ひどくいじめるんです。すると朋輩が、いいも悪いもなしにその真似をします。若僧がまたその真似をします。で私は、しょっちゅう結構な言葉で顔をぶたれています。

 叔母さんが心の苦しみを顔色に出さないのを見て、彼はまるで手品のようだと思った。

 O・Iはしょっちゅうそこらを歩き廻っている。ああした女というものは、蜜蜂と同じに、授精力のある花粉を撒いて歩くものである。……

 金持から嫁は貰うな――亭主の方が追い出される。貧乏人から嫁は貰うな――夜もろくろく眠られぬ。同じ貰うなら、自由きままなコサック気質の女を貰え。(ウクライナの諺)

 <ここから太字>アリョーシヤ<ここまで太字> よく世間の人がこう言いますね、「婚礼までが花なのさ。婚礼は――さらば夢よ幻よ! さ」なんて。一たい何という情味のないがさつな言い草でしょう!

 梭魚《かます》の跳ねる水音が好きなうちは、その人は詩人だ。あれは強者が弱者を追う音に他ならぬと知るならば、その人は思想家だ。さて彼が、この追跡にはどんな意味があるか、駆逐によって得られる平衡がなぜ必要なのかを覚らないならば、彼は再び子供の頃のように馬鹿で痴鈍になる。そして物を知れば知るほど、考えれば考えるほど、益〻馬鹿になる。

 <ここから太字>赤ん坊の死<ここまで太字>。やっとこれで一安心と思えば、忽ちまた運命の平手打ちさ!

 神経質で心配性で子煩悩の牝狼が、冬籠りの番人小屋で小犬の「額白《しろ》」を攫った。羊の仔と思い違えをしたのである。彼女はかねがね、そこには牝羊がいて、子どものあることを知っていた。「額白《しろ》」を攫って逃げ出すと、誰か不意に口笛を吹いた。彼女はあわてて小犬を口から取り落したが、小犬は後からついて来た。……無事に窩まで辿りついた。小犬は狼の仔たちと一緒に彼女の乳を吸うようになった。次の冬が近づいても小犬は殆んど変らなかった。ただ少し痩せて、脚が長くなって、額《ぶち》の白い斑がちょうど三角の形になった。牝狼はからだが弱かった。*
*これは短篇『額白《しろ》』(一八九五年)の一部分をかい摘んで述べたもの。

 『額白《しろ》』は、「おでこの白い仔犬」などの題名で、いくつか翻訳されているが、数は意外と少ない。チェーホフの数編ある「児童文学」の一つ。グリムと違って、オオカミもほほえましく描かれている。
そこで、原文(ロシア語)からの、機械翻訳を試みた。比較のために、「沼野充義訳チェーホフ短篇集 集英社」から冒頭部分の引用。

 腹ぺこの母さん狼がむっくりと起き上がりました。狩りに行こうというのです。狼の子供たちは全部で三匹、ひとかたまりになり、お互いに体を温めあって、ぐっすり眠っています。母さんは子供たちをぺろりとなめ回してから、出かけました。

以下、翻訳だが、多少のぎこちなさはあるが、意は通じるので掲載する。

ロシア語タイトル Белолобый(白い額)

お腹を空かせた雌オオカミは狩りに行くために立ち上がった。彼女の子オオカミは3匹とも、体を寄せ合って温め合いながらすやすやと眠っていた。彼女は子オオカミたちを舐めると、出発した。
すでに3月の春だったが、夜になると木々は12月のような寒さでひび割れ、舌を出すのもはばかられるほどだった。雌狼は体調が悪く、疑心暗鬼に陥っていた。ちょっとした物音に身震いし、誰かが自分なしで家の狼を傷つけないか、ずっと考えていた。人や馬の足跡、切り株、積み上げられた薪、そして暗い手入れされた道の匂いが彼女を怯えさせた。暗闇の木々の向こうに人がいて、森の向こうのどこかで犬が吠えているように彼女には思えた。
彼女はもう若くはなく、勘も鈍っていた。そのため、キツネの足跡を犬の足跡と間違えることもあったし、若い頃にはなかったことだが、勘に惑わされて道に迷うことさえあった。健康状態が悪かったため、以前のように子牛や大きな雄羊を狩ることはなくなり、仔馬を連れた馬にはすでに遠く及ばず、腐肉だけを食べていた。新鮮な肉を食べることはめったになく、春に野ウサギに出くわしたとき、子供を連れ去ったとき、子羊のいる納屋に入ったときだけだった。
彼女の巣穴から4メートルほど離れた、街道沿いに冬の家があった。イグナットは70歳くらいの老人で、咳をしながら独り言を言っていた。彼は整備工だったに違いない。停車する前にはいつも、「止まれ、車!」、そして発進する前には 「全開だ!」と叫んでいた。彼と一緒にいたのは、アラプカと名付けられた犬種不明の巨大な黒い犬だった。アラプカが遠くまで走っていくと、彼はアラプカに叫んだ: 「リバース!」。時々彼は歌いながら、激しくよろめき、しばしば転んで(雌狼は風のせいだと思った)叫んだ: 「レールから外れた!」
女狼は、夏と秋に雄羊と2匹のヤルカがウィンターハウスの近くで草を食んでいたことを思い出した。そして今、小屋に近づくにつれ、彼女はもう3月であり、時間から判断して馬小屋には子羊がいるに違いないと気づいた。空腹に苛まれながら、彼女はその子羊をどんなに貪欲に食べるだろうかと考えた。そのような考えが、彼女の歯をカチカチと鳴らし、暗闇の中で目を二つの光のように輝かせた。
イグナートの小屋、納屋、馬小屋、井戸は高い雪の塊に囲まれていた。静かだった。アラプカは納屋の下で寝ていたに違いない。
雌狼は雪渓を登って馬小屋に行き、前足とマズルで藁葺き屋根をかき集め始めた。藁は腐って緩んでいたため、雌狼はもう少しで落ちそうになった。突然、暖かい湯気と糞と羊乳の匂いに顔を打たれた。下界では寒さを感じたのか、子羊が小さく吠えた。穴の中に飛び込んだ雌狼は、前足と胸で柔らかくて暖かいものの上に倒れ込んだ。
彼女は力を振り絞って走り、同時にすでに狼の匂いを嗅ぎつけたアラプカが激しく吠え、小屋では不穏な鶏が鳴き、ポーチに出てきたイグナットが叫んだ:
– 全速力で!笛を吹け!
そして機械のように口笛を吹き、そして……ゴーゴーゴーゴーゴーゴー!……。そしてこの騒音はすべて、森のこだまとなって響き渡った。
少しずつ静まり、雌狼は少し落ち着くと、歯で掴んで雪の中を引きずっていた獲物が、この時期の子羊よりも重く、まるで硬いことに気づき始めた。雌狼は立ち止まり、荷を雪の上に置いて休み、食事を始めた。それは子羊ではなく子犬で、黒く、頭が大きく、足が高く、大型の犬種で、額にはアラプカと同じ白い斑点があった。その様子から察するに、ただの雑種である。アラプカは傷だらけの背中をなめると、何事もなかったかのように尻尾を振り、雌狼に向かって吠えた。彼女は犬のように唸り、彼から逃げ出した。狼は後を追った。彼女は振り返って歯を鳴らした。彼は困惑して立ち止まり、おそらく彼女が自分と遊んでくれていると思ったのだろう、マズルを小屋の方角に伸ばし、まるで母親のアラプカに自分と雌狼と一緒に遊ぼうと誘っているかのように楽しそうに吠えた。
すでに明るくなり、雌狼が鬱蒼としたアスペンの茂みの中を進むと、どのアスペンの木もはっきりと見え、すでにライチョウが目を覚まし、美しい雄鶏が子犬の不注意な跳躍や吠え声に邪魔されてよく鳴いていた。
「どうして私を追いかけてくるの?- と雌狼は腹立たしく思った。- 私に食べてもらいたいに違いない」。
3年前の大嵐のとき、背の高い老松が根こそぎ倒れて穴ができた。穴の底には古葉と苔が生え、骨や牛の角があり、子オオカミたちはそれで遊んでいた。子オオカミたちはすでに目を覚ましており、3匹ともよく似た姿で穴の縁に並んで立ち、尻尾を振って母オオカミの帰りを見つめていた。子犬は3匹を見つけると、少し離れたところで立ち止まり、長い間2匹を見ていた。
太陽はすでに夜が明けて昇り、辺り一面雪が光っていたが、彼はまだ遠くに立って吠え続けていた。仔犬たちは母犬に乳を飲ませ、前足で母犬の痩せた腹に押し込み、母犬は白く乾いた馬の骨をかじっていた。彼女は空腹で、犬の吠え声で頭が痛く、招かれざる客に突進して引き裂いてやりたかった。
とうとう子犬は疲れて声を荒げた。自分が恐れられておらず、注目すらされていないのを見て、彼は狼の子供に近づき、しゃがんだり飛び跳ねたりし始めた。さて、日中になると、彼を見るのは簡単だった……。目は小さく、青く、つぶらで、顔全体の表情は極めて愚かだった。子オオカミに近づくと、前足を大きく伸ばし、マズルを子オオカミの上に置いて、こう言った:
– ムニャ、ムニャ…」。ムニャ、ムニャ…」。
子オオカミたちは何も理解せず、尻尾を振った。それから子犬は前足で狼の子の大きな頭を叩いた。オオカミの子も前足で子犬の頭を殴った。子犬は狼の横に立ち、尻尾を振りながら横目で狼を見た。カラスたちは彼を追いかけ、彼は仰向けに倒れて足を上げた。3羽のカラスが彼に襲いかかり、歓喜の声を上げながら、痛くはないが冗談のように噛み始めた。カラスたちは高い松の木の上に座り、上から彼らの争いを見ていた。騒がしくなり、陽気になった。太陽はすでに春に燃えており、嵐で倒れた松の木の上を時々飛んでいたにわとりたちは、太陽のきらめきに照らされてエメラルド色に見えた。
そして今、子オオカミたちが氷の上で子犬を追いかけ、格闘しているのを見て、雌オオカミは思った:
「そして今、子オオカミが氷の上で子オオカミと追いかけっこをしたり、取っ組み合いをしたりするのを見て、雌オオカミはこう思った。
遊び終わると、子オオカミたちは穴に入って寝た。子犬は少しお腹を空かせ、それから太陽の下で伸びをした。そして目が覚めると、また遊び始めた。
雌狼は一日中、そして夕方になっても、昨夜馬小屋で子羊が鳴いていたこと、そしてそれが羊の乳のにおいがしたことを思い出していた。トカゲは乳を吸い、お腹を空かせた子犬は走り回り、雪の匂いを嗅いだ。
「私が食べよう…」。- 雌狼はそう決めた。
彼女は子犬に近づくと、子犬は彼女のマズルを舐めて鳴いた。以前は犬を食べたこともあったが、その子犬は犬の臭いが強く、弱っていた彼女はその臭いに耐えられなくなった。
日暮れには寒くなった。子犬は寂しくなって家に帰った。
子オオカミが眠りにつくと、雌オオカミは再び狩りに出かけた。前の晩と同じように、彼女はわずかな物音にも警戒し、切り株や薪、暗くて寂しいジュニパーの茂みにおびえた。彼女は道から離れ、氷の上を走った。突然、はるか前方の道路に何か暗いものが光った……。視覚と聴覚を研ぎ澄ますと、確かに何かが歩いている。アナグマだろうか?彼女は用心深く、わずかに呼吸を整え、すべてを脇に置いて、暗い場所を追い越し、振り返って見た。額の白い子犬が冬の家に戻ってきたのだ。
「もう二度と邪魔されたくない」と思った雌狼は、すぐに前へ走った。
しかし小屋はもう間近だった。彼女は再び雪の吹きだまりを登って馬小屋に向かった。昨日の穴はすでに春藁で埋まっており、屋根には新しい足跡が2本伸びていた。雌狼は足と口輪を素早く動かし、子犬が来るかどうか見回したが、温かい湯気と糞尿の臭いがしたかと思うと、後ろから湧き上がるような喜びの吠え声が聞こえた。子犬が戻ってきたのだ。子犬は屋根の上の雌狼に飛びつき、それから穴の中に入り、暖かさの中でくつろぎ、自分の羊を見つけると、さらに大きな声で吠えた……。アラプカは納屋の下で目を覚まし、狼の匂いを嗅ぎつけて吠え、鶏は鳴き、イグナートが単発銃を持ってポーチに現れたときには、怯えた雌狼はすでに小屋から遠く離れていた。
– フユット!- とイグナットが口笛を吹いた。- フユート!全速力で走れ
引き金を引くと銃は誤射し、もう一度引くとまた誤射し、三度目に引くと銃身から大きな火の束が飛び出し、耳をつんざくような「ブー!ブー!」という音がした。彼は肩に激痛を感じ、片手に銃、もう片方の手に斧を持ち、何の音か見に行った……。
しばらくして、彼は小屋に戻った。
– どうしたんだ?- その夜一緒に寝ていて、物音で目を覚ました旅人が、かすれた声で尋ねた。
– なんでもない – イグナートは答えた。- 何でもないよ。私たちのリスフットは、暖かいところで羊と一緒に寝ていたんだ。でも彼はドアの中じゃなくて、屋根の上で寝たいんだ。昨日の夜、屋根を解体して散歩に出かけたんだ。
– バカだ。
– そう、私の脳内の泉が破裂したのだ。死は愚か者を好まない!- イグナートは炊事場に登ってため息をついた。- まあ、まだ起きるには早いし、寝るか……」。
そして朝になると、イグナートはベロロボゴを呼び寄せ、耳のあたりを痛いほど引っ掻いた:
– ドアへ行け!ドアへ行け!ドアへ行け!ドアへ行け!」!

