テキストの快楽(011)その1

◎ 三枝博音「日本の唯物論者」(003)


     二 なぜ日本では唯物論者が出てくることがむつかしかったか

 さて、誰が唯物論者であったかをきめることは、急がないほうがよい。それよりも、なぜ日本では唯物論者が出てくることが困難であったかを明らかにするほうが、たいせつである。この問いが解かれれば、唯物論者がほんとうはどんな人であるべきであるにせよ、とにかく、そういう人が出てくる余裕も機会も日本にはなかったことがわかる。そういうようにたずねてゆくことが、けっきょく日本における唯物論者のあり方を明らかにしてゆくことに、もっともかなうように思われる。
 唯物論者の出てくることのむつかしかった日本とは、どういう国であったか。ずっと旧いことはここでははぶくことにしょう。ヨーロッパでいうとルネサンスの直前のころに日本で書かれた、北畠親房ちかふさの『神皇正統記じんのうしょうとうき』(一三三九年)をとりあげることをしてみたい。この本に照らしてみて、日本はどういう国であったのか、それを考えてみることから始めよう。この書を批評して、歴史としては粗略、文明史としては一貫した理路を欠くというように考える人(たとえば山田孝雄)があるが、私はこの日本が近世においてどんな国でありはじめたかを知るには、じつに恰好の文献だとおもう。『日本開化小史』の著者田口卯吉はこの本の著者の着眼の鋭いことを称揚したことがあるが、私は田口説をとりたい。さて、この書は巻頭まず、「大日本おおやまとは神国なり」と規定する。「日神ひのかみがながくとうをつたえいる」という点で、異国に例がないと著者はいう。さらにすすんで、親房はこの国をば「君子不死の国」だといっている。不死の国とは、この国にすんでいる人間たちは、「天性柔順で、道をもって御し易い」という意味である。このように、親房が日本という国をつかんでみせていることは、それからまた、そうつかんでみられるようにイデオロギーが当時もその後もできていたことは、まず誤っていないと考えられる。この国はそういう教化を国民に植えつけたことを、親房はよく知っているのである。さらに重要なのは、それまで日本国内にあったいろいろの思想方向を一つに統一しようろん南朝のための募兵の志にあったかも知れぬが、それはそれでよい)。書き方をみると、彼として成功している。彼がこの本を書いたころは、いわゆる鎌倉仏教の宗祖たちはもうすでに一世紀も前にそれぞれ一宗をたてていたのだが、彼はそれらには触れなかった。「一宗に志ある人が、余の宗をそしり賎しむことは、大きな誤りである」といって、ひたすらに調和をはかっている。それどころか、いろいろの世界観人生観(仏教・儒教・道教)はもちろん、産業技術(彼はその例として「稼檣」や「紡績」や「工巧」などをあげている)や経済や文学や芸能などをあげて、それらがこぞって盛んになるのが「聖代」といわれるものだとして、文化の全体をとらえて、それをいわば国策にそわせようとしている。このように文化(「道」)のぜんたいをとらえて論述していることは、あとにもさきにもないことだった。とにかく、日本の「近世」がはじまるにさきがけて、早く親房が『神皇正統記』を書いたことは、歴史的にいって意義が大きい。これより後の多くの歴史家たちが、この本によっていわゆる「皇代記」を固めていったのである。「大日本帝国憲法」の発布の翌年に公判された『国史眼』にしても、天皇継統表はすべてこの本に拠っているのである。『神皇正統記』の著者が日本の国柄をつかんでみせたその歴史眼は、後の歴史家たちに大きな影響をあたえた。彼のあとに出た日本歴史家たちで統一をうたわない人はいないのである。江戸時代のなかごろの社会批評家の太宰春台は、彼の『封建論』(一七四五年)のなかで家康の「英武」をうたって、日本の「海内統一」を称揚しているし、幕末のすぐれた史論家としての伊達千広は、彼の『大勢三転考』のなかで、徳川幕府の政治のもとの「大小の国々必一つに和順」せる太平無事のさまを強調しているのである。水戸光圀や頼山陽のことはあげるまでもない。
 親房は、私たちの用語でいえぱ、文化のぜんたいをながめて考察している。政治・経済・産業はもちろんであるが、批評家としての文士(「坐して以て道を論ずるは文士の道なり」と彼はいっている)や算術や詩論や諸芸の人々のことすべてをあげておいて、人はその性来の器量がちがうのだから、その分にしたがうべきだという思想を示している。何につけても調和、何につけても統一、これが彼の論旨である。
 私たちにとって、もっとも重要なことはつぎのような思想である。すなわち、調和または統一の考えがたんに政治的なものでなくて、この著者が把えているように、その考え方は日本人の一つの世界観となっていることである。個人個人の性格や能力の相違についての見解が、底深い宿命的な形而上学に根をもっていることである。どんな人生観をもつ、どんな職業をもつ、どんなイデオロギーをもつかは、そのひと個人の生涯で完了しないのだ、という世界観的な思想を、彼のなかに私たちは見のがしてはならない。これは親房の思想であって、彼が日本民族のなかに見てとった、かなり仏教の影響からくる思想である。人は、このイデオロギーに共感するか、あのイデオロギーに共感するかの違いはあっても、そのこと自体は(どっちにつくか、どっちについたかどうかは)さほど重大のことでなくて、もっと大きいもっと広い関係において、それぞれの個人が役立っている、その立場というか、世界観というか、とにかく、その広大さについていうと、人がどの職業につき、どの階層につき、どの人生観をもつかは、それ自体だけで完結しているのではない。たがいに補い合っている。だから、うわべ<傍点>はちがっていていいというのである。彼はこういっている、「われはこの宗に帰し、人はかの宗に心ざす。ともに随分の益あるべし。これ今生一生の値遇にあらず」と。だから個人の生活は来世までのびている。七生の説は当然出ていいようになっているのである。
 ここに利益という思想が出ているが、これは見落すことができない。『神皇正統記』の著者は一方において、とてつもない広大な、人間の一生をそのなかに包んでいるような広大な世界をえがいている。このなかでは偉大な調和ができているという信念である。ところが他方において、そのように考えてゆくのが得だ、利益だという思想を、そこにひそませている。彼はこういっている。「政治家ともあるものは、あれこれの教えをみなとりいれ、また人民のほうもそれぞれの教養のあるものをすべて見落さぬようにすることだ。そうするほうが利益のあることを忘れてはいけない」(「国の主ともなり、輔政の人ともなりなば、諸教を捨てず、機を漏らさずして、得益の広からん事を思ひ給ふべき也」)。以上のように、一方では形而上学的なものをもって全体をつつみ、まことに庶民にとって深遠なるものを示しておき、他方では実践上の利得ということでしぼっているのである。この混濁は日本的イデオロギーとして見落せないものである。いったい、このようなやり方がヨーロッパの世界観の歴史や宗教的思想史のなかに見出されるであろうか。これは親房の仏教思想からきていると思えるが、じつは、このようなゆき方やり方は、日本化した仏教の一つの特質なのであると私はみたい。インドや中国の仏教のあり方と日本のそれとの相違は、こうしたところにあらわれている。つまり、親房のいっていること、すなわち彼が日本の歴史のなかに見てとっていることは、すべて日本的特色であるという結論を下してよいであろう。このようにして、彼は日本は「君子不死の国」であると過去の歴史を見てとり、さらにそのように日本を規定したのである。そしてさらに、この国の人民は「天性柔順で、道をもって御し易い」ということを、あの著述でもって明らかにしたのである。私たちが今日いうところの「文化」は、日本の旧い、ことばでいうと「どう」くらいしか相当するものがないのであるが、仏道にしても、儒道にしても、神道にしても、その他、芸道げいどうにしても、人民を「御する」道具なのであった。人民のものとして人民のなかからできあがった文化だとは、いいにくいのである。外国から入ってくるどんな文化も、人民を「制御する」道具としてとり入れられたもののようである。
 このような文化の国においては、その国の人民のなかから人民の抗議の声としての唯物論は芽ばえてくることはむつかしく、唯物論者が出てくることは至難だったことは当然であった、といわねばならない。
 さて、ある国、ある民族のうちから唯物論者が出てくることの困難な理由は、以上の考察で十分なのでは決してない。それどころか、以上の日本的なものを、じつは世界観的に思想的に基礎づけていたものがあり、それはヨーロッパの学問思想がそのぜんぶの幅をもって日本に入ってくるまで、ずっと成長し、発展したものであった。それを私のぜんぶの幅をもって日本に入ってくるまで、ずっと成長し、発展したものであった。それを私は、つぎの第三節で「東洋にはなぜ唯物論哲学がなかったかのであるか」という題でのべてみたい。

底本】
三枝博音「日本の唯物論者」(英宝社・英宝選書)1954年6月30日初版)
その他、「科学図書館」所収の、PDF も適時参照した。
なお、底本中の、ふりがなは、ruby タグを用い、傍点は、太字表示の b タグ を用いた。

テキストの快楽(010)その3

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(07)

     

 知識階級出の追放者が窓際に立つて、隣家の屋根を默って桃めてゐる姿は、實に厭なものである。かういふとき、彼は何を考へてゐるのだらう。また彼とつまらぬ世間話をしながら、 まるで「お前は歸って行ける。だが俺は駄目だ」とでも言ひたげた表情でじつと見つめられるのも、厭なものである。氣の毒で堪らなくなるから厭なのだ。
 今日、死刑はよくよくの場合でないと適用されないといふのは、屢〃耳にする言葉だが、これは必らずしも當つてゐない。死刑に代ったとされる最高の刑罰手段は孰れも、依然その最も重要且つ本質的な徵候を保ち續けてゐるのである。つまりそれは、終身性、無期性だ。そのどれを見ても、犯罪者を平常な人間社會から永久に<傍点>遠ざけるといふ、死刑直傳の使命を帯びてゐる。從つて重罪を犯した人間が、その裡に生を享け且つ成長した社會から葬り去られるといふ點では、死刑橫行時代と何の變りもないのである。割合に人道的とされてゐるわがロシャの法律では、刑事犯も懲治犯も共に最高の刑は殆どみな終身刑である。徒刑*は必然的に永久の追放を伴つてゐる。追放刑*が怖ろしいのは實にその終身性に依ってゐる。また懲役*に處せられた者は、刑期が滿ちたとき社會がもしその仲間入りを拒むなら、シベリヤに追放される。以上の場合宕ど總てを通じて、權利の剝奪は終身的性質を帶びてゐる、等々。このやうにして最高の刑罰手段は悉く、墓の中での安心をまで犯罪者に與へまいとする。それさへあれば、死刑に對する私の嫌惡感も一變されるであらう、墓場の中の平安をまで。また一方、終身性――つまり、より良い生活はもはや望み得ぬ、自分の裡の公民は永久に死に、幾ら努力しても自力では彼を蘇らせることは出來ぬといふ自覺 がある以上、ヨーロッパでもわが國でも死刑が實は廢止されたのではなく、ただほんの少し感じのいい別の衣裳を着せたに過ぎぬと考へて差支へない。ヨーロッパはあまり長らく死刑に慣れて來た。そのため、いつまでも思ひ切り惡く緣が切れないのである。
[訳注]
*徒刑、追放刑、懲役 譯後の不足を補ふため、 少し説明を加えて置く。當時ロシヤの習慣法によれば、刑の種類この三つに分たれてゐた。「徒刑」(Katorzhnye raboty)は刑事上の重罪犯に課せられるもの。卽ち、ネルチンスク、アム—ル、サガレン等に送られて烈しい労役(鐵道建設、鑛山等)に服する。「追放刑」(Ssylkama poselenie)は國事犯に課せられるもの。追放者は一定地方に警察の監視下に居住することを强ひられる。これに二種あって、一は法律の手續を經て、法廷で罪を宣告された者、他は單に內務大臣の「行政命令」により處分されるもの。この後者はロシヤ法律に固有の悪弊であつた。「懲役」(Arestantskie roty)とは普通の刑務所に短期間服役するもの。

