サーバー再構築覚書(001)ーその前提(01)

2021年8月、10年来使用していた、職場のサーバー(Vinelinux  6.0 がベース)がとうとう動かなくなりました。以前から、OS を入れ替えなければと思っていた矢先でした。設定ファイルの幾分かは、バックアップしていましたが、職場のホームページなどは、ほとんど吹っ飛んでしまいました。これを機会に、より堅牢なハードとソフトに切り替えてサーバー再構築をめざし、2ヶ月半かけて、ようやく以前の水準に近い(サーバーの種類によっては、それを超えるところまで)回復できましたので、その覚書を書いておきます。
サーバーの構成は2回目以降に後述するにして、何度かのテストを重ねる上で、Windows ないし MacOS の PCでの実験を試すため、Virtual Box が非常に役立ちました。(ちょっとしたコツが必要で、最初は、Virtual Box のディスプレイの設定で、VMSVGA ではなく、解像度の高いVBoxVGAにしないと、インストール画面が切れてしまいます。あとで、OS を立ち上げるときに、もとに戻し、CDROM ドライブに、VboxGuestAddition の疑似CDを挿入し、画面を調節します。ここらあたりは、Guest Additionsのインストール あたりを参照のこと)図は、ディスプレイを設定しているところです。また、続きも図は、Ubuntu 20.04 LTS 版を、Virtual Box にインストールしている途中のスクリーンショットです。



ただし、VirtualBox でうまくいくことが、実際のサーバーで通用するとは限らない、また逆も真であることを痛感しました。
ところで VirtualBox では、いろいろなディストリビューションの Linux が楽しめます。Ubuntu ベースでのお気に入りは、フランス発の、Voyager 、Mac 風のアイコン配列と粋な壁紙が選べるのが素敵です。下図は、そのスクリーンショットです。

次回は、実際のサーバー構成の概要について書く予定です。

日本人と漢詩(062)

◎清岡卓行と李賀、岳飛

 先日、Facebook で紹介した清岡卓行に「李杜の国」という小説がある。タイトルの如く、李白や杜甫などの詩を引いて、日本の詩人団体の中国旅行記の体裁であるが、別の筋立てとして、主人公の評論家と女流詩人との恋愛の始まりから、一旦終焉になり、また復活の経緯がある。もっとも、後者は当方も経験外であるので、感想はひとまず置いておこう。李杜の詩の他に、紹介されるのは、白居易、など。李賀の詩も、冒頭のとても印象的であり、どこか中原中也あたりを彷彿させる二句「長安に男児有り、二十 心已でに朽ちたり」が載っている。その詩、あまり、全編を掲載しているサイトが少ないので、アップしておく。

 贈陳商       陳商に贈る  李賀
長安有男児   長安に男児《だんじ》有り
二十心已朽   二十《にじゅう》 心已《す》でに朽ちたり
楞伽推案前   楞伽《りょうが》 案前《あんぜん》に推《うずたか》く
楚辞繋肘後   楚辞《そじ》 肘後《ちゅうご》に繋かく
人生有窮拙   人生《じんせい》 窮拙《きゅうせつ》有り
日暮聊飲酒   日暮《にちぼ》 聊《いささ》か酒を飲む
祗今道已塞   祗《ただ》今 道 已に塞《ふさが》り
何必須白首   何ぞ必ずしも白首《はくしゅ》を須《ま》たん
淒淒陳述聖   淒淒《せいせい》たり 陳述聖《ちんじゅつせい》
披褐鉏爼豆   褐《かつ》を披《き》て 爼豆《そとう》に鉏《そ》す
学為堯舜文   堯舜《ぎょうしゅん》の文を為《つ》くることを学び
時人責垂偶   時人《じじん》 垂偶《すいぐう》を責《せ》む
柴門車轍凍   柴門《さいもん》 車轍《しゃてつ》凍《こお》り
日下楡影痩   日《ひ》下りて 楡影《ゆえい》痩せたり
黄昏訪我来   黄昏《こうこん》 我を訪《と》い来たる
苦節青陽皺   苦節《くせつ》 青陽《せいよう》に皺《しわ》む
太華五千仭   太華《たいか》 五千仭《ごせんじん》
劈地抽森秀   地を劈《つんざ》いて森秀《しんしゅう》を抽《ぬき》んず
旁苦無寸尋   旁《かたわら》に寸尋《すんじん》無きを苦しむ
一上戛牛斗   一《ひとた》び上れば牛斗《ぎゅうと》に戛《かつ》たり
公卿縦不憐   公卿《こうけい》 縦《たと》え憐《あわれ》まずとも
寧能鎖吾口   寧《なん》ぞ能《よ》く吾《わ》が口を鎖《とざさ》んや
李生師太華   李生《りせい》は太華《たいか》を師しとし
大坐看白昼   大坐《たいざ》して白昼《はくちゅう》を看《み》る
逢霜作樸樕   霜に逢えば 樸樕《ぼくそく》を作り
得気為春柳   気を得ては 春の柳と為《な》る
礼節乃相去   礼節《れいせつ》 乃《すなわ》ち相去り
顦顇如芻狗   顦顇《しょうすい》 芻狗《すうく》の如し
風雪直斎壇   風雪《ふうせつ》 斎壇《さいだん》に直《ちょく》し
墨組貫銅綬   墨組《ぼくそ》 銅綬《どうじゅ》を貫《つらぬ》く
臣妾気態間   臣妾《しんしょう》 気態《きたい》の間《かん》
唯欲承箕帚   唯《た》だ箕帚《きそう》を承《う》けんと欲す
天眼何時開   天眼《てんがん》 何の時にか開く
古剣庸一吼   古剣《こけん》 庸《も》って一吼《いっこうせん》

