読書ざんまいよせい(047)

◎バルザック「農民」


 バルザックのほぼ「遺稿」となった長編小説、解説にもあるように、一言でいえば、バルザック版「桜の園」(チェーホフ怍)。とすれば、立ち位置は、そうとう、ずれるが、ラネーフスカヤ夫人は、さしずめモンコルネ将軍夫人に比されよう。
 エンゲルス曰く「彼の大作は、よき社会の避けられぬ没落に対する悲歌《エレジー》である。
 バルザックがある意味モデルとしたイギリスに遅れて、「資本の本源的蓄積」がフランスにおいて完了しようししていた時期、社会は、旧貴族、農民、新興ブルジョアジーの三階級にわかれての「階級闘争」だった。そのなかで、従来の農村小説にあるような牧歌的田園風景の記述は脇におかれている。登場する農民も、ごく少数の「肯定的な聖人」を除き、どちらかと言えば、バルザックらしい脂らぎった人物が生彩を放つ。
 ある一節で
「今日ある縣で重罪犯人の首が落ちるのに、一方その隣県ではそれと全然同一の罪、否、しばしは一層恐ろしい罪を犯してゐながら犯人の首が繫がっていることがあるといふ事実を、いかなる哲学者があへて否認しようとするだろう。人は生活において平等を欲する。しかも法律や死罪においては不平等が支配しているのである。……」
 現在においても、冤罪事件が痕を絶たないのを示唆しているようだ。

図は、岩波文庫「農民からの挿絵と架空の村「エーゲの荘園周辺地図」

 蛇足になるが、
ルカーチ「バルザックとフランス・リアリズム」にて曰く(「史的唯物論すぎる」のの評判はあるが、傾聴に値する、なかなか良質な解説ではある。)
 「バルザックは晩年の彼の最も注目すべきこの長篇小説において、貴族の大農地が没落してゆく悲劇を書こうとした。彼は一系列の作品群によって、抬頭する資本主義によるフランス貴族文化の解体を描いているが、この作品はそれらの結びとして書き起された。実際それはこの系列の終結となっている。というのはここにおいて、貴族階級の滅亡の直接の経済的諸原因が書き現わされているからである。これよりも前に、バルザックはパリや、或は辺鄙な地方都市における貴族階級の没落の姿を描いた。ここでは彼はわれわれを経済的戦場そのもの、すなわち貴族の大農地と農民階級とが対峙する戦場へと連れてゆくのである。
 バルザックはこの書を彼の決定的な作品の一つとみた。彼は言う、「私が書こうと決心した作品のうち最も重要なもので、私は八年間、何度これを放棄し、何度また改めて取り上げたか分りません…」。けれどもバ ルザックは、このように並外れて念の入った準備をしたにもかかわらず、又このように徹底的に腹案をねったにもかかわらず、実際は彼が意図したものとは全く正反対のものを描いてしまった。すなわち彼は分割農地の悲劇を書いてしまったのである。だが、腹案とでき上ったものとの間のこの矛盾、思想家、政治家バルザックと『人間喜劇』の作者との間のこの矛盾の中にこそ、彼の世界史的偉大さは存する。」

あらすじは、
「主軸となる筋立ては1820年代前半に置かれ、エーグという美しい領地が舞台となっている。エーグは架空の土地であるが、ブルゴーニュ地方に位置するとされる。モンコルネ将軍(伯爵)によってここが買収された。裏帳簿によって横領を続けていた管理人ゴーベルタンは以前の地主ラゲール嬢の死後、自らこの土地を入手しようと考えていたので目論見がはずれたのであった。モンコルネ夫人は愛人であるジャーナリストのエミール・ブロンデをこの地に招き、ブロンデは爽快な滞在の様子を同業者である友人ナタンに伝える。
ところが、一見朗らかな田園にしか見えないこの土地は、実は地元の農民によって日常的に収奪されていることが明らかになる。モンコルネ伯爵は地所の管理を厳格化するため、依然として使い込みを続けていた管理人のゴーベルタンを追放するが、ゴーベルタンやその仲間のブルジョワたちが農民に反乱をけしかけ、騒擾はやまない。農民たちの不法行為はさらにエスカレートし、忠実な番人のミショーを殺害するに至る。憎悪に満ち狡猾な不屈の敵陣に悩まされ続けた伯爵は、自分の側が敗北したことを悟り、元値割れで土地を手放す。十数年後、伯爵は死去し、富裕な未亡人となった夫人は当時絶望の淵にあったブロンデの妻となる。
ブロンデはその後知事に任命され、夫妻は工ーグの地に立ち寄るが、そこでは土地の極度の分割化が進み、往時の美しさは失われていた。」
名古屋大学学術機関リポジトリ バルザック『農民』 から

