本職こぼれはなし(008)

12月14日の診察室
*12月も中旬となると、年内の受診が最後という患者さんが多くなる。いつも、診察の最後に「しばかれる」Nさん。今日は、テディベア(?)のトレーナーー(写真)。「年に似合わず、可愛いね!」と言ったら、案の定、しばかれた(笑)。「年に似合わずの部分、削除!」と言い直すと、思わずニッコリ。Nさん、良い年末年始でありますようにね。
*今日のメディア逍遥

Michel Blavet のフルート曲集。二つのフルートの、なんとも言えない優雅な絡み。

11月25日のオフ

*昨日の『住吉市民病院の存続と地域医療を考える交流集会』で、発言を求められたが、急なことで、メッセージとしてはあまりにも拙劣の極み。次のように言えばよかったとまたもや後悔している。
「小児を長年診てきた身にとって、今回の住吉市民病院の統合は、とても憂慮しています。それは、地域の医療機関の願いと著しくかけ離れていると言わざるを得ません。私たちは、別に難しいことを要望しているわけでは決してありません。日常診療の中で、それをサポートする第二次医療機関が地域に不可欠と思っているだけです。メッセージを寄せられた開業医の先生は、内科での『診断能力』には定評がありますが、それと同様に、こと小児科に関しては、一定の質以上の診療を心がけていると自負しております。だからこそ、例えば、肺炎で安静が必要な時、また、下痢で脱水になっている時に、診療所での治療には全力をあげていますが、それでも自己完結できない場合には、どうしても『後方病院』が必要なのです。さらに言えば、腸重積や川崎病など小児特有の疾患などは、第二次医療機関の存在が、直接子どもの生命に関わるほど大事になってきます。治療が困難な特殊な疾患に対応する第三次的な高度医療機関の重要性は否定はしませんが、以上述べた診療の内容はしっかりした第二次医療機関があってこそ『効率的』な医療ができるのでしょう。大阪市南部には、この十年来で、不採算になりがちな小児科病棟が、あちこちで閉鎖されました。住吉市民病院の存続で、それにストップをかけ、安心して子育てできる街になるよう、みなさんとともに頑張りたいと思いますので、よろしくお願いします。」
*連休から、チータさん滞在。三十数年前、長男と体を使って遊んだことを思い出し、調子に乗り、同じようにしたら、腰がすっかり痛くなった(笑)。写真は、チータさんが昔のピンクレディーの写真を見て、ポーズ。
*今日のメディア逍遥

そこで、ピンクレディー「サウスポー」など如何。

日本人と漢詩ー番外編(1)

◎一海知義と河上肇、姚合
 2012年9月28日付けの赤旗文化欄、一海知義先生の漢詩閑談(写真)は、以前の河上肇からの連想で「貧乏神」物語。学生時代の初舞台が「貧乏神」(作者失念!)という芝居の「馬鹿殿様」役だった。貧乏神は、実は庶民の味方で、「水呑み百姓」に「殿様」に反抗をしかける、その殿様の「馬鹿さ加減」をたたいたところで現実は何も変わらない、といったテーマと筋だったと思うが、現代でも示唆的である。ともあれ、紹介の漢詩からもあるように、貧乏神というと、どこか、憎んでも憎みきれないユーモアがあるようだ。

 

本職こぼれはなし(015)

8月17日の診察など
*暑いさかり、子どもの伝染性膿痂疹(とびひ)が目立ってきた。たいていは、数カ所、皮膚が赤くなったり、表面がびらん程度で済むのだが、中には写真のように、やや広範囲に拡がり、水疱を持つことがある。抗生物質の軟膏や内服をするが、通常の細菌感染よりも治療期間が長い。また、患部をガーゼなどで覆うかどうかも賛否があるようだが、私は基本的に「開放」していた方が、治りは早い気がする。
*本日のLong Tube

