南総里見八犬伝(022)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十一回・序など
東都 曲亭主人 編次
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【見返】
里見八犬傳第三輯
曲亭馬琴あらはす/柳川重信畫
全五册
書肆/山靑堂

【目録】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第三輯だいさんしふ總目録さうもくろく
巻之壹 第二十一回
額藏がくざう間諜かんてふ信乃しのまつたうす。 犬塚いぬつか懐舊くわいきう青梅あをうめる。
同巻 第二十二回
濱路はまぢひそか親族しんぞくいたむ。 糠助ぬかすけやみ其子そのこおもふ。
巻之貮 第二十三回
犬塚いぬつか遺託ゐたくうけひく。 網乾あぼしそゞろ歌曲かきよくる。
同巻 第二十四回
軍木ぬるでなかたちして荘官せうくわんく。 蟇六ひきろくいつはりて神宮かにはすなとりす。
巻之参 第二十五回
ぜうふくみて濱路はまぢ憂苦ゆうくうつたふ。 かんつげ額藏がくざう主家しゆうかかへる。
同巻 第二十六回
けんもてあそびて墨官ぼくくわん婚夕こんせきうながす。 さつしめして頑父ぐわんふ再醮さいぜうすゝむ。
巻之四 第二十七回
左母二郎さもじらうよる新人はなよめ豪奪ごうだつす。 寂寞じやくまく道人どうじんげん圓塚まるつか火定くわじやうす。
同巻 第二十八回
あたのゝしり濱路はまぢせつす。 うからみとめめて忠與たゞともふることかたる。
巻之五 第二十九回
雙玉さうぎよく相換あひかえ額藏がくざうるいる。 両敵りやうてき相遇あひあふ義奴ぎぬうらみむくふ。
同巻 第三十回
芳流閣はうりうかくせう信乃しの血戰けつせんす。 坂東ばんとう河原かはら見八けんはちゆうあらはす。

統計とうけい三十くわいその第一回だいいつくわいだい二十くわいいたりてはすで前板ぜんはん両輯りやうしふしるせり

【序文】書下し
八犬傳第三集敍 [著作堂]
門前に狂狗有れば、其酒沽れず。而れども主人はさとらず。猶且つ酒の沽れざるを恨めり。癡情是の若き者。之を衆人と謂ふ。衆人に淸濁有り。猶酒に醥與(と)醠と有るがごときなり。而してめる者は其の味淡薄。醉と雖醒易し。濁る者は其の味甘美にして。酩酊す。奚ぞ今を思ふ者之おほくして。後を懼るゝ者之寡きや。是の故に。瞿曇氏法を說て以地獄果天堂樂有りと爲(す)。是に於後を思はざる者懼る。又何ぞ耳を貴ぶ者之衆して。目を賤めざる者之寡きや。是の故に南華子物論を齋(ひと)しうして以爭訟をとゞめんと。是に於耳を貴ひ目を賤む者愧つ。然れども彼の寂滅之敎の若き。媚る者衆して。悟る者彌々寡し。むべなり。其媚る者は。口に經を誦すれども。其義を釋くこと能はず。其迷ふ者は。心に利益を祷れども。之を欲する所以を知らず。凡そ之の如き之禪兜。度すると雖其功有ること無し。昔者震旦に烏髮の善智識有り。因を推し果を辨し。衆生を誘ふに俗談を以し。之を醒すに勸懲を以す。其意精巧。其文竒絕。乃ち方便を經と爲。寓言を緯と。是を以其の美錦繍の如し。其甘きこと飴蜜の如し。蒙昧蟻附して去ること能はず。既にして有る所之煩惱。化して屎溺とり。遂に糞門を觧脫するときは。則覺ず奬善之域に到り暫時無垢之人と爲ると云ふ。亦竒ならずや。餘わかかりし自り愆て戲墨を事とす。然れども狗才馬尾を追て。於閭巷に老たり。唯其の勸懲に於。每編古人に讓らず。敢て婦幼をして奬善之域に到ら使んと欲す。嘗て著す所の八犬傳。亦其の一書なり。今其編を嗣こと三たびにして。刻まさに成らんとす。因て數行を簡端に題す。嗚呼狗兒の佛性。無を以字眼と爲。人は則媚て其尾を掉るを愛す。我は則誤て帝堯を吠んことを懼る。冀くは瞽者の爲めに。煩惱狗を獵て以一條の迷路を開かん。閱する者幸に其無根を咎ること勿れ。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱 [馬琴][乾坤一草亭]

【序文】原文
八犬傳第三集敍 [著作堂]
門前有狂狗、其酒不沽。而主人不曉。猶且恨酒之不沽。癡情若是者。謂之衆人。衆人有淸濁。猶酒有醥與醠也。而淸者其味淡薄。雖醉易醒。濁者其味甘美。而酩酊矣。奚思今者之衆。懼後者之寡也。是故。瞿曇氏說法以爲有地獄果天堂樂。於是不思後者懼矣。又何貴耳者之衆。不賤目者之寡也。是故南華子齋物論以爲禁爭訟。於是貴耳賤目者愧矣。然若彼寂滅之敎。媚者衆。悟者彌寡矣。宜。其媚者。口誦經。而不能釋其義。其迷者。心祷利益。而不知所以欲之。凡如之之禪兜。雖度無有其功。昔者震旦有烏髮善智識。推因辨果。誘衆生以俗談。醒之以勸懲。其意精巧。其文竒絕。乃方便爲經。寓言爲緯。是以其美如錦繍。其甘如飴蜜。蒙昧蟻附不能去焉。既而所有之煩惱。化爲屎溺。遂觧脫糞門。則不覺奬善之域暫時爲無垢之人云。不亦竒乎哉。餘自少愆事戲墨。然狗才追馬尾。老於閭巷。唯於其勸懲。每編不讓古人。敢欲使婦幼到奬善之域。嘗所著八犬傳。亦其一書也。今嗣其編三而。刻且成。因題數行於簡端。嗚呼狗兒佛性。以無爲字眼。人則愛媚掉其尾。我則懼誤吠帝堯。冀爲瞽者。獵煩惱狗以開一條迷路。閱者幸勿咎其無根。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱[馬琴][乾坤一草亭]