読書ざんまいよせい(044)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

【編者より】
 またもや、大層な長文痛みいる。本文に《》が使われてる故、ルビの内容は[]で已む無くされた。

王の愛妾

 今は昔、巴里両替橋の鍛冶場に居住するさる宝石師の娘に、飛切りの別嬪がおって、そのあでやかさは巴里じゅうにも鳴り響いておった。さるに依り恋の仕組のいつもごとを以て、言い寄る殿方も数知れず、妻に娶るべく莫大な金品を醵出しようとまでする篤志家も現われ、父御はすっかり有卦に入って恵比須顔でおられたとか。
 その隣人の一人に最高法院の弁護士がおったが、世間様にお喋りを売ったお蔭で、犬に蚤めがいるように沢山と地所を買い込み、たまたま見染めた隣りの娘に、結婚事をおっぱめようとして、件の父親に立派な家屋を進呈して、うんと言わせようと計られた。ひげむじゃらのこの三百代言が猿面をしていようが、下顎に歯が僅かしかなく、それもみなぐらぐらしていようが、一向に父親はお構いなく、また育ちが育ちで、――いったい裁判所で、羊皮紙や判例集や真黒な訴訟書類などの、堆肥くずの残骸の蔭に起居する司法畑の連中は、みんな嫌な臭いを身に沁みこませているものだが、――そうしたむさい悪臭を婿どんが放とうが、些かも嗅いでみることもせず、二つ返事で娘をやることを合点してしまわれた。小町娘は未来の婿どんを見るや否や、《まあ神様、お助けを。あたし真平御免だわ。》と、真向から反対めされた。しかし家屋敷がすっかりお気に召していた父親は、《それは儂の知ったことか。結構人の良人を其方に選んでとらせたのだ。あとはお前から気に入られるようにするのが、あいつの才覚というものじゃ。お前はただ跋を合わせればいいのだ。》
『そんなものでしょうか。いいわ、お父さんの言附に従う前に、あの人にうんと将来を思い知らせてやるから。』
 その晩、夕食後に弁護士が、彼女に燃えるような彼の訴訟事実を申し立てて、いかにぞっこんあつあつであるかを陳述いたし、生涯彼女に大御馳走を予約し出した時、彼女はあっさりとこう言った。『父はあなたに妾の身体を売りました。それを貴方が受けるなら妾は不仕鱈女になってお目にかけます。妾はあなたに身を許すくらいなら、行きすがりの人にこの身を任せた方がいいですわ。終世渝らぬまことを誓うのとは反対に、渝らぬまおとこ沙汰を、あたしはあなたに誓います。あなたかあたしか、どっちかの死ぬまでずっと。』
 そう云ってまだおっぺされたことのない娘っ子がみんなするように、彼女もまた泣きじゃくり出した。知った後では、阿魔っ子は決して眼では泣かぬものである。人の好い弁護士は彼女のこの変手古な仕打を、からかいかおびき寄せの手と考えた。そういえば娘っ子は相手の情炎をさらに煽って、その愛溺に乗じ、寡婦財産設定や未亡人先取権獲得や、其他くさぐさの妻の権利を、泰山の安きにおこうとして、斯様な手立てをお用いめさることが屡々である。で、弁護士も老獪なだけに、ちっともそれらを真に受けず、愁歎の美女を嗤ってこう訊ねただけだった。『祝言はいつにしよう?』『明日でも結構よ。早ければ早いほど、好き勝手に色男がもて、選び放題に色恋のできる快楽生活を送れるわけですもの。』
 童児の鳥黐にかかった河原ひわのように、恋の虜となったこの恋やみの弁護士は、早速に家に戻って嫁取り支度に取掛り、思いをただ彼女の方にばかり馳し、裁判所であたふたと婚姻手続を済ませ、司教代理判事の許で結婚の特免状を購い、彼の引受けたこれまでの訴訟事のなかで、ついぞ示したこともないようなあっぱれ迅速さで、手早く事を運んだのであった。
 ちょうどこの時分、御遠征さきから戻られた国王には、宮廷じゅうが例の小町娘の噂で、持切りなのを御覧になられた。誰それどのの提供した一千エキュの金を、彼女が蹴ったとか、何がしどのに肱鉄をくらわせたとか、はては誰にも靡こうとせぬ操正しいこの堅気娘と、たった一日でも楽しい思いが出来たら、後生の一部を割いても惜しゅうないという意気込みの貴公子がたを、みんな彼女は袖にしたなどという評判を、王にはお耳にせられ、こうした獲物がりにはかねて目のない御尊貴方のこととて、早速に町へお忍びであらせられ、鍛冶屋敷に赴いて宝石師の許にお立寄りになって、その心の想い人の為に若干の宝石を購い、且つはその店の一番貴重な宝石を、お取引あそばそうとなされた。が、王にはなみの宝石がお気に召さなかった。或は言うならば、なみの宝石が王の御趣味には合わなんだ。それで店の主人が、隠し金庫の中を掻き探し、巨きな白ダイヤをお目にかけようとして、金庫に鼻を突込んでいる隙に、王様には小町娘にこう申された。『そなたは宝石を売る柄ではなくて、受ける方がいっそ適していよう。この店の指環[はめもの]のうち、儂にその一つを選べとなら、余人も惚れ、この儂にも気に叶う一品を、もう疾うに選出ずみじゃ。儂は永久にその臣下か下僕となろう。フランス王国を捧げても、そのあたいを払い切ることはかなわぬと見たぞ。』『陛下、明日妾は祝言事をいたさねばなりません。けれどもし妾に、陛下のお腰にしておいでの短剣を、一振り頂戴出来ますならば、誓ってわらわの花を守護し、「シーザーのものはシーザーへ」の福音書の訓え通り、その花を陛下の為に、取って置くといたしましょう。』
 即座に王は短剣を御下賜あそばされた。彼女の雄々しい言葉から、王は御食慾を爾今うしなわれるまで御恋慕遊ばされ、イロンデル街の御別邸に、この新規な愛妾を囲おうと思召されながら、立去られたのであった。
 さて弁護士は結婚でおのれを縛ろうと急ぎ、鐘の音と音楽の流れるなかを花嫁を祭壇に導き、お客を下痢させるほどの盛大な酒盛を開いたが、恋敵たちの無念の思いは、そも如何ばかりであったろう。その晩、舞踏もおひらきになってから美しい花嫁御のやすんでいる筈の翠帳紅閨に婿殿は赴いた。したが相手はもう麗しい花嫁どころの騒ぎでなく、いえば訴訟ずきの小悪魔、いかりたった妖魔であった。花嫁は安楽椅子に陣取ったきりで、婿どんの床に入ろうともせず、炉の前でその忿怒や前のものを焙っているばかり。喫驚いたした花婿は、花嫁御寮の前で膝を七重に折って、初太刀とっての心楽しい打物わざに、彼女を招聘いたしたが、フンともこれに彼女は答えなかった。ひどく彼に高いものについた彼処を、ちょっと眺めるためペチコートをまくろうとして、骨も挫けよとばかりピシャリとなぐられた。しかも花嫁は頑強に口を噤んだきりだった。このお茶番はしかしかえって弁護士のお気に召した。そこで、みなさん御存じのあのことを以て、この場のけりをつけたいと思った彼は、本気でこのお茶番に乗り出し、根性わるの嫁が君から、さかんな反撃を蒙ったが、組みついたり押しつけたり、ひっ繰り返したり、くんずほぐれつのその結果は、彼女の袖を片っ方ちぎり、スカートを綻ばせたりしてのち、すべらした彼の手は、あわや愛くるしい狙いの的に達しかけた折、あまりといえば不軌蔑しろなこの異図に、柳眉を逆立てた彼女はすっくとその場に立上って、王の短剣をやおら引抜き、『あたしから何が欲しいんです!』と叫んだ。『何もかも欲しいんだ。』『不承不承にからだを提供《おつとめ》するのは、売女同然の仕打です。妾の素女点が武装されてないと思ったら、大間違いですよ。さあ、これは王様から賜わった短剣です。妾に近づくようなことをなされば、これで殺してしまいますよ。』
 そう言って彼女は、弁護士の方に眼を配りながら、消炭を取上げ、床の上に線を引いてこう附け加えた。『これから内側は王様の御領分ですから入らないで下さい。もし越境などしたら、お命は頂戴してよ。』
 打物を執ってといっても、短剣でなんぞ色恋をする積りはなかったので、花婿はすっかりしょげてしまわれた。しかしむごい彼女の宣告を聞いている間、仰山の金を費して敗訴となった弁護士の彼は、彼女のスカートの破れ目から白いむっちりしたあでやかな太腿のけなるい一部や、ローブの綻びを塞いでいる輝かしい主婦むきの裏地や、其他の隠しどころをまじまじと眺めて、ちょっとでもそれが味わえたら、死んでもよいとまで思い込み、《死のうがどうしようが!》と叫んで猛然と王領のなかに殺到いたした。
 その勢いの凄じさといったら、どすんと彼女も寝床の上に押し倒されたくらいだったが、しかし気を鎮めて花嫁は、健気にもこれに応戦し、手足をばたつかせて逆らったので、突貫花婿にせいぜい出来たことは、金色の毛皮に手を触れ得たことだけだった。それも背中の脂肉を、短剣でいささか切り取られた奮戦の賜物とはいえ、それくらいの手傷で、王の持物のなかへ突入できたとすれば、彼にとってそう大して高いものでもなかった。この僅かな勝利に酔った彼は、《この綺麗なからだ、この愛の驚異を、おのが物にせねば生きる甲斐がない。どうか俺を殺してくれ!》と叫んで、またもや王の禁猟地へ肉弾攻撃にと移った。王様のことがあたまにある花嫁は、こうした花婿の偉大なる恋情にも、べつに感動もせずに重々しげに云った。『そんなにしつこく妾を追い廻すのでしたら、あなたを殺すかわりに、あたしは自分を殺します。』
 そう言った眼差のたけだけしさに、弁護士はあっけらかんとして、べったりそこに腰をおとし、今宵の不首尾を打歎いてその夜を送った。世間の相愛の男女にとっては、楽しくもめでたい初夜を、彼は悲嘆と哀願と号叫と約束――何でも浪費してよい、黄金の茶碗で食べさす、領地や城館を購って、町娘から一廉の立派な上臈にする、八方いたらぬなき親切を尽す云々――のお世辞文句の裡にその一夜をあかし、仕舞にはもし妻が、愛の誉れの出会の槍を、良人に一回だけ折ることを許すならば、すっぱりと妻から離れて、その望む通りに、この生命を棄てても苦しゅうはないとまで申した。
 しかし相変らず頑なな彼女は、朝方になって死ぬことなら許すと云い、彼女が与え得る果報は、ただそのことのみと申した。『妾が先日申したことは、金輪際本当です。ただあの折の約束とは違って、王様にこの身を任せるつもりですわ。ですから先に威したように、行きずり人や人足や車挽きなどには、許しませんから有難く思って頂戴。』
 暁方になるや、彼女はスカートをつけ、婚礼衣裳をまた着て、望まざる花婿が依頼人の許に、しょうこと無しの用事で出掛けるのを、根気よく待った。そして弁護士が外出するや、大急ぎで彼女は王様を探しに町へ出た。が、弩[おおゆみ]の射程ほども行かぬうち、館のまわりを王の言附で見張っていた侍従に呼びとめられた。まだ貞操に南京錠をかけていた花嫁に、侍従はいきなりこう云った。『そこ許は国王を探しておられるのではありませんか?』『そうですわ。』『じゃ安心して私に何でも打明けて下さい。これからは互に助け合い、庇い合おうじゃありませんか。』とこの機敏な廷臣は肝煎り顔で、王の人となりや、王の心の掴み方や、今日は熱中し明日は冷却するそのむら気なことや、なにやかやを語り聞かせてくれた。金もふんだんに貰え、待遇も此上なしだが、ただ王を尻の下に敷くことを忘れぬようにとも、彼女に忠告してくれた。道々そんなためになる訓えをさかんにしてくれたので、イロンデル街のお屋敷に――ここは後にデタンプ夫人のお館になった――着いた時は、彼女はもうすっかり一廉の淫奔女[それしあ]に、教育されてしまっていた。
 花嫁の姿が家に見えぬもので、可哀想な良人は、犬に吠え立てられた鹿のように泣き悲しんで、それからというもの、めっきり陰鬱な男になってしまわれた。コンポステル寺で本尊のサン・ジャックさまが讃仰される数ほども、彼は同僚から嘲りや恥じしめを受け、あれこれ悲観してすっかり憔悴し乾からびてしまったので、却って仲間うちの同情を惹くくらいになった。これら髯むじゃらの状師どもは、三百代言的根性から詭弁を弄して、こう判定いたした。すなわち弁護士どのは御内儀から、騎馬槍試合を拒まれておったゆえ、決してまだ寝取られ亭主とは申されぬ。また間男が国王以外の仁であったら、結婚解消に就いて訴訟を提起出来るに残念な次第だなどと抜かした。けれど弁護士は死ぬほど彼女にぞっこん惚れ込んでいたので、何時かは彼女を自分のものにしようというあてなし頼みから、王様に預けっぱなしにしておき、あとで一晩でも一緒に巫山の夢を結べたら、終生の長っ恥も物の数ではないとまで考えめされていた。なんと深くも愛したものでは御座らぬか。それなのに、かかる偉大なる恋愛を、嘲弄めさる殿方衆が世に多いとは、嗟乎!
 かくて彼は相変らず彼女のことしか念頭になく、おのが訴訟や依頼人やちょろまかしごとや何やかやを、すっかり等閑に附してしまっていた。落し物を探し歩く吝嗇漢のような恰好で、彼は裁判所に出入し、うなだれ、放心し、気遣わしげで、遂にはある日なんど、弁護士連中がよく用を足す壁に向って、小便をしている積りで、評定官の法服に小便を引掛けてしまったことさえあった。
 その間、彼の御内室は朝に晩に国王の御寵愛をかたじけなくし、また王様にも彼女に飽満あらせられたためしがおりなかった。それほど彼女は恋の道にかけて、縦横にあじな特技を発揮し、恋の火を燃やすのも消すのも巧みな、豪の手だれとなっておったのである。今日は王様を邪慳にあしらうかと思えば、明日は猫っ可愛がりに可愛がるという風で、変幻自在に手立てを尽し、深閨の座が賑やかで、粋で艶っぽく、陽気でさかしく、達者で、色の諸わけを皆式わきまえ、他の女子衆には到底出来ぬような、いびり方やじゃらつき方まで心得ておられた。
 ブリドレ殿と申す仁は、トゥレーヌにあるブリドレの領地を彼女に捧げたが、恋の情を掛けて貰えぬ恨みから、自裁して果てられた。艶なる槍一突きのために、かく領地をも捧げて惜しまぬといったトゥレーヌの昔の伊達衆は、もう向後はござりゃまおすまい。さればこの殿の死は彼女をいたく悲しませた。それに懺悔聴聞僧も、この落命を彼女の咎目に帰したので、身は王の愛妾にありながらも、爾今はおのが魂を救済のため、領地もどんどん受領して、こっそり快楽を八方に頒とうと、内心誓った次第である。かくてこの時以来、町の尊信を彼女にあつめさせたあの大身代を、築き始めることと相成り、それと共に多くの縉紳を破滅から救ったが、なにせよその琵琶の調子を合わせることが巧く、またぬけぬけしい嘘が上手でもあったので、王様には臣下の者に福祉を授けるのに、彼女の力が大いに与っておったとは、ちっとも御存じにならなかった。いたくそのお気に召した彼女は、天井板を床板と、王に信じ込ませることもいと容易に出来たと申すのは、イロンデル街の下屋敷におられる時間の大部分を、王様にはもっぱら横臥の姿勢をお執りになっていたため、板のお見分けも覚束なくなってしまわれた故であった。王はたえず嵌物をあそばし、かの美しいしろものを擦り減らせるかどうかとお試みになったが、擦り切れたのは結局御自分で、後に好漢ついに色の病で果て給うたのである。それにまた彼女は心して宮廷でも一番に貫禄のある美貌な公達にしか肌身を許さず、従ってその御眷顧は、奇蹟のように稀れだったに拘らず、岡焼連中や競争相手は、一万エキュ出せば、しがない一介の貴族でも王者の快楽をほしいままに出来ると、蔭口いたしておったが、これはまったく跡方もない赤嘘であることは、いよいよ王と別れるという際、このことで王のお咎めを蒙った折り、彼女は王に傲然とこう答えた言辞に徴しても明らかであろう。『そんな出鱈目をわが君に申した奴を、あたしは唾棄します、呪います、三万遍も憎みます。あたしとの肉炙りに、三万エキュ以上出さぬようなしみったれなんか、ついぞ相手にしたことはございませんもの。』