引く続き、レクイエム・シリーズ。今日は、バロック期のチェコの作曲家、ゼレンカのそれ。独唱と合唱が響き渡る曲で、鎮魂の意が改めて湧き上がる感じがする。
*この投稿を楽しみにしている人は、まさかいないと思うが(笑)、念のため告知、明日と明後日は、法事のため出かけるので、2日間休載。

8月10日の診療など

*夏休みなので、子どもたちに甲状腺エコーのモデルになってもらった(写真)。「夏休みにしっかり勉強して、2学期は、『あんたの成績、こうじょうせん』、やったらあかんよ!」と言うと、その「シャレ」が分かるまで約3秒(笑)。
*今日のLong Tube
有名なタルティーニの「悪魔のトリル」を含むバイオリンソナタ集、なんだかメランコリックになってきた(笑)。

日本人と漢詩(109)

◎白楽天と袁枚と一海知義

男女を問わず、高齢者の方に何とも言えぬ「風情」を感じることがあるが、それは、一海先生の説くごとく、その人の醸し出す、人としての「色気」なんだ。記事は、2012年7月20日付けの赤旗文化欄・一海知義の漢詩閑談。イラストには、赤旗では珍しく「風情=色気」を感じる(笑)。

本職こぼれはなし(013)

7月9日の診療など
*病児保育「まつぼっくり」で、2日前に血液検査したR君、今日は、ほぼ平熱、午前中に保母さんがパラパラと発疹に気づいたという。やはり、突発性発疹だったのだろう。
*健診に来診した青年、胸部レントゲンを見て、「真ん中の白い大きな塊は何ですか?」「君の希望に満ち満ちたハートだよ!」と答える。
*写真は、連れ合いに来た福島農民連からの「暑中見舞い」。原発といい、TPPといい、一次産業を奪うのは、亡国、亡民の企てである。

大阪きづがわ医療福祉生協設立総代会での挨拶


 本日、6月24日、大阪きづがわ医療福祉生協の第1回総代会があり、頼まれて挨拶をしました。それに、若干の加筆したのが以下の文章です。
 別に、話を大きくする意図はありませんが、今の時代が、未来に微かな希望の光りが見えているとはいえ、それにもまして、暗雲も立ちこめるといった混沌の時代であります。また、100年、200年に一度というべき激動の時代が始まるのではとも思っています。
 ここで、時間軸を200年くらい遡ってみると、この総代会の会場の周辺は、大坂商人の町家が立ち並ぶ殷賑の地、経済・文化の発信地であったことが知られています。その中では、今はもう会場横に記念碑としか残っていない、木村蒹葭堂という「あきんど」が作り上げた、一大サロンは特筆すべき歴史的伝統です。詳細は、今秋に企画されている大阪市西区の史跡ツアーにゆずるとして、木村蒹葭堂から私たちが学ぶことは、単なるサロンにとどまることなく、見事なまでに、人と人とのつながり、ネットワークを作り上げた先人がいるということです。私も、その知のネットワークの一端に参加するべく、さきほど隣の中央図書館で図書館カードを登録してきました(写真)。
 こうした歴史的伝統を破壊し、人びとのつながりを断ち切ろうとしている為政者をいだいている所に、現在の大阪の大きな病弊があると思います。
 さて、3月11日以降、医療生協も震災被災地の人びととのさまざまなネットワークを作って来ました。私も、「最後のご奉公」として、何らかの形で支援活動に参加したいと意を新たにしているところです。この総代会の場にふさわしい表現ではないかもしれませんが、今から100年、200年経てば、私たちは歴史の闇に消え去るでしょう。木村蒹葭堂がそうであったように、形あるものはやがて潰えることにもなるでしょう。しかし、人と人との確固としたつながりは、やがて歴史的伝統として受け継がれることでしょう。混沌とした今だからこそ、歴史を一歩でも二歩でも前に進めるべく、ともにがんばりましょう。

日本人と漢詩(018)

