南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十一回・序など
東都 曲亭主人 編次
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【見返】
里見八犬傳第三輯
曲亭馬琴あらはす/柳川重信畫
全五册
書肆/山靑堂
【目録】
南總里見八犬傳第三輯總目録
巻之壹 第二十一回
額藏間諜信乃を全す。 犬塚懐舊青梅を觀る。
同巻 第二十二回
濱路竊に親族を悼む。 糠助病て其子を思ふ。
巻之貮 第二十三回
犬塚義遺託を諾く。 網乾漫に歌曲を賣る。
同巻 第二十四回
軍木媒して荘官に説く。 蟇六偽りて神宮に漁す。
巻之参 第二十五回
情を含みて濱路憂苦を訟ふ。 奸を告て額藏主家に還る。
同巻 第二十六回
權を弄びて墨官婚夕を促す。 殺を示して頑父再醮を羞む。
巻之四 第二十七回
左母二郎夜新人を豪奪す。 寂寞道人見に圓塚に火定す。
同巻 第二十八回
仇を罵て濱路節に死す。 族を認めて忠與故を譚る。
巻之五 第二十九回
雙玉を相換て額藏類を識る。 両敵に相遇て義奴怨を報ふ。
同巻 第三十回
芳流閣上に信乃血戰す。 坂東河原に見八勇を顕す。
統計三十回其第一回第二十回に迄ては既于前板の両輯に録せり
【序文】書下し
八犬傳第三集敍 [著作堂]
門前に狂狗有れば、其酒沽れず。而れども主人は曉らず。猶且つ酒の沽れざるを恨めり。癡情是の若き者。之を衆人と謂ふ。衆人に淸濁有り。猶酒に醥與(と)醠と有るがごときなり。而して淸める者は其の味淡薄。醉と雖醒易し。濁る者は其の味甘美にして。酩酊す。奚ぞ今を思ふ者之衆くして。後を懼るゝ者之寡きや。是の故に。瞿曇氏法を說て以地獄果天堂樂有りと爲(す)。是に於後を思はざる者懼る。又何ぞ耳を貴ぶ者之衆して。目を賤めざる者之寡きや。是の故に南華子物論を齋(ひと)しうして以爭訟を禁めんと爲。是に於耳を貴ひ目を賤む者愧つ。然れども彼の寂滅之敎の若き。媚る者衆して。悟る者彌々寡し。宜なり。其媚る者は。口に經を誦すれども。其義を釋くこと能はず。其迷ふ者は。心に利益を祷れども。之を欲する所以を知らず。凡そ之の如き之禪兜。度すると雖其功有ること無し。昔者震旦に烏髮の善智識有り。因を推し果を辨し。衆生を誘ふに俗談を以し。之を醒すに勸懲を以す。其意精巧。其文竒絕。乃ち方便を經と爲。寓言を緯と爲。是を以其の美錦繍の如し。其甘きこと飴蜜の如し。蒙昧蟻附して去ること能はず。既にして有る所之煩惱。化して屎溺と爲り。遂に糞門を觧脫するときは。則覺ず奬善之域に到り暫時無垢之人と爲ると云ふ。亦竒ならずや。餘少かりし自り愆て戲墨を事とす。然れども狗才馬尾を追て。於閭巷に老たり。唯其の勸懲に於。每編古人に讓らず。敢て婦幼をして奬善之域に到ら使んと欲す。嘗て著す所の八犬傳。亦其の一書なり。今其編を嗣こと三たびにして。刻且に成らんとす。因て數行を簡端に題す。嗚呼狗兒の佛性。無を以字眼と爲。人は則媚て其尾を掉るを愛す。我は則誤て帝堯を吠んことを懼る。冀くは瞽者の爲めに。煩惱狗を獵て以一條の迷路を開かん。閱する者幸に其無根を咎ること勿れ。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱 [馬琴][乾坤一草亭]
【序文】原文
八犬傳第三集敍 [著作堂]
門前有狂狗、其酒不沽。而主人不曉。猶且恨酒之不沽。癡情若是者。謂之衆人。衆人有淸濁。猶酒有醥與醠也。而淸者其味淡薄。雖醉易醒。濁者其味甘美。而酩酊矣。奚思今者之衆。懼後者之寡也。是故。瞿曇氏說法以爲有地獄果天堂樂。於是不思後者懼矣。又何貴耳者之衆。不賤目者之寡也。是故南華子齋物論以爲禁爭訟。於是貴耳賤目者愧矣。然若彼寂滅之敎。媚者衆。悟者彌寡矣。宜。其媚者。口誦經。而不能釋其義。其迷者。心祷利益。而不知所以欲之。凡如之之禪兜。雖度無有其功。昔者震旦有烏髮善智識。推因辨果。誘衆生以俗談。醒之以勸懲。其意精巧。其文竒絕。乃方便爲經。寓言爲緯。是以其美如錦繍。其甘如飴蜜。蒙昧蟻附不能去焉。既而所有之煩惱。化爲屎溺。遂觧脫糞門。則不覺奬善之域暫時爲無垢之人云。不亦竒乎哉。餘自少愆事戲墨。然狗才追馬尾。老於閭巷。唯於其勸懲。每編不讓古人。敢欲使婦幼到奬善之域。嘗所著八犬傳。亦其一書也。今嗣其編三而。刻且成。因題數行於簡端。嗚呼狗兒佛性。以無爲字眼。人則愛媚掉其尾。我則懼誤吠帝堯。冀爲瞽者。獵煩惱狗以開一條迷路。閱者幸勿咎其無根。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱[馬琴][乾坤一草亭]