 五十年乃至百年の後には、今私達が鼻孔を裂く刑や左手の指を落す刑を見ると同様の困惑と不快の眼差しで、現代の刑罰の終身性を眺めるやうになることを、私は信じて疑はない。また、この刑罰の終身性のやうな陋習が、舊式であり且つ偏見に滿ちたものであることを、よし私達がどんなに深くはっきり認識したとて、所詮はこの悲參に對して何等手の下しやうのないことも亦同じく認めざるを得ない。この終身性を、何かもっと合理的で公正なものに變へるには、現在の私達の知識や經驗ではとても足りず、從って勇氣も不足なわけである。またこの方面で、優柔不斷且つ一方的な試みをして見たところで、知識や經驗に基かぬ創始時代には共通の運命である、重大な過誤や極端に陷るのが落ちだらう。如何にも歎かはしくまた奇怪なことだが、監獄と流刑との孰れがロシヤに適はしいかといふ理代的な問題すら、决定する權利は私達にないのである。何故なら私達は、監獄とは何ぞ、 流刑とは何ぞといふことさへ、まるで知らずにゐるからだ。監獄や流刑の部門に於けるわが國の文獻を覗いて見給へ。何といふ貧弱さだらう。二三の小論、二三の名前。まるで口シヤには監獄も流刑も徒刑もないやうに、あとは空々漠々だ。もう二三十年來わが國の思索的インテリゲンチヤは、犯罪者は總て社會の產物なりといふ文句を繰り返してゐる。だがさう言ひながら、何とこの産物に無關心なことだらう。鐵窓につながれた人々や流刑に惱める人々に對するこれほどの冷淡さは、キリスト敎國としてまたキリス卜敎國の文獻として合點の行かぬことだが、その眞因はわが國の法學者の極度の蒙昧に根ざしてゐるのだ。彼の無學は固よりながら、 幟業的偏見に囚はれてゐる點でも、その播き散らす蕁麻いらくさ*の種子と何等擇ぶところはない。彼が大學の試驗を受けるのは、人間を審き、人間に下獄や流刑を宣吿するやうになりたいからである。役につき月給を貰つて、する事といへば審いて宜吿をするだけだ。犯罪者が判決の後て何處へ行くのか、更に監獄とは何ぞシベリヤとは何ぞといふことは、 固より知りもせす興味もない。これは彼の權限の外にあって、すでに赤鼻の護送吏と獄吏の仕事なのだ。
 話をする機會のあった土地の人々や官吏や、或ひは驛馬車乃至傭馬車の馭者のロから聞いたところでは、インテリ出の追放者達――つまり文書僞造、公金私消、詐欺などの罪でここへ送られて來た元士官とか冨とか、公證人とか會計士とか、或ひは貴公子くづれといつた人物だか、 彼等はみんなカ籠りかちの虔ましい生活をしてゐるといふ。例外はノズドリョフ*氣質の持主だけだ。この型の人間になると、場所を問はず年齡を間はず境遇を間はず、依然元のままの彼である。然し彼等は一つ所にじつとしてはゐず、シベリヤ狹しとヂブシー的遊牧生活を送って、そのめまぐるしい移動性に至っては殆ど端倪すべからざるものがある。ノズドリヨフ型のほか、インテリ出の「氣の毒な人達*」の中に、腐り切つた悖德漢卑劣漢を見掛けることも稀ではない。しかしこれは怡ど殘らず見當がついてゐて、唯一人知らぬ者はなく、皆の指弹を受けてゐる。繰り返していふが、 大多數は虔ましい生活をしてゐる。
[訳注]
*ノズドリョフ 『死せる魂』に描かれた地主の一タイプ。(第一卷第四章)。浪費好きで呑氣で賑かな暴れ者である彼は、由來ロシヤ地土には少からぬ陽性の完全な軆現者として、 醜悪を極める慾の俘、猜疑深い吝嗇漢ブリュ—シキンの陰性と見事な心理的對照を作してる。
*「氣の毒な人逹」 「内人たち」の意。ロシヤでは罪囚を明らさまな名で呼ぶことを禁じ、「氣の毒な人達」と呼ぶのが慣はしであった。

 迫放地に着いて最初のうち、インテリ達は途方に暮れて茫然としてゐる。おづおづと、まるで叩きのめされたやうな風に見える。彼等の多くは貧乏で、非力で、碌な敎育は受けてゐない。財產といったら字が書ける位なものだが、それとて往々にして使ひ途のない惡筆である。彼等は先づリンネルの肌着や、 敷布シーツ、ハンカチの類を小出しに賣り拂ひはじめる。そして二三年すると貧窮のどん底に落ちて死んで行く。(タガンログの稅關疑獄の主要人物だったクゾヴレフも、そんな風になって卜ムスクで死んだ。葬式の費用は、やはり追放者の或る氣前のいい人が持った。)これと違って、何かの仕事を手に入れて次第に地步を築き上げる人もある。商人になつたり、辯護士になったり、地方新聞に書いたり書記仲間にはいったりする。さういふ彼等の稼ぎも、月三十乃至三十五ルーブルを越すことは滅多にない。
 ここの彼等の生活は退屈だ。ロシヤの自然に親しんだ彼等には、シベリヤのそれは單調で、貧相で、鈍重なものに見える。キリスト昇天節はまだ嚴寒だ。五旬節*には水氣の多い雪が降る。町の貸間は穢らしく、街路はぬかるし、店の物はみんな高價で店曝しで、しかも乏しい。ヨーロッパ人が使ひ慣れた品物などは、幾ら金を出しても大抵は手に入らぬ。土地のインテリは、思想人もさうでないのも、朝から晚までヴォトカを飮む。醉ひもせず方圖も知らず、實に下品で亂暴で馬鹿げた飮み方をする。土地のインテリと話をして見給へ。二言目には「ひとつヴォトカでもやりませうか」と來るに極ってゐる。そこで追放者は、退屈まぎれにお附合ひをする。はじめは澁面を作る。やがて慣れて來る。仕舞には言ふまでもなくその道の常習犯になる。飮酒に就いて、追放者が土地者を悪化するといふのは當つてゐない。土地者が追放者を惡化するのである。
 ここの女も、シベリヤの自然に劣らず退屈だ。生彩もなく、薄情ではあり、着物の着方も知らず、歌も歌はす、笑顏も見せす、可愛気もない。ある土地の古顏が「手觸りが惡い」と話の序でに言つてゐたが、その通りである。生粹のシベリヤ兒の小說家や詩人が生れたとしても、その小說や詩の主人公は女ではあるまい。彼女が、救世とか或ひは「世界の涯までも」といったやうな高尙な活動力を、男性の裡にめざまし靈感させようとはとても思へない。下等な居酒屋、家族風呂、公然乃至祕密の夥しい魔窟などは、孰れもシベリヤの人間の大好物であるが、これを措いてはどの町にも何ーつ遊び場所はない。秋や冬の夜長を、追放者は自分の部屋に坐って過ごすか、ヴォトカを飮みに土地の古顏の所へ行く。二人でヴォトカを二本ビールを六本も倒すと、例によって「ひとつ繰り込むかね」と來る。言はずと知れた魔窟である。退屈、限りない退屈。何をして氣を紛らさうか。そこで追放者は、リボー*の『意志の障礙』といった類の、黴の生えた小册子を讀んで見る。春はじめての快晴の日に淡色のズボンを穿いて見る。それでお仕舞である。リボーは相當に退屈た。それに、自由ヴォーリヤのも無いのに意志ヴォーリヤの障礙に關する本を讀むのは、果して時宜を得たことたらうか。淡色のズボンでは寒い。だがとにかく單調は破つて災れる。
[訳注]
*五旬節 復活祭後第八の日曜日。またキリスト昇天節は、同じく復活祭後四十日目。
*リボー フランスの心理學者(一八三九――一九一七)。『記憶の障礙』(一ハ八一)、『意思の障礙』(一ハ八三)、『注意の心理學』(一ハ八八)など實驗心理學の論文が多く、その大部分はロシヤ譯されてゐる。なほ・ロシヤ語の volja には「意志」の義と「自由」の義とが並存してゐる。これを利用して數行先にチェーホフは洒落を飛ばしてゐる。

日本人と漢詩(119)

◎ 私と杜甫


 十年くらい前になるだろうか、中国・四川省(sì chuān shěng)の成都(chéng dōu)にある、杜甫草堂(dù fǔ cǎo táng)を訪れたことがある。その頃は、興味はあったが、本格的に拼音(ピンイン pīn yīn)までのめり込むとは思わなかったので、やや駆け足で広い庭園を見ただけであり、今ではすこし後悔している。
今日は、杜甫の有名どころの七言律詩「登高」を講義の一コマでご教示していただいた。律詩一首で精一杯というところだ。

dēng gāo   dù fǔ
登 高   杜 甫

fēng jí tiān gāo yuán xiào āi
風 急 天 高 猿 嘯 哀
zhǔ qìng shā bái niǎo fēi huí
渚 淸 沙 白 鳥 飛 廻
wú biān luò mù xiāo xiāo xià
無 邊 落 木 蕭 蕭 下
bú jìn cháng jiāng gǔn gǔn lái
不 盡 長 江 滾 滾 來
[xiāo xiāo xià、gǔn gǔn lái とはなんと美しい対句としての響きだろう。あとの、第3声が2つ連続するときは、はじめの3声は、2声になると習ったが、以下の Youtube では、3声の連続として聞こえるがどうなんだろう]
wàn lǐ bēi qiū cháng zuò kè
萬 里 悲 秋 常 作 客
bǎi nián duō bìng dú dēng tái
百 年 多 病 獨 登 臺
jiān nán kǔ hèn fán shuāng bìn
艱 難 苦 恨 繁 霜 鬢
liáo dǎo xīn tíng zhuó jiǔ bēi
潦 倒 新 停 濁 酒 杯

・読み下し文と語釈、訳文は、マナペディアなどを参照。
・ピンイン読みは、Youtubeなど参照。
写真は、杜甫草堂の入口(Wikipedia)から

日本人と漢詩(118)

◎ 私と杜牧

 一念発起し、某語学学校で、漢詩のピンインを習い始めた。ピンインの抑揚の仕方はもちろんのこと、発音の際の、口の形とそれを次の漢字につなげ形など実に丁寧にご教示いただいた。選んだ杜牧の詩は、いささや「軟派」調で、中国では、小学生の教材としては不適当とされているそうだ。

