テキストの快楽(010)その3

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(07)

     

 知識階級出の追放者が窓際に立つて、隣家の屋根を默って桃めてゐる姿は、實に厭なものである。かういふとき、彼は何を考へてゐるのだらう。また彼とつまらぬ世間話をしながら、 まるで「お前は歸って行ける。だが俺は駄目だ」とでも言ひたげた表情でじつと見つめられるのも、厭なものである。氣の毒で堪らなくなるから厭なのだ。
 今日、死刑はよくよくの場合でないと適用されないといふのは、屢〃耳にする言葉だが、これは必らずしも當つてゐない。死刑に代ったとされる最高の刑罰手段は孰れも、依然その最も重要且つ本質的な徵候を保ち續けてゐるのである。つまりそれは、終身性、無期性だ。そのどれを見ても、犯罪者を平常な人間社會から永久に<傍点>遠ざけるといふ、死刑直傳の使命を帯びてゐる。從つて重罪を犯した人間が、その裡に生を享け且つ成長した社會から葬り去られるといふ點では、死刑橫行時代と何の變りもないのである。割合に人道的とされてゐるわがロシャの法律では、刑事犯も懲治犯も共に最高の刑は殆どみな終身刑である。徒刑*は必然的に永久の追放を伴つてゐる。追放刑*が怖ろしいのは實にその終身性に依ってゐる。また懲役*に處せられた者は、刑期が滿ちたとき社會がもしその仲間入りを拒むなら、シベリヤに追放される。以上の場合宕ど總てを通じて、權利の剝奪は終身的性質を帶びてゐる、等々。このやうにして最高の刑罰手段は悉く、墓の中での安心をまで犯罪者に與へまいとする。それさへあれば、死刑に對する私の嫌惡感も一變されるであらう、墓場の中の平安をまで。また一方、終身性――つまり、より良い生活はもはや望み得ぬ、自分の裡の公民は永久に死に、幾ら努力しても自力では彼を蘇らせることは出來ぬといふ自覺 がある以上、ヨーロッパでもわが國でも死刑が實は廢止されたのではなく、ただほんの少し感じのいい別の衣裳を着せたに過ぎぬと考へて差支へない。ヨーロッパはあまり長らく死刑に慣れて來た。そのため、いつまでも思ひ切り惡く緣が切れないのである。
[訳注]
*徒刑、追放刑、懲役 譯後の不足を補ふため、 少し説明を加えて置く。當時ロシヤの習慣法によれば、刑の種類この三つに分たれてゐた。「徒刑」(Katorzhnye raboty)は刑事上の重罪犯に課せられるもの。卽ち、ネルチンスク、アム—ル、サガレン等に送られて烈しい労役(鐵道建設、鑛山等)に服する。「追放刑」(Ssylkama poselenie)は國事犯に課せられるもの。追放者は一定地方に警察の監視下に居住することを强ひられる。これに二種あって、一は法律の手續を經て、法廷で罪を宣告された者、他は單に內務大臣の「行政命令」により處分されるもの。この後者はロシヤ法律に固有の悪弊であつた。「懲役」(Arestantskie roty)とは普通の刑務所に短期間服役するもの。

 五十年乃至百年の後には、今私達が鼻孔を裂く刑や左手の指を落す刑を見ると同様の困惑と不快の眼差しで、現代の刑罰の終身性を眺めるやうになることを、私は信じて疑はない。また、この刑罰の終身性のやうな陋習が、舊式であり且つ偏見に滿ちたものであることを、よし私達がどんなに深くはっきり認識したとて、所詮はこの悲參に對して何等手の下しやうのないことも亦同じく認めざるを得ない。この終身性を、何かもっと合理的で公正なものに變へるには、現在の私達の知識や經驗ではとても足りず、從って勇氣も不足なわけである。またこの方面で、優柔不斷且つ一方的な試みをして見たところで、知識や經驗に基かぬ創始時代には共通の運命である、重大な過誤や極端に陷るのが落ちだらう。如何にも歎かはしくまた奇怪なことだが、監獄と流刑との孰れがロシヤに適はしいかといふ理代的な問題すら、决定する權利は私達にないのである。何故なら私達は、監獄とは何ぞ、 流刑とは何ぞといふことさへ、まるで知らずにゐるからだ。監獄や流刑の部門に於けるわが國の文獻を覗いて見給へ。何といふ貧弱さだらう。二三の小論、二三の名前。まるで口シヤには監獄も流刑も徒刑もないやうに、あとは空々漠々だ。もう二三十年來わが國の思索的インテリゲンチヤは、犯罪者は總て社會の產物なりといふ文句を繰り返してゐる。だがさう言ひながら、何とこの産物に無關心なことだらう。鐵窓につながれた人々や流刑に惱める人々に對するこれほどの冷淡さは、キリスト敎國としてまたキリス卜敎國の文獻として合點の行かぬことだが、その眞因はわが國の法學者の極度の蒙昧に根ざしてゐるのだ。彼の無學は固よりながら、 幟業的偏見に囚はれてゐる點でも、その播き散らす蕁麻いらくさ*の種子と何等擇ぶところはない。彼が大學の試驗を受けるのは、人間を審き、人間に下獄や流刑を宣吿するやうになりたいからである。役につき月給を貰つて、する事といへば審いて宜吿をするだけだ。犯罪者が判決の後て何處へ行くのか、更に監獄とは何ぞシベリヤとは何ぞといふことは、 固より知りもせす興味もない。これは彼の權限の外にあって、すでに赤鼻の護送吏と獄吏の仕事なのだ。
 話をする機會のあった土地の人々や官吏や、或ひは驛馬車乃至傭馬車の馭者のロから聞いたところでは、インテリ出の追放者達――つまり文書僞造、公金私消、詐欺などの罪でここへ送られて來た元士官とか冨とか、公證人とか會計士とか、或ひは貴公子くづれといつた人物だか、 彼等はみんなカ籠りかちの虔ましい生活をしてゐるといふ。例外はノズドリョフ*氣質の持主だけだ。この型の人間になると、場所を問はず年齡を間はず境遇を間はず、依然元のままの彼である。然し彼等は一つ所にじつとしてはゐず、シベリヤ狹しとヂブシー的遊牧生活を送って、そのめまぐるしい移動性に至っては殆ど端倪すべからざるものがある。ノズドリヨフ型のほか、インテリ出の「氣の毒な人達*」の中に、腐り切つた悖德漢卑劣漢を見掛けることも稀ではない。しかしこれは怡ど殘らず見當がついてゐて、唯一人知らぬ者はなく、皆の指弹を受けてゐる。繰り返していふが、 大多數は虔ましい生活をしてゐる。
[訳注]
*ノズドリョフ 『死せる魂』に描かれた地主の一タイプ。(第一卷第四章)。浪費好きで呑氣で賑かな暴れ者である彼は、由來ロシヤ地土には少からぬ陽性の完全な軆現者として、 醜悪を極める慾の俘、猜疑深い吝嗇漢ブリュ—シキンの陰性と見事な心理的對照を作してる。
*「氣の毒な人逹」 「内人たち」の意。ロシヤでは罪囚を明らさまな名で呼ぶことを禁じ、「氣の毒な人達」と呼ぶのが慣はしであった。