【口絵説明】
【口絵1】
犬山道節忠與
田單燕ヲ破ル之日/火平原ヲ燎ク/阿難寂ヲ示ス之年/煙兩扞ヲ和ク
劍術の極秘は風の柳かな
犬飼見八信道
【口絵2】
酢もあらばいざぬたにせん/網さかなえびとかにはの/舩で味噌すれ
荘客糠助
大塚蟇六
軒のつまに/あはひの貝の/片おもひ/もゝ夜つられし/雪のしたくさ
奴隷背介
簸上宮六
卻說犬塚犬川の兩童子、信乃額藏は、迭に志を吿、義を結びて、なほ久後を相譚ふ折、跫然と足音して、外面より來るものありけり。信乃は耳を側て、臥目注をしてければ、額藏はやくこゝろを得て、おのが房に退きつ、衣引被ぎて臥す程に、片折戶に掛たりし、引板の鳴子を瓦落めかして、二ッ三ッ四ッうち咳き、「和子よ、宿所にをはする欤。糠助がまゐりたり。恙なきや」、と呼門つゝ、障子の破隙さし覗き、支木朽たる竹緣に、掛くる片臀片胡坐、背ざまに手をつきて、庭の新樹をながめてをり。當下信乃は身を起して、やをら障子を引開つ、「阿爺欤、よくこそ來ましたれ。且こなたへ」、と手箒を、把て塵芥を掃よすれば、見かへりて頭をうち掉り、「いな措給へ、足なり。年々のことながら、蜀魂鳥の啼比は、早稻も晚稻も種浸し、畑に水田と㴱かへす、稼いとなく思はずに、いたく不沙汰をつかまつりぬ。莊官殿より隸られし、童男はいかにぞや」、と問れて信乃は、後方を見かへり、「額藏はきのふより、心地わづらはしとてうち臥たり。風ひきたるにこそとおもひて、賣藥求めて勸れども、早に瘥るべくもあらず」、といふを糠助聞あへず、「そは困じ給ふならん。母屋へいゆきて、よしを吿、餘の人をこして替らせん。さる事あらばきのふにも、などてしらせ給はざる。まだ十五にも足らぬどち、異あらずともおぼつかなきに、爨僕が資にならで、おん身に看病されんとは、鬼のやうなる小父小母御でも、思ひかけなきことなるべし。吾儕に任し給ひね」、とのみこみ、獨囫圇、早合點、麁忽ながらの信ある、辭の端居おち著ずそがまゝ立て外面へ、忙しげに出にけり。
されば又蟇六龜篠は、信乃が爲に朝夕の、薪水の事を資けよとて、小厮額藏を遣しつ、人目ばかりは三四日每に、飯のあはせ物などを、小坏に盛て饋り遣し、又みづからも音つれて、門より安否を問ふものから、その初こそ屢したれ、素より愛する心なければ、植つけ時のいそがはしさに、その事ははやうち忘れて、久しく訪せもせざりしに、この日糠助が來て、云云と吿しかば、龜篠聞て眉を顰め、「この比は人一個を、二人にしても使ひ足らぬに、心なしの丁兒奴が、風ひきたりとていかばかりの、事やはある」、と辷らせし、口を鉗めてうち微笑み、「よくこそ吿て給はりし。ともかくもすべけれ」、と應て糠助をかへしつゝ、軈て夫に相譚へば、蟇六聞て、舌うち鳴らし、「是首と彼首は間近くとも、竃ふたつにしたればこそ、人手かゝりて不便なれ。けふより信乃を呼びとりて、養ふべくは思へども、童でこそあれ親に似て、偏屈兒とおぼゆるに、中陰いまだ果ざれば、承引べくもあらずかし。今霎時の程なれば、孰なりとも遣して、額藏奴と引かえ給へ。眞實々々しげに款待ば、こなたに得の著ことなるに、厭ふことかは。よくし給へ」、と耳語ば點頭つ、一個の老僕を遣して、額藏と替すに、額藏ははや歸り來にけり。氣色を見るに異なることなし。やうこそあらめ、と龜篠は、あるじのほとりに呼び近つけ、「やをれ額藏、汝はきのふより病臥したり、と糠助男が吿たれば、人暇なき折なれ共、そがまゝ措んはさすがにて、代の僕を遺せしに、見れば異なる氣色もあらず。總角どちの狎易く、相撲狂ふて負腹たち、很て作病せしならん。嗚呼の白物かな」、と疾視て、夫婦齊一敦圉ば、額藏|顙に手を推當、「些頭痛はしつれども、うち臥までには候はず。とばかりまうさば橫著也とて、ます〳〵叱らせ給はなん。某彼處へまゐりし日より、とにかく彼子はうち解給はず、『水はわが汲む、汲ずもあれ。炊も吾する、そがまゝ措ね』、とよろづ禁て使れず。