語釈、訳文などは、 http://itaka84.upper.jp/bookn/kansi/1104i.html を参照のこと。

 同じく清岡卓行の「詩礼伝家」の由来となったのは、額にあるような、南宋の武人・岳飛の「文章報國 詩禮傳家」という言葉である。(左の図)。「李杜の国」の中でも、簡単な紹介がある。岳飛の詞と詩を二つほど載せておく。
 右の図は、亡母が中国旅行の土産に買ってきた、岳飛書のレプリカ。母の仏間に今も掲げている。「我に河山を還せ」とは、失われた宋の領土への尽きせぬ思いだったんだろう。

岳飛の詞「滿江紅」http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p8yuefei.htm

詩「池州翠微亭  池州の翠微亭 」 https://taweb.aichi-u.ac.jp/toyohiro/yue%20fei%20chizhoucuiweiting.html

 

日本人と漢詩(060)

◎石川啄木、簡野道明と白居易(白楽天)
 白楽天は言っている。
「世に謂うところの『文士は数奇なること多く、詩人は尤も命薄し』とは斯こにおいて見わる。」まるで、啄木を指すような言葉である。その啄木に、明治41年9月26日の日記で次のような一節がある。
「白楽天詩集をよむ。白氏は蓋《けだ》し外邦の文丈にして最も早く且《か》つ深く邦人に親炙《しんしゃ》したるの人。長恨歌、琵琶行、を初め、意に会するものを抜いて私帖に写す。詩風の雄高李杜《りと》に及ばざる遠しと雖《いえ》ども、亦《また》才人なるかな。」
 少し、評価は低いが、多面的な白居易の詩に触れ合う機会には恵まれなかったゆえであろう。そんな「閑適」の詩、老境を詠ったちょっと身につまされるメランコリックとも言える一首を、簡野道明講述の「和漢名詩類選評釋」から、白文、読み下し文、訓詁、評釈の全文。
春晚詠懷贈皇甫朗之 春晩《しゆんばん》懐《くわい》を詠《えい》じて皇甫朗之《くわほらうし》に贈《おく》る
艷陽時節又蹉跎 艶陽《えんやう》の時節《じせつ》又《また》蹉跎《さた》たり
遲暮光陰復若何 遅暮《ちぼ》の光陰《くわういん》復《また》若何《いかん》
一歲平分春日少 一歳《さい》平分《へいぶん》すれば春日《しゆんじつ》少《すくな》く
百年通計老時多 百年《ねん》通計《つうけい》すれば老時《らうじ》多《おほ》し
多中更被愁牽引 多中《たちゆう》更《さら》に愁《うれひ》に牽引《けんいん》せられ
少處兼遭病折磨 少処《しょうしよ》兼《かね》て病《やまひ》に折磨《せつま》せらる
頼有銷憂治悶藥 頼《さいはひ》に憂《うれひ》を銷《け》し悶《もん》を治《ぢ》するの薬《くすり》あり
君家濃酎我狂歌 君《きみ》が家《いへ》の濃酎《のうちう》我《わ》が狂歌《きやうか》
訓詁
艷陽時節:百花爛漫たるうるはしき盛りの春
蹉跎:つまづく(失足)貌 時を失ふにいふ
遅暮:晩年、老年の意
平分:平均に分つ
遭:「ラル」と訓む、被なり
折磨:損する
濃酎:濃くしてうまき酒
評釋
平聲歌韻、彌生の春も思ふにまかせず、空しく過ぎ去り、己も老境になりては如何ともし難し、一年の中を分くれば春の樂しき日は最も少く、百年の生涯を通算すれば、老を歎ずる時、多きなり、其の多き中 にて更に種種の愁に牽きまつわれ、少なき春の日をば、病の爲めに減損せらる、只幸に憂悶を銷し治むる藥ありて、聊か心を慰むべきものあり、それは他にあらず、君の家の美酒と、我が歌ふ詩との二つなりと、詩酒を友として興を遣らんとの意を敍せり。
「一歲平分春日少 百年通計老時多」は、実感するところである。
図は、「長恨歌」挿絵( http://chugokugo-script.net/kanshi/chougonka.html )豊満な美人の楊貴妃とは、違ったプロポーションのところが面白い。

