中井正一「土曜日」巻頭言(20)

◎行動の隅々から縄張根性を取払はう 『土曜日』33号、1937年5月20日

[編者注]馬場俊明「中井正一伝説―二十一の肖像による誘惑」ポット出版(画像はその表紙)では、次の投稿も中井正一の筆によるものと推定するので掲載することにした。

 上海もマニラも入ると云ふ数百円もするラヂオで何を聞いてゐるかとかと言えば、相変らずチョンガリ節を聞いてゐるのでは、真空管もたよりないことであらう。
 人々の知脳をしぼつた近代装置をつくしたジュラルミン建築の中で、終日パチリパチリと将棋の音がしてゐるのも、何だかすまん様な風景である。
 まあまあそんなに云はんでも……と、文化全体が、うなされてゐる夢の中の、胸に置かれた手の重さの様に、何うすることもできない様な重いものゝ中で呻いてゐる様な気がする。
  この光景は、文化の立後れの国ほど強く、日本などの様に、契機が跛行し、封建的なものが残つてゐる国では、一番強く感ぜられるのである。
 重役が俳句をやつてゐると、高層建築と、その機構全体をあげて俳句的にならうと焦つて曲んでゐる。俳句を味つてゐるのではない。へつらひを競つてゐるのである。
 かゝることが、唾棄すべきことであることは勿論であり、人々はそれに気がついて、本気でやつてゐる連中を軽蔑し、自分は要領よくすりぬける術を心得てゐると思つてゐる。
 しかし、この封建残滓に気がついてゐる人々の行動の隅に、まだまだ、拭ひきれずに残つてゐる臭ひがある。
 批判の仮面をもつて出てきたり、党派の姿をもつてあらはれたりするけれども、もう一枚の薄皮をめくれば、やはり、身分根性、或は身内根性、即ち縄張り根性のすがたをもつた封建残滓物が、行動のほんのキッカケに残つて臭ふものである。
 例えば論争が、お互に笑ひをふくみながら、文化の名に於て、飽くまで峻厳に明朗に行はれることは、ほんとうに言易くして行ひがたいのである。いつの間にか対立となり、その系統を辿つて、身分もでき、縄張りともなるのである。
  それは知識人と勤労者間にも起こることであり、それこそが、文化を常に決定的に立後れさす原因ともなるのである。
 現下の情勢で決定的に警戒すべきは、行動を細心に用意しない批判である。そしてそれが封建残存物と混じて、「話せば判る」ことを「話しても判らない」ものに凝固することを極めて注意すべきである。
 こんな気持が残つてゐる限り、何をしてゐても、何んな高い文化に関係してゐても、髷をつけ刀をぶつ込んで眼をむき合つてゐるのである。チョンガリ節をならしてゐる真空管と大して変らないのである。

[編者注]本編をもって、「土曜日」巻頭言の掲載は終了である。

読書ざんまいよせい(061)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(09)

   附  錄

     社會主義と國家

 近時社會主義を駁するの論議多し、而して其最も有力にして而して最も普通なる者二あり、一は卽ち之を目して國家の權力を無限に增大すると為す者、 他は卽ち之を以て國家の廢滅を意味すと爲す者是れ也、二說氷炭啻ならずと雖も、而も兩つながら謬れり、是れ前者は社會主義を以て國家社會主義と混同し、後者は社會主義を以て無政府主義と混同する者なれば也、故に予は世間幾多の論客に向って、其社會主義を駁するの前、 先づ社會主義者が現時の所謂國家なるものに對する態度と、社會主義者が理想する國家の如何とに就て、一番の檢竅あらんことを望まざるを得ず。
 社會主義の要義が籍の生産と分配とを以て國家公共の業務となすに在るは論なし、然れども之を成すや、或は現在の國家組織に向って多少の變更を加へんとする者あり、或は全然根本の改造を要すとする者あり、孰れにもせよ眞正の社會主義者中何人も今日の所謂團家に整して之に信賴する者あらず、獨逸の社會民主黨の如きは、實に國家ステート絕滅アボリシヨンを希望することを揚言せり、此點に於ては彼等は、一見無政府主義と混同せらるゝの恐れあり、然れども知らざる可らず、彼等の所謂國家なる語は、猶ほ彼等が責本其他の語を使用するが如く彼等に特有なる學術的意味テクニカルセンスに於て使用せらるゝ者なることを、換言すれば彼等が絕滅せんとするの國家は、卽ち或一階級を代表せるの國家なることを、或一階級の利益の爲めに他の階級を壓虐して之が利益を纂奪するの國家なることを。
 獨逸の社會民主黨は其名の示すが如く社會主義者たるのみならず、亦實に民主主義者デモクラツト也、而して共生存する所の國家が極めて非民主的なる事、其事は彼等をして益々共國家に對する憎惡を熾ならしめたり、彼等は現在の國家を憎惡するの甚しきと共に、現在の國家の手に經濟的企畫を委任せんとする國家社會主義に向って急激の抵抗を試むるに至り、一千八百九十二年の會議に於て、彼等自ら其革命的勢力たることを宣言すると同時に、國家社愈主義を目して保守なりとして痛罵せり、彼等は謂らく今の國家は『財產及び階級の支配なる現在の社會的關係を維持せんが爲めの『組織的權力』に過ぎずと、故に彼等は斯る國家を根本的に絕滅し、彼の一階級の利益を承認せずして一切平等の利益を增進するの組織を建設せむことを望むもの也、但だ彼等の理想せる一切平等の利益を增進するの組織が、國家ステートなる語を附して果して適當なるや否やは、是れ自から別問題に屬す、若し夫れ英國フワビアン黨や、米國の社會黨に至っては、敢て画家絶滅を唱ふるなし、是れ怪しむに足らず、彼等の國憲が獨逸に比して大に民主的なるが故に、急激の手段に依らずして能く多數福利の增進を期待し得べきが爲めのみ。
 蓋し社會主義と民主主義とは、恰も烏翼車輪の如し、何となれば一は經濟的に一は政治的に多數共通平等の幸福を其向上の目的となす者なれば也。故に眞正の社會主義者たる者は必ずや眞正の民主主義者たらざる能はず、專制的國家に在るの社會主義者は民主的國家を建設せんと試み、民主的國家に在るの社會主義者は、共國家の更に完全ならんことを望む、唯だ其手段の緩急を異にするのみにして皆政治的改革に熱心ならざるはなし、而して彼等の目して最も理想に近しとして贊歎する所は、實に瑞西の政治的制度也、夫の.一般國民をして直接に法律の可否を投票せしむるのレフエレングムや、多數の國民に發議の權を與ふるのイニシエチーヴや、國民が立法府に於て有する代表者の數の比輟上尤も公平なるプロポーシヨナル選擧法や、皆な民主的意義の大に發現せられたるものにして、社會主義者の望仰想望する所なりとす。
 如此にして社會主義は、深く現時の國家の中央謂の害逐に懲りて、地方分權を主張するに至るは自然也、彼等は人民の事業をして人民に依て行はしめ、若くは人民に近かしめんが為に多くの公務を中央政府の手より奪つて地方の自治團體に恢復するの必要を感ず、彼等は可及的中央政府の職權と權力とを削減して、國家を以て地方市府町村の自治的集合團體の聯合とし中央政府は唯だ團體聨合を統一し、彼等が共通の利益を公平に按排せしむるの具となさんと欲す、彼等は如何なる政治にもあれ如何なる組織にもあれ、富財の社會共同的生產と其公平の分配を保障することを必する者也、萬人をして總て其堵に安んぜしめ、萬人をして總て十分に其知能を發揮せしむるの地位と機會を保障することを必する者也、是れ彼等が經濟及敎育の事業を以て一に公共の手(國家と言はず)に委せんとする所以にして、而して經濟敎育の二事を除くの外は、決して政治的干涉を喜ぶ者に非る也、否な極めて自由放任を主張する事猶ほ今の個人主義者の如き也、例せば國敎の如きは社會主義とは全然相容れられざるものにして、獨逸民主黨が其綱領に於て明かに宗敎を個人の私事なる事を宣言せるが如き是也、彼等の希望は人をして人を支配せしむるに非ず、人をして物を支配せしめんと欲すれば也。
 カール・マルクスと俱に所謂獨逸科學的社會主義の’祖師と稱せられたるフリードリヒ・エンゲルは日く、『夫れ壓制せらるべき階級なく、或階級の支配なく、個人の生存競爭なきに至らば、國家と名くる壓制的權力も亦必要なからん、而して之に代て起る者は、社會全體の代表者としての國家也、然れども此國家や唯社會の名に於て生産の機關を有するに過ぎず、唯此一事、國家の最初の職務にして、亦最後の職務也、社會關係に於る國家の干涉は、一層はー曆より漸々無用となつて消滅するに至るべし』と。
 然り、社會主義者が理想とする國家は唯だ如此きのみ、彼等は決して國家萬能の主義に依て個人の自由を沒却せんとする者に非ず、而も亦全然社會の秩序を無視して、其團結組織を破壊せしめんとするものに非ず、要は多致人の幸福のみ、平等の利益のみ、世の社會主義を批評する者宜しく此點に留意せよ、若し夫れ社會主義制度が立君政治と兩立するや否やは、自ら別問題也。
               (明治三十五年二月五日、『日本人』第一五六號所載

