◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(01)
一
「シベリヤはどうしてかう寒いのかね?」
「神様の思召しでさ」と、がたくり馬車の馭者が答へる。
もう五月といへば、ロシャでは靑葉の森に夜鶯《うぐいす》が喉をかぎりに歌ひ、 南の方なら夙《とう》にアカシャやライラックの花も匂ってゐように、ここチュメーン*からトムスクへの道筋では、土膚は褐色《かちいろ》に黑ずみ、 森といふ森は裸かで、 湖沼には氷がどんよりと光り、 岸や谷あひにはまだ斑《まだ》ら雪さへ殘ってゐる。…
その代りにといふのもをかしいが、これほどに夥しい野禽の群を見るのも、 生れて初めてのことだ。眼をずらせて行くも、野づらを渉り步き、水溜りや道傍の溝を泳ぎまはり、また危く馬車の屋根をかすめんばかりに、白樺の林へと物憂げに飛んでゆく野鴨の群。あたりの靜寂を不意に破ってひびく聞覺えのあるきれいな啼聲に、おどろいて眼を上げると、丁度頭のうへを渡ってゆく一番ひの鶴。それを見ると、ふつと淋しい氣持になる。野雁も飛んで行く。雪のやうに眞白な白鳥も、 列を作つて飛んで行く。……方々でぼと<傍点>鴫《しぎ》の低いつぶやきが聞え、鷗の哀しげな啼聲もする。
天幕馬車を二臺と、 それから男女の百姓の一隊を追ひ越す。これは移住民だ。
「どこの縣から來たね?」
「ク—ルスクでさ。」
一人だけ風體の違つた男が、仲間に遲れてよたよたと蹤いて行く。顎をきれいに剃り上げ口髭はもう白く、百姓外套の背中には何やら得體の知れないだん袋が附いてゐる。風呂敷にくるんだ胡弓を二丁、兩腋に抱へてゐる。ー體何者なのか、この胡弓はどうしたものかは、訊かないまでも自然とわかる。やくざで怠け者で病身で、人一倍の寒がりで、洒好きで、そのうへ小心者のこの男は、親父の代から兄貴の代までずつと餘計者扱ひにされたから、 のらくらと生き存ヘて來たのだ。親父の財產も分けては貰へず、嫁も取っては貰へずに。……そんな事はしてやるまでもない男なので、野良へ出れば風邪をひくし、酒にかけては目がないし、祿なことは言ひ觸らさないし、 取柄といったら胡弓を弾くことと、子供たちを集めて煖爐《ペチカ》の上でわいわい騷ぐ位なものだ。その代り胡弓と來たら居酒屋でも、婚禮の席でも野原でも、所きらはず弾き步いたが、それが中々の見聿な音色だった。だが今その兄貴が、家も牛も有りつたけの家財道具も手放して一家を引き連れ遠いシベリヤを指して行く。やくざ者も一緖について行くのは、ほかに食ふ當てもないからだ。二丁の胡弓も後生大事に抱へて行く。……やがて目指す土地に着けば、シベリヤの寒さにー堪りもなくやられる。肺病になって、誰一人氣づかぬほどそっと靜かに死んで行く。その昔鄕里の村の人々の心を、浮き立たせたり沈ませたりした胡弓の方は、二束三文に賣り飛ばされて、渡り者の書記か、それとも流刑囚かの手に渡る。それから渡り者の子供たちが、絃《いと》を切ったり柱《ぢ》を折ったり、 胴に水を入れたりして遊ぶ。……引返した方がよささうだ、小父さん。