遣懷 おもいる qiǎn huái 杜牧  dù mù

落魄江湖載酒行 江湖に落魄らいはくし酒をせて行く luò pò jiāng hú zài jiǔ xíng
楚腰懺細掌中輕 楚腰は繊細にして掌中しょうちゅうに軽し chǔ yāo chàn xì zhǎng zhōng qīng
十年一覺揚州夢 十年ひとたびむ揚州の夢 shí nián yī jué yáng zhōu mèng
贏得靑樓薄倖名 あまし得たり青楼 薄倖はっこうの名 yíng dé qīng lóu bó xìng míng

 講師の出身地の上海では、漢詩のピンイン発音の CD や書籍が、300円くらいで売っているとのこと。日本でのアマゾンなどでの販売は、あまりなく、あっても、数千円もする。機会があれば、上海の観光に出かけたい気持ちである。

テキストの快楽(010)その2

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(02)

リヤ王:第一幕 第二場

第二場 グロースター伯の居城

グロースター伯の庶子のエドマンドが一通の書状を持って出る。 彼れは私生兒であったので、過去九年間は外國で日蔭者になってゐた。 最近、父のもとへ引取られて來たものゝ、妙に根性がひねくれて、 あらゆる人間を敵視し、とりわけ、其義兄エドガーを嫉んで、奸計を以て除かうとしてゐる。 父に對しても情愛はない。

エドマ
大自然よ、おまひは俺の神さまだ。おれはお前の定めた規則だけを奉ずる積りだ。 何の必要があって馬鹿々々しい習慣なんぞに役せられて、 俗間のわづらはしい禮法の爲に相續權をなくする奴があるものか? ……兄貴より僅々たつた十二ケ月か十四ケ月おくれて生れたといふだけの理由で。 何故劣腹おとりばらだ?何が劣るんだ?……四肢五體に何の缺點も無く、 心も高尚、姿や形も本妻腹同樣正しく生れついてゐるぢゃないか? 何で彼奴あいつらはおれたちに劣腹なぞといふ烙印やきいんしゃァがるんだ?劣腹?劣腹だ? 何が劣る?……面白くもない、陳腐な、き果てた床の中で、 半分眠ながら拔作種を製造するのに比べりゃァ、人目をぬすみ、好きこのんでこしらへた子のはうが、 種が遙かに豐富でもあり強烈でもあるべき筈だ。……だから、本妻腹のエドガーどの、 わたしがお前さんの領地は貰ふよ。おトツさんの情愛は本腹も劣腹も區別はない。 本妻腹!佳い言葉だなァ!はて、本腹さん、此手紙が役にたって、おれの策が成就すりゃァ、 劣腹のエドマンドが本腹どのを乘越のツこしますよ。びるぞ、出世するぞ。 神さま、どうか劣腹の肩を持って下さい。

かねて用意しておいた僞筆の手紙を讀んでゐるやうに見せかけて、 父グロースターの來るのを待ってゐる。其途端、グロースターが非常に驚きあわてゝゐるていで、一方から出る。

グロー
ケントもかうして追放となってしまった!フランス王は腹を立って出立せられた! それから王は今夜からお出まし!權力を引渡してしまはるゝ!あてがひ扶持を受くる身とならるゝ! それが總て咄嗟の間にきまってしまうた!エドマンド、どうしたのぢゃ!何事が起った?
エドマ
(わざと慌てゝ手紙をかくして)へい、あの、何も。
グロー
なんで其樣に一心むきになって其手紙をかくすのぢゃ?
エドマ
なンにも存じません、變った事は。
グロー
讀んでゐた手紙は何ぢゃ?
エドマ
何でも無いのでございます。
グロー
何でも無い?すれば、何で恐ろしげに大急ぎで、衣嚢かくしの中へ隱したのぢゃ? 何でもないことなら隱す必要は無い筈ぢゃ。見せい。さァ、何でもないものなら、眼鏡をかけるにも及ぶまい。
エドマ
どうぞ御免なすって。あれは兄上からのお手紙でございます。まだ讀み通してはをりませんけれど、 讀んだゝけでは、御覽に入れては具合がわるいと思ひますから。
グロー
見せなさい、その手紙を。
エドマ
(半獨語のやうに)見せなければお氣にさはらうし、見せればお氣にさはらうし……中に書いてありますことは、 讀んだゝけでは、よくない事ですから。
グロー
見せろ、見せろ。
エドマ
(手紙を渡しながら)多分、これは……兄上の爲に辯解しておきます……私の根性を試さうために、 お書きなすったのでございませう。
グロー
(讀む。)

老人を尊敬する習慣あるが爲に、吾々青年は其最も良き時代を不愉快のうちに空しく經過し、 財産あるも之を享樂し得べき時には使用する能はずして、徒らに老境に及ぶなり。 予は、老人をして專横をほしいまゝにせしむるは、要するに、吾々青年の愚なる奴隸根性に因ることゝ存じ候。 彼等が吾々を支配するは權力あるが爲にはあらず、支配することを許しおくが故に候。 此事につきては、尚ほ語るべき事あれば、御入來あれ。若し父をして予が起すまでは熟睡せしむるやう物するを得ば、 其財産の一半は永久に其許そのもとものとし、且つ深く其許そのもとを愛すべく候。
兄エドガーより。

ふうむ!陰謀ぢゃな?「予が起すまでは熟睡せしむるやう物するを得ば、 其財産の一半は永久に其許そのもとものとし」!……わが子のエドガーが! かういふことを書きをったか?こんな奸計たくらみをする心や頭をってをらうとは! ……こりゃ何時いつ手に入った?誰れが持って來た?
エドマ
持って來たのぢゃありません。巧い具合に私の部屋の窓から投げ込んであったのでございます。
グロー
此字は兄のか?
エドマ
善いことが書いてありゃ、兄上のですと斷言しませうけれども、さうでないのですから、 兄上のぢゃないと思ひたいのです。
グロー
いゝや、れのぢゃ。
エドマ
手は兄上のですけれども、よもや兄上はこゝに書いてあるやうな事をお思ひなすってぢゃありますまい。
グロー
何か此事に關して、兄が探りを入れたことは無かったか?
エドマ
一度もございませんです。が、折々斯んな事をおっしゃいました、 男の子が丁年になったら、老衰した父親は財政其他一切の事を其子に任して、自分は後見される身分になるのが當然だと。
グロー
おゝ、おのれ、惡漢わるものめが!其持論が此手紙に!怖ろしい惡漢わるものめが! 不倫な、不幸な、にッくい畜生!畜生にも劣った奴!……さァ、彼奴あいつを搜して來い。 引ッ捕へてくれう。おそろしい惡漢わるものめが!何處にをる彼奴あいつは?
エドマ
よくは存じません。もッとたしかな證據がお手に入って、兄上の御料簡がお解りになるまでは、 お腹をお立ちなさらぬがよろしうございます。若し誤解遊ばして手荒いことをなさいますと、 あなたの御不名譽でもあり、兄上の御孝心を形無しになさることになりませう。 私は一命を賭けて保證します、 兄上は全くあなたに對する私の情愛を試さうために此手紙をお書きなされたのに相違ございません、 怖ろしいお計画たくらみなぞは決してありゃしません。
グロー
さう思ふかおまひは?
エドマ
御意次第で、私は、兄上と私とが此事を話してゐるところへ、御案内いたしませうから、 御自身でお聽きなすって、實否をおめなさいませ。今夜すぐにも御案内いたしませう。
グロー
(獨白のやうに)かういふ人非人で有り得よう筈がない。……
エドマ
勿論、ありませんよ。
グロー
此通り悉くやさしうしてやる父に對して。あゝ、あゝ!……エドマンド、彼奴あいつをば搜し出して、 どうか、本心を探ってくれ。其手段は自分の才覺で工夫せい。身分や財産に代へても、 確かな事が知りたい。
エドマ
早速兄上を搜します。臨機應變に取計ひまして、結果をお知らせ申します。
グロー
(獨語のやうに)此頃うちの日蝕や月蝕は不祥事よくないことの知らせなのぢゃ。 理學者どもは、あゝの、かうのと理窟を捏ねをるが、 自然界は彼の結果でやッぱり種々いろ~災害わざはひを受ける。 愛は冷却する、友誼は破れる、兄弟は仲たがひをする。都會には暴動、地方には騷擾、宮中には謀叛人、 親子の間の絆は切れる。我家うち惡漢あくたうの如きが其預言の中に入る、父に叛くせがれぢゃ。 王は性の自然に背いた振舞ひをなさるゝ、取りも直さず子に背く父ぢゃ。あゝ、世は澆季となった。 陰謀や輕薄や不眞實や、其他さま~゛の亂脈が墓に入るまで人の心を掻き亂す。…… エドマンドよ、惡黨めを搜して來い。決しておのしの不爲にはならん。ぬかるまいぞ。…… 氣高い、忠實なケントは追放!其罪はといふと、正直一圖といふこと!竒怪千萬ぢゃ。

グロースター入る。

エドマ
大べらぼうな話だ、運が惡くなると。……それは大抵自業自得であるのに、 ……其不仕合せの原因を太陽や月や星の所爲せゐにする、 人間は天體の壓迫あつぱくよんどころなく惡者にもなり、 阿呆にもなるかのやうに思って。惡黨となるも、盜賊となるも、謀叛人となるも、 同じく天體の爭ひがたい感化、大酒飮も虚言家うそつきも間男もみんな止むを得ない星の勢力、 其他、人間が犯す惡といふ惡は、何れも何かしら神のさせることゝ見做す。 邪淫家いろごのみの好い遁辭だ、その淫亂すけべゐ根性を星の所爲せゐにするのは! 俺の親父は大龍星のしつぽの下で阿母おふくろ慇懃ねんごろして、 さうして俺が大熊星の下とやらで生れたげな。それが爲に俺は氣が荒くて色を好む。 へん、よしんば蒼空おほぞらで第一等の潔白な星が、下借腹の眞最中に、どうぎらついてゐようとも、 俺は正に此通りにお育ち遊ばしたに相違ないわい。や、エドガーが……

エドガーが出る。

ちょうど好いところへ、古いしばゐの見あらはしのやうにやって來た。 おれのきッかけは空愁歎のていとござい、ベドラムのトムよろしくといふ溜息を吐いて。 ……(父グロースターの口眞似をして)おゝ、此間中の日蝕や月蝕、 あれが皆かういふ仲たがひの前兆であったか!……ファー、ソーラ、ミー。
エドガ
どうしたのだ、弟エドマンド!何をさう一心に考へ込んでゐるのだ?
エドマ
兄さん、わたしは此間讀んだ預言のほんのことを考へてゐるのです、 日蝕や月蝕の後には如何どういふことが起るかといふ。
エドガ
お前はさういふことを勉強してゐるのかい?
エドマ
預言に書いてあることが、ほんたうに陸續起ってゐまうs、不幸にも。 例へば、子と親との仲たがひだの、死亡や、飢饉や、久しい友誼の破壞だの、 國内の分裂、王や貴族に對する惡口雜言、故無き嫌疑、信友の追放、軍隊内の騷擾、 夫婦間の破裂、其他いろ~の事が起ってゐます。
エドガ
いつからお前は天文學者になったんだい?
エドマ
ねえ、もし!(戲言じようだんどころぢゃありませんよ!)何時いつお父さんにお逢ひでした、最近?
エドガ
つい、昨晩ゆうべさ。
エドマ
お話をなすったの?
エドガ
あゝ、二時間ほど。
エドマ
仲よくお別れなすったのですか?口吻か顏色かに御立腹の樣子は見えやしませなんだか?
エドガ
いゝえ、ちっとも。
エドマ
何かで御機嫌をお損ねなさりゃしませんでしたか?ねえ、もし、お願ひですから、 お怒りの火の手が衰へるまで、暫くの間、お父さんに逢はないやうにしてゐて下さい。今はひどく怒っておいでゝす、 あなたの身に害を加へでもなさらなけりゃお心が和ぎさうもありませんよ。
エドガ
何か讒言をしをった奴があるんだらう。
エドマ
私もさう思ひます。お願ひですから、お父さんの御立腹の薄らぐまで、ぢッと辛抱してゐて下さい。 それから私の宿まで來て下さい、お父さんのおっしゃることの聞かれる處まで御案内しませうから。 どうぞ、さァ。これが宿の鍵です。外出なさるなら、武噐を忘れちゃいけませんよ。
エドガ
武噐を?
エドマ
兄さん、わるいことはいひません。武噐を身に附けて外出なさい。 正直、あなたに害を加へようとしてゐる者があるんですから。 現に見たこと、聞いたことをお話したのですけれど、 とても其怖ろしさの微かな影ほどもお傳へすることが出來んのです。 さ、どうぞ、早くこゝを。
エドガ
ぢきに知らせてくれるかい?
エドマ
はい、きッとお勤めします。

