日本人と漢詩(055)

◎森鴎外と魚玄機


 唐代の女流詩人・魚玄機を扱ったのが、森鴎外の小説「魚玄機」。
青空文庫→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2051_22886.html
 彼女の短くも情熱的な人生の割には、ドロドロした色合いはなく、小説は淡白である。「舞姫」でも意外にもそうであったように、こうしたことが鷗外の持ち味かもしれない。
 小説中の魚玄機の漢詩五首から…
賦得江邊柳 江辺《こうへん》の柳を賦《ふ》し得《え》たり
翠色連荒岸 翠色《すゐしよく》荒岸《くわうがん》に連《つら》なり
烟姿入遠樓 烟姿《えんし》遠楼《ゑんろう》に入《い》る
影鋪秋水面 影《かげ》は秋水《しうすゐ》の面《おもて》に鋪《の》べ
花落釣人頭 花《はな》は釣人《つりびと》の頭《かうべ》に落《お》

根老藏魚窟 根《ね》は老《お》いて魚窟《ぎよくつ》藏《か》くれ
枝低繋客舟 枝《えだ》は低《ひ》くく客舟《きやくしう》繋《つな》がる
蕭々風雨夜 蕭々《せうせう》たり風雨《ふうう》の夜《よ》
驚夢復添愁 夢《ゆめ》より驚《さ》めて復《ま》た愁《うれ》ひを添《そ》ふ
 モザイクのような詩句である。「お題拝借」とあるから、自ずからそうなったのだろう。時の高名な詩人・温庭筠がひと目見て絶賛したという。
 語釈、訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/%E9%AD%9A%E7…/20171124 を参照。
遊崇眞觀南樓覩新及第題名處 崇真観《しゆうしんくわん》の南楼《なんろう》に遊《あそ》び、新及第《しんきふだい》の名《な》を題《だい》せし処《ところ》を覩《み》る
雲峯滿目放春晴 雲峯満目《うんぽうまんもく》春晴《しゆんせい》を放《はな》ち
歷歷銀鈎指下生 歴々《れきれき》たる銀鈎《ぎんこう》下生《かせい》を指《さ》す
自恨羅衣掩詩句 自《みづか》ら恨《うら》む羅衣《らい》の詩句《しく》を掩《おほ》ふを 
擧頭空羨榜中名 頭《かうべ》を挙《あ》げて空《むな》しく羨《うらや》む榜中《ばうちゆう》の名《な》を
語釈と訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/…/%E4%B9%9D%E3%80…
を参照のこと
贈鄰女 隣女《りんぢよ》に贈《おく》る
羞日遮羅袖 日《ひ》を羞《さ》けて羅袖《らしう》もて遮《さへ》ぎる
愁春懶起粧 春《はる》を愁《うれ》ひて起粧《きしやう》するに懶《もの》うし
易求無價寶 求《もと》め易《やす》きは価《あたひ》無《な》き宝《たから》
難得有心郞 得《え》難《がた》きは心《こゝろ》有《あ》る郎 《らう》
枕上潛垂淚 枕上《ちんじやう》潜《ひそ》かに涙《なみだ》 を垂《な》がし
花閒暗斷腸 花間《くわかん》暗《ひそ》かに腸《はらわた》 を断《た》つ
自能窺宋玉 自《みづ》から能《よ》く宋玉《そうぎよく》を窺《うかゞ》ふ
何必恨王昌 何《なん》ぞ必《かなら》ずしも王昌《わうしやう》を恨《うら》まん
那珂秀穂訳
面《おも》はゆや 袖にかくれて
逝く春を 起きて粧《よそ》ひぬ
瑠璃珠《るりたま》は求《と》めやすけれど
得がたきは情《こころ》ある人
忍びねに枕ぬらして
花の夜を嘆きあかせど
命さえ捨てて悔いなき
人あらば誰を恨まむ
 頸聯は、広く知られた対句。鴎外は、小説のなかで、采蘋という同性愛?の対象であった、女性を登場させており、本邦の女流詩人原采蘋を連想させるが、どうやら鴎外の創作であるらしい。
