南総里見八犬伝(022)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十一回・序など
東都 曲亭主人 編次
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【見返】
里見八犬傳第三輯
曲亭馬琴あらはす/柳川重信畫
全五册
書肆/山靑堂

【目録】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第三輯だいさんしふ總目録さうもくろく
巻之壹 第二十一回
額藏がくざう間諜かんてふ信乃しのを全まつたうす。 犬塚いぬつか懐舊くわいきう青梅あをうめを觀みる。
同巻 第二十二回
濱路はまぢ竊ひそかに親族しんぞくを悼いたむ。 糠助ぬかすけ病やみて其子そのこを思おもふ。
巻之貮 第二十三回
犬塚いぬつか義ぎ遺託ゐたくを諾うけひく。 網乾あぼし漫そゞろに歌曲かきよくを賣うる。
同巻 第二十四回
軍木ぬるで媒なかたちして荘官せうくわんに説とく。 蟇六ひきろく偽いつはりて神宮かにはに漁すなとりす。
巻之参 第二十五回
情ぜうを含ふくみて濱路はまぢ憂苦ゆうくを訟うつたふ。 奸かんを告つげて額藏がくざう主家しゆうかに還かへる。
同巻 第二十六回
權けんを弄もてあそびて墨官ぼくくわん婚夕こんせきを促うながす。 殺さつを示しめして頑父ぐわんふ再醮さいぜうを羞すゝむ。
巻之四 第二十七回
左母二郎さもじらう夜よる新人はなよめを豪奪ごうだつす。 寂寞じやくまく道人どうじん見げんに圓塚まるつかに火定くわじやうす。
同巻 第二十八回
仇あたを罵のゝしりて濱路はまぢ節せつに死しす。 族うからを認みとめめて忠與たゞとも故ふることを譚かたる。
巻之五 第二十九回
雙玉さうぎよくを相換あひかえて額藏がくざう類るいを識しる。 両敵りやうてきに相遇あひあふて義奴ぎぬ怨うらみを報むくふ。
同巻 第三十回
芳流閣はうりうかく上せうに信乃しの血戰けつせんす。 坂東ばんとう河原かはらに見八けんはち勇ゆうを顕あらはす。

統計とうけい三十回くわい其その第一回だいいつくわい第だい二十回くわいに迄いたりては既すで于前板ぜんはんの両輯りやうしふに録しるせり

【序文】書下し
八犬傳第三集敍 [著作堂]
門前に狂狗有れば、其酒沽れず。而れども主人は曉さとらず。猶且つ酒の沽れざるを恨めり。癡情是の若き者。之を衆人と謂ふ。衆人に淸濁有り。猶酒に醥與(と)醠と有るがごときなり。而して淸すめる者は其の味淡薄。醉と雖醒易し。濁る者は其の味甘美にして。酩酊す。奚ぞ今を思ふ者之衆おほくして。後を懼るゝ者之寡きや。是の故に。瞿曇氏法を說て以地獄果天堂樂有りと爲(す)。是に於後を思はざる者懼る。又何ぞ耳を貴ぶ者之衆して。目を賤めざる者之寡きや。是の故に南華子物論を齋(ひと)しうして以爭訟を禁とゞめんと爲す。是に於耳を貴ひ目を賤む者愧つ。然れども彼の寂滅之敎の若き。媚る者衆して。悟る者彌々寡し。宜むべなり。其媚る者は。口に經を誦すれども。其義を釋くこと能はず。其迷ふ者は。心に利益を祷れども。之を欲する所以を知らず。凡そ之の如き之禪兜。度すると雖其功有ること無し。昔者震旦に烏髮の善智識有り。因を推し果を辨し。衆生を誘ふに俗談を以し。之を醒すに勸懲を以す。其意精巧。其文竒絕。乃ち方便を經と爲。寓言を緯と爲す。是を以其の美錦繍の如し。其甘きこと飴蜜の如し。蒙昧蟻附して去ること能はず。既にして有る所之煩惱。化して屎溺と爲なり。遂に糞門を觧脫するときは。則覺ず奬善之域に到り暫時無垢之人と爲ると云ふ。亦竒ならずや。餘少わかかりし自り愆て戲墨を事とす。然れども狗才馬尾を追て。於閭巷に老たり。唯其の勸懲に於。每編古人に讓らず。敢て婦幼をして奬善之域に到ら使んと欲す。嘗て著す所の八犬傳。亦其の一書なり。今其編を嗣こと三たびにして。刻且まさに成らんとす。因て數行を簡端に題す。嗚呼狗兒の佛性。無を以字眼と爲。人は則媚て其尾を掉るを愛す。我は則誤て帝堯を吠んことを懼る。冀くは瞽者の爲めに。煩惱狗を獵て以一條の迷路を開かん。閱する者幸に其無根を咎ること勿れ。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱 [馬琴][乾坤一草亭]

【序文】原文
八犬傳第三集敍 [著作堂]
門前有狂狗、其酒不沽。而主人不曉。猶且恨酒之不沽。癡情若是者。謂之衆人。衆人有淸濁。猶酒有醥與醠也。而淸者其味淡薄。雖醉易醒。濁者其味甘美。而酩酊矣。奚思今者之衆。懼後者之寡也。是故。瞿曇氏說法以爲有地獄果天堂樂。於是不思後者懼矣。又何貴耳者之衆。不賤目者之寡也。是故南華子齋物論以爲禁爭訟。於是貴耳賤目者愧矣。然若彼寂滅之敎。媚者衆。悟者彌寡矣。宜。其媚者。口誦經。而不能釋其義。其迷者。心祷利益。而不知所以欲之。凡如之之禪兜。雖度無有其功。昔者震旦有烏髮善智識。推因辨果。誘衆生以俗談。醒之以勸懲。其意精巧。其文竒絕。乃方便爲經。寓言爲緯。是以其美如錦繍。其甘如飴蜜。蒙昧蟻附不能去焉。既而所有之煩惱。化爲屎溺。遂觧脫糞門。則不覺奬善之域暫時爲無垢之人云。不亦竒乎哉。餘自少愆事戲墨。然狗才追馬尾。老於閭巷。唯於其勸懲。每編不讓古人。敢欲使婦幼到奬善之域。嘗所著八犬傳。亦其一書也。今嗣其編三而。刻且成。因題數行於簡端。嗚呼狗兒佛性。以無爲字眼。人則愛媚掉其尾。我則懼誤吠帝堯。冀爲瞽者。獵煩惱狗以開一條迷路。閱者幸勿咎其無根。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱[馬琴][乾坤一草亭]

【口絵説明】
【口絵1】
犬山いぬやま道節どうせつ忠與たゞとも
田單燕ヲ破ル之日/火平原ヲ燎ク/阿難寂ヲ示ス之年/煙兩扞ヲ和ク
劍術の極秘は風の柳かな
犬飼いぬかひ見八けんはち信道のぶみち
【口絵2】
酢もあらばいざぬたにせん/網さかなえびとかにはの/舩で味噌すれ
荘客ひやくせう糠助ぬかすけ
大塚おほつか蟇六ひきろく
軒のつまに/あはひの貝の/片おもひ/もゝ夜つられし/雪のしたくさ
奴隷しもべ背介せすけ
簸上ひかみ宮六きうろく