四月の天に垂籠て、目比をして日を消せば、困じ果て候ひし。さればとて、逃てかへらば叱られん。おもへば年來打懲して、使せ給ふ主の恩、今やうやくに目が覺ても、起甲斐なさに引被ぐ、衣のうら見の夏虱、獵竭したる虛の病の床は日ごろより、母屋戀しき氣鬱の症。寔に九死一生涯の、智惠を出して呼かへされ、甦生りて候なり。田畑の稼、內外の使、なほ身に入れて仕らん。霎時なりとも犬塚どのに、隸らるゝことばかり、免させ給へ」、と掌を捼て、眞しやかに賠話にけり。あるじ夫婦はつく〳〵と、聞つゝ笑て、迭に見かへり、「龜篠いかに思ひ給ふ。此奴も等しき童なるに、信乃がとにかく心をおきて、出てゆけがしにもてなせしは、そのよしなしといふべからず。云云の事あらば、竊にこなたへ吿はせで、假病して臥ことやはある。そが一生の智惠ならば、鐵錢三文の直うちもなし。こな戲家奴」、と罵れば、龜篠「ほゝ」とうち笑ひ、「さはこれをのみ叱せ給ふな。信乃はなほ總角なれども、心ざまは老つけて、殊に執念、腹きたなく、さる筋のあるものと見き。やよ額藏、よしや氣に入れられず共、日來彼處にをりしかひに、聞つる事はなかりし欤。信乃はこなたをいといたう、怨みてあらん。さもなき欤。樣子を吿よ、いかにぞや」、と𠏹貌して問落す、梓の弦にあらねども、水向られて、虛とは憑らず、「否、目今もまうせし如く、適物をいひかけても、生應のみせられしかば、聞たることは候はず。然れども今は伯母御の外に、よるべなき人なれば、いかでかこなたをうらみ給はん。初には似ず慕しく、思はるゝ事疑ひなし。只某に强面きは、過世の讐欤、さもなくは、氣質のあはざるにもあらん。身にとりて憎るゝ事とて覺候はず」、といへば蟇六うち頷き、「假染の主從にも、五性の相剋ありとかいへば、さる事なしといひ難けれども、假病せしは不覺なり。佶と懲すべく思へども、此度は枉て許すなり。よにいそがはしき折なるに、兩三人が事をもして、その愆を貲ずは、その度に辛きめ見せん。立ね〳〵」、といそがせば、額藏頻りに顙つきて、庖湢のかたへ退きけり。
龜篠霎時目送りて、「わが伕は何と聞給ひし。人の氣質はさま〴〵なり。總角は總角どち、よき友也と歡びて、使れもせん、使ひもせん、と思ふには似ず額藏が、信乃に鬱悒せられしは、一日二日の事ならず。かゝればいたく怨るゝ、惡口を利たる欤。然らずは氣質の合ざるならん。さはおぼさずや」、と耳語ば、蟇六頭を傾けて、「否それのみに限るべからず。信乃はこなたをなほ疑ふて、額藏を隸たるは、隱監ならん欤とて、心放さぬ事もありなん。必しも侮るべからず。額藏が代りには、誰を遣したまひたる」、「誰とて早の事なれば、脊介にいけとて遣し侍り。渠は齡も六十にあまりて、人なみには得働かず。賸此ごろは、三里の灸を爝して、起居も不自由なり。額藏と引替て、損なきものに侍らずや」、といへばしば〳〵うち點頭、「微妙計り給ひにき。しからんには一兩日、遠くは四五日、程を歷て、竊に背助を招きよせ、渠にも信乃が心をおくや、事のやうを問給へ。渠にも心をおくならば、吾儕夫婦を疑ふ也。又額藏をのみ嫌ひて、背助を厭ふことなくは、丁兒一人がうへにして、こなたを疑ふ故にはあらず。事の虛實を撈りて後に、計策はなほあるべし。こゝろ得給へ」、と額を合して、相譚果て起にけり。
さて兩三日經にければ、龜篠は、みづから信乃が宿所へいゆきて、さり氣なく安否を問、事の爲體を窺ふに、信乃は背介を厭ふことなく、背介も亦眞成に、進止ずといふことなし。龜篠、胸に物あれば、なほ四表八表の物がたりに時を移して、今はかうと思ひしかば、吿別してかへり來つ。此とき夫は納戶にをり、折こそよけれ、とほとりにいゆきて、「曩には背介を呼びよせて、竊に問へ、と宣ひしかど、信乃が疑ふこともや、と思ひにければ、吾儕いゆきて、喪中の安否を問がてら、半日あまり彼處にをり、殘る隈なく見究め侍り。その爲體は如此々々也。箇樣々々」、と潛やかに、吿れば蟇六且く尋思し、「さりとて信乃が心ざま、凡庸の少年ならねば、虛と肌膚を見せかたし。まづ額藏を召近つけて、箇樣々々にこしらへ給へ。その事成らば、云云なり。かくの如く計んには、後悔する事あるべからず。氣色に曉られ給ふな」、と言おちもなく說示せば、龜篠只管歎賞し、「現針は細小でも、得呑れずといふ諺は、そこらの事に侍りなん。