 語釈、訳は、 http://www.kangin.or.jp/…/text/chinese/kanshi_C28_2.html
を参照のこと。
寄飛卿 飛卿《ひけい》に寄《よ》す
堦砌亂蛩鳴 堦砌《かいぜい》乱蛩《らんきよう》鳴《な》き
庭柯烟露淸 庭柯《ていか》烟露《えんろ》清《きよ》し
月中鄰樂響 月中《げつちゆう》隣楽《りんがく》響《ひゞ》き
樓上遠山明 楼上遠山明ろうじやうゑんざんあきらかなり
珍簟涼風到 珍簟《ちんてん》に涼風《りやうふう》到《いた》り
瑤琴寄恨生 瑶琴《えうきん》に寄恨《きこん》生《うま》る
嵇君懶書札 嵇君《けいくん》書札《しよさつ》に懶《もの》うし
底物慰秋情 底物《なにごと》ぞ秋情《しうじやう》を慰《なぐさ》めん
 語釈と訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/…/%E4%B9%9D%E3%80…
 を参照のこと。
感懷寄人 感懐《かんくわい》人《ひと》に寄《よ》す
恨寄朱絃上 恨《うら》みを朱絃《しゆげん》の上《うへ》に《よ》寄せ
含情意不任 情《じやう》を含《ふく》めど意《い》任《まか》せず
早知雲雨會 早《はや》くも知《し》る雲雨《うんう》会《くわい》するを
未起蕙蘭心 未《いま》だ起《おこ》さず蕙蘭《けいらん》の心《こゝろ》
灼々桃兼李 灼々《しやく/\》たる桃《もゝ》と李《すもゝ》
無妨國士尋 国士《こくし》の尋《たづ》ぬるを妨《さま》たぐるなし
蒼々松與桂 蒼々《さう/\》たる松《まつ》と桂《かつら》
仍羨世人欽 仍《な》ほ羨《うら》やむ世人《よのひと》の欽《あふ》ぐを
月色庭階淨 月色《げつしよく》庭階《ていかい》に浄《きよ》く
歌聲竹院深 歌声《かせい》竹院《ちくゐん》に深《ふか》し
門前紅葉地 門前《もんぜん》紅葉《こうえふ》の地《ち》
不掃待知音 掃《はら》はず知音《ちいん》を待《ま》つ
語釈と訳は、 http://kanbunkenkyuu010.blog.fc2.com/blog-entry-374.html を参照のこと。
中国ないし本邦女流詩人の紹介は、これで一区切りとする。最後に魚玄機の詩をもう一首。
賣殘牡丹  売残の牡丹
臨風興嘆落花頻     風に臨んで落花の頻を興嘆す
芳意潜消又一春     芳意 潜に消して又一春
応為価高人不問     応に価高きが為に人 問わざるべし
却縁香甚蝶難親     却って香の甚しきに縁って蝶 親しみ難し
紅英只称生宮里     紅英 只だ称う宮里に生みしを
翠葉那堪染路塵     翠葉 那ぞ堪えん路塵を染めしを
及至移根上林苑     根を移すに至るに及ぶ上林の苑
王孫方恨買無因     王孫 方に恨む買うに因し無きを
語釈と訳は、
http://blog.livedoor.jp/kanbuniink…/archives/23202183.html
を参照のこと
那珂秀穂訳
風に落つる牡丹の花の 哀れさよ
かくてまた この春も 暮れゆく
値の高きゆゑに 買ふ人もなく
香り高きゆゑに 蝶も近かよらず
紅き花びらは 九重の奥にこそ
緑の葉は 世の塵をいとらふむも
上林に 移し植ゑられなば
買はむすべなきを恨まんものを
哀切感が切々と伝わる名訳である。
参考)「魚玄機・薛濤」(漢詩体系15)
図は、 https://www.easyatm.com.tw/wiki/%E9%AD%9A%E7%8E%84%E6%A9%9F から