     社會主義と直接立法

 予は社會主義の見地より、世界萬邦の社會主義者と同じく、我日本に一日も早く一種の『レフエレングム』と『イニシエーチーヴ』の實施を切望するものである、一寸適當の語を思ひ付かぬので、假に前者を直接投票、後者を直接發議權と譯する。
 凡そ世間に馬鹿げたと言ひ、無意味と言っても、日本國民の所翼參政權なる者ほど無意味に馬鹿げた代物は有るまい、是が普通選舉でも行はれて居るなら猶可なりだが、今の日本は納稅資格などといふ時代後れの愚なことをして居るので、選舉有權者は四千五百萬の國民中百萬內外に過ぎぬではない歟、夫も公平選擧法プロポーシヨナルでも採用されて、此百萬人の有權者が盡く代表者を出し得るならば猶可なりだが、大政黨以外の候補者は大抵落選させらるゝので、眞に代表者を出し得る者は、百萬人中僅に五六十萬人に過ぎぬのではない歟、夫も彼等五六十萬人の意思だけでも確かに議會に代理され遂行さるゝなら猶可なりだが、其代表者は議會に入るを得ると同時に、全く政府の奴僕となって仕舞ふのではない歟、換言すれば日本人で參政權を有する者は國民中の極少數で、而も其少數が參政權を行ふのは、唯だ議員の投票を投票箱に投入れる一刹那、共一刹那だけに止まつて、後は煙散霧消するのではない歟、此爲體で有りながら國民の參政權で候などゝは呆れて物が言へぬのである、參政椎てふ名詞にして若し靈あらば、盜し噱然として笑ひ、啾然として泣くであらう。
 抑も政治の本義を推擴めて其極致に至つたならば、國民自身が直接に政權を執り行ふのが當然だが、但だ實際社會の狀態が此に至るを許さないので、少數官吏、少數議員に彼等の代理を頼むといふのは、今更言ふまでもないのである、故に予は、否な多くの學者は歐米諸國の代議制度に對してすら之を政治の極致に遠いとして極めて不平不滿足である、だから彼等は國民參政の功果を擧ぐる方法を講ずるのに、日も亦足らぬ有樣である、況して我日本に至っては参政の功果どころか、此不幸不滿足なる普通の代議制度にすら追付かないで、實際は君主專制、寡頭政治の蠻域に、蠢めき廻つて居るのである、是れ我政治の進步發達を希ふの上に於て、大に考慮すべき所でない歟。
 然らば如何にして眞に國民參政の權利を實功あらしめ、如何にして政治の本義に一步なりとも近くべき歟、此點に於て普通選舉は無論急要である、公平選擧法も無論急要である、而も是では未だしで、彼等の參政權の實功は、矢張共投票を投ずる刹那に過ぎぬので有る、是に於て百尺竿頭ー步を進めて國民の直接投票レフエンダム 直接發議權イニシエーチーヴを主張せざるを很ないのである。
直接投票レフエンダムといふものは、議會で決議した重大なる法案の可否を、更に國民の意見に問うて、其贊成を得て初めて法律とするのである、直接發議權は國民多數の連署を以て重大なる法律の改廢或は制定を發議し、矢張國民の投票に依て採決するのである、此兩者あって始めて國民が政治に參與するの實があり、國民の意思を代表しない官吏と議員との横暴を制し得るのである、而して欧米諸國中此兩者を實行して居るのは、瑞西聯合共和國である、予は無論瑞西の制度を其儘採用せよといふのではないが、併し其方法は大に參考とするに足るのである。
 孰れの國でも兩院を通過した法律は其規定した日時から直ちに効力を有するのだが、瑞西國では左樣は行かぬ、緊急なる性質の者、其他或特種の者を除くの外は、共法案を九十日間遍く各州に掲示して、若し其期限內に國民三萬人の請願か、若しくば八個の州の政廳より該法案の直接投票を要求して來た埸合には卽ち直接に國民をして可否を投票せしめねばならぬ、最も是迄行はれた直接投票は州政廳より要求したのではなくて、常に國民の請願に由つたのであった、三萬人といへば全國民の約百分のー、有權者總數の廿分のーである、斯くて其請願者の記名が定數に充ちたならば、卽ち聯合各州に於て同日に投票を行はしめる、投票期日は、命令を發した日から、四週間後でなければならぬ、一千八百七十四年から一千八百九十三年に至る間に、揭示せられた法律命令百六十四件中、直接投票を耍求せられたのが十八件、共中十二件は否決せられた、卽ち直接投票に掛けるのが一割內外で、其多くは否決せられたのである。
 直接投票は獨り聯邦議會の法案に就てのみならず、各州でも夫々州議會の法案に就て行って居るのである、尤も各州で多少制度を異にして重大の法案を盡く直接投票に問ふのもあれば、州民多數の要求を待て始めて之に付するのもある。後者では請願の記名提出の期限は通例三十日內外で請願者定員は其州有權者の五分のー乃至十二分のーである。
 爰で吾人の最も注意すべきは、彼等國民及び州民が直接投票を要求するのは、決して一時の感情に走るのではなくて、其嚴格に且熱心に自己の權利を行ふことである、而して政府も議會も謹んで其命令に服從するので日本の如く民意を度外して善い加減に扱ふことは出來ぬのである。
 直接發議權も亦久しく聯合各州に用ゐられて居る、州民が或法律の改廢若しくは創定を希望する時は、多數の賛成を得て其理由を具し、州の議會に提出する、其定員は直接投票者の割合と略同樣である、夫で議會は一定の期間に(或州は二ヶ月)之が成案を作り、同時に議會も又別に議會の案と意見とを附して州民の直接投票を命じ、其採決に從って直に法律となるのである。於是て實際彼等は直接に立法の權利を堅く把持し居るものである、而して是も亦た極めて嚴格に愼重に行はれるのである、此制度は古來州にのみ用ゐられて居たが一千八百九十一年に至って晰邦の憲法修正に用ゐらるゝこととなつた。
 其制に從へば若し五萬の國民が、憲法に於て或條章の制定を要求すれぱ、聯邦議會は直ちに其希望を討究して一の成案を摧へ、之を直接投票に問はねぱならぬ、又其要求の賛すべきものでなかつたならば、先決問題として憲法の改正すべきや否やを直接投票に間ひ、其採決を待て再び細目の成案を國民に問ふのである、又人民より詳細の成案を提出した場合には、議會は之に贊するか或は別に異つた案を出すか、或は全く反對の案を出して、共に國民の決定に委することが出來る、但し議會の案は其請願書の受領の後一ケ年間に作らねばならぬ、其時限を過ぎたら請願の案に同意した者となって、投票に附せられる、此方法で聯邦の憲法は屢ば修正せられ、大に同國政治の進步と發達に資したのである。
 我日本に於ては憲法修正の發議權は獨り天皇陛下の持し玉ふ處である、而して現在憲法の修正せられない限りは、我國民が憲法修正に關する發議は元より、一般法律に對する直接投票レフエンダム、及び直接發議權イニシエーチーヴをも得られないのは承知である、予は決して憲法の紛更を試むるが如き所存は微塵もない。
 併しながら、現時の國民参政權がノンセンスであるのは確かである、政治の本義が國直接の政治に在るのは確かである、而して直接投票と直接發議とが、政治の本義に一步を近づくものなるも亦確かである。
 試に思へ、若し我國民が早く直接投票と直接發議との權利を得て居たならば、藩閥の政治家は能く今日の運命を保つたであらう歟、 無法の軍備は能く擴張せられたであらう歟、亂暴なる增税は能く承諾せられたであらうか、高野問題は今日までも未定のまゝで殘つたであらう歟、鑛毒問題に直訴の必耍があったのであらう歟、凡そ是等の例を見來れば、 如何に我國民の權利が全く蹂躙せられ、輿論が全く度外視せられ、ー國の政權が一部少數の手に竊まれて居るが爲めに、多くの不正と多くの非義と、 多くの損害と多くの醜聞が被むらされたかゞ解るであらう、我日本の國民は果して永く此の狀態に堪ふべきである歟、堪へ得ることが出來るであらう歟。
 若し日本の政治が果して君主專制寡頭政治の域を離れて將來益す進步し發逹し行くものならば、何時かーたび這箇の制度を採用するの氣運に際會せずには居らぬ、斯る氣運は如何なる經過で熟する歟、又は如何なる手續で事實に現出して來るかは是れ自ら別問題である、但だ此氣運にーたび際會すると極った以上は、予は一日も其速かならんことを希望に堪へぬ、而して若し此のニ箇の直接立法の方法が行はるゝに至ったとすれば、社會主義の目的は其大半を遂げたものである。
      (明治三十五年一月二十七日、『萬朝報』第三千號所載、原題「直接參政論」)