エドガー入る。

(せゝら笑って)乘せられ易い親父と正直一圖の兄貴、惡い事を假にもィしない性質だから、 人がしようとも思はない、其馬鹿正直が此方こツちの附目だ。 爲事しごとの目鼻は附いた。血統ちすぢで領分持ちになれなけりゃ智慧でならァ。 何だッて結構だ、好い工合に物になりゃァ。

エドマンド入る。

坪内逍遙(1859-1935)譯のシェークスピヤ(1564-1616)作「リヤ王」です。
底本:昭和九年十月廿五日印刷、昭和九年十一月五日發行の中央公論社、新修シェークスピヤ全集第三十卷。

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テキストの快楽(009)その3

◎ シェイクスピア・坪内逍遙訳「リア王)(01)第1幕
リヤ王

シェークスピヤ 作
坪内逍遙 譯
* 第一幕 第一場
* 第一幕 第二場
* 第一幕 第三場
* 第一幕 第四場
* 第一幕 第五場
* 第ニ幕 第一場
* 第ニ幕 第二場
* 第ニ幕 第三場
* 第ニ幕 第四場
* 第三幕 第一場
* 第三幕 第二場
* 第三幕 第三場
* 第三幕 第四場
* 第三幕 第五場
* 第三幕 第六場
* 第三幕 第七場
* 第四幕 第一場
* 第四幕 第二場
* 第四幕 第三場
* 第四幕 第四場
* 第四幕 第五場
* 第四幕 第六場
* 第四幕 第七場
* 第五幕 第一場
* 第五幕 第二場
* 第五幕 第三場

登場人物

* ブリテンの王、リーヤ。
* フランスの王。
* バーガンディーの公爵。
* コーンヲールの公爵。
* オルバニーの公爵。
* ケントの伯爵。
* グロースターの伯爵。
* グロースターの男、エドガー。
* グロースターの庶子、エドマンド。
* 阿呆。(阿呆役、即ち弄臣。)
* 廷臣、キュラン。(コーンヲール公の侍士)
* グロースターの配下の民、老人。
* 侍醫。
* ゴナリルの家令、オズワルド。
* エドマンドに使はるゝ一武將。
* コーディーリャに侍する一紳士。
* 傳令。
* コーンヲールの家來數人。
* リーヤの女、ゴナリル。
* リーヤの女、リーガン。
* リーヤの女、コーディーリャ。

其他、リーヤに附隨せる武士ら、武將ら、使者ら、兵士ら、侍者ら。

場所

ブリテン。

(書中及び本文中にては、邦語との調和、其他の都合上、例の如く、必ずしも正音に拘泥せず。)

第一幕

第一場 リヤ王宮殿。

此日、王リヤが王位を退くと同時に、其所領を三分して、其三王女に分配する筈なので、 老齡のグロースターは其庶子エドマンドを從へて、 鯁直かうちよくを以て聞えてゐるケントの伯爵と共に出て來て、 王の臨場を待ってゐる。

ケント
王はコーンヲールどのよりもオルバニー公爵を一段御贔屓かと存じてをったに。
グロー
始終そのやうにも見えてをりましたが、王國御配分の今日となっては、 どちらを最も御尊重やら分りませぬ。雙方の御配當が如何にも精細に平等で、 擇ぶことの出來ませんほどでござりから。
ケント
(エドマンドを見て)あれは御子息でござるか?
グロー
養育致したは手前に相違ござらんが、あれは自分のぢゃと申すたびに、 毎々赧い顏をいたし、今ではもう慣れて鐵面皮になりました。
ケント
お言葉がはらに入りかねます。
グロー
ところが、此者これのお袋のはらに入りましたので、それが大きうなり、 寢床にねかす夫はまだ迎へも致さんうちに、搖籃ねかごせる小さひのが出來ました。 え、不品行ふしだらをお察しなされたかな?
ケント
不品行ふしだらも強あながち咎めるには及びますまい、如是こんな立派なのが出來て見れば。
グロー
なれども手前には、正腹ほんばらの、さればとて一段かはゆいと申す譯でもないせがれがござる、此者これよりは一年ほど年長としうへの。此奴は出て來いとも言はんうちに、 不作法にも飛び出した奴ではござるが、お袋は標致きりやうよしで、 生ませるまでには大分面白いこともござったことゆゑ、子でないとは申されませんわい。…… エドマンド、此お方を存じてをるか?
エドマ
いゝえ、存じません。
グロー
ケント伯爵どのぢゃ。わしの尊敬するお方ぢゃ。お見知り申しておけ。
エドマ
何分よろしう。
ケント
おひ~お知交ちかづきになって、是非御別懇に致すであらう。
エドマ
御知遇に背かぬやうに勤めまするでございませう。
グロー
れは九年外國へ參ってをりましたが、また直ぐに遣はす積りで。……

セネット調の喇叭が聞える。

王のお渡りぢゃ。

喇叭につれて、一人寶冠を捧げ持ちて先きに立つ、つゞいてブリテンの國王のリヤ、 次女の婿コーンヲール公爵、長女の婿オルバニー公爵、長女ゴナリル、次女リーガン、 三女コーディーリャ及び從臣大勢出る。王は七十以上の高齡で、身、神共に衰へて、 もう耄けかゝってゐるのであるが、傲岸な、わがまゝな氣質は其壯年の時のまゝである。

リヤ
グロースターよ、フランス王とバーガンディーの公爵とを接待しておくりゃれ。
グロー
かしこまりました。

グロースターはエドマンドを伴って入る。

リヤ
此間このひま其方そち逹のまだ存ぜぬ内密の旨意を申し聞かさう。……地圖を持て。…… まづ、我が王國をばみつに分けた。予も高齡と相成ったによって、すべて面倒な政治上の用向は、 悉く若い壯健すこやかな者共に委ねて、身輕になり、靜かに死の近づくのをたうといふ決心ぢゃ。 ……我が愛子コーンヲール、……また、子たるの愛に於ては少しも劣ることのないオルバニー公爵、 予は、今日只今、化粧料としてへ遣はすべきむすめ共の所領を公表しようと存ずる。 然るは、今にして永く未來の爭根を絶たんがためぢゃ。フランス王とバーガンディーの公爵とは、 末姫コーディーリャの愛に對する競爭者となって、其戀を遂げうために、久しう此宮中に逗留せられた。 其返辭もまた今日の筈ぢゃ。……むすめどもよ、今や、予は、支配をも、所領をも、 國事に關する心勞をも、悉く脱ぎ棄てゝしまはうと存ずるによって、聞かしてくれ、 其方そなた逹のうちで、誰れが最も深くわしを愛してをるかを。 眞に孝行の徳ある者に最大の恩惠を輿へようと思ふから。……長女ゴナリルから申せ。
ゴナリ
父上、わらはゝ口で申し得らるゝより以上にあなたをば愛しまする、目よりも、空間よりも、 自由よりも、貴き又は稀なる、ありとあるあたひあるもの以上に、命よりも以上に、 威嚴や健康や美や名譽の添った生命以上に貴下あなたをば愛しまする。子のかつて獻げ、 父のかつて受けた限りの愛を以て。……息をも乏しからしめ、 ことばをも不能ならしめまする程の愛を以て。ちようどそれほどの、 ありとあらゆる愛以上にあなたを愛しまする。
コーデ
(傍白)コーディーリャは何とせうぞ?……心で愛して默ってゐよう。
リヤ
(地圖を指し)此綫より此綫まで、鬱蓊たる森林と豐饒なる平野、魚に富める河々と裾廣き牧場とを有する、 此境域一圓の領主とそなたをばするぞよ。これは、そなたとオルバニーとの子々孫々にまで、永久の財産ぢゃ。 ……さて、予が最愛の二女リーガン、コーンヲールの奧方は何といはるゝな?
リガ
わたくしの心持も姉上と全く同じなのでございます、姉上同樣におぼしめしていたゞいて當然と存じてをります。 姉上はわたくしが思ってをる通りをおっしゃったのでございますの、只、少ゥしおっしゃり足りませんばかり。 わたくしは、最も大切な感覺の、ありとあらゆる歡樂をも仇敵あだがたきと斥け、 只一へに殿下を愛敬し奉るのを幸福と思ふてをりまする。
コーデ
(傍白)ぢゃ、此コーディーリャは(何といはう)!……いや~、なンにもいふまい、 とても此心は舌ではいはれるやうなものぢゃァないから。
リヤ
これがそなた及びそなたの子孫の世襲の財産ぢゃ、我が美なる王國の此豐かな三分の一は。 廣さに於ても、價格ねうちに於ても、其樂しさに於ても、ゴナリルに遣はしたのに少しも劣らん。 ……さて、可愛いやつ、いツしまひに呼びはするが、いッかなおろそかに思ふてはゐぬコーディーリャよ、 フランスの葡萄も、バーガンディーの乳も、おのしをば夢中になって戀ひ慕ふてをる。 こりゃ、姉たちのよりも一段ゆたかな三分の一を貰ふために、おのしはどのやうなことを言ふぞ?申せ。
コーデ
(そっけなく)なンにもいふことはございません。
リヤ
なんにも?
コーデ
はい、なんにも。
リヤ
(目に角を立てゝ)なンにもないところからはなンにも生れん。改めて申せ。
コーデ
わたくしは、不仕合せなことには、むねにある事を口に出すことが出來ません。 わたしは義務相應にあなたを愛しまする、それより多くもなく、少くもなく。
リヤ
どうしたのぢゃ、コーディーリャ?いひかたを繕はんと身の爲になるまいぞよ。
コーデ
父上さま、あなたは私を生んで、育てゝ、かはゆがって下さいましたから、 そのお禮に正當な子たる者の義務だけは盡しまする。命令おほせを守りまする、愛しもし、敬ひもしまする。 ……何故に姉上がたは夫をお迎へなされましたか、眞實あなたばかりを愛しなされるなら? 恐らく、わたしは、もし婚禮すれば、貞實につかへねばならぬ夫の爲に、 愛をも心づかひをも勤めをも半分は傾けねばなるまいと存じまする。父上ばかりを愛さうと思ふたら、 わたくしは決して姉上がたのやうに結婚はいたしますまい。
リヤ
(愕き呆れて)それは本心でいふのか?
コーデ
はい、本心でございます。
リヤ
幼少でありながら、それほどまでに柔情やさしげの無い?
コーデ
幼少であっても、申すことは眞實でございます。
リヤ
(赫となって)勝手にせい。なりゃ、其眞實を持參金にしをるがよい。太陽のたふとい光りをも、 ヘケートの神祕をも、夜の闇をも、人間が生死のもとたるあらゆる天體の作用はたらきをも誓ひにかけて、 予はこゝに、父たる心づかひをも、近親たることをも、血族たることをもげ棄て、 今日より永久におのれをば勘當する。殘忍野蠻の、 おのが食慾をかす爲にうみの子をも喰ふといふ彼のシゝヤ人を友逹ともして、 憐れみいたはったはうがましぢゃわい、昨日まではむすめであったおのれをばいたはり憐れむよりは。
ケント
あゝ、もし、我が君には……
リヤ
默れ、ケント!……龍と怒りとの間に立つな。……いツ彼女あれをかはゆう思ふて、 彼女あれが深切な介抱をば末のたのみともしてをったに。……退れ、目通り叶はん! ……天の神々も照覽あれ、あいつめは子では無い、むすめで無いぞ!……フランス王を呼べ。 ……えゝ、起たんか?バーガンディーを呼べ。