日本人と漢詩(052)

◎那珂秀穂、小田嶽夫、武田泰淳と薛濤


 先日、紹介した佐藤春夫訳も含めて、それぞれの訳は、それぞれの趣きがあるようだ。「大唐帝国の女性たち」での訓読訳も捨てがたい。
春望詞 其一
花開不同賞 花開《さ》けど同《とも》に賞《め》でられず
花落不同悲 花落《ち》れど同に悲しめず
欲問相思處 相思所《こいするところ》を問わんと欲《すれ》ば
花開花落時 花開き花落る時と
訳詞)
・那珂秀穂訳
花咲きてうれしかるとも
花散りてかなしかるとも
いかがせむ 君はいづくに
ながむるや 咲きて散る花
・小田嶽夫、武田泰淳訳
花が咲いたら しぼんだら
かたりあひたいあのひとと
うれしかなしもむねのうち
花が咲くのに しぼむのに
 其二 
攬草結同心 草を攬《ぬ》いて同心を結び
將以遺知音 将《まさ》に以て知音《とも》に遺《おく》らんとす
春愁正斷絶 春愁 正に断絶し
春鳥復哀吟 春鳥 復《ま》た哀吟す
訳詞)
・那珂秀穂訳
垣根ぐさ誓《うけ》ひ結びて
なつかしき人にしめさむ
春なればいよよ切なく
春鳥の啼く音《ね》かなしも
 其三 
風花日將老 風花 日に将《まさ》に老いんとし
佳期猶渺渺 佳期《けっこんのひ》 猶お渺渺《びょうびょう》たり
不結同心人 同心の人と結《むす》ばれず
空結同心草 空しく同心の草を結ぶ
訳詞)
・那珂秀穂訳
風に散るたそがれの
はるのなごりぞほのかなる
思ほゆ君にわが逢わで
むなしく結ぶめをと艸
 其四 
那堪花滿枝 何ぞ堪《た》ん 花 枝に満ちて
翻作兩相思 翻《かえ》って作す両相思《こいごころ》
玉筯垂朝鏡 玉筯《なみだ》 朝の鏡に垂れるを
春風知不知 春風は知るや知らずや
訳詞)
・那珂秀穂訳
花咲きぬ 枝もたわわに
わが恋のつのるがごとく
朝鏡 うつるなみだを
春の風 知るや知らずや
参考)高世瑜「大唐帝国の女性たち」
「魚玄機 薛濤」(漢詩体系15)
写真は唐代の女性の騎馬姿の俑人形

日本人と漢詩(051)

◎深田久弥と海量、李白


 今年も山に行けそうもない。せめて、未登の山を詠った詩から慰めをもらうことにする。でも案外、山の遠景の詩はあるが、登ることをテーマの詩は少ない。近代アルピニズムの開花は明治以降だったからだろう。
望駒嶽 駒嶽を望む 海量
甲峡連綿丘壑重 甲峡連綿として丘壑《きゅうがく》重なる
雲間獨秀鐵驪峯 雲間独り秀《ひい》づ鉄驪《てつり》の峰
五月雪消窺絕頂 五月雪消えて絶頂を窺《うかが》へば
靑天削出碧芙蓉 青天削り出す碧芙蓉《へきふよう》
 深田久弥「百名山」に掲載された甲斐駒ヶ岳を詩の題材とする。承句の鉄驪は青黒色の馬の意。形容が面白い。結句は、李白の以下の詩の換骨奪胎。芙蓉は一般には富士山を指すが、ここでは秀麗な山容の表現。
望廬山五老峯 廬山五老峯を望む 李白
廬山東南五老峯 廬山の東南 五老峯
青天削出金芙蓉 青天 削り出だす 金芙蓉
九江秀色可攬結 九江の秀色を攬結《らんけつ》す可《べ》き
吾將此地巣雲松 吾《われ》此《こ》の地を将《も》って 雲松に巣《すく》はん
語釈、訳文は、http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi3_07/rs253.htm
を参照のこと。
 海量(1733-1817)は江戸期の浄土真宗の僧侶。「望む」とあるので山麓からの風景ではあるが、宗教的な山岳修行に関係しているかもしれない。
写真は、Wikipedia(甲斐駒ヶ岳)より
参考)木下元明「江戸漢詩」

