本職こぼれはなし(018)

 故中村哲さんのドキュメンタリー映画とペシャワール会の中山博喜さんの講演を拝視聴した。案内ビラから→

 「百の診療所より一本の用水路を」映画のキャッチフレーズに若干の違和感を持ったことは事実であるが、実際映画を観て、その真実がよく解った。現地の人たちの疾患の成り立ちが、もっと根源的な(それには人為的な戦火による環境破壊も大きな原因であるが…)、ものを立て直さない限り解決しないのだろう。その上に立って、診療所を!という意味なのだろう。
 医者というものは、誰しも「人の役に立ちたい」との懐いを多少なりともあると思う。でも、現実は、そううまくはいかない。中村医師は、自らの次男の死など乗り越えて現実に立ち向かった。そうした姿は、当方にとって遠い、遠い目標であるが、目標にあることには間違いないのかもしれない。
 そんなことを考え、少し気が重くなり、会場を後にした。

中井正一「土曜日」巻頭言(01)

 10年以上前に、中井正一の「土曜日」巻頭言の数編をアップしたことがありましたが、サーバーのHDD不調のため、今では閲覧できません。そこで改めて、「土曜日」復刻版から、OCR で復元できたものを、土曜日毎に掲載してゆきます。とりあえずは、Facebook にかろうじて残っていた、創刊号(1936年7月4日)巻頭言から…(この項は新字新かなです。)
 中井正一の経歴などは、Wikipedia 中井正一 を参照してください。また、青空文庫にも、彼の作品があります。

◎花は鉄路の盛り土の上にも咲く

 しぶく波頭と高い日の下に、一杯の自分の力を感じた冒険者の様に、かって人々は生きた事があった。今は冷いベトンの地下室で、単調なエンジンの音を聴きながら、黙々と与えられた部署に、終日を暮す生活が人々の生活となって来た。
 営みが巨大な機構の中に組入られて、それが何だか人間から離れて来た様である。明日への希望は失われ、本当の智慧が傷つけられまじめな夢がきえてしまった。しかし、人々はそれでよいとは誰も思っていないのである。何かが欠けていることは知っている。
 しかし、何が欠けているさだかには判っていないのである。人々が歪められた営みから解放された時間、我々が憩う瞬間、何を望み、何を知り、何を夢みてよいかさえも忘れられんとしているのである。それは自分に一等親しい自分の面影が想出せない淋しさである。
 美しいせせらぎ、可愛いい花、小さなめだかが走っている小川の上を覆うて、灰色の鉄道の線路が一直線に横切った時、ラスキンは凡ての人間の過去の親しいものが斜めに断切られてしまったかのように戦慄したのである。しかしテニソンはそのとき、芸術は自然の如く、その花をもって、鉄道の盛土を覆い得ると答えたのである。
 この鉄路の上に咲く花は、千鈞の力を必要としたのではない。日々の絶間なき必要を守ったのである。我我の生きて此処に今居ることをしっかり手離さないこと、その批判を放棄しないことに於いて、始めて、凡ての灰色の路線を、花をもって埋めることが出来るのである。
 『土曜日』は人々が自分達の中に何が失われているかを想出す午後であり、まじめな夢が瞼に描かれ、本当の智慧がお互に語合われ、明日のスケジュールが計画される夕である。はばかるところなき涙が涙ぐまれ、隔てなき微笑みが微笑まるる夜である。

昭和十一年(1936年)七月四日(創刊号)

木下杢太郎「百花譜百選」より(014)

◎41 われもこう 吾亦紅

二分一 昭和癸未秋九月廿六 写于軽井沢旅舎
〔日記〕九月廿六日 日
晴。午前植物写生二種。〔…〕旅舎にかへり、夜半一時まで植物写生十数種。

Wikipedia ワレモコウ

【付】随筆集「荒庭の観察者」から「海国の葬礼」
 昨夕此地に来ました。
 Meiner Mutter Tod hat mich hierher abgeholt.【編集者注 原文ドイツ語、日本語訳:母の死が私を立ち直らせてくれた。】
 汽車中で藤村《とうそん》(1)さんの「家」を読み続けましたが、同じ日に汽車の窓から買って読んだ貴君の藤島(2)さんの絵の批評に思いあたる事が多くて自らほほ笑まずには居られませんでした。今度頼まれてあの「家」の紹介をしなければならぬ事になって居て困って居る。
 そんな事ゆえ白樺の展覧会(3)を見る機会を失ったのを残念に思って居ます。
 で到頭また「海」と話をするようになりました。「酒」や「女」の代わりに、ぼくには矢張《やはり》海という奴が切っても切れぬ縁なのでした。
 そうしてぼくはまたぼくで「海」のそばの一つの家の中へはいって行った。然し家も海も、もっと直接な人の生活も、人情も、悲哀も──ぼくには一度「芸術」と云う註解者がはいらねば心を動かす事が出来ないようになった。──という事を今つくづくと感じて居るところです。(12.Nov.11)

 一種のHofmannsthal(4)情調がまだどこかに残って居る。強い冬の斜日が柔い青石の壁にあたって、梅の古木の下には、磯蕗《いそぶき》の花がまっ黄色に光っている。海に近い町のある「家」の坪庭。
 裏の井戸のそば、蔵の廂《ひさし》の下、そこに一群の料理人があつまって赤い人参、牛旁《ごぼう》、里芋、それから蓮根、うす青い鑵詰の蕗などの皮を剝いでいる。そして小さい刺の指先に入ったのを事々しく話し立てています。一つの人生。
 「もう鶏がとまる時かな」と空の方を見あげながらまぶしい目をしている人がある。
 ぼくには、夫々《それぞれ》の小さい「歴史」というものが、ああ手まねをして、生々と「現在」で物語っているように見える。みんな少年時代や、一種の狂飇《きょうひょう》時代やそれから子供が出来たこと……などを知っている人々ですから。
 そしてまた畠の方へ出ると、仕切られた花壇の菊が萎れたままに並び……すると「海」を暗指する汽笛の音が、ぼおっと、おおどかに聞えるのです。
 店に集って居る人は「海」に親しい関係のものばかりでした。ですから蔵の前の人の、どう云う庖丁がよく切れるかなどと云う話とは違って、此には東京へ船をやる時の風の話、また帆の話、居眠って蒸気を陸《おか》へ乗し上げた、その癖よく熟れていた船長の話などです。
 それから何時となく三十年前の話が出て、漂着して来たギヤマン(5)の徳利を珍らしがったり、またそれに、三|分《ぶ》の値を附けたある天竺屋(凡《すべ》て売価の高いという事からのあざ名)の事、千両で頼んだ亜米利加《アメリカ》の機関手の話。
 一体くさやの干物はどうして作るか御存知ですか。あれは塩の少い大島で塩の倹約をする為めに、幾度も幾度も漬けたあとへまた漬けたのが始まりだ相です。また錨《いかり》はならし円に二貫目だそうです。
 彼等の多くは「海」に尋《つい》では「東京の河岸」に親しいのです。是等の人々から東京の河の生活、その情調の語られるのを聞くのは、心で思う人をほめられる時のような心持を味わしめる。