寔に心逞しげなる、少年なれば用心に、なほ用心をするこそよけれ」、としのび〳〵に相譚ふ折、竹緣を踏鳴らして、障子のあなたを過るものあり。龜篠はいちはやく、「そは額藏にあらずや」、と問へば、「さなり」と答たり。「竊にいふべきことこそあれ。こなたへ入れ」、と呼び止られて、やをら障子を推開つゝ、顏さし入れてついゐたるを、「其處引閇て、こなたへ來よ」、と膝のほとりへ招きよせ、「かう打揃ふて物々しく、いふべき事にはあらねども、折のよければ吿る也。信乃は正しく侄なれども、番作が僻たる、心の鬼を讓り受たる、渠が氣質は汝もしれり。飽までに慈む、伯母を不足に思はずは、そが爲にとて遣せし、人嫌ひすることはあらじ。さらずは汝が口さがなくて、思はず信乃に腹たゝせ、恨みられたる事あらん。そはとまれかくもあれ、世間舅姑の囂しさに、よきもわろきも彼子のうへは、わが口つからいひがたし。この故に只氣を受て、揚足とられぬ用心を、する外にすべはなきぞとよ。汝は六ッか七歲より、生涯使ふ小厮なれば、侄にもましておぼゆるかし。養育し主の恩、大かたならずとしるならば、よしや强面くもてなすとも、終には信乃に馴近つきて、聞くことあらば竊に吿よ。そは苟且の事ならず。信乃をこなたへ呼びとりて、養ふ月日は限りしられず、末いと遙き事なれば、今いふよしを小耳に挾みて、念じて主の爲になれ。よにそれ程の利生はあらん。こゝろ得たりや」、とこしらゆれば、蟇六は髯拔かけし、鑷子を拭ふて頤掻拊、「額藏、汝は果報あり。侄にもまして憑しく、思はずはいかにして、龜篠が此機密を吿べき。かゝれば汝を遣して、亦復背介とかはらせん。しばしの程ぞ辛防せよ」、といへば額藏小膝を捺り、「かくまで思はれ奉る、御恩をいかでか仇にして、いはれし事を忘るべき。前日私語まうせしごとく、犬塚どのはこなたより、外によるべのなき人なれば、野心あるべくもあらねど、ともかくもして馴近つき、おん爲わろき事などを、聞かば竊に吿申さん。これらの事は御こゝろやすく、思召れよ」、と眞たちて、回答をすれば、主夫婦は、いよゝ言葉を甘くして、賺すをしりつゝ賺されて、又彼背介に替らんとて、立んとすれば、龜篠は、遽しく推禁め、「童どちでも背あはせし、彼子の宿所へ獨ゆかんは、今さらに、面ぶせならん。吾儕が後に跟て來よ」、といひつゝ軈て身を起して、かき合せたる衣の前、うしろ結びの帶の端、推拊ながら竹緣に、出れば額藏をり立て、板金剛を取すえたり。龜篠裳を引揚て、納戶の方を見かへりつ、「ちよと往て還り侍らん」、といふに夫は頷くのみ、冠はふらぬ苗芋の、親に劣らぬ侄の宿、背門の畠の畻傳ひ、捷徑よりぞ進みける。
【挿絵の説明】「額藏を將て亀篠犬塚が宿所に到る」「がく蔵」「かめさゝ」「せ介」「ぬか介」「しの」
かくて龜篠は、信乃が宿所へ赴きて、常にもあらずうちほゝ笑み、「信乃よ。さこそは徒然ならめ。所要なければ得も訪はず、きのふけふの步が親さに、何しに來つると思はれん。けふは別の議にも侍らず、この額藏が事也かし。『情由はしらねど機嫌に悖ふて、使るゝことのなければ、虛病起して還りし』、と|明々地に人に吿るを、聞ては伯母がこゝろも濟ず。よしや昔は疎くとも、今は親き甥なり伯母なり。小厮に水を煞れつゝ、飯の中なる湯麥、奧齒に物が夾りては、心かゝりに侍るかし。蟇六どのも腹立て、額藏をいといたう、叱懲らし玉ひしかば、渠は忽地非を悔て、『勸解してたべ』、とうち泣にき。よりて再び將て來たり。心つきなき事のみなめれど、足らぬ處は云云、と敎諭して使れんは、渠が爲に幸ひ也。伯母も歡びこのうへなし。こゝへ出よ」、と見かへれば、額藏愧たる面色して、頭を掻きつゝ小腰を勸め、「今阿家ざまの宣ふごとく、心に物のあるにあらねど、朝の炊もさせ給はず、墨つきわろき鍋の尻、用なく居て置れし故に、頭顱病して候ひき。それも己が愚なる、僻こゝろに候はん。許させ給へ」、と勸解にけり。これらのよしは豫てより、諜し合せし事なれば、信乃は此彼聞あへず、うち驚きたる面色して、「こは思ひかけもなき。勸解るゝよしあらんや。親の在かりし日より、薪水の事にはわれも熟たり。資の人はあらでもと、思ひおもはず疎々しく、もてなしたるか、それすら覺ず。かゝる事より母屋御夫婦、御こゝろにかけられんは、皆是おのが罪にこそ。