◎木村蒹葭堂と葛子琴
贈世粛木詞伯 葛子琴 五言排律
酤酒市中隠 酒を酤《う》る 市中の隠《いん》
傳芳天下聞 芳《ほまれ》を伝へて 天下に聞《きこ》ゆ
泰平須賣剣 泰平《たいへい》 須《すべから》く剣を売るべく
志氣欲凌雲 志気《しき》 雲を凌《そそ》がんと欲す
名豈楊生達 名は豈《あ》に 楊生《ようせい》の達《すす》むるならんや
財非卓氏分 財は卓氏の分《わ》くるに非《あら》ず
世粉稱病客 世粉《せふん》 病客《びょうきゃく》と称《しょう》し
家事託文君 家事《かじ》 文君《ぶんくん》に託《たく》す
四壁自圖画 四壁《しへき》 自《おのづ》から図画《とが》
五車富典墳 五車《ごしゃ》 典墳《てんふん》に富《と》む
染毫銕橋柱 毫《ふで》を染《そ》む 銕橋《いきょう》の柱
滌器白州濆 器《うつわ》を滌《あら》ふ 白州の濆《ほとり》
堂掲蒹葭字 堂に掲《かか》ぐ 蒹葭《けんか》の字《じ》
侶追鷗鷺群 侶《とも》は追《お》ふ 鷗鷺《おうろ》の群《むれ》
洞庭春不盡 洞庭《どうてい》 春は盡《つ》きず
數使我曹醺 数《しばしば》 我が曹《そう》をして醺《よわ》しめたり
江戸時代18世紀後半、蒹葭堂をして、サロンたらしめたのは、三つの条件があったと思う。一つには、主人の収集を価値とする生い立ち、二つには、大坂商人の「エートス」ともいうべきまめな性格で、毎日の来訪者を丹念に書き留めており、現在は、その「蒹葭堂日記」として残っている。日記を調べると、堂を訪れた文人は、広く日本全国に及んでいると言う。三つ目は、実際、蒹葭堂を会場にして、詩の集いなどのミーティングが、毎月定例化されたことだ。その詩会は、当初蒹葭堂が会場になったが、毎月、お店が会場になるというのも商売に差支えもあったのだろう、やがてその場所を移し、明和二年(1765)、「混沌詩社」の結成へと発展していった。その中での中心メンバーが、作者の葛子琴(Wikipedia)である。
葛子琴は、元文4年(1739年)生まれとあるから、木村蒹葭堂より、三つ年少だが、ほぼ同時代に生を受けたとみて良い。大坂玉江橋北詰に屋敷があった生粋の浪速人、しかも代々医を家業としていた(同業者!)。このことは、大坂生まれの漢詩人というのは、寡聞にして他にいないので、そのたぐいまれな詩才は、もっと知られてもよいと思う。45年という比較的短い生涯であったが、詩会を通じての知り合いだったが晩年は、蒹葭堂に出入りしたと「日記」にはあるという。詩は、その蒹葭堂讃である。詩の背景として、前漢の時代、その文名をはせた司馬相如(Wikipedia http://is.gd/IjZ7Io)に蒹葭堂を模している。司馬相如は、不遇の時代、酒屋を営んで、糊口をしのいでいた。しかも、駆け落ち同然で結ばれた卓文君という妻が、なかなかのやり手で、司馬相如が漢の武帝に見出されるまでは、内助の功を発揮した。司馬相如は若い頃は剣の達人だったというエピソードは、木村蒹葭堂の祖先が、大坂夏の陣で活躍した後藤又兵衛というから、それに重ねあわせたのかもしれない。しかし、「ボロは着てても心は錦」、志気の極めて軒高なことを司馬相如に例える。次は、蒹葭堂のユニークなところ、楊生のような推薦者がいたわけではなく、細君の実家からの援助があったわけでもない。ただ、元来「蒲柳の質」で、家事は妻(と妾―江戸時代は、妻妾同居が当たり前だったんだろう)に任していた。その結果、汗牛充棟、三典五墳の一大コレクションが出来上がった。銕橋(くろがねばし)は、今はもう埋め立てられてしまった、堀江川にかかる橋、蒹葭堂のあった北堀江と南堀江の境だろう。6月始めに、この近くにある保育所健診に行くので、このあたりの地理的関係を確かめておこう。(後注:http://www.yuki-room.com/horie.html によると北堀江と南堀江の境の道路から一つ南の筋にかかっていたらしい。)清人から送られた蒹葭堂の書斎に掲げられた扁額に触れ、その縁語で、堂に集う文人たちを鷗鷺に例え、そこにいると名勝地洞庭湖にも比すべき別天地、その春の情は尽きることなく、美酒に酔う心持ちであると述べ、讃詩の結びとしている。
*参考文献:水田紀久「水の中央にあり―木村蒹葭堂研究」(岩波書店)
写真は、明治末年に発刊された「漢籍国字解全書」詩疏図解・淵景山述(安永年間の人とあるので、ほぼわが主人と同時代である。)で、「蒹葭」の図が載っている。こんな本で四書五経を学んだという意味でスキャンした。