写真は、「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏の高知新聞記者時代の大逆事件「被告」坂本清馬氏らのインタビュー記事(1948年11、12月)

中井正一「土曜日」巻頭言(19)

◎爽やかな合理のこころをもちつづけて 一九三七年十月五日

 日本民族が自他ともに許している尊ぶべき性格は、日く「清明」の特徴である。サッパリしていて、爽やかで、透きとおっていて、合理的である。人間の誰でもが愛し親しんでいるところのものである。
 日本の固有な道具、工芸、建築、芸術等のすべてにわたって、それは隙間もなくしみ込んでいるものである。
 この調子のないものは、日本人にとっては異国的な、奇異に感せしめるものをもっている。たとえ、かかるいろいろの民族のものが入っても、日木人は、それを日本人らしく観照し、そして次にはそれを日本人らしくつくり替え、自分のものにしてきたのである。
 かかる意味で常に日本人は自主的であって、その爽やかな合理性を手離すことをできるだけ拒んできたのである。それが日本民族の辿ってきた道である。
 今や事変の勃発とともに、民族のこころは沸腾している。かかる混沌の中では、とかく清く明かなる合理の心が曇らされる危険がないではない。日本人は日本の誇りを他の民族の前に失わないことを示すために、これを守りつづけなければならない。外国でおこなわれているやり方をまねする場合にも、日本民族にふさわしく見守らなければならない。
 またこれは極端な場合であるが、戦時を利用する詐欺漢が徴別をごまかしたり、飲企店をだましたりしているが、かかるものこそ日本人の面よごしである。かかる行為を厳重に監視しなければならない。またかかる行為に似た現象は、社会のあらゆる偶々から駆逐しっくさなければならない。「この場合に」といった気持ちのゆるさを撲滅しなければならない。学校騒動の紛乱においても、かかる気持のまじっている行動があれば、日本の民族的誇りの上において断乎として許されず、爽やかな明らかなるこころに似もつかめ気持ちである。
 沸騰がより激しく、昂奮がより高まるにつれて日本人が誇りをもって心すべきは、この清く明らかな合理的な静けさの限界においてみずからを喰いとむベぎことである。
 正義をして真の正義たらしめるために、日本民族は大いなる課題を、今ほど、全世界より課せられているときはない。
 それは全世界注視の中に、私たちがみんなで背負っている課題ではないか。

[編者注」前回の「巻頭言」同様、一九三七年七月のそれに比して、明らかに自主規制=書かされているといった文章と感じざるを得ない。ほんの数ヶ月で、世のムードが変わってしまった、というのは教訓的である。まわりが理不尽な雰囲気のなかで、かろうじて使った「合理」の字句が痛々しく感じられる。

読書ざんまいよせい(060)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(08)

     第七章 結  論
〇果然、病源は發見せられたる也。謎語豈に解決せられざらんや。
〇殖產的革命は社會組織進化の一大段落を宣吿せり、產業の方法は、個人の經営を許すべく、餘りに大規模となれる也。生產力は個人の領有を許すべく、餘りに發達膨大せる也。故に彼等は其性質の社會的なるを承認されんことを耍求す、其領有の共同的ならんことを强請す、其分配の統ーあらんことを命令す、而も聽かれざる也。是を以て競爭となり、無政府となり弱肉强食となり、獨占となり、社會多數は是等獨占的事業の犠牲に供せらるゝに至る。
〇故にエンゲルは日く『社會的勢力の運動や、其盲目なる、亂暴なる、破壊的なる、毫も自然法の運動に異なるなし。而も吾人ーたび其性質を理解するに及んでや、隨意に之を驅役して、以て自家の用を爲さしむるを得る、猶ほ雷光の通信を助け、火焰の煮炊に供するが如し』と。然り現時社會が生產機肅發達の爲めに利せらるゝなくして、却って之が蕾に苦しむ所以の者、一に社會進化の法則に悖反はいはんするが爲めのみ。若しーたび其性質趨勢を理解して之を利導せん乎、猶ほ人を震し人を焚くの雷光火焰が吾人必須の利器となるが如けん也。
〇今に於て怪しむ勿れ、學術の日に進んで徳義の日にくづるゝことを、生產益を多くして、萬民益益貧しきことを、敎育愈々盛にして罪惡愈々多きことを嗚呼是れ一に現時の生產機關私有の制度之をして然らしむるのみ。個人をして、今の生產機關を私有せしむるは、猶ほ狂人をして利刃を持せしむるが如し、自ら傷け、人を傷けずんば已まず。
〇而して共結果や卽ち分配の不公となれり、分配の不公は卽ち多數人類の貧困と少數階級の暴富となれり、暴富なるものは卽ち驕奢となり、腐敗となり、貧困なるものは卽ち堕落となり、罪悪となり、擧世滔々として江河日に下る、洵に必至の勢ひのみ。
〇故に今日の社會を救ふて其苦痛と墮落と罪悪とを脫せしむる、貧富の懸隔を防止するより急なるは無し。之を防止する、富の分配を公平にするより急なるは無し。之を公平にする、唯だ生產機關の私有を廢して、社會公共の手に移すに在るのみ。換言すれば卽ち社會主義的大革命の實行あるのみ。而して是れ實に科學の命令する所、歷史の要求する所、進化的理法の必然の歸趣にして、吾人の避けんと欲して避く可らざる所にあらずや。
〇嗚呼近世物質的文明の偉觀壯觀は、如此にして始めて能く眞理、正義、人道に合することを得可きにあらずや。眞理、正義、人道の在る所、是れ自由、平等、博愛の現ずる所に非ずや。自由平等博愛の現ずる所是れ進歩、平和、幸福の生ずる所に非ずや。人生の目的唯だ之れ有るのみ、古來聖賢の理想、唯だ之れ有るのみ。エミール・ゾーラ叫んで日く『社會主義は驚嘆ワンダフルすべき救世の敎義也』と。豈に我を欺かんや。
〇起て、世界人類の平和を愛し、幸福を重んじ、進步を希ふの志士、仁人は起て。起って社會主義の弘通と實行とに力めよ。予不敏と雖も、乞ふ後へに從はん。

人生不得行胸懐。雖壽百歳酒夭也。
[編者注]典拠は 『小窓幽記』、訳は、「生きているうちに胸の懐いを遂げなければ、年が百歳になろうと、若死にである。」くらいの意味か?
[補足]劉宋の人、蕭恵開の語に「人生不得行胸懐、雖寿百歳猶為天也」〔宋書、巻八十七〕がある。蕭恵開は、晚年志をえず、つねに人にそういったという。

靑天白日處節義。自暗室陋屋中培來。
旋乾轉坤的經綸。自臨深履薄處操出。
[編者注]意味は「晴れ渡る空の日のごとき正義・節操は、暗室陋屋の中から培われ、天をひっくり返すほどの国の方策は、深き水の上の薄氷を踏むほどの熟慮の境地から力を得る。」くらいの意味か?
[補足]青天白日。清明の象を喩う。「大丈夫心事、当如青天白日、使人得而見之可也」〔朱子文集〕とみえる。〇施乾転坤。乱れた天下をよく治った状態に代えること(韓愈〔潮州刺史謝上表〕)。〇臨深履薄。至って危いたとえ。戦々兢々、如臨深淵、如履薄冰」〔詩、小雅、小旻〕。〇困窮危険の状況から、社会主義の立派な経綸が生みだされることをいう。(「近代日本思想体系」筑摩書房・幸徳秋水集から)

社會主義神髄 終

読書ざんまいよせい(059)

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(02)

