日本人と漢詩(058)

◎永井荷風と徐凝、杜牧、陳文述


 ほぼ、参考図書のほぼ受け売りである。あまり多くない荷風の漢詩から…
墨上春遊《ぼくじょうしゅんゆう》
黃昏轉覺薄寒加 黄昏に転《うた》た覚《おぼ》ゆ 薄寒の加はわるを
載酒又過江上家 酒を載せて又《また》過ぐ江上の家
十里珠簾二分月 十里の珠簾 二分《にぶん》の月
一灣春水滿堤花 一湾の春水 満堤の花
この詩、実はなかなか奥深い。十里珠簾二分月という転句には、典拠がある。
揚州を懐う 唐・徐凝
蕭孃臉薄難勝淚 蕭嬢の臉は薄く 涙に勝へ難く
桃葉眉長易覺愁 桃葉の眉は長く 愁ひを覚え易し
天下三分明月夜 天下三分明月の夜
二分無賴是揚州 二分無頼《ぶらい》是《こ》れ揚州
語釈と訳文は、以下参照のこと。
https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519967989.html
二分とは、絶景という点で、揚州の月は、天下の名月の風景を三つに割けるとすれば、うち三分の二は占めるという意
贈別 別れに贈る 杜牧
娉娉嫋嫋十三餘 娉娉《へいへい》嫋嫋たる十三余
荳蔻梢頭二月初 荳蔻 梢頭 二月の初《はじめ》
春風十里揚州路 春風十里揚州の道
卷上珠簾總不如 珠簾を捲き上ぐるも総《すべ》て如《し》かず
訳文と語釈は、以下参照のこと。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r42.htm
杜牧に「十年一たび覚める揚州の夢」という句もあるが、「揚州」というのがキーワードになっており、殷賑極まった歓楽の地だったようだ。荷風も、江戸・隅田川の風景をそこに見立てて奥行きを持たせている。
直接的には、以下の詩が背景にある。その詩は、また、「一曲春江花月意」は唐詩選にも採られた初唐・張春虚の七言古詩「春江花月の夜」( https://ameblo.jp/kyounokokuban/entry-12274239456.html )が書かれた巻物に書きつけたもの、とあるからこれも重層的である。荷風に、「雨瀟瀟」という、韜晦ともペダンティックとも思える作品がある。青空文庫 → https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/58169_63328.html
荷風の持ち味なのだろう。
「『春江花月の夜』の巻子《けんす》に題す」 清・陳文述
晩潮初落水微波 晩潮初めて落ちて水微《わず》かに波だつ
紅袖青衫載酒過 紅袖青衫 酒を載せて過ぐ
一曲春江花月意 一曲春江花月の意
夜闌吹入笛聲多 夜は闌《たけなわ》にして吹いて笛声に入ること多し
 船遊びは、なかなかに風情があるもので、以前、自治会の行事があり、夜に嵐山の鵜飼いで経験したことがある。もっとも、同船したのは、町内会のご婦人ばかりで、「おーさん、よろしおすえ」と声をかけてくれる妙齢の「綺麗どころ」同伴とはいかなかっだが…
 それは、兎も角として、荷風の美意識からいって、こうした風情が人為的に壊されるのには余程我慢がならなかったのだろう。戦時中には、他の「大政翼賛」の文学者と一線を画し、戦争協力に一切加担せず、沈黙を守り、彼自身の「抵抗」を貫き通したのは、見事と言う他ない。
図は、「永井荷風・江戸芸術論」(岩波文庫)より
参考)石川忠久「日本人の漢詩ー風雅の過去へ」(大修館書店)

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