・参考】
ロシア語原文のサイト
・阿刀田高「チェーホフを楽しむために」 新潮社

読書ざんまいよせい(048)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(016)
付き]「ワーニカ」「ねむい」への感想

 ドストエフスキーやトルストイくらいまで、ロシア文学は、子どもを主要な登場人物とした文学作品はなかったように思う。チェーホフに、その子どもを正面にすえた短編(というより掌編)は二つある。「ワーニカ」と「ねむい」である。
 前者は、文字を習い始めた9才のワーニカが、田舎の祖父に手紙を書き始める。その紙にしろ、切手代にしろなけなしのお金をはたいたものだった。でも祖父の宛名がわからない。「むらのじいちゃんへ云々」としか書けない。それでも、その手紙を投函する。
 フリーの日本語訳は見当たらない。青空文庫に、鈴木三重吉の「てがみ」という訳が載っている。少し、シチュエーションを違え、かなりの意訳である、これも、三重吉らしいといえば、そうであるが、もとのチェーホフの作品が、抜群に良い。小説には書かれていないが、たとえ手紙が届いても、祖父がそれを読めるとは限らない。何しろその頃のロシアでは、9割くらいが「文盲」なのだから。それを言外にペーソスを交え、感じさせるところは、チェーホフの真骨頂なのだろう、
 後者は、筋書きはあまりにも有名である。(チェーホフに傾倒するイギリスの作家、マンスフィールドが、期せずして、ほぼ無意識に、自分の小説に取り入れたくらいである。ただ、チェーホフは、小説の締めくくりには苦労したようで、種々の草稿と、訂正を重ねて出版後したらしい。最後の一文を引用する(神西清訳)。

「…赤んぼを絞めころすと、彼女はいきなり床へねころがって、さあこれで寝られると、嬉しさのあまり笑いだし、一分後にはもう、死人のようにぐっすり寝ている。」

 彼女の「罪」に対して「死人のように」というのが、彼女への「罰」なのかもしれない。
青空文庫では、神西清訳がフリーで読み、利用できる。
 「ねむい」は作家チェーホフの「チェーホンテ」時代の最高の傑作だと思う。そして、この作品を最後にして、本名で作品を発表する、次の時代へ突き進んでゆく。

チェーホフの手帖(続き)

 彼は己れの卑劣さの高みから世界を見おろした。

 ――君の許嫁は美人だなあ!
 ――いやなに、僕の眼にはどんな女も同じことさ。

 彼は二十万円の富籤をつづけざまに二度抽き当てることを夢想していた。二十万ではどうも少ないような気がするので。

 Nは退職した四等官。田舎に住んで、齢は六十六である。教養があり、自由主義で、読書も好きなら議論も好きだ。彼は客の口から、新任の予審判事のZが片足にはスリッパを片足には長靴を穿いていることや、何とかいう婦人と内縁関係を結んでいることを聞き込む。Nは二六時ちゅうZのことを気にして、あの男は片足だけスリッパを穿いて、他人《ひと》の細君と関係しているそうですな、とのべつに彼の噂話をしている。そのことばかり喋っているうちに、挙句の果には奥さんの寝間へでかけて行くようにさえなる(八年この方なかったことである)。興奮しながら相変らずZの噂をしている。とうとう中気が出て、手足が利かなくなってしまう。みんな興奮の結果である。医者が来る。すると彼をつかまえてZの話をする。医者はZを知っていて、今ではZは両足とも長靴を穿いているし(足がよくなったので)、例の婦人とも結婚したと話す。

 あの世へ行ってから、この世の生活を振り返って「あれは美しい夢だった……」と思いたいものだ。

 地主のNが、家令Zの子供たち――大学生と十七になる娘――を眺めながらこう思う。「あのZの奴は俺の金を贓ねている。贓ねた金で贅沢な暮しをしている。この学生も娘もそれ位のことは知ってる筈だ。もしまだ知らずにいるのなら、自分たちがちゃんとした風をしていられるのは何故かということを、是非とも知って置くべきだ。」

 彼女は「妥協」という言葉が好きで、よくそれを使う。「私にはとても妥協は出来ませんわ。」……「平行六面体をした板」……。

 世襲名誉公民のオジャブーシキンは、自分の先祖が当然伯爵に叙せられるだけの権利のあったことを、人に納得させようといつも懸命である。

 ――この途にかけちゃ、あの男は犬を食った(通暁しているの意)ものですよ。
 ――まあ、まあ、そんなこと仰しゃっちゃ駄目よ。家のママとても好き嫌いがひどいの。

 ――私、これで三度目の良人《おっと》なのよ。……一番はじめのはイヴァン・マカールィチって名でしたの。……二番目はピョートル……ピョートル……忘れちゃったわ。

 作家グヴォーズヂコフは、自分が大そう有名で、わが名を知らぬ者はないと思っている。S市にやって来て、或る士官と出逢う。士官は彼の手を長いこと握りしめて、さも感激したように彼の顔に見入っている。Gは嬉しくなって、こちらも熱烈に手を握り返す。……やがて士官がこう訊ねる、「あなたの管絃楽団《オーケストラ》は如何ですか? たしかあなたは楽長をしておられましたね?」