       二

 アバツコエといふ大きな村(チュメーンを距る三百七十五露里)を、五月六日の前夜おそく發ったとき、 馭者になつたのは六十がらみの老人だった。馬を附けようといふ間際になって、彼は蒸風呂ですつかり汗を出したうへ吸瓢すいふくべを使って血を取つた。何故血を取るのかと訊くと、腰が痛むからと答へる。年に似合はぬ元氣な老人で、身體もなかなかよく動くのだが、 さう言へば步き工合がどうもをかしい。脊髓癆だと見える。
 背の高い無蓋の旅行馬車に乘り込む。二頭立である。老人が鞭を振って何やら叫ぶ。しかし昔のやうには聲も出ず、まるでエヂプト鳩みたいにゴロゴロいふだけだ。
 道の兩側にも遙かの地平線にも、蛇のやうに這ひながら燃える火がある。去年の草が燃えるのだ。わざわざそれを燃すのがこの土地の習慣だといふ。が乾き切ってゐるため燃えが惡く,炎の蛇は所々れたり、消えたかと思ふとまた燃え上ったりして、悠々と這ひ廻るのである。火叢からは火の粉が散る。上の方には白い煙が昇る。火が急に小高い叢に燃えつく時は實に美しい。炎の柱が地上七尺ほどにも伸びて、 大きな煙の塊りを天へ投げあげるかと思ふと、まるで地心に沈み込みでもするやうに、直ぐまた崩れ落ちる。その蛇が白樺の林へ這ひ込むときは、 また一段と美しい。林一面にばつと明るくなって、白い幹が一本一本はっきりと見え、樹立の落す影に明るい班紋が入り亂れる。このイルミネーションを見ると、 何か不安な氣持がして來る。
 向ふから驀地に凍りついた凸凹道をがらがら云はせながら、郵便の三頭立トロイカが駆けて來る。老人が周章てて馬首を右へ轉じると、重さうな巨きな圖黑をした郵便馬車が飛ぶやうにすれ違ふ。歸りを急ぐ馭者が乘つてゐるのだ。また別の馬車の音が聞えて來る。見ると卜ロイカがもうー臺、全速力で向ふから突進して來る。私達の方は急いで右へ避けたが、意外千萬にもトロイカの方は何故か右へは避けずに左へそれて、 眞向ふから飛びかかって來る。ああ、 ぶつかるぞ、 と思ふ間もあらばこそ、たちまち轟然たる音を發して、こちらの二頭も郵便馬車の三頭も眞黑な塊りに化してしまつた。旅行馬車は後足で突立ち上り、 地面に抛り出された私の上からは、ありつたけのトランクの包みが。……茫然自失の態で、そのまま地而に轉がってゐると、又もや三臺目のトロイカの疾驅する響が聞え出す。『さあ』と私は考へる、『今度こそはお陀佛だ。』だが有難いことに負傷は大したこともなく、手も足も折れてゐないので、私は地面から起きあがれる。跳び起きるが早いか道傍へ駆け出して、吾ながら奇妙な聲で喚き立てる。――
 「とまれ、とまれよう。」
 空つぽと見た郵便馬車の中から、むくむくと人影が起き上り、 手綱の方へ手をのばす。そして三臺目のトロイカは、私の荷物をかすめて危く停る。
 二分間ほどは沈默のうちに過ぎる。まるで狐につままれたやうな形で、ー體何が持ち上ったのやらさっぱり分らない。梶棒は折れ、馬具は裂け、鈴をつけた頸圏くびわが地面に散らばり、馬は苦しげに息を吐く。馬もやはり茫然としてゐるらしく、どうやら傷も重いらしい。老人はうんうん唸り、 溜息をつきながら起きあがる.。先に行つた二臺のトロイカが引返して來た。そのうちに四臺目のトロイカが來、さらに五臺目が來る。……
 それから猛烈な罵詈雜言がはじまる。
 「瘡でも出來でかせ!」と衝突した馭者がわめく、「その口に瘡さ搔け! 眼はどこへ附けとるだ、 この老耄れめが。」
 「どっちが惡いだ」と老人は泣聲でわめく.、「手前が惡いくせして、ぽんぽん言ひくさる。
 その悪口の言ひ合ひから僅かに推察し得たところによると、衝突の原因はかうであつた。郵便を運んだ歸りのトロイカが五臺、 アバツコ工を指して行く。規則では歸りの車は緩くり走らせることになってゐるのだが、先頭の馭者が退屈ではあり、また一刻も早く暖かい思ひがしたいので全速力を出した。ところが續く四臺の馭者はみな寢込んでゐて、誰も手綱を取る者がない。つまり殘りの四臺は、馬が全速力でー臺目を追ふなりにしてあつたのだ。もし私が旅行馬車の中でいい氣持に眠つてゐたり、或ひは三臺目のトロイカが二臺目のすぐ後に續いて來たのだつたら、到底無事には助からぬ所だつたのだ。
 馭者たちはありったけの聲を出して罵り合ふ。その聲は十露里先でも聞えるに違ひない。とても堪らぬほど怒鳴り散らす。相手の持ち合はせてゐる凡ゆる聖なるもの貴いもの大事なものを、何から何まで殘らず辱め瀆し去らねば已まぬ、これらの醜惡極まる言葉や文句を考へ出すには、さぞかし莫大な機智や憎念や不淨な考へが消費されたことだらう。こんな惡口のつける者は、シベリヤの馭者や渡船夫のほかにはゐない。みんな囚徒に仕込まれたのだといふ。しかも馭者の中で一番大聲に罵り狂ふのは、ぶつけた當の馭者である。
 「ええ、もう止めろ、馬鹿者めが!」と老人が遮る。
 「何だと?」と、例の馭者は十九ほどの餓鬼だったが、それが物凄い劎幕でつめ寄つて、老人の鼻先にぬつと立つ、「それがどうした?」
 「手前もよっぽど。……」
 「それかどうした?言って見ろ、どうしたつてんだよ。梶棒の切れつ端でぶんのめすぞ。」
 この調子では、今にも摑み合ひになるかと思つた。暁闇、遠近には草を燒く火が見えてはゐるが、 そのため冷え切つた夜氣は別段溫まるでもなく、一と塊りになつたまま嘶き聲を立ててゐる癇の强い物騷な馬の傍で、この亂暴な暄嘩の群に圍まれてゐるのは、何とも言ひやうのない淋しさだった。
 老人はまだぶつぶつ言ひながら、例の病氣のせゐで足を高く持ち上げるやうにして馬と旅行馬車の周圍を步いて、手當り次第に繩や革紐を解いて廻る。それで折れた梶棒を結いわ》へようといふのである。それから今度は道路に腹這ひになって、燐寸をすりすり、輓革を搜す。私の荷物の革紐までが徵發された。やがて東の方が紅らむ。野雁もとうに眼をさまして啼いてゐる。やがて馭者たちも行つてしまふ。だが私達は相變らず立ちづめで、修繕に餘念がない。何べんも進まうとして見るのだが、折角結んだ梶棒は忽ちぽきんと行く。で、またも行軍中止だ。……寒い。
 やっとのことで、村まで辿りつく。二階建ての百姓小屋のところで車を停める。
 「イリヤ・イヴァーヌィチ、馬さあるかね?」と、 老人が呼ぶ。
 「あるだよ」と、誰やらが窓の中で陰氣な聲を出す。
 小屋で私を出迎へたのは、赤シャツを着た大男である。素足で睡さうな顏をしてゐる。まだ寢呆けてゐると見えて、何やら薄笑ひを浮べてゐる。
 「南京蟲にあつちや敵はねえでさ、大將」とぼりぼり搔きながら、だんだん顏一ぱいに笑ひ出しながら彼が言ふ、「座敷はわざと煖めねえだ。寒いと奴さん步かねえからね。」
 ここでは南京蟲や油蟲が這ふとは言はずに步くと言ふ。旅行者が行くと言はずに、 つつ走るといふ。「旦那は何處へつつ走りなさる」と訊く。つまり「何處へ行きなさる」の意味である。
 家の外では馬車に油を差したり、 頸圏の鈴をぢやらつかせたりしてゐるし、代り合つて馭者になったイリヤ・イヴァーヌィチは身支度をしてゐる。そのひまに私は、部屋の隅にうまい場所を見附けて、 穀粒か何かの袋に頭を凭せたかと思ふと、 すぐさまぐつすり痕込んでしまふ。やがて夢の中に私の寝臺が出て來る、 私の部屋が出て來る。夢の中で私は歸つて食事をしながら、 自分の二頭立が郵便のトロイカと衝突した話を、 家の者にして聽かせる。が二三分したかと思ふと、イリヤ・イヴァーヌィチが私の袖を引張つて言ふのが聞える。――
 「さあ起きるだ、 大將。馬が出來ただ。」
 懶惰、寒がり!それらの惡德を嘲笑ふこれは何といふ揶揄であらうか。寒氣は縱橫十文字に背中ぢゆうを走り廻る。また馬車で行く。……もう明るくなって、 空は日の出前の金色に染まる。道にも野づらの草にも、 痛ましい白樺の幼樹林にもー面に霜が降りて、まるで砂糖漬けを見るやうだ。どこかで蝦夷山鷄えぞやまどりが啼いてゐる。

読書ざんまいよせい(058)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(07)