力マ河を遡る船の上でも、移住民の群を見掛けた。中でも思ひ出されるのは、亜麻色の鬚をした年の頃四十ほどの百姓だ。甲板のベンチに腰掛けて、足もとには家財道具《がらくた》を詰め込んだ袋が並べてある。その袋の上に、鑑縷を着た子供たちが轉がつて、 荒涼としたカマ河の岸から吹きつける身を切るやうな寒風に縮み上つてゐる。百姓の顏には、「もう諦めましただ」と書いてある。眼には皮肉な色が浮んでゐる。だがそれは、われとわが内心に浴びせる嘲笑なのだ。謂はば、無殘至極な裏切りやうをして吳れた、過去半生に對する嘲笑なのだ。
「これより惡くなりつこねえさ」と彼は言って、 上唇だけで笑ふ。
誰一人とり合ふ者もなく、また別に問ひかける者はなくても、一分ほどすると彼はふたたび繰り返す。――
「これより惡くなりつこはねえさ。」
「惡くなるとも」と別のベンチから、 人參色の髮をした眼のするどい土百姓が應じる。これは移住民ではない。――「惡くなるとも。」
いましがた追拔いた百姓たちは、默りこくつてゐる。天幕馬車について、よろよろする足を引き摺りながら、どの顏を見ても鹿爪らしく何か一心に考へ込んでゐる風だ。……私はそ辻を見て心に思ふ、――「よくない生活と見たら潔くそれを振り切つて、生れ故鄕も生れた古巢も棄てて行けるのは、非凡な人間だけなのだ、英雄だけなのだ。……」
間もなく、今度は流刑囚の列に追ひついた。手械《てかせ》の音を立てながら,三四十人ほどの囚徒が道を行く。兩側には銃を擔った兵士が附添ひ、後から馬車が二臺ついて行く。囚徒の中の一人はどうやらアルメニヤの司祭を思はせる。もう一人の鷲鼻で額のひろい大男の方は、どこかの藥種屋の勘定臺の向ふに坐つてゐたやうな氣がするし、三番目の消耗した蒼白い深刻面は、まるで斷食の坊主にそっくりだ。とても一人一人の顏を覗いてゐるひまはない。囚徒も兵士もみなぐったりしてゐる。道は惡いし、步く氣力もないのだ。……泊りの村まではまだ十露里もある。村に着けば直ぐ飯にありつけるし、磚茶《せんちや》も飮める。それからごろりと横になるのだが、待ち兼ねてゐた南京蟲が直ぐさま身體一面にべ つたりと貼りつく。疲れ切って睡くて堪らない人間にとって、これはとても敵はぬ執念の鬼だ。
日が暮れると地面は凍てついて泥濘が切り立つた起伏を作る。馬車は躍リ跳ね、色んな聲を立てておめき鳴る。寒い。人の住む家も見えず、人つ子一人通らない。……ひそともせぬ闇はただ黑々と、物音ひとつしない。聞えるのは車が凍土を嚙む音と、 たまに卷煙草を吸ひつける火の色に夢を破られて、 道傍に飛び立つ二三羽の野鴨の羽音ばかり。……
川に出る。渡舟を見附けて越さなければならぬ。河岸には人影もない。
「向ふ岸へ行つとる。瘡《かさ》つかきめが」と馭者が言ふ、「旦那、 ひとつ吼えて見るかね。」
痛くて泣くのも悲しくて泣くのも、助けを呼ぶのもただ人を呼ぶのも、 この土地では引括めて吼えるといふ。從ってシベリヤで吼えるのは熊だけではなく、雀や鼠も吼えるのである。「引懸つて吼えくさる」と、鼠のことを言ふ。
で、吼えはじめた。かなりの川だし、それに眞暗なので向ふ岸は見えない。……じめじめした川風で先づ足が冷え、つづいて全身が冷えて來る。……聲を合はせて半時間吼え、 一時間吼えたが、 渡舟はやって來ない。水にも、 空ーぱいの星屑にも,墓のやうに眞音な靜寂にも,やがて飽き飽きしてしまふ。退屈まぎれに親爺と話し込んで、 十六のとき嫁を貰ったこと、子供は十人あったがその中死んだのは唯の三人に過ぎぬ こ と、 父親もお袋もまだ健在《まめ》なことなど を知る。 父親もお袋も 「キルジャキイ」――つまり分離宗徒《ラスコーニキ》で、煙草は喫ます、一生涯イシムの町のほかには町を見たこともないが、自分はまだ若いから少々身體を甘やかさせて貰つて煙草をやる、とも言った。この眞暗な荒涼たる川にも、 鱘魚《てふざめ》やネルマ鮭や、ひげ<傍点>や魣《かます》が棲んでゐるが、漁る人も漁る手立てもないといふ話もした。