疎意あるべくも候はず」、といふに龜篠うち笑て、「しからんにはおちゐたり。中直りせし事なれば、額藏を留おきて、背介をば返したまへ。これに就ても亡人の、忌果るまで二𩋡の、家を隔で俟あかさば、よろづ不便に侍るかし。願ふは五七の忌日限りに、おん身を母屋へ養ひとらば、後やすく侍りなん。蟇六とのも初より、しかせまほしく思ひ給へど、おん身が心を汲かねて、月日のたつを待にこそ。いぬるは否欤、いかにぞや」、と問れて信乃は嘆息し、「白屋ながら住なれし、親を思へば今更に、離れがたくは侍れども、四十九日も別れはおなじ。百日をるともその期にならば、なほ去がたく侍るべし。おのが心の隨にして、物を思はせ奉らば、日を過すほど罪ふかゝり。ともかくも計ひ給へ。仰に悖り候はじ」、と愉く諾ひしかば、龜篠ふかく歡びて、「呼賢々々、聞わけたりな、よき子ぞや。然らば五七の逮夜には、鄰き里人を招きよせて、佛の爲に物を態進ひ、その次の日に戶を鎖て、おん身は母屋へ移り給へ。詞敵にならずとも、女兒濱路も侍るかし。渠をばおん身が妹とも、お上ざまとも見給ひね」、といひつゝ獨うち笑へば、信乃は呆れて應せず。龜篠いよゝ機嫌よく、指僂へてうち點頭、「なき人の三十五日は、けふより僅に四日が程なり。蟇六どのにも歡せ、翌より逮夜の准備せん。さらば吾儕は罷るべし。額藏よ、每事に、こゝろを付てよく仕へよ。いはれしことを忘るゝな。信乃もよろづに心くまなく、火なれ水なれ使ひ給へ。最上の川に曳といふ、いな舟漕がば乘し蒐て、打懲すともけしうは思はず。彼背介奴は背門にやをる。額藏を將て來つれば、おのれは供して母屋へ還れ。をらずやいかに」、と呼立れば、「こゝに侍り」、と庖湢なる、障子をやをら引開れば、「こな男が落著㒵なる。其處にをりつゝ鈍ましや。門へ出よ」、といそがして、そがまゝ立つを止めあへず、信乃はいそしく席を避、「日はいと長く侍るなる。今且く語せ給へ。飪の素湯も沸侍る」、といへば頭をうち掉て、「茶をたうべてをる間は侍らず。曲突下の麁朶、麥の出納、片晌をらねば損多かり。又こそ來め」、といひかけて、出るを送る信乃額藏、腹にかえつゝ出てゆく、背介は緣に手を突て、信乃に別を黃楊樹の、刈込伸し庭を出る、主の老女に引そふたり。
且して額藏は、外面へ立出て、母屋のかたをうち眺め、左邊右邊を見かへりつゝ、片折戶を楚と閉、舊の處に對坐りて、莊官夫婦にいはれし事、又わがいひつる事の趣、竊に信乃に吿るになん、信乃は頻に嘆息し、「親の爲には中わろくとも、異母の姉なり。又わが爲にも只一人の、伯母とおもへば今さらに、蓬き心あるべしやは。さるをとにかく疑ふて、讐敵の如おもはれては、長き月日をいかにして、彼方ざまに送らるべき。寔に進退究りぬ」、といひかけて又嘆息す。額藏これを慰めて、「さればこそ其事なれ。伯母御夫婦は慾のみなり。只利の爲に骨肉の愛を忘るゝ情を知らば、邪氣を避るに何かあらん。われ又おん身が影に添ふ、返間の謀、その緍は釋懸おきつ。かゝれば只いつまでも、おん身と吾儕は昵しからず、その志あはざるもの、と思はるゝにますことなし。さるときは某が、いふ事每に信用せられん。九石の弓も張ることの、久しければ弛むといはずや。彼人々に害心ありとも、おん身が心の信もて、柔よく剛を受給はゞ、伯母御が邪慳の角折れて、終には慈母となることあらん。よしや其處までならずとも、彼方ざまに身を投掛て、そのせんやうを見給へかし。こゝにて物を思ふとも、その期の役にはたちかたし。心陜し」、と諫れば、信乃は忽地感悟して、おもはずも莞尒と笑み、「人の才には長短あり。われ只一歲の弟なれども、おん身に及ばざる事遠かり。伯母にこの身を寄すること、原是親の遺言なれば、吉凶は只運に任せん。軈て母屋に移りては、膝を合して腹心を、相語ことは難かるべし。なほ後々の事までも、敎あらば示し給へ」、といへば額藏頭を拊、「わが才、おん身に及ねども、俗にいふ岡見八目也。素より智嚢富給へば、機に臨み變に應じて、禍を避給へ。われ又竊に盾となりて、笑の中なる刃を禦ん。努祕すべし」、と密語つ、示し合する思慮遠謀、現一雙の賢童なり。
さる程に、番作が、三十五日の逮夜になりつ。龜篠等はきのふより、羹に膾の用意して、碗家具さへに母屋より、運ぶ小厮が幾戾り、寔に足は擂棒も、出て働く臺所、物大かだに整へば、はや黃昏になりにけり。