日本人と漢詩(050)

◎文楽(人形浄瑠璃)と白楽天

 先日、文楽(人形浄瑠璃)を観た(聴いた)。演目は、夏祭浪花鑑《なつまつりなにわかがみ》。「浪花の俠気の男たちとその妻たちの物語」。題名のように夏向きの趣向で、泥場といわれる最後に近い五反目の殺人現場での修羅場が人形ならではの見せ場である。
Wikipedia → https://w.wiki/3fyn
 ところで、文楽の舞台での襖には、漢詩が掲げられていることがあり、ちょっとした「小道具」である(写真)。「仮名手本忠臣蔵」山科閑居の段には、白楽天の「折剣頭」が書かれており、まがった釣針は、高師直(吉良上野介)に贈賄した側、折れた刃は、塩冶判官(浅野内匠頭)を指し、放蕩に耽る大星由良之助(大石内蔵助)の内心での「忠義」が示唆される。
折劍頭 折れたる剣の頭 白居易
拾得折劍頭  折れたる剣の頭《さき》を拾い得たり
不知折之由  折れたる由《いわれ》は知らず
一握靑蛇尾   一握りの青き蛇の尾か
數寸碧峰頭  数寸なる碧の峰の頭《いただき》か
疑是斬鯨鯢  疑うらくは是れ鯨鯢《けいげい》を斬りしならん
不然刺蛟虯  然らずは蛟虯《こうきゅう》を刺せしか
缺落泥土中  泥土の中に欠け落ち
委棄無人收  委ね棄てられて収《ひろ》う人無し
我有鄙介性  我は鄙《いや》しく介《かたくな》なる性有りて
好剛不好柔  剛《かた》きものを好めど柔きものを好まず
勿輕直折劍  直きゆえに折れたる剣を軽んずる勿かれ
猶勝曲全鉤  曲がりつつ全き鉤《つりばり》には猶お勝りなんものを
白楽天は自負とおり、硬骨漢でもあったようだ。
解説は、 https://www.eg-gm.jp/e_guide/yowa/yowa_01_2014.html を参照のこと、図も同サイトからの転載。

日本人と漢詩(049)

◎堀辰雄と杜甫


秋興(その五)
その頃の長安はといへば、
蓬萊山に來たかとおもふやうな立派な宮殿が、
終南山に相對して、燦爛として居った。
承露盤といふ、恐ろしい高い仙人の形をし た銅像が、
 空に聳え立ち、
西のかた、瑤池には西王母が下り給ひ、
又、東からは紫氣が棚引いてきて、
函谷關に充ち滿ちて居った……
そんな壯麗な有樣だった。
自分も、またちかぢかと、天子の龍顏拜したことが
 あった。
そのときは雉の尾でつくった扇をひらいたやうに
 雲がおのづからひらいて、
太陽の光がさあつとさしてきたかのやうだった。……
だが、いまはかかる江のほとりに臥して、
はや秋も暮れんとしてゐるのに驚いてゐる。
誰あつて、かゝる身が、
昔、朝廷に列してゐた者であることを知つてゐようや。
秋興(その六)
いまわが身のある瞿塘峽口も
又、昔ありし長安の曲江のほとりも、
秋は殆どかはらない。
遠く所は隔ててゐるけれども……
その曲江のほとりの花萼樓や芙蓉苑では
臣下のものを集められて御遊があつたが、
いつか世が亂れだして、
そのあたりまで邊地の愁が入りだした。
昔は珠の簾や刺繡をした柱の間を黃鵠が飛びかい、
錦の纜や象牙の檣をした舟が水鳥を驚かせて
 飛び立たせてゐた。
それらの歌舞の地はいまは跡方もなく、
可憐に堪へない。
おもへば、長安は、漢の頃からの都であつたものを。
「秋興八首」の原文、訓読、語釈などは
https://toshihiroide.wordpress.com/…/%E6%9D%9C%E7%94…/
を参考のこと
 藤村の「小諸なる古城のほとり」は、この杜甫「秋興」から趣きを受け継いでいるような気がする。
参考)
「堀辰雄ー杜甫詩ノオト」
図も同書より転載