だがやっと、水を切る音が正しく間を置いて聞えはじめ、 川面に何やら不細工な黑い物があらはれた。それが渡舟だつた。恰好はまづ小形な傳馬船に似て、橈子が五人ほど乘つてゐる。橈身のびろい二本の長い橈は、蟹の蝥《はさみ》そつくりである。
舟を岸につけると、 橈子たちは先づ手始めに喧嘩をはじめた。さも憎らしげに罵り合つてはゐるが、別段これといふ理由もない所を見れば、 まだ寢呆けてゐるのに相違ない。彼等の飛び切り上等の悪口を聽いてゐると、 母親のあるのは私の馭者や馬や橈子たちだけではなくて、水にも渡舟にも橈にもどうやら母親*があるらしい樣子である。橈子たちが吐き散らした罵詈雜言のなかで、最も物柔かで無邪氣なのは、「瘡でも出來《でか》せ」乃至「その口に瘡さ搔け」といふのであった。ここで瘡*とは一體どんな瘡を指すのか、 訊いては見たが分らず仕舞だつた。何しろ私は毛皮の半外套に長靴をはいて、帽子眞深といふ服裝《いでたち》だから、暗闇ではこれが「旦那」とは分らぬらしい。で橈子の一人が、私に向って嗄聲で呶鳴りつけた。――
「これさ、そこの瘡つかき!ぽかんと口を開いてゐずと、馬でもはづせよう。」
渡舟に乘る。渡船夫たちは罵り喚きながら橈を取る。これは土着の百姓.ではない。無賴な生活のため社會に擯斥されてここへ送られて來た、まぎれもない追放囚である。だが登錄先の村でも、 やはり彼等は暮らせないのだ。第一退屈だし、耕作の術《すべ》はもともと知らないか、さもなければ忘れてゐるし、他所の地面は可愛くもないし――そんな譯でここへ出て、渡舟場稼ぎをしてゐるのである。どれもこれも、瘦せこけ.て荒み切つた顏附をしてゐる。それにその表情といつたらどうだ! この人達はここまで來る道々、手錠で二人づつ繫ぎ合はされて囚人舟に乘せられたり、列を組んで街道を步かされたり、百姓小屋に泊って南京蟲に所嫌はず刺されたりする間に、骨の牘まで麻痺してしまったのだ。 今では夜晝なしに冷たい水の中を動き廻つて、眼に入るものといへば荒涼とした川岸の眺めばかりだ。しまひには身も心も凍り果てて、生きる目當ては唯一つ酒と女、女と酒。……もはやこの世の人ではなくて、獸なのだ。それのみならず、馭者の親爺に言はせると、あの世へ行っても碌なことはないらしい。罪の報いで地獄へ落ちるといふ。
*チュメーン シベリヤ鐵道(一八九一――一九〇三年)の敷設される前、迫放囚はこの町を通過するのを例とした。一八二三年から九八年までの間に、この町は九十萬人餘に上る囚人とその家族の暗鬱な行列を見送つたと言はれる。
*母親云々 ロシヤ特有の罵言に、相手の推親を引合ひに出して罵る極めて烈しいのである。撓子たちは當の喧嘩相手のみならず、水や舟などの無生物にまで、この罵言で當り散らしたのであらう。
*瘡 家畜の肺や胃腸を冒し、人間にまで感染するシペリヤ脾脫疽(Anthrax)を指すものであらう。