 卻說犬塚犬川かくていぬつかいぬかはの兩童子りやうどうじ、信乃額藏しのがくざうは、迭かたみに志こゝろざしを吿つげ、義ぎを結びて、なほ久後ゆくすゑを相譚かたらふ折をり、跫然きようぜんと足音して、外面とのかたより來るものありけり。信乃は耳を側そはだてて、臥目注めくはせをしてければ、額藏はやくこゝろを得て、おのが房ふしどに退しりぞきつ、衣引被きぬひきかつぎて臥ふす程に、片折戶かたをりとに掛かけたりし、引板ひたの鳴子なるこを瓦落ぐわらめかして、二ッ三ッ四ッうち咳しはぶき、「和子わこよ、宿所しゆくしよにをはする欤か。糠助ぬかすけがまゐりたり。恙つゝがなきや」、と呼門おとなひつゝ、障子せうじの破隙やれめさし覗のぞき、支木朽つかぎくちたる竹緣ちくえんに、掛くる片臀片胡坐かたしりかたあぐら、背うしろざまに手をつきて、庭の新樹わかばをながめてをり。當下そのとき信乃は身を起して、やをら障子を引開ひきあけつ、「阿爺欤おぢよ、よくこそ來きましたれ。且まづこなたへ」、と手箒てはゝきを、把とりて塵芥あくたを掃はきよすれば、見かへりて頭かうべをうち掉ふり、「いな措おき給へ、足土どそくなり。年々とし〳〵のことながら、蜀魂鳥しでのたをさの啼比なくころは、早稻わせも晚稻おくても種浸たねひたし、畑はたに水田みづたと㴱こねかへす、稼かせぎいとなく思はずに、いたく不沙汰ぶさたをつかまつりぬ。莊官殿せうくわんどのより隸つけられし、童男わらはをとこはいかにぞや」、と問とはれて信乃は、後方あとべを見かへり、「額藏はきのふより、心地こゝちわづらはしとてうち臥ふしたり。風かぜひきたるにこそとおもひて、賣藥ばいやく求めて勸すゝむれども、早つとに瘥おこたるべくもあらず」、といふを糠助聞きゝあへず、「そは困こうじ給ふならん。母屋おもやへいゆきて、よしを吿つげ、餘よの人をこして替らせん。さる事あらばきのふにも、などてしらせ給はざる。まだ十五にも足らぬどち、異ことあらずともおぼつかなきに、爨僕かしきおとこが資たすけにならで、おん身に看病されんとは、鬼のやうなる小父小母御をぢをばごでも、思ひかけなきことなるべし。吾儕わなみに任まかし給ひね」、とのみこみ、獨囫圇ひとりのみこみ、早はや合點がてん、麁忽そこつながらの信まことある、辭ことばの端居はしゐおち著つかずそがまゝ立たちて外面とのかたへ、忙あはたゝしげに出いでにけり。

 されば又蟇六龜篠ひきろくかめざゝは、信乃が爲に朝夕あさゆふの、薪水にたきの事わざを資たすけよとて、小厮額藏こものがくざうを遣つかはしつ、人目ばかりは三四日每みかよかごとに、飯いひのあはせ物などを、小坏こつきに盛もりて饋おくり遣つかはし、又みづからも音おとつれて、門かどより安否あんひを問ふものから、その初はじめこそ屢しばしばしたれ、素もとより愛する心なければ、植うへつけ時ときのいそがはしさに、その事ははやうち忘れて、久しく訪とはせもせざりしに、この日糠助ぬかすけが來て、云云しか〳〵と吿つげしかば、龜篠聞きゝて眉まゆを顰ひそめ、「この比ころは人一個ひとりを、二人ふたりにしても使ひ足らぬに、心なしの丁兒奴でつちめが、風ひきたりとていかばかりの、事やはある」、と辷すべらせし、口を鉗つぐめてうち微笑ほゝゑみ、「よくこそ吿つげて給はりし。ともかくもすべけれ」、と應いらヘて糠助をかへしつゝ、軈やがて夫をつとに相譚かたらへば、蟇六聞きゝて、舌うち鳴らし、「是首ここと彼首かしこは間近まちかくとも、竃かまどふたつにしたればこそ、人手かゝりて不便ふべんなれ。けふより信乃を呼びとりて、養やしなふべくは思へども、童わらべでこそあれ親に似て、偏屈兒かたゐぢものとおぼゆるに、中陰ちういんいまだ果はてざれば、承引うけひくべくもあらずかし。今霎時いましばしの程なれば、孰たれなりとも遣つかはして、額藏奴がくざうめと引ひきかえ給へ。眞實々々まめ〳〵しげに款待もてなせば、こなたに得とくの著つくことなるに、厭いとふことかは。よくし給へ」、と耳語さゝやけば點頭うなつきつ、一個ひとりの老僕おとなを遣つかはして、額藏と替かはらすに、額藏ははや歸り來にけり。氣色けしきを見るに異ことなることなし。やうこそあらめ、と龜篠は、あるじのほとりに呼び近ちかつけ、「やをれ額藏、汝なはきのふより病臥やみふしたり、と糠助男ぬかすけをとこが吿つげたれば、人暇いとまなき折なれ共、そがまゝ措おかんはさすがにて、代かはりの僕をとこを遺つかはせしに、見れば異なる氣色もあらず。總角あげまきどちの狎易なれやすく、相撲狂すまひくるふて負腹まけばらたち、很すねて作病さくびやうせしならん。嗚呼をこの白物しれものかな」、と疾視にらまへて、夫婦齊一敦圉ひとしくいきまけば、額藏|顙ひたひに手を推當おしあて、「些すこし頭痛はしつれども、うち臥ふすまでには候はず。とばかりまうさば橫著わうちゃく也とて、ます〳〵叱しからせ給はなん。某彼處それがしかしこへまゐりし日より、とにかく彼子あのこはうち解とけ給はず、『水はわが汲くむ、汲くまずもあれ。炊かしきも吾わがする、そがまゝ措おきね』、とよろづ禁とゞめて使つかはれず。四月うつきの天そらに垂籠たれこめて、目比めくらべをして日を消くらせば、困こうじ果はてて候ひし。さればとて、逃にげてかへらば叱しかられん。おもへば年來打懲としごろうちこらして、使つかはせ給ふ主しゆうの恩、今やうやくに目が覺さめても、起甲斐おきかひなさに引被ひきかつぐ、衣きぬのうら見の夏虱なつしらみ、獵竭かりつくしたる虛いつはりの病やまひの床とこは日ごろより、母屋おもや戀しき氣鬱きうつの症せう。寔まことに九死一生涯きうしいつせうがいの、智惠ちゑを出いだして呼よびかへされ、甦生よみぢがへりて候なり。田畑たばたの稼かせき、內外うちとの使つかひ、なほ身に入れて仕つかまつらん。霎時しばしなりとも犬塚どのに、隸つけらるゝことばかり、免ゆるさせ給へ」、と掌てを捼もみて、眞まことしやかに賠話わびにけり。あるじ夫婦はつく〳〵と、聞きゝつゝ笑ゑみて、迭かたみに見かへり、「龜篠かめさゝいかに思ひ給ふ。此こ奴やつも等ひとしき童わらはなるに、信乃がとにかく心をおきて、出いでてゆけがしにもてなせしは、そのよしなしといふべからず。云云しか〳〵の事あらば、竊ひそかにこなたへ吿つげはせで、假病けびやうして臥ふすことやはある。そが一生の智惠ならば、鐵錢三文びたさんもんの直ねうちもなし。こな戲家奴たはけめ」、と罵のゝしれば、龜篠「ほゝ」とうち笑ひ、「さはこれをのみ叱しからせ給ふな。信乃はなほ總角あげまきなれども、心ざまは老およつけて、殊ことに執念しうねく、腹きたなく、さる筋のあるものと見き。やよ額藏、よしや氣に入れられず共、日來彼處ひごろかしこにをりしかひに、聞きゝつる事はなかりし欤か。信乃はこなたをいといたう、怨うらみてあらん。さもなき欤か。樣子を吿つげよ、いかにぞや」、と𠏹貌ほとけがほして問落とひおとす、梓あづさの弦つるにあらねども、水向みづむけられて、虛うかとは憑よらず、「否いな、目今たゞいまもまうせし如く、適たまたま物をいひかけても、生應なまいらへのみせられしかば、聞きゝたることは候はず。然されども今は伯母御をばごの外はかに、よるべなき人なれば、いかでかこなたをうらみ給はん。初はじめには似ず慕したはしく、思はるゝ事疑ひなし。只某たゞそれがしに强面つれなきは、過世すくせの讐欤あたか、さもなくは、氣質のあはざるにもあらん。身にとりて憎にくまるゝ事とて覺おぼえ候はず」、といへば蟇六ひきろくうち頷うなつき、「假染かりそめの主從しゆうじゆうにも、五性ごせうの相剋さうこくありとかいへば、さる事なしといひ難がたけれども、假病けびやうせしは不覺なり。佶きと懲こらすべく思へども、此度こだみは枉まげて許すなり。よにいそがはしき折なるに、兩三人ふたりみたりが事わざをもして、その愆あやまちを貲つくのはずは、その度たびに辛からきめ見せん。立たちね〳〵」、といそがせば、額藏頻しきりに顙ぬかつきて、庖湢くりやのかたへ退しりぞきけり。