この日も信乃は亡親の、墓參りせし敍に、菩提院なる法師を伴ひ、遽しく立かへれば、法師は家庿にうち對ひ、木魚敲きて看經も、一ト口茄子で澄汁、料供の菜を數へてをり。浩處に糠助等、里人夥詣來つゝ、寒暖の時宜口誼、或はなき人の事いひ出て、「昨けふのやうなりし、三十五日に當りたまふ欤。無常迅速、はやいものなり。思へば浮世は夢助どの、孰もお詰なされずや」、「然らば御免。さりながら、あまり上坐で不躾千萬」、「|扠々遠慮に及ばぬ事、お手を取ふ欤」、「これは迷惑、鐮平ぬしはお年役」、「さ宣ふな。六十の筵破りといふことあり。鍬鞆把ても若衆に、一ト畝と後るゝことにはあらず。佛には別懇なりし、糠助どのこそ上客なれ。お坐をなされ」、と起つ居つ、謙退辭讓散動きて、稍二側に坐を占れば、信乃が手づから竝居る、飯に中酒に、挨拶紛紜、由斷を見濟し額藏が、碗を奪ふて浮盛は、鼻に支へて又胸に、支ぬ爲にと汁破て、半減して息を吻く、下戶の恨みを冷笑ふ、宗旨違の上戶客、法師を上坐に六歌仙、歌膝崩して囂々たり。
時分を計りて蟇六は、緣頬より遶り來て、上座の障子推ひらき、「孰も揃ふて、よく來ませし。進らするものはなけれど、窕ぎて相譚給へ」、といひつゝ進みて席に著き、手首入れて引伸す、袴の襞䙡も菱織の、いとゞ稜ある主態に、衆皆齊一箸を措、「思ひかけなき御饗應、鎧武者にはあらねども、屈伸すら不自由に、額つくことのならぬまで、下されて候」、と一人がいへば、皆咄と、笑ひに堪ず噴散す、飯粒膳に花雪吹。「これは〳〵」、とばかりに、拾ふに餘る粒々辛苦、背門の雀がまだ宿ずは、助てくれよと喞ちけり。かゝりけれ共蟇六は、苦切て見もかへらず、且してさていふやう、「各位にしらるゝ如く、わが妻は舊の地頭、大塚匠作ぬしの嫡女にて、番作が姉なるに、嘉吉の結城合戰に、その家一旦滅亡して、子孫民間に落て後、再興せしは龜篠が、綠に繁るわが功也。こはいはでものことながら、死せりと聞し、番作が、妻を將て還りしかば、いかで所領を引わけて、莊官さへに讓らん、と思ふ甲斐なき蹇人、身の不自由に心さへ、直からねばや、訪ひも來ず、姉を恨めば、われをばなほ、讐敵の如罵るのみ、生涯物をいはざりしを、心うしとは思ひしかど、有繋に役義重ければ、こなたより手をさげて、勸解するよしのあらずかし。しかるに各位渠を憐み、搆を結びて錢を集め、家を購ひ、田園を、隸て生涯養れしは、舊をおもふ義なり信なり。われ口へこそ出していはね、酸鼻まで辱く、年來感嘆淺からず。しか思ひつゝ各位に、口誼を述ぬは役義のかなしさ、些しは推量せられよかし。これは是過にし事、彼偏意地を立とほして、墓なくなりし番作が、黃泉の迷ひは信乃のみならん。この孤を養ひとりて、人となさずは先祖へ不孝、われ亦人といはれんや。よりて龜篠と相譚つゝ、渠が親の果にし日より、小厮等を册せ、迭代に夫婦をり〳〵、步を運び、心を添て、五七の逮夜のけふが日まで、等閑にせざる事は、各位も知てぞあらん。しかはあれども十五にも、足らざる甥をいつまでか、手はなちてこゝに置べき。翌は母屋へ迎へとりて、遖丈夫に守育、女兒濱路を妻はして、大塚氏の世嗣とすべし。就ては彼番作田は、各位に返さん欤、又信乃に與ん欤」、と問ば衆皆頭を擡、「そは宣はするまでもあらず。親の物は子に讓る、貴賤上下の差別なし。件の田園の主といふは、こゝの息子の外になし。吾們がなんでふすべい。よきに計せ給ひね」、といふに蟇六うち笑て、「しからば信乃が成長るまで、沽券は某領かる也。又この家は床を拂ふて、彼番作田の稻城とせん。各位承知せられよ」、と信めかしておのが田へ、引くとはしるや水飮百姓、顏見あはして應難れば、庖湢のかたより龜篠は、相槌擊んと進み入りて、信乃がほとりに推竝び、「けふの佛はとまれかくまれ、この子は吾儕が壻なり子なり。子を擧ぬものは人の子を、養ふてすら慈むに、缺替のなき侄に讓る、田園役義もあるものを、彼番作田を何にかせん。信乃も如此こゝろ得給へ、翌よりしてわが宿の、竈の下の灰までも、果はおん身が物なりかし。憎しと思ひし弟でも、今かうなりては最惜きに、東を見ても、西見ても、伯母より外に親類なき、この子の久後想像れば、襁褓の中より字みし、濱路にまして不便也。可愛くはべり」、といひかけて、頻りに拭ふ袖の雨、降るとは見えて濡ざりけり。龜篠に泣立られて、諸鼻うちかむ里人等、思はず齊一嘆息し、「寔に親は憂苦會にて、人の誠を今ぞ知る。伯母君の述懷は、逮夜の追善この上なし。番作とのゝ御子息を、壻がねにと宣するを、一鄕の人大かた聞り。かくては何でふ疑ふべき。件の田園は莊官大人、且く管領せられん事、勿論に候」、と異口同音に應しかば、蟇六龜篠歡びて、汁の冷たるを盛かえさせ、盃を勸め、飯を浮ひて、款待はじめに彌ましたり。