日本人と漢詩(058)

◎永井荷風と徐凝、杜牧、陳文述


 ほぼ、参考図書のほぼ受け売りである。あまり多くない荷風の漢詩から…
墨上春遊《ぼくじょうしゅんゆう》
黃昏轉覺薄寒加 黄昏に転《うた》た覚《おぼ》ゆ 薄寒の加はわるを
載酒又過江上家 酒を載せて又《また》過ぐ江上の家
十里珠簾二分月 十里の珠簾 二分《にぶん》の月
一灣春水滿堤花 一湾の春水 満堤の花
この詩、実はなかなか奥深い。十里珠簾二分月という転句には、典拠がある。
揚州を懐う 唐・徐凝
蕭孃臉薄難勝淚 蕭嬢の臉は薄く 涙に勝へ難く
桃葉眉長易覺愁 桃葉の眉は長く 愁ひを覚え易し
天下三分明月夜 天下三分明月の夜
二分無賴是揚州 二分無頼《ぶらい》是《こ》れ揚州
語釈と訳文は、以下参照のこと。
https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519967989.html
二分とは、絶景という点で、揚州の月は、天下の名月の風景を三つに割けるとすれば、うち三分の二は占めるという意
贈別 別れに贈る 杜牧
娉娉嫋嫋十三餘 娉娉《へいへい》嫋嫋たる十三余
荳蔻梢頭二月初 荳蔻 梢頭 二月の初《はじめ》
春風十里揚州路 春風十里揚州の道
卷上珠簾總不如 珠簾を捲き上ぐるも総《すべ》て如《し》かず
訳文と語釈は、以下参照のこと。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/r42.htm
杜牧に「十年一たび覚める揚州の夢」という句もあるが、「揚州」というのがキーワードになっており、殷賑極まった歓楽の地だったようだ。荷風も、江戸・隅田川の風景をそこに見立てて奥行きを持たせている。
直接的には、以下の詩が背景にある。その詩は、また、「一曲春江花月意」は唐詩選にも採られた初唐・張春虚の七言古詩「春江花月の夜」( https://ameblo.jp/kyounokokuban/entry-12274239456.html )が書かれた巻物に書きつけたもの、とあるからこれも重層的である。荷風に、「雨瀟瀟」という、韜晦ともペダンティックとも思える作品がある。青空文庫 → https://www.aozora.gr.jp/cards/001341/files/58169_63328.html
荷風の持ち味なのだろう。
「『春江花月の夜』の巻子《けんす》に題す」 清・陳文述
晩潮初落水微波 晩潮初めて落ちて水微《わず》かに波だつ
紅袖青衫載酒過 紅袖青衫 酒を載せて過ぐ
一曲春江花月意 一曲春江花月の意
夜闌吹入笛聲多 夜は闌《たけなわ》にして吹いて笛声に入ること多し
 船遊びは、なかなかに風情があるもので、以前、自治会の行事があり、夜に嵐山の鵜飼いで経験したことがある。もっとも、同船したのは、町内会のご婦人ばかりで、「おーさん、よろしおすえ」と声をかけてくれる妙齢の「綺麗どころ」同伴とはいかなかっだが…
 それは、兎も角として、荷風の美意識からいって、こうした風情が人為的に壊されるのには余程我慢がならなかったのだろう。戦時中には、他の「大政翼賛」の文学者と一線を画し、戦争協力に一切加担せず、沈黙を守り、彼自身の「抵抗」を貫き通したのは、見事と言う他ない。
図は、「永井荷風・江戸芸術論」(岩波文庫)より
参考)石川忠久「日本人の漢詩ー風雅の過去へ」(大修館書店)