 龜篠霎時目送しばしみおくりて、「わが伕せは何なにと聞給ひし。人の氣質はさま〴〵なり。總角あげまきは總角どち、よき友也と歡よろこびて、使つかはれもせん、使ひもせん、と思ふには似ず額藏が、信乃に鬱悒いぶせくせられしは、一日二日ひとひふたひの事ならず。かゝればいたく怨うらみらるゝ、惡口わろくちを利きゝたる欤か。然さらずは氣質の合あはざるならん。さはおぼさずや」、と耳語さゝやけば、蟇六頭ひきろくかうべを傾けて、「否いなそれのみに限るべからず。信乃はこなたをなほ疑ふて、額藏を隸つけたるは、隱監かくしめつけならん欤かとて、心放ゆるさぬ事もありなん。必かならずしも侮あなどるべからず。額藏が代りには、誰たれを遣つかはしたまひたる」、「誰たれとて早とみの事なれば、脊介せすけにいけとて遣つかはし侍はべり。渠かれは齡よはひも六十むそぢにあまりて、人なみには得え働はたらかず。賸此あまつさへこのごろは、三里さんりの灸やいとを爝いぼはして、起居をりこゞみも不自由なり。額藏と引替ひきかえて、損なきものに侍らずや」、といへばしば〳〵うち點頭うなつき、「微妙いみじく計り給ひにき。しからんには一兩日いちりやうにち、遠くは四五日、程を歷へて、竊ひそかに背助せすけを招きよせ、渠かれにも信乃が心をおくや、事のやうを問とひ給へ。渠かれにも心をおくならば、吾儕わなみ夫婦を疑ふ也。又額藏をのみ嫌きらひて、背助を厭いとふことなくは、丁兒一人でつちひとりがうへにして、こなたを疑ふ故ゆゑにはあらず。事の虛實きよじつを撈さぐりて後のちに、計策はかりごとはなほあるべし。こゝろ得給へ」、と額ひたひを合あはして、相譚果かたらひはてて起たちにけり。