 すっかり震怒あそばされていたが、王にはこの返事を聞かれて御微笑を禁じ得なかった。そして世間の徒口[あだぐち]を鎮めるため、一ケ月近くもなおお手許にとめおかれた。到頭デタンプ夫人が競争相手の彼女を失脚させ、代って出頭第一の寵姫とも女御ともなられたのであるが、その失脚ぶりがまた羨しい限りと申そうか、お婿さんとして若い殿御をあてがわれ、その殿御もまた彼女に添って至極幸福を味わられた。というのは、あまり事を知らなさすぎて、罪作りとなっているような冷たい女人衆に、転売のできるくらい彼女にはぎょうに恋情と情火が豊かだったからである。
 閑話休題[あだしことはさておき]、ある日のこと、王の愛妾は、飾紐やレースや小沓や襟飾などの恋の軍需品をもとめに、輿に乗って町に出られた。その形艶なことといい、綺羅を飾ったよそおいといい、彼女を見たもの誰もが、天国が眼前にひらけたのを見るような思いをいたした。別して若い坊主どもにはそうだった。ところがトラオワールの十字路の近くで、彼女は良人の弁護士にはたと出逢ってしまった。輿の外にその美しい片足を出し、ぶらぶら揺すっていた彼女は、蝮蛇でも見たように、慌てて顔をひっこめた。婚姻の宗主権を軽蔑して、亭主を辱しめつつ傲然と通り過ぎる御内儀が多いこの世に、なんと殊勝な志ではおりないか。『どうなさいました?』と尊崇やみがたく彼女に同伴していたド・ランノワ殿には訊ねられた。『なんでもないの。』と彼女は低い声で答えた。『あそこを通るのは、妾の良人ですが、可哀想に随分変ったこと。むかしは猿に似てましたが、今はジオブそっくり。』
 哀れにも弁護士は、大口あけたままそこに立竦んでいた。熱愛の妻とその華車な足を目にして、心の張り裂けるのを覚えたあまりである。
 聞いてランノワ殿は、大宮人の嘲弄口調でこう弁護士に言った。『あの方の良人というのに、お通り[パッセ]<*注1>を邪魔するって法があるかい?』
 この洒落を聞いて彼女は大笑いをした。が、人の好い良人は、勇ましく荊妻を手にかける代りに、彼のあたまや心臓や肝玉や何やかやを断ち割る、その笑い声を聞くと、そのまま泣き出し、王の愛妾を見ながら、因果骨に活を入れようとしていた傍らの年寄の町人の上に、危く倒れかかった。蕾の時に我が物とした美しい花が、今は匂やかに咲きみちたのを見て、その白いむっちりした肌色、妖女のようなあじまやかな肢体に接し、一段と恋煩いを覚え、言葉では到底につくせぬほど、首ったけになってしまわれた。そうした恋慕地獄を知ろうとならば、べっかんこする情婦に、先ずは狂おしい恋をしての上でなければ、何とも思案に落ち申さずだが、それにしても当時の彼ほどの溺れ方は、たぐい稀れと申さねばなるまい。いのちでも財産でも名誉でも何でも、たった一度、肉と肉であえたら、すっかり犠牲にしてもいいし、その愛の大御馳走には彼の臓腑も腰も、置き去りにして参ろうと、堅く誓ったほどだったからで、その晩は夜もすがら、『おお、そうだ。必ず彼女をものにしてみせる。神様、私は彼女の亭主ではございませんか。なんたる不愍な身の上でしょう。』など云いながら額を叩き、かつかつ座にいたたまれぬうつけなていたらくであった。
 さてこの世の中には偶然というものが幅を利かしておる。それを料簡の狭い連中は、超自然の遭遇だなんどと申し、信じようとはめさらぬが、しかし高遠な想像力をお持ちの仁は、まこととして真をおかれている。何故ならそう易々とは偶然を案出することがかなわぬからだ。で、左様な訳で弁護士が彼の愛の空頼みに望みをかけて、重苦しい徹夜に耽ったちょうどその翌日のこと偶然が彼に訪れたのである。即ち彼の依頼人のひとりで、常々王の御前に伺候していたさる知名の廷臣が、朝方、弁護士の許に参って、一万二千エキュほど即座に用立てる周旋をして貰えぬかと頼みに来た。この髯むじゃらの猫はそれに答えて、そんな大金は造作なく街角にころがっている代物ではござらぬと申し、担保や利子の保証が要るばかりか、腕組して一万二千エキュの金をぽんぽに擁しているほどの人は、この広い巴里にもたんとはいる筈がないから、それを見附けることが先ずは難事だなどと、屁理窟屋の言うような文句を並べた。『閣下、あなたさまは慳貪[けんどん]きわまる債権者をお持ちのようですな?』『そうなんだ。なにしろ相手は王の愛妾の一物ときている。が、このことは内緒だ。今夜二万エキュと俺のブリの地所を提供して、その味を試みるという寸法になっているのだから。』
 聞いて弁護士は蒼くなった。弁護士の泣きどころに触れたように延臣は思ったが、凱旋したばかりとて、王の愛妾に良人があることなぞ、彼は一向に知らなかった。『顔色がお悪いようじゃが……』『ちょっと熱があるんでごあす。で、あなたさまが契約したり金を渡したりのお相手は、しんじつ王様のあれでございますか。』『そうだよ。』『誰が取持ちに入るんです?
 それとも直々のお取引で?』『いや、そんな細かいとりきめやなんかは、小間使がやっている。これがまた凄い腕達者で芥子よりぴりっとしている女だ。王の目を掠めての夜の周旋ごとで、たんまり甘い汁を吸っているらしい。』『私の友人の高利貸[ロンバード]なら、或いは御用立ていたすかも知れません。したが血を黄金に変ずるという大錬金術師そこのけの逸物の代価を、小間使がここに来て受取らぬ限り、何とも出来ぬし、また一万二千エキュも鐚銭一文の値打もないというわけですな、フーン。』『そうなんだ。小間使に処方[アキット]<*注2>を書かせれば、占めたものなんだが。』
 と笑いながら延臣は答えた。
 小間使を寄越すようにと廷臣に頼んだので、案の定、金を受取りに、弁護士の処へ小間使はやって参った。晩祷に行く尼さんの行列のように、ずらりテーブルの上に、並べられたぴかぴかした金貨の美しさ輝かしさ気高さ頼もしさ若々しさと申したら、けだし無類千万。おそらく折檻最中の驢馬でさえ、にこりといたすに違いあるまい。が、弁護士は何も驢馬に見せつける為に、拡げた訳ではおりなかった。金の山を見た小間使はぺろぺろ唇をなめ、黄金に対して拝み文句を仰山に並べ立てた。折もよしと弁護士は彼女の耳の中に金臭芬々たる次の言葉を吹き込んだ。『これはお前さんにやるよ。』『まあ、あたしこんなにお代を頂いたことありませんが……』『おっと、と、お前の上に載せろというんじゃないよ。』そう云ってちょっと彼女を引寄せて続けた。『俺の名前をあの殿から聞かなかったかい?
 なに、知らぬ!
 そうか。何を隠そうお前がいまつかえているあの王様の堕落させたマダムの本当の良人は、この俺様なんだ。この金をあれに届けたら、またここへ戻って来てくれ。きっとお前の好みにもあうような条件で、お前にやる分の同額の金は、ちゃんと耳を揃えておくから。』
 初め不審を起した小間使は、気が鎮まると同時に、弁護士に触れずに一万二千エキュ稼げるというのは、どうした訳かと知りたがって、すぐと間違いなく戻って来た。『さあ此処に一万二千エキュある。この金で領地も買えれば、男も女も買えるし、尠くも坊主三人ぐらいの良心は買収出来よう。だからこの金でお前の心も身体も上腹も何もかも、こっちのものに出来る寸法だ。で、俺はお前を信頼する。《与える者に与えよ。》の弁護士道の建前からだ。だからすぐこれからあの廷臣の処へ行って、今晩お楽しみの予定のところ、俄かに王様が夜分お成り遊ばされることになったから、今晩だけは他へ行って、その方の埒は明けるようにと、申して来てくれ、すれば俺にあの幸運児や国王の代理が勤められる訳だ。』『まあ、どうやってですの?』『俺はお前を買収したんだ。お前もお前の細工も、俺には頤使出来る筈なんだ。俺の女房と楽しめる手筈をつけるのは、お前にすればこの金を見る瞬き二つぐらいの造作もないことだろう。だがそうしたからとて、お前は決して神様に対し、罪を犯したことにはならないんだぜ。司祭の前でちゃんと式を挙げ、手と手を握りあった夫婦を結ばすことは、いったい敬虔な信心わざじゃなかろうか。』『わかりました。どうぞお出で下さい。夕食後明りを消して、真暗にしておきますから、たんと御堪能あそばせ。但し一言も口を利いてはいけませんよ。幸いあのお方は歓喜の絶頂には、口を利かずに叫ぶばかりですし、物腰でだけ用を弁ずる習いです。根が極めて内気なたちですから、宮廷の上臈衆のように、いやらしいことばをあの最中に弄することを、何よりもお嫌いあそばしているのです。』『おお、そうか。占め占め。じゃこの金はお前のものだ。もし俺が当然この拙者に属しているあの逸物を、ペテンにかけてでもこっちのものに出来たら、お前にこの倍の金は改めてくれてやろう。』
 そこで時刻や入口や合図など、すべての打合せを済ませ、小間使は驢馬に金を積んで、しっかり宰領して戻って行った。寡婦や孤児や其他から、僅かずつ弁護士が搾って貯めた金も、万物が――もともとそこから出て来たわれわれの生命さえも、――溶かされてしまうあの小さな坩堝の中へ、運ばれて行ったわけだった。
 さて弁護士は髯を剃ったり、香料を帯びたり、最上のシャツを着たり、息の臭くならぬように、玉葱を食べるのを控えたり、精力のつく物を食べ込んだり、髪に鏝をあてたり、裁判所の下卑助が、伊達な貴公子に身をやつそうとするいろいろな秘術と芸当を尽し、若い瀟洒な紳士を気取り、軽快闊達なところを見せようと、なんとかその醜い御面相を隠すべく心を挫いたが、所詮すべては無駄であった。何処までも三百代言の匂いが、ついて廻ったからである。美しいのと好きなので有名なポルチョンの洗濯小町が、ある日曜日、色男の一人に逢おうとおめかしして御秘蔵を洗い、薬指を御存じのところへ、ちょっと滑らせて嗅いでみて、《あら、いやだ。まだ臭いわ。青い川水で滌いでみよう。》と浅瀬でいきなり鄙育ちの貝母をごしごしやったような才覚は、この弁護士にはとんとなかったのである。べたべたとありとある化粧品を塗りたくったので、彼は世にも醜悪なつらになったが、自分では世界一の色男気取りでいた。
 さて手短かに申し上げるといたそう。寒気は麻の輪が首吊りの頸を締めるように肌を引締めたが、彼は軽装して家を出て、大急ぎでイロンデル街にはせつけ、かなりの時間待ちぼけを食い、さては愚弄せられたかと思いついた頃、漸く真夜中になったもので、小間使が門を開けに来てくれた。弁護士は得々として王のお館へすべり込んだ。愛妾が休む寝床の傍らの忍び戸棚へ、小間使は弁護士を大事に閉じこめたが、その隙間から弁護士は、愛妾の美しいあらわなくまぐまを残りなく拝むことが出来た。ちょうど彼女は炉の前でお召換の最中で、何もかも透いて見える戦闘着に着換えつつあったからである。小間使と二人きりと思ってか、衣裳をつけながら、女子衆が申すなるあの埒もない事どもを彼女は口走っていた。『今夜のあたし、一万エキュぐらいの値打がなくって?
 それにブリのお城がつくのだけれど頃合のお値段じゃないかしら?』
 そう言いながら、稜堡のようにかたい二つの白い前哨を、彼女は軽く手で持ち上げてみせた。それは猛烈に攻撃されてもぐんにゃりいたさなかった代物ゆえ、今後幾多の強襲をも優に凌げるかに見えた。『あたしの肩だけだって、王国一つぐらいの値打はあるでしょう。王様だってこれに及ぶものは作れませんもの。けれど本当の話、あたしもこの稼業がそろそろいやになったわ。何時も骨折れるばっかりで、快楽なんかちっともありゃしない。』
 小間使はにこりとしたので、愛妾はさらに申した。『お前に代って貰いたいくらい。』
 小間使はさらに高く笑ってこう答えた。『黙って。あの人がいます。』『あの人って?』『御亭主さんです。』『どっちの?』『本当の。』『しッ、静かに。』
 そこで小間使は一伍一什[いちぶしじゅう]を打明けた。愛妾の御愛顧をつなぎたいのと、一万二千エキュが欲しかったからである。『じゃ折角だからお金だけのことはしてやりましょう。けれどうんと凍えさせてやるがいいわ。あんな奴になんか触れられたら、肌のこの輝きも消え、妾までとんでもない醜い御面相になってしまう。だから妾の代りにお前が寝床に入って、お前の分の一万二千エキュを稼ぐがいいよ。彼奴には妾に計略がばれるといけないからと云って、明日の朝は早く帰ってお貰い。夜明けのちょっと前、妾は入替りに、彼奴の傍に行くことにするから。』
 可哀想に良人は寒さでぶるぶる慄え、歯をガタガタいわせていた。小間使はシーツを探す口実で、忍び戸棚のところへ行って彼に言った。『もうじき暖かい思いが出来ますよ。マダムは今夜ははり切っておめかしをしていますから、さだめし結構なお相伴にあずかれるでしょう。けれど声を立てずに猛威を揮って下さいね。さもないと妾の身の破滅になりますから。』
 到頭お人好しがすっかり凍え上った頃あい、やっと明りが消され紅閨のなかで、小間使はマダムに、殿方がお出でになっていますと囁き、そう云って自分が寝床に就き、マダムは小間使のふりをして出て行ってしまった。冷たい隠れ場から出た弁護士は、暖かいシーツの中に、得たり賢しともぐり込んで、『おお、なんて極楽じゃろう』と呟いた。
 その通り小間使は、彼にまったくのところ十万エキュ以上のものを施しめされた。弁護士は王室の濫費と、町家のけちな支出との相違を、とっくり堪能をいたした。小間使はスリッパーのように笑いながら、その役割を上首尾に果してのけ、やさしい叫び声や、身の捩りや、藁の上の鯉のような跳躍や、痙攣的なとび上りで、弁護士をさかんに饗応して、言葉の代りにはア、アアで済ませた。彼女の数重なる要求に、弁護士も逐一これに充分なる回答に及んで、遂にはからっぽのポケットのようになって睡り込んでしまわれたが、終る前にこのあじな恋の一夜の記念物を手土産にしたいと思って、彼女の一跳躍に乗じて、毛を引抜いた。してそれはどこの毛か、吾儕はその場に居合せたのではないゆえ存ぜぬが、彼はこれを王の愛妾の生温かい貞操の貴重なる証拠品として、手の中にしっかと握りしめたのである。
 朝方、鶏も啼き出したので、愛妾は良人の傍らに忍び込んで、睡った振りをいたした。小間使はやって来て、この果報者の額を軽く叩きながら耳許に囁いた。『お時間ですよ。早く股引をはいてお帰りなさい。夜が明けましたから。』
 おのが宝物を残して立去るのを、ひどく悲しんだ弁護士は、消え失せた彼の幸福の源を見ようとした。と、証拠物件の検真の手続にと及んだ彼は、喫驚して言った。『おや、見たのは慥に金色だったが、これは黒いぞ。』『どうしたんです、数が足りないと、マダムが気附くじゃありませんか。』『うん、だが一寸見て御覧。』『まあ、何でも弁えていられる筈のあなたが、御存じないのですか。摘まれたものはすべて萎びて色が変るのは習いじゃありませんか。』とさげすむように云って、彼を追い出し、後で小間使と愛妾は大笑いをいたした。
 この話は世間一般の評判となって、フェロンというこの哀れな弁護士は、おのが女房をものに出来なかった唯一人というわけで、とうとう口惜し死を遂げた。この一件から別嬪フェロニエルと、呼ばれるにいたったこの愛妾は、王と別れてのち、ブザンソワ伯爵という若い縉紳と結婚いたしたが、晩年よくこの佳話を人に語り聞かせて、三百代言の匂いを嗅がずに済んだと、笑いながら申しておったとか。
 夫婦の軛をつけられるのをいやがる妻女には、あまり執着せぬがよろしいという、これはその訓え草である。