日本人と漢詩(048)

◎江馬細香、佐藤春夫と薛涛(旧字では濤)

江馬細香は薛濤の詩を読んでいたようだ。その詩集より
・燈下読名媛詩歸 灯下に名媛詩帰を読む
靜夜沈沈著枕遲 静夜沈沈として枕に著くこと遅し
挑燈閑讀列媛詞 灯を挑《かかげ》て閑《しず》かに読む列媛の詞
才人薄命何如此 才人の薄命何ぞ此の如き
多半空閨恨外詩 多半《たはん》は空閨外《がい》を恨むの詩
[語釈]
名媛詩歸:中国古代から明までの女流詩人詩集。名媛は才色兼備。恨外:夫をうらむ。
・夏日偶作《かじつぐうさく》
永日如年晝漏遲 永日《えいじつ》年《とし》の如く 昼漏《ちゅうろう》遅し
霏微細雨熟梅時 霏微《ひび》たる細雨 熟梅の時
午窗眠足深閨靜 午窓《ごそう》眠り足りて 深閨《しんけい》静かなり
臨得香奩四艷詩 臨《のぞ》み得たり 香奩《こうえん》四艶《しえん》の詩
[語釈]
昼漏:昼間の時間、漏は水時計、細香の実家は裕福だったようなので、ひょっとするとゼンマイ仕掛けの時計だったかもしれない。霏微:細やかに降りしきるさま。閨:婦人部屋。香奩:化粧箱、転じて女流の意。四艶:唐の魚玄機、薛濤、宋の李淸照あたりだろうか?もうひとりは誰なのか?興味の湧くところである。
薛濤の夏の詩から
蝉 蝉《せみ》
露滌淸音遠 露滌《ろじょう》清音《せいおん》遠《とお》ざかり
風吹故葉齊 風吹いて故葉《こよう》斉《ひと》し
聲聲似相接 声声《せいせい》相接《あいせつ》するが似《ごと》きも
各在一枝棲 各《おのおの》一枝《いっし》に在りて棲《す》む
佐藤春夫の訳
せぜのせせらぎかそけくて
枯葉《かれは》とよしも風わたり
音《ね》はもろ声にひびきども
みなおちこちに各自《おのがじじ》
参考)日本における薛濤詩の受容 https://www.nishogakusha-u.ac.jp/…/07kanbun-01yokota.pdf
江馬細香詩集「湘夢遺稿」上(図・「細香筆 白描竹」も同書より)
魚玄機 薛濤(漢詩大系15)

日本人と漢詩(047)

◎佐藤春夫と魚玄機、薛涛


 女流詩人の話題は続く。また先日とりあげた佐藤春夫の「車塵集」からの紹介。唐代の名媛詩人の双璧では、魚玄機と薛涛であろう。薛涛のほうが時代は先行し、中唐の頃、魚玄機は晩唐の詩人に属する。江戸時代以降、日本でも広く読まれ、江馬細香あたりにも影響を与えた、とある。
音に啼く鳥 薛涛   
檻草結同心 ま垣の草をゆひ結び
将以遺知音 なさけ知る人にしるべせむ
春愁正断絶 春のうれひのきはまりて
春鳥復哀吟 春の鳥こそ音にも啼け
秋ふかくして 魚玄機
自嘆多情是足愁 わかきなやみに得も堪えで
況当風月満庭秋 わがなかなかに頼むかな
洞房偏与更声近 今はた秋もふけまさる
夜夜燈前欲白頭 夜ごとの閨に白みゆく髪
春のをとめ 薛涛
風花日将老 しづ心なく散る花に
佳期猶渺渺 なげきぞながきわが袂
不結同心人 情をつくす君をなみ
空結同心草 つむや愁ひのつくづくし
図は、薛涛の画像
横田むつみ「日本における薛濤詩の受容」から( https://www.nishogakusha-u.ac.jp/…/07kanbun-01yokota.pdf )
佐藤春夫の訳は、https://blog.goo.ne.jp/bonito_1929/e/2332b67d7487115138d0b07991acc539
から