一侍臣急ぎ奧へ入る。

コーンヲールとオルバニーとは、むすめ等二人の所領と共に第三の分をも分配せい。 彼奴あいつは、正直と自稱しをる其高慢をたねに結婚しをれ。 お前たち兩人に、我權力をも、最上の位をも、王座に附帶するあらゆる名譽、實力をも讓り輿へる。 わしは、月々、百人の武士を附人に控へおき、それをお前たちが扶持することにして、 一月代りにお前たちのやしきで世話になるであらう。わしは只王といふ名義、稱號だけを貰ふておく。 國家の收入、統治の實權等一切は、婿どの、悉くお前たちのものぢゃ、其證據として、 只今こゝで此王冠を分ち遣はす。

王冠を二人に渡さうとする。ケント見かねて王の前にひざまづいて

ケント
リヤ王殿下、常に我が王と崇め、我が父とも愛し、我が主君と奉じ、神に祈り奉るたび毎に我が大保護者と……
リヤ
弓ははや引絞ったわ、先を避けい。
ケント
いゝや、其箭そのや鋭尖きツさきで胸を貫かれてもかまひません。(憤然として起ち上って) リヤ王が御本心を失はせられた上は、ケントは禮儀を棄てまするぞ。

王は劍に手を掛ける。

何をなさる?國君が阿諛へつらひに屈する時には、忠臣も能う口を開かんと思し召すか? 至尊に愚昧な振舞ひがあれば、直諫は恥を知る者の義務でござる。……王權は元の通りお手許に留めおかせられい、 そして御再慮あって、決してかやうなおそろしい輕忽な振舞ひをなされますな。 末姫君は決して御不幸ではござらん、若し此判斷にして相違ひたさば、手前の一命を召されませ。 外に反響する音の低いは、内に誠情まごころが充實してゐるので、心の空虚でない證據でござる。
リヤ
默れ、ケント、命が惜しくば。
ケント
いや、此命はお身代りの御用にもと今日まで貯へました。お爲故にならば惜しみません。
リヤ
えゝ、目通り叶はん。退れ。
ケント
いゝや、退りません。從前通り手前をば目安になされて、是非黒白こくびやくのお見分をなされませ。
リヤ
やァ、アポローも照覽あれ……
ケント
やァ、アポローも照覽あれ、御誓言は無益むやくでござる。
リヤ
おゝ、おのれ!無禮者め!

王再び劍を拔きかける。オルバニーとコーンヲールとでそれを止める。

オルバ、コーン
まァ~!
ケント
良醫を殺して惡い病に報酬をおやりなされ。お宣言のお取消しをなさらんに於ては、 聲が此喉から出る限り、あくまでも間違った御所業ぢゃと申しまするぞ。
リヤ
默れ、不忠者!忠義を存ずるなら、先づよく聽け!おのれ敢て…… 予はかりそめにも敢てせざるに……君臣の盟約を破壞せんと欲するのっみか、甚しき傲慢不遜の態度を以て、 予が宣言の實行を妨げんと致しをったる事、王たる者の性として、身分として、決して忍ぶ能はざる所ぢゃ、 予が其權を執り行ふ只今に及んで、其應報そのむくいを受けい。五日だけは許し遣はす、世の不便、 災厄を避くる準備の爲に。しかしながら第六日には、必ず此國に背を向けをらう。 若し第七日となって尚ほ國内にうろつきをらば、見附け次第死刑にする。立去れ! ヂュピターも照覽あれ、此宣告いひわたしは一たび出でてはかへらんぞよ。
ケント
(愀然として)おさらばでござる。王がかやうな振舞ひをなされるからは、此國には自由は無い、 此處に留まるのは追放も同然ぢゃ。……(コーディーリャに對ひ)神々も貴女こなたをば愛憐いとほしんで、 お護りなさるゝであらう、思ふこと正しく、其言ふこと更に最も正しい娘御!…… (ゴナリルとリーガンに對ひ)孝行らしい口吻から善い結果の生ずるやう、實行によって大言の始末をなされ。 ……(皆々に向ひ)おゝ、かた~゛これで暇乞ひをいたします。 住み慣れん國に合せて爲慣れた生活くらしを續けませうわい。

ケントしを~として入る。
喇叭の聲盛んに起る。グロースター伯が先きに立ち、フランス王とバーガンディーの公爵とを案内して出る。 從者大勢ついて出る。

グロー
フランス王とバーガンディー公とが渡らせられてござります。
リヤ
(冷靜を裝って)バーガンディーどの、先づ貴下こなたに尋ねまする、 貴下こなたはそれなる王と末女おとむすめを爭ひめされたが、貴下こなたが、 若しそれだけを得る能はざれば此縁邊は止めるとある最低額の化粧料は幾何いかほどでござるの?
バーガ
大王殿下、手前はかねてお約束のあった以上を要求致しません。また、あれ以下をお遣はしではございますまい。
リヤ
バーガンディーどの、れめをかはゆう存じてをった時分にはさうもござったのぢゃが、 今は値が下りました。それ、そこに居りまする。若しあの見すぼらしい體内に存在する者が、いや、其全體そのぜんたいが、吾等の勘氣を蒙ったがために、いささかの財産も添ひませんが、それでもお氣に適ふたら、 それに居りまする、お伴れなされ。
バーガ
失禮ながら、さういふ御條件では、推選いたしかねます。
リヤ
なりゃ、お棄てなされ。神かけて、只今申したのが彼れが財産の全部でござる。……(フランス王に) 大王よ、吾等は貴下こなたの御懇請を重んじまするによって、吾等が憎う思ふ者をお娶りなされいとは申しかねる。 ぢゃによって、現在の親すらも子といふことを恥づるやうな女よりも一段もつと立派な者へ愛情をお向けなさるがよい。
フラン
さて~、竒怪なこと!つい先刻までは貴下こなたの御祕藏であり、貴下こなたが御称讚の主題でもあり、 御老體の藥膏でもあり、最善でもあり、最愛でもあった姫が、 忽ちのうちに八重九重やへこゝのへの恩惠を剥ぎ去られねばならんほどの大不埒を犯されたとは。定めし、 前々御吹聽あった愛情が健全である限りは、姫の罪は竒怪至極と申すほどの甚しいものでございませうな。 しかし姫にさやうなことがらうとは、奇蹟でもなくば、吾等の理性の能う信じませんことでござる。
コーデ
(王の前にひざまづきて)殿下にお願ひ申し上げまする、もしも……妾は、 心にもない事を滑かに言ふことが拙うございますゆゑ、……妾は心に思ふたことは、 言ふよりも先きに行はうと存じますゆゑ、……どうぞお願ひ申しあげまする、妾が御寵愛を失ふたのは、 決して不品行でも、汚はしい振舞ひでも、不貞操でも、不名譽の所業でもなく、へつらふ目附や辯舌を有たぬゆゑに御勘氣を受けたのぢゃとおっしゃって下されませ、 それらを缺いでゐるために御寵愛を失ふたけれど、自身では、それが無いのが徳の有るのぢゃと信じて、 いつそ喜んでをりまする。
リヤ
(いよ~怒って)親に怒りを起さすやうなおのれ、生れをらなんだがましぢゃわい。

コーディーリャは泣き顏になりながらも、詫びようとはしない。

フラン
只それのみで?爲やうと思ふ事をも兎角いはずしておく語少ことばすくなの持前?…… バーガンディーどの、姫に對する其許そのもとの意見は?愛もまことの愛ではない、 愛のみを主とせんせ他の條件を交ふるやうでは。姫をお迎へなさるか?其身そのまゝが化粧料といふ事ぢゃが。
バーガ
リヤ王殿下、前にお申し出しあったゞけをお添へ下されい、 手前即座にコーディーリャどのを迎へてバーガンディー公爵夫人といたしまする。
リヤ
何も遣はしません。誓ふた上は、決定けつじやうしてござる。
バーガ
(コーディーリャに)お氣の毒ながら、父御をお失ひなされたゆゑに、夫をも失ひめされた。
コーデ
(傍白)バーガンディーどの、御機嫌よろしう!……財産を目的めあての愛情であるからは、 (迎へようといはれたとて、お前の)妻にならうとは思ひませぬ。
フラン
(コーディーリャに)コーディーリャどの、貧しうて却って最も富み、棄てられて却って最もいみじく、 憎まれて却って最もいとほしいコーディーリャどの、あなたとあなたの徳操みさをとを吾等が拾ひまする。 棄てられたものを拾ふに故障はあるまい。(と手を執って)あゝ、あゝ!彼等はこれほどに冷かに取扱ひをるのに、 不思議にも我が愛情は烈火のやうに熱して燃ゆる。……殿下よ、 化粧料もない貴下こなたの令孃むすめごを偶然に拾ひまして、吾等が妻、我が國民の妃、 我がフランス國の王妃といたしまする。水くさいバーガンディー公爵が幾人いくたりあらうと、 此の知れぬ淑女を我が手から買ひ取ることは出來まい。……コーディーリャどの、 人々に暇乞ひをなされ、むごい人逹ではあるが。此處を失ふて、 貴女あなたは此處よりも更に善い處を得られたのぢゃ。
リヤ
其許そのもとに進ぜまする。御自分のになされ、吾等はそのやうなむすめは有たん。 又と其面そのつらを見まいわい。……