 迫放地に着いて最初のうち、インテリ達は途方に暮れて茫然としてゐる。おづおづと、まるで叩きのめされたやうな風に見える。彼等の多くは貧乏で、非力で、碌な敎育は受けてゐない。財產といったら字が書ける位なものだが、それとて往々にして使ひ途のない惡筆である。彼等は先づリンネルの肌着や、 敷布シーツ、ハンカチの類を小出しに賣り拂ひはじめる。そして二三年すると貧窮のどん底に落ちて死んで行く。(タガンログの稅關疑獄の主要人物だったクゾヴレフも、そんな風になって卜ムスクで死んだ。葬式の費用は、やはり追放者の或る氣前のいい人が持った。)これと違って、何かの仕事を手に入れて次第に地步を築き上げる人もある。商人になつたり、辯護士になったり、地方新聞に書いたり書記仲間にはいったりする。さういふ彼等の稼ぎも、月三十乃至三十五ルーブルを越すことは滅多にない。
 ここの彼等の生活は退屈だ。ロシヤの自然に親しんだ彼等には、シベリヤのそれは單調で、貧相で、鈍重なものに見える。キリスト昇天節はまだ嚴寒だ。五旬節*には水氣の多い雪が降る。町の貸間は穢らしく、街路はぬかるし、店の物はみんな高價で店曝しで、しかも乏しい。ヨーロッパ人が使ひ慣れた品物などは、幾ら金を出しても大抵は手に入らぬ。土地のインテリは、思想人もさうでないのも、朝から晚までヴォトカを飮む。醉ひもせず方圖も知らず、實に下品で亂暴で馬鹿げた飮み方をする。土地のインテリと話をして見給へ。二言目には「ひとつヴォトカでもやりませうか」と來るに極ってゐる。そこで追放者は、退屈まぎれにお附合ひをする。はじめは澁面を作る。やがて慣れて來る。仕舞には言ふまでもなくその道の常習犯になる。飮酒に就いて、追放者が土地者を悪化するといふのは當つてゐない。土地者が追放者を惡化するのである。
 ここの女も、シベリヤの自然に劣らず退屈だ。生彩もなく、薄情ではあり、着物の着方も知らず、歌も歌はす、笑顏も見せす、可愛気もない。ある土地の古顏が「手觸りが惡い」と話の序でに言つてゐたが、その通りである。生粹のシベリヤ兒の小說家や詩人が生れたとしても、その小說や詩の主人公は女ではあるまい。彼女が、救世とか或ひは「世界の涯までも」といったやうな高尙な活動力を、男性の裡にめざまし靈感させようとはとても思へない。下等な居酒屋、家族風呂、公然乃至祕密の夥しい魔窟などは、孰れもシベリヤの人間の大好物であるが、これを措いてはどの町にも何ーつ遊び場所はない。秋や冬の夜長を、追放者は自分の部屋に坐って過ごすか、ヴォトカを飮みに土地の古顏の所へ行く。二人でヴォトカを二本ビールを六本も倒すと、例によって「ひとつ繰り込むかね」と來る。言はずと知れた魔窟である。退屈、限りない退屈。何をして氣を紛らさうか。そこで追放者は、リボー*の『意志の障礙』といった類の、黴の生えた小册子を讀んで見る。春はじめての快晴の日に淡色のズボンを穿いて見る。それでお仕舞である。リボーは相當に退屈た。それに、自由ヴォーリヤのも無いのに意志ヴォーリヤの障礙に關する本を讀むのは、果して時宜を得たことたらうか。淡色のズボンでは寒い。だがとにかく單調は破つて災れる。
[訳注]
*五旬節 復活祭後第八の日曜日。またキリスト昇天節は、同じく復活祭後四十日目。
*リボー フランスの心理學者(一八三九――一九一七)。『記憶の障礙』(一ハ八一)、『意思の障礙』(一ハ八三)、『注意の心理學』(一ハ八八)など實驗心理學の論文が多く、その大部分はロシヤ譯されてゐる。なほ・ロシヤ語の volja には「意志」の義と「自由」の義とが並存してゐる。これを利用して數行先にチェーホフは洒落を飛ばしてゐる。

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