かくてその夜、初更の比、響膳やうやく果しかば、法師は布施の二杖頭、臍のあたりヘヘし込て、立尻に跟く莊客們、皆謝辭を述竭し、漸々に出る門廻向、紙燭も法の燈火と、後れ先たつ一ト口念佛、「南無阿彌反畝で輾るな」と、上戶を扶てかへり去。迹はさながら大風の、凪たる如く蕭やかに、洗ひ淨めて拭ひ納るゝ、五器の音のみ聞えけり。
かくてその詰朝、信乃は亡父母の、墓に香花手向んとて、菩提院へ赴きしに、還るをまたで蟇六夫婦は、小厮等を駈立て、犬塚が家の調度を取運せ、竈下の物、席薦戶障は、物大かたに沽卻て、はやく空房にしたりけり。信乃はかうともしらずして、わが宿近くかへり來る、道次に立在ものあり。と見れば是額藏なり。裳を高く端折揚て、糾襷さへ精悍しく、煤に汚れし額の汗を、推拭ひたる爲體、こゝろ得かたく思ふになん、「こは何事をしつるに欤」、と問つゝ走り近つけば、額藏後方を見かへりて、「今朝しもおん身が出給ひてより、まだいく程もあらざるに、莊官殿が人を將て來て、宿所の調度を取運せ、或は沽卻などせられしかば、吾儕も夫役に駈とられて、見給へ、歲暮に煤掃如く、手も足もかくの如し。今やうやくに事果たり。腹は立んが堪忍びて、直に母屋へ赴き給へ」、といはれて信乃は呆れ果、「かねて覺期の事なれ共、親の五七の忌日なる、けふ一チ日を過すとも、まだ遲からぬ事なるに、かう急れしは衆人の、變をおそるゝものなるべし。長物かたり、人もやしらん。疾ゆき給へ」、と先に立して、徐に進むわが宿を、見過しかたく立よれば、外の垣根に異ならぬ、杜仲折られし庭面に、いることかたき門の鎖、さすが名殘の惜ければ、誰は留ねど愀然と、且く其處に立在つ、彼與四郞を埋めたる、梅樹のほとりを見ても、只愛惜の袂露けし。「いでや渠が爲にしも、窣都婆を建ん」、とひとりごちて、短刀に著たる刀子を拔とり、梅の幹を推削りて、墨斗の筆を拔出し、「如是畜生發菩提心、南無阿彌陀佛」、と寫しつけて、筆を納て、佛名を、十遍ばかり唱たり。
さてあるべきにあらざれば、そがまゝ伯母の宿所に到れば、蟇六龜篠待つけて、「呼、信乃欤、はやかりし。疾こなたへ」、と招きよせ、「そなたが寺より罷りて後に、とり拂んと思ひしかども、さでは一ト日に物方著ず。憖におん身に見せては、歎き彌ますこともや、と心いそぎのせられし隨に、舊の宿所を空拂して、家廟はこなたと一處にしたり。けふよりこゝはおん身が家也。昨夕もいひつる事ながら、おん身が廿歲にならん比、濱路を妻して二代の莊官、我等は背門へ隱居して、左團で消す日を、いと待わびしく思ふのみ。濱路々々」、と呼立て、夫婦が間に推すえつ、「まだ熟やかに物いはせねど、間近くをれば相識の、信乃はそなたと從兄弟、けふよりこちの子にしたり。大きくなりてはそなたの良人、等く背丈引伸して、はやく夫婦にして見たし。睦しくし給へ」、と說示されて恥じろむ、濱路はをさな友鵆、堪ずやそが侭衝と立て、屏風のうらに躱れけり。信乃はよろづに由斷せず、甘き言葉はわが身の毒、とおもへば絕て耳にもかけず、殆困じ果てをり。龜篠これを誘引立て、西面なる一室に赴き、「こゝをおん身が子舍にせん。讀書手習怠り給ふな。所要あらば額藏まれ、濱路まれ使ひ給へ。遠慮ふかきも處による。いつまで欤うひ〳〵しき。うち解給へ」、と慰めて、他事もなげにぞ管待ける。
かくて三伏の夏過て、秋の初風たつ比に、信乃は親の忌は果たり。これより先に龜篠は、信乃が女服なるを、男衣に縫更め、この日、城神庿に參らするに、年は尙十一なれども、人なみに倍す身長なれば、十四五歲の童と見ゆめり。「けふ祝ぎの赤飯序に、額の隅を取らし給へ」、と豫て夫に勸めしかば、蟇六これに從ひて、元服の儀をとり行ひ、よに疎略なく見えしかば、年來憎みし、里人等は、この老狸に欺れて、いと憑しくおもひけり。これらの事も信乃は只、そがいふ隨に悖はず、女服を更めて、凡常に從ふ事は、父番作が遺訓に稱へば、親の明察恭く、思ふにつけて形なき、身の久後を定めかねたる。