<注>
(1)「パッセ」には「経験する」「殺す」の意味もあって、ここでは三重の洒落になっている。(一)本文通り。(二)……良人なのに女房の味を知らぬ奴があるか。(三)……不義した妻を生かしておく法があるか。
(2)「アキット」には錬金術の「処方」という意味と、「領収証」という意味と二つあり、ここではその両方に掛けて洒落ている。

解説
王の愛妾 LAMYEDUROY

 王とは「禁欲王」(Ⅱ)のフランソワ一世である。王がデタンプ公妃(一五〇八―一五八〇)と情交を重ねたのは一五二六年以降であるから、丁度その頃の物語であろう。愛妾フェロニエルは実在人物で、一五四〇年頃逝去しているが、レオナルド・ダ・ヴィンチの筆と誤り伝えられている彼女の肖像画が、今なおルーヴルにある。王に寝取られた弁護士がわざと花柳病に罹って、妻を通じて国王に感染させ、宝算を縮め参らせたという説もある。王が悪疾で御他界になったことは「金鉄の友」に見える。 この小説は種々の好色咄から材料を仰いだ模様で、例えば姦通宣言のくだりはブラントーム「艶婦伝」にあり、床に線を引く話は「新百話」の第二十三話、違う女性と添寝の話は「エプタメロン」、それが下婢だったという話は「デカメロン」の第四日第八話といった工合である。なお篇中のポルチョンの洗濯小町の娘は「当意即妙」「あなめど綺譚」(Ⅲ)に再出している。

編者注】「エプタメロン」の作者は、アンリ四世の祖母に当たるマルグリット・ド・ナヴァール 。「後退りの記(010)」でも言及した。

読書ざんまいよせい(041)