 今窓から見ると夕鳥が遠く紫灰色《しかいしょく》の山の方へと沈んでゆく。夕やけの空なのです。ぼくは昔からこういう時には屹度《きっと》出た情操の、もう明かに思い浮ばれぬのを見て、内と外との生活がうまく足並を合わせてくれねばならんと思ったのです。いつ迄もいつ迄も過ぎし日の情懐の輓歌《ひきうた》ばかりを歌っても居られますまい。
 伊豆の、形の小さい、そしてばかに甘い蜜柑でぼくの手はひどく鋭くにおって居ます。この香いも(貴君には想像だが)之から海国の初冬の情趣を想像して下さい。(13.Nov.11)

 夕方海岸に出ると、桐の花のような紫色に淀んだ水平線上の空に、遠くゆく船の帆が見えます。暖国の十一月の空気はこの上なく心地よいものと感ぜられました。
 幾たびか人に伝えようとして、いつでも作意の為めに害われた海の美貌、夕波のかすかな微笑……それが直ぐに心を古風にします。センチメンタルに。哀れっぽく。
 ぼくはそっと昔の唄を歌って見ました。すると女──酒などからかけ離れた生活をして居るぼくにも、その第一属性としての一条の情操を芽ましめるのです。それから特殊の生活(ルパナール(6)などの)、特殊の時代への回想から来る第二属の情調を伴うのです。
 静かに歌われる一節のメロディの中に海、波、船、遠里の灯などが溶ろけてゆく様に思われます。
 ぼくはそれから温泉へいっても、尚小さい声で歌い続けました。
 家に帰ると柩《ひつぎ》の傍で僧侶が経を誦して居た。そして香のにおい、かすけき灯に光る水晶の数珠《じゅず》、細く立つ煙などが見られた。
 店先では近所の人々がまだ大話をしています。また切株から吹く新芽を想像させる子供達が騒いでいます。また酒のかおり。
 こう云う人間らしさ。人情味などが、きょうつくづくと身にしみて感ぜられました。(13.Nov.11)

 田舎の「家」の生活は此上もなく装飾的です。もう四十、五十、六十のそれぞれ家を持った人々が──中には一生海と争った人も居ます。いくたびか事業を始め幾度か失敗し、また始めつつある人も居ます。危うく情海の波瀾を逃れて後顧的の半生を暮《おく》っている人も居ます──二十人近く莚《むしろ》の上に陣取って、丸く切った白紙に鋏《はさみ》を入れ、また金銀の紙を花弁に切り、それを丸い竹に巻いて、糸目で皺をつくり、牡丹の花、蓮の花またその葉、その蕚《うてな》を拵《こしら》えて居るのを見ると、何と云いましょうか、一種可憐の情に似た心持が油然と湧き出すのを感ずるのです。
 天井から二つの巻いた莚を弔《つる》し、その上に半成の牡丹花の茎が挿されるのです。そういう光景の間に手を動かす人々は実際の自然が永い月日の間に彫《きざ》み込んだいろいろの相貌の持主であると云うことを想像して下さい。──
 少時の中休みの間に土地の名物の蜜柑が配られる。人々の手の指があの濃い緑色にそまると、そこここが一体に鋭い酸い香の海とかわるのです。
 「海」──「葬礼の準備」──「銀紙の蛇」──そを罩《こ》むる雰囲気として「南国の黄なる木の実」──こういう蕪村の俳句のような連想は、実際その光景を見ない貴君にも、原物の味の幾分を彷彿せしむることが出来るでしょう。(14.Nov.11)
      (一九一一年二六歳)

1[藤村]島崎藤村(作家・詩人、一八七二─一九四三)。
2[藤島]藤島武二(洋画家、一八六七─一九四三)。
3[白樺の展覧会]雑誌「白樺」が主催した美術展。
4[Hofmannsthal]フーゴ・フォン・ホフマンスタール。オーストリアの新ロマン主義の作家・詩人(一八七四─一九二九)。
5[ギヤマン]ガラス。
6[ルパナール]娼館。

正岡子規スケッチ帖(010)

◎正岡子規「草花帖」

此《この》帖は不折子《ふせつし》*よりあづ(預)かりたりと思ふ 併《しか》し此頃《このごろ》の病苦にては人の書画帖などへ物書くべき勇気更になし 因《よ》つて此帖をもらひ受くる者なり 若《も》し自分のものとして之に写生するときは快《かい》極《きわまり》りなし 又其《その》写生帖を毎朝毎晚手に取りて開き見ること(ヿ)何よりの楽《たのし》みなり 不折子欧州より帰り来るとも余の病眛より此唯一の楽み(即《すなわ》ち此写生帖)を奪ひ去ること(ヿ)なからんを望む
   明治三十五年八月一日
        病子規
           泣いて言ふ
写生は総《すべ》て枕に頭つけたままやる者と思 へ
写生は多くモルヒネを飲みて後やる者と思へ
*中村不折(一八六六—一九四三)。洋画家、書家。

正岡子規スケッチ帖(009)

◎「菓物帖」末尾の俳句

青梅をかきはじめなり菓物帖
南瓜《かぼちゃ》より茄子《なす》むつかしき写生|哉《かな》
病間《びょうかん》や桃食ひながら李《すもも》画《か》く
画がくべき夏のくだ物何々ぞ
画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな

追加】右図は、下村為山の画(無署名)

参考】岩波文庫「正岡子規スケッチ帖」

読書ざんまいよせい(046)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(015)
付き]「犬を連れた奥さん」への短い感想

 双璧のもう一つの傑作「犬を連れた奥さん」は、最初、「ちんを連れた奥さん」とのタイトルだったそうだ。一言で言えば「不倫」がテーマである。物語そのものは。「犬を連れた奥さん」(青空文庫)をご覧いただく他ないが、印象に残ったシーンを一つ。彼女と別れてから、ある劇場で偶然再会する。その時の彼女の言葉、「Здравствуйте(ズドラーストヴィチェ) こんにちわ」に、当方は、とんと縁がないし、ありたいとも思わないが、しびれるほど感激した。

手帖(続き)

 窓ごしに、かつがれてゆく亡者を見ながら、「お前は死んで、お墓へ運ばれて行く。ところで俺は、朝飯をやりに行くとするか。」

 チェック人 Vshichkaフシーチカ.