日本人と漢詩(017)

◎木村蒹葭堂、テレサ・テンと詩経

蒹葭《けんか》篇 詩経国風 秦風
兼葭蒼蒼   兼葭蒼蒼たり
白露為霜   白露霜と為る
所謂伊人   所謂伊《こ》の人
在水一方   水の一方に在り
溯洄從之   溯洄して之に從はんとすれば
道阻且長   道阻にして且つ長し
溯游從之   溯游して之に從はんとすれば
宛在水中央  宛として水の中央に在り
兼葭萋萋   兼葭萋萋たり
白露未晞   白露未だ晞《かは》かず
所謂伊人   所謂伊の人
在水之湄   水の湄《きし》に在り
溯洄從之   溯洄して之に從はんとすれば
道阻且躋   道阻にして且つ躋《のぼ》る
溯游從之   溯游して之に從はんとすれば
宛在水中心  宛として水の中心に在り
兼葭采采   兼葭采采たり
白露未已   白露未だ已まず
所謂伊人   所謂伊の人
在水之畔   水の畔に在り
溯洄從之   溯洄して之に從はんとすれば
道阻且右   道阻にして且つ右す
溯游從之   溯游して之に從はんとすれば
宛在水中沚  宛として水の中沚に在り
まず、この詩の現代中国語バージョン、鄧麗君 (テレサ・テン)「 在水一方」。こちらは、もう立派な艶歌である。Youtubeでは→https://youtu.be/xrI__4dqYhI

語釈 兼葭:植物、ヨシやアシ 蒼蒼:あおあお 白露為霜:旧暦9月頃の気候 伊人:「愛しい人」だろう 溯洄:さかのぼる 溯游:流れに沿って下る 宛在水中央:手が届きそうで届かない

語釈の続きと訳文は、愛の物語―詩経の新解釈を参照。

再び、木村蒹葭堂の話題へ戻る。河上肇については、機会があればということで…今回は、蒹葭堂の由来となった詩から。ある時、庭の井戸より芦の根が出てきたのを喜び、「蒹葭(アシとヨシ)堂」と名付けたとあるが、その大坂の地らしいエピソードで思い浮かべた詩経の一編にちなんだ要素のほうが強いのではないか。詩経(Wikipedia http://is.gd/4465RJ)は、中国最古の詩集、紀元前6世紀頃、孔子が編纂したと言われている。国風は、そのうち、各地の民謡、秦風とあるから、今の陜西地方で唄われた歌。従来、詩経は、道徳的、政治的解釈が主流だったが、朱子に至って「近代的」解釈がされるようになり、男女間の愛情を扱った詩もあると主張した。その朱子ですら、この詩はよく分からないといっているそうだが、会うことがままならぬ恋人の事を歌ったものとするのが、自然であろう。