【口絵説明】
【口絵1】
犬山いぬやま道節どうせつ忠與たゞとも
田單燕ヲ破ル之日/火平原ヲ燎ク/阿難寂ヲ示ス之年/煙兩扞ヲ和ク
劍術の極秘は風の柳かな
犬飼いぬかひ見八けんはち信道のぶみち
【口絵2】
酢もあらばいざぬたにせん/網さかなえびとかにはの/舩で味噌すれ
荘客ひやくせう糠助ぬかすけ
大塚おほつか蟇六ひきろく
軒のつまに/あはひの貝の/片おもひ/もゝ夜つられし/雪のしたくさ
奴隷しもべ背介せすけ
簸上ひかみ宮六きうろく

 卻說犬塚犬川かくていぬつかいぬかは兩童子りやうどうじ信乃額藏しのがくざうは、かたみこゝろざしつげを結びて、なほ久ゆくすゑ相譚かたらをり跫然きようぜんと足音して、外面とのかたより來るものありけり。信乃は耳をそはだてて、臥目注めくはせをしてければ、額藏はやくこゝろを得て、おのがふしど退しりぞきつ、衣引被きぬひきかつぎてす程に、片折戶かたをりとかけたりし、引板ひた鳴子なるこ瓦落ぐわらめかして、二ッ三ッ四ッうちしはぶき、「和子わこよ、宿所しゆくしよにをはする糠助ぬかすけがまゐりたり。つゝがなきや」、と呼門おとなひつゝ、障子せうじ破隙やれめさしのぞき、支木朽つかぎくちたる竹緣ちくえんに、掛くる片臀片胡坐かたしりかたあぐらうしろざまに手をつきて、庭の新わかばをながめてをり。當そのとき信乃は身を起して、やをら障子を引開ひきあけつ、「阿爺欤おぢよ、よくこそましたれ。まづこなたへ」、と手箒てはゝきを、とり塵芥あくたはきよすれば、見かへりてかうべをうちり、「いなおき給へ、土どそくなり。年々とし〳〵のことながら、蜀魂鳥しでのたをさ啼比なくころは、早稻わせ晚稻おくて種浸たねひたし、はた水田みづたこねかへす、かせぎいとなく思はずに、いたく不沙汰ぶさたをつかまつりぬ。莊官殿せうくわんどのよりつけられし、童男わらはをとこはいかにぞや」、ととはれて信乃は、後方あとべを見かへり、「額藏はきのふより、心地こゝちわづらはしとてうちふしたり。かぜひきたるにこそとおもひて、賣藥ばいやく求めてすゝむれども、つとおこたるべくもあらず」、といふを糠助きゝあへず、「そはこうじ給ふならん。母屋おもやへいゆきて、よしをつげの人をこして替らせん。さる事あらばきのふにも、などてしらせ給はざる。まだ十五にも足らぬどち、ことあらずともおぼつかなきに、爨僕かしきおとこたすけにならで、おん身に看病されんとは、鬼のやうなる小父小母をぢをばごでも、思ひかけなきことなるべし。吾わなみまかし給ひね」、とのみこみ、獨囫圇ひとりのみこみはや合點がてん麁忽そこつながらのまことある、ことば端居はしゐおちつかずそがまゝたち外面とのかたへ、あはたゝしげにいでにけり。

 されば又蟇六龜篠ひきろくかめざゝは、信乃が爲に朝夕あさゆふの、薪水にたきわざたすけよとて、小厮額藏こものがくざうつかはしつ、人目ばかりは三四日每みかよかごとに、いひのあはせ物などを、小こつきもりおくつかはし、又みづからもおとつれて、かどより安否あんひを問ふものから、そのはじめこそしばしばしたれ、もとより愛する心なければ、うへつけときのいそがはしさに、その事ははやうち忘れて、久しくとはせもせざりしに、この日糠助ぬかすけが來て、云云しか〳〵つげしかば、龜篠きゝまゆひそめ、「このころは人一個ひとりを、二人ふたりにしても使ひ足らぬに、心なしの丁兒奴でつちめが、風ひきたりとていかばかりの、事やはある」、とすべらせし、口をつぐめてうち微笑ほゝゑみ、「よくこそつげて給はりし。ともかくもすべけれ」、といらヘて糠助をかへしつゝ、やがをつと相譚かたらへば、蟇六きゝて、舌うち鳴らし、「是首ここ彼首かしこ間近まちかくとも、かまどふたつにしたればこそ、人手かゝりて不便ふべんなれ。けふより信乃を呼びとりて、やしなふべくは思へども、わらべでこそあれ親に似て、偏屈兒かたゐぢものとおぼゆるに、中ちういんいまだはてざれば、承うけひくべくもあらずかし。今霎時いましばしの程なれば、たれなりともつかはして、額藏奴がくざうめひきかえ給へ。眞實々々まめ〳〵しげに款待もてなせば、こなたにとくつくことなるに、いとふことかは。よくし給へ」、と耳語さゝやけ點頭うなつきつ、一個ひとりの老おとなつかはして、額藏とかはらすに、額藏ははや歸り來にけり。氣色けしきを見るにことなることなし。やうこそあらめ、と龜篠は、あるじのほとりに呼びちかつけ、「やをれ額藏、はきのふより病臥やみふしたり、と糠助男ぬかすけをとこつげたれば、人いとまなき折なれ共、そがまゝおかんはさすがにて、かはりをとこつかはせしに、見れば異なる氣色もあらず。總角あげまきどちの狎易なれやすく、相撲狂すまひくるふて負腹まけばらたち、すね作病さくびやうせしならん。嗚呼をこ白物しれものかな」、と疾視にらまへて、夫婦齊一敦圉ひとしくいきまけば、額藏|ひたひに手を推當おしあて、「すこし頭痛はしつれども、うちふすまでには候はず。とばかりまうさば橫著わうちゃく也とて、ます〳〵しからせ給はなん。某彼處それがしかしこへまゐりし日より、とにかく彼子あのこはうちとけ給はず、『水はわがむ、くまずもあれ。かしきわがする、そがまゝおきね』、とよろづとゞめ使つかはれず。四月うつきそら垂籠たれこめて、目比めくらべをして日をくらせば、こうはてて候ひし。さればとて、にげてかへらばしかられん。おもへば年來打懲としごろうちこらして、使つかはせ給ふしゆうの恩、今やうやくに目がさめても、起甲斐おきかひなさに引被ひきかつぐ、きぬのうら見の夏虱なつしらみ獵竭かりつくしたるいつはりやまひとこは日ごろより、母屋おもや戀しき氣鬱きうつせうまこと九死一生涯きうしいつせうがいの、智惠ちゑいだしてよびかへされ、甦生よみぢがへりて候なり。田畑たばたかせき內外うちと使つかひ、なほ身に入れてつかまつらん。霎時しばしなりとも犬塚どのに、つけらるゝことばかり、ゆるさせ給へ」、ともみて、まことしやかに賠話わびにけり。あるじ夫婦はつく〳〵と、きゝつゝゑみて、かたみに見かへり、「龜篠かめさゝいかに思ひ給ふ。やつひとしきわらはなるに、信乃がとにかく心をおきて、いでてゆけがしにもてなせしは、そのよしなしといふべからず。云云しか〳〵の事あらば、ひそかにこなたへつげはせで、假けびやうしてふすことやはある。そが一生の智惠ならば、鐵錢三文びたさんもんうちもなし。こな戲家奴たはけめ」、とのゝしれば、龜篠「ほゝ」とうち笑ひ、「さはこれをのみしからせ給ふな。信乃はなほ總角あげまきなれども、心ざまはおよつけて、こと執念しうねく、腹きたなく、さる筋のあるものと見き。やよ額藏、よしや氣に入れられず共、日來彼處ひごろかしこにをりしかひに、きゝつる事はなかりし。信乃はこなたをいといたう、うらみてあらん。さもなき。樣子をつげよ、いかにぞや」、と𠏹貌ほとけがほして問落とひおとす、あづさつるにあらねども、水向みづむけられて、うかとはらず、「いな目今たゞいまもまうせし如く、たまたま物をいひかけても、生應なまいらへのみせられしかば、きゝたることは候はず。れども今は伯母御をばごはかに、よるべなき人なれば、いかでかこなたをうらみ給はん。はじめには似ずしたはしく、思はるゝ事疑ひなし。只某たゞそれがし强面つれなきは、過世すくせ讐欤あたか、さもなくは、氣質のあはざるにもあらん。身にとりて憎にくまるゝ事とておぼえ候はず」、といへば蟇六ひきろくうちうなつき、「假染かりそめ主從しゆうじゆうにも、五性ごせう相剋さうこくありとかいへば、さる事なしといひがたけれども、假病けびやうせしは不覺なり。こらすべく思へども、此度こだみまげて許すなり。よにいそがはしき折なるに、兩三人ふたりみたりわざをもして、そのあやまちつくのはずは、そのたびからきめ見せん。たちね〳〵」、といそがせば、額藏しきりにぬかつきて、庖湢くりやのかたへ退しりぞきけり。