 四十歳の男が二十二の女を娶った。彼女は最近の作家のものしか読まず、緑色のリボンをかけて、黄色い枕にうずまって寝る。自分の趣味に自信たっぷりで、自分の意見をまるで法律のように述べたてる。美人で、馬鹿じゃなく、おとなしい女だが、彼は離婚する。

 喉がかわく時には大海をも一飲みにする気でいる――これが信仰。いざ飲むとなるとせいぜいコップに二杯だ――これが科学。

 笑劇につかう人名。―― Filjdekosovフィルデコーソフ. Poprygunievポプルイグーニエフ*.
*「瓦斯糸」、「お跳ね」(男性)の意。

 以前には、主義主張あり、世の尊敬をかち得ることを好む立派な人物は、将軍や僧侶になったものだ。ところが今日では、作家や教授になる。……

 歴史によって神聖化されないものなんか、一つだってありはしない。

Zevuliaゼヴリーア*夫人。
*Zev(あくび)から作る。

 いい子供でも泣く顔は見っともない。同様に、下手な詩の中に、作者の人間としてのよさを発見することがある。

 もし女にちやほやされたいなら、すべからく奇人であれ。夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている男を私は知っているが、その男は女に騒がれた。

 ヤルタに着いて見たら、どこもここも満員だった。イタリヤ・ホテルへ行って見たが、ひと部屋も明いていない。「僕の三十五号室は?」「ふさがっております。」何とかいう奥さんである。「御婦人と御同室ではいけますまいか。あちら様は一こう構わないと仰しゃいますが」とホテルの人が言う。そこでその部屋に落ちつく。会話。夕暮。韃靼人のガイドがはいって来る。私は耳も頭もがんがんして来る。私は椅子にかけたなりで、何にも見えず何にも聞こえない。……

 令嬢がぐちをこぼす。――「兄さんったら可哀相にサラリイがとても少ないのよ。――たった七千なんですって!」

 彼女がいう、「今じゃもう、一つことしか眼につかないわ。あんたの口の大きいこと! 大きな口! 何てまあ大きな口!」

 馬は有害無益な動物です。馬のために余計な地面まで耕します。馬は人間に筋肉労働の習慣を失くさせます。それのみか屡々贅沢品にもなります。馬は人間を惰弱にします。将来は馬なんぞ一匹もいなくなるがいいです!

 N君は声楽家である。誰に会っても口を利かない、喉はすっかりくるんである――声を大事にするのである。ところが誰一人ついぞ彼が歌うのを聞いた人はない。

 何事についても断乎として、「それが一体何になります! 何にもならんですよ!」

 夏でも冬でもフェルトの長靴を穿いている。それをこう説明する。――「頭が軽くなるんです。熱のため血が足の方へ下りますからね――考えがはっきりしますよ。」

 婦人が冗談にフョードル・イヴァーノヴィチと呼ばれる。

 笑劇。――Nが結婚の用意に、広告に出ていた軟膏を頭の禿に擦りこんだ。すると意外千万、頭に豚の剛毛が生えて来た。
 ――御主人は何をしておられますか?
 ――蓖麻子ヒマシをいただいてますわ。

 お嬢さんの手紙。――「すると私たちの家、堪らないほどあなたのお宅と近くなるわ。」

 Nはずっと前からZに恋している。ZはXに嫁ぐ。結婚後二年ほどしてZはNを訪れる。彼女は泣いて、何か話がある様子だ。てっきり夫の不平を言い出すのだとNは思って待ち構える。ところがZは、Kを恋していることを打ち明けに来たのだった。

 Nはモスクヴァの有名な弁護士。ZはNと同郷のタガンログ生れ。彼はモスクヴァに出て来ると、この名士に会いに行く。彼は大喜びで迎えられる。しかし彼は、その昔Nと一緒に通った中学を思い出し、Nの制服姿を思い出し、羨望のために心が平らかでない。そして、なあんだ住居アパートだって大して上等じゃないし、Nという人間にしてもお喋りで感服できんな、などと考える。やがて彼は、自分の抱いた羨望の念と自分の品性の下劣さのためすっかり白けた気持になって、Nの家を辞去する。自分がこれほど下劣な人間だろうとは、彼はその時まで夢にも思わなかった。

 戯曲の題――『蝙蝠』。

 老人に出来ないことは悉く、禁止されるか又は危険視されるのだ。

 彼はひどく老い込んでから、若い女と結婚した。すると彼女はみるみる衰えて、彼とともに弱って行った。

 一生涯、資本主義だの何百万だのと書いていた。そのくせ金のあった例しはなかった。

 奥さんが美男のお巡りさんに恋した。

 Nは非常に腕のいい、得がたいほどの仕立屋だった。ところが色んな詰らぬことのためにそこなわれて、すっかり駄目になってしまった。ポケットの無い外套を作ったり、とても高い襟を付けたりした。

 笑劇。――荷物運送兼火災保険会社の代理人。

 上演できる脚本なら誰にだって書ける。

 田舎の領地。冬。病気のNが家に引籠っている。ある晩、何の前触れもなしに停車場から、Zという見知らぬ若い少女が橇を乗りつける。彼女は自己紹介をして、Nの看病にやって来たのだと述べる。Nは当惑する。薄気味が悪くなって断る。するとZは、とにかく今晩は泊めて貰いますという。一日たち二日たつが、彼女は出て行かない。彼女はとても我慢のならぬ性格の持主で、折角の閑居をめちゃめちゃにしてしまう。

 レストランの特別室。金持のZがナプキンを頸玉に結んで、鱘魚ちょうざめをフォークでつつきながら呟く、「この世の名残に一口やるか。」――それがずっと以前から毎日のことである。

 ストリンドベリイや一般に文学に関するL・L・トルストイ*の考え方は、ルフマーノヴァ女史**にそっくりだ。
*リョフ・トルストイの息子。
**三流所の女流作家。

 デドロフ*は談たまたま副知事や知事のことに及ぶと、『ロシヤ文学百人集』に収められた『副知事の来着』を持ち出しなどして、浪漫主義者になってしまう。
*三流所の小説家。