    第六章 社會黨の運動

〇日く 一切生產機關の公有、日く富財の公平なる分配、日く階級制度の廢絕、日く協同的社會の組織、之が實行や洵に一大社會的革命也。然らば則ち社會黨は革命黨なる乎、其運動は革命的運動なる乎。曰く然り。
〇然れども怯懦の貴族よ、小心の富豪よ、輕躁の有司よ、乞ふ恐るゝ勿れ。今の社會黨は漫に爆彈を公等の馬車に投ぜんとするの者に非ざる也、敢て鮮血を公等邸第にまんとする者に非ざる也、但だ公等と俱に與に大革命の德澤に沐浴せんと欲するのみ、恩惠に光被せんと欲するのみ。
〇思へ古今何の時か革命なからん、世界何の邦か革命なからん、社會の歷史は革命の記錄也、人類の進步は革命の功果也。試みに思へ、當年の英國、クロムエルの起つに會はず、當年の米國獨立を宣するを得ず、佛國の民、共和の制を建つる能はず、日耳曼ゼルマン諸州聯合の業成らず、伊太利統ーせらるゝを見ず、日本維新の中興なかりしとせば、世界人類は今や果して何の狀を為すべぎ乎、現時の文明は果して何の處にか見るべき乎。革命を恐怖する者よ、現時公等が謳歌せる文明と進步とは、實に過去幾多の大革命が公等に賚賜らいしせる所に非ずや。
〇社會の狀態が常に代謝して已まざるは、猶ほ生物の組織の進化して已まざるが如し。而して其進化や代謝や若しーたび休せるの時は、其生物や社會や卽ち絕滅あるのみ。永久の生命は必ず暗喑裡に進化す、決して常住を許さヾる也、社會の狀態は必ず冥々の間に代謝す、決して不變を許さゞる也。而して這の喑冥なる進化代謝の過程プロセッスに於て、每に明白に其大段落を割し、新紀元を宣言する者、則ち革命に非ずや。之を譬ふるに歷史は一連の珠敷に似たり、平時の進化代謝は其小珠也、革命は其數取りの大珠也、進化代謝の連續なると同時に革命の連續たる也。
〇ラツサルは日く『革命は新時代の產婆也』と。此語未だし也、予は將に日はんとす、革命は產婆に非ずして、分娩其物也と、何となれば是れ偶然の出來事に非ずして、實に進化的過程の必然の結果なれば也。而して舊時代老いて新時代を生み、新時代の長ずるや、更に他の新時代を生む、皆な革命に依らざるは無し。何ぞ彼の子々孫々のかたみに分娩して百世窮極する所なきと異ならんや。
〇但だ分娩に難易あるが如く、革命にも亦難易なきを得ず。分娩が時に母體を切開するの要あるが如く、革命も時に暴動を現ずるの已むなきに至るあり。而も是れ決して希ふ可きのことに非ざるや論なし。
〇故に母體の組織發達の如何を診し、之が健康を保ちて以て其分娩を容易ならしめんと期するは、產科醫及び產婆の職務也、社會の組織狀態の如何を察し、進化の大勢を利導して以て平和の革命を成さんと希ふは、革命家の識慮也。而して今の社會黨や實に這個社會的產婆產科醫を以て、 自ら任とする者に非ずや。
〇夫れ然り、革命は天也、人力に非ざる也。利導す可ぎ也、製造す可きに非ざる也。其來るや人之を如何ともするなく、其去るや人之を如何ともするなし。而して吾人人類が其進步發達を休止せざるを希ふの間は、之を恐怖し嫌忌すと雖も決して之を避く可らず、唯だ之を利導し助成し、以て其成功の容易に且つ平和ならんことを期すべきのみ。社會黨の事業や、唯だ如此きを要す、曷んぞ漫に殺人叛亂を以て、平地に波を揚げて快する者ならんや。
〇蓋し前世紀の初め、社會燃の陳吳ちんご[編者注:中国・秦に対する反乱を最初に起こした陳勝・呉広の事。物事の先駆け]として起てる者、英に在てはオーエン、佛に在てはカペー、サン・シモン、フーリエー、ルイ・ブラン、獨に在てはワイトリングの徒、其現時制度の害毒を指摘するや頗る痛切に、其理想の實行に着手するや極めて熱心なる者ありき。然れども當時社會主義の發達、日猶ほ淺く、硏究未だ精なることを得ざりしが故に、破等の企畫や遂に一種の空想、卽ち所謂『ユトピア』たるを免れざりき。彼等が或は共同生產の工場を起し、或は共同生活の殖民地を拓くや、一に自己の模型に從って直に社會を改鑄せんとする者なりき、一日一夜にして直ちに理想の世界を現出せんとする者なりき。彼等は人道の上に立てり、而も未だ科學の基礎を得ること能はざりき、彼等は建設を試みたり、而も未だ自然の進化に從ふ能はざりき。其前後相踵で失敗に歸せしは固より其所也。
〇是を以て當時の歷史を瞥見する者、動もすれば日く、社會黨の運動は一時の狂熱のみ、其企畫はユトピアのみ、到底不可能の事に屬す、共自ら消滅するは日を期して待つ可き也と。是れーを知って二を知らざる者のみ。夫れ狂熱は冷却すべし、空想は消散すべし、而も眞理は豈に永劫に死せんや。近世社會主義は實に是等ユトピアの死灰中より再燃し來れるに非ずや。
〇ー八四七年マルクスが其友エンゲルと共に、有名なる『共產黨宣言書マニフェスト・オブ・ゼ・コンミユニストパーチ—』を發表して所謂階級戰爭の由來歸趣を詳論し、以て萬國勞働者の同盟を呼號してより以來、社會主義は嚴乎として一個科學的敎義ドクトラインとなれり、又舊時の空想狂熱に非ざる也。社會黨は旣に社會が一稲の有機軆なることを解せり、又自己腦裡の模型に從つて之が改造を企つる者ある無き也。彼等は歷史の進化を信ぜり、決して一日にして其革命の成功すべきた夢みる者に非ざる也。
〇彼等は單にー小組合の共同生活が、必ず社會全軆の競爭の爲めに蹂躙さるべきを見たり、彼等は世界の形勢と隔絶して完全なる理想鄕を單に一地方に建設するの、到底不可能なることを驗せり。是を以て彼等は決して社會全體の調和を破壊することなくして、着々其主義勢力を擴張し、史的進化の自然に從つて徐々に其抱負政策を實行し、寸を得れば卽ち寸を守り、尺を得れば卽ち尺を保ち、遂に理想の完成に達せんと欲するに至れり。而して彼等が之を為すの術如何。
〇他なし、彼等は無政府黨に非ず、個人の兇行は何物をも得べきに非ざるを知る、其運動や必ず團體的ならざる可らず。彼等は虚無黨に非ず、一時の叛亂が何事をも成すべきに非ざるを知る、其方法や必ず平和的ならざる可らず。然り彼等の武器や、唯だ言論の自由あるのみ、團結の勢力あるのみ、參政の權利あるのみ。於是乎萬國の社會黨は皆な政治的方面に向つて其運動を開始せり。
〇思へ社會主義にして、果して世界の輿論となるを得たりとせよ、社會人民の多數は則ち社會黨員となれりとせよ、而して彼等は普通選擧の制に依って盡く参政の權利を得たりとせよ、而して社會黨代議士は各國議會の多數を占め得たりとせよ、其他市府行政の機關、 町村自治の齒體、皆社會黨に依て運轉し指導せらるゝに至るとせよ、彼等は自在に社會組織の改善に着手することを得べきに非ずや。
〇但だ各國人文の程度、歷史の結果、社會の狀態を異にする.に從つて、之が改造の順序方法亦自ら異ならざるを得ず。事の緩急、 物の輕重、其時と人との宜しきに從ふ可きが故に、共細目は预め之を決定す可きに非ずと雖も、凡そ參政の權利を多數人民に分配し、婦幼を保護し、敎育を無料にし、勞働時間を制限し、勞働組合を公許し、工場の設備を完全ならしむるが如きは、第一着の事業ならずんばあらず。而して或は一部より、或は一地方より、或は資本に於て、或は土地に關し、漸次に少數階級の特占の權利壟斷の利益を減殺して、之を社會人民全體の用に移すの政策を實行し、步は一步より、層はー層より、進んで而して已むことなくんば、一日一切の生產機關を擧げて、盡く社會の公有に歸する者、豈に難からんや。
〇然リ社會窯が運動の方針や如此し、而して其實際の功果成績に至りては、眞に刮目を値ひする者ある也。ラサールが『嗚呼此闇愚の勞働者は、何の時か共昏睡より醒む可き』と嘆息せしは、僅に四十年の前なりき。而して四十年後の今日に於て、獨逸の社會主義者は、旣に二百五十萬人を以て算せられ、七十餘人の代議士を有する也。佛團の社會主義者亦實に百五十萬の多きに達し、百三十人の代議士を有する也。英國の議會や、特に社會然と自稱するの議員尙ほ少しと雖も、而も同国の二大政黨は近時競ふて社會主義的政策を採用するに至れり、ハーコート曾て議會に演說して『今や吾人は皆社會黨也』と公言せる者、決して虛ならざるを見る。若し夫れ各都市の行政は、大抵社會主義者に依て指導せられざるはなき也。其他歐洲列團、北米諸邦、苟くも近世文明の在る處、曾て社會黨の生ぜざるはなく、社會黨の生ずる處、其の勢力の發逹は飛瀑の天より下るが如く、主義の擴張は猛火の原をくが如きを見ずや。
〇夫れ文明の邦、立憲の治下に於て、社會の輿論ーたび我に歸し、政治の機關、亦我手中に歸するに至らば、兵馬の力も之を如何せんや、警察の權も之を如何せんや、而して富豪の階級亦竟に之を如何ともすることなけん。社會主義的大革命が、正々堂々として、平和的に秩序的に、資本家制度を葬り去って、マルクスの所謂『新時代の生誕』を宣言することを得るは、酒ほ水到って渠成るが如けん也。
〇嗚呼革命よ、如此にして來り如此にして去る。而して吾人に賽賜するに、平和と進步と幸福とを以てす。予は社會百年の爲めに共助成し歡迎すべきを見る。未だ嫌忌し恐怖すべきを見ざる也。