日本人と漢詩(057)

◎森鴎外と寒山(拾得)


鷗外の作品をもう一つ。青空文庫「寒山拾得」(新字版)→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/1071_17107.html
(旧字版)→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/679_15361.html
 作品そのものは、寒山の漢詩の引用もなく、どうも中途半端で終わっており、鴎外の筆力の衰えと見るか、釈然としない。寒山は、村人と合わず「剰《あま》つさえ自らの妻に疎《うと》んぜらる」結果、仕官の道をさぐるが失敗の人生。山に籠もったあとも、彼女のことが忘れられなかったようだ。相貌が変わったのはお互い様なのに、妻の面影は昔のままだったとすると少し物悲しいが、逆にユーモアも感じる。そうしたエピソードを小説中に盛り込めば、また違った趣きも出てきそうだが…
昨夜夢還家 昨夜夢に家に還り
見婦機中織 婦の機中に織るを見る
駐梭若有思 梭《ひ》を駐《とど》めて思い有るが若《ごと》く
擎梭似無力 梭を擎《ささ》げて力無きに似たり
呼之廻面視 之《これ》を呼べば面《おもて》を廻らして視《み》
怳復不相識 怳《きょう》として復《ま》た相い識らず
応是別多年 応《まさ》に是れ別るること多年
鬢毛非旧色 鬢毛《びんもう》旧色に非ざるべし
 訳と語釈は https://akasakanoomoide.muragon.com/entry/922.html を参照のこと
 図は、渡辺崋山「寒山拾得図」とあるが、華山の真筆であろうか?古今の寒山拾得図の人物は、どれも丸顔で、諧謔的だが、ちょっとニュアンスが違うようだ。
参考)・一海知義編著「続漢詩の散歩道」

日本人と漢詩(056)

◎清岡卓行、阿藤伯海とバッハ

清岡卓行の、戦時中、恩師であった漢詩人を扱った「詩礼伝家」の中に、その詩人の遺作と比べながら、以下のような一節があります。
「 バッハは死が近づいた床において、頭のなかに湧いてきた音楽、コラールの『われいま、汝の御座のまえに進みいで』を、看病してくれている婿に口述して書き取らせたが、それはいわば最後の吐息のように自然なものであったろう。絶筆と呼ぶのにまことにふさわしい構成的な作品は、やはり死の三年ほど前から書きはじめ、やがて視力恢復の希望において行った手術のかいもなく失明し、体力もすっかり衰えていた六十五歳のバッハが精魂を傾けつくしながらも、全曲のたぶん終わり近くと思われる個所で遂に中断せざるをえなかったのが大作『フーガの技法』だろう。
この地上において最も美しい音楽の一つと思われる『フーガの技法』を、オルガン、ペダルつきのチェンバロ、あるいは室内オーケストラなどのいずれで聞くにしろ、演奏が楽譜のその中断の個所で不自然にぴたりと止るとき、そこにはなんという異様な迫力をたたえた空白が現われることか。それは一面において、死のはかない感じをあたえるものではあるが、同時に、澄みきった敬虔さと疲れを知らぬ精力が漂っている感じを、あるいは少くともそうした敬虔さや精力が谺しているような感じをあたえるものだろう。」
此の文章で、また違った観方(聴き方)で「フーガの技法」を味わうようになるでしょう。