 戯曲『生活の豆』。

 馬医者A、種馬階級の出身。

 ――うちのお父さんはスタニスラフ二等勲章*までみんな持ってましたわ。
*その下にはスタニスラフ三等勲章しかない。

Konculijatsyjaコンスリャツイヤ*.
Konculitatsyjaコンスリタツイヤ(立会診断)の言い誤り。「領事」に似て来る。

は輝いているけれど、私の胸のなかは暗い。

 S町でZという弁護士と知合いになった。美しきニカといった型の男である。……子供が沢山いるが、どの子に対しても教え導くような態度で接して、柔和で優しく、決して荒い言葉を使わない。間もなく私は、彼にはもう一つ別の家庭のあることを知った。やがて彼は娘の結婚式に私を招んで呉れた。彼はお祈りをして、ひれ伏さんばかりに頭を垂れてこう言う、「私にはまだ宗教心が残っているのです。私は信者なんです。」彼のいる席で教育問題や婦人問題が話題になると、彼は何の話か分りませんといった風な無邪気な顔をする。法廷で弁論をする時には哀願するような顔になる。

 ――お母さん、お客様の所へ出ないで頂戴な。あんまり肥ってらっしゃるんですもの。

 恋愛ですと? 恋をしたですと? とんと覚えがありませんわい! わしは八等官ですて。

 まだ母親のはらから出て来ない嬰児のように物を知らぬ男。

 Nのスパイ熱は、子供の時からよぼよぼ爺さんになるまで変らなかった。

 ――賢い言葉を使うことだな、万事はそれに尽きるですよ。――哲学……赤道……といった工合にね(戯曲に使うこと)。

 星たちはもうとっくの昔に消えてしまった。しかし俗衆には相変らず光って見える。

 学者になるかならない内から、もう名声を望むようになった。

後見役プロンプターをしていた男が、厭気がさしてやめた。それから十五年ほど劇場へ足踏みもしなかった。やがて芝居見物に行って、感動のあまり涙を流し、侘しい気持になった。家に帰って、芝居は如何でしたかと妻君に訊かれると、彼はこう答えた、「虫が好かんね!」

 小間使のナージャが、油虫・南京虫の駆除夫に恋した。

 或る五等官が死んだ後で、彼が一ルーブルの日当で劇場の犬の声色方に傭われていたことが分った。貧乏だったのだ。

 君はちゃんとした、身装みなりの立派な子供たちを持たなくちゃならぬ。君の子供達もやはり立派な住居すまいと子供たちを持たなくちゃならぬ。そのまた子供たちも、やはり子供たちと立派な住居を持たなくちゃならぬ。一たい何のためにだって? ――誰が知るもんか。

Perkaturinペルトトウーリン.

 彼は毎日わざと嘔気をつける。――健康のためにいいという親友の忠告にしたがって。

 さる官吏が風変りな生活をはじめた。別荘にひどく高い煙突をつけ、緑色のズボンをはき、青いチョッキを着込み、犬の毛を染め、真夜中に正餐をとる。一週間すると降参してしまった。 成功は早くもこの男をぺろりと一舐めした。

 「Nは金に困ってるよ。」「何だって? 聞えなかったよ。」「Nが金に困ってるって言ったんだよ。」「一体そりゃ何のことかね? 僕にゃ分らないなあ。第一NってどのNだい?」「Zを妻君にしているあのNさ。」「成程、それがどうしたね?」「あの男を援助してやらなくちゃなるまいって言うんだよ。」「え? あの男って誰のことかね? なぜ援助してやるんだね? そりゃまたどういう意味かね?」等々。

 旅館の主人が差出した勘定書の中に、「南京虫十五銭」という項目。その説明。

 屋根を打つ雨の音を聴きながら、おまけに自分の家には厄介な退屈な人間はいないのだと意識しながら、家に引籠って居るのは何という愉しさだろう。

 Nはいつも、ヴォトカを五杯もひっかけた後ですら、必ずヴァレリアン・ドロップス(興奮剤)を嚥む。

 彼は女中と事実上の夫婦になっている。彼女はおそるおそる、彼を「殿様」とあがめる。

 私はある田荘を借りて避暑した。持主は大そう肥った老婦人だった。彼女は離れに住んで、私は母家に住んでいた。彼女は夫に死別し、子供達にも皆死なれて、一人ぽっちで、ひどく肥満していた。領地は借金の始末に売りに出ていて、備えつけの家具調度の類は古めかしい、趣きの深いものだった。彼女はしょっちゅう、自分に宛てられた亡夫や息子の古手紙を読んでいた。それでいて彼女は楽天家だった。私の家の者が病気になると、彼女は微笑みながら「ねえ貴方、神様のお助けがありますわよ」と慰めるのだった。

 NとZとは女学校の仲好しで、二人とも十七八の年頃である。不意にNは、Zが彼女の父親N氏のために身重になったことを知る。

 牧師チャマが参られた。……チンチェイな。……神よ、チュクブクあれ。……

 女権拡張についてのお談義のなんと空疎な響きを立てることよ!

 もしも犬が名文を書いたら、彼等は犬をさえ認め兼ねない。

 喀血。――なあに膿腫おできが破れたのさ。……何でもないさ、まあもう一杯やんなさい。

 インテリゲンツィヤは無用の長物だ。何故というに、お茶をがぶがぶ飲んで、やたらに喋り立てて、部屋じゅう濛々たる煙草の煙、林立する空瓶……。

 まだ娘の頃にユダヤ人の医者と駈落をして、女の児を生んだ。今では自分の過去が厭わしい、赤毛の娘が厭わしい。しかし父親は相変らず彼女も娘も愛していて、丸々と肥ったきれいな顔をして窓の下を歩いている。

 楊枝を使って、またそれを楊枝入れに差した。

 夫婦ともよく眠れないので、つい話に身がはいってしまった。文芸が衰えたという話から、雑誌を出したらさぞよかろうという話になる。二人ともこの思いつきに夢中になった。やがて横になって、暫く言葉がとだえた。「ボボルィキンに書いて貰うかね?」と彼が訊いた。「無論ですわ、書いて貰いなさいよ。」朝の五時に彼は車庫へ勤めに出る。彼女は雪の中を門まで送って行って、彼の出たあとを閉める。「ええと、ポターペンコにも書いて貰うかね?」と、木戸の外から彼が訊く。

 アレクセイは父親が貴族に列せられたと知ると、さっそく署名をアレクシイに改めた。

 教師曰く、「『人畜の犠牲を伴える列車の顛覆』というのはいけません。『その結果として人畜の犠牲を生じたる列車の顛覆』としなくてはいけません。」……「参集したる客に基づき」……

 戯曲の題『金色の雨』。

 われわれ無常の人間の物差しは一つとして、非有や人間以外のものを測る用には立たぬ。 愛国者曰く、「ですがね、わがロシヤのマカロニはイタリヤのより上等ですよ! 論より証拠ですて! いつぞやニースで鱘魚ちょうざめ料理を出された時にゃ、思わず泣きたくなったですよ!」そしてこの愛国者は、自分が胃の腑だけの愛国者であることに気がつかなかった。