蒲柳之姿。望秋而零。
松柏之質。經霜彌茂。

[編者注]
典拠は、 『世説新語』簡文帝と同年の顧悦こえつが髪の毛が早く白くなったのを帝が「どうしてそんなに白いのか」と問うた。その返事に「蒲柳の姿は秋を望んで落ち、松柏の質(たち)は霜を経ていよいよ茂る」(蒲柳の姿は秋を前にいち早く落葉しますが、松柏の質は霜にあっていよいよ緑です〈帝のこと〉)と答えた。資本主義を「蒲柳」に社会主義を「松柏」に例えたのであろう。

読書ざんまいよせい(057)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(06)

    第六章 社會黨の運動

〇日く 一切生產機關の公有、日く富財の公平なる分配、日く階級制度の廢絕、日く協同的社會の組織、之が實行や洵に一大社會的革命也。然らば則ち社會黨は革命黨なる乎、其運動は革命的運動なる乎。曰く然り。
〇然れども怯懦の貴族よ、小心の富豪よ、輕躁の有司よ、乞ふ恐るゝ勿れ。今の社會黨は漫に爆彈を公等の馬車に投ぜんとするの者に非ざる也、敢て鮮血を公等邸第にまんとする者に非ざる也、但だ公等と俱に與に大革命の德澤に沐浴せんと欲するのみ、恩惠に光被せんと欲するのみ。
〇思へ古今何の時か革命なからん、世界何の邦か革命なからん、社會の歷史は革命の記錄也、人類の進步は革命の功果也。試みに思へ、當年の英國、クロムエルの起つに會はず、當年の米國獨立を宣するを得ず、佛國の民、共和の制を建つる能はず、日耳曼ゼルマン諸州聯合の業成らず、伊太利統ーせらるゝを見ず、日本維新の中興なかりしとせば、世界人類は今や果して何の狀を為すべぎ乎、現時の文明は果して何の處にか見るべき乎。革命を恐怖する者よ、現時公等が謳歌せる文明と進步とは、實に過去幾多の大革命が公等に賚賜らいしせる所に非ずや。
〇社會の狀態が常に代謝して已まざるは、猶ほ生物の組織の進化して已まざるが如し。而して其進化や代謝や若しーたび休せるの時は、其生物や社會や卽ち絕滅あるのみ。永久の生命は必ず暗喑裡に進化す、決して常住を許さヾる也、社會の狀態は必ず冥々の間に代謝す、決して不變を許さゞる也。而して這の喑冥なる進化代謝の過程プロセッスに於て、每に明白に其大段落を割し、新紀元を宣言する者、則ち革命に非ずや。之を譬ふるに歷史は一連の珠敷に似たり、平時の進化代謝は其小珠也、革命は其數取りの大珠也、進化代謝の連續なると同時に革命の連續たる也。
〇ラッサルは日く『革命は新時代の產婆也』と。此語未だし也、予は將に日はんとす、革命は產婆に非ずして、分娩其物也と、何となれば是れ偶然の出來事に非ずして、實に進化的過程の必然の結果なれば也。而して舊時代老いて新時代を生み、新時代の長ずるや、更に他の新時代を生む、皆な革命に依らざるは無し。何ぞ彼の子々孫々のかたみに分娩して百世窮極する所なきと異ならんや。
〇但だ分娩に難易あるが如く、革命にも亦難易なきを得ず。分娩が時に母體を切開するの要あるが如く、革命も時に暴動を現ずるの已むなきに至るあり。而も是れ決して希ふ可きのことに非ざるや論なし。
〇故に母體の組織發達の如何を診し、之が健康を保ちて以て其分娩を容易ならしめんと期するは、產科醫及び產婆の職務也、社會の組織狀態の如何を察し、進化の大勢を利導して以て平和の革命を成さんと希ふは、革命家の識慮也。而して今の社會黨や實に這個社會的產婆產科醫を以て、 自ら任とする者に非ずや。
〇夫れ然り、革命は天也、人力に非ざる也。利導す可き也、製造す可きに非ざる也。其來るや人之を如何ともするなく、其去るや人之を如何ともするなし。而して吾人人類が其進步發達を休止せざるを希ふの間は、之を恐怖し嫌忌すと雖も決して之を避く可らず、唯だ之を利導し助成し、以て其成功の容易に且つ平和ならんことを期すべきのみ。社會黨の事業や、唯だ如此きを要す、曷んぞ漫に殺人叛亂を以て、平地に波を揚げて快する者ならんや。

読書ざんまいよせい(056)

◎巖窟王(上 001)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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2003年 12月 28日 初配布
2004年 10月 11日 34~61章追加
2025年 5月11日 文字コードを Unicode に変更など
ゼファー生(mitsu@nishinari.or.jp)

【はじめに】
このファイルは、ソースが存在しているサイトの、html や、テキストそのままを、ルビなど「青空文庫形式」にできるだけ近づけて改編し、また、Unicode 化したものです。
【リソースサイト】
http://www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/ (現在は。アクセスできない)

【著作権表示】
私訳のテキスト
 テキストの配付・再利用は自由です。扱いは プロジェクト杉田玄白 方式に準じます。(中略)
著作権が切れたテキスト
(中略)著作権が切れたテキストは、自由に配布していただいてかまいません。ただし誤植チェックに関してはまだ不十分です
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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)衣嚢《かくし》

~, ~゛: 踊り字
複数文字の繰り返しを意味する。
(例)おの~=おのおの。こと~゛く=ことごとく。

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巖窟王 : 目次

アレクサンドル・デュマ (Alexandre Dumas, 1802-1870) 著、黒岩涙香 (1862-1920) 譯、史外史傳 巖窟王 — モンテ・クリスト伯 — (Le Comte de Monte-Cristo, 1844-45)。
出版社:愛翆書房。上卷:昭和二十三年十一月十日印刷,十一月十五日發行,定價百八十圓。下卷:昭和二十四年三月十日印刷,三月十五日發行,定價二百圓。
史外史傳 巖窟王
アレクサンドル・デュマ 著
黒岩涙香 譯
目次