以上は、Facebook のあるグループへの投稿である。追加で、この小説で扱った阿藤伯海(Wikipedia)という漢詩人に触れてみたい。

離京
倦遊向鄕國 遊《ゆう》に倦《う》んで郷国《きゃうこく》に向ひ
別友大江邊 友《とも》と大江《たいこう》の辺《ほとり》に別《わか》る
握手情沈鬱 手《て》を握《にぎ》れば情《こころ》沈鬱《ちんうつ》にして
盪胷意結連 胸《むね》を盪《うご》かして意《おもひ》は結連《けつれん》す
帝畿飜落日 帝畿《ていき》は落日《らくじつ》を翻《ひるがへ》し
驛道斷荒煙 駅道《えきだう》は荒煙《くわうえん》に断《た》たる
此夜紅烽火 此《こ》の夜《よる》紅《くれなゐ》の烽火《ほうくわ》
警音頻有傳 警音《けいおん》の頻《しきり》に伝《つた》ふる有《あ》り

「紅烽火」(高射砲)が飛び交い「警音」(警報)が鳴り響く空襲下の東京を離れて、郷里岡山に向かう情景を詠う。
「苛烈な戦時を危うく生きのびて行く五十代はじめの反時代的な 漢詩人の社会的にまったく孤独な姿を、しみじみと浮かび上がらせているのである。」(清岡卓行)
阿藤伯海(1894-1965)は、若い頃には、フランスの象徴詩的な作風の「現代詩」も書いたが、のち、漢詩に移り、清岡卓行などの弟子に一高時代は講義をした。戦時下の好戦的な風潮に嫌気が差し、教授の職を辞職し、故郷に隠棲する。過ぎ去ったものへの郷愁が強かっただけに、嫌世的であり、その「抵抗」は、「後ろ向き」だったかもしれない。でも、後日、永井荷風も紹介するが、こうした「反時代的な姿勢」も、「死者との連帯」(中島岳志)という意味で忘却されるべきではなく、今を生きる私たちが継承するに値すると思う。
もう一首

臥龍庵に偃梅《えんばい》を哀れむ
鐵石心腸老臥梅 鉄石の心腸老臥梅
雪中何事忽隳摧 雪中何事ぞ忽ち隳摧《きさい》(折れ砕ける)す
艸堂從是無顏色 草堂是《こ》れより顔色無し
月夜寒園人不廻 月夜寒園人廻《めぐ》らず(人影はない)

自らを「老臥梅」に例え、逆説的には「鉄石の心腸」を持ち続けていると矜持しているように思える。
阿藤伯海故居跡は、岡山県浅口市にあり、現在は記念公園になっている。( )
参考】
・清岡卓行「詩礼伝家」
・石川忠久「日本人の漢詩」

付記
清岡卓行の詩がありました。バッハの何の曲が似合うでしょうか?

音楽会で
地球の裏がわから来た
老指揮者の振るバッハに
幼い子はうとうとした
風に揺らぐ花のように。
父は腕を添え木にした。
そして夢の中のように
甘い死の願いを聞いた
鳩と藻のパッサカリアに。
幼い子が眼ざめるとき
この世はどんなに騒めき
神秘になつかしく浮かぶ?
ああそんな記憶の庭が
父にも遠くで煙るが
フーガは明日の犀を呼ぶ。

日本人と漢詩(055)

◎森鴎外と魚玄機


 唐代の女流詩人・魚玄機を扱ったのが、森鴎外の小説「魚玄機」。
青空文庫→ https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2051_22886.html
 彼女の短くも情熱的な人生の割には、ドロドロした色合いはなく、小説は淡白である。「舞姫」でも意外にもそうであったように、こうしたことが鷗外の持ち味かもしれない。
 小説中の魚玄機の漢詩五首から…
賦得江邊柳 江辺《こうへん》の柳を賦《ふ》し得《え》たり
翠色連荒岸 翠色《すゐしよく》荒岸《くわうがん》に連《つら》なり
烟姿入遠樓 烟姿《えんし》遠楼《ゑんろう》に入《い》る
影鋪秋水面 影《かげ》は秋水《しうすゐ》の面《おもて》に鋪《の》べ
花落釣人頭 花《はな》は釣人《つりびと》の頭《かうべ》に落《お》