 龜篠霎時目送しばしみおくりて、「わがなにと聞給ひし。人の氣質はさま〴〵なり。總角あげまきは總角どち、よき友也とよろこびて、使つかはれもせん、使ひもせん、と思ふには似ず額藏が、信乃に鬱悒いぶせくせられしは、一日二日ひとひふたひの事ならず。かゝればいたくうらみらるゝ、惡口わろくちきゝたるらずは氣質のあはざるならん。さはおぼさずや」、と耳語さゝやけば、蟇六頭ひきろくかうべを傾けて、「いなそれのみに限るべからず。信乃はこなたをなほ疑ふて、額藏をつけたるは、隱監かくしめつけならんとて、心ゆるさぬ事もありなん。かならずしもあなどるべからず。額藏が代りには、たれつかはしたまひたる」、「たれとてとみの事なれば、脊介せすけにいけとてつかははべり。かれよはひ六十むそぢにあまりて、人なみにははたらかず。賸此あまつさへこのごろは、三里さんりやいといぼはして、起をりこゞみも不自由なり。額藏と引替ひきかえて、損なきものに侍らずや」、といへばしば〳〵うち點頭うなつき、「微妙いみじく計り給ひにき。しからんには一兩日いちりやうにち、遠くは四五日、程をて、ひそかに背せすけを招きよせ、かれにも信乃が心をおくや、事のやうをとひ給へ。かれにも心をおくならば、吾わなみ夫婦を疑ふ也。又額藏をのみきらひて、背助をいとふことなくは、丁兒一人でつちひとりがうへにして、こなたを疑ふゆゑにはあらず。事の虛實きよじつさぐりてのちに、計策はかりごとはなほあるべし。こゝろ得給へ」、とひたひあはして、相譚果かたらひはてたちにけり。