 不平家曰く、「一たい七面鳥は食べ物でしょうか? 一たい筋子イクラは食べ物でしょうか?」

 大そう聡明な、学問のあるお嬢さん。彼女が海水浴をしているとき、その狭い骨盤や、痩せ細った貧弱な腿を見て、彼は彼女が嫌いになった。

 時計。錠前屋のエゴールの時計は、まるでわざとのように意地悪く遅れたり進んだりする。いま十二時を指したかと思うと忽ち八時を指す。中に悪魔でも棲んでいそうな意地の悪さである。錠前屋は原因をつかもうと思って、あるとき時計を聖水に漬けて見た。……

 昔の小説の主人公(ペチョーリン、オネーギン)は二十歳だった。だが今日では三十から三十五歳よりも若い主人公は使えない。やがて女主人公の方もそうなるだろう。

 Nの父親は有名な人だった。彼も立派な人間なのだが、何をやっても皆がこう言う、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」或るとき彼は芸術の夕べに出演して朗読をやった。ほかの連中はみんな好評だったが、彼だけはこう言われた、「相当だね、だがお父さんにはまだまだ。」家に帰って床に就くと、彼は父親の肖像を睨みつけて拳骨を振り廻した。

 われわれは子孫を幸福にするため生活の改善に腐心する。しかし子孫は相変らずこう言うに違いない、「昔は今よりよかったなあ。今の暮らしは昔より悪くなったよ。」

 わが座右銘。――私はなんにも要らない。

 今日では、きちんとした勤勉な人が自分や自分の仕事を批判的な眼で眺めると、世間からやれ愚痴っぽい男だとか、のらくら者だとか、厭世家だとか言われる。ところがぶらぶらしているいかさま師が仕事をしなけりゃならんと叫ぶと、世間の人は喝采する。

 女が男の真似をして破壊をすると、人々はこれを自然と見、よく理解する。女が男の真似をして創造を企てたり試みたりすると、人々はこれを不自然と見、怪しからんと言う。

 僕は結婚すると婆さんになりました。

読書ざんまいよせい(045)

◎トロツキー・青野季吉訳「自己暴露」

第二章 私達の鄰人と私の最初の學校(続き)

 獨逸の移往者達は離れたー集團をなしてゐた。彼等の中には實際に富裕な人もゐた。彼等は他の者達よりはずつと强固な基礎をもつてゐた。彼等の家族關係は緊密であつて、彼等の息子は稀に都會へ敎育に出されてゐたが、娘達は慣習的に野良で働いてゐた。彼等の家は煉瓦で建てられ、綠や赤に塗つた鐵の屋根をもつてゐた。馬は賤けがよく、彼等の馬具は丈夫であつた。彼等のばねのある二輪馬車は『ドイツ馬車』と呼ばれた。獨逸人の中で私達の所に最も近い鄰人はイヷン・イヷノヴヰツチ・ドルンで、素足に粗末な靴をはき、日に燒けて毛の伸びた顏と灰色の髮をもつた、肥つた、活氣のある男であつた。彼はいつも、蹄が大地に雷のやうに響く黑い種馬に引かせた、立派なピカ/\塗立てた馬車を乘廻してゐた。そこにはかうしたドルン型が何人もゐたのだ。
 彼等の上に、羊王であり、草土帶の『カン二ツトヴエルスタン』でおるフアルツ・フアインの像が聲へ立つてゐた。
 この地方を馬車で走つてゐると、人は羊の大群の中を通り拔けるであらう。『この羊は誰のですか』と誰かゞ訊ねる。『フアルツ・フアインのだ。』君は途中で乾草を析んだ馬車に出會ふ。あの乾草は誰のだらう。『フアルツ・フアインのだ。』毛皮のピッミツトが柢で飛ばしてゐる。あれはフアルツ・フアインの支配人だ。駱駝の一群が突然咆え出して諸君を驚かす。駱駝をもつてゐるのはフアルツ・フアインだけだ。ファルツ・ファインはアメリカから種馬を、スヰスから牡牛を輸入した。
 當時フアインでなしに單にフアルツと呼ばれたこの一族の創始者は、オルデンブルグ侯爵の領地の羊飼であつた。オルデンブルグは緬羊飼育のために莫大な金を政府から下げ渡された。この侯爵はおよそ百萬からの借財を造つたが、何んにもしなかつた。フアルツはその所冇物を買つて、侯爵としてではなく、羊飼として管理した。彼の羊群は彼の牧場や彼の仕事と同樣に增大した。彼の娘はフアインと呼ばれた羊の飼育者と結婚した。かくて二人の牧場の王家は今日の如く合體した。フアルツ・フアインの名は、動いてゐるー萬の羊の足音の如く、無數の羊の聲の鳴聲の如く、長い牧羊杖を肩にした草原の羊飼者の呼笛の如く、澤山の牧羊犬の叫聲の如く響き渡つた。この草原そのものが、炎熱の夏にも、酷寒の冬にも、この名前を呼吸しのだ。
 私の生涯の最初の五ケ年は旣に過去つた。私は經驗を加へて行つた。人生は發明に滿溢れてゐる。そして殆ど分らない程の小さな一角においても、恰かも世界的舞臺において見るやうに勤勉に、その發明の組合せをつくり出してゐる。出來事は私の前に次から次へと輻輳する。
 或勞働少女が野良で蛇に咬まれて伴れて來られた。その少女は悲しさうに泣いてゐる。彼等は彼女の腫れた足を膝の上でしつかりと繃帶し、それを酸敗したミルクの桶の中に浸した。少女は病院へ入れられるためにボブリネツツへつれ去られた。彼女はそこから歸つて再び働く。彼女の咬まれた足は汚くよごれてずた/\になつた長靴下を穿いてゐる。だから勞働者達は、彼女を『貴婦人』としか呼ばないであらう。
 野性の豚が、自分に食物をくれてゐた男の額や、肩や、腕を咬んだ。それは豚の全群を改良するためにもつて來られた、稀らしい、巨大な野性の豚であつた。嚙まれた男は死ぬる程驚かされて、子供のやうに唤めいてゐた。彼もまた病院へ伴れて行かれた。
 二人の若い勞働者が、殼物の束を積んだ馬車の道に立つて、互に投熊手を投合つてゐた。私はその有樣に見とれてゐた。彼等の中の一人が投熊手をもつて呻きながら側らに倒れた。
 これらの凡ては或るひと夏の閒に起つたことである。そして夏と云へば、何にも事件が起らないで終つたことはない。
 或秋の夜のこと、水車場の木造の上家の全體が池の中へ滑り込んだ。栈はずつと以前から腐つてゐて、板の壁は暴風のために帆のやうに奪ひ去られてゐた。動力や、磨石や、粗目挽臼や、風袋分離器が、廢墟中に嚴然と立つてゐる。板の下から無數の水車小舍鼠が、時々飛出して來る。
 私はよく水を運ぶ人について、こつそりとモルモツト狩りに野良へ行つた。誰かゞ早すぎもせず晚すぎもしない正確さで、穴の中へ水を注ぎ、棒切れを手に持つて、その出口に艷のない濡れた毛をした鼠に似た鼻が出て來るのを待つた。年取つたモルモツトは、自分のお臀で穴をふさいで永い閒抵抗した。然し二杯目のバケツの水は奴等を降參せしめて、自ら死に飛出して來た。一人がこの死んだ動物の足を切つて、それを紐に通した——ゼムストフオ*はモルモツト一匹についてーコベツクで買つたのだ。役所では尻尾を見せろと云ふのが常だつたので、賢い奴が一匹の動物の皮で、十二の尻尾を作ることを發明した。そこでゼムストフオでは今度は、足を見せろと云ふやうになつたのだ。私はぶ濡れになつて、埃をいつぱいかぶつて歸つた。家ではかうした冒險は少しも襃められなかつた。彼等は私を食堂の長椅子の上に坐らせて、盲目エディブスとアンティゴーネの話を引合ひに出した。
 *地方管區の行政を擔任する、選擧による農村組織脸でおる。—英記者