 さて兩三日りやうさんにち經へにければ、龜篠かめさゝは、みづから信乃が宿所へいゆきて、さり氣げなく安否あんひを問とひ、事の爲體ていたらくを窺うかゞふに、信乃は背介を厭いとふことなく、背介も亦眞成またまめやかに、進止たちふるまはずといふことなし。龜篠、胸に物あれば、なほ四表八表よもやもの物がたりに時を移して、今はかうと思ひしかば、吿別いとまごひしてかへり來つ。此このとき夫をつとは納戶なんとにをり、折こそよけれ、とほとりにいゆきて、「曩さきには背介を呼びよせて、竊ひそかに問へ、と宣のたまひしかど、信乃が疑ふこともや、と思ひにければ、吾儕わなみいゆきて、喪中の安否あんひを問とひがてら、半日あまり彼處かしこにをり、殘る隈くまなく見究め侍り。その爲體ていたらくは如此々々しか〳〵也。箇樣々々かやう〳〵」、と潛ひそやかに、吿つぐれば蟇六且しばらく尋思しあんし、「さりとて信乃が心ざま、凡庸よのつねの少年ならねば、虛うかと肌膚はだへを見せかたし。まづ額藏を召近よびちかつけて、箇樣々々にこしらへ給へ。その事成らば、云云しか〳〵なり。かくの如く計はからんには、後悔する事あるべからず。氣色けしきに曉さとられ給ふな」、と言ことおちもなく說示ときしめせば、龜篠只管歎賞ひたすらたんせうし、「現針げにはりは細小さゝやかでも、得呑えのまれずといふ諺ことわざは、そこらの事に侍はべりなん。寔まことに心逞たくましげなる、少年なれば用心ようしんに、なほ用心をするこそよけれ」、としのび〳〵に相譚かたらふ折、竹緣ちくえんを踏鳴ふみならして、障子せうじのあなたを過よぎるものあり。龜篠はいちはやく、「そは額藏にあらずや」、と問へば、「さなり」と答こたへたり。「竊ひそかにいふべきことこそあれ。こなたへ入れ」、と呼び止とめられて、やをら障子を推開おしあけつゝ、顏さし入れてついゐたるを、「其處引閇そこひきたてて、こなたへ來よ」、と膝ひざのほとりへ招きよせ、「かう打揃うちそろふて物々もの〳〵しく、いふべき事にはあらねども、折のよければ吿つぐる也。信乃は正まさしく侄おひなれども、番作ばんさくが僻ひがみたる、心の鬼を讓り受うけたる、渠かれが氣質は汝なんぢもしれり。飽あくまでに慈いつくしむ、伯母をばを不足に思はずは、そが爲にとて遣つかはせし、人嫌ひとぎらひすることはあらじ。さらずは汝なんぢが口さがなくて、思はず信乃に腹たゝせ、恨みられたる事あらん。そはとまれかくもあれ、世間せけん舅姑しうとの囂かしがましさに、よきもわろきも彼子あのこのうへは、わが口くちつからいひがたし。この故ゆゑに只たゞ氣を受うけて、揚足あげあしとられぬ用心ようしんを、する外はかにすべはなきぞとよ。汝は六ッか七歲なゝつより、生涯使ふ小厮こものなれば、侄おひにもましておぼゆるかし。養育やしなひたてし主しゆうの恩、大かたならずとしるならば、よしや强面つれなくもてなすとも、終つひには信乃に馴近なれちかつきて、聞くことあらば竊ひそかに吿つげよ。そは苟且かりそめの事ならず。信乃をこなたへ呼びとりて、養ふ月日は限りしられず、末いと遙はるけき事なれば、今いふよしを小耳こみゝに挾みて、念じて主しゆうの爲になれ。よにそれ程の利生りせうはあらん。こゝろ得えたりや」、とこしらゆれば、蟇六ひきろくは髯拔ひげぬきかけし、鑷子けぬきを拭ぬぐふて頤掻拊おとがひかきなで、「額藏、汝なんぢは果報くわはうあり。侄おひにもまして憑たのもしく、思はずはいかにして、龜篠かめさゝが此機密このきみつを吿つぐべき。かゝれば汝を遣つかはして、亦復またまた背介とかはらせん。しばしの程ぞ辛防しんばうせよ」、といへば額藏小膝こひざを捺さすり、「かくまで思はれ奉る、御恩をいかでか仇あたにして、いはれし事を忘わするべき。前日私語さゝやきまうせしごとく、犬塚どのはこなたより、外ほかによるべのなき人なれば、野心あるべくもあらねど、ともかくもして馴近なれちかつき、おん爲わろき事などを、聞かば竊ひそかに吿つげ申さん。これらの事は御みこゝろやすく、思召おぼしめされよ」、と眞まめたちて、回答いらへをすれば、主夫婦あるじふうふは、いよゝ言葉を甘くして、賺すかすをしりつゝ賺すかされて、又彼かの背介に替らんとて、立たゝんとすれば、龜篠は、遽いそがはしく推禁おしとゞめ、「童わらべどちでも背うしろあはせし、彼子あのこの宿所へ獨ひとりゆかんは、今さらに、面おもぶせならん。吾儕わなみが後しりに跟つきて來こよ」、といひつゝ軈やがて身を起して、かき合あはせたる衣きめの前、うしろ結びの帶の端はし、推拊おしなでながら竹緣ちくえんに、出いづれば額藏をり立たちて、板金剛いたこんごうを取とりすえたり。龜篠裳かめさゝもすそを引揚ひきあげて、納戶なんどの方かたを見かへりつ、「ちよと往いて還かへり侍はべらん」、といふに夫は頷うなつくのみ、冠かむりはふらぬ苗芋なへいもの、親に劣おとらぬ侄おひの宿やど、背門せどの畠はたけの畻傳くろつたひ、捷徑ちかみちよりぞ進みける。


【挿絵の説明】「額藏がくざうを將いて亀篠かめさゝ犬塚いぬつかが宿所しゆくしよに到いたる」「がく蔵」「かめさゝ」「せ介」「ぬか介」「しの」

 かくて龜篠は、信乃しのが宿所へ赴おもむきて、常にもあらずうちほゝ笑み、「信乃よ。さこそは徒然つれつれならめ。所要しよえうなければ得えも訪とはず、きのふけふの步みちが親ちかさに、何しに來つると思はれん。けふは別べちの議にも侍らず、この額藏がくざうが事也かし。『情由わけはしらねど機嫌きげんに悖さかふて、使つかはるゝことのなければ、虛病起そらやみおこして還かへりし』、と|明々地あからさまに人に吿つぐるを、聞きゝては伯母をばがこゝろも濟すまず。よしや昔は疎うとくとも、今は親したしき甥なり伯母なり。小厮こものに水を煞さゝれつゝ、飯いひの中うちなる湯麥ゑましむぎ、奧齒に物が夾はさまりては、心かゝりに侍るかし。蟇六ひきろくどのも腹立はらたてて、額藏をいといたう、叱懲しかりこらし玉ひしかば、渠かれは忽地たちまち非を悔くひて、『勸解わびしてたべ』、とうち泣なきにき。よりて再び將いて來たり。心つきなき事のみなめれど、足らぬ處は云云しか〳〵、と敎諭をしへさとして使つかはれんは、渠かれが爲に幸ひ也。伯母も歡よろこびこのうへなし。こゝへ出いでよ」、と見かへれば、額藏愧はぢたる面色おもゝちして、頭かうべを掻かきつゝ小腰こひざを勸すゝめ、「今阿家おへざまの宣のたまふごとく、心に物のあるにあらねど、朝あしたの炊かしきもさせ給はず、墨すみつきわろき鍋なべの尻しり、用なく居すえて置おかれし故ゆゑに、頭顱病かしらやまして候ひき。それも己おのれが愚おろかなる、僻ひかみこゝろに候はん。許させ給へ」、と勸解わびにけり。これらのよしは豫かねてより、諜しめし合せし事なれば、信乃は此彼聞これかれきゝあへず、うち驚きたる面色おもゝちして、「こは思ひかけもなき。勸解わびらるゝよしあらんや。親の在ゐまそかりし日より、薪水にたきの事わざにはわれも熟なれたり。資たすけの人はあらでもと、思ひおもはず疎々うと〳〵しく、もてなしたるか、それすら覺おぼえず。かゝる事より母屋おもや御夫婦、御みこゝろにかけられんは、皆是これおのが罪にこそ。疎意そゐあるべくも候はず」、といふに龜篠うち笑ゑみて、「しからんにはおちゐたり。中直なかなほりせし事なれば、額藏を留とゞめおきて、背介せすけをば返したまへ。これに就つきても亡人なきひとの、忌果いみはつるまで二𩋡ふたさやの、家を隔へだてで俟まちあかさば、よろづ不便ふべんに侍るかし。願ふは五七の忌日きにち限りに、おん身を母屋へ養やしなひとらば、後うしろやすく侍りなん。蟇六とのも初はじめより、しかせまほしく思ひ給へど、おん身が心を汲くみかねて、月日のたつを待まつにこそ。いぬるは否欤いなか、いかにぞや」、と問とはれて信乃は嘆息し、「白屋くさのやながら住すみなれし、親を思へば今更に、離れがたくは侍れども、四十九日も別れはおなじ。百日をるともその期ごにならば、なほ去さりがたく侍るべし。おのが心の隨まゝにして、物を思はせ奉たてまつらば、日を過すぐすほど罪ふかゝり。ともかくも計はからひ給へ。仰おふせに悖もとり候はじ」、と愉こゝろよく諾うけひしかば、龜篠かめさゝふかく歡よろこびて、「呼賢々々あなかしこ〳〵、聞きゝわけたりな、よき子ぞや。然しからば五七の逮夜たいやには、鄰ちかき里人さとびとを招きよせて、佛ほとけの爲に物を態進ふるまひ、その次の日に戶を鎖さして、おん身は母屋おもやへ移り給へ。詞敵ことばがたきにならずとも、女兒むすめ濱路はまぢも侍るかし。渠かれをばおん身が妹いもととも、お上かみざまとも見給ひね」、といひつゝ獨ひとりうち笑へば、信乃は呆あきれて應いらへせず。龜篠いよゝ機嫌よく、指僂ゆびかゞなへてうち點頭うなつき、「なき人の三十五日は、けふより僅はつかに四日が程なり。蟇六ひきろくどのにも歡よろこばせ、翌あすより逮夜たいやの准備てあてせん。さらば吾儕わなみは罷まかるべし。額藏よ、每事ことことに、こゝろを付つけてよく仕へよ。いはれしことを忘るゝな。信乃もよろづに心くまなく、火なれ水なれ使ひ給へ。最上もがみの川に曳ひくといふ、いな舟漕ふねこがば乘のぼし蒐かゝつて、打懲うちこらすともけしうは思はず。彼背介奴あのせすけめは背門せどにやをる。額藏を將いて來つれば、おのれは供ともして母屋へ還かへれ。をらずやいかに」、と呼立よびたつれば、「こゝに侍はべり」、と庖湢くりやなる、障子せうじをやをら引開ひきあくれば、「こな男が落著㒵おちつきがほなる。其處そこにをりつゝ鈍おぞましや。門かどへ出いでよ」、といそがして、そがまゝ立つを止とゞめあへず、信乃はいそしく席を避さけ、「日はいと長く侍るなる。今且しばらく語かたらせ給へ。飪にばなの素湯さゆも沸侍わきはべる」、といへば頭かうべをうち掉ふりて、「茶をたうべてをる間ひまは侍らず。曲突下くどもとの麁朶そだ、麥の出納だしいれ、片晌かたときをらねば損多かり。又こそ來こめ」、といひかけて、出いづるを送る信乃額藏、腹にかえつゝ出いでてゆく、背介は緣えんに手を突つきて、信乃に別わかれを黃楊樹つげのきの、刈込伸かりこみのびし庭を出いづる、主しゆうの老女おうなに引ひきそふたり。