【挿絵の説明】「青梅か香は亦花にまさりけり/巳克亭鶏忠」「犬川がく蔵」「犬塚信乃」
けふと暮れ、翌と明せば、いとゞ今茲を果敢なく送りて、次の年の春三月、俟とはなしに亡親の一周忌を迎へしかば、逮夜には家庿に籠りて、父母の冥福を祈るの外なし。明日信乃が墓參りの從者には、龜篠豫て分付て、額藏を遣したれども、外の聞を憚れば、通途とて物かたりせず、寺へ詣て共侶に、その墓を洗淨め、水を汲み入れ、花を手向て、主從廻向に時を移せば、淚ぞいとゞ進みける。
かくてそのかへるさに、宿所近くなるまゝに、信乃はわが舊宅の、棟をつく〳〵うち眺望、「遠くもあらぬ程なれども、一トたび住ずなりてはや、期月に鄰りたり。かはらぬ物は八重葎、庭の草木を見てゆかん」とて、傾頽れし片折戶を、推て主從進み入る、檐に昔をしのぶ草、柱斜に壁落て、藁の外に物もあらず。現人去て趾のみあり。物變りて訪ふに由なし。これすら淚の媒なるに、去歲のその月與四郞が、後の世の爲、幹を削て、如是畜生云云の、經文を書つけたる、梅は殊更茂りつゝ、その削痕は瘥、文字は滅て、靑梅子夥生にけり。「この梅樹の下に埋し、彼狗が肥になりし欤。この花薄紅梅なれば、子の䕻ことは稀なりしに、枝每に斯締子りしは、これぞ今茲がはじめなる。彼見給へ」、と指させば、額藏もすゝみ寄りて、つく〳〵とうち瞻め、「吁めでた。この梅は、その條每に八つゝ生りぬ。世に八房の梅といふもの、ありとは聞ど罕にも見ざりき。こは八房に候はん」、といはれて信乃は心つき、「寔にこれは八房也。わが物ごゝろを知る比より、斯條每に八生ることは、聞も傳へぬことなりかし。畜生ながら主を知る、彼與四郞が名にし負はゞ、四房にこそ生るべきに、八房なるはいかにぞや」、といひかけて又と見かう見て、「奇なるかな。こは八房なるのみにはあらず。見給へ、實每に模樣あり。何にか似たる」、と枝引よせて、その實を取て共侶に、掌に乘せ、日影に向ひて、見れば自然と文字あり。一箇は仁、一箇は義、この他、禮智の文字あり。又忠信孝悌の四个字あり。その實每に一字つゝ、顯然として讀れたり。こゝに至て兩賢童は、毛骨竦まで驚嘆し、「幹を削りて寫つけし、如是畜生云云の、八の文字は消滅て、今又その實に仁義禮智、八行の文字あり。こは〳〵いかに」、とばかりに、なほ疑ひは釋ざりけり。且して額藏は、膚護の嚢なる、祕藏の玉を取出し、「君子これを見給へかし。梅の實と、この玉と、その形相似たり。その文字も異ならず。こは故あるべき事なれども、曉りかたく候」、といふに「有理」、とわれも亦、護身嚢に祕おきし、玉をとう出てあはせ見るに、その小大も、文字も等し。「寔に然なり。因欤、果欤。玉といひ、梅といひ、符節をあはせてます〳〵奇也。試みに推ときは、この玉、原は八顆ありて、仁義八行の文字を具足したるにや。しからば遺れる六の玉、世になしといふべからず。この梅奚ぞ八房に生たる。この玉と、この梅子に、顯れたる文字何ぞ等き。問へども草木非常なり。叩けども玉石答ず。必しも因緣あらば、後に思ひあはせんのみ。人は只奇を好むもの也。人おのづからしらば知れ。われからこれを吿べからず。努祕すべし〳〵」、と密語あふて、その八房の梅子を、紙に捻りて玉もろ共に、各嚢に納めつゝ、荒たる庭を走り出て、軈て宿所に還りけり。
さればその年皋月の比、件の梅の熟せしとき、蟇六が家の小厮等はさらなり、近き里人等は、はじめてその八房なるを見著つゝ、世にめづらかなることなりとて、あるじ夫婦に吿るもあり、又彼此に語りつぎて、風聞高くなるものから、その梅熟するに及びては、彼八行の文字は滅たり。この故に里人等は、只八房を賞するのみ、文字の事はしるものあらず。是よりして每歲に、その實は八宛生けれども、文字はこの春のみにして、後には竟に顯れず。されば蟇六龜篠は、これらのよしを聞といへども、風雅のうへに疎ければ、花果の樂を念とせず、只彼梅子の多かるを歡びつゝ、年々に鹽藏にして、酒食の菜に充るのみ。この梅漸々に人に知られて、名木になりしかば、與四郞が事さえ聞えて、八房の梅、與四郞塚とて、故老の口碑に傳へたれども、後年數度の兵火に係りて、梅は枯れ、塚は鋤れて、今はその蹟も得認ず、只彼猫又橋のみ遺れり。