 朝。――Nの口髭が紙で巻いてある。

 そこで彼は、自分がどこへ行っても――どんなところへ行っても、停車場の食堂へ行ってさえ尊敬され崇拝されてるような気がしたので、従っていつも微笑を浮べながら食事をした。

 鶏が歌っている。だが彼にはもはや、鶏が歌っているのではなくて、泣いているように聞える。

 一家団欒の席で、大学に行っている息子がJ・J・ルソオを朗読するのを聴きながら、家長のNが心に思う、「だが何と言っても、J・J・ルソオは頸っ玉に金牌をぶら下げちゃいなかったんだ。ところが俺にはこの通りあるわい。」

 Nが、大学に行っている自分の継子を連れて散々に飲み歩いた挙句、淫売宿へ行く。翌る朝、大学生は休暇が終ったので出発する。Nは送って行く。大学生が継父の不品行を咎めてお説教をやり出したので、口論になる。Nがいう、「俺は父親としてお前を呪うぞ。」「僕だってお父さんを呪います。」

 医者なら来て貰う。代診だと呼んで来る。

 N・N・Vは決して誰の意見にも賛成したことがない。――「左様、この天井が白いというのはまあいいとしてもですな、一たい白という色は、現在知られているところではスペクトルの七つの色から成るものです。そこでこの天井の場合でも、七つの色のうちの一つが明るすぎるか暗すぎるかして、きっかり白になってはいないという事も大いにあり得るわけです。私としては、この天井は白いという前に、ちょっと考えて見たいですな。」

 彼はまるで聖像みたいな身振りをする。

 ――君は恋をしていますね。
 ――ええ、まあ幾分。

 何事がもちあがっても彼は言う、「こりゃみんな坊主のせいだ。」

 Fyrzikov《フェルジーコフ》.

 Nの夢。外国旅行から帰って来る。ヴェルジボロヴォの税関で、抗弁これ努めたにも拘わらず、妻君に税をかけられる。

 その自由主義者が、上着なしで食事をして、やがて寝室に引き取ったとき、私は彼の背中にズボン吊を認めた。そこで私には、この自由主義を説く俗物が、済度すべからざる町人であることがはっきり分った。

 不信心者で宗教侮蔑者を以て任じているZが、こっそりとお寺の本堂で聖像を拝んでいるところを誰かに見つかった。あとでみんなからさんざん冷やかされた。

 ある劇団の座長に四本煙突の巡洋艦という綽名がついている。もう四度も煙突をくぐった(身代限りをした)ので。

 彼は馬鹿ではない。長いこと熱心に勉強をしたし、大学にもはいっていた。だが書くものを見るとひどい間違いがある。

 ナーヂン伯爵夫人の養女は段々と倹約《しまり》屋になって行った。ひどく内気で、「いいえ」とか「はい」とかしか言えない。手はいつもぶるぶる顫えている。或るとき、やもめ暮らしの県会議長から縁談があって、彼のところへ嫁に行った。やっぱり「はい」と「いいえ」で、良人にびくびくするばかりで、少しも愛情が湧かなかった。或るとき良人がとても大きな咳をしたので、彼女は動顛して、死んでしまった。

 彼女が恋人に甘えて、「ねえ、鳶さん!」

 Perepentiev《ペレペンチェフ》君。

 戯曲。――あなた何か滑稽なことを仰しゃいな。だってもう二十年も一緒に暮らしてるのに、しょっちゅう真面目なお話ばかりなんですもの。あたし真面目なお話は厭々ですわ。

 料理女が法螺を吹く、「ワタチ女《チョ》学校へ行ったのよ(彼女は巻煙草をくわえている)……地球がまんまるな訳だって知ってるわよ。」

 「河船艀舟錨捜索引揚会社」。この会社の代表者が、何かの紀念祭には必ず現われて、N気取りのテーブル・スピーチをやる。そしてきっと食事をして行く。

 超神秘主義。

 僕が金持になったら、ひとつ後宮《ハレム》をこしらえて、裸のよく肥った女どもを入れとくね。尻っぺたを緑色の絵具でべたべた塗り立ててね。

 内気な青年がお客に来て、その晩は泊ることになった。不意に八十ほどの聾の婆さんが灌腸器を持ってはいって来て、彼に灌腸をかけた。彼はそれがこの家のしきたりかと思ったので、大人しくしていた。翌る朝になって、それは婆さんの間違いだと分った。

 姓。Verstak《ヴェルスターク》*.
*長い腰掛。

 人間(百姓)は愚かであればあるほど、その言うことが馬にわかる。

[チェーホフの手帳終わり]

参考】
・沼野充義. チェーホフ 七分の絶望と三分の希望 講談社

読書ざんまいよせい(046)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(015)
付き]「犬を連れた奥さん」への短い感想

 双璧のもう一つの傑作「犬を連れた奥さん」は、最初、「狆《ちん》を連れた奥さん」とのタイトルだったそうだ。一言で言えば「不倫」がテーマである。物語そのものは。「犬を連れた奥さん」(青空文庫)をご覧いただく他ないが、印象に残ったシーンを一つ。彼女と別れてから、ある劇場で偶然再会する。その時の彼女の言葉、「Здравствуйте(ズドラーストヴィチェ) こんにちわ」に、当方は、とんと縁がないし、ありたいとも思わないが、しびれるほど感激した。

手帖(続き)

 窓ごしに、舁《かつ》がれてゆく亡者を見ながら、「お前は死んで、お墓へ運ばれて行く。ところで俺は、朝飯をやりに行くとするか。」

 チェック人 Vshichka《フシーチカ》.

 四十歳の男が二十二の女を娶った。彼女は最近の作家のものしか読まず、緑色のリボンをかけて、黄色い枕に埋《うず》まって寝る。自分の趣味に自信たっぷりで、自分の意見をまるで法律のように述べたてる。美人で、馬鹿じゃなく、おとなしい女だが、彼は離婚する。

 喉がかわく時には大海をも一飲みにする気でいる――これが信仰。いざ飲むとなるとせいぜいコップに二杯だ――これが科学。

 笑劇につかう人名。――Filjdekosov《フィルデコーソフ》.Popryguniev《ポプルイグーニエフ》*.
*「瓦斯糸」、「お跳ね」(男性)の意。

 以前には、主義主張あり、世の尊敬をかち得ることを好む立派な人物は、将軍や僧侶になったものだ。ところが今日では、作家や教授になる。……

 歴史によって神聖化されないものなんか、一つだってありはしない。

 Zevulia《ゼヴリーア》*夫人。
*Zev(あくび)から作る。

 いい子供でも泣く顔は見っともない。同様に、下手な詩の中に、作者の人間としてのよさを発見することがある。

 もし女にちやほやされたいなら、すべからく奇人であれ。夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている男を私は知っているが、その男は女に騒がれた。

 ヤルタに着いて見たら、どこもここも満員だった。イタリヤ・ホテルへ行って見たが、ひと部屋も明いていない。「僕の三十五号室は?」「ふさがっております。」何とかいう奥さんである。「御婦人と御同室ではいけますまいか。あちら様は一こう構わないと仰しゃいますが」とホテルの人が言う。そこでその部屋に落ちつく。会話。夕暮。韃靼人のガイドがはいって来る。私は耳も頭もがんがんして来る。私は椅子にかけたなりで、何にも見えず何にも聞こえない。……

 令嬢がぐちをこぼす。――「兄さんったら可哀相にサラリイがとても少ないのよ。――たった七千なんですって!」

 彼女がいう、「今じゃもう、一つことしか眼につかないわ。あんたの口の大きいこと! 大きな口! 何てまあ大きな口!」

 馬は有害無益な動物です。馬のために余計な地面まで耕します。馬は人間に筋肉労働の習慣を失くさせます。それのみか屡々贅沢品にもなります。馬は人間を惰弱にします。将来は馬なんぞ一匹もいなくなるがいいです!

 N君は声楽家である。誰に会っても口を利かない、喉はすっかりくるんである――声を大事にするのである。ところが誰一人ついぞ彼が歌うのを聞いた人はない。

 何事についても断乎として、「それが一体何になります! 何にもならんですよ!」

 夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている。それをこう説明する。――「頭が軽くなるんです。熱のため血が足の方へ下りますからね――考えがはっきりしますよ。」

 婦人が冗談にフョードル・イヴァーノヴィチと呼ばれる。

 笑劇。――Nが結婚の用意に、広告に出ていた軟膏を頭の禿に擦りこんだ。すると意外千万、頭に豚の剛毛が生えて来た。
 ――御主人は何をしておられますか?
 ――蓖麻子《ヒマシ》油《ゆ》をいただいてますわ。

 お嬢さんの手紙。――「すると私たちの家、堪らないほどあなたのお宅と近くなるわ。」

 Nはずっと前からZに恋している。ZはXに嫁ぐ。結婚後二年ほどしてZはNを訪れる。彼女は泣いて、何か話がある様子だ。てっきり夫の不平を言い出すのだとNは思って待ち構える。ところがZは、Kを恋していることを打ち明けに来たのだった。

 Nはモスクヴァの有名な弁護士。ZはNと同郷のタガンログ生れ。彼はモスクヴァに出て来ると、この名士に会いに行く。彼は大喜びで迎えられる。しかし彼は、その昔Nと一緒に通った中学を思い出し、Nの制服姿を思い出し、羨望のために心が平らかでない。そして、なあんだ住居《アパート》だって大して上等じゃないし、Nという人間にしてもお喋りで感服できんな、などと考える。やがて彼は、自分の抱いた羨望の念と自分の品性の下劣さのためすっかり白けた気持になって、Nの家を辞去する。自分がこれほど下劣な人間だろうとは、彼はその時まで夢にも思わなかった。