根老藏魚窟 根《ね》は老《お》いて魚窟《ぎよくつ》藏《か》くれ
枝低繋客舟 枝《えだ》は低《ひ》くく客舟《きやくしう》繋《つな》がる
蕭々風雨夜 蕭々《せうせう》たり風雨《ふうう》の夜《よ》
驚夢復添愁 夢《ゆめ》より驚《さ》めて復《ま》た愁《うれ》ひを添《そ》ふ
 モザイクのような詩句である。「お題拝借」とあるから、自ずからそうなったのだろう。時の高名な詩人・温庭筠がひと目見て絶賛したという。
 語釈、訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/%E9%AD%9A%E7…/20171124 を参照。
遊崇眞觀南樓覩新及第題名處 崇真観《しゆうしんくわん》の南楼《なんろう》に遊《あそ》び、新及第《しんきふだい》の名《な》を題《だい》せし処《ところ》を覩《み》る
雲峯滿目放春晴 雲峯満目《うんぽうまんもく》春晴《しゆんせい》を放《はな》ち
歷歷銀鈎指下生 歴々《れきれき》たる銀鈎《ぎんこう》下生《かせい》を指《さ》す
自恨羅衣掩詩句 自《みづか》ら恨《うら》む羅衣《らい》の詩句《しく》を掩《おほ》ふを 
擧頭空羨榜中名 頭《かうべ》を挙《あ》げて空《むな》しく羨《うらや》む榜中《ばうちゆう》の名《な》を
語釈と訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/…/%E4%B9%9D%E3%80…
を参照のこと
贈鄰女 隣女《りんぢよ》に贈《おく》る
羞日遮羅袖 日《ひ》を羞《さ》けて羅袖《らしう》もて遮《さへ》ぎる
愁春懶起粧 春《はる》を愁《うれ》ひて起粧《きしやう》するに懶《もの》うし
易求無價寶 求《もと》め易《やす》きは価《あたひ》無《な》き宝《たから》
難得有心郞 得《え》難《がた》きは心《こゝろ》有《あ》る郎 《らう》
枕上潛垂淚 枕上《ちんじやう》潜《ひそ》かに涙《なみだ》 を垂《な》がし
花閒暗斷腸 花間《くわかん》暗《ひそ》かに腸《はらわた》 を断《た》つ
自能窺宋玉 自《みづ》から能《よ》く宋玉《そうぎよく》を窺《うかゞ》ふ
何必恨王昌 何《なん》ぞ必《かなら》ずしも王昌《わうしやう》を恨《うら》まん
那珂秀穂訳
面《おも》はゆや 袖にかくれて
逝く春を 起きて粧《よそ》ひぬ
瑠璃珠《るりたま》は求《と》めやすけれど
得がたきは情《こころ》ある人
忍びねに枕ぬらして
花の夜を嘆きあかせど
命さえ捨てて悔いなき
人あらば誰を恨まむ
 頸聯は、広く知られた対句。鴎外は、小説のなかで、采蘋という同性愛?の対象であった、女性を登場させており、本邦の女流詩人原采蘋を連想させるが、どうやら鴎外の創作であるらしい。
 語釈、訳は、 http://www.kangin.or.jp/…/text/chinese/kanshi_C28_2.html
を参照のこと。
寄飛卿 飛卿《ひけい》に寄《よ》す
堦砌亂蛩鳴 堦砌《かいぜい》乱蛩《らんきよう》鳴《な》き
庭柯烟露淸 庭柯《ていか》烟露《えんろ》清《きよ》し
月中鄰樂響 月中《げつちゆう》隣楽《りんがく》響《ひゞ》き
樓上遠山明 楼上遠山明ろうじやうゑんざんあきらかなり
珍簟涼風到 珍簟《ちんてん》に涼風《りやうふう》到《いた》り
瑤琴寄恨生 瑶琴《えうきん》に寄恨《きこん》生《うま》る
嵇君懶書札 嵇君《けいくん》書札《しよさつ》に懶《もの》うし
底物慰秋情 底物《なにごと》ぞ秋情《しうじやう》を慰《なぐさ》めん
 語釈と訳は、http://kanbunkenkyu88.blog-rpg.com/…/%E4%B9%9D%E3%80…
 を参照のこと。
感懷寄人 感懐《かんくわい》人《ひと》に寄《よ》す
恨寄朱絃上 恨《うら》みを朱絃《しゆげん》の上《うへ》に《よ》寄せ
含情意不任 情《じやう》を含《ふく》めど意《い》任《まか》せず
早知雲雨會 早《はや》くも知《し》る雲雨《うんう》会《くわい》するを
未起蕙蘭心 未《いま》だ起《おこ》さず蕙蘭《けいらん》の心《こゝろ》
灼々桃兼李 灼々《しやく/\》たる桃《もゝ》と李《すもゝ》
無妨國士尋 国士《こくし》の尋《たづ》ぬるを妨《さま》たぐるなし
蒼々松與桂 蒼々《さう/\》たる松《まつ》と桂《かつら》
仍羨世人欽 仍《な》ほ羨《うら》やむ世人《よのひと》の欽《あふ》ぐを
月色庭階淨 月色《げつしよく》庭階《ていかい》に浄《きよ》く
歌聲竹院深 歌声《かせい》竹院《ちくゐん》に深《ふか》し
門前紅葉地 門前《もんぜん》紅葉《こうえふ》の地《ち》
不掃待知音 掃《はら》はず知音《ちいん》を待《ま》つ
語釈と訳は、 http://kanbunkenkyuu010.blog.fc2.com/blog-entry-374.html を参照のこと。
中国ないし本邦女流詩人の紹介は、これで一区切りとする。最後に魚玄機の詩をもう一首。
賣殘牡丹  売残の牡丹
臨風興嘆落花頻     風に臨んで落花の頻を興嘆す
芳意潜消又一春     芳意 潜に消して又一春
応為価高人不問     応に価高きが為に人 問わざるべし
却縁香甚蝶難親     却って香の甚しきに縁って蝶 親しみ難し
紅英只称生宮里     紅英 只だ称う宮里に生みしを
翠葉那堪染路塵     翠葉 那ぞ堪えん路塵を染めしを
及至移根上林苑     根を移すに至るに及ぶ上林の苑
王孫方恨買無因     王孫 方に恨む買うに因し無きを
語釈と訳は、
http://blog.livedoor.jp/kanbuniink…/archives/23202183.html
を参照のこと
那珂秀穂訳
風に落つる牡丹の花の 哀れさよ
かくてまた この春も 暮れゆく
値の高きゆゑに 買ふ人もなく
香り高きゆゑに 蝶も近かよらず
紅き花びらは 九重の奥にこそ
緑の葉は 世の塵をいとらふむも
上林に 移し植ゑられなば
買はむすべなきを恨まんものを
哀切感が切々と伝わる名訳である。
参考)「魚玄機・薛濤」(漢詩体系15)
図は、 https://www.easyatm.com.tw/wiki/%E9%AD%9A%E7%8E%84%E6%A9%9F から