 或日母と私とが最寄りの町のボブリネツツから橇に乘つて歸つてゐた。雪に目を眩まされ、橇に搖られて、私は居睡りしてゐた。橇が曲り角で顚覆して、私は俯向きに投り出された。毛布と秣が私を窒息させようとした。私は母の心配して叫ぶ聲を聞いたが、それに答をすることが出來なかつた。新しく雇つた、大きな、頭髮の赤い、若者の馭者が、毛布を引張り上げて、私を見つけ出した。私達は再び座席に歸つて歸路を急いだ。然し私は、惡寒が背骨の所を上つたり下つたりすると云つて、訴へ始めた。『惡寒?』毛の赤い馭者は、顏を私へ向けて、しつかりした白い齒を見せながら訊ねた。私は彼の口元を見詰めながら答へた。『さう、お前は惡寒を知つてるの?』馭者は笑つた。『何んでもありませんよ。』それからもう一言『もうすぐ着きますから。』と云つて、淺い粟毛の馬を驅立てた。
 翌晚のこと、その馭者が栗毛の馬と一緖に消失せてしまつた。所有地は大騷ぎになつた。兄の指揮する一隊が忽ち編成せられた。彼はムツツに鞍を置いて、泥棒をひどいめに合せてやると誓つた。『まづ奴を捕へなくちやいけないぞ。』と父は陰鬱さうに注意した。二日振りに一隊は歸つて來た。兄は馬泥棒の捕へられなかつたことを霧にかこつけた。白い館の色男の愉快な男ーーそれが馬泥棒だ!
 私は熱に侵されて轉げ廻つた。自分の腕や足や頭が邪魔になつた。それらは腫上つて壁や天井に壓しつけられるやうだつた。そしてそれは內部から跳出すのであるからこの障害から逃れようがなかつた。私の體は燃えるやうで、喉が刺すやうに痛んだ。母が私を覗き込んで、その次に父が覗いた。彼等は心配さうに目交せして、喉に膏藥を貼ることにした。『私はリヨヴァがヂフテリアにかゝつたのではないかと心配するんですが?』と母が云つた。
『ヂフテリアだつたら、もう疾つくに吊臺に乘せられてゐますよ。』とイヴン・ワシリエヴヰツチが答へた。
 私は漠然と、妹のロゾチカがさうであつたやうに、死を意味する吊臺に橫つてゐるところを考えへて見た。然し私は彼等が私のことを話してゐるのだとは、信することが出來なかつた。だから彼等の話を落ちついて聞いてゐた。最後に私をポブリネツツに伴れて行くことに話が定まつた。私の母は熱心な正敎徒であつたわけではないのだが、安息日に町へ行かうとはしなかつた。イヴン・ワシリエヴヰツチが私を伴れて行つた。私達は元私の家の召使であつて、ボブリツツで結婚してゐる小さなタチヤナの家に泊まつた。彼女には子供がなかつた。だから傳染の危險がなかつた。醫師のサチユノウスキイは私の喉を調べ、體溫を計り、お定りのやうに、まだ早過ぎてよく分りませんねと確言した。タチヤナは私にビール壜をくれたが、その壜の中には小さな棒切れや、板切れで造つた、立派な小さい敎會が出來てゐた。私の足や腕は、私を困らすことを止めた。私は恢復した。これは何時頃起つたことだらう? 私の生涯の新しい時代の始まるより餘り以前ではなかつた。
 その新時代はかうして來たのだ。自惚屋で子供達の敎育を幾週閒も放つて置いたアブラム叔父さんが、氣嫌のいゝ時に私を呼びつけて『行き詰らないやうに、速座に今年は何年であるか云つて御覽』と訊ねた。『えゝ知らない?  一八八五年ぢやないか!何回もくり返して覺えておいで、も一度訊くから。』私はこの質問の意味を理解することが出來なかつた。『さう、一八八五年です。』と從兄弟のだんまり屋のオルガは云つた。『そしてその次ぎは一八八六年です。』私はこれが信ぜられなかつた。時閒に名前のあることが承認されるならば、それならーハハ五年は、永久に、卽ち非常に長く長く、家の礎石の大きな石のやうに、水車小舍のやうに、或ひは現實の私自身のやうに、存在する筈である。オルガの妹のベテイヤは誰を信じていゝか知らなかつた。私達三人はみんな、新しい年が來ると云ふ思想に故障を感じた。恰度誰かゞ、扉を開けて、色々な聲が高く響いてゐる、眞暗な、空つぽの都屋の中へ伴れて行かれた時の樣に。最後に私が降參しなければならなかつた。誰でもがオルガに贊成する。だから一八八五年は私の意識の中に於て最初に名前をつけられた年になつたのだ。それは、私の形體のない、前史的な、渾沌たる時代に終末を吿げしめた。いまから後は私は年代を知つてゐる。その時私は六歲であつた。それは凶作、恐慌の年であり、ロシアに於ける竝初の大きな勞働者の騷亂の年であつた。然し乍ら、私を强く刺戟したこの年の名前は不可解なものであつた。私は承知が出來ないで、時と數との隱れたる關係を推測しようと努力した。一連の年月が經過した。それは初めはゆつくりと、それから段々と急速になつた。然し一八八五年はそれらの年次の巾に恰も年長者の如く、ー門の首領の如くに聳え立つてゐた。それは時代を標示した。
 これに續く事件が起つた。私は或時私の家の荷馬車の馭車臺に登つて、私の父を待つてゐる閒に、手綱を引張つた。若い馬は飛出して、家や、納屋や、庭やを飛越へ、路のない貯良を橫切つてデムボウスキイの所有地に向つて突進した。背後には叫び聲が起り、行く手には濠があつた。馬は猛り狂つた。殆ど馬車を顚覆させようとした。濠のごく尖端にある歪みで、馬はそこに根が生えたやうに突立つた。私の背後からは馭者が走つて來、その後には二三人の勞働者と、私の父とが續いた。私の母は泣聲を立てゝゐるし、姉は手を握り締めてゐた。母は私が彼女の方へ飛んで行つてるにも拘らず、金切り聲を立てゝゐた。父が死人のやうに蒼ざめて、私に無茶苦茶な平打ちを喰はせたことも書いて置くべきであらう。甚だあり得べからさることのやうに見えるが、私は叱られたことさへなかつたのだ。