 戯曲の題――『蝙蝠』。

 老人に出来ないことは悉く、禁止されるか又は危険視されるのだ。

 彼はひどく老い込んでから、若い女と結婚した。すると彼女はみるみる衰えて、彼とともに弱って行った。

 一生涯、資本主義だの何百万だのと書いていた。そのくせ金のあった例しはなかった。

 奥さんが美男のお巡りさんに恋した。

 Nは非常に腕のいい、得がたいほどの仕立屋だった。ところが色んな詰らぬことのために害《そこ》なわれて、すっかり駄目になってしまった。ポケットの無い外套を作ったり、とても高い襟を付けたりした。

 笑劇。――荷物運送兼火災保険会社の代理人。

 上演できる脚本なら誰にだって書ける。

 田舎の領地。冬。病気のNが家に引籠っている。ある晩、何の前触れもなしに停車場から、Zという見知らぬ若い少女が橇を乗りつける。彼女は自己紹介をして、Nの看病にやって来たのだと述べる。Nは当惑する。薄気味が悪くなって断る。するとZは、とにかく今晩は泊めて貰いますという。一日たち二日たつが、彼女は出て行かない。彼女はとても我慢のならぬ性格の持主で、折角の閑居をめちゃめちゃにしてしまう。

 レストランの特別室。金持のZがナプキンを頸玉に結んで、鱘魚《ちょうざめ》をフォークでつつきながら呟く、「この世の名残に一口やるか。」――それがずっと以前から毎日のことである。

 ストリンドベリイや一般に文学に関するL・L・トルストイ*の考え方は、ルフマーノヴァ女史**にそっくりだ。
*リョフ・トルストイの息子。
**三流所の女流作家。

 デドロフ*は談たまたま副知事や知事のことに及ぶと、『ロシヤ文学百人集』に収められた『副知事の来着』を持ち出しなどして、浪漫主義者になってしまう。
*三流所の小説家。

 戯曲『生活の豆』。

 馬医者A、種馬階級の出身。

 ――うちのお父さんはスタニスラフ二等勲章*までみんな持ってましたわ。
*その下にはスタニスラフ三等勲章しかない。

 Konculijatsyja《コンスリャツイヤ》*.
*Konculitatsyja《コンスリタツイヤ》(立会診断)の言い誤り。「領事」に似て来る。

 陽《ひ》は輝いているけれど、私の胸のなかは暗い。

 S町でZという弁護士と知合いになった。美しきニカといった型の男である。……子供が沢山いるが、どの子に対しても教え導くような態度で接して、柔和で優しく、決して荒い言葉を使わない。間もなく私は、彼にはもう一つ別の家庭のあることを知った。やがて彼は娘の結婚式に私を招んで呉れた。彼はお祈りをして、ひれ伏さんばかりに頭を垂れてこう言う、「私にはまだ宗教心が残っているのです。私は信者なんです。」彼のいる席で教育問題や婦人問題が話題になると、彼は何の話か分りませんといった風な無邪気な顔をする。法廷で弁論をする時には哀願するような顔になる。

 ――お母さん、お客様の所へ出ないで頂戴な。あんまり肥ってらっしゃるんですもの。

 恋愛ですと? 恋をしたですと? とんと覚えがありませんわい! 私《わし》は八等官ですて。

 まだ母親の胎《はら》から出て来ない嬰児のように物を知らぬ男。

 Nのスパイ熱は、子供の時からよぼよぼ爺さんになるまで変らなかった。

 ――賢い言葉を使うことだな、万事はそれに尽きるですよ。――哲学……赤道……といった工合にね(戯曲に使うこと)。

 星たちはもうとっくの昔に消えてしまった。しかし俗衆には相変らず光って見える。

 学者になるかならない内から、もう名声を望むようになった。

 後見役《プロンプター》をしていた男が、厭気がさしてやめた。それから十五年ほど劇場へ足踏みもしなかった。やがて芝居見物に行って、感動のあまり涙を流し、侘しい気持になった。家に帰って、芝居は如何でしたかと妻君に訊かれると、彼はこう答えた、「虫が好かんね!」

 小間使のナージャが、油虫・南京虫の駆除夫に恋した。

 或る五等官が死んだ後で、彼が一ルーブルの日当で劇場の犬の声色方に傭われていたことが分った。貧乏だったのだ。

 君はちゃんとした、身装《みなり》の立派な子供たちを持たなくちゃならぬ。君の子供達もやはり立派な住居《すまい》と子供たちを持たなくちゃならぬ。そのまた子供たちも、やはり子供たちと立派な住居を持たなくちゃならぬ。一たい何のためにだって? ――誰が知るもんか。

 Perkaturin《ペルトトウーリン》.

 彼は毎日わざと嘔気をつける。――健康のためにいいという親友の忠告にしたがって。

 さる官吏が風変りな生活をはじめた。別荘にひどく高い煙突をつけ、緑色のズボンをはき、青いチョッキを着込み、犬の毛を染め、真夜中に正餐をとる。一週間すると降参してしまった。 成功は早くもこの男をぺろりと一舐めした。

 「Nは金に困ってるよ。」「何だって? 聞えなかったよ。」「Nが金に困ってるって言ったんだよ。」「一体そりゃ何のことかね? 僕にゃ分らないなあ。第一NってどのNだい?」「Zを妻君にしているあのNさ。」「成程、それがどうしたね?」「あの男を援助してやらなくちゃなるまいって言うんだよ。」「え? あの男って誰のことかね? なぜ援助してやるんだね? そりゃまたどういう意味かね?」等々。

 旅館の主人が差出した勘定書の中に、「南京虫十五銭」という項目。その説明。

 屋根を打つ雨の音を聴きながら、おまけに自分の家には厄介な退屈な人間はいないのだと意識しながら、家に引籠って居るのは何という愉しさだろう。

 Nはいつも、ヴォトカを五杯もひっかけた後ですら、必ずヴァレリアン・ドロップス(興奮剤)を嚥む。

 彼は女中と事実上の夫婦になっている。彼女はおそるおそる、彼を「殿様」とあがめる。

 私はある田荘を借りて避暑した。持主は大そう肥った老婦人だった。彼女は離れに住んで、私は母家に住んでいた。彼女は夫に死別し、子供達にも皆死なれて、一人ぽっちで、ひどく肥満していた。領地は借金の始末に売りに出ていて、備えつけの家具調度の類は古めかしい、趣きの深いものだった。彼女はしょっちゅう、自分に宛てられた亡夫や息子の古手紙を読んでいた。それでいて彼女は楽天家だった。私の家の者が病気になると、彼女は微笑みながら「ねえ貴方、神様のお助けがありますわよ」と慰めるのだった。

 NとZとは女学校の仲好しで、二人とも十七八の年頃である。不意にNは、Zが彼女の父親N氏のために身重になったことを知る。

 牧師チャマが参られた。……チン聖《チェイ》な。……神よ、チュク福《ブク》あれ。……

 女権拡張についてのお談義のなんと空疎な響きを立てることよ!

 もしも犬が名文を書いたら、彼等は犬をさえ認め兼ねない。

 喀血。――なあに膿腫《おでき》が破れたのさ。……何でもないさ、まあもう一杯やんなさい。

 インテリゲンツィヤは無用の長物だ。何故というに、お茶をがぶがぶ飲んで、やたらに喋り立てて、部屋じゅう濛々たる煙草の煙、林立する空瓶……。

 まだ娘の頃にユダヤ人の医者と駈落をして、女の児を生んだ。今では自分の過去が厭わしい、赤毛の娘が厭わしい。しかし父親は相変らず彼女も娘も愛していて、丸々と肥ったきれいな顔をして窓の下を歩いている。

 楊枝を使って、またそれを楊枝入れに差した。

 夫婦ともよく眠れないので、つい話に身がはいってしまった。文芸が衰えたという話から、雑誌を出したらさぞよかろうという話になる。二人ともこの思いつきに夢中になった。やがて横になって、暫く言葉がとだえた。「ボボルィキンに書いて貰うかね?」と彼が訊いた。「無論ですわ、書いて貰いなさいよ。」朝の五時に彼は車庫へ勤めに出る。彼女は雪の中を門まで送って行って、彼の出たあとを閉める。「ええと、ポターペンコにも書いて貰うかね?」と、木戸の外から彼が訊く。

 アレクセイは父親が貴族に列せられたと知ると、さっそく署名をアレクシイに改めた。

 教師曰く、「『人畜の犠牲を伴える列車の顛覆』というのはいけません。『その結果として人畜の犠牲を生じたる列車の顛覆』としなくてはいけません。」……「参集したる客に基づき」……

 戯曲の題『金色の雨』。

 われわれ無常の人間の物差しは一つとして、非有や人間以外のものを測る用には立たぬ。 愛国者曰く、「ですがね、わがロシヤのマカロニはイタリヤのより上等ですよ! 論より証拠ですて! いつぞやニースで鱘魚《ちょうざめ》料理を出された時にゃ、思わず泣きたくなったですよ!」そしてこの愛国者は、自分が胃の腑だけの愛国者であることに気がつかなかった。