王は席をって起つ。

ぢゃによって、立去りをらう、父の恩愛もなしに、祝福もなしに。……さァ~、バーガンディーどの。

喇叭。フランス王と、ゴナリルとリーガンとコーディーリャとだけ殘りて、皆々入る。

フラン
姉上たちに暇乞ひをなされ。
コーデ
父上御鍾愛のあなたがたへ、涙に浸る目でコーディーリャがお別れ申しまする。 あなたがたのお氣質はよう知ってゐますけれど、妹の身としては、 世間で謂ふあなたがたの缺點を口にするに忍びません。父上に孝行をなされて下され。 口に出しておっしゃったあなたががたのお心に父上をお頼み申しまする。……けれども、 御勘氣を受けてゐなければ、もっと善いところへ頼んでゆきたい。……さやうなら、おふたりとも。
リガン
わたしたちへの務めぶりのお指揮さしづには及びません。
ゴナリ
御自分の殿御の機嫌を損ねないやうになさい、運命のお餘り程に思ふて、お前さんを拾ふてくれた殿御です。 父上に從順を怠ったお前さんです、自身が缺乏した其不徳相當の缺乏が身に報いますのよ。
コーデ
八重に包んだ虚僞いつはりが今に露見する時が來ませう。惡いことは如何どう掩ひ隱してゐても、 遂には恥辱はぢを受けねばなりません。……さやうなら!
フラン
さァ~、コーディーリャどの。

フランス王はコーディーリャを促して入る。

ゴナリ
いもうと、二人の身に密接に關係したことで、いろ~話したいことがあります。 父上は今夜にも最早もういらっしゃりさうだよ。
リガン
きッとさうです、あなたのとこへ。來月は私どもへ。
ゴナリ
知っての通り、齡のせゐでおそろしく氣まぐれにおなりなされたわね。 その證據を見たのは一度や二度ぢゃない。いつでもコーディーリャは一番のお氣に入りであったのに、 あの通り、譯の分らん理由で勘當ぢておしまひなさるんだものを。
リガン
老耄のせゐです。それでも御自身にはほとんど氣が附いてゐませんの。
ゴナリ
若い健全な頃でさへも一徹短慮な人であったのが、齡を取りますったんだから、 永い間性癖となった弱點にかてゝ加へた老耄で、怒りぽくもなって、 始末におへない我儘をなさると思はねばなりません。
リガン
わたしたちとても、のケントと同じに、いつ、どんな氣まぐれな目に逢ふか知れませんよ。
ゴナリ
フランス王が出立するので、挨拶や何かで、奧ではまだ手間が取れませう。……どうぞお前さん、 わたしと合體してやって下さい。もし父上があゝいふ氣立で威をおふるひなさるやうであると、 權力を渡して貰ったからッて、有害無益ですよ。
リガン
尚ほ善く御相談いたしませう。
ゴナリ
どうにかせにゃなりませんよ、今のうちに。

二人とも入る。

坪内逍遙(1859-1935)譯のシェークスピヤ(1564-1616)作「リヤ王」です。
底本:昭和九年十月廿五日印刷、昭和九年十一月五日發行の中央公論社、新修シェークスピヤ全集第三十卷。

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osawa さん、投稿(更新日: 2003/02/16)
2025年9月22日 一部訂正(底本中の、ふりがなは、ruby タグを用いた)にてアップ。

テキストの快楽(009)その2・読書ざんまいよせい(064)

◎ グリーンブラット「暴君」ーシェイクスピアの政治学(01)


 まず、本書の問題提起から…

 一五九〇年代初頭に劇作をはじめてからそのキャリアを終えるまで、シェイクスピアは、 どうにも納得のいかないい問題に取り組んできた。
――なぜ国全体が暴君の手に落ちてしまうなどということがありえるのか?

 シェイクスピアの作品には、様々な「暴君」が登場するが、イギリス王朝のプランタジネット王朝やランカスター王朝などの王の歴史劇は、いずれまとめて書くが、本書での引用について、面白く感じただけに一言。「ヘンリ六世」で、王に反乱をしかけた、ジャック・ケイド(王ではないが、その素性や行動から、充分、「暴君」たるに値する人物であった。)の言葉されるセリフ
“make England great again!”(ふたたびイギリスを偉大に!)
は、調べたかぎりでは、シェイクスピアのどの戯曲にもでてこない。本の出版年に初当選した、某国のトップは、シェイクスピア(ないしジャック・ケイド)を気取ったかと思ったが、逆に、著者が現代の暴君に引きずられた、ないし「筆のすさび」なのかもしれない。某大統領が、シェイクスピアを引用するなんで、ちょっと考えられないし、それとも、その時代の僭主希望者の、それを示唆する伝承があったのだろうか?

 結論として…

リーダーに対して人はつい皮肉な見方をしてしまったり、そうしたり—ダーを信頼するお人よしの大衆に絶望しがちだったりすることをシェイクスピアは承知していた。リーダーはしばしば体面に傷があって堕落しており、群衆はしばしば愚かで、感謝を知らず、デマゴーグに翻弄されやすく、実際の利益がどこにあるのか理解するのが遅い。最も卑しい連中の最も残酷な動機が勝利を収めるように思える時代もある(時に長く続くかもしれない)。しかし、シェイクスピアは、暴君とその手下どもは、結局は倒れると信じている。自分自身の邪悪さゆえに挫折するし、抑圧されても決して消えはしない人々の人間的精神によって倒されるのだ。皆がまともさを回復する最良のチャンスは、普通の市民の政治活動にあると、シェイクスピアは考える。暴君を支持するように叫べと強要されてもじっと黙っている人々や、囚人に拷問を加える邪悪な主人を止めようとする召し使い、経済的な正義を求める餓えた市民をシェイクスピアは見逃さない。
「人民がいなくて、何が街だ?」

 十分納得されるソリューション(解決法)である。

なお、本書に関連し、坪内逍遥訳「リア王」「マクベス」「ジュリアス・シーザー」などを投稿予定である。

参考
Wikipedia から
ヘンリー6世_(イングランド王)
シェイクスピア「ヘンリー六世 第2部」
ジャック・ケイド

テキストの快楽(009)その1

◎ ツルゲーネフ作 神西清訳「散文詩」(01)


 岩波文庫には、神西清と池田健太郎訳の「散文詩」が収められています。このうち神西清訳の部分だけを収録します。神西清が、1933年・29歳のとき、初版「散文詩」を出版、晩年にうち11編を改訳されたものです。池田健太郎氏の注は、適時、「引用」しました。

   い な か

夏は七月*、おわりの日。身をめぐる千里、ロシアの国――生みの里。
空はながす、いちめんの青。雲がひときれ、うかぶともなく、消えるともなく。風はなく、汗ばむ心地。大気は、しぼりたての乳さながら!
雲雀ひばりはさえずり、鳩は胸をはってククとなき、燕は音もなく、つばさをかえす。馬は鼻をならして飼葉をはみ、犬はほえもせず、尾をふりながら立っている。
草いきれ、煙のにおい、――こころもちタールのにおい、ほんのすこしかわのにおいも。大麻たいまはもう今がさかりで、重たい、しかし快い香りをはなつ。
深く入りこんだ、なだらかな谷あい。両がわには、根もとの裂けた頭でっかちの柳が、なん列もならんでいる。谷あいを小川がながれ、その底にはさざれ石が、澄んださざなみごしに、ふるえている。はるかかなた、天と地の尽きるあたり、青々と一すじの大川。
谷にそって、その片がわには、小ぎれいな納屋なやや、戸をしめきった小屋がならび、別の片がわには、松丸太を組んだ板ぶきの農家が五つ六つ。どの屋根にも、むく鳥の巣箱のついた高いさお。どの家も入口のうえに、切金きりがね細工の小馬の棟かざりが、たてがみをびんと立てている。でこぽこの窓ガラスは、七色なないろに照りかえる。よろい戸には、花をさした花瓶の絵が、塗りたくってある。どの農家の前にも、きちんとしたべンチが一つ、行儀よくおいてある。風をふせぐ土手のうえには、小猫がまりのように丸まって、日にける耳を立てている。たかい敷居のなかは、涼しそうに影った土間どま
わたしは谷のいちぱんはずれに、ふわりと馬衣をしいて寝そべっている。ぐるりいちめん、刈りとったばかりの、気疲れするほど香りのたかい^草の山また山。さすがに目のく農家の主人たちは、乾草を家のまえにまき散らした。――もうすこし天日にほしてから、納屋へしまうとしよう。その上で寝たら、さぞいい寝心地だろうて!
子どものちぢれ毛あたまが、どの乾草の山からも、のぞいている。とさかを立てたにわとりは、乾草をかきわけて、小ばえや、かぶと虫をあさり、鼻づらの白い小犬は、もつれた草のなかでじゃれている。
ちぢれた亜麻いろ髪をした若昔たちは、さっぱりしたルバシ力に、帯を低めにしめ、ふちどりのある重そうな長靴をはいて、馬をはずした荷車に胸でよりかかりながら、へらず口をたたきあっては、歯をむいて笑う。
近くの窓から、丸顔の若い女がそとをのぞいて、若者たちの高ばなしにとも、乾草やまのなかの子供たちにともっかず、声をたてて笑う。
もうひとりの若い女は、たくましい両腕で、ぬれそぼった大つるべを、井戸から引っぱりあげている。……つるべは、綱のさきでふるえ、揺れ、きらめく長いしずくを、はふり落す。
わたしの前には、年とった農家の主婦が立っている。格子じまの、ま新しい毛織りのスカー卜に、おろしたての百姓靴をはいている。
大粒の、がらんどうのガラス玉を、あさ黒いやせた首に三重みえにまきつけ、白毛しらがあたまは、赤い水玉を散らした黄いろいブラトークで包んでいる。そのプラトークは、光のうせた目のうえまで垂れかかる。
が、老いしぼんだ目は、愛想よくほほえんでいる。しわだらけの顔も、みくずれている。
そろそろ七十に手のとどきそうなばあさんなのに若いころはさぞ美人だったろうと、しのばせるものがある!
右の手の日にやけた指をひろげて、ばあさんは、穴倉から出してきたばかりの、上皮もそのままの冷めたい牛乳のつぼをにぎっている。壺のはだいちめん、ガラス玉のように露をむすんでいる。左の手のひらに、ばあさんは、まだほかほかのパンの大きなひときれをのせて、わたしにすすめる。――「あがりなさいませ、これも身の養いですで。旅のだんな!」
おんどりが、いきなり高い声をあげて、ばたぱたと羽ばたきした。それにこたえて、小屋のなかの小牛が、もうと気ながにないた。
「やあ、すばらしいカラス麦だぞ!」と、わたしの馭者ぎょしゃの声がする。
ああ、気ままなロシアのいなかの、満足と、安らかさ、ありあまる豊かさよ!その静けさ、その恵みよ!
思えば、帝京ツアリ・グラードの聖ソフィヤ寺院のドームの上の十字架**をはじめ、われわれ都会の人間があくせくすることすべて、なんの役に立つというのだろうか?
                  II.1878

【注】
* 異本に「六月」
** クリミア戦争など「東方問題」に対する世人への風刺

テキストの快楽(008)その3

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(06)


     