◎バルザック・小西茂也「風流滑稽譚」第1篇

【編者より】
大層な長文痛みいる。本文に《》が使われてる故、ルビの内容は〔〕で已む無くされた。ルビ区切りには、従来通り|を使用いたした。

仮初の咎

   ブリュアン老人嫁取りのこと

 ロワール川に臨むロシュ・コルボン・レ・ヴウヴレイのお城を竣工めされたブリュアン殿と申すは、若かりし頃はいたって荒々しい武弁でござった。幼にして早くも娘っ子の尻を追い廻し、金銭は湯水の如くに遣い、鬼神を凌ぐほどのあらけない振舞が多かったが、父親ロシュ・コルボンどのの逝去以来、当主に直られてこのかたは、日毎しどもない美遊に耽り、びらしゃら自堕落な歓楽に身を持ち崩しておられた。が、何はさてお銭には嚔をさせ、下帯には咳をさせ、酒樽には鼻血を出させ、地所は空堀に、遊女は総揚げに、といった御乱行が祟って、遂にはまっとうな方々からも義絶を受け、交遊相手は債鬼と獄道者よりほかなくなってしまわれたが、その高利貸とても、抵当としてロシュ・コルボンの封土権しか残っておらぬのを見て、――もともとこのRupes Carbonis(燃える岩)、すなわちロシュ・コルボンは国王の直轄所領地であったが、――隔心を生じて栗の毬よりとげとげしく相成った。されば自暴自棄からブリュアンどのは縦横無尽に暴れ廻って、人の鎖骨をへし挫いたり、詰まらぬことで誰にでも喧嘩を吹っかけたり、とんと始末におえなくなったので、隣りに住んでおった口達者のマルムウチェの和尚は、《御辺がしかく正道を踏み行わるるは、あっぱれ藩侯の分として、至極尤もの儀ながら、いっそ神の栄光のため、聖地エルサレムに大便をいたす憎きマホメットの外道どもを、征伐に御渡海遊ばされたら、猶一段と天晴れでは御座るまいか。さる上は金銀財宝と免罪符を、しこたま抱えて、この故郷へなり、乃至は悉皆のさむらい衆の嘗ての生国たる天国の故里へなりと、凱旋めされること必定でがな御座ろう。》と仔細顔にて告げたので、尤もなる分別に感じ入ったるブリュアンは、隣人知己の歓喜の下に、僧院で出陣の身支度をば整え、和尚の祝福を受けて故郷を後にいたしたのであった。
 爾来ブリュアンはアジアやアフリカの多くの町々を劫掠に及び、御用心とも云わずに邪教徒どもを薙ぎ倒し、サラセン人やギリシャ人やイギリス人その他の生皮を剥ぎ、敵味方もわきまえず、何処の国の傭兵かも見境いなしに、ぎょうに梟勇を振り廻されたのは、じたい詮索ごとが生れつきの大嫌いで、糾問は殺したあとの後廻しという、いと堅実な了簡深い資性があったからである。天帝の御意や国王の思召や、また己れの意にも叶った荒仕事を、かく励むうちブリュアンは、よき信徒であり、忠義な侍であるという名声を天下にあげて、海の彼方の国々で、散々に面白可笑しい月日を送られた。貧しい女に一文めぐむより、阿魔っ子に小判一枚とらせる方を、殿は好まれ、それもなるべく数すくなの美しい阿魔っ子に仁慈を垂れ、数多い醜い老婆などは避けるようにしておったのは、さすがにトゥレーヌ人の血を受けただけあって、転んでも只は起きぬ律儀まったい性分からと見えた。
 さるほどにブリュアンもトルコ女や聖骨や聖地などから、数々の恵沢に満喫してやや心倦んだものか、金銀財宝を山の如くに積んで、十字の軍から凱旋して参ったが、通例だれでも出陣の折のふくらんだ財布を、凱旋には軽くして、癩病ばかり重々しげに負って戻って来るのと逆だったもので、ヴウヴレイの里の人も、ひどく喫驚いたした趣きでごある。
 チュニスより戻るや、ブリュアンは国王フィリップから伯爵に叙せられ、トゥレーヌ及びポワトゥの奉行職にと取立てられた。有徳な殿には、天性すぐられた上に、若き日の無分別の天への償いとして、エグリニョルの教域に、カルム・デシオの天主堂を建立までいたされたので、近郷近在からも愛され敬われ、もっぱら教会と天主の御恩寵のうちに、安心立命の日々を送っておられた。この在りし日の放埒な若衆、無鉄砲な壮漢も、髪が薄くなるに従い図外れた道楽気も失せて、今は極めて古文真宝なる好々爺となり、涜神の言辞を面前で耳にでもせぬ限りは、滅多に怒られたこともなかった。若年血気の折に余人に代って、かかる雑言を吐き尽した覚えがあるので、堪忍しきれぬためである。さしもまた喧嘩好きだったのが、絶えて人と争わなくなられた。奉行なのですぐと相手が譲ってくれたからである。けっく今はかなわぬ望みとてないまま、頭のぎりぎりから爪先まで、いちえんなどやかに落着いてしまわれたが、小悪魔だとて同じ境遇にありつけば、やはりそうなろうではないか。
 殿の居城はスペインの胴着のように、ぎざぎざした縫い目で裁たれたシルエットを、岡の上に聳やかし、ロワール川にその姿をば水鏡しておったが、広間には見事な綴れ錦の壁掛を張りめぐらし、サラセン渡りの家什調度が、室内を狭しとばかり飾り立てられ、トゥールの市民はもとより、サン・マルタンの大司教や役僧たちの目をも奪った。サン・マルタン寺院には、純金で縁飾りした旗印一旒を、信心のしるしとして寄進つかまつった。お城の周囲には肥沃な田畑、風車場、喬林など打続いて、くさぐさの収穫物が上納せられたので、あたりでも屈指の分限者と目され、いざ鎌倉といえば、手勢一千騎を具して国王の御馬前に馳せ参ずるを辞さぬ豪の者と謳われておった。
 齢も傾いてからは、絞り首に精励な下役が、咎人の貧しい百姓などを引立てて来る毎に、奉行ブリュアンは莞爾として、《ブレディフ、宥してやれ。儂が海外で無分別に命をあやめた罪滅しとしよう。》と申されたが、敢然として罪人を樫の木に引吊したり、絞首台にぶらんこ吊りさせることも屡々とあったるは、偏に正邪を糺し、古来の慣行を領内に失わざらんがためと見えた。されば領民の従順謹直なること、昨日尼寺に入ったばかりの新発意もただならず、それに夜盗追剥どもの所行が兇悪の理は、御自分の経験で十分に御存じだったもので、呪わしいこれら猛獣どもに対しては、寸毫も容赦めされず良民の保護にと当られたので、領民いずれも枕を高く出来た次第でごある。奉行にはまた信心の篤いことも格別で、祈祷であれ、酒事であれ、万事が万事はやばやと片附けられる性分でござったので、裁判沙汰もトルコ式に捌き、敗訴人には軽口を云って慰め、食事など共にして、なにがさて力づけて進ぜることも度々とあった。生きる妨げをすれば罰は十分と申し、絞り首の罪人の亡骸も、信心衆と同じ聖土に埋葬を許し、猶太人に対してさえ、よくせき彼等が暴利や高利で身を肥さぬ限りは、きつい糾明に及ぶこともなく、奴等こそ有難い多額納税者じゃと申して、蜂が蜜を掻き込むように、普段は彼等にせっせと分捕勝手に任しておいて、宗門や国王や領内の、乃至は己が身の、利益得分を計る時のほかは、ついぞその蜜を奪ったこともおりなかった。
 かかる寛仁なる振舞から、ブリュアンは老若貴賤すべての愛着と畏敬を蒐めるにいたった。お白洲から微笑を湛えて戻る殿に、これも寄る年波のマルムウチェの和尚が、《さっても殿がそのように笑ませられるは、必定、吊し首がでけるによってじゃな。》とちょがらかすこともあったし、ロシュ・コルボンからトゥールへ馬上豊かに罷る雄姿を見て、サン・サンフォリアン新町の乙女などは、《今日はお裁きの日じゃ。ブリュアン老殿様が、あれお通りになる。》と、東方から引いて戻った逞しい白馬に跨った奉行の偉容を仰いで、とんと怖じ恐れる様子もなかったし、橋の上で少年達も石弾きの手を止めて、《お奉行様、御機嫌よろしゅう!》と叫ぶと、《おお、よい子じゃ。鞭を喰うまでは、せっせと遊んだがよいぞ。》と、戯れるのに対し、《おっと承知の介、お奉行様。》といった情景が常に領内には見られた。かく殿のお蔭で、領内も泰平に、盗賊も跡を絶ち、ロワール川大洪水の年も、冬季ただの二十二名の兇漢が、絞り首の大往生をとげたに止まり、その他に一名シャトオヌフの村で焚刑された猶太人があったが、これは聖パンを盗んだ科とも、またありあまる裕福にまかせて、それを買い取った罪とも云われておる。
 ちょうど翌年、乾草聖人祭の頃のこと、――トゥレーヌでは、サン・ジャン聖人刈取祭とこれを云っているが、――エジプト人やボヘミア人なんどの流浪の掻払いどもがさすらって参って、サン・マルタン寺院から聖宝を盗み、剰え場所もあろうに、聖母マリア様の御座のところへ、老耄犬ほどの年恰好の、仲間の賤しいモール生れの軽業の美少女を、丸裸のまま置去りにして逃げた。これぞ町びとの揺ぎなき信仰に対する、侮蔑嘲弄のしるしとも申すべく、さっても図ないかかる涜神の贖罪といたして、早速にくだんのモール娘を、草市が立つサン・マルタン広場に引き出して、噴水のほとりで生きながら火炙りの刑に処そうと、検察当局も法門もずんと裁断いたしたるところ、ブリュアン奉行はこれに首を振って、明快に陳じ申されるには、《これはいかなこと、件のアフリカ娘の魂を、まことの宗門に帰依せしめてこそ、奇特にもなり、また上天の思召にも相叶うものとそれがしは存ずる。と申すは一朝、悪魔が女体に潜んで業を張るに於ては、断決どおりに薪を山と積もうと、悪魔を焚殺することは能わぬではござらぬか。》と、不承されたので、げに寺法にも適い、慈悲福音の御教えにも添うた順義ある言として、大司教もこれに同心めされたが、町の上臈衆はじめ貴紳の面々には、《それでは見事な儀式もお流れじゃ。牢屋のなかで目を泣きはらし、縛られた山羊さながらに喚き叫んでおる、あのモール娘の所存に任せるとなれば、鴉のように長命をば望んで、ちょろり改宗してしまうで御座ろう。》と、高声で不合点したので、奉行は、《いや、異邦の娘が心底から改宗いたすとならば、一段と雅致ある儀式を、それがし執行するといたそう。躬が親しく洗礼の代父を勤め、諸事万端、盛大に挙式いたしてもよいが、生憎とまだ稚児〔コクバン〕衆(チョンガー)のそれがしゆえ、どこぞの息女に代母の役を頼まば、なおと神意にも叶うことと存ずる。》と申された。チョンガーとはトゥレーヌの土地言葉で、まだ嫁取りも済まぬか、或は童貞と見做されている若衆を、女房持ちや鰥夫から区別いたす際の言葉じゃが、総じてチョンガーと申せば夫婦ぐらしで埃臭くなった殿方より、気も軽く浮々してござるから、そんじょうそれと名はつけずとも、娘子衆ならば、ちょろくこれを見立てるすべを心得ていよう。
 モールの娘は、火刑の積木と、洗礼の聖水と、どちらを選ぶべきかをうじうじするまでもなく、エジプト産の邪宗門として焚き殺されるより、切支丹にころんで生きながらえる方を、もとより好んだので、一瞬にいのちを燃やす代りに、一生涯心臓を燃やす身とは相成った。というのは信仰心に躓きのないようにと、シャルドンヌレに近い尼寺にこもって、不犯の誓を立てることに定まったからじゃ。さて洗礼の儀式は大司教のお館にて挙げられた。トゥレーヌの衆ほど、舞や踊や飲み食いに熱中して、大盤振舞や無礼講に、羽目を外す連中は、ついぞ全世界にその比を見ないほどで、救世主の栄光を祝して、早速にトゥールの町の貴顕淑女はここを先途と踊り狂われた。老奉行職が代母の役に選んだは、後のアゼエ・ル・ブリュレ、当時のアゼエ・ル・リデルの領主の御息女で、父領主は十字軍に加わって、アクルという遠い遥かな町で、サラセン人の捕虜となり、生憎と押出しが立派すぎたため、莫大もない身代金を要求せられておった。アゼエの奥方はその金子調達のため、強慾な金貸に領地まで抵当に入れ、一文なしに身をはたいて殿の帰りを待ち侘びつつ、町の陋屋に起臥しておられたが、坐る敷物はなくとも気位だけはシバの女王よりも高く、主人の襤褸切れを護る忠犬のように、頼もしずくなところがごあった。斯様な窮乏のどん底に陥ったアゼエの奥方を見るに忍びず、奉行は救済の一助として、エジプト娘の代母になることを、アゼエの息女に体よく頼みこんで、金品贈与の口実を得られた。さて奉行にはサイプラスの町で劫掠いたした重い金鎖を所蔵しておったのを、贈物として臈たけた代母の頸に掛けようと、殊勝にも考えついたが百年目、図らずもそれと一緒に、己が封土も白髪も金銀も軍馬も、総ざらい掛けてしまう結果とは相成った。と申すはトゥールの上臈衆に交って、アゼエのブランシュ姫が孔雀の舞をみやびやかに踊る妙な姿を、一目見るに及んで首ったけ、ふならふならと入れ揚げてしまわれたからである。