 不平家曰く、「一たい七面鳥は食べ物でしょうか? 一たい筋子《イクラ》は食べ物でしょうか?」

 大そう聡明な、学問のあるお嬢さん。彼女が海水浴をしているとき、その狭い骨盤や、痩せ細った貧弱な腿を見て、彼は彼女が嫌いになった。

 時計。錠前屋のエゴールの時計は、まるでわざとのように意地悪く遅れたり進んだりする。いま十二時を指したかと思うと忽ち八時を指す。中に悪魔でも棲んでいそうな意地の悪さである。錠前屋は原因をつかもうと思って、あるとき時計を聖水に漬けて見た。……

 昔の小説の主人公(ペチョーリン、オネーギン)は二十歳だった。だが今日では三十から三十五歳よりも若い主人公は使えない。やがて女主人公の方もそうなるだろう。

 Nの父親は有名な人だった。彼も立派な人間なのだが、何をやっても皆がこう言う、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」或るとき彼は芸術の夕べに出演して朗読をやった。ほかの連中はみんな好評だったが、彼だけはこう言われた、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」家に帰って床に就くと、彼は父親の肖像を睨みつけて拳骨を振り廻した。

 われわれは子孫を幸福にするため生活の改善に腐心する。しかし子孫は相変らずこう言うに違いない、「昔は今よりよかったなあ。今の暮らしは昔より悪くなったよ。」

 わが座右銘。――私はなんにも要らない。

 今日では、きちんとした勤勉な人が自分や自分の仕事を批判的な眼で眺めると、世間からやれ愚痴っぽい男だとか、のらくら者だとか、厭世家だとか言われる。ところがぶらぶらしているいかさま師が仕事をしなけりゃならんと叫ぶと、世間の人は喝采する。

 女が男の真似をして破壊をすると、人々はこれを自然と見、よく理解する。女が男の真似をして創造を企てたり試みたりすると、人々はこれを不自然と見、怪しからんと言う。

 僕は結婚すると婆さんになりました。

読書ざんまいよせい(042)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(014)
付き]レフ・トルストイ「可愛い女」あとがき

 チェーホフの小説の中で、少し「成熟」した女性を描いた作品の双璧は、「犬を連れた奥さん」(青空文庫)と「可愛い女」(青空文庫)だろう。もっとも、こうしたシチュエーションは、幸か不幸か、わが人生において経験したことはないが…
 「可愛い女」は、それぞれ相手によって、自らの信条・趣味を簡単に取り替える女性。チェーホフがこの主人公を肯定的にみているのか、否定的に批判しているのかは、難しいところである。
 トルストイは、この小説を絶賛した。以下、レフ・トルストイ「可愛い女」あとがき(工藤精一郎訳)からの抜粋。


 作者は、明らかに、彼の考察によれば(しかしそれは心情によるものではない)みじめな存在である「可愛いさ、つまり芝居小屋をもつクーキンの心労を分けあったり、材木商の利害に頭を悩ましたり、獣医の考えをそのまま自分の考えとして、家畜の結核とのたたかいを人生のもっとも重大なことと考えてみたり、果ては、大きすぎる学帽をかふった中学生の勉強の問題や世話にすっかり呑みつくされてしまつたりする女を、嘲笑しようと思ったのである。
 彼は、バラム〈旧約聖書「民数記」に登場する詩人〉のように、呪うつもりであったが、詩の神がそれを彼に禁じ、祝福することを命じた、だから彼は祝福し、無意識にこのやさしい女を実にすばらしい光でつつんでやった。だからこの女は、自分も幸福になり、運命によって結びつけられた者を幸福にしてやるために、女があらねばならぬ姿の手本として、永遠にのこることになったのである。

 彼は、バラム〈旧約聖書「民数記」に登場する詩人〉のように、呪うつもりであったが、詩の神がそれを彼に禁じ、祝福することを命じた、だから彼は祝福し、無意識にこのやさしい女を実にすばらしい光でつつんでやった。だからこの女は、自分も幸福になり、運命によって結びつけられた者を幸福にしてやるために、女があらねばならぬ姿の手本として、永遠にのこることになったのである。
 この物語は、それが無意識のうちに生まれたために、このように美しいのである。
 私は師団の査閲が行われる練兵場で自転車の稽古をしたことがあった。練兵場の向う隅で一人の婦人がやはり自転車の稽古をしていた。私は、その婦人の邪魔にならないようにと考えて、婦人の方を見まもりはじめた。そして、そちらに注意をうばわれていると、かえってしだいにそちらへ近づいて行った、そして、婦人が危いと気がついて、急いで遠ざかろうとしたのに、私はぶつかって、婦人を転がしてしまった。つまり、望んでいたこととまるで反対のことをしてしまったわけだが、これもひとえに婦人にあまりに注意を向けすぎためである。
 チェーホフの場合も、これと同じことが、丁度逆に作用しと。彼は可愛い女を転がそうと思って、詩人の注意に集中しすぎて、逆に彼女を抱き上げてしまったのである。

手帖(続き)

 だがそうした細かしいいきさつは、殆んどわれわれの耳には舞い込まなかった。(Lolo)

 Sの論理。――私は他宗寛容には賛成ですが、他宗許容には反対です。厳格な意味で正教的でないものは、許容するわけには行きません。

 聖ピオニヤ及びエピマーハ、三月十一日。聖プープリヤ、三月十三日。

 詩や小説戯曲の類いは、現に入用なものを含むわけではなくて、希求されるものを含むのである。しかもそれは大衆を遥かに抜くものではなくて、たかだか大衆の最良分子が希求するものを表現するにとどまる。

 頗る用心ぶかい小紳士。賀状までも書留にして、配達証明つきで出す。

 ロシヤは曠大なる平原にして、猛漢ひとり飄々乎として疾走す。

 Platonida《プラートニダ》 Ivanovna《イヴァーノヴナ》.

 もしも君の政治思想さえ堅実ならば、以て理想的市民たるに充分である。同様のことが自由主義者についても言い得る。即ちもしその思想が堅実味を欠くならば、他の点はすべて顧慮される余地はないのだ。

 人間の眼は、失敗のときにはじめて開くものだ。

 Ziuzikov《ジュージコフ》*君。
*飲んだくれの意。

 五等官、尊敬すべき人物。ところが不意に、その彼がひそかに女郎屋を経営していることが暴露する。

 Nが非常にすぐれた戯曲を書いた。ところが誰ひとり褒めて呉れない、喜んで呉れない。そして口々に言う、「今度の御作を拝見しましょう。」

 稍々身分の高い人々は正面玄関から通った。稍々身分の低い人々は裏口からはいった。

 私の町に、キシミーシ(乾葡萄)という苗字の紳士がいましたがね。自分じゃキーシミシと言っていましたけど、なあに本当はキシミーシだと言うことは皆んなちゃんと知っていましたよ。

 彼女(ちょっと考えて)何て厭らしいんでしょう……。せめてイジューム(乾葡萄)とでも言うんならまだしも、キシミーシだなんて。

 姓。――Blagovospitannyj《ブラゴースピタヌイ》*.
*躾のよい。

 最も尊敬するIv.Iv.よ。*
*手紙の前書きに、余計な「最も」をつけた代りに相手の名イヴァン イヴァーノヴィチを略称した。

 幸運に恵まれた、何でもとんとん拍子に成功する人間は、時として何と鼻持のならぬことだ!

 NがZと関係しているという噂が人の口にのぼりだすと、どうしてもNとZの仲を結びつけずには措かないような空気が、次第次第に醸成されて行くものだ。

 まだ蝗がいた時分、私は蝗撲滅論を書いて一世を狂喜させ、名声と富とを擅《ほしいま》まにしたものです。ところが蝗がもう久しく跡を絶って、世間に忘れられてしまった今日、私は民衆の間に埋もれて、忘れられた無用の人間になってしまいました。

 快活に浮き浮きした調子で、「では御紹介しましょう、こちらはイヴァン・イヴァーヌィチ・イズゴーエフ君、家内の恋人です。」

 その荘園には到るところに立札が立っている。――「無用の者入るべからず」「花を踏むべからず」等々。

 領地には立派な図書館があって、主人の自慢の種になっているが、全く利用されてはいない。出して呉れるコーヒーは水っぽくって、とても飲めたものじゃない。庭は不趣味な造りで、一輪の花もない。――総べてこうしたことを、何かトルストイ的だと心得ている。

 イプセンを研究しようとスエーデン語を習った。そのために非常な時間と労力を費した。ところが急に、イプセンは大した作家でないことが分った。さて折角のスエーデン語をどうしたものかと途方に暮れた。*
*このスエーデン語というのはどういう意味だか分らない。勿論イプセンの書いたのはノールウェイ語である。

 Nは南京虫の駆除を商売にして、それで生計を立てている。文芸作品に対するときも、自分の職業的観点からする。……もし『コサック』に南京虫のことが書いてなければ、つまり『コサック』は駄作である。