 ドゥブローヴィノで馬車が備へた。それで前進する。トムスクまであと四十五露里といふ所で、 今度はトム河が氾濫して牧地も道も水浸しだから、先へは行けないと言ふ。また舟で渡らなければならない。そこでも、クラースヌィ・ヤール のときと同じ目に逢った。舟は向ふ岸へ行ってゐるが、 かう風が强く波が高くては、とても戾っては來られない。……仕方がない、待たう。
 朝になると雪が降りだして、二寸以上も積った(それが五月十四日である)。ひる頃からは雨になって、すっかり雪を洗ひ流した。夕方、太陽が沈むころ岸に出て、こちらの岸へ漕ぎ渡って來る舟が水流と鬪ふ有樣を眺めてゐると、霙まじりの雨に變った。……そのとき、雪や寒氣とまるで合はない現象が起った。私ははつきりと雷鳴を聞いたのである。敝者たちは十字を切って、これで暖かになるといふ。
 舟は大きい。先づ八九十貫からの郵便物を積み、 それから私の荷物を積んで、濡れた筵ですっかり覆ふ。……郵便夫は背の高い老人で、梱の上に腰をかける。私は自分のトランクに腰をおろす。私の足もとには、雀斑だらけの小さな兵隊が席を占める。外套は搾るばかり、 軍帽から襟頸へ水が流れる。
 「神よ、祝福あれ。さあ綱を解け!」
 柳の叢林のほとりを流れに沿うて下る。今しがた十分ほど前に馬が二頭溺れ、荷車の上にゐた男の子だけは柳の藪につかまつてやっと助かった、と橈子たちが話してゐる。
 「漕げ、漕げ、みんな話はあとでも出來るぞお」と、舵取がいふ 、「頑張れよう。」
 川を掠めて、雷雨の前によくある早風はやてが颯々と吹く。……裸かの柳が水面に糜いてざわめく、忽ち川は暗くなり、不規則な波が立ちはじめた。……
 「みんな、藪の中へ向けろよう。風さやり過すだ」と楫取が靜かに言ふ。
 舳は柳の藪の方を向いた。が橈子の一人がそのとき、荒れ模樣になると夜通し藪の中にゐなければならなくなる、それでも矢張り溺れるのは同じことだから、先へ進まうぢやないかと言ひ出した。多數決できめることになって、 やはり先へ進むことにする。……川はますます暗くなる。烈しい風と雨が橫なぐりに吹きつナる。岸はまだまだ遠く、萬ーの場合には縋りつける筈の柳の藪は、後へ遠ざかつて行く ……長い生涯に色んな目に逢つて來た郵便夫は、默り込んで、凍りついたやうに身動きもしない。橈子たちも默ってゐる。……小さな兵隊の頸筋が、 見る見る紫色に變る。私の胸は重くなる。もし舟が顚覆したらと、 そればかり考へる。……先づ第ーに半外套を脫がう。それから上衣を、それから……。
 だが、岸が次第に近くなつて、橈子にも元氣が出てきた。沈んだ胸も次第に輕くなる。岸まであと三間半の上はないと分ると、 急にはればれして、もうこんな事を考へる。
 「さてさて臆病者は有難いものだ。ほんのちょつぴりした事で、これほど陽氣になれる。」

[注記]底本中の、ふりがなは、ruby タグを用いた。

テキストの快楽(008)その2

◎ 槇村浩「日本詩歌史」(その3)

第二章 日本原始共産制時代の詩歌
詩学方法論の一例と日本語の特殊性――本来平和的な共産詩人の進歩的戦争に対する反省と苦悶――盛期第一期、狩猟的農業時代。女性による白鳥の歌の第一曲――盛期第二期、牧畜的農業時代。移民戦争の英雄酋長による白鳥の歌の第二曲――盛期第三期、社会主義的農業時代。原始的女性織工による白鳥の歌の第三曲――原始共産制時代没落の諸表象

 詩の解釈の方法論の一例として、次のようなものがある。
 「あっぱれ*、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ!」
 これは日本の詩の内で最も美くしいもの、一つである。これだけ短い句の中に、これだけ原始共産社会の自由と野性を素朴に表現したものがあるだろうか。こうした小供の純真さは、長い間われわれに返ってこなかったのだ。
*はじめ「あわれ」と書き、のち「あっぱれ」にかえる
 あらゆる階級と身分の人々が同一の詩を口ずさむ時、彼等はおの/\の立場にしたがって異った解釈をするとはいえ、それはなを近似性を発音の中に秘めている。同じ時代の人々にとって、アクセントが変り、句読が断続された頃には、文字がこれらの詩の永久的な楔として、そして文字を知っているものゝみに通用する一方的な意義をもって現われてくる。
 文字のない思想の海面に次第にもり上った結晶物が凝結して文明の珊瑚礁を築く頃には、財産の海面にも共産社会を荒らすほどの父家長財産の珊瑚礁がもり上がっていた。しかも日本字の形成は、これほど複雑に分裂した社会と財産とをうつし出した字は世界に類例がないだろうと言われるほどで、しかつめらしい中国字の輸入から始まった。だから文字の秘密を握っている少数の貴族は、発音を少しも違えずに、意味をすっかり書きかえるとゆう見事な芸当をやってのけた。古語拾遺*には、この歌はこう記されてある。
 阿波礼、阿那於茂志呂、阿那多能志、阿那佐夜憩、飫憩
 これには更に挿話がつき、その字面を辿って、たんねんにその当時の意義を再現すればこうなる。
 波のごとそこはかとなく過ぎゆくものに、哀愁の楽しさをもって挨拶しよう
 日やけのせぬ真白な顔をふり立てるのは、何と殻物を茂らせる方法ではあるまいか
 多くの志が達するとは何と楽しいではないか
 この夜、竹葉の音を聞きながら一休みしよう
 自分をして粟飯を盛る葉と葉のさやぎの中に休憩せしめよ
    *岩波文庫黄三五— 一に収められている

 意義の転換期にいつも見られるように、本来かんたんなこの歌は、こんなにも複雑に捻じ曲げられている。「あはれ」の三字の中に含まれた快楽から出発して、悲喜こもごもの意味に変り、やがて全く哀愁に帰してしまうまでの三段階――あらゆる言語と社会の上層建築の表現に共通した三段階は、日本語の中で最も代表的なものの一つである。「おもしろい」愉快さは、耕作せぬ貴族の顔の白さであり、働かずに茂った穀物を手に入れることである。「おけ!」とゆう楽しい食事の休憩は、休憩そのものよりむしろ食器そのものの方え問題の重心を持ってきたために、食器と食器との葉ずれから、食料分配のずれ合いまで転化されている。文明はこの名詩の原始的な意義と一しょに、ー切の財産と人民の原始的な意義まで葬ってしまった。邪魔っけな私有財産の珊瑚礁が、文字の珊瑚礁を征伏して、詩を再び人民のものとし、この時代の失われた自由と純真さを再生産するまでに、どれだけ多くの年代が経過したことだろう。

 記録をたどってたどりうる日本原始共産制時代は、三期に分れる。それは背后に数十万年の乏しい、だが決して貧しくない生活の記録を背負っている。貧乏はいつの世でも、断じて欠乏ではない。
この期間に、詩がいかにして幼稚な形から発達してきたかは、文書の上には何等残されていない。暗黒な、だが健全な歴史の日本海が、すっかり一切の消息をのみこんでしまった。南北からこの列島に押しよせてきた人類の潮が、高麗半島渡来の原始文明を、主として出雲と日向を中心にして開展させ、やがて大和え向って、主流を押し流そうとした時代に、芸術もこの狭い島々の割合に広い社会の上で花を咲かせたのだ。
 芸術は平和を愛する。いかに食糧問題上やむをえなかったとはいえ、種族と種族との間の戦いは、決して快いものではなかった。一種族の間では、共同の利益とほとんど全員によって開かれた裁判会議が、あらゆるいさかいを調停した。そして出雲、日向、瀬戸内海と九州沿海で最もよく痕跡を残したように、言語の似かよった近隣種族の間では、同盟会議が共産主義の協力の翼をはった。だがそれ以上は、しつような言語が食糧と共同戦線をはって、協同社会の限界を形造った。この隙間を埋めつ、戦い進むことは種族の義務であり、これを歌いぬくことは共産詩人の義務だった。だが彼等はこの協同の限界に、鋭く芸術の限界を見た。
 戦いの結果、結婚か殺戮かヾ、彼等の融合の道として残されていた。共産主義は原始的にも、全か無かを欲する。現在の共産主義の上では世界的にわけもなく統一できるにかゝわらず、自由な社会と自由な社会との間の異民族の平和協定が、こうした物質欠乏とゆう古代的限界性があったばかりにどんなに障えられたことだろう。この時代に剣をとって戦うことは、各種族同盟の宇宙間での正義だった。だが詩人は敏感に、こうした戦争さえ不合理であったことを感じなかったろうか。だからこそてきめんに、残された歌の種類の中では、極端なジンゴイスト*でない限り、誰が見ても明瞭なように、戦いの歌は芸術的には最も拙劣だつた。(大和平定の際の軍歌を見よ)*
*侵略主義者、軍国主義者
*『古事記』中つ巻、歌謡番号ーー―一五
 だが愛欲の歌は何と美くしいことだろう。それは種族と種族が共産主義の翼を共にはるための、協商の美くしいカン<ママ>フラージュだった。個人的な恋愛は財産が個別化されぬ内は不可能だったから。しかし原始共産制時代に任意の恋愛が存在しなかったと主張するブルジョア民主主義的俗説家の亜流どもは、(こんな考えをもっているものは、知らず知らずの内に最后の革命の問題を混同するほどブルジョア民主主義が骨の髄にしみついている。)日本の古詩の前に死している。愛欲の集団は、この交流不便な時代に、弓矢を手にして、渡り鳥のように百何十里を旅行しては、愉快な原始的結婚式を挙行した。財産の独占性に愛欲の独占性が伴うかぎり、たしかに不合理はあった。だが愛欲は戦争にくらべて、いつの場合にもはるかに平和的である。そして真実な意味で平和的であるかぎり、芸術の豊かな揺籃だった。
 日本列島の上で数十万年を経過したところの原始共産制社会最后の約六百年は、社会的時弋に相応して、詩も三期に分れる。

 (第一期)雑草としての穀草が、半定住しはじめた種族の所有物として取り入れられはじめた狩猟的農業時代。穀草の自然からの分離は、土器の土からの分離に相応する。詩は種族同盟の開花期としての、生産と愛欲の美くしい連契の最盛期を形造る。
 古事記には次の対歌*がある。
*上つ巻四大国主の神の条

 (八千矛神)――八千矛の、神の命は、八島國、妻ぎかねて、遠々し、高志(こし)の国に、さかし女を、有りと聞かして、くわし女を、有りと聞こして、さよばいに、在り立たし、婚いに、在り通わせ、太刀が緒も未だ解かずて、おすいをも、未だ解かねば、乙女の 鳴すや板戸を、押そうらい、吾が立たせれば、引こずらい、吾が立たせらば、青山に、ぬえ*は呼き、野つ鳥、雉はとよむ、庭つ鳥、かけは鳴く、うれたくも、鳴くなる鳥か この鳥も、打ち病めこせね、いしたうや、天馳使あまはせづかい、事の、語り言も、こをば
 (沼河姫)――八千矛の、神の命、ぬえくさの、にしあれば、吾が心、浦渚の鳥ぞ、今こそは、千鳥にあらめ、後は、平和にあらんを、命は、な死せたまいそ、いしたうや、天馳使、事の、語り言も、こをば
 青山に、日が隠らば、野羽玉(ぬばたま)の、夜は出でなん、朝日の、笑み栄え来て、拷綱(たくづの)の、白き(ただむき)沫雪(あわゆき)の、わかやる胸を、そ叩き、叩きまながり、真玉手、玉手差しまき、股長(ももなが)に、宿さんを、あやに、な恋いきこし、八千矛の、神の命、事の、語り言も、こをば
*鵺は鳥の名。トラツグミの別名