日本人と漢詩(052)

◎那珂秀穂、小田嶽夫、武田泰淳と薛濤


 先日、紹介した佐藤春夫訳も含めて、それぞれの訳は、それぞれの趣きがあるようだ。「大唐帝国の女性たち」での訓読訳も捨てがたい。
春望詞 其一
花開不同賞 花開《さ》けど同《とも》に賞《め》でられず
花落不同悲 花落《ち》れど同に悲しめず
欲問相思處 相思所《こいするところ》を問わんと欲《すれ》ば
花開花落時 花開き花落る時と
訳詞)
・那珂秀穂訳
花咲きてうれしかるとも
花散りてかなしかるとも
いかがせむ 君はいづくに
ながむるや 咲きて散る花
・小田嶽夫、武田泰淳訳
花が咲いたら しぼんだら
かたりあひたいあのひとと
うれしかなしもむねのうち
花が咲くのに しぼむのに
 其二 
攬草結同心 草を攬《ぬ》いて同心を結び
將以遺知音 将《まさ》に以て知音《とも》に遺《おく》らんとす
春愁正斷絶 春愁 正に断絶し
春鳥復哀吟 春鳥 復《ま》た哀吟す
訳詞)
・那珂秀穂訳
垣根ぐさ誓《うけ》ひ結びて
なつかしき人にしめさむ
春なればいよよ切なく
春鳥の啼く音《ね》かなしも
 其三 
風花日將老 風花 日に将《まさ》に老いんとし
佳期猶渺渺 佳期《けっこんのひ》 猶お渺渺《びょうびょう》たり
不結同心人 同心の人と結《むす》ばれず
空結同心草 空しく同心の草を結ぶ
訳詞)
・那珂秀穂訳
風に散るたそがれの
はるのなごりぞほのかなる
思ほゆ君にわが逢わで
むなしく結ぶめをと艸
 其四 
那堪花滿枝 何ぞ堪《た》ん 花 枝に満ちて
翻作兩相思 翻《かえ》って作す両相思《こいごころ》
玉筯垂朝鏡 玉筯《なみだ》 朝の鏡に垂れるを
春風知不知 春風は知るや知らずや
訳詞)
・那珂秀穂訳
花咲きぬ 枝もたわわに
わが恋のつのるがごとく
朝鏡 うつるなみだを
春の風 知るや知らずや
参考)高世瑜「大唐帝国の女性たち」
「魚玄機 薛濤」(漢詩体系15)
写真は唐代の女性の騎馬姿の俑人形