 モールの娘もこれが娑婆見納めの日というので、芸尽しに綱渡り、軽業、曲芸、輪舞、跳躍と、あらゆる妙技を出しきって、座の衆目を奪ったが、ブランシュ姫の舞いざまの清艶都雅に比しては遥かに及ばず、ずんと一籌を輸したとは世間の取沙汰でござった。玉敷の床板にも恥じらう踝をした芳紀十七の姫御前が、年が年ゆえあどけなげに、踊り興ずるそのさまは、さながら初の一節を奏でそめる蝉の風情と申そうか、眺めるブリュアンはけなるい老いの煩悩に取憑かれてしまわれた。まことそれは猛々しい脳溢血的な弱味さかんな修羅燃やしで、積む白髪の雪に恋の炎も消え尽す頭部は別として、足の底から頸筋のあたりまで、奉行の身体は燃え焦げたのである。その機に及んで初めて己が居城に足らぬのは、奥方ばかりということに奉行は気附き、実際以上の淋しさをば覚えられた。なにがさてお城に奥方のないは、釣鐘のない撞木と同じという訳で、奉行がこの世に望むものがあったとしたら、奥方を迎えるという一事のほかにはなく、もしもアゼエの奥方が兎や角、返事を渋ったなら、自分にはこの世からあの世に移るばかりしかないと、立ち所に嫁取りの儀を切望いたされた。しかしこの洗礼祭の騒ぎの間は奉行も並々ならぬ恋の痛手を痛感することも僅かだったし、ましてや頭の毛を薄くしたおのが八十路の不祥に思い及ぶことも尠く、うら若い代母の容姿が、あまりにはっきりと眼の底に灼きついたので、おのが霞まなこのことも打忘れてしまわれた。それにまたブランシュ姫も御母堂の下知のまま奉行を下にもおかず目差しや身振りで款待いたされたが、代父の年が年ゆえ昵懇に及んでも何の仔細もないと、思い定めたからでもあろうか。春の朝のように目ざめているトゥレーヌの悉皆の娘っ子とはうって変って、生来初心でおぼこなブランシュ姫は、されば手に接吻することを老人に先ずは許した。――それからしてちょっと下の頸っこ、いや、ずんと窪っこのところに。と、こう申したるは祭から一週間後、この二人の婚礼を司った大司教猊下でごあるが、嫁取りも立派だったが、さっても花嫁御寮ときたら、更に立派でござりや申した。
 ここなブランシュ姫はまこと類いなく華奢で優雅であられたが、なかでもそのおぼこ振りと申したら、古来その例しも聞かぬほどのかいもくの野暮娘で、色恋の道も心得ねばその仔細も手段もわきまえず、人は臥床の内で何もせぬものと思い、赤子は縮緬甘藍の中から出るものと合点めされていた。そがい母者人が何一つ知らせずにこの懐ろ娘を育て上げたからで、スープを歯のあわいから何として吸うたものやら、弁えさせないで大きくしたほどの丹精の甲斐には、清い華やかな純な乙女が花咲いて、天国へ飛翔する翼を欠いた天使そっくりと申したらよろしかろう。
 泣き沈んだ母御前の賤居を後にいたして、サン・ガチアン大聖堂にしつらえられた晴れの祝儀の庭に、ブランシュ姫が赴こうと立出でて、セルリの街筋に敷きつらねられた錦の毛氈を渡るそのあでやかな姿に、目の放楽をいたそうと、近郷近在からこぞって物見にと老若男女が集まって参られたが、トゥレーヌの土を、こうまで可愛げな足が踏んだことはないとか、こうまで涼しい碧い眸が空を仰いだこともおりないとか、こうまで見事な敷物や花吹雪が街を飾った祝言もないとか、いやはやもっぱらの取沙汰でごあった。町の娘子衆や郊外のサン・マルタンや、シャトオヌフの当世娘たちは、めでたく伯爵夫人の玉の輿を釣ってのけたブランシュ姫の丈長の鹿子色の編髪を羨まぬとてはなかったが、それとともに、いやそれ以上に、姫の金糸の衣裳、海彼の宝玉、白ダイヤ、或は奉行に身を永遠に結びつけた縁〔えにし〕の糸とも知らずに、姫が無心にまさぐっておった黄金の鎖を、所望すること切なるものがござった。
 この花嫁と並んで立った老奉行の有卦に入ったるその浮かれ振りと申したら、皺や眼差や仕草の悉くから諸果報がこぼれ出んばかりで、老いの腰を鎌ほどに伸して、花嫁の傍に倚り添ったるさまは、晴れの調練にまかり出る野武士よろしくで、手を脇腹にあてがっておったは、はや歓喜に喘ぎ困〔こう〕じ過ぎたためでごあろう。妙なる祝鐘の音や、眼も綾な練り行列や、華麗を尽した盛儀のさまは、《大司教直々の御婚儀》と後世に語り伝えられたほどで、モール娘の雨霰も結構、老奉行の洪水も結構、改宗の洗礼の大溢れも結構と、町の娘子衆は自分等もあやかりたくて願うたが、もとよりエジプトにもボヘミアにも程遠いトゥレーヌの里のことゆえ、こうしたお目出度もその後はついぞ起ったためしとておりなかった。
 祝儀が済んでのちアゼエの奥方は、奉行から莫大な金子を賜わったので、早速にアクルへ下ってその金で良人の身を買い戻そうと、息女のことは呉々も花婿どのに頼んで、万端の準備を整えくれた奉行の麾下や組頭や士卒を供といたして、その日のうちに出立せられた。ずっと後になって、アゼエの領主ともども奥方には戻って参られたが、癩を患っていた良人を、伝染の危険をも顧みずに甲斐甲斐しく看護いたして、全治せしめたその献身ぶりこそは、いたく世上の歎称をば受けられた。
 さて婚儀もとどこおりなく済み、三日にわたった披露の宴も賀客の大満悦裡に果てて、ブリュアン殿は供廻りも美々しく新婦をおのが居城にと伴って、マルムウチェ和尚がお祓いをした新床へ、世の常の良人の形儀に従って厳かに案内いたし、ロシュ・コルボンの領主にふさわしい緑の金襴金糸を張りめぐらせた大きな閨房にて床入りの式を行われた。身体じゅう香水を浴びたブリュアン老人が、新婦の傍らに添臥し、いざ肉と肉になると、やおら新郎は新婦の額ぎわに先ず以て接吻し、次いで花嫁の金鎖の環の止金の胸に触れるあたり、白いふくよかな乳房の上に接吻をいたした。……が、これをもって、それなりけりの終りとは相成った。
 階下の広間では、なおもはずむ舞の手拍手、華燭の祝歌、陽気な戯事、それらを耳にしながらも老武弁の伊達者には、己れを信ずること篤きあまりに、余の儀に及ぶことを控えて愛のしこなしは沙汰止みにといたしたのでごある。嘉例にしたがって、金の杯に浄めた床入りの酒が、傍らにおかれてあったのを目口かわきの新郎はぐっとあおって気力をつけめされたが、腹うちこそその薬力で暖ったものの、だらりとした下紐の中心は、むなしく何の験気もおりなかった。しかし新婦は新郎のかかる叛逆不逞を、いささかも訝る模様もなかった。心底からのいや堅気な未通女で、婚儀に就いて心得ておったことは、僅かに懐ろ娘の眼にありありと見えるもの、――衣裳だとか、酒盛だとか、馬匹だとか、奥方になり女主人となること、伯爵夫人として領地を統べること、遊行や下知をほしいままにすることだけと合点なされているだけで、とんとうんつくな子供も同じこと、褥のあたりに垂れた金の総や瓔珞を爪繰り、おのが初花を埋むべき廟所とも知らずに、ただその壮麗さに驚嘆の眼を瞠っておったのであった。おのが罪科に気づくに、遅過ぎた気味のある不念な奉行は、それでもなお後日に儚ない望みをかけ、今宵がほどは仕業の補いを、言葉をもって埒明けんずと心構えられた。したが後日に期すといっても、妻に振舞おうと彼が大事にしている当の代物は、くやしや毎日、少しがほどずつ虧耗してゆくをなんとしょう。そこで奉行は新妻に四方八方〔よもやま〕話を仕掛けてもてなされた。衣裳櫃はおろか、蔵や長持の鍵まで、悉皆|奥方〔おく〕に預ける話、屋敷田畠の宰領を一任して、一切の口出しを慎しむ話、――つまりトゥレーヌ人の言い草に従えば、麺麭の片きれを相手の頸に掛けてやる話を、仔細らしくしだしたのであった。聞いて花嫁は乾草の山に踏み込んだ若い軍馬さながら満悦して、三国一の気前よい殿御と奉行をあがめ奉り、褥の上に身を起して婉然とし、われこそ爾今は天下晴れての夜毎のあるじと、緑錦の臥床を今更のように眺めて、一段となまめいた面持で床上を撫でさすられた。花嫁が次第にかく美色を呈してもやついて参るのを見た老獪な殿には、乙女子にこそ余り接せられなかったが、好きものの女人を常に手玉にとられた幾多のむかしの御体験からして、羽根蒲団の上では女人がいかにしどもなく牝猿になるものかを、身に沁みて御存じだったもので、昔なら辞退尻込みどころでない例の女子のすなる手玩びやあじゃらなキッスといった、濡事のけなるいたわれ遊びのからくみを、こっちに仕掛けられて、法王の御入滅のようないまの己れが身の冷灰を見破られることを心配いたし、われと果報を忌み怖れるもののように、新床の片端にと身をしざって、仮粧ばんだ新妻に向って申された。
『のう、そなたももはや奉行が奥方じゃ。まこと大名の御内室じゃて。』
『まだで御座りましょう。』
『はて聞えぬことじゃ。なんでおみが家刀自でないぞ。』ひどくうろたえて奉行は申した。
『されば子を生みまいらせぬほどは、嫡室とは申されますまい。』
『なんと道すがら牧場を見つろうが。』老翁は話題を転じた。『いかにも。』
『されば、あれもわこぜがものじゃ。』
『はあ嬉しや。されば蝶を捕まいて随分と遊び申そう。』と笑いながら答えた。
『さてこそ聞き分けのよい。途中、森も見つろうがの。』
『はあ、あの森は殿と御一緒でなくば淋しゅう御座りましょう。お伴い下さりませ。したがラ・ポヌウズが心を籠めて、われらが為にと醸しおかれた床入の御酒〔みき〕を、少しわらわにも賜わりませ。』
『これはいかなこと。あれを飲うだなら体内に炎を発するわ。』
『さればこそ所望いたすのじゃ。妾は一刻も早う子を生みまいらしょうと存ずれば、それに験のあると聞き及ぶかの飲料を下さりませ。』とさも怨めしげに申されたが、この言葉に姫が頭の先から足の裏まで、おぼこ娘のことを察知めされた奉行には、『そのことならば先ず以て、天主の御意がのうては叶い申さぬ。且つは女体の刈入れ時にならねば、能わぬことじゃて。』
『妾〔み〕が刈入れ時は何時でござりましょう!』嫣然としてブランシュは訊ねた。
『造化の神の思召す時じゃ。』と強い笑いを作って申した。
『してそれは、どのように仕るもので御座る?』
『されば神秘の学、錬金の業、危険極まる隠事であるわ。』
『さてこそ躬がしのびごとを憂えて、母者人には、いたく打泣かれたのも尤もじゃ。したがベルト・ド・プリュイリが嫁入りの手柄話に鼻高々と申したは、これほど易い業も天下に御座りやないとじゃが……』と夢みる面持で新婦は云った。
『それは年によりけりじゃ。』と老城主は答えた。
『時にわごりょは儂が厩舎で、トゥレーヌにその名も高い白駒を見たか喃。』
『あい。天晴れ温和な駒にて御座りまする。』
『さればあれもそなたに進ずるほどに、気が向く儘に乗り廻すがよいぞ。』
『噂に違わぬ親切な殿、有難う御座やりまおす。』
『なおその上に、余の大膳職、礼拝堂番、主計役、主馬頭、料理方、代官なんどを始めとして、呼名をゴオチェと云う躬が旗持の若小姓モンソロオ殿に、麾下の侍、武士、足軽、軍馬を引具せしめて、わぬしの膝下に跪坐させようぞ。万一そなたの下知に怱々従わなんだ者あれば、立ちどころに絞り首じゃ。』
『してかの神秘錬金の術と申されたを、今ここで行うわけには参らぬかや?』
『なかなか。まず余の儀に立ちこえて肝要なは、そなたも儂も、天主の御恩寵に屹度適うた身に相成ることじゃ。さなくば罪業沢山の悪しき子を生むを以て、重く寺法にも禁ぜられておるわい。世に済度も叶わぬ無道の者夥しいは、何れも両親が魂の清らに澄む折を待たず、無分別にも子孫に邪念を伝えたからなのじゃ。美しき有徳な子は無垢な父母のみが生む定めなれば、新床にお祓いをなすのもそが為じゃ。さるに依りマルムウチェの和尚もこの床に魔除けをいたしたる筈。時に其方は教会の掟に背いた覚えはござないか。』
『されば弥撒の前に罪障悉皆赦免の御沙汰を拝しましたれば、其後は何一つの罪咎もつゆ覚え御座りませぬ。』と口早やにブランシュは申した。『おもとほどの天晴れな者を北の方にいたして、儂は双びもない果報者じゃて。したが躬は邪宗門のごと、はや涜神の振舞を犯しおったわ。』と狡い奉行は思い出したように叫ばれた。『まあ、何故にて御座りまする?』
『されば舞が一向に果てず、わごぜと水入らずに一室に引籠って、かく接吻をなすの期が、かいしき参らぬによって、先刻はつい神を呪い申したわ。』
 そう申して慇懃に姫の手をとり、接吻を雨霰として、空言睦言かきまぜてさまざまに述べ立てられたので、姫はすっかり悦に入り満足気であったが、昼の踊やさまざまの儀式に疲れを覚えたものか、《明日こそはさような呪いを発せずと床に籠れるよう、妾が十分こころしまする。》と言いつつ夢路にこそは入りめされた。残された老人は新妻の白い美しさに、げしゅう心奪われ、優しい姫の心根に接してその恋心も弥募ったが、この天真爛漫さを保たせる術を心得るのは、何故に牛が反芻するかを説き明らめるのと同じ難渋ごとと考えて、少からずに困却いたした。前途にさらに何の光明とてなかったが、無心にすやすやと寝入っているブランシュの妙なる麗質をしげしげと見るにつけ、翁の胸中の焔は燃え上って、飽く迄この恋の寵珠を守り防がんずと、堅く心に決心めされた。老いの目に涙を浮かべつつ彼は姫の美しい金髪や、可愛らしい瞼や、赤い爽かな口許に、眼の覚めぬようそっと接吻をいたした。……そしてそれが彼の享有のすべてでごあった。してそれはブランシュの心に通うことのない沈黙の快楽であっただけに、うわずった彼の心は一段と燃え燻ぶるばかりで、落葉した老路の雪を、いたく嘆いた憐れなこの老奉行は、歯の落ち尽した時分に胡桃をお授けになられた神様のお戯れに、しんぞじゅつない思いをいたされたのであった。
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読書ざんまいよせい(038)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