日本人と漢詩(046)

◎原采蘋、諸田玲子と李白


 NHK-FM 青春アドベンチャー「女だてら」は、昨日最終回となり、采蘋の宿願も大団円となった。原作では、その後日談もあり、李白と彼女の詩も紹介されている。だが、彼女の恋は、必ずしも成就成らず、ほろ苦い結末となっている。
別内赴徴三首 其三 内に別れて徴に赴く 三首  其の三 李白
翡翠為樓金作梯 翡翠《ひすい》楼と為《な》し 金梯《てい》と作すとも
誰人獨宿倚門啼 誰人《だれひと》か独宿して 門に倚《よ》りて啼《な》く
夜泣寒燈連曉月 夜泣きて寒燈《かんとう》 暁月《ぎょうげつ》に連なり
行行淚盡楚關西 行行《こうこう》涙は尽く 楚関《そかん》の西
 楚の西とあるので、嘆きの対象は蜀の国に居る人物との別れを詠ったものだろうか?采蘋は、郷里秋月藩を思っての仮託であろうか?
語釈と訳は
http://blog.livedoor.jp/kanbuniink…/archives/66702055.html
を参照のこと
別後聴雨 別後雨を聴く 原采蘋
雨蕭々兮四簷鳴 雨は蕭々として 四簷鳴く
燈耿々兮夢不成 燈は耿々として 夢成らず
身在天涯別知己 身は天涯にありて 知己と別る
千廻百転難為情 千廻百転 情と為しがたし
袖辺香残人更遠 袖辺香残り 人は更に遠く
不知何処聴斯声  知らず 何処に この声を聴かん
「愛しい人は 何処でこの雨の音を聴いているのか。天涯孤独の身 に雨音はもの寂しくしみいり、 未練はいつまでたっても消えそう にない……。」
 私事にわたるが、この間、漱石の胃潰瘍の話題も挿み、検診での胃のレントゲンから始まり、胃カメラの結果から内視鏡的切除まで、結構疾風怒濤の日々だった。結果は、ドラマのようなわけにはいたらかもしれないが、小団円くらいかもしれない。でも、入院中の傍らに采蘋が居たことは多とすべきだろう。
 図は、王運煕・李宝均「李白」(日中出版)から

日本人と漢詩(038)