-目次
-前置
-上卷 主要人物
-一 團友太郎と段倉
-二 お露は情婦ではありません許婚です
-三 父と子、類は友
-四 お露と次郎
-五 次郎は青くなつた
-六 幾等でも奧の手を
-七 筆と紙、筆と紙
-八 婚禮の饗宴
-九 何時までの分れ
-一〇 蛭峰檢事補と米良田禮子
-一一 宛名は誰れ
-一二 危い處、危い處
-一三 人間の日 照らぬ所
-一四 梁谷法師
-一五 國王陛下へ宛て
-一六 出世と云ふ一語
-一七 國王の御前
-一八 青天の霹靂
-一九 天運か天道か
-二〇 顏中に黒い頬髭
-二一 其顏を此窓から
-二二 一種の優形紳士
-二三 百日間
-二四 監獄巡視
-二五 二人の囚人
-二六 例の五百萬圓
-二七 此外の處分なし
-二八 卅四號、廿七號
-二九 怨に相當の復讐
-三〇 自殺、自殺
-三一 例の物音
-三二 誰だ、誰だ
-三三 穴の向ふと此方とで
-三四 其穴から頭を
-三五 己は伊國の法師梁谷だ
-三六 何の樣な時節
-三七 教師と弟子
-三八 誰を怨めば好いでせう
-三九 脱獄の再擧
-四〇 藥を、藥を
-四一 恩を返す道
-四二 金貨にて凡そ二……
-四三 扨て其大金
-四四 一枚の白紙
-四五 天の口、天の手
-四六 第三囘の發病
-四七 恐ろしい新思案
-四八 袋の中
-四九 監獄の墓地
-五〇 一天墨の如く
-五一 チブレン島
-五二 我姿を鏡に寫した
-五三 時が來た
-五四 モンテ、クリスト島
-五五 巖窟
-五六 巖窟の祕密
-五七 一廉の紳士と爲つて
-五八 戀しい消息
-五九 印度邊の豪族
-六〇 竒癖の人
-六一 贈り物
-六二 暮内法師
-六三 赤い皮の財布
-六四 不正直のお蔭
-六五 野西子爵
-六六 嬉しいだらう
-六七 尋常の法師では
-六八 イヽエ即金で
-六九 其代りにお願が
-七〇 其れ程能く見破る事が
-七一 森江商會
-七二 無論金件です
-七三 一艘の帆前船
-七四 漏水が初まりました
-七五 海の雇人
-七六 船乘新八
-七七 神さへ見捨てた
-七八 一通の手紙を差出した
-七九 此の短銃を何う成さる
-八〇 一挺は私が用ひます
-八一 不思議
-八二 天の意
-八三 嗚呼無人島
-八四 此島に大變な豪い人が
-八五 昔話の境遇
-八六 心の誓ひ
-八七 不老不死の靈液
-八八 望遠鏡
-八九 鬼小僧
-九〇 猿の樣に身輕く傳ふて
-九一 正直者か
-九二 初めて怪物の顏を
-九三 明朝の九時を以て
-九四 巖窟島伯爵
-九五 意の如くする積です
-九六 辛い修業
-九七 立派な彿國語
-九八 何處に隱れて了つたか
-九九 山賊の陷穽
-一〇〇 捕はれて居るのは何處
-一〇一 土牢と云ふ言葉に
-一〇二 サンサバシヤンの山洞
-一〇三 伯爵の巴里乘込
-一〇四 五月廿一日
-一〇五 森江大尉は此人です
-一〇六 三個の碧精
-一〇七 人を驚かす人
-一〇八 金の捨て所
-一〇九 嗚呼何の樣な對面
-一一〇 戀か恨か
-一一一 子爵夫人露子
-一一二 窓から誰か
-一一三 田舍の別莊
-一一四 古い祕密が
-一一五 此梯子は人殺しの
-一一六 コルシカ人の仇討
-一一七 其箱を深く埋め
-一一八 美しい男の子
-一一九 衣嚢《かくし》に小犬
-一二〇 血の雨
-一二一 神の言葉
-一二二 鼻でも切つて
-一二三 其樣な僅な金高
-一二四 美しい栃色
-一二五 大手腕
-一二六 其んな恐しい毒藥が
-一二七 世界の人
-一二八 神の法律
-一二九 一種の宣告
-一三〇 鞆繪
-一三一 此財布が忘れられやうか
-一三二 柳田卿とは誰

巖窟王 : 前置

世に英雄は多いけれど拿翁《なぽれおん》の樣な其の出世の花々しい英雄は又と無い。爾《さう》して其亡び方の異樣に物凄い英雄も亦と無い。

彼は實に、第十九世紀の首途《かどで》に花を飾つた人である、第十九世紀と云ふ大舞臺に大活劇の幕を開いたのが彼だ。

彼は千七百六十九年に、殆《ほとん》ど人の振返つて見さへせぬ、地中海の小島に生れて、三十の歳には早や全 彿國《ふらんす》を足下に踏まえる大將で有つた、十九世紀の幕の開いた千八百〇一年には、既に議政官の長と爲つて、國王の無い國に國王と同じ身分に爲つて居た。

猛りに猛つた民權論の眞盛りに、革命の眞只中に出て直ぐに其の民權論を蹂躙し、殆ど全國民の生殺與奪の權を一手に握るとは何たる怪物だらう、彼が其國の歴史に例の無い「皇帝」と云ふ尊號を得たのが、彼の卅六歳の年、即ち千八百〇四年で、民權も革命も總て彼の前にお辭宜《じぎ》した、此時に當つてや彼は佛國の皇帝たるのみね無く、全歐洲の王である、殆ど人間の閻魔大王とも爲つて居た。日耳曼《ぜるまん》も、西班《すぺいん》も、阿蘭陀《おらんだ》も、墺太利《おうすとりい》も、皆彼の配下に立ち、北方の強と云ふ可き露西亞《ろしあ》までも彼の鼻息の下《もと》に慴伏《せふふく》して居た。海を隔てた英國《いぎりす》より外には彼の意の儘に成らぬは無かつた、歴史家が此時の彼を指して「空前の大野心の空前の大成功」と云つたのは無理は無い、實に空前のみならず絶後の大成功である。

自分の兄弟三人を、サツサと諸國の王に取立て、尚ほ不足する所は手下の軍人で補つた、亂暴は亂暴であるが「國王製造者」と云ふ無類の異名を得たのは千古の竒觀と云ふ可しだ、全く隨意に國王を製造して居たのだ、大抵の國で野心家の野心と云へば、小さいのは獵官ぐらゐ、大きいとても總理大臣と云ふには過ぎぬ、此人逹に比ぶれば、何たる懸隔、雲泥などゝ云ふ言葉では追着かぬ、兵隊を議場に入れ喇叭の聲で議員の怒聲を埋めて置いて、一蹶して國家の長と爲り、再蹶して皇帝と爲り、三蹶して皇帝の上の皇帝と爲つた。

爾《さう》して其の四蹶目が面白い、自分の生れたコルシカ島から遠くも無いエルバ島へ、皇帝と云ふ尊號を持つたまゝ流されて蜑戸《あま》の焚く火の侘寢《わびね》に夢を照される人とは爲つた。

けれど四蹶には終らぬ、五蹶してエルバ島を脱するや備への嚴重なグレノブルの關所を單身で越えんとして番兵の前に立ち「防禦の武噐の無き皇帝を、汝射殺すて功名するは今ぞ」と告げた、膽力天地を呑むとは此事だらう、番兵が彼の膝に、彼の足に、縋《すが》り附いたも宜《うべ》である、佛國全土の民は箪食《たんし》、壺漿《こしやう》せぬばかりに歡迎したのも宜《うべ》である、新王 路易《るい》十八世が一夜の中に夜逃げしたのも亦 宜《うべ》である。

是れと云ふのも畢竟は、天が此の逞しい俳優をして大詰の一幕ウヲーターローの敗軍から、英國の軍艦で、セントヘレナの孤島に流さるゝ英雄の末路を演じさせ「私慾より上に脱せざる人には永久の成功無し」と云ふ大なる教訓を遺《のこ》さんが爲で有つたのであらう、彼は多くの英雄豪傑と同じく、偶然の人間では無い、天意の道具に使はれた特製の圖面である。

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茲《こゝ》に説き出す巖窟王の實談は、此の拿翁《なぽれおん》の話では無い、全く別の人、別の事柄であるけれど、拿翁《なぽれおん》と少からぬ關係がある、此話の始まるのが、丁度 拿翁《なぽれおん》がエルバ島を脱した千八百十五年二月廿九日の事で、此實談の主人公が、其島へ立寄つて拿翁《なぽれおん》に聲を掛けられて來た時からの話である。

而も此人や彼と同じく、亦偶然の人間では無く、天の意を圖解する天の道具かと怪しまれるのだ、拿翁《なぽれおん》が歴史の表面に活動する間に、此人は暗黒なる裏面に人間界の鬼の樣に働いて居た、爾《さう》して其一身の波瀾、其の閲歴と事功との光怪、殆ど拿翁《なぽれおん》と對す可き程の者で而も人物の天性、醇の醇なることに至つては、彼れ翁輩《をうばい》と比す可きで無い、唯翁は野心的に進み、此人は人情的に進んだ丈《だ》けに、翁は知られ、此人は隱れ、翁は輝き、此人は曇り、從つて舞臺も演劇も全く違つて居る、彼の人は雷の如く陽氣にして此人は地震の如く沈痛である。

唯だ發端の話頭《わとう》、聊《いさゝ》か翁がエルバ島を脱する時の事件と關聯する所が有つて、彼を知らねば之を解するの不便なるが爲めに、愈々《いよ~》話に入らうとする前に斯くは記して置くのである。

史外史傳「巖窟王」其の巖窟とてもエルバや、コルシカと同じ地中海の一島で又遠くは離れて居ぬ、舞臺とは、西洋から指して東洋と云ふ土耳古《とるこ》邊《へん》より伊國《いたりや》を經て佛國の中心歸して居る、或人は之れを「神侠傳」と云ひ或人は「復讐竒談」と云ひ、譯者は之を「巖窟王」と云ふ、孰《いづ》れの名も此人の一端を寫したに過ぎぬ、全體を讀終れば適當な概念が自ら讀者の胸に浮ぶであらう。