 私が父と一緖に、エリザヴエートグラードへの小旅行をやつたのも同じ年であつたに相違ない。私達は夜明けに出發してゆつくりと步いた。ポブリネツツで馬に水飼ひした。私建は夜に入つてヴシイヴアヤ*に到着した。私達は品を保つてそれをシユヴイヴアヤと呼んでゐた。私達はその邊の郊外に盜賊が出ることを聞かされたので、そこで日の出を待つた。後年世界のどの一つの都も、パリも、ニユー・ヨークも、舖道や、綠色の屋根や、バルコ二ーや、商店や巡査や、赤い輕氣球やをもつたエリザヴエートグラードが當時私に與へたやうなそんな印象を與へはしなかつた。數時間の間私の目は大きく見開らかれ、私は文明の相貌に氣を奪はれた。
*ロシア語で、これは「不潔」を意昧する。ー—英譯者
 一年の後私は學課を始めた。或て大急ぎで顏を洗つた後で————ヤノウカでは人々はいつも大急ぎで顏を洗ふのだ————私は新しい日と、何よりもお茶に牛乳とバターケーキのついた朝食とに目を,やりながら、食堂に這入つて行つた。私は母が、瘠せた、和やかに笑つてゐる卑屈さうな男の見知らぬ人と一緖にゐるのに氣がついた。母とその見知らぬ人とは、私が彼等の會話の主人公であつたことを明かにするかのやうに、私を眺めた。
『握手をしなさいリヨヴア。お前の先生に御目にかゝるのだよ。』と母が云つた。私は多少恐れながらも、いくらかの興味を以つて先生を眺めた。その先生は私に、どの先生でもその兩親の前では未來の生徒にするやうに、溫和かに挨拶をした。母は私の行くまへに事務的手筈を立派に終つてゐた。それ故、先生は居留地の彼の學校で、私にロシア語で數學と、ヘブリユウ原語で舊譯聖書とを敎へるために、澤山の金と、澤山の麥粉の袋とを取つたのである。けれども母は少しもさうしたことを爲し終ひてゐなかつたものだから、敎授の範圍などはむしろ漠然としたまゝであつた。私は自分の茶にミルクを入れて、ちび/\と啜りながら、私の運命に於ける今後の變化を味ふやうな氣がした。
 その次の日曜日に父は私をその殖民地に伴れて行つて、ラシエル叔母さんと一緖に住はせた。と同時に私達は彼女の所へ、小麥粉や、大麥の粉や、稗や、蕎麥の入つた遮產物の荷物を持つて行つた。
 グロモクレイからヤノウカへの距離は四ヴエルストであつた。居留地を貫通して狹い谷が走つてゐた。その一方はユダヤ人の居留地であり、他の側は獨逸人の居剧地であつた。この二つの部分は極端な對蹠をなして對立してゐた。獨逸人區は、家竝は淸楚で、一部分は瓦で屋根を弄き、一部分は蘆で葺いてあり、馬は大さく、牛は艷々してゐた。ユダヤ人區では、小舍は荒廢してをり、屋根はすたすたに破れ、家畜は瘦せこけてゐた。
 私の最初の學校が、ごくわづかな印象をしか殘さないのは不思議なことだ。私が股初にロシア語のアルハベツトを書きつけた石の黑板。ペンを握つてゐる先生の瘦せた人差指、みんなで一緖にやつた聖書の音讀、物を盜んだ二三人の少年の刑罰、——凡て漠然とした斷片であり、霧のやうにきれ/”\であつて、一個の生きた繪ではないのだ。恐らく例外は、背が高くて、押出しのいゝ、先生の細君であつた。彼女は始終思ひがけなく私達の學校生活に仲閒入してゐた。或時授業中に彼女は夫に、新しい麥粉に特種の臭ひのあることをこぼしに來た。そして先生が彼女の手のひと握りの麥粉に尖つた鼻をもつて行つた時、彼女はそれを先生の顏に投げつけた。それが彼女の冗談の槪念であつたのだ。少年少女達は笑つた。たゞ先生だけは下を向いてゐた。私は、麥粉まみれになつた顏で、敎埸の眞中に立つてゐる彼を氣の毒に思つた。
 私は人のいゝラシエル叔母さんと共にゐながら、彼女のことは少しも氣に留めないで暮してゐた。母屋の同じ庭に面してアブラム叔父さんが君臨してゐた。彼は、甥や姪を全然公平に待遇した。時々彼は私だけを選り出して、招待し、私に髓のある骨を御馳走して、そしてつけ加へた。『俺《わし》はこの骨のために、お前から十ルウブルは取らないよ。』
 私の叔父さんの家は、殆どこの居留地の入口にあつた。向ひ側の端には脊の高い、陰鬱な、瘦せたユダヤ人が往んでゐた。彼は馬泥棒だといふ評判があり、、<ママ>餘り香しくない商ひをしてゐた。彼には娘があつたーー彼女にも亦如何はしい風評があつた。この馬泥棒の所から遠くない所に帽子屋が住んでゐて、ミシンの上でちく/\やつてゐた。——燃えるやうな赤い髭のある若いユダヤ人だ。この帽子屋の細君はよく、アブラム叔父さんの家にいつもゐた居留地の監督官の前へ來て、馬泥棒の娘が彼女の夫を盜まうとしてゐると云つて不平を竝べてゐた。だが監督官は一向加勢する樣子もなかつた。或日私は學校から歸りに、群衆が町の中で若い女、馬泥棒の娘を曳きずつてゐるのを見た。群衆は罵り叫び、そして彼女に唾を吐きかけた。この聖書にあるやうな情景は、永久に私の記憶の中に刻み込まれた。數年後、アブラム叔父さんはまた當時のこの婦人と結婚した。その時には彼女の父は居植地の法規によつて、共同社會の好ましからぬ人物として、シベリアに流刑に處せられてゐた。