 人間が信ずるもの、即ち存在す。

 聡明な少女。――「私、心にもない真似なんか出来ないわ……」「私、嘘なんか一ぺんもつかないわ……」「私ちゃんと主義があるのよ……」二六時ちゅう私、私、私……。

 Nが女優(あるいは歌姫)をしている妻に腹を立てて、彼女の芸を貶した劇評をこっそりと新聞に出す。

 或る貴族の自慢。――「私のこの邸はドミートリ・ドンスコイ時代*の造営でしてな。」
*十四世紀。

 ――あの治安判事さんったら、あたしの犬をひどい呼び方をしましたのよ、「こら、畜生っ!」だなんて。

 雪が降った。けれど、地面が血に染んでいるので積らなかった。

 彼は遺産を残らず慈善事業に寄附したので、親類や子供たちの手には何一つ渡らなかった。彼等が大嫌いだったのである。

 大そう惚れっぽい男。お嬢さんと知合いになるが早いか、もう山羊になってしまう。

 貴族 Drekoliev《ドレコーリェフ》*.
*棒材。

 俺の記念碑の除幕式に侍従連中が参列するのかと思うと、ぞっとするなあ。

 合理主義者ではあったが、罪深い男だったので、教会の鐘の鳴るのが好きだった。

 父親は有名な将軍、邸には数々の名画、高価な家具調度。父親が死んだ。娘たちは教育はあるのだが、自堕落な身装《みなり》をして、碌に本も読まず、馬を乗廻して、退屈がっている。

 正直な人たちだから、必要のないかぎり嘘はつかぬ。

 金持の商人が、うちの便所にシャワーを付けたいと思う。

 朝はやくからオクローシカ*を食べた。
*クヴァスで作る肉入りスープ。

 「この護符《おまもり》を失くすと死にますよ」とお祖母さんが言いました。ところが急に見えなくなったので、長いこと苦に病みました、死ぬかと思ってびくびくしました。ところがあなた、どうでしょう、奇蹟があらわれたんです――その護符が見つかって、私は生き存えることになったんです。

 誰もかもが、私の芝居を観て即座に何か教わろう、何かしら利益を汲みとろうと思って、劇場へ押しかけます。しかしお断りして置きますがね、私にはそんなやくざ者のお相手をしている暇はないのです。

 すべて新しいもの、利益《ため》になるものを、民衆は憎悪し軽蔑する。コレラが流行したとき、民衆は医者を目の敵にして打ち殺した。その一方、民衆はヴォトカを愛飲する。民衆の愛憎を標準にして、その愛し或いは憎むものの価値を判断することが出来る。

参考】
・特集「ユリイカ」 特集・チェーホフ 1988年6月号
・文芸読本「チェーホフ」 1989年8月

日本人と漢詩(112)

◎三上於菟吉とチェーホフと李群玉

 またもや、脱線!三上於菟吉は、「雪之丞変化」が代表作の大正から昭和にかけての大衆小説作家。彼に、こんな「チェーホフ論」があったのは、意外である。その中で、一首、晩唐・李群玉の詩を引く。

水蝶嚴峰倶不知 水蝶《すいちょう》 厳峰《げんぽう》 倶《とも》に知らず
露紅凝艷散千枝 露紅《ろこう》 艶《つや》を凝《こら》し 千枝《せんし》に散ず
山深春晚無人賞 山深く春晩《しゅんばん》人 賞《め》ずるなし
卽是杜鵑催落時 即ち是れ 杜鵑《とけん》催落《さいらく》の時

 水面をとぶ蝶々と険しい山は互いに気づいていない。露のような赤い花は艶っぽく美しく、千の枝に散りばめられている。山奥の春の美しさを理解する者は誰もいない。ホトトギスでさえ、それを終わらせるよう促しさえずっている。

くらいの意味か?起句の、「水蝶嚴峰倶不知」が、なんとも言えずよい。

 比較的マイナーな詩人を引用するところから、三上於菟吉は結構な素養があったのだろう。険しい山を平原の向こうに見える丘陵に変え、鳥の種類を違ったものにするという条件つきで、チェーホフの小説に出てきそうなシチュエーションではある。
 「小論」全体も、チェーホフの深読みになっており、昨今の評論家を抜きん出てなかなか秀逸である。たとえば、当方の好きな小説「いいなずけ」を論じて、

彼女の智慧を啓くものが首都の大学に、彼女を待つことを囁やく。生活の暁に立つて未知に戦のくナーヂヤは、智慧にあこがれて、病青年の啓示のままに許婚者を捨てて――一切の田舎町の平和と愛を、古いしつとりとした邸宅や、教会堂や、祖母や、母親をも捨てて大都会の渦の中へ飛び込むために家出をする。やがて病める者は死に、彼女の智慧は大学でも、さう急には啓いてくれないのがわかる。けれどもチエホフは、それを青年やうら若い処女の軽はずみとして責めはしない。チエホフは彼女の未来を見捨てない。これが若し他の作家でもあれば、青春者の「都会病」や「智識熱」の方を責めて、彼等に捨て去られるために荒廃する田舎町や、田舎人の生活を歎くだらう。さうした感傷性に堕ちないところにチエホフの面目がある。

が一例だろう。

 ライセンス的には、フリーなので、その全文を掲げる。

三上於菟吉・チエホフ小論

自叙伝――気禀の高かさ――アンドレーフとの比較――ゾラのナチユラリズム挽歌――真人――ビヨルネや及びドストエフスキーの憎悪心――チエホフの強さ――彼のニイチエ観――未来への信仰――トルストイの堂々ぶりと彼――インテリゲンチヤの克服――智慧――憎みは愛に死は生に――真理への先導――基督者チエホフ――チエホフの世界征服

 私の手許にあるチヤツトオ・ウインダス版「チエホフ書簡集」は千八百九拾余通といふ豊富な量をおさめてゐる露西亜原本から、百六十余通を摘訳したものに過ぎないが、しかし英訳者コンスタンズ・ガーネツトの巧妙な按排は分量の貧しさを優に補つて、チエホフ研究者のために少なからぬ便宜を与へてゐる。その書簡編の二九五頁、チホノフ氏に寄せた一節にかうある。
 ――僕はタガンログに一八六〇年に生れた。一八七九乍タガンログ高等学校を卒へ、一八八四年モスクワ大学医科を得業した。プウシユキン賞を受けたのは一八八八年だつた。一八九〇年に樺太へ旅行した。往きはシベリヤ通過、帰りは海路。一八九一年ヨーロツパ巡歴を試みて素ばらしい葡萄酒を飲み蠣を食つた。一八九二年にはV・A・チホノフの名付日の集りで鯨飲した。(これはこの書簡がチホノフ家の集りのすぐあとで、チホノフその人に宛てたものなので、チエホフ一流の気軽なユーモアを弄したのだ)――物を書きはじめたのは一八七九年、作品の集は「いろいろな話」「暮明の中に」「物語集」「気六かしき人々」それから長篇「決闘」だ。僕は又穏当なやり口でではあるが戯曲方面へも罪を作つた。独逸語には随分以前翻訳されたけれども、西欧には幾分除外例もある。チエツクやセルビアも亦僕を閑却せなんだ。フランスも無頓着ではない。恋の不可思議さをば十三歳で会得した。学校でも、医者どもの中でも、文学者の中でもみんなと親密につき合つた。僕は独身ものだ。(まだ此の時は有名なクニツペル夫人と結婚してはゐなかつた。――於菟吉)僕は恩給がほしい。僕は医業に自ら当つた。夏分にはときどき死体解剖もしたが此の二三年はしない。文学者ではトルストイ、医者ではザハアリンが好きだ。だが、みんなノンセンスだ。君のいいやうに書いて置いてくれ給へ。抒情詩的に事実を捏ち上げない限りは。――