 さて兩三日りやうさんにちにければ、龜篠かめさゝは、みづから信乃が宿所へいゆきて、さりなく安否あんひとひ、事の爲體ていたらくうかゞふに、信乃は背介をいとふことなく、背介も亦眞成またまめやかに、進止たちふるまはずといふことなし。龜篠、胸に物あれば、なほ四表八表よもやもの物がたりに時を移して、今はかうと思ひしかば、吿別いとまごひしてかへり來つ。このときをつと納戶なんとにをり、折こそよけれ、とほとりにいゆきて、「さきには背介を呼びよせて、ひそかに問へ、とのたまひしかど、信乃が疑ふこともや、と思ひにければ、吾儕わなみいゆきて、喪中の安否あんひとひがてら、半日あまり彼處かしこにをり、殘るくまなく見究め侍り。その爲體ていたらく如此々々しか〳〵也。箇樣々々かやう〳〵」、とひそやかに、つぐれば蟇六しばら尋思しあんし、「さりとて信乃が心ざま、凡庸よのつねの少年ならねば、うか肌膚はだへを見せかたし。まづ額藏を召近よびちかつけて、箇樣々々にこしらへ給へ。その事成らば、云云しか〳〵なり。かくの如くはからんには、後悔する事あるべからず。氣色けしきさとられ給ふな」、とことおちもなく說示ときしめせば、龜篠只管歎賞ひたすらたんせうし、「現針げにはり細小さゝやかでも、得呑えのまれずといふことわざは、そこらの事にはべりなん。まことに心たくましげなる、少年なれば用心ようしんに、なほ用心をするこそよけれ」、としのび〳〵に相譚かたらふ折、竹緣ちくえん踏鳴ふみならして、障子せうじのあなたをよぎるものあり。龜篠はいちはやく、「そは額藏にあらずや」、と問へば、「さなり」とこたへたり。「ひそかにいふべきことこそあれ。こなたへ入れ」、と呼びとめられて、やをら障子を推開おしあけつゝ、顏さし入れてついゐたるを、「其處引閇そこひきたてて、こなたへ來よ」、とひざのほとりへ招きよせ、「かう打揃うちそろふて物々もの〳〵しく、いふべき事にはあらねども、折のよければつぐる也。信乃はまさしくおひなれども、番作ばんさくひがみたる、心の鬼を讓りうけたる、かれが氣質はなんぢもしれり。あくまでにいつくしむ、伯母をばを不足に思はずは、そが爲にとてつかはせし、人嫌ひとぎらひすることはあらじ。さらずはなんぢが口さがなくて、思はず信乃に腹たゝせ、恨みられたる事あらん。そはとまれかくもあれ、世間せけん舅姑しうとかしがましさに、よきもわろきも彼子あのこのうへは、わがくちつからいひがたし。このゆゑたゞ氣をうけて、揚足あげあしとられぬ用心ようしんを、するはかにすべはなきぞとよ。汝は六ッか七歲なゝつより、生涯使ふ小厮こものなれば、おひにもましておぼゆるかし。養育やしなひたてしゆうの恩、大かたならずとしるならば、よしや强面つれなくもてなすとも、つひには信乃に馴近なれちかつきて、聞くことあらばひそかつげよ。そは苟且かりそめの事ならず。信乃をこなたへ呼びとりて、養ふ月日は限りしられず、末いとはるけき事なれば、今いふよしを小耳こみゝに挾みて、念じてしゆうの爲になれ。よにそれ程の利生りせうはあらん。こゝろたりや」、とこしらゆれば、蟇六ひきろく髯拔ひげぬきかけし、鑷子けぬきぬぐふて頤掻拊おとがひかきなで、「額藏、なんぢは果くわはうあり。おひにもましてたのもしく、思はずはいかにして、龜篠かめさゝ此機密このきみつつぐべき。かゝれば汝をつかはして、亦復またまた背介とかはらせん。しばしの程ぞ辛防しんばうせよ」、といへば額藏小膝こひざさすり、「かくまで思はれ奉る、御恩をいかでかあたにして、いはれし事をわするべき。前日私語さゝやきまうせしごとく、犬塚どのはこなたより、ほかによるべのなき人なれば、野心あるべくもあらねど、ともかくもして馴近なれちかつき、おん爲わろき事などを、聞かばひそかつげ申さん。これらの事はこゝろやすく、思召おぼしめされよ」、とまめたちて、回答いらへをすれば、主夫婦あるじふうふは、いよゝ言葉を甘くして、すかすをしりつゝすかされて、又かの背介に替らんとて、たゝんとすれば、龜篠は、いそがはしく推おしとゞめ、「わらべどちでもうしろあはせし、彼子あのこの宿所へひとりゆかんは、今さらに、おもぶせならん。吾儕わなみしりつきよ」、といひつゝやがて身を起して、かきあはせたるきめの前、うしろ結びの帶のはし推拊おしなでながら竹緣ちくえんに、いづれば額藏をりたちて、板金剛いたこんごうとりすえたり。龜篠裳かめさゝもすそ引揚ひきあげて、納戶なんどかたを見かへりつ、「ちよとかへはべらん」、といふに夫はうなつくのみ、かむりはふらぬ苗芋なへいもの、親におとらぬおひ宿やど背門せどはたけ畻傳くろつたひ、捷徑ちかみちよりぞ進みける。


【挿絵の説明】「額藏がくざう亀篠かめさゝ犬塚いぬつか宿所しゆくしよいたる」「がく蔵」「かめさゝ」「せ介」「ぬか介」「しの」

 かくて龜篠は、信乃しのが宿所へおもむきて、常にもあらずうちほゝ笑み、「信乃よ。さこそは徒然つれつれならめ。所要しよえうなければはず、きのふけふのみちちかさに、何しに來つると思はれん。けふはべちの議にも侍らず、この額藏がくざうが事也かし。『情由わけはしらねど機嫌きげんさかふて、使つかはるゝことのなければ、虛病起そらやみおこしてかへりし』、と|明々地あからさまに人につぐるを、きゝては伯母をばがこゝろもすまず。よしや昔はうとくとも、今はしたしき甥なり伯母なり。小厮こものに水をさゝれつゝ、いひうちなる湯麥ゑましむぎ、奧齒に物がはさまりては、心かゝりに侍るかし。蟇六ひきろくどのも腹立はらたてて、額藏をいといたう、叱懲しかりこらし玉ひしかば、かれ忽地たちまち非をくひて、『勸解わびしてたべ』、とうちなきにき。よりて再びて來たり。心つきなき事のみなめれど、足らぬ處は云云しか〳〵、と敎諭をしへさとして使つかはれんは、かれが爲に幸ひ也。伯母もよろこびこのうへなし。こゝへいでよ」、と見かへれば、額藏はぢたる面色おもゝちして、かうべきつゝ小腰こひざすゝめ、「今阿家おへざまののたまふごとく、心に物のあるにあらねど、あしたかしきもさせ給はず、すみつきわろきなべしり、用なくすえおかれしゆゑに、頭顱病かしらやまして候ひき。それもおのれおろかなる、ひかみこゝろに候はん。許させ給へ」、と勸解わびにけり。これらのよしはかねてより、しめし合せし事なれば、信乃は此彼聞これかれきゝあへず、うち驚きたる面色おもゝちして、「こは思ひかけもなき。勸解わびらるゝよしあらんや。親のゐまそかりし日より、薪水にたきわざにはわれもなれたり。たすけの人はあらでもと、思ひおもはず疎々うと〳〵しく、もてなしたるか、それすらおぼえず。かゝる事より母屋おもや御夫婦、こゝろにかけられんは、皆これおのが罪にこそ。疎意そゐあるべくも候はず」、といふに龜篠うちゑみて、「しからんにはおちゐたり。中直なかなほりせし事なれば、額藏をとゞめおきて、背介せすけをば返したまへ。これにつきても亡人なきひとの、忌いみはつるまで二𩋡ふたさやの、家をへだてまちあかさば、よろづ不便ふべんに侍るかし。願ふは五七の忌日きにち限りに、おん身を母屋へやしなひとらば、うしろやすく侍りなん。蟇六とのもはじめより、しかせまほしく思ひ給へど、おん身が心をくみかねて、月日のたつをまつにこそ。いぬるは否欤いなか、いかにぞや」、ととはれて信乃は嘆息し、「白屋くさのやながらすみなれし、親を思へば今更に、離れがたくは侍れども、四十九日も別れはおなじ。百日をるともそのにならば、なほさりがたく侍るべし。おのが心のまゝにして、物を思はせたてまつらば、日をすぐすほど罪ふかゝり。ともかくもはからひ給へ。おふせもとり候はじ」、とこゝろようけひしかば、龜篠かめさゝふかくよろこびて、「呼賢々々あなかしこ〳〵きゝわけたりな、よき子ぞや。しからば五七の逮夜たいやには、ちか里人さとびとを招きよせて、ほとけの爲に物を態ふるまひ、その次の日に戶をさして、おん身は母屋おもやへ移り給へ。詞敵ことばがたきにならずとも、女兒むすめ濱路はまぢも侍るかし。かれをばおん身がいもととも、おかみざまとも見給ひね」、といひつゝひとりうち笑へば、信乃はあきれていらへせず。龜篠いよゝ機嫌よく、指僂ゆびかゞなへてうち點頭うなつき、「なき人の三十五日は、けふよりはつかに四日が程なり。蟇六ひきろくどのにもよろこばせ、あすより逮夜たいや准備てあてせん。さらば吾儕わなみまかるべし。額藏よ、每事ことことに、こゝろをつけてよく仕へよ。いはれしことを忘るゝな。信乃もよろづに心くまなく、火なれ水なれ使ひ給へ。最上もがみの川にひくといふ、いな舟漕ふねこがばのぼかゝつて、打懲うちこらすともけしうは思はず。彼背介奴あのせすけめ背門せどにやをる。額藏をて來つれば、おのれはともして母屋へかへれ。をらずやいかに」、と呼立よびたつれば、「こゝにはべり」、と庖くりやなる、障子せうじをやをら引ひきあくれば、「こな男が落著㒵おちつきがほなる。其處そこにをりつゝおぞましや。かどいでよ」、といそがして、そがまゝ立つをとゞめあへず、信乃はいそしく席をさけ、「日はいと長く侍るなる。今且しばらかたらせ給へ。にばな素湯さゆ沸侍わきはべる」、といへばかうべをうちふりて、「茶をたうべてをるひまは侍らず。曲突下くどもと麁朶そだ、麥の出納だしいれ片晌かたときをらねば損多かり。又こそめ」、といひかけて、いづるを送る信乃額藏、腹にかえつゝいでてゆく、背介はえんに手をつきて、信乃にわかれ黃楊樹つげのきの、刈込伸かりこみのびし庭をいづる、しゆう老女おうなひきそふたり。