 私の元の保姆のマーシヤは、アブラム叔父さんの家の召使であつた。私はたび/\臺所にゐる彼女の所へ走つて行つた。彼女は私とヤノウカとの關係の象徵であつた。マーシヤの所には、時々むしろ耐えられないやうな訪問者が來た。さうすると私は寧丁に送り出された。或犬觀のいゝ朝のこと、居留地の他の子供達と共に、私はマーシヤが赤ん坊を生んだことを知つた。私達は大變な興味をもつて、祕密さうにさゝやき合つた。數日後私の母がヤノウカからやつて來た。そして臺所へマーシヤとその幼兒とを見舞に行つた。私は母の背後からこつそりついて行つた。マーシャは目の上まで垂下がる頭巾をかぶつてゐた。廣いベンチの上に瘦せた幼兒が橫つてゐた。私の母はマーシャに目をやり、それから小兒を眺めた。そしてその次に何んにも云はないで、口惜しさうに頭を振つた。マ—シャは下を見詰めたまゝ默りこくつてゐた。それから母は幼兒の方を見て口を開いた。『御覽、この兒は自分の小さい手を、大人のやうに頰の下に當てゝゐるぢやないか?』
『お前はその子が不惘ではないかい。』と私の母が訊ねた。
『い、え、彼は大變親切なのです。』とマーシャは橫着さうに答へた。
『それは噓だ、お前はかはいさうだ。』と私の母は宥るやうな調子で答へ返した。一週閒の後、この瘦せた幼兒は、彼がこの世に生れて來た時と同じやうに、神祕的に死んでしまつた。
 私は屢々學校を休んで私の村へ歸つた。そして時には殆ど一週閒もそこに停まつてゐた。私はユダヤ語を話さないものだから、學校友達の閒には親しい友人がなかつた。學校の授業期閒はほんの數ケ月しか緻かなかつた。この事實は、この時代の私の追憶が貧弱であることを說明するであらう。而かもシユファーーそれがグロモクレイ學校の先生の名であつた——は私に讀書と習字とを敎へた。この兩者は私のその後の生活の役に立つた。だから、私は私の最初の先生を感謝の心をもつて記憶してゐる。
 私はブリントの紙で勉强することを始めた。私は詩を筆寫した。私は自分で詩を書きさへした。後には私の從兄弟のセーニャZと一緖に雜誌を始めた。而かもなほこの新しい道は困難であつた。私はそれにそゝのかされて、やつと筆記の技術を會得した。或時、私は獨りで食堂にゐた閒に、私は、商店や、料理場で聞いた言葉で、私の家族からは聞いたことのない特別な言葉を、印刷字體に書下し始めた。私は、私の爲すべきでないことを行つてゐるのだと承知してゐたけれども、その言葉は、禁ぜられてゐるので、猶更ら私を引きつけた。私はこの小さな紙片とマツチの空箱に入れて、納屋の背後に埋めて隱して置かうと決心した。姉がその部屋の中へ這入つて來た時は、私がその表を完成するにはまだ/\遠い頃で私は夢中になつてゐた。私はその紙を摑んだ。母が姉の後から這入つて來た。彼女達は、私に書いたものを見せろと要求した。恥かしさに眞赤になつて、私はその紙を褥椅子《ふとん》の背後に投込んだ。姉はそれを取らうとしたが、私はヒステリツクに叫んだ。『私が自分で取るから。』私は褥椅子の下に這込み、その紙を切れ切れに引き裂いた。私の失望と、淚とには止め度がなかつた。
 ー八八六年のクリスマス週閒のことであつたに相違ないが、と云ふのは、私は旣に、私達が或夜茶を飮んでゐた時に、食堂の中へ假面舞踏者達の一群が雪崩れ込んで來たことを、その時どうを書き記したがいゝか知つてゐたからである。私は驚いて大急ぎで、褥椅子の上へ飛上つた。私は靜かにして素人劇『ツアー・マキシミリアン』を貪るやうに開いた。初めて夢幻的世界が私を包み、その世界は演藝的な實在性のあるものに轉形された。私は、その主役がもと兵士であつた、勞働著のブロコールによつて演じられたことを聞いた時には、驚きあきれた。その翌日、私は夕食後、鉛筆と紙とをもつて召使部屋に行き、ツアー・マキシミリアンに彼の獨白を、私に口授するやうにと懇願した。ブロコールは餘り氣がなかつたらしいが、私は彼にまとひつき、請求し、要求し、懇願して、彼をうるさがらせた。最後に私は、自分で窓の側に坐り場所をこしらへて、傷のついた窓の閾を使ひテーブル代りにして、ツアー・マキシミリアンの詩のやうな言葉を寫し始めた。やつと五分位經つた時に、私の父が入口の所へ來て、窓の側の光景を眺めて、嚴かに云つた。『リヨヴァ、お前の部屋へ御歸り。』私は諦められないで、褥椅子の上で午後の問中泣き通した。
 私は弱々しい調子の詩を綴つた。それは恐らく、言葉に對する私の愛は示してゐたであらうが、詩の發展上に於ては、確かに何等の豫示をもなされなかつた。姉は私の詩のことを知つてゐた、彼女を通じて母がそれを知り、母を通じて父が知つてゐた。彼等は、私の詩をお客さんの前で聲高に朗讀しないかと云つた。それはとても苦しいことだつた。私は承知しなかつた。彼等は、私に最初は溫和しく、次ぎにはいら/\し、最後には嚇しつけて、催促した。時には、私は逃出した。けれども私の目上の人達は、どうすれば自分逹の望みが達せられるかを知つてゐた。私は胸をどき/\させながら、眼に淚を溜めて、他から剽竊した行ひと、とつちんかんな韻律を恥かしがりながら、自分の詩を朗讀した。
 それはそれとして、私は智慧の木の實を知つた。生活は單に日每、いや、一時閒一時閒の中にすら廣がつて行つた。食堂の破れた褥椅子から、絲は他の世界に伸びて行つた。讀書が私の生活に新紀元を開いたのだ。