     美姫インペリア

 コンスタンスの宗門会に赴かれるためボルドオの大司教は、供廻りにトゥレーヌ生れの眉目うるわしい雛僧を加えられたが、その若僧の言動の世にも雅びなさまと申したら、ラ・ソルデ*(1)と総督との間に成した愛の結晶との取沙汰まで専らなくらいであった。ボルドオの大司教がトゥールの町を過ぎられた折、トゥールの大司教には進んでこの雛僧を御提供遊ばされたが、大司教たちがお互にかくお稚児をやりとりめされたのは、衆道の神学的むず痒さが如何に烈しいものか、身に沁みて覚えがござったからであろう。この雛僧もかくてはるばる宗門会に参り合い、学徳世にすぐれた大司教どのの館に宿を取られた。フィリップ・ド・マラというこの雛僧は、師の君に見習って行を慎しみ、いとも殊勝に法燈につかえようと発心いたしたが、神秘な宗門会につどった多くの沙門のうち、なかには随分と身をもち崩しながらも、徳行高い僧都にも劣らず、いな、それ以上に、免罪符にあれ、金貨にあれ、僧禄にあれ、たんまりと稼いでおる御仁を、尠からず彼は眼の毒にいたしておった。
 夜としいえばとかく悟道の遮げになるものだが、さてそのある晩のこと、悪魔めがフィリップの耳元に囁き申した。《聖母《エクレジ》寺の豊かな乳房を、僧の誰もが吸っても涸れぬのは、神の存在を立証する何よりの御奇蹟じゃ。されば和僧もいっそ後生楽な暮しをした方が栄耀では御座らぬか。》と教外口伝を受けた折角の好意を、無にするほどの新発意でも彼はなかったので、呆れるくらい素寒貧だったゆえ、金を払わずに済むことなら、旨い御馳走を鱈腹にたべ、独逸の炙肉やソースに食傷するまでに満喫いたそうと、早速《さそく》に思い立ったのであった。大司教を見習い奉り日頃もっぱら克欲に是れつとめてはいたものの、老法師が最早でけぬから戒も犯さず、聖《ひじり》として通っていたに引換え、貧者に冷やかな艶っぽい遊女どもが、はなやかにわんさとのさばっているのを、若い身空の彼は見るにつけて、堪え難い煩悩熱に苦しんだ揚句は、ふさぎの虫にとっつかれるのが屡々でごあった。そもそもコンスタンスにかかる遊び女があまた屯したのは、宗門会の高僧衆の悟道の一助たらんとするに他ならず、意気なこれら鵲《かささぎ》どもは、枢機官、法印、法務僧、法王使、別当、僧正なんどをはじめ、公侯伯などのお歴々をまで、とんと乞食坊主をでもあしらうように、剣突をくらわしめされておったのである。フィリップはこれら生菩薩に、どう言い寄ってよいやら、その手立てを存ぜぬ儘に、いたくもどかしがっておった。毎夜のお祈りの済んだ後で、しさいらしく恋の経文を押し揉んで彼は、ああ言われたらこうも答えようと、いろいろさまざまの場合を予想して、女人衆との問答の独り稽古に励んでいたが、そのくせ翌日の晩祷の折に、装い美美しい姫御前の一人が、太刀佩いた小姓衆に轎脇《かごわき》を守られて、傲然と渡ってゆくのに出逢うと、蠅を捕えようとする犬そこのけに大口をあけたまんま、彼の身心を燃やすあでやかな芳顔を、ぽかんと見送ってしまうのを常といたした。
 宗門会のお歴々の庇護を受けて暮している、これら甘ったれの牝猫どもの上つ方の分際《きわ》と、阿闍梨や律師や法眼の面々が、慇懃を通ずる光栄に浴しておるのは、ひとえに贈物の功徳のお蔭であって、但し贈物と申しても、聖舎利や免罪符などのたぐいではなく、専ら宝石や黄金の功力《くりき》を以てしてじゃと、猊下の祐筆でペリゴール出の御仁が、歯切れのよい調子で、フィリップに開眼してのけられたもので、うぶで世間知らずの彼は、それからというもの、写字の酬いとして大司教から恵まれた鳥目を、他日上人衆の寵姫を一目拝み、その余は神様におまかせする際の元手にいたそうと、せっせとお銭《あし》を藁床の下に蓄え出した。彼は頭の天頂《てっぺん》から爪先まで底抜けの態で、夜会服を纏った牝山羊が、貴婦人に似ている程度には、どうやら殿御らしくもあったが、無性の欲望に鬩《せめ》がれて、夜分、コンスタンスの町々を彷徨し、いのちなど屁とも思わず、衛兵の戟先で串刺しにされる危険を冒してまで、遊君の許に出入する高僧衆の姿をのぞき見して歩いていた。ありようは彼の見たものといえば、館にすぐ点された蝋燭の明りに輝く戸や窓であり、耳にしたものといえば行い澄した僧官やその他の、歌舞音曲のざんざめき、杯盤狼藉のどんちき騒ぎ、酒池肉林の大法会、真言秘密の和讃《ハレルヤ》の色読なんどでごあった。ああら不思議や、そこでは膳部までが御奇蹟を現じて、祭式はすなわち脂ぎったおいしい鍋料理、朝の勤行は豚の脛肉、夜の勤行は腹一杯の生臭物、唱える頌歌は舌ったるい砂糖漬といった塩梅に、物みなあらたかに変性いたしおった矣。ひとしきりかく酒盛が果てるや、これら勇ましい和尚たちも、欣求菩薩でひっそりかんと静まり返り、小姓は階段の上で骰子遊びに夢中になり、鼻息荒い騾馬どもは街頭で大喧嘩、ものなべて上々吉の首尾と相成って、夜もふけて行くのが常でごあった。なれどまた信仰や宗旨もそこになお厳として残ってはおった。だからして善人フス*(2) が火刑せられたのじゃ。が、その訳はというにこの御仁は、招かれずして皿に手を出したからで、借問す、しからば何故フス殿は余人に先立って、異端の新教徒《ユグノー》になられたので御座ろう?
 さるほどに優しい小坊主フィリップは、懈怠の咎から折檻されて、屡々打擲まで受けたが、悪魔がその度毎に雛僧を力づけて、早晩姫御前の許で上人となる番が、彼にも来るものと思い込ませておった。情欲おさえ難いこの雛僧は秋口の牡鹿のように胆太くなって、或晩のこと、コンスタンス第一等の美館へ忍び込んで行った。その館の階段には、いつも侍や家令や下僕や小姓が手に松明をかざし、銘々の主人、王侯僧都の御帰りを待ちあぐんでいるさまを、何度も見て、この館の姫君こそ、必ずや素晴しい天下一の傾城に違いないと考えめされたからである。
 いましがたこの館を立去ったババリヤ侯の文使いと、勘違いされたものか、武装いかめしい見張りの者にも、見咎められずに罷り通ったフィリップ・ド・マラは、さかりのついた猟犬よろしく、素早く階段を駆け上り、えならぬ香料の匂いに惹かれて、とある部屋に入ったが、そこでは丁度この館の女あるじが侍女にかしずかれて、お召替のまっ最中だったので、捕吏に出会った偸盗のように、彼は茫然と其場に立竦んでしまった。寵姫は下着も頭巾もつけぬ、いともあじゃらなていたらくで、腰元や侍女は甲斐甲斐しく沓を脱がせるやら、衣裳を剥ぐやらしておった。うるわしくさわやかな玉の肌、あまりにもあらわなそのあですがたに、敏捷な雛僧もただただ「ああ!」と艶っぽい嘆声を洩らすばかり。
『坊は何しに参ったのじゃ?』と寵姫には訊ねられた。
『魂を御身に捧げんとて。』と眼で美女をむさぼりながら答えた。
『では明日来てたもれ。』雛僧を思いきり嬲ろうとしてか、彼女はそう言った。
顔いっぱい真赧になったフィリップは、優しく答えた。
『必ず参上仕りましょう。』
 寵姫は狂女のように笑い出した。うじうじしてフィリップはぼんやり突っ立っているほどに、次第に心くつろいで、えもいわれぬ恋情に燃えたキューピッドの眼で、じっと彼女を眺め、象牙のように滑らかな背に垂れかかった美しい髪や、波形に縮れた無数の捲毛のひまにちらつく、白いすべすべ光るやわ肌など、飽くこともなく歎賞しつづけた。雪の額に戴いた紅玉は、可笑し涙にうるんだ寵姫の黒い瞳よりも、輝きは褪せていたし、聖櫃のように金泥を塗った反り長の上沓は、ふしだらに身をくねらせたはずみに投げ飛ばされて、白鳥の嘴より小さな足があらわに露出《むきだ》されていた。ひどくこの晩の彼女は機嫌がよかった。そうでもなかったらこの小坊主ごとき、その師たる一の僧正への斟酌もいたさず、情容赦もなく窓から外へと、抛り出されていたに違いはあるまい。
『この御坊の眼の美しいこと!』と侍女の一人が言った。
『どこからやって参ったのじゃやら。』と他の侍女も申した。
『可哀想に、母者人がさぞかし探してござるじゃろう。正道に立戻らせて進ぜましょう。』と奥方には仰せられた。
 悩ましいこの女体が、やがて臥せにゆく金襴の寝床に眼を走らせ、雛僧は五感もいまだ慥かだっただけに、この上ない法悦から胴ぶるいをいたした。恋ごころと甘い悟りに満ちた若僧の眼の色から、寵姫は浮気心を目ざませられて、半ば笑いながら、半ば惚れこみながら、重ねて明日を約して引取らせた。彼女のその追いやりかたに遭っては、法王ジャン*(3)でさえこれに従いめされたであろう。況んや宗門会の決定で法王の職を解かれ、殻を失った蝸牛同然の今日この頃のジャン猊下の身であってみれば、猶更のことである。
『これはしたりマダム、またしても自性清浄の誓願が、色界への欲念にと化けましたぞえ。』と腰元の一人が云ったので、雹のように旺んな大笑いが起った。水も滴る水精よりもあじな上臈を、ちらり見ただけで茫となったフィリップは、まるで冠頂鴉のように、頭を板壁や腰張に打ちつけ打ちつけ出て行った。館の門の上に獣物の像が刻んであるのを横目にして、大司教の許に戻って参ったものの、心はすっかりもろもろの悪魔の眷属に巣くわれ、五臓六腑は妖しくすれからされてしまっていた。早速に己が部屋で一晩中フィリップは金勘定に夜を明かしたが、どう数え直してもただの四枚しかなく、そしてそれが尊き臍繰りの全部だったので、彼はこの世で身一つに持ち合せているものすべてを彼女に捧げて、その歓心を得ようと、深く心に期したのであった。
 フィリップがそわそわして溜息ばかりついているのを見てとったやさしい大司教には、いたく御心配遊ばされて、どうしたのじゃと訊ねられた。
『ああ、和尚様、あんな軽いやさしい手弱女が、どうしてこんなに重く私の胸にのしかかるものか、われとわが身に呆れておる次第なので。』
『してそれはいずくの女人衆じゃ?』と阿闍梨は世の衆生のためにと誦しておられた祈祷書を下において向き直られた。
『ああ、さだめし和尚様からはきついお叱りを受けることで御座いましょうが、実は私、どう踏んでみても上人様級の思いものを、拝んで参ったのでございます。が、かの女人を善心に立返らすようとのお許しを、よしんば和尚様から頂きましたにしても、黄金|一緡《ひとさし》あまりも足らぬもので、いかんともするすべなく、かく打嘆いているのでございます。』
大司教は鼻の上の抑揚音符《やまがた》をしかめられたきり、何とも仰せられなかった。畏った雛僧は、目上の長老にかく懺悔に及んでしまったことを、肌身の下では慄え上っていた。が、すぐと聖《ひじり》は申された。
『さればさだめし高価な女子衆じゃな?』
『左様で、沢山の司教帽をかすめ、多くの笏杖を噛ったげにござりまする。』
『どうじゃフィリップ、その女人を思い切るなら、慈善箱より金貨三十枚取らせようではないか。』
『とんでもございませぬ、和尚様、それでは私がえらく損をいたしまする。』彼は心中かたく期していた饗応に夢中になっていたので、そう答えた。
『おおフィリップ、其方もかの上人衆と同じく、悪魔に誘われて神に叛こうとするのか。』とボルドオの大司教には嘆息せられた。
いたく悲しまれた大司教は、己が下僕を救うべく、童貞男の守り神、聖ガチアンにお祈りを上げ、フィリップを跪かせて、聖フィリップに御加護を願うよう戒告めされた。しかし悪魔にとりつかれていた雛僧は、明日という日に、かの生弁天が彼に大慈大悲の済度をおさずけ下さった際、わが身がとちらぬようにと、声低く祈り出した。熱心げに唱えるその祈誓を聞かれて、お人好しの大司教には、こう叫ばれた。『そうじゃ、フィリップ。勇気を持て。神様は必ずやお前のお祈りを、お聞き届けなされて下さるぞ。』