 且しばらくして額藏は、外面とのかたへ立出たちいでて、母屋おもやのかたをうち眺ながめ、左邊右邊ゆんでめてを見かへりつゝ、片折戶かたをりとを楚しかと閉たて、舊もとの處に對坐むかひをりて、莊官夫婦せうくわんふうふにいはれし事、又わがいひつる事の趣おもむき、竊ひそかに信乃に吿つぐるになん、信乃は頻しきりに嘆息し、「親の爲には中わろくとも、異母はらかはりの姉いろねなり。又わが爲にも只一人たゞひとりの、伯母をばとおもへば今さらに、蓬きたなき心あるべしやは。さるをとにかく疑ふて、讐敵あたかたきの如ごとおもはれては、長き月日をいかにして、彼方かのかたざまに送らるべき。寔まことに進退究きはまりぬ」、といひかけて又嘆息す。額藏これを慰めて、「さればこそ其事そのことなれ。伯母御夫婦は慾よくのみなり。只たゞ利の爲に骨肉こつにくの愛を忘るゝ情ぜうを知らば、邪氣じやきを避さくるに何かあらん。われ又おん身が影に添ふ、返間はんかんの謀はかりごと、その緍いとくちは釋懸ときかけおきつ。かゝれば只たゞいつまでも、おん身と吾儕わなみは昵むつましからず、その志こゝろざしあはざるもの、と思はるゝにますことなし。さるときは某それがしが、いふ事每ことごとに信用せられん。九石くせきの弓も張ることの、久しければ弛たゆむといはずや。彼人々かのひと〳〵に害心がいしんありとも、おん身が心の信まこともて、柔じふよく剛がうを受うけ給はゞ、伯母御が邪慳じやけんの角つの折れて、終つひには慈母ぢぼとなることあらん。よしや其處そこまでならずとも、彼方かのかたざまに身を投掛なげかけて、そのせんやうを見給へかし。こゝにて物を思ふとも、その期ごの役にはたちかたし。心陜せまし」、と諫いさむれば、信乃は忽地感悟たちまちかんごして、おもはずも莞尒につこと笑ゑみ、「人の才さえには長短あり。われ只一歲ひとつの弟おとゝなれども、おん身に及ばざる事遠かり。伯母にこの身を寄よすること、原是もとこれ親の遺言ゆいげんなれば、吉凶は只たゞ運に任まかせん。軈やがて母屋おもやに移りては、膝ひざを合あはして腹心ふくしんを、相語かたらふことは難かたかるべし。なほ後々のち〳〵の事までも、敎をしえあらば示し給へ」、といへば額藏頭かうべを拊なで、「わが才さえ、おん身に及およばねども、俗よにいふ岡見八目おかめはちもく也。素もとより智嚢富ちなうとみ給へば、機きに臨のぞみ變へんに應おふじて、禍わざはひを避さけ給へ。われ又竊ひそかに盾たてとなりて、笑ゑみの中うちなる刃やいばを禦ふせがん。努ゆめ祕すべし」、と密語さゝやきつ、示し合あはする思慮遠謀しりよゑんぼう、現一雙げにいつさうの賢童けんどうなり。

 さる程に、番作ばんさくが、三十五日の逮夜たいやになりつ。龜篠等かめさゝらはきのふより、羹しるに膾なますの用意して、碗家具わんかぐさへに母屋おもやより、運ぶ小厮こものが幾戾いくもどり、寔まことに足は擂棒すりこぎも、出いでて働く臺所だいどころ、物大おほかだに整へば、はや黃昏たそがれになりにけり。

 この日も信乃は亡親なきおやの、墓參りせし敍なへに、菩提院ぼだいいんなる法師はうしを伴ともなひ、遽いそがはしく立たちかへれば、法師は家庿ぢぶつにうち對むかひ、木魚敲もくぎよたゝきて看經かんきんも、一ト口茄子くちなすびで澄汁すましじる、料供れうぐの菜さいを數へてをり。浩處かゝるところに糠助等ぬかすけら、里人夥詣來さとびとあまたまうきつゝ、寒暖さむしあつしの時宜口誼じぎこうぎ、或あるはなき人の事いひ出いでて、「昨きのふけふのやうなりし、三十五日に當りたまふ欤か。無常迅速むじやうじんそく、はやいものなり。思へば浮世は夢助ゆめすけどの、孰いづれもお詰つめなされずや」、「然しからば御免。さりながら、あまり上坐せうざで不躾ぶしつけ*千萬せんばん」、「|扠々さて〳〵遠慮に及ばぬ事、お手を取とらふ欤か」、「これは迷惑、鐮平かまへいぬしはお年役としやく」、「さ宣のたまふな。六十の筵破むしろやぶりといふことあり。鍬鞆把くはづかとつても若衆わかいしゆに、一ト畝せと後おくるゝことにはあらず。佛ほとけには別懇べつこんなりし、糠助ぬかすけどのこそ上客せうきやくなれ。お坐ざをなされ」、と起たちつ居ゐつ、謙退辭讓散動けんたいぢじやうどよめきて、稍二側やゝふたかはに坐ざを占しむれば、信乃が手づから竝居ならべすえる、飯いひに中酒ちうしゆに、挨拶紛紜あいさつふんうん、由斷ゆだんを見濟みすまし額藏が、碗わんを奪うばふて浮盛しひもりは、鼻に支つかへて又胸に、支つかえぬ爲にと汁破しるかけて、半減なかばへらして息を吻つく、下戶げこの恨みを冷笑あざわらふ、宗旨違しうしちがひの上戶客じやうごきやく、法師を上坐しやうざに六歌仙ろくかせん、歌膝崩うたひざくづして囂々ぎやう〳〵たり。