日本人と漢詩(051)

◎深田久弥と海量、李白


 今年も山に行けそうもない。せめて、未登の山を詠った詩から慰めをもらうことにする。でも案外、山の遠景の詩はあるが、登ることをテーマの詩は少ない。近代アルピニズムの開花は明治以降だったからだろう。
望駒嶽 駒嶽を望む 海量
甲峡連綿丘壑重 甲峡連綿として丘壑《きゅうがく》重なる
雲間獨秀鐵驪峯 雲間独り秀《ひい》づ鉄驪《てつり》の峰
五月雪消窺絕頂 五月雪消えて絶頂を窺《うかが》へば
靑天削出碧芙蓉 青天削り出す碧芙蓉《へきふよう》
 深田久弥「百名山」に掲載された甲斐駒ヶ岳を詩の題材とする。承句の鉄驪は青黒色の馬の意。形容が面白い。結句は、李白の以下の詩の換骨奪胎。芙蓉は一般には富士山を指すが、ここでは秀麗な山容の表現。
望廬山五老峯 廬山五老峯を望む 李白
廬山東南五老峯 廬山の東南 五老峯
青天削出金芙蓉 青天 削り出だす 金芙蓉
九江秀色可攬結 九江の秀色を攬結《らんけつ》す可《べ》き
吾將此地巣雲松 吾《われ》此《こ》の地を将《も》って 雲松に巣《すく》はん
語釈、訳文は、http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi3_07/rs253.htm
を参照のこと。
 海量(1733-1817)は江戸期の浄土真宗の僧侶。「望む」とあるので山麓からの風景ではあるが、宗教的な山岳修行に関係しているかもしれない。
写真は、Wikipedia(甲斐駒ヶ岳)より
参考)木下元明「江戸漢詩」

日本人と漢詩(050)

◎文楽(人形浄瑠璃)と白楽天

 先日、文楽(人形浄瑠璃)を観た(聴いた)。演目は、夏祭浪花鑑《なつまつりなにわかがみ》。「浪花の俠気の男たちとその妻たちの物語」。題名のように夏向きの趣向で、泥場といわれる最後に近い五反目の殺人現場での修羅場が人形ならではの見せ場である。
Wikipedia → https://w.wiki/3fyn
 ところで、文楽の舞台での襖には、漢詩が掲げられていることがあり、ちょっとした「小道具」である(写真)。「仮名手本忠臣蔵」山科閑居の段には、白楽天の「折剣頭」が書かれており、まがった釣針は、高師直(吉良上野介)に贈賄した側、折れた刃は、塩冶判官(浅野内匠頭)を指し、放蕩に耽る大星由良之助(大石内蔵助)の内心での「忠義」が示唆される。
折劍頭 折れたる剣の頭 白居易
拾得折劍頭  折れたる剣の頭《さき》を拾い得たり
不知折之由  折れたる由《いわれ》は知らず
一握靑蛇尾   一握りの青き蛇の尾か
數寸碧峰頭  数寸なる碧の峰の頭《いただき》か
疑是斬鯨鯢  疑うらくは是れ鯨鯢《けいげい》を斬りしならん
不然刺蛟虯  然らずは蛟虯《こうきゅう》を刺せしか
缺落泥土中  泥土の中に欠け落ち
委棄無人收  委ね棄てられて収《ひろ》う人無し
我有鄙介性  我は鄙《いや》しく介《かたくな》なる性有りて
好剛不好柔  剛《かた》きものを好めど柔きものを好まず
勿輕直折劍  直きゆえに折れたる剣を軽んずる勿かれ
猶勝曲全鉤  曲がりつつ全き鉤《つりばり》には猶お勝りなんものを
白楽天は自負とおり、硬骨漢でもあったようだ。
解説は、 https://www.eg-gm.jp/e_guide/yowa/yowa_01_2014.html を参照のこと、図も同サイトからの転載。