譯 者 識

巖窟王 : 上卷 主要人物

團《だん》友太郎《ともたらう》(エドモン・ダンテス)
數竒の運命とたゝかひぬく本篇の主人公。後の巖窟島伯爵(モンテ・クリスト伯)。
お露《つゆ》(メルセデス)
友太郎の許嫁、友太郎の入獄中次郎の妻となる。
次郎《じらう》(フエルナン)
スペイン村の漁師、後西班牙戰爭の功あつて野西子爵(モルセール子爵)となる。
野西《のにし》武之助《たけのすけ》(アルベール・ド・モルセール)
次郎とお露の間に生れた息子、若き子爵。
段倉《だんぐら》 喜平次《きへいじ》(ダングラール)
森江氏持船巴丸(フアラオン丸)の會計主任。後次郎と共に西班牙戰爭で巨利を博し大銀行家となり男爵を贖ふ。
蛭峰《ひるみね》重輔《しげすけ》(ヴイルフオール)
野々内彈正の息子で若き檢事補。父とは反對に熱心な王黨の支持者、後の檢事總長。
梁谷《はりや》法師(フアリヤ法師)
友太郎が獄中にて會える博學多才なイタリヤの司祭。友太郎生涯の恩師であり又恩人。
森江《もりえ》良造《りやうざう》(モレル)
マルセーユの船主、友太郎の主人にして又恩人。
森江《もりえ》眞太郎《しんたらう》(マクシミリヤン・モレル)
森江氏の長男で陸軍々人。
野々内《ののうち》彈正《だんじやう》(ノワルテイエ)
蛭峰の實父にてナポレオン黨の有力な鬪士。
粕場《かすば》毛太郎次《けたらうじ》(カドルツス)
友太郎の友人にてマルセーユの仕立屋、後に旅籠屋の主人。

巖窟王 : 一 團友太郎と段倉

拿翁《なぽれおん》がエルバの島に流されて早十ヶ月ほどを經た千八百十五年二月廿四日である、地中海の東岸から丁度そのエルバ島の附近を經て彿國《ふらんす》の港、馬耳塞《まるせーゆ》へ巴丸と云ふ帆前船が入つて來た。

是は此の土地で餘ほどの信用ある森江商店の主人森江氏の持船であるので、波止場に居合す人々が、立つてその近寄る状《さま》を見てゐると、既に港の口を入つてゐるのに何故か岸の傍《そば》へ來るのが遲い、何か船中に間違があつたに違ひないとの心配が言はず語らず人々の胸に滿ちた。

けれど船其ものに故障が出來たとは見受けられぬ、船は無事に前、中、後、三本の柱に帆を上げ、舳《みよし》には水先案内の傍に年十九か廿歳《はたち》ばかりの勇ましい一少年が立つて、殆ど船長かと見ゆる程の熟練を以て介々しく水夫等を差圖してゐる、それだのに何と無く尋常《たゞ》ならぬ所がある。

陸にゐた人々の中、一人は、最早氣遣はしさうに、空しく待つてはゐられぬと云ふ風で手早く岸の小船に飛び乘り、自分で漕いでその傍《かたはら》まで漕付けた、是れは此の巴丸の持主森江氏である、漕付けて上に居る彼の少年に聲を掛け、「マア團君か、何うしたんだ、船中總體が、何だか陰氣に鬱《ふさ》ぎ込んでゐる樣に見えるが — 」團と呼ばれた彼の少年は主人への敬禮に帽子を脱ぎ「オゝ森江さんですか誠に不幸な事が出來ました、船長 呉《くれ》氏が伊國《いたりや》沖で死なれました」船主森江は「シテ積荷は、積み荷は」團少年「それだけは御安心です、荷物は仔細ありませんけれど傷ましい呉船長は — 」森江「誤つて海にでも落ちたのか」團「イイエ急な腦膜炎で死なれました」いひつゝも少年は水夫を顧みて帆の事から錨の事にまで差圖を與ふるは、船長の死んだ爲め自分自身が差圖の役だけは勤めて居ねばならぬ爲であらう、差圖が濟むと又持主の方に向ひ「伊國《いたりや》の港を出るとき船長は港係の長官と長い間熱心に何かお話でしたが、其からといふものは甚く心配の御容子で、間もなく今申す腦膜炎と爲り、三日三夜苦しみ通して終《つひ》に最期を遂げられました。其 亡骸《なきがら》はギグリヨ島の影へ式《かた》の通り水葬しまして、勳章と劍だけを奧さんへ屆ける爲め吾々が持つて來ました、ホンに十年間も英國との戰爭に從事した人だと云ふに惜い事を致しました」森江氏は慰めて「嘆くな友太郎、誰だつて一度は死なねばならぬエゝ年取つた者が死なねば若い者が出世出來ぬ」言葉の中には暗に船長に取立てて遣るとの意が見えて居る。に尤も無理は無い所であるあ。

斯《かゝ》る中ににも此少年團友太郎が水夫を指揮する樣を見るに、規律が能く立つて宛《あたか》も自分の指を使ふ樣に自在である、森江氏「先《まづ》荷物に障《さは》りが無ければ」團友太郎「ハイ荷物の事は何うか荷物取締の段倉君からお聞下さい、今度の一航海は餘ほど儲かつたと云ふ事ですから」云ひつゝ船舷《ふなべり》に繩を卸せば森江氏は水夫も及ばぬほど巧に之を攀ぢ、直に甲板に上つて來た、そして團少年が猶も急がしく指圖してゐる間に茲《こゝ》へ出て來た荷物係の段倉といふ男に對《むか》つた。

段倉は團友太郎より年が五六歳も上であらうか眼《まなこ》に油斷の爲らぬ光のあるは何だかゴロ猫の樣に見え、何から何まで團とは大違ひである。團が水夫等に敬はれ愛せられてゐるのと同じ割合に段倉は憎まれ嫌はれてゐる、けれど主人の信用を得てゐることは團と似寄つたものと見える、森江氏「聞けば段倉君、呉船長が死んだ相だが」段倉は目下へ向つて非常に嚴しいと共に上に向つては非常に鄭重だ、先《まづ》聲から柔げて掛かり「ハイ何うも早お氣の毒に堪へません、森江商店の樣な大信用ある商社の船を管《あづか》るにはアノ樣な老練な方でなければ」と早團少年が船長に取立てられはせぬかと、主人の顏色を讀取つて嫉ましさに豫防してゐる、豫防と見せずに豫防するのが段倉の段倉たる所である、森江氏「ナニ船を管《あづか》ることは、友太郎は、慣れたものではないか」といひゝ團少年の方を見返れば、段倉は目に又も羨ましさの光を現はし「ハイ自分では一廉《ひとかど》出來る積でゐる樣です、少年と云ふ者は兎角自信に強い者で、船長が亡くなられると直に、誰にも相談せずに、自分が指圖役になつた所などは感心な者ですよ」何だか言葉の中に毒がある、其毒を甘い蜜の樣に聞かせるのだ、森江「勿論友太郎は船長の手助けに乘つてゐるのだから、船長の跡を取敢ず引受けるのがその義務といふもの、誰にも相談する必要はないのぢや」段倉「ハイそれは爾《さう》でせうとも、けれど其のお蔭で、エルバ島の所で船を一日後らせて了ひました」

エルバ島とは耳に着く言葉である、不斷なら何でもないが、時が時だけ耳に着くのだ、今に此島から天地も覆へる程の風雲が起りはせぬかと誰も氣にしてゐる所である、果して森江氏が耳を聳《そばだ》てた、「エ、彼のエルバ島で船を一日、何處か船體に損所でも出來て」段倉は得たりと「ナニ損所が出來ますものか、唯自分で上陸して見たいといふ詰らぬ望みの外には何の原因もないのです」是は船主としては聞捨難い所である、船の指圖を引受けた者が自分の慰みに一日の航路を後らせる法は無い、森江氏は友太郎の方に向ひ「團君、團君」と呼び立てた。

團少年は指圖の最中である、振向いて「少しお待ち下さい」といつた儘水先案内に力を合はせ水夫に錨を卸させてゐる、段倉は最《も》う主人の顏色を見て「我事成れり」と思つた樣子で荷倉の方へ引込んだ、其後へ、暫くして團少年は來た「何か御用事ですか」森江氏「用事とて、實はエルバ島へ一日船を着けてゐた仔細を聞き度いのだ」團少年は澱みもせずに「ハイ呉船長の遺言を果す爲でした、船長が死に際に、何だか小包物を私へ渡し、之をエルバ島にゐるベルトラン將軍に渡して呉れといはれました」呉船長は拿翁《なぽれおん》の下《もと》に戰つた人であるから、無論其黨派である、ベルトラン將軍とも何か氣脈を通じてゐたに違ひ無い、斯かる人を船長に雇ふて置く森江氏とても實は心を拿翁《なぽれおん》の方へ寄せてゐる人だから、此の返事を聞いて忽ち顏が晴渡つた樣である「シテ將軍に逢つたのか」友太郎「逢つて手渡し致しました」森江氏は邊《あた》りを見廻はしズツと聲を潛めて「皇帝には拜謁せなんだのか」皇帝とは無論 拿翁《なぽれおん》の事である、友太郎「ハイ私が將軍と逢つてゐる其 室《へや》へ突々《づか~》と皇帝がお出に成まして」森江氏「其ぢやお前は、皇帝と直々《ぢき~》にお話もしたのだな」