 時分じぶんを計りて蟇六ひきろくは、緣頬えんかはより遶めぐり來きて、上座かみくらの障子推せうじおしひらき、「孰いづれも揃そろふて、よく來ませし。進まゐらするものはなけれど、窕くつろぎて相譚かたらひ給へ」、といひつゝ進みて席に著つき、手首たなくび入れて引伸ひきのばす、袴はかまの襞䙡ひだも菱織ひしおりの、いとゞ稜かどある主態あるじぶりに、衆皆齊一箸みなみなひとしくはしを措おき、「思ひかけなき御饗應ごけうわふ、鎧武者よろひむしやにはあらねども、屈伸のびこゞみすら不自由に、額ぬかつくことのならぬまで、下くだされて候」、と一人ひとりがいへば、皆咄どつと、笑ひに堪たへず噴散ふきちらす、飯粒膳めしつぶぜんに花雪吹はなふゞき。「これは〳〵」、とばかりに、拾ひらふに餘る粒々辛苦りう〳〵しんく、背門せどの雀すゞめがまだ宿ねずは、助すけてくれよと喞かこちけり。かゝりけれ共蟇六は、苦切にがみきつて見もかへらず、且しばらくしてさていふやう、「各位おのおのにしらるゝ如く、わが妻は舊もとの地頭ぢとう、大塚匠作おほつかせうさくぬしの嫡女ちやくぢよにて、番作ばんさくが姉なるに、嘉吉かきつの結城合戰ゆふきかつせんに、その家一旦滅亡いつたんめつぼうして、子孫しそん民間に落おちて後のち、再興せしは龜篠かめさゝが、綠に繁つながるわが功也。こはいはでものことながら、死せりと聞きゝし、番作が、妻を將いて還かへりしかば、いかで所領しよれうを引ひきわけて、莊官せうくわんさへに讓らん、と思ふ甲斐かひなき蹇人あしなへひと、身の不自由に心さへ、直なほからねばや、訪とひも來こず、姉を恨めば、われをばなほ、讐敵あたかたきの如罵ごとのゝしるのみ、生涯物をいはざりしを、心うしとは思ひしかど、有繋さすがに役義やくぎ重ければ、こなたより手をさげて、勸解わびするよしのあらずかし。しかるに各位渠おのおのかれを憐あはれみ、搆こうを結びて錢ぜにを集め、家を購あがなひ、田園でんはたを、隸つけて生涯養やしなはれしは、舊ふるきをおもふ義なり信なり。われ口へこそ出いだしていはね、酸鼻なみだぐむまで辱かたじけなく、年來としごろ感嘆淺からず。しか思ひつゝ各位おのおのに、口誼こうぎを述のべぬは役義のかなしさ、些すこしは推量せられよかし。これは是過これすぎにし事、彼偏意地かのかたゐぢを立たてとほして、墓はかなくなりし番作が、黃泉よみぢの迷ひは信乃のみならん。この孤みなしごを養ひとりて、人となさずは先祖へ不孝、われ亦また人といはれんや。よりて龜篠と相譚かたらひつゝ、渠かれが親の果はてにし日より、小厮等こものらを册かしつかせ、迭代かたみかはりに夫婦をり〳〵、步あしを運び、心を添そえて、五七の逮夜たいやのけふが日まで、等閑なほざりにせざる事は、各位おのおのも知しりてぞあらん。しかはあれども十五にも、足らざる甥おひをいつまでか、手はなちてこゝに置おくべき。翌あすは母屋おもやへ迎へとりて、遖丈夫あはれをとこに守育もりそだて、女兒濱路むすめはまぢを妻めあはして、大塚氏おほつかうぢの世嗣よつぎとすべし。就つきては彼番作田かのばんさくたは、各位おのおのに返さん欤か、又信乃に與あたへん欤か」、と問とへば衆皆頭みなみなかうべを擡もたげ、「そは宣のたまはするまでもあらず。親の物は子に讓る、貴賤きせん上下の差別けぢめなし。件くだんの田園たはたの主ぬしといふは、こゝの息子むすこの外ほかになし。吾們われわれがなんでふすべい。よきに計はからせ給ひね」、といふに蟇六ひきろくうち笑ゑみて、「しからば信乃が成長ひとゝなるまで、沽券こけんは某領それがしあづかる也。又この家は床ゆかを拂ふて、彼かの番作田の稻城いなきとせん。各位おのおの承知せられよ」、と信まことめかしておのが田へ、引くとはしるや水飮百姓みづのみひやくせう、顏見あはして應難いらへかぬれば、庖湢くりやのかたより龜篠かめさゝは、相槌擊あひつちうたんと進み入りて、信乃がほとりに推竝おしならび、「けふの佛はとまれかくまれ、この子は吾儕わなみが壻むこなり子なり。子を擧もたぬものは人の子を、養ふてすら慈いつくしむに、缺替かけかえのなき侄おひに讓る、田園役義たはたやくぎもあるものを、彼あの番作田を何なににかせん。信乃も如此しかこゝろ得給へ、翌あすよりしてわが宿やどの、竈かまどの下の灰までも、果はてはおん身みが物なりかし。憎しと思ひし弟おとゝでも、今かうなりては最惜いとをしきに、東を見ても、西見ても、伯母をばより外ほかに親類なき、この子の久後想像ゆくすゑおもひやれば、襁褓むつきの中うちより字はぐゝみし、濱路にまして不便ふびん也。可愛かわいくはべり」、といひかけて、頻しきりに拭ぬぐふ袖の雨、降るとは見えて濡ぬれざりけり。龜篠に泣立なきたてられて、諸鼻もろはなうちかむ里人等さとひとら、思はず齊一ひとしく嘆息し、「寔まことに親しんは憂苦會なきよりにて、人の誠まことを今ぞ知る。伯母君きみの述懷じゆつくわいは、逮夜たいやの追善ついぜんこの上なし。番作とのゝ御子息ごしそくを、壻むこがねにと宣のたまはするを、一鄕いちごうの人大おほかた聞きけり。かくては何なんでふ疑ふべき。件くだんの田園たはたは莊官大人せうくわんうし、且しばらく管領くわんれうせられん事、勿論もちろんに候」、と異口同音もろごゑに應いらへしかば、蟇六龜篠歡びて、汁の冷ひえたるを盛もりかえさせ、盃さかつきを勸すゝめ、飯いひを浮しひて、款待もてなしはじめに彌いやましたり。