 一八九二年二月廿二日モスクワで書かれたこの書簡の一節は、何といふ明るさと、正直さで彼自身の過去を語つてゐることだらう。この明るさと正直さとこそは、チエホフの最大特徴で、そして同時に彼を他の多くの文学者から隔絶させ、何の見せかけや、気取りや、声高くひびくひろめ屋の喇叭をも用ひずに、しかも小さいぺン先から流れた文字で、世界億兆に彼の魂を伝へた原動力だ。世にいくばくの良いもの、すぐれたもの、すばらしいものがあらうとも、最も良い、最もすぐれた、最もすばらしいものは「純」だ。みがきのかゝつた「素直さ」だ。智慧のプリズムを通した温い「明るさ」だ。これを同時代の作家アンドレーフ氏に比較して見給へ。同じ短かい自伝を書くにしても、アンドレーフはいつもの業々しい気取方や、見せかけや、ひろめ屋の喇叭を忘れはせぬ。(十数年前早稲田文学に昇曙夢氏が訳された「露西亜文学者自伝」を思ひ出されたし)こんな傾向の作家が常用する――大作家すらも折々慣用する思念、表現両方面のコケ嚇的手段は、なる程一時公衆を驚倒させ、魅惑させるに充分だ。彼等をして静かで、素直で、愛しはするが媚びはせぬ作家を忘れさせるに充分だ。けれども公衆が酣酔と、眩惑とから恢復した時、それは二日酔の青年が、ゆふべの悪酒の盃を思ひ出した刹那に感じるやうないまはしい後味を覚えさせるに過ぎぬ――此の場合もしいつまでも悪い陶酔が忘れられずに、もつともつと囚はれたがり、溺れたがつてゐるものがあるとすれば、それは救はれないヂレツタンチズムに堕した、憐れむべく古めかしい世紀末児の亜流に過ぎないと言はれても仕方がない、だが、正しい鑑賞力の持主たちや、芸術品から生活の尽きざる源を汲むことをよろこぶ人たちは、たとひ一度は腐つた美や、怪奇な幻影に惑はされたとしてもすぐに自分に帰つて、自分が真に求めてゐるものは、鬼面し、粉飾した作品からは到底与へられないことに気がつき、純粋で気高い――しかし、温かく素直な魂から生れたほんものの芸術を探さうとする。同時に芸術といふものが、傾向や趣味に生命点をおかず、永遠な人間性の発露に於いて「不朽」を主張する理由があるのを理解する。そしてかくの如き人々が、つまり人間らしい心で、不朽な芸術品を絶えず求める人達が、ごく手近なところにアントン・P・チエホフを持つことのいかに幸福であることよ!
 事実われわれの知る限りに於いて、チエホフ程はつきりした目で、人生を直観し得た人間は見当らぬ。されど彼自身「自分は製作に当つて殆んど無意識に筆を進めるが」しかし「文学は能ふだけ実在そのまゝに描く術である。何よりも肝心なのは絶対の真実と正直とだ」と公言して、此手段によつてのみ隠された「真珠」を此の世界に掘り出して見せることが出来ると語つてゐる。この言葉は時代はづれのナチユラリストの慣用句に似てゐると思ふものもあるかも知れない。だが、ナチユラリズムは、チエホフ以前にすでにあのゾラにさへ――ルゴン・マツカールの大作家にさへ見捨られてゐた。一八八八年彼は宣言した――「疑ひなく新らしい哲学が新らしい文学を生むのだ。ナチユラリズムはもう古い月界に居を占めた」そして三四年して、「未来は……諸理論から脱却してもつと打ち解けて人生を受け容れることを承認する者、又は者達に属するであらう。私はより広い、より複雑な描写を、人道へのより大きな門戸を信じるものである――そして私に仮すに時を持つてすれば、私自身がそれをする。彼等が叙するところを私がしてのけて見せる」と付け足した。この言葉の中には豪雄無双ないつものゾラがのぞいてゐて私達を微笑せしめるが、兎に角ゾラをしてさへもう前期のものだと叫ばせたナチユラリズムは、チエホフの胸からは過ぎ去つてゐた。チエホフこそは「諸理論から脱却してもつと打ち解けて人生を受け容れた」人間だつた。そして、そのやうに自由に、しかし正しく人生を受け容れることの可能力を持つた人間が此の世界に幾人あり得たか? 此の複雑な人生の、神を信ずる者を、不信者を、耶蘇を、悪魔を、醜くき実在を、華大なる夢想を、恋を、貪欲を「都の生活を、百姓の一生を――さうしたすべての現象を真正面から直視して、何物にも捉へられずにその現象全体を認識し、しかも弱々しい悲哀にも、荒々しい憤怒にも我々を忘れずに、新らしい生の信仰――より誠実で、より自由で、あらゆる点でより精神的な世界の到来に対する信仰を抱きつづける可能力を持つ魂がさうザラにあるものではない。この魂を抱き得る人間こそ自由主義者《リベラリズム》と呼ばれる事をすら厭ふほんものの人間――古来の宗教家や、神学者が夢想したやうな「神の創り給うた」人と呼ばれるに値する第一級の人物だ。玲瓏として曇りのない、そして絶えず一脈の温味を湛へてゐる胸は、人生の欺きや、偽りと憎みとを静かに乗り超えて、憤るべきもの憎むべきものの依つて生ずる人間生活の汚濁を、彼はみづからの手で澄まさせてやり拭ひ取つてやらうとする――チエホフの「真珠を掘り出す」といふ言葉には、此の意味が含まれてゐはすまいか? この博くやさしい気持こそ、チエホフをして徐々としかも確実に――この英吉利人の言ひふるした言葉を私はあまり好まぬ。随分プホザイクで金儲専門の商業に似てゐるが――文学世界を征服させつつある魅力の源泉だ。一切の荒々しさや、悪どさや、猛々しさは畢竟するにその持主の叡智の不足か、もしくは気禀の狭浅を示してゐる。私は折々憤怒し易く、憎悪し易い性質の天才をも尊敬する。たとへばゲーテを一生憎み通した同じフランクフオルト生れのビヨルネの「巴里からの書簡」またはその中で、ツルゲーネフを小酷くやつつけてあるドストエフスキーの「悪霊」をも、どうして重んぜずにゐられるだらう。だが、怒りに燃えた場合のビヨルネや、猜疑に昂奮した場合のドストエフスキーは、われわれを――小さく、貧しく、恒に此の人生に面していぢけてゐるわれわれを抱いてもくれず、富ましてもくれず、また希望に充たさせてもくれない。寧ろ偉大な人格の憤怒の姿は、却つてわわわれをいぢけさせ、貧しくさせ、せせこましい排他的気分にさへ誘つてしまふことがある。私はドストエフスキーを、偉いなる人間であるとは信じてゐるが、しかもその作品が全部人間の未来に約束されてゐると感じることが出来ないのを悲しむ。それに引かへて、チエホフの全製作は、十が十まで、五が五まで、それがいかに小さい分量のものでも、五枚しかないものでも、測るべからざる人間の深さと、美しさとを、われわれに暗示せぬものはない。ある人達はチエホフの静かさを弱さと誤解し、量の少なさを質の貧しさと誤認し、正確な、たぐひない美しさを、デコデコでないから、悪どくないからの故を以つて無魅惑なりとしてゐる。禍ひなる哉! 強い弱いで言へば彼なぞこそ無比の強人である。無比の強人であればこそ、彼はひとりであることすら歎きもせず、怖れもしなかつた。彼は次兄ニコラーイ――絵描きになりつつあつたニコラーイに若き時語つてゐる。「あなたは始終公衆が自分を理解しないと言つて私に訴へる。ゲーテやニユートンは訴へなかつたではないか。キリストだけは訴へたが、しかし自分を理解しないからと言つてではなく、信条を理解しないのを歎いたのだ。公衆はあなたを十分理解しますよ。もしあなたが、あなた自身を理解しないのなら、それは彼等のあやまりではない」この毅然としてしかも物静かな覚悟は、寧ろ東洋的なものを含んでゐる。私はよく曠野に旅して、雑木の中に朗らかな花を見せた花木を眺めると晩唐李群玉の詩を思ひ出す――それは、水蝶厳峰倶不知、露紅凝艶散千枝、山深春晩無人賞、即是杜鵑催落時といふのであつたが、この詩から東洋風高人の姿を充分に彷彿させることが出来、此の種の心意気を真人の至極境として尊敬するのである。さればこそ、チエホフは一切の強調された主張に対しては静かに微笑した。「私は汽車や汽船の中で、ニイチエのやうな哲学者と出逢ひ、そして一夜を語り明かしたいものだと思ふ。だが、あの人の哲学は永持ちのしないものらしいです。あれは納得の行くものといふより、華やかな見ものだ」といふ意味の言葉を、アヴイロフ夫人に対して語つてゐる。チエホフの穏かな唇は決して嘲笑は浮べない――しかし、やさしく微笑む。恐らく彼が若し昂奮した天才と――ニイチエに限らず――出逢つたなら、とつくりと相手の熱烈な言葉に耳を傾けたあとで、「お疲れにならぬやうに――その立派なお考へが御自分の胸の劫火の火炉の中で、おのづと焼け亡びてしまはないやうに――」と心の中に無限のいたはしみを以つて撫でさすつたであらう! そして天才ならぬ凡人の労役と、生苦とに悩やむものに対しては――「ああ、さぞ辛いでせうね、人生は苦しいものです――だが、私達の此の苦しみ、それは決して無効なものではない。私達が汗水を流して植えた一本の木は――椎木の林はあの禿山を豊かに飾るでせう」とやはり無限のいたはしみを以つて慰さめ励ましたであらう! この慰さめや励ましは、出鱈目の世辞ではない――成程チエホフの人生観は、悲しむべく苦しむべき此の現実世界に生きた彼である故に、いたずらに明るいものではなかつた。多くの批評家が言ふやうに、憂鬱暗憺たる一面を持つてゐた。しかし絶望の深淵に自らを陥れて、浮む瀬もない暗黒にのみ生きるには彼の智恵はあまりに澄み切つてゐた――チエホフをかなり早く日本に紹介した、前田晁氏も引用してゐるが、彼は晩年ヤルタで、クープリンに逢つた時、「此処は以前石と薊とで蔽はれた荒地であつたのですが、僕が来てから開墾して、こんな美しくしました。もう二三百年も経ちましたら、世界中がみんな花の咲き乱れた花ぞのになりませう」と語つたといふ、前田氏は、これは字義通りに取るべきではなく、絶望的な人生に対する一種のアイロニイであると言つてゐるが、私はさうとは考へぬ。