日本人と漢詩(062)

◎清岡卓行と李賀、岳飛

 先日、Facebook で紹介した清岡卓行に「李杜の国」という小説がある。タイトルの如く、李白や杜甫などの詩を引いて、日本の詩人団体の中国旅行記の体裁であるが、別の筋立てとして、主人公の評論家と女流詩人との恋愛の始まりから、一旦終焉になり、また復活の経緯がある。もっとも、後者は当方も経験外であるので、感想はひとまず置いておこう。李杜の詩の他に、紹介されるのは、白居易、など。李賀の詩も、冒頭のとても印象的であり、どこか中原中也あたりを彷彿させる二句「長安に男児有り、二十 心已でに朽ちたり」が載っている。その詩、あまり、全編を掲載しているサイトが少ないので、アップしておく。

 贈陳商       陳商に贈る  李賀
長安有男児   長安に男児《だんじ》有り
二十心已朽   二十《にじゅう》 心已《す》でに朽ちたり
楞伽推案前   楞伽《りょうが》 案前《あんぜん》に推《うずたか》く
楚辞繋肘後   楚辞《そじ》 肘後《ちゅうご》に繋かく
人生有窮拙   人生《じんせい》 窮拙《きゅうせつ》有り
日暮聊飲酒   日暮《にちぼ》 聊《いささ》か酒を飲む
祗今道已塞   祗《ただ》今 道 已に塞《ふさが》り
何必須白首   何ぞ必ずしも白首《はくしゅ》を須《ま》たん
淒淒陳述聖   淒淒《せいせい》たり 陳述聖《ちんじゅつせい》
披褐鉏爼豆   褐《かつ》を披《き》て 爼豆《そとう》に鉏《そ》す
学為堯舜文   堯舜《ぎょうしゅん》の文を為《つ》くることを学び
時人責垂偶   時人《じじん》 垂偶《すいぐう》を責《せ》む
柴門車轍凍   柴門《さいもん》 車轍《しゃてつ》凍《こお》り
日下楡影痩   日《ひ》下りて 楡影《ゆえい》痩せたり
黄昏訪我来   黄昏《こうこん》 我を訪《と》い来たる
苦節青陽皺   苦節《くせつ》 青陽《せいよう》に皺《しわ》む
太華五千仭   太華《たいか》 五千仭《ごせんじん》
劈地抽森秀   地を劈《つんざ》いて森秀《しんしゅう》を抽《ぬき》んず
旁苦無寸尋   旁《かたわら》に寸尋《すんじん》無きを苦しむ
一上戛牛斗   一《ひとた》び上れば牛斗《ぎゅうと》に戛《かつ》たり
公卿縦不憐   公卿《こうけい》 縦《たと》え憐《あわれ》まずとも
寧能鎖吾口   寧《なん》ぞ能《よ》く吾《わ》が口を鎖《とざさ》んや
李生師太華   李生《りせい》は太華《たいか》を師しとし
大坐看白昼   大坐《たいざ》して白昼《はくちゅう》を看《み》る
逢霜作樸樕   霜に逢えば 樸樕《ぼくそく》を作り
得気為春柳   気を得ては 春の柳と為《な》る
礼節乃相去   礼節《れいせつ》 乃《すなわ》ち相去り
顦顇如芻狗   顦顇《しょうすい》 芻狗《すうく》の如し
風雪直斎壇   風雪《ふうせつ》 斎壇《さいだん》に直《ちょく》し
墨組貫銅綬   墨組《ぼくそ》 銅綬《どうじゅ》を貫《つらぬ》く
臣妾気態間   臣妾《しんしょう》 気態《きたい》の間《かん》
唯欲承箕帚   唯《た》だ箕帚《きそう》を承《う》けんと欲す
天眼何時開   天眼《てんがん》 何の時にか開く
古剣庸一吼   古剣《こけん》 庸《も》って一吼《いっこうせん》

語釈、訳文などは、 http://itaka84.upper.jp/bookn/kansi/1104i.html を参照のこと。

 同じく清岡卓行の「詩礼伝家」の由来となったのは、額にあるような、南宋の武人・岳飛の「文章報國 詩禮傳家」という言葉である。(左の図)。「李杜の国」の中でも、簡単な紹介がある。岳飛の詞と詩を二つほど載せておく。
 右の図は、亡母が中国旅行の土産に買ってきた、岳飛書のレプリカ。母の仏間に今も掲げている。「我に河山を還せ」とは、失われた宋の領土への尽きせぬ思いだったんだろう。

岳飛の詞「滿江紅」http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p8yuefei.htm

詩「池州翠微亭  池州の翠微亭 」 https://taweb.aichi-u.ac.jp/toyohiro/yue%20fei%20chizhoucuiweiting.html

 

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