 しばらくして額藏は、外面とのかた立出たちいでて、母屋おもやのかたをうちながめ、左邊右邊ゆんでめてを見かへりつゝ、片折戶かたをりとしかたてもとの處に對坐むかひをりて、莊官夫婦せうくわんふうふにいはれし事、又わがいひつる事のおもむきひそかに信乃につぐるになん、信乃はしきりに嘆息し、「親の爲には中わろくとも、異母はらかはりいろねなり。又わが爲にも只一人たゞひとりの、伯母をばとおもへば今さらに、きたなき心あるべしやは。さるをとにかく疑ふて、讐敵あたかたきごとおもはれては、長き月日をいかにして、彼方かのかたざまに送らるべき。まことに進退きはまりぬ」、といひかけて又嘆息す。額藏これを慰めて、「さればこそ其事そのことなれ。伯母御夫婦はよくのみなり。たゞ利の爲に骨肉こつにくの愛を忘るゝぜうを知らば、邪氣じやきさくるに何かあらん。われ又おん身が影に添ふ、返間はんかんはかりごと、そのいとくち釋懸ときかけおきつ。かゝればたゞいつまでも、おん身と吾儕わなみむつましからず、そのこゝろざしあはざるもの、と思はるゝにますことなし。さるときはそれがしが、いふ事每ことごとに信用せられん。九くせきの弓も張ることの、久しければたゆむといはずや。彼人々かのひと〳〵害心がいしんありとも、おん身が心のまこともて、じふよくがううけ給はゞ、伯母御が邪慳じやけんつの折れて、つひには慈母ぢぼとなることあらん。よしや其そこまでならずとも、彼かのかたざまに身を投掛なげかけて、そのせんやうを見給へかし。こゝにて物を思ふとも、そのの役にはたちかたし。心せまし」、といさむれば、信乃は忽地感悟たちまちかんごして、おもはずも莞尒につこみ、「人のさえには長短あり。われ只一歲ひとつおとゝなれども、おん身に及ばざる事遠かり。伯母にこの身をすること、原是もとこれ親の遺言ゆいげんなれば、吉凶はたゞ運にまかせん。やが母屋おもやに移りては、ひざあはして腹心ふくしんを、相語かたらふことはかたかるべし。なほ後々のち〳〵の事までも、をしえあらば示し給へ」、といへば額藏かうべなで、「わがさえ、おん身におよばねども、にいふ岡見八目おかめはちもく也。もとより智嚢富ちなうとみ給へば、のぞへんおふじて、わざはひさけ給へ。われ又ひそかたてとなりて、ゑみうちなるやいばふせがん。ゆめ祕すべし」、と密語さゝやきつ、示しあはする思慮遠謀しりよゑんぼう現一雙げにいつさう賢童けんどうなり。

 さる程に、番作ばんさくが、三十五日の逮夜たいやになりつ。龜篠等かめさゝらはきのふより、しるなますの用意して、碗家具わんかぐさへに母屋おもやより、運ぶ小厮こもの幾戾いくもどり、まことに足は擂棒すりこぎも、いでて働く臺所だいどころ、物おほかだに整へば、はや黃昏たそがれになりにけり。

 この日も信乃は亡親なきおやの、墓參りせしなへに、菩提院ぼだいいんなる法師はうしともなひ、いそがはしくたちかへれば、法師は家庿ぢぶつにうちむかひ、木魚敲もくぎよたゝきて看經かんきんも、一口茄子くちなすび澄汁すましじる料供れうぐさいを數へてをり。浩處かゝるところ糠助等ぬかすけら里人夥詣來さとびとあまたまうきつゝ、寒暖さむしあつし時宜口誼じぎこうぎあるはなき人の事いひいでて、「きのふけふのやうなりし、三十五日に當りたまふ無常迅速むじやうじんそく、はやいものなり。思へば浮世は夢助ゆめすけどの、いづれもおつめなされずや」、「しからば御免。さりながら、あまり上坐せうざで不ぶしつけ*千萬せんばん」、「|扠さて〳〵遠慮に及ばぬ事、お手をとら」、「これは迷惑、鐮平かまへいぬしはお年としやく」、「さのたまふな。六十の筵破むしろやぶりといふことあり。鍬鞆把くはづかとつても若衆わかいしゆに、一おくるゝことにはあらず。ほとけには別懇べつこんなりし、糠助ぬかすけどのこそ上客せうきやくなれ。おをなされ」、とたちつ、謙退辭讓散けんたいぢじやうどよめきて、稍二やゝふたかはしむれば、信乃が手づから竝居ならべすえる、いひ中酒ちうしゆに、挨拶紛紜あいさつふんうん由斷ゆだん見濟みすまし額藏が、わんうばふて浮盛しひもりは、鼻につかへて又胸に、つかえぬ爲にと汁破しるかけて、半減なかばへらして息をく、下戶げこの恨みを冷笑あざわらふ、宗旨違しうしちがひ上戶客じやうごきやく、法師を上坐しやうざ六歌仙ろくかせん歌膝崩うたひざくづして囂々ぎやう〳〵たり。