◎中島敦、土岐善麿と高啓


 今回は、すこし、堀辰雄から離れて、中島敦(彼は漢詩の実作もあるし、小説「山月記」に漢詩の引用があり、 https://ameblo.jp/meijishoin/entry-12125333711.html )その訳は、堀辰雄の杜甫訳とは、いささか違った趣があるようだ。
 高啓は、明初の詩人、中国の詩人の刑死は、遠く中国・南北朝の時代にはあったようだが、時代が下ると流石に少なくなくなる。しかし、高啓は、友人に連座して非業の最期を遂げた。ここでは、同じような主題の詩を、中島敦訳と土岐善麿訳をそれぞれに一首づつ。
・高啓作
宵の雨   はや霽《あが》りしか
悟桐《きり》の葉に 月影ほのか
窓あかり   書《ふみ》読む声は
さし並《な》みの 隣家《となり》の童《わらべ》
ふるさとに 待つ児もなくて
草枕    旅に病む身は
小夜ふけの 幼き声に
心傷《こころやぶ》れ 未だも いねず
・臥病夜聞鄰兒讀書 高啓
月淡梧桐雨後天 月は淡く梧桐《ごとう》 雨後の天
咿唔聲在北窗前 咿唔《いご》(書を読む)の声 北窓の前《さき》にあり
誰知鄰館無兒客 誰《たれ》か知らん 隣館《りんかん》児なきの客
病裏聽來轉不眠 病裏《びょうり》聴き来《きたり》転《うたた》眠らず
・妻のことば 高啓
夫《せ》ありと 誰《たれ》かいう
われ棄《すて》てて みまかりましぬ
誰《たれ》かいう 子《こ》なしと
生《い》き写《うつ》し かこい女《め》の子《こ》ぞ
子《こ》は書《ふみ》読《よ》み われは麻《あさ》ない
寝屋《ねや》さびし 夜夜《よよ》の朝鳥《あさどり》
子《こ》は名《な》を得《え》 吾《わ》はとつがねば
かくり世《よ》に 安《やす》らえ わが夫《せ》や
張節婦詞 高啓
誰言妾有夫
中路棄妾身先殂
誰言妾無子
側室生兒與夫似
兒讀書妾辟纑
空房夜夜聞啼鳥
兒能成名妾不嫁
良人瞑目黄泉下
参考)
・中島敦全集第1巻(ちくま文庫)
・土岐善麿「鶯の卵ー新釈中国詩選」
図は、一海知義編著「漢詩の散歩道」

日本人と漢詩(030)

◎高杉東作と山県有朋


 東作こと高杉晋作は「勤王の志士」以前は、繊細な官能的唯美者であったようだ。
・春暁
滿庭暁色畫中詩 満庭の暁色、画中の詩
殘月穿窗枕上移 残月、窓を穿《うが》ちて、枕上《ちんじょう》を移る
不識昨宵微雨過 識《し》らず、昨宵、微雨《びう》過ぎ
杏花花發兩三枝 杏花、花発《ひら》くこと両三枝《りょうさんし》なるを
・夏山欲雨
山嶽方將雨 山岳はじめまさに雨ならんとし
斷雲散若軀 断雲、散りて駆《か》くるがごとし
綠林烟靄裏 緑林は烟靄《えんあい》の裏《うち》
忽見忽還無 忽《たちま》ち見え、忽ち無に還《かえ》る
・二月朔遊墨陀觀櫻
武城爲客又逢春 武城《ぶじょう》客となり、又た春に逢《あ》う
墨水櫻花依舊新 墨水《ぼくすい》の桜花《おうか》旧に依《よ》りて新《あらた》なり
昨日悲歌慨概士 昨日《さくじつ》悲歌慨々《がいがい》の士
今朝詩酒愛花人 今朝は詩酒、花を愛《あい》する人
武州=江戸 墨水=隅田川
第3首目は、彼が、耽美派から移行しつつある時期だろうか?やがて長英戦争や幕府の長州征伐時には、詩調も「悲歌慨々」となり、写真の詩碑にあるような、ごく平凡なものへとなってゆく。
山県有朋
馬革裏屍元所期 馬革《ばかく》に屍《かばね》を裏《つつ》むは元より期する所なり
出師未半豈容帰 師を出《い》だして未《いま》だ半《なかば》ならず 豈に帰るを容るさんや
如何天子召還急 如何《いかん》せん天子の召還急なれば
臨別陣頭涙満衣 別れに臨みて陣頭に涙衣に満つ
岡義武氏「山形有朋」(岩波新書)
 山県が、日清戦争の際、無茶な作戦指示により、撤退命令を受けたときの詩。そこには、従軍兵士たちの無念な死や、侵略を受けた中国人民の犠牲などへの同情や思いやりは、一片たりとも含まれていない。もし、晋作が維新後も命を永らえることがあったとしても、彼・山県と同様な立場に堕した可能性は大であろう。
 ともあれ、山県に代表されるように民衆に背を向けた(だからこそ、月並みな表現しかできないのであるが…)姿勢の「器」として漢詩が体よく利用されてきたことを決して忘れてはなるまい。
参考)中村真一郎「詩人の庭」
一海知義編著「漢詩の散歩道」(入谷仙介氏執筆の項)