 八千矛の神とは、おきまりの八の氏族の原数でわりきれた全種族のかなり大きな人数だったらしい。沼河姫とは、沼河地方の種族の象徴だったろう。問題は性的な男性が女性に結婚を申しこんだのではなく、すぐれた文化の種族がおくれた文化の種族と結婚によって融合したことにあった。性別に関しては、古来プロレタリアートの出現するまで、どんな意味でも(哲学的にも、芸術的にも、性欲的にも)ありのまゝの男と女として区別されたことはなかったのだから。特に名に武器の矛がなのられていながら、記述に武力的な分子が少しもないのは、どんなに原始社会では、問題が平和にはこんだかを証明している。戦いの結果は、こゝでは最も好都合にはこんでいる。
 前の呼びかけの歌では、鵼*と雉と鶏とは、生産の矛盾から激発された敗北の卜—テムだった。狩猟時代のこれらは、山と野と家の代表的な鳥類として、まだ山野に重心を置いたがんこな自然に近い生産の部分と、家内財産にくづおれた部分とを現わしていた。いま女性は、しば/\変形する水辺の千鳥である。それは流れのように空中に浮動する。そしてもっと固定的なものについて、死の予期をもって結婚する。生産の流れの中で流動するものにとって、固定は死である。しかし固定が新らしい流動の起点となる限りにおいて、この二つのもの、結婚による接合は、縦にも横にも必然的である。だが悲しいことには、原始共産制の進行は、科学共産制の進行と逆に、一つ一つの歴史のコマが、社会の空虚さを一つ一つえぐって行くのだ。
*鵼は鶴に同じ
 それは崩壊する原始共産制に対する白鳥の歌*の最初の曲だった。だが穀物が前面に表われるまでは、それはまだ「死の平和」であるだろう。
*白鳥の歌。『古事記』中の巻五、景行天皇・成務天皇の条に白鳥の陵の記事がある

 (第二期)広汎な有益植物としての穀草が、もっと固定的に定住しはじめた種族の所有物として自然から抽象しうる限度に応じて、集約的にされた牧畜的農業時代。もっと物資に富んだ地域では牧畜生産を生産にまで拡大しえたのだが、日本では穀草そのものが牧草的形態として、種族民そのものが全体としての平等な家畜化えの経路を、まだこの時代には直接破綻の局面を見せぬほどの共産的平和さをもってたどっていた。序に、女系が男系に漸次変遷して行ったのもこの時代だった。
 穀物の発達がこうした新段階を示したのは、大和の種族たちが新らしい団結を築いてから、十代の酋長を経過した後だった。四道酋長*や日本武尊や息長帯姫命*を中心とする四方えの移民戦争、歴代の事業として示されている灌漑事業の発展は、農業が生産の前面に押し出されるまでの偉大な準備期の基盤となった。それは大陸文明との接触によって、急速に七代の酋長を経過した後、第三期え突入した。
*四道将軍。崇神天皇十年、教化のため四人の人物を北陸・東海・西道・丹波に派遣。『日本書紀』巻五
*おきながたらしひめのみこと。神功皇后の名
 白鳥の歌は、女性によってヾはなく、移民戦争の英雄*によって代表された。社会的発展による共産主義の翼の拡大は、同時に鉱物と畜産に乏しい日本原始の共産主義の最后の限界線え、ます/\強く迫って行く不安を製造せざるをえなかった。少数の権力者の恣意による戦いでなかったばかりに、生産の矛盾による悲劇は、軍事酋長自身がほとんど双肩に負わねばならなかった。詩と神話は、こうした形で種族の白鳥の歌を奏でた。日本武尊は、ノボス(煩悩の野)で土地の个所々々に失われた太刀を求めながら、青垣山のた、なづく美くしい倭を讃える国思歌を歌いつゝ斃れた。
*倭建の命

 倭は、国のまほろぎ、たゝなづく、青垣山、隠れる、倭し、美し*
*『古事記』中つ巻、歌謡番号三一

 故郷がこんなに美化された時、それは広大ないくつかの種族同盟の中で、特殊の故地としての最も原始的な種族同盟が、生産の前衛地として、くっきり組織されたことを証明する。崩れゆく自由を、常に過去の楽園として、この故郷を想像する習慣を人民に与えたし、またそれが中央集権の旗幟の萌芽として、おしたてられればおしたてられるほど、未来の楽園として、宗教的な楽土のさゝやかな要素をさえ培かったのだった。彼は憧れの故郷に到達せずに、白鳥となって昇天した。酋長をさきがけとして人民は心の故郷に帰れなくなった。妻たちと子供たちは、白鳥を^追いながら彼等の酋長の前に、葛にからまれたー本の田の稲幹*が立っているのを見た。白鳥の歌のこの部分は、原始共産制が最后の段階として原始社会主義え逆転する前夜の、悲痛な挽歌*だった。
*いながら。稲の茎
*『古事記』中つ巻歌謡番号三五〜三八
 (第三期)これはもはや穀草以上のものである。穀物が主食として生産の最重要部面に姿を現わした時代である。大雀命*が酋長に就任して以来、一本の稲幹は原始共産制最后のタブウとして、大風のように揺れはじめたのだ。
*大雀命 おおさざきのみこと。仁徳天皇
 大雀命は移民の旅をつヾけながら、瀬戸内海の航行に詩の断片を残した。それはうすっぺらにしきのされて、全面を覆った愛欲の稲幹の歌だった。全面的なために、表面白鳥の空虚さはなかった。だがその裏面は、血族集産制のいびつな発達に伴い、実にうすっぺらとなりつ、あるのを免れなかった。
 農業と幼稚な家内工業は緒についた。女性は静かに、原始織機をそなえた寝室に坐って配偶者の訪問を待っていた。
 わか背子の、くべき宵なり、さゝがにの、くものふるまい、今宵知るしも*
*『日本書紀』巻13 允恭天皇八年の条

 これはこうした女性のすべての歌—生産器具に次第に定着づけられようとする成年氏族えの候補者をひっくるめて、次代の半家族奴隸を準備したものらすべての歌だった。「さゝがに」は笹蟹と笹が嶺の二つを、「くも」は蜘蛛と雲の二つを意味する。それは生産用具としての卜—テムめいた鉄器の鉄であったと共に、古代の共産制度をひとつひとつ切断して行った金属器具だった。鉄器は日本では稀ながら、また稀だったヾけこの時代では特にこうした下からの連鎖の切断と、上からの連鎖の集約との役目を背負わされた。それは彼等の平和なる社会の、地平線のかなたから湧き起った、暗い「笹ケ嶺の雲の振舞」でもあった。
 農業の進展は、(かるの)酋長と衣通(そとおし)姫*との恋愛詩を境にして、国家の形成にまで生産を押し進めてきた。彼等は血族集産制の飽満期に常套的なタブウと、原始共産制没落の前奏曲としての氏族から家族えの財産の改編を意味する盟神探湯*を犯したゝめに、死にまで追放された。以前の第二期には、酋長夫婦は心の故郷に迫りながら追いつくことのできぬ空隙を、生と死を隔て、離別の白烏の歌を歌った。この第三期では、逆に心の故郷から離れながら追いつくことのできぬ空隙を前にして最後の山餅の歌が歌われた。
*『古事記』下つ巻三 允恭天皇の条
*くかたち。神明裁判の一つ
君が行き、け長くなりぬ、山釿やまたづの、迎えを行かん、待つには待たじ*
*『万葉集』九〇

 山釿*と呼ばれた建木は、後代では呂氏春秋にもあるように、封建的圧制権力の集中表現となった。この時代にはそれは共同の山釿であり、いわヾ上層下層建築を通じて宇宙の兄妹の系図が奴隸の夫婦の系図と入れ替ろうとする刹那の、原始共産制の破滅の歌を奏でる楽器だった。
*山祈 やまたづは、すいかずら科の落葉低木、にわとこの古名
 そして圧制の時代がきた。記紀はじめすべての文書は、一せいに歴史はじまって以来の日本の最大の暴君について、特筆大書している。惨殺、クーデタ—、侵略戦争、共同倉庫の京奪、女生と奴隸に対するはてしなき悪行—これが大悪天皇と呼ばれた雄略天皇の治世だった。四五六年、奴隸国家は強圧的に成立した。伊勢の采女は残虐な死刑を自ら贖おうとした時に、槻の歌を歌って命を乞うた。それは宮廷に生い茂った三重の枝から成る槻について語られていた。「上つ枝は、天を覆えり、中つ枝は、吾妻を覆えり、下つ枝は鄙を覆えり、上つ枝の、枝の末葉は、中つ枝に、落ち觸らばえ、中つ枝の、枝の末葉は、下つ枝に、落ち觸らばえ、下つ枝の、枝の末葉は、あり衣の、三重の子が、さがせる、瑞玉盃に、浮し脂、落ちなづさい、水こおろに、こおろに、是しも、あや
にかしこし、高光る、日の御子*」
*『古事記』下つ巻、五、雄略天皇の条

 それは統制せられ、その中に社会層の分化されたところの差別社会の肖像だった。天皇の盃が、その全貌を写していた。あの第三期の発端の代表的大雀命の結婚の際、三重の花橘の枝について歌われた結婚式の歌を想い起こしてみよ。
 いざ子ども、野蒜つみに、蒜つみに、わが行く道の 香ぐわし、花橘は、上つ枝は、鳥居枯らし、下つ枝は、人取り枯らし、三栗の中つ枝の、ほつもり、赤ら乙女を、いざさらば、好らしな*
*『古事記』中つ巻、七、応神天皇の条

 こゝでは、宗教の萌芽をなした古制と、浮揚した上層建築の「鳥」と、こうした矛盾がやゝ抽出しはじめたにかゝかわらず、共産制の埒内(らちない)にあったゝめに、まだ抽象化された下層建築としてしか現われていない「人間一般」との懸隔が作られているとはいえ、生活の保障をもつ「中つ枝」に自由の「赤ら乙女」はなおなお酋長の妻たるに適わしいものとして保存されていた。わづか一世紀あまりの間に、社会建築の三重構成は何と変化したことだろう。三重の調和は、大悪天皇に刃向った最后の民主酋長の歯型と共に、虐殺の墓に埋葬されてしまった。
 詩が全体として人民のものでなくなった時代の素描は、こうだった。この時代以后、俄然詩が宮廷化したこと、及び芸術的価値の急速な低落が、社会の転換に応じて、日本詩史に一時期を画したことは、何人にも疑う余地はない。蒙昧政策と弾圧政策は、人民をしてたヾ屈従の歌をしか歌わしめぬのだ。
 芸術は永久に社会自体から去ったかのようだった。こゝにはすでに和解しがたい、貴族と奴隸との芸術の対立があった。国民の大部分は、知らず/\の内に、大陸からの封建的影響の顕著な、早熟な父家長的半族奴制の中に落しこまれた。
 人類の小供は口笛を吹き、歪められた日本におさらばを告げた。「人は再び小供になることは出来ない。もしなったら馬鹿になるだろう。」欺かれた童心の再生産が、小供になろうとして誤って痴呆症になった大人の醜い姿を、詩の上で疑い深い芸術の本質としてさらけ出すことが、あらゆる社会的欺瞞と共に、この時から始まったのだ!