 時分じぶんを計りて蟇六ひきろくは、緣頬えんかはよりめぐて、上座かみくら障子推せうじおしひらき、「いづれそろふて、よく來ませし。まゐらするものはなけれど、くつろぎて相譚かたらひ給へ」、といひつゝ進みて席にき、手首たなくび入れて引伸ひきのばす、はかま襞䙡ひだ菱織ひしおりの、いとゞかどある主態あるじぶりに、衆皆齊一箸みなみなひとしくはしおき、「思ひかけなき御饗應ごけうわふ鎧武者よろひむしやにはあらねども、屈伸のびこゞみすら不自由に、ぬかつくことのならぬまで、くだされて候」、と一人ひとりがいへば、皆どつと、笑ひにたへ噴散ふきちらす、飯粒膳めしつぶぜん花雪吹はなふゞき。「これは〳〵」、とばかりに、ひらふに餘る粒々辛苦りう〳〵しんく背門せどすゞめがまだ宿ずは、すけてくれよとかこちけり。かゝりけれ共蟇六は、苦切にがみきつて見もかへらず、しばらくしてさていふやう、「各位おのおのにしらるゝ如く、わが妻はもと地頭ぢとう大塚匠作おほつかせうさくぬしの嫡女ちやくぢよにて、番作ばんさくが姉なるに、嘉吉かきつ結城合戰ゆふきかつせんに、その家一旦滅亡いつたんめつぼうして、子孫しそん民間におちのち、再興せしは龜篠かめさゝが、綠につながるわが功也。こはいはでものことながら、死せりときゝし、番作が、妻をかへりしかば、いかで所領しよれうひきわけて、莊官せうくわんさへに讓らん、と思ふ甲斐かひなき蹇人あしなへひと、身の不自由に心さへ、なほからねばや、ひもず、姉を恨めば、われをばなほ、讐敵あたかたき如罵ごとのゝしるのみ、生涯物をいはざりしを、心うしとは思ひしかど、有繋さすが役義やくぎ重ければ、こなたより手をさげて、勸解わびするよしのあらずかし。しかるに各位渠おのおのかれあはれみ、こうを結びてぜにを集め、家をあがなひ、田園でんはたを、つけて生涯やしなはれしは、ふるきをおもふ義なり信なり。われ口へこそいだしていはね、酸鼻なみだぐむまでかたじけなく、年來としごろ感嘆淺からず。しか思ひつゝ各位おのおのに、口誼こうぎのべぬは役義のかなしさ、すこしは推量せられよかし。これは是過これすぎにし事、彼偏意地かのかたゐぢたてとほして、はかなくなりし番作が、黃泉よみぢの迷ひは信乃のみならん。このみなしごを養ひとりて、人となさずは先祖へ不孝、われまた人といはれんや。よりて龜篠と相譚かたらひつゝ、かれが親のはてにし日より、小厮等こものらかしつかせ、迭代かたみかはりに夫婦をり〳〵、あしを運び、心をそえて、五七の逮夜たいやのけふが日まで、等閑なほざりにせざる事は、各位おのおのしりてぞあらん。しかはあれども十五にも、足らざるおひをいつまでか、手はなちてこゝにおくべき。あす母屋おもやへ迎へとりて、遖丈夫あはれをとこ守育もりそだて女兒濱路むすめはまぢめあはして、大塚氏おほつかうぢ世嗣よつぎとすべし。つきては彼番作田かのばんさくたは、各位おのおのに返さん、又信乃にあたへ」、ととへ衆皆頭みなみなかうべもたげ、「そはのたまはするまでもあらず。親の物は子に讓る、貴賤きせん上下の差別けぢめなし。くだん田園たはたぬしといふは、こゝの息子むすこほかになし。吾們われわれがなんでふすべい。よきにはからせ給ひね」、といふに蟇六ひきろくうちゑみて、「しからば信乃が成長ひとゝなるまで、沽券こけん某領それがしあづかる也。又この家はゆかを拂ふて、かの番作田の稻城いなきとせん。各位おのおの承知せられよ」、とまことめかしておのが田へ、引くとはしるや水飮百姓みづのみひやくせう、顏見あはして應難いらへかぬれば、庖湢くりやのかたより龜篠かめさゝは、相槌擊あひつちうたんと進み入りて、信乃がほとりに推竝おしならび、「けふの佛はとまれかくまれ、この子は吾儕わなみむこなり子なり。子をもたぬものは人の子を、養ふてすらいつくしむに、缺替かけかえのなきおひに讓る、田園役義たはたやくぎもあるものを、あの番作田をなににかせん。信乃も如此しかこゝろ得給へ、あすよりしてわが宿やどの、かまどの下の灰までも、はてはおんが物なりかし。憎しと思ひしおとゝでも、今かうなりては最惜いとをしきに、東を見ても、西見ても、伯母をばよりほかに親類なき、この子の久後想像ゆくすゑおもひやれば、襁褓むつきうちよりはぐゝみし、濱路にまして不便ふびん也。可愛かわいくはべり」、といひかけて、しきりにぬぐふ袖の雨、降るとは見えてぬれざりけり。龜篠に泣立なきたてられて、諸鼻もろはなうちかむ里人等さとひとら、思はず齊一ひとしく嘆息し、「まことしん憂苦會なきよりにて、人のまことを今ぞ知る。伯母きみ述懷じゆつくわいは、逮夜たいや追善ついぜんこの上なし。番作とのゝ御子息ごしそくを、むこがねにとのたまはするを、一鄕いちごうの人おほかたきけり。かくてはなんでふ疑ふべき。くだん田園たはた莊官大人せうくわんうししばら管領くわんれうせられん事、勿論もちろんに候」、と異口同音もろごゑいらへしかば、蟇六龜篠歡びて、汁のひえたるをもりかえさせ、さかつきすゝめ、いひひて、款待もてなしはじめにいやましたり。

 かくてその初更しよこうころ響膳けうぜんやうやくはてしかば、法師は布施ふせ二杖頭ふたさしぜにへそのあたりヘヘしこみて、立尻たつしり莊客們ひやくせうはら、皆謝辭よろこび述竭のべつくし、漸々しだいいづ門廻向かどゑこう紙燭しそくのり燈火ともしびと、おくさきたつ一口念佛くちねぶつ、「南無阿彌反畝なむあみたんぼこけるな」と、上戶じやうごたすけてかへりゆくあとはさながら大風おほかぜの、なぎたる如くしめやかに、洗ひきよめてぬぐるゝ、五器ごきの音のみ聞えけり。

 かくてその詰朝あけのあさ、信乃は亡父母なきちゝはゝの、墓に香花手向かうはなたむけんとて、菩提院ぼだいいんおもむきしに、かへるをまたで蟇六夫婦ひきろくふうふは、小厮等こものら駈立かりたてて、犬塚が家の調度ちやうど取運とりはこばせ、竈下かまもとの物、席薦戶障たゝみたてぐは、物おほかたに沽卻うりはらひて、はやく空房あきやにしたりけり。信乃はかうともしらずして、わが宿やど近くかへり來る、道次みちのほとり立在たゝずむものあり。と見れば是額藏これがくざうなり。もすそを高く端折揚はしをりあげて、糾襷なはたすきさへ精悍かひかひしく、すゝよごれしひたひの汗を、推拭おしぬぐひたる爲體ていたらく、こゝろ得かたく思ふになん、「こは何事なにわざをしつるに」、ととひつゝ走り近つけば、額藏あとを見かへりて、「今朝けさしもおん身がいで給ひてより、まだいく程もあらざるに、莊官殿せうくわんとのが人をて、宿所の調度を取運とりはこばせ、あるひ沽卻うりはらひなどせられしかば、吾儕わなみ夫役ぶやくかりとられて、見給へ、歲暮せいぼ煤掃すゝはく如く、手も足もかくの如し。今やうやくに事果ことはてたり。腹はたゝんが堪忍たへしのびて、たゞ母屋おもやへ赴き給へ」、といはれて信乃はあきはて、「かねて覺期かくごの事なれ共、親の五七の忌日きにちなる、けふ一日をすぐすとも、まだ遲からぬ事なるに、かういそがれしは衆人もろひとの、へんをおそるゝものなるべし。長物ながものかたり、人もやしらん。とくゆき給へ」、と先にたゝして、しづかに進むわが宿を、見過みすぐしかたくたちよれば、よそ垣根かきねことならぬ、杜仲まゆみ折られし庭面にはもせに、いることかたきかどじやう、さすが名殘なごりをしければ、たれとめねど愀然しうぜんと、しばら其處そこ立在たゝずみつ、彼與四郞かのよしらううづめたる、梅樹うめのきのほとりを見ても、只愛たゞあいじやくたもと露けし。「いでやかれが爲にしも、窣都婆そとはたてん」、とひとりごちて、短刀のたちつけたる刀子さすがぬきとり、梅のみきを推おしけづりて、墨斗やたての筆をぬきいだし、「如是畜生發菩提心によぜちくせうはつぼたいしん南無阿彌陀佛なむあみだぶつ」、としるしつけて、筆をおさめて、佛名ぶつめうを、十へんばかりとなへたり。

 さてあるべきにあらざれば、そがまゝ伯母をばの宿所に到れば、蟇六龜篠待かめさゝまちつけて、「あな、信乃、はやかりし。とくこなたへ」、と招きよせ、「そなたが寺よりまかりてのちに、とりはらはんと思ひしかども、さでは一日に物方著ものがたつかず。なまじいにおん身に見せては、なげいやますこともや、と心いそぎのせられしまゝに、もとの宿所を空拂あけはらはして、家廟ぢぶつ*はこなたと一處ひとつにしたり。けふよりこゝはおん身が家也。昨夕よんべもいひつる事ながら、おん身が廿歲はたちにならんころ濱路はまぢあはして二代の莊官せうくわん我等われら背門せどへ隱居して、左團ひだりうちわくらす日を、いとまちわびしく思ふのみ。濱路々々」、と呼立よびたてて、夫婦があはひおしすえつ、「まだなれやかに物いはせねど、間近まちかくをれば相識ちかつきの、信乃はそなたと從兄弟いとこどち、けふよりこちの子にしたり。大きくなりてはそなたの良人をつとひとし背丈引伸せたけひきのばして、はやく夫婦にして見たし。むつましくし給へ」、とときしめされてはなじろむ、濱路はをさな友鵆ともちどりたへずやそが侭衝まゝつたちて、屏風びやうぶのうらにかくれけり。信乃はよろづに由斷ゆだんせず、甘き言葉はわが身の毒、とおもへばたえて耳にもかけず、殆困ほとほとこうはててをり。龜篠かめさゝこれを誘引いざなひたてて、西面にしおもてなる一室ひとまおもむき、「こゝをおん身が子舍へやにせん。讀書手習怠とくしよてならひおこたり給ふな。所要あらば額藏まれ、濱路まれ使ひ給へ。遠慮ふかきもところによる。いつまでうひ〳〵しき。うちとけ給へ」、と慰めて、他事たじもなげにぞ管待もてなしける。

 かくて三伏さんふくの夏すぎて、秋の初風はつかぜたつころに、信乃は親のいみはてたり。これより先に龜篠は、信乃が女服をんなぎぬなるを、男衣をとこきぬ縫更ぬひあらため、この日、城神庿うぶすなのやしろに參らするに、年はなほ十一なれども、人なみに身長たけなれば、十四五歲のわらべと見ゆめり。「けふことほぎの赤飯序あかいひついでに、ひたひすみを取らし給へ」、とかねて夫にすゝめしかば、蟇六ひきろくこれに從ひて、元服げんふくの儀をとり行ひ、よに疎略そりやくなく見えしかば、年來としころ憎みし、里人等さとびとらは、この老狸ふるためきあざむかれて、いとたのもしくおもひけり。これらの事も信乃はたゞ、そがいふまゝさからはず、女服をんなきぬあらためて、凡常よのつねに從ふ事は、父番作が遺訓いくんかなへば、親の明察かたじけなく、思ふにつけてあぢきなき、身の久後ゆくすゑを定めかねたる。


【挿絵の説明】「青梅か香は亦花にまさりけり/巳克亭鶏忠」「犬川がく蔵」「犬塚信乃」

 けふと暮れ、あすあかせば、いとゞ今茲ことし果敢はかなく送りて、つぐの年の春三月やよひまつとはなしに亡親なきおやの一周忌を迎へしかば、逮夜たいやには家庿ぢぶつこもりて、父母ふぼ冥福めうふくを祈るのほかなし。明日あけのひ信乃が墓參りの從者ともひとには、龜篠かね分付いひつけて、額藏をつかはしたれども、よそきこえはゞかれば、通途みちすがらとて物かたりせず、寺へまうで共侶もろともに、その墓を洗淨あらひきよめ、水を汲み入れ、花を手向たむけて、主從廻向しゆうじゆうゑこうに時を移せば、淚ぞいとゞ進みける。

 かくてそのかへるさに、宿所近くなるまゝに、信乃はわが舊宅ふるいへの、むねをつく〳〵うち眺望ながめ、「遠くもあらぬ程なれども、一たびすまずなりてはや、期月むかはりつきとなりたり。かはらぬ物は八重葎やへむぐら、庭の草木くさきを見てゆかん」とて、傾頽かたふきくづれし片折戶かたをりとを、おし主從しゆうじゆう進みる、のきに昔をしのぶぐさ柱斜はしらなゝめに壁おちて、わらほかに物もあらず。げにさりあとのみあり。物變りてふによしなし。これすら淚のなかたちなるに、去歲こぞのその月與四郞よしらうが、のちの爲、みきけづりて、如是畜生によぜちくせう云云しか〳〵の、經文きやうもんかきつけたる、梅は殊更ことさら茂りつゝ、その削痕きずいえ文字もんじきえて、靑梅子夥生あをうめあまたなりにけり。「この梅樹うめのきもとうづめし、彼かのいぬこやしになりし。この花薄紅梅うすこうばいなれば、つくことはまれなりしに、枝每えだごと斯締子かうとまりしは、これぞ今ことしがはじめなる。あれ見給へ」、と指させば、額藏がくざうもすゝみ寄りて、つく〳〵とうちながめ、「あなめでた。この梅は、その條每えだごとやつつゝりぬ。世に八房やつふさの梅といふもの、ありとはきけまれにも見ざりき。こは八房に候はん」、といはれて信乃は心つき、「まことにこれは八房也。わが物ごゝろを知るころより、斯條每かうえだごと八生やつなることは、きゝも傳へぬことなりかし。畜生ながらしゆうを知る、かの與四郞が名にしはゞ、四房よつふさにこそるべきに、八房なるはいかにぞや」、といひかけて又と見かう見て、「奇なるかな。こは八房なるのみにはあらず。見給へ、實每みごと模樣もようあり。なににか似たる」、と枝ひきよせて、その實をとり共侶もろともに、たなそこに乘せ、日影ひかげに向ひて、見れば自然しぜん文字もんじあり。一箇ひとつじん一箇ひとつ、この他、禮智れいち文字もんじあり。又忠信孝悌ちうしんこうてい四个字しかじあり。その實每みごとに一字つゝ、顯然げんぜんとしてよまれたり。こゝにいたり兩賢童りやうけんどうは、毛骨竦みのけたつまで驚嘆し、「幹を削りてしるしつけし、如是畜生云云によぜちくせうしか〳〵の、やつ文字もんじ消滅きえうせて、今又その實に仁義禮智、八行はつこう文字もんじあり。こは〳〵いかに」、とばかりに、なほ疑ひはとけざりけり。しばらくして額藏は、膚護はだまもりふくろなる、祕藏ひさうの玉を取出とりいだし、「君子わくごこれを見給へかし。梅の實と、この玉と、その形相似かたちあひにたり。その文字もんじことならず。こはゆゑあるべき事なれども、さとりかたく候」、といふに「有理げにも」、とわれもまた護身嚢まもりふくろひめおきし、玉をとうてあはせ見るに、その小大おほきさも、文字もんじも等し。「まことなり。因欤いんか果欤くわか。玉といひ、梅といひ、符節ふせつをあはせてます〳〵奇也。試みにおすときは、この玉、もと八顆やつありて、仁義八行じんぎはつこう文字もんじ具足ぐそくしたるにや。しからばのこれるむつの玉、世になしといふべからず。この梅なん八房やつふさなりたる。この玉と、この梅子うめのみに、あらはれたる文字何もんじなんひとしき。問へども草木非常さうもくひじゃうなり。たゝけども玉石ぎよくせきこたへず。かならずしも因いんえんあらば、のちに思ひあはせんのみ。人はたゞ奇を好むもの也。人おのづからしらば知れ。われからこれをつぐべからず。ゆめ祕すべし〳〵」、と密語さゝやきあふて、その八房の梅子うめのみを、紙にひねりて玉もろともに、各嚢おのおのふくろおさめつゝ、あれたる庭を走りいでて、やがて宿所にかへりけり。

 さればその年皋月さつきころくだんの梅のじゆくせしとき、蟇六ひきろくが家の小厮等こものちはさらなり、近きさと人等ひとらは、はじめてその八房なるを見著みつけつゝ、世にめづらかなることなりとて、あるじ夫婦につぐるもあり、又彼此をちこちに語りつぎて、風聞ふうぶん高くなるものから、その梅じゆくするに及びては、彼八行かのはつこうの文もんじきえたり。このゆゑに里人等は、たゞ八房を賞するのみ、文字もんじの事はしるものあらず。これよりして每歲としことに、その實は八宛生やつつゝなりけれども、文字もんじはこの春のみにして、のちにはつひあらはれず。されば蟇六龜篠かめさゝは、これらのよしをきくといへども、風雅みやびのうへに疎ければ、花果はなくだものたのしみこゝろとせず、只彼梅子かのうめのみの多かるをよろこびつゝ、年々とし〳〵鹽藏しほつけにして、しゆしよくさいみつるのみ。この梅漸々しだいに人に知られて、名木めいぼくになりしかば、與四郞よしらうが事さえ聞えて、八房の梅、與四郞つかとて、故老ころう口碑こうひに傳へたれども、後年數度こうねんすど兵火ひやうくわかゝりて、梅は枯れ、塚はすかれて、今はそのあと得認えとめず、只彼猫又橋たゞかのねこまたはしのみのこれり。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第二十一回)

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