その期間が二百年であるか二千年であるかは知らぬ――しかし、早晩人間生活が改善せらるべきものであり、自分達の労苦はその未来に対する捨石であるといふ観念は、新芸術の天才達の胸の祭壇を照らす光明であらねばならなかつた。――チエホフは決して絶望の極、血を吐いて死んだ人間ではない。彼は日本では多少ナチユラリストに謬まられてゐる形である。日本ナチユラリストは、殊更人生は暗黒であるといふ例証を芸術に求めて、絶望に昂奮してみたいといふロマンチシズムに囚はれてゐた――で、チエホフも一種の絶望家の如く謬り伝へられた場合もある。これ等の謬見は機会ある毎に打破されねばならぬ。人類の歴史を通じて偉いなる、又は正しき、または良き気禀を抱いた人物は、たとひ自殺者、もしくは不慮の死を遂げたものと雖も、人類の未来に絶望はしなかつた。それは狂熱した信仰家でなくとも、ソクラテスのやうな不幸な被殺者にしろ、牢番のすゝめた毒盃を微笑を以つて傾けた刹那、彼自身――即ち人類の勝利を未来に於いて信じたればこそ、安んじて死を迎へたのであらう。肉は死ぬ――だが魂は死なぬ。これは単なる迷信、または「言葉」ではない。それは精神に於いて人は人へと生き、自分は永久に延長されるからだ。ここに個人が一般人類の福祉に寄与せんとする意志の根がある。ツルゲーネフは「ルウヂン」の中にルウヂンに対して「真理」とは何だ! つまらん妄想だ。口惜しいと思ふなら出して見て貰ひたい――と放言する偏熱狂的《モノマニヤツク》な実際主義者を描いてゐるが、たとへばへーゲリズムなどが流行した後では、こんな人間の存在も多少は諷刺的意義を有するであらう。しかし、人間の精神は近代に於いてもやはりかうした暴言を許さない。神聖性は完全に偶像からは奪ひ去られたけれども、神聖なるものは新しい力で、われわれの内奥に目ざめて来た。この信念を抱き得ずして何が文学であらう! 否、生活であらう! 若しチエホフがトルストイのやうな気禀の人物であつたら、人類の未来への希望と信念とを「叔父ワーニヤ」の中で村医者の口から語らせたりなぞはせずに、堂々たる論文または宣言にして全世界に頒布したであらう。けれども彼は、彼の純朴性からあらゆる誇大な、強迫的なものを嫌つた。彼はトルストイの小説をば好いたが、堂々好みに対しては少なからずおぞ毛を振つてゐた。彼は書いてゐる――「トルストイは人間から不朽性を拒非した。だが神よ! その中にパーソナルなものがどれ程あつたか! をととひ私は彼の「死後」を読んだ。だがそれは、私が軽蔑する「ある知事の妻の手紙」よりももつと馬鹿げた、もつと咽喉の窒るやうなものだつた。世界偉人の哲学なるものに、悪魔よ取憑け! 大聖者たちはみんな将軍のやうに専制的で、将軍のやうに粗野で、無智だ。それといふのも罰を受けないといふ特権があるからだ。ヂオゲネスは民衆の顔へ唾を吐きかけた。それに対して後腹が病めぬといふことを知つてゐればこそだ。トルストイが医者達を悪者同然に誹謗して、大問題に対する無智を表白したのも、ヂオゲネス同様禁錮もされねば新聞で叩かれる憂ひもないのを知りぬいてゐるせいだ……」チエホフは「無智」なもの――従つて「粗野」であるもの専制的であるものをば、トルストイの衷に見出してさへ、眉をひそめないではゐられなかつた。チエホフはたゞ「絶対の真実」と正直さとで、彼の見た人生の現実の姿を描き――現実に潜められた「真珠」を掘り出して見せようとした。人間の痴かしさを叱りつけずに、その痴かしさを民衆ともども自分も乗り超さうと努めた。ツルゲーネフは露西亜インテリゲンチヤの典型を描いては見せたが、その病所が、いかにすれば救はれるかを訓へはしなかつたやうに見える――自分も彼等と共に苦しんでその病所を乗り越へやうとまではしなかつたやうに見える。しかしチエホフはそれをした。彼はたとへば「わが妻」の中で饑饉に悩む百姓達の救済に焦心しながら、しかもインテリゲンチヤの特徴に縛られて、徒らにその救済の方法や、結果の善悪について思ひ煩らつて実行に移ることの出来ない学者を主人公にしてゐるが、主人公にはあまりに無考へに見える美しく若き妻のナターリヤは、衷心良人の不実行で、不尊にのみ溺れてゐる性癖に愛憎をつかして、独逸種の医者リベルを相談相手に、どしどし実際的救済に突進するのである。そしてたうとう妻の人間らしい熱情が、良人を打負かすまでの夫婦の苦悶を物凄いまでに正確な筆致で彫み上げてゐる此の一篇は、人間を去勢し、無力にする智識はほんたうの智慧ではなく、ほんたうの智慧は各個の人間そのもののうちに隠れてゐること――その智慧をめいめい素朴に生かし抜くことに依つて幸福が恵まれ得るであらうことを語るのである。この智慧がひらめき輝く時、憎みは赦しとかはり、死は生と変容する。よく世の中で、誰れそれは「愛の詩人」だとか、「愛の使徒」だとか言ふが、それはいかなる恋愛詩人、もしくは狂熱宗教家《フアナティツク》よりも、本質的にチエホフに当てはまる言葉だ。で、有名な長篇代表作「決闘」の主要人物科学者コオレンは、うぢ虫のやうに憎んだラエフスキーをたうとういたはる――憎悪のあまり決闘までした弱小な軽蔑すべき生ものにも、人間らしい力が潜んでゐることを発見して、ピストルを曽つて握つた手で握手をする。チエホフが作中人物の中に、人間の進歩と進歩ヘの不断の努力を見出す時、その筆に何とも言はれない歓喜の力が宿る。現世の穢れと擾れとに精神的に死滅しつつあつた人物が、ある機縁と冒険とから「人間」に復活する時――その死中に活を求め得た作中人物、たとへばラエフスキーのやうな男と一緒に、作者自身もホーツと深い吐息をする。そして作中人物と一緒にかう呟やく――「それはボートを後へ押し戻す……ボートは二歩進んで一歩戻る。しかし船頭は頑固だ。どんな高波にも怖れない。ボートはだんだん進んでゆく。もうボートは見えなくなつた。が、半時間の後には船頭は明らかに、汽船の灯を見るだらう。一時間の後には船の梯を上るだらう。人生でもその通りだ……真理の探求に当つて人間は二歩進めば一歩後戻りをする。だが真理への渇望と頑固な意志とは、一歩一歩前進させるのだ。誰が知らう。恐らく彼等は最後には真の真理に到達するのだ。」それ故チエホフの愛する若く美しい男女たちは、不起の病に悩んでゐても、なほ且つ曙の光を讃め、折々すべての旧習の平和を捨てて、ただひとり新生活へと突進する、「許婚」のアレキサンドル・チモフエイツチは、肺病みの美術書生で、明日をも知れない病弱の身を、静かで単調な田舎に棲む大叔母の家に養ひに行くのであるが、その大叔母の孫娘に当るナーヂヤといふ娘の、今にも同じ町の青年と結婚せんばかりになつてゐる「許婚処女」の感じ易い耳に、彼女の智慧を啓くものが首都の大学に、彼女を待つことを囁やく。生活の暁に立つて未知に戦のくナーヂヤは、智慧にあこがれて、病青年の啓示のままに許婚者を捨てて――一切の田舎町の平和と愛を、古いしつとりとした邸宅や、教会堂や、祖母や、母親をも捨てて大都会の渦の中へ飛び込むために家出をする。やがて病める者は死に、彼女の智慧は大学でも、さう急には啓いてくれないのがわかる。けれどもチエホフは、それを青年やうら若い処女の軽はずみとして責めはしない。チエホフは彼女の未来を見捨てない。これが若し他の作家でもあれば、青春者の「都会病」や「智識熱」の方を責めて、彼等に捨て去られるために荒廃する田舎町や、田舎人の生活を歎くだらう。さうした感傷性に堕ちないところにチエホフの面目がある。彼は、長篇「匿名話」の中では頗る貴族的教養を有する若い大家の、偽の愛を信じて、良人を捨てて愛人の懐ろに投じたヂナイダのために、熱烈な真理と真実とを愛する一青年と共に、大官の「恋の欺満」をあばき、甘たるく豊かな、しかし偽りに充ちた恋の巣を捨てて、遠い旅に上らせてしまふ。旅に上つて彼女は死ぬ――しかしチエホフも、作中の青年も彼女の死を寧ろ、偽りの甘楽の長命よりも優ると信じてゐるのである。そして最も見逃せないのは「許婚」の病画学生も「匿名話」の青年も、ともに女主人公達に恋してゐるわけではないことだ。彼等は、彼女等のために恋をささやかずに、真理をささやく。彼等は彼女等に「恋」の情熱の代りに「真理」の情熱を注ぎ込んでやる。新生活へ突き遣る――チエホフは真の愛はむしろ、残酷に真理を知らしめてやることだと考へてゐるやうに見える。此処に、人としてのチエホフの底の知れない勇気が蔵されてゐる。そして、われわれがいつも彼の作品から、未来への希望と生活の鼓舞とを頒けて貰ひ、人生への愛を深かめさせて貰へる原因も亦、同時に此処に存してをらねばならぬ。私は敢へて言ふ――私はチエホフの衷にクリスチヤニテイの真の閃光を見る――人間の歎きを頒けることを知つて、しかも死をも怖れなかつた最高の慈悲者、最高の真理者の新らしい変容を見る。耶蘇も若々しい哲学者達に依つては、ガラリヤの柔順すぎ、弱すぎる牧者――羊しか飼へない牧者として嘲られた。チエホフも早急な批評家に依つては、彼の静かさと微笑と歎息とのために、その真面目をあやまり解かされるかも知れない。だが彼等の衷なる力は遂にすべてに克つ、チエホフの神の如き芸術は、遂に世界を征服しつくすであらう!
 この小感想の筆者は更らに、数十種の主要作について、個々の評論を試みたかつた。だが、今はこの漠とした覚え書だけに止めて置く。そのうちに早稲田文学社の好意は、より綿密な記述の自由を、筆者のために与へてくれるであらう。

 チエホフ小論 三上於菟吉著「早稲田文学」(大正13年3月号)を底本として電子書籍化。漢字は通用字体に改めた。書肆風々齋
Wikipedia 三上於菟吉
青空文庫 三上於菟吉