 その翌日、大司教は宗門会に参られて、宗門の使徒たちの放縦な振舞いを難ぜられている折から、フィリップ・ド・マラは粒々辛苦の結晶たるその蓄財を散じて、香料やら沐浴やら蒸風呂やらその他の下らぬものに費消し、めかしこんであっぱれ色男を気取ったので、どこぞの上臈衆の御稚児衆とも見えたくらいであった。彼は心の女王の棲家を今一度たしかめるべく、町へ出掛けて通りがかりの人に、誰方様のお屋敷かと尋ねると、その人は彼の鼻先であざ笑って、
『美姫インペリア*(4)の名を知らぬとは、さてさて貴殿は何処から参じた疥癬かきどのじゃ。』
 名を聞いた許りで、如何に怖ろしい罠に、われから陥ったかを悟ったフィリップは、悪魔のために大事なお宝をあだに費したことを思い、わだわだと身慄いいたした。
世にも稀な容体振った気儘女インペリアの美しさは、そも生菩薩の来迎にも劣らず、上人衆を手玉にとり、荒くれ武者を誑かし、世の暴君を尻の下に敷くに、かねて妙を得ていた麗人でごあった。それに何ごとにもあれ、寵姫の御用ならと、お声懸りを待ち構えている腕自慢の隊長、射手、貴族の面々を、私兵としてあまた彼女は配下に擁していたので、鶴の一声、ちょっとでも気に逆らう者をあの世に送りこめたし、一度優しくほほえんでみせれば、忽ち怖ろしい血の雨が、俄かに降ったくらいである。だから仏蘭西王の隊長ボオドリクール殿などは、坊主どもにあてつけて、今日はばらして欲しい御仁は御座らぬかと、毎度彼女に訊ねておった。インペリアが婉然とその笑みを与えていた権勢並びない上つ方の高僧衆を除けば、爾余の衆生は彼女の恋の口説手管に乗ぜられて、てもなくその意の儘に牛耳られ、いかな有徳な、また冷厳な御人であろうと、鳥黐に捕えられたていたらくに、なんなく絡められてしまうのでごあった。さればこそ彼女は正真正銘の上臈の奥方や大公妃もただならず、世間から敬し愛され、奥方《マダム》とまで呼ばれる有様であったので、さる権だかいまことの上臈が御憤慨あそばされて、シギスモンド皇帝*(5)に直訴に及ばれたるところ、御仁慈な帝にはかく勅諚あらせられた。
『御辺たち善女は浄い婦徳の天晴れな習わしをあくまで守られるがよく、またマダム・インペリアは女神ヴィーナスのあでな仕来りをこれまた守るがよい。』
 帝のあまりにも柔和なこのキリスト教的な勅答に、なんと怪しからなくも善女たちには、柳眉を逆立てられたということである。
 フィリップは前夜の無賃《ろは》の眼保養を思い出し、所詮あれで全部だったかと危惧いたして、心浮かぬまま飲み食いもせずに、町をぶらついて時の来るのを待ったが、インペリアほど御しがたからぬ女人なら、いくらでも上に跨がれそうな、それはそれは伊達な男振りでござった。
 無明の夜となった。トゥレーヌ生れの美僧は増上慢に胸ふくらかし、欲望で鎧われ、いきづまるほどの嘆声で鞭打たれて、まこと宗門会の女王の館に鰻のようにすべり込んだ。女王と申したは、彼女の前に、宗門のあらゆる碩学、権威、大徳がひれ伏していたからじゃが、館の執事はこの小坊主を不審がって、外に追い出そうとしたのを腰元が見つけて、階段の上から、これアンベエル殿、奥方の大切なお稚児で御座るぞと注意をいたした。
 身の冥加と果報に上気したフィリップは、婚礼の晩のように真赧になって足も躓きがちに螺旋階段を昇った。腰元は彼の手をとって、一間へ案内すると、既に奥方は力くらべの相手を待ちかね顔に、なまめいた薄衣裳でわくわく控えてござった。傍らの金繍の毳だった卓布の上には、素晴しく結構な酒盛の支度が豪勢に並べられてあった。酒の瓶、凝った盃、ヒポクラスの酒壺、サイプラス酒の甕、薬味の容器、孔雀の丸焼、緑色の掛け汁、小豚の塩漬など、もしもフィリップがインペリアにかほど目がくらんでいなかったら、さだめしたんまりと彼の眼を喜ばせたに違いはあるまい。雛僧の眼がすっかりおのれに吸いついているのを見たインペリアは、法燈の御連中の無常迅速な敬虔振りには慣れきっていたのに、今度ばかりは大満悦であった。そのゆえはこの雛僧に昨夜から彼女は夢中となり、今日も一日彼のことが、心臓のなかを駈け廻っていたからである。窓も鎖された。奥方は羅馬帝国の皇太子をでも迎えるように、身支度を整え、よろずよそおいも済んでいた。さればインペリアの聖なる美しさに宣福されたフィリップは、皇帝も藩侯も、いな法王に選出された枢機官とても、今宵いまその頭陀袋の中に、悪魔(鐚銭)と愛執をのみひそませた一介のこの沙弥には及ぶまいと、われと思い定めた程だった。彼は大公を気取って、いとも慇懃雅びやかに奥方に会釈した。奥方はじっと彼に炎の眼を注いで、
『もっと妾のそばへのう。昨日以来変ったかどうか、とくと見たいほどに。』
『いかさまずんと変って御座ろう。』
『はてさてどこが変られたのじゃ。』
『されば昨日は片思い、今宵は相愛の仲じゃほどに、貧しい素寒貧より、一躍して王者を凌ぐ富裕な身の上となり申した。』
『まこと御身は変られたのう。若い雛僧から老獪な悪魔に、一躍にしてなられてじゃ。』と快活に彼女も言った。
二人は赤々とした火の前に寄り添ったが、その温かみは満身に法悦を漲りわたらせた。すぐにも御馳走にくらいつくことも出来たが、彼と彼女は眼で鳩のように見交すより他の考えはなく、皿にお箸をつけるどころではなかった。嬉しそうに二人が楽々と腰を落着けたと思った途端に、奥方の門先を大声でがなりながら叩く只ならぬ物音がいたした。
『奥方さま、邪魔者が入りました。』と息せききってはせつけて来た腰元が言った。
 清興を遮られたことをいきどおる暴君のような権柄な調子で、奥方は何事じゃと叫ばれた。
『コワレの司教がお目にかかりたいそうにございます。』
『あんな奴は悪魔に攫われたがよい。』とインペリアは云って、婉然と雛僧の方を見た。
『隙間から明りが見えたと申し、是が非にもとお取次を願っておりまする。』
『今宵はちと熱気味じゃと伝えてたもれ。正真まったくの話じゃ。妾はこの雛僧にぞっこんと熱を上げ、心身ともにあつあつじゃもの。』
 そう云って身体じゅう沸立っているフィリップの手を、恭々しく握りしめたとき、コワレの司教が、息弾ませながら怒り立ったでっぷり姿を現わした。後に続いた家隷が、ラインでとれたばかりの鱒を、坊主料理で調じて金の皿に盛り、ついでさまざまの薬味箱だの、くさぐさの珍肴、さては彼の僧院の浄い尼さんが作ったジャムだの、醸し酒だのを、運び入れた。
『は、はあ、悪魔に攫わそうとお切匙なされずとも、どうせ悪魔の許に赴く筈のこの身でござるわ。』と司教は野太い声で言った。
『あなたのお腹も何時かは見事な剣の鞘となり申そう。』と柳眉をひそめながら奥方には答えたが、今迄の美しく楽しげな容子もどこへやら、人を慄え上らせるほどそれは邪悪な相と変った。
『してこの合唱隊の小童《こわっぱ》は、奉納物でござるか!』と幅広い赭ら顔を優しいフィリップの方に向けて、司教は不遜げに申した。
『猊下、やつがれはマダムの懺悔聴聞に参り合いました。』
『はてさて、其方は宗法を存ぜぬのか。上臈衆の夜半の懺悔は、司教にのみ遺された権利じゃぞ。……早々と退散いたせ、並の坊主の仲間へ戻りおろう。二度と此処へ来るな。さもなくば破門をいたすぞ。』
『戻るには及ばぬぞや。』とインペリアは吼えるように叫んだ。恋に燃える艶姿より、憤怒に燃える形相の方が、遥かに美しく濃艶なくらいだった。彼女の裡には恋と怒がともどもに宿っておったからである。
『フィリップ、帰ってはならぬ。ここはそなたの家も同然じゃ。』
そう云われてフィリップは、奥方から真底愛されていることを悟った。
『ジョザアファトの谷における最後の審判の折は、神の御前にて人は上下平等であると、祈祷書にも福音書にも申しては御座らぬか?』と彼女は司教に向って申した。
『それはバイブルをまぜっかえした悪魔の作りごとで、たださように書かれてあるだけじゃ。』早く食卓に就こうとあせっていた巨大愚鈍のコワレ司教はさよう答えた。
『ならば下界に於ける御辺らの女神である妾の前では、何とぞ四海平等に振舞ってほしいものじゃ。さもなくばいつの日か、御身の頭と肩の間を、やんわり人に絞めさせましょうぞ。法王の剃髪《さかやき》にもたくらぶべき妾の神通力ある剃髪にかけて、そのことは誓いまするぞ。』そうは言ったものの鱒や薬味や珍肴を、夕餉の品数に加えたく思って、彼女は抜かりなく附け加えた。
『まあそれより坐って、ちくと一献いかがじゃ。』
 こすい紅鶸インペリアは、かかる羽目に陥ったことは毎々なので、いとしい情人に目はじきをして、葡萄酒が即決を下してくれるゆえ、こんな独逸坊主なぞすぐ盛り潰そうほどに気にかけるには当らぬ旨を知らせた。腰元は司教を食卓につなぎつけ、しかと縛めたが、フィリップは待望久しかった果報が、煙と消えたのにむしゃくしゃして、しぜん口も噤みがちになり、この世の坊主の数よりも多い悪魔の眷属に、この司教めを引渡してやりたいと内心では思っておった。食事もはや半ばに及んだが、インペリアにしか飢えていなかったフィリップは、卓上にも手をつけず、物も云わず奥方にひしと寄り添って、ピリオドもコンマもアクセントも綴りも字体も字づらもなくとも、上臈衆にのみは通ずるあの楽しい心言葉を語り聞かせていた。亡き母が彼を縫いこんでくれた坊主肌の上っ張りを、後生大事にいたしていた色好みの肥大漢コワレは、嫋やかな手でマダムがお酌するヒポクラスの酒を、陶然としてあおり続けておったが、そろそろ曖気《おくび》も出かかった頃おい、俄かに通りの方で騎馬行列の騒がしい物音が聞えた。幾頭もの馬や、「ほう、ほう」という侍童の掛け声で、恋路を急ぐ貴人の着御ということが解った。げにその通り、インペリアの下人には、玄関払いをくらわしかねたラグーザ枢機官が、間もなく彼女の部屋に姿を現わした。悲しい羽目に陥った奥方と雛僧とは、昨日からの癩病やみのように恥じ入って、ちいさくなってしまわれた。この枢機官を追い出そうと計るのは、悪魔を誘惑するも同じい難事だったし、それに丁度、法王の三人の候補者が宗門のためと称して辞退した後で、この枢機官が法王になるかも解らなかった時であった。ラグーザ枢機官はこすからい伊太利人で、髯むじゃらの大の詭弁家、かねて宗門会の一方の旗頭であったが、この場の一から十までを、彼の悟性の最も弱い働きでもって、すぐと察して、その腹の虫をいやすには如何にすべきかなんど、長く思案に及ぶまでもなかった。彼は坊主の食い気に駆られて着到いたしたが、おのれが飽食せんが為には、なんと非道にも、坊主二人を刺殺し、真正の十字架の切れ端をも、売却しかねまじい性分でごあった。それで彼は《ちょっと》と云って、フィリップを小脇へ呼んだ。可哀想にフィリップは悪魔の手がいよいよわが身に及んだことを観念して、生きた心地もおりなかったが、立上っていとも険相の枢機官に、《なに御用で?》と訊ねた。ラグーザは彼の腕をむずと掴んで階段の方へ連れて行き、フィリップの白眼をきっと見ながら、ずけずけと申した。
『やいやい、見れば不憫な若僧のようだが、お前の臓腑が何匁あったかをお前の親方に、告げ知らせるのは、いたわしくてならぬわい。貴様を眠らせて気晴しを遂げたがために、晩年になって仏心を起し、菩提を弔う仕儀に到るのは真平じゃい。されば其方は寺領の主となって余命を永らうるか、はたまた今夜、この館の姫の主となって、明日という日に息の根を絶たれるか、二つに一つを選ぶがよいぞ。』
 不憫なフィリップは絶望しながら言った。
『猊下の御執心がさめた後ならば、また戻って来て差支えありませんでしょうか。』
 怒る気勢も挫けた枢機官は、けれど厳かにこう言った。
『さあ選べ。絞り首か寺領か。』
『ああ、そんならいっそ大きな寺領にして下され。』とフィリップはこすからく答えた。
 と聞くや枢機官は部屋に戻り、インキ壺をとり寄せ、フランスの法王使節にあてた指令書を、特許状の端に書きなぐった。寺領という文字を書きかけた時、フィリップは口をはさんだ。『猊下、コワレの司教は、兵隊が入り浸る町の居酒屋の数ほども、あまたの寺領を持っておりますし、神様の思召しも浅からぬ御仁ですから、私のように易々と、追い立てる訳にも参りますまい。立派な寺領を頂戴する御礼に、素晴しい智恵をお貸し申しましょう。いま巴里では凄じいくらいコレラが蔓延して、住民いたく難渋に及んでいることは御存じでございましょう。ですから猊下の古馴染のボルドオの大司教が、コレラでころりと御陀仏の引導を渡しての帰り途だと、あの司教に御披露なされませ。すればコワレ殿は大風の前の藁屑のように、大急ぎで退散いたすに相違ござりませぬ。』『ほ、ほう、お前の入智恵は寺領一つでは惜しいくらいじゃ。よし、これ、ここに黄金百枚ある。昨日カルタで勝って手に入れたテュルプネイ僧院を、其方へ棚牡丹《たなぼた》式につかわすゆえ、そこへ赴く路用にいたせ。』
 こうした言葉の遣り取りを聞き、またフィリップがこちらの望む、愛の真髄の籠ったむずがゆい眼差を、彼女に投げもせずにのめのめ退散するのを見て、牝獅子のインペリアは若僧の卑劣さを見破り、海豚のように頬を膨らませた。己れの執心に一命を捧げることも出来ずに、恋人をあざむくような男を赦すことは、信仰篤い女人でもなかったので、彼女にはなおと不可能であった。されば蝮蛇の眼差でフィリップを蔑み見たインペリアの眼には、雛僧の死がありあり彫まれてあったが、それは枢機官をいたく喜ばせるものであった。呉れてやった寺領もすぐまた元に戻るわいと、好色な伊太利人は看て取ったからである。しかしフィリップは嵐の迫ったのにも毫も気にかけず、人に夕方追っ払われる濡犬そっくり、耳を垂れ、口を噤んだまま、すごすご逃げ出して行ったので、奥方は腹の底からの溜息を洩らされた。人間という性の悪いものの本体を、そのちょっとでも掴めたら、早速に火あぶりにでもしてやりたいくらいに彼女は思った。というのは彼女を領じていた体内の火が、あたまに上りきって、インペリアの周囲一帯に、焔の火箭となってむらむら燃え上っていたからである。それも御道理様で、坊主にだまされたのは、これが彼女には最初のことだった。そのさまを見てとった枢機官は、もうこれからはこっちの天下とばかり北叟笑んでおったとは、なんと狡い御仁では御座らぬか。いや、それも尤もじゃ、赤帽かぶった枢機官どのじゃもの。
ラグーザ枢機官はコワレに申した。
『これはこれは御僧、おぬしと同席は近頃光栄至極でござる。ましてや奥方に、ても似つかわしからぬあの小坊主を、首尾よく追い出したれば、なおさらのことじゃ。と申す訳は美しくあでやかなわが牝鹿どのに、かやつ近づこうものなら、平僧の分際でいて、立ち処に無慙な死神を呼び出す仕儀にいたるは必定じゃからのう。』
『ほう、それはまた何故でござる?』
『さればさ、彼奴はボルドオの大司教の書記めじゃが、その大司教どのには今朝がた怖ろしい疫病に取りつかれたからじゃ。』
司教はチーズでもまるごと嚥下しようとする時のような大口を開けた。
『へえ、どうして猊下にはそれを御存じで?』
『さればさ、儂はいましがた、かの和尚に末期の聖餐礼を執行して、慰めて参ったばかりのところなのじゃ。今時分は大方、あの聖も紫の雲にのって、天国へ急いでおることじゃろう。』とコワレの手を握りながら枢機官には申された。
 コワレの司教は肥満した御仁が如何に身軽いかを実演いたしてみせられた。何故なら便腹の御仁は神のお恵みに依り起居も難渋であろうと、その代りには風船のような弾性ある内部の管を授けられているからで、さればコワレもわだわだと汗ばみながら、一跳びうしろにとびしざって、飼葉と一緒に羽根でも口に入った牛のように、烈しく鼻鳴らすとともに、さっと蒼ざめて、奥方に別れの言葉さえ告げずに、階段をころがり落ちて行った。やがて表の扉もしまり、司教が街なかをころげ去ってゆく様子に、ラグーザどのは腹をかかえて面白がっておられたが、
『なんと身共は法王の位に適うはもとより、御身が今宵の情人としてもふさわしくは御座らぬか喃。』と言った。
 しかしインペリアがいたく懸念げなのを見た枢機官は、彼女の傍らに寄って両手であやなし、枢機官式にゆすぶり、ちょうらかそうとした。そもそも枢機官といったれば、兵隊はおろか他の何人にも増して、釣鐘打ちの上手、ゆすぶりの名人でごあるが、そのいわれは根が閑人で、人性を損うまいとする天晴れ殊勝なる心掛によるものでもござろうか。
『まあ滅相もない。気が違われたか枢機官どの、御身は妾を殺そうとなされるのか。ここな意地わるの極道坊主め、御身にとって大事なは、ただ快楽をむさぼることのみじゃ。妾の美しい一物なぞ、その小道具なのでござろう。妾を御身の快楽の犠牲に供し、あとで妾を聖者の列に加えようと思召さるるか。ああ、御身はコレラに罹り、妾にもそれを移そうとめさる。能無し御坊、廻れ右して早く立去られるがよい。ゆめ妾に触れてたもるな。』と彼女は身を退けながら云ったが、猶も枢機官が迫って来るのを見て、『さもなくばこの短刀でぐさりと一つ御見舞申しまするぞえ。』
 そういって素早く彼女は腰袋から小さな短剣を取出した。これなん、時に応じ機に乗じ、彼女が巧みに使いわけしておった代物である。
『したがわが小さな天国よ、いとしの姫御よ、儂がコワレの老牛を追い払う算段にいたした調略を、何故にそなたはさとらぬのじゃ。』と笑いながら枢機官は云った。
『されば妾がいとしいとなら、即刻その実証を見せてたもれ。さ、すぐに立帰って欲しいのじゃ。御身が病気に罹ったとしたら、妾の死ぬることも、