 かくてその夜よ、初更しよこうの比ころ、響膳けうぜんやうやく果はてしかば、法師は布施ふせの二杖頭ふたさしぜに、臍へそのあたりヘヘし込こみて、立尻たつしりに跟つく莊客們ひやくせうはら、皆謝辭よろこびを述竭のべつくし、漸々しだいに出いづる門廻向かどゑこう、紙燭しそくも法のりの燈火ともしびと、後おくれ先さきたつ一ト口念佛くちねぶつ、「南無阿彌反畝なむあみたんぼで輾こけるな」と、上戶じやうごを扶たすけてかへり去ゆく。迹あとはさながら大風おほかぜの、凪なぎたる如く蕭しめやかに、洗ひ淨きよめて拭ぬぐひ納いるゝ、五器ごきの音のみ聞えけり。

 かくてその詰朝あけのあさ、信乃は亡父母なきちゝはゝの、墓に香花手向かうはなたむけんとて、菩提院ぼだいいんへ赴おもむきしに、還かへるをまたで蟇六夫婦ひきろくふうふは、小厮等こものらを駈立かりたてて、犬塚が家の調度ちやうどを取運とりはこばせ、竈下かまもとの物、席薦戶障たゝみたてぐは、物大おほかたに沽卻うりはらひて、はやく空房あきやにしたりけり。信乃はかうともしらずして、わが宿やど近くかへり來る、道次みちのほとりに立在たゝずむものあり。と見れば是額藏これがくざうなり。裳もすそを高く端折揚はしをりあげて、糾襷なはたすきさへ精悍かひかひしく、煤すゝに汚よごれし額ひたひの汗を、推拭おしぬぐひたる爲體ていたらく、こゝろ得かたく思ふになん、「こは何事なにわざをしつるに欤か」、と問とひつゝ走り近つけば、額藏後あと方べを見かへりて、「今朝けさしもおん身が出いで給ひてより、まだいく程もあらざるに、莊官殿せうくわんとのが人を將いて來きて、宿所の調度を取運とりはこばせ、或あるひは沽卻うりはらひなどせられしかば、吾儕わなみも夫役ぶやくに駈かりとられて、見給へ、歲暮せいぼに煤掃すゝはく如く、手も足もかくの如し。今やうやくに事果ことはてたり。腹は立たゝんが堪忍たへしのびて、直たゞに母屋おもやへ赴き給へ」、といはれて信乃は呆あきれ果はて、「かねて覺期かくごの事なれ共、親の五七の忌日きにちなる、けふ一チ日を過すぐすとも、まだ遲からぬ事なるに、かう急いそがれしは衆人もろひとの、變へんをおそるゝものなるべし。長物ながものかたり、人もやしらん。疾とくゆき給へ」、と先に立たゝして、徐しづかに進むわが宿を、見過みすぐしかたく立たちよれば、外よその垣根かきねに異ことならぬ、杜仲まゆみ折られし庭面にはもせに、いることかたき門かどの鎖じやう、さすが名殘なごりの惜をしければ、誰たれは留とめねど愀然しうぜんと、且しばらく其處そこに立在たゝずみつ、彼與四郞かのよしらうを埋うづめたる、梅樹うめのきのほとりを見ても、只愛惜たゞあいじやくの袂たもと露けし。「いでや渠かれが爲にしも、窣都婆そとはを建たてん」、とひとりごちて、短刀のたちに著つけたる刀子さすがを拔ぬきとり、梅の幹みきを推削おしけづりて、墨斗やたての筆を拔ぬき出いだし、「如是畜生發菩提心によぜちくせうはつぼたいしん、南無阿彌陀佛なむあみだぶつ」、と寫しるしつけて、筆を納おさめて、佛名ぶつめうを、十遍へんばかり唱となへたり。

 さてあるべきにあらざれば、そがまゝ伯母をばの宿所に到れば、蟇六龜篠待かめさゝまちつけて、「呼あな、信乃欤か、はやかりし。疾とくこなたへ」、と招きよせ、「そなたが寺より罷まかりて後のちに、とり拂はらはんと思ひしかども、さでは一ト日に物方著ものがたつかず。憖なまじいにおん身に見せては、歎なげき彌いやますこともや、と心いそぎのせられし隨まゝに、舊もとの宿所を空拂あけはらはして、家廟ぢぶつ*はこなたと一處ひとつにしたり。けふよりこゝはおん身が家也。昨夕よんべもいひつる事ながら、おん身が廿歲はたちにならん比ころ、濱路はまぢを妻あはして二代の莊官せうくわん、我等われらは背門せどへ隱居して、左團ひだりうちわで消くらす日を、いと待まちわびしく思ふのみ。濱路々々」、と呼立よびたてて、夫婦が間あはひに推おしすえつ、「まだ熟なれやかに物いはせねど、間近まちかくをれば相識ちかつきの、信乃はそなたと從兄弟いとこどち、けふよりこちの子にしたり。大きくなりてはそなたの良人をつと、等ひとしく背丈引伸せたけひきのばして、はやく夫婦にして見たし。睦むつましくし給へ」、と說とき示しめされて恥はなじろむ、濱路はをさな友鵆ともちどり、堪たへずやそが侭衝まゝつと立たちて、屏風びやうぶのうらに躱かくれけり。信乃はよろづに由斷ゆだんせず、甘き言葉はわが身の毒、とおもへば絕たえて耳にもかけず、殆困ほとほとこうじ果はててをり。龜篠かめさゝこれを誘引いざなひ立たてて、西面にしおもてなる一室ひとまに赴おもむき、「こゝをおん身が子舍へやにせん。讀書手習怠とくしよてならひおこたり給ふな。所要あらば額藏まれ、濱路まれ使ひ給へ。遠慮ふかきも處ところによる。いつまで欤かうひ〳〵しき。うち解とけ給へ」、と慰めて、他事たじもなげにぞ管待もてなしける。

 かくて三伏さんふくの夏過すぎて、秋の初風はつかぜたつ比ころに、信乃は親の忌いみは果はてたり。これより先に龜篠は、信乃が女服をんなぎぬなるを、男衣をとこきぬに縫更ぬひあらため、この日、城神庿うぶすなのやしろに參らするに、年は尙なほ十一なれども、人なみに倍ます身長たけなれば、十四五歲の童わらべと見ゆめり。「けふ祝ことほぎの赤飯序あかいひついでに、額ひたひの隅すみを取らし給へ」、と豫かねて夫に勸すゝめしかば、蟇六ひきろくこれに從ひて、元服げんふくの儀をとり行ひ、よに疎略そりやくなく見えしかば、年來としころ憎みし、里人等さとびとらは、この老狸ふるためきに欺あざむかれて、いと憑たのもしくおもひけり。これらの事も信乃は只たゞ、そがいふ隨まゝに悖さからはず、女服をんなきぬを更あらためて、凡常よのつねに從ふ事は、父番作が遺訓いくんに稱かなへば、親の明察恭かたじけなく、思ふにつけて形あぢきなき、身の久後ゆくすゑを定めかねたる。


【挿絵の説明】「青梅か香は亦花にまさりけり/巳克亭鶏忠」「犬川がく蔵」「犬塚信乃」

 けふと暮れ、翌あすと明あかせば、いとゞ今茲ことしを果敢はかなく送りて、次つぐの年の春三月やよひ、俟まつとはなしに亡親なきおやの一周忌を迎へしかば、逮夜たいやには家庿ぢぶつに籠こもりて、父母ふぼの冥福めうふくを祈るの外ほかなし。明日あけのひ信乃が墓參りの從者ともひとには、龜篠豫かねて分付いひつけて、額藏を遣つかはしたれども、外よその聞きこえを憚はゞかれば、通途みちすがらとて物かたりせず、寺へ詣まうでて共侶もろともに、その墓を洗淨あらひきよめ、水を汲み入れ、花を手向たむけて、主從廻向しゆうじゆうゑこうに時を移せば、淚ぞいとゞ進みける。

 かくてそのかへるさに、宿所近くなるまゝに、信乃はわが舊宅ふるいへの、棟むねをつく〳〵うち眺望ながめ、「遠くもあらぬ程なれども、一トたび住すまずなりてはや、期月むかはりつきに鄰となりたり。かはらぬ物は八重葎やへむぐら、庭の草木くさきを見てゆかん」とて、傾頽かたふきくづれし片折戶かたをりとを、推おして主從しゆうじゆう進み入いる、檐のきに昔をしのぶ草ぐさ、柱斜はしらなゝめに壁落おちて、藁わらの外ほかに物もあらず。現げに人去さりて趾あとのみあり。物變りて訪とふに由よしなし。これすら淚の媒なかたちなるに、去歲こぞのその月與四郞よしらうが、後のちの世よの爲、幹みきを削けづりて、如是畜生によぜちくせう云云しか〳〵の、經文きやうもんを書かきつけたる、梅は殊更ことさら茂りつゝ、その削痕きずは瘥いえ、文字もんじは滅きえて、靑梅子夥生あをうめあまたなりにけり。「この梅樹うめのきの下もとに埋うづめし、彼狗かのいぬが肥こやしになりし欤か。この花薄紅梅うすこうばいなれば、子みの䕻つくことは稀まれなりしに、枝每えだごとに斯締子かうとまりしは、これぞ今茲ことしがはじめなる。彼あれ見給へ」、と指させば、額藏がくざうもすゝみ寄りて、つく〳〵とうち瞻ながめ、「吁あなめでた。この梅は、その條每えだごとに八やつつゝ生なりぬ。世に八房やつふさの梅といふもの、ありとは聞きけど罕まれにも見ざりき。こは八房に候はん」、といはれて信乃は心つき、「寔まことにこれは八房也。わが物ごゝろを知る比ころより、斯條每かうえだごとに八生やつなることは、聞きゝも傳へぬことなりかし。畜生ながら主しゆうを知る、彼かの與四郞が名にし負おはゞ、四房よつふさにこそ生なるべきに、八房なるはいかにぞや」、といひかけて又と見かう見て、「奇なるかな。こは八房なるのみにはあらず。見給へ、實每みごとに模樣もようあり。何なににか似たる」、と枝引ひきよせて、その實を取とりて共侶もろともに、掌たなそこに乘せ、日影ひかげに向ひて、見れば自然しぜんと文字もんじあり。一箇ひとつは仁じん、一箇ひとつは義ぎ、この他、禮智れいちの文字もんじあり。又忠信孝悌ちうしんこうていの四个字しかじあり。その實每みごとに一字つゝ、顯然げんぜんとして讀よまれたり。こゝに至いたりて兩賢童りやうけんどうは、毛骨竦みのけたつまで驚嘆し、「幹を削りて寫しるしつけし、如是畜生云云によぜちくせうしか〳〵の、八やつの文字もんじは消滅きえうせて、今又その實に仁義禮智、八行はつこうの文字もんじあり。こは〳〵いかに」、とばかりに、なほ疑ひは釋とけざりけり。且しばらくして額藏は、膚護はだまもりの嚢ふくろなる、祕藏ひさうの玉を取出とりいだし、「君子わくごこれを見給へかし。梅の實と、この玉と、その形相似かたちあひにたり。その文字もんじも異ことならず。こは故ゆゑあるべき事なれども、曉さとりかたく候」、といふに「有理げにも」、とわれも亦また、護身嚢まもりふくろに祕ひめおきし、玉をとう出でてあはせ見るに、その小大おほきさも、文字もんじも等し。「寔まことに然さなり。因欤いんか、果欤くわか。玉といひ、梅といひ、符節ふせつをあはせてます〳〵奇也。試みに推おすときは、この玉、原もとは八顆やつありて、仁義八行じんぎはつこうの文字もんじを具足ぐそくしたるにや。しからば遺のこれる六むつの玉、世になしといふべからず。この梅奚なんぞ八房やつふさに生なりたる。この玉と、この梅子うめのみに、顯あらはれたる文字何もんじなんぞ等ひとしき。問へども草木非常さうもくひじゃうなり。叩たゝけども玉石答ぎよくせきこたへず。必かならずしも因緣いんえんあらば、後のちに思ひあはせんのみ。人は只たゞ奇を好むもの也。人おのづからしらば知れ。われからこれを吿つぐべからず。努ゆめ祕すべし〳〵」、と密語さゝやきあふて、その八房の梅子うめのみを、紙に捻ひねりて玉もろ共ともに、各嚢おのおのふくろに納おさめつゝ、荒あれたる庭を走り出いでて、軈やがて宿所に還かへりけり。

 さればその年皋月さつきの比ころ、件くだんの梅の熟じゆくせしとき、蟇六ひきろくが家の小厮等こものちはさらなり、近き里さと人等ひとらは、はじめてその八房なるを見著みつけつゝ、世にめづらかなることなりとて、あるじ夫婦に吿つぐるもあり、又彼此をちこちに語りつぎて、風聞ふうぶん高くなるものから、その梅熟じゆくするに及びては、彼八行かのはつこうの文字もんじは滅きえたり。この故ゆゑに里人等は、只たゞ八房を賞するのみ、文字もんじの事はしるものあらず。是これよりして每歲としことに、その實は八宛生やつつゝなりけれども、文字もんじはこの春のみにして、後のちには竟つひに顯あらはれず。されば蟇六龜篠かめさゝは、これらのよしを聞きくといへども、風雅みやびのうへに疎ければ、花果はなくだものの樂たのしみを念こゝろとせず、只彼梅子かのうめのみの多かるを歡よろこびつゝ、年々とし〳〵に鹽藏しほつけにして、酒しゆ食しよくの菜さいに充みつるのみ。この梅漸々しだいに人に知られて、名木めいぼくになりしかば、與四郞よしらうが事さえ聞えて、八房の梅、與四郞塚つかとて、故老ころうの口碑こうひに傳へたれども、後年數度こうねんすどの兵火ひやうくわに係かゝりて、梅は枯れ、塚は鋤すかれて、今はその蹟あとも得認えとめず、只彼猫又橋たゞかのねこまたはしのみ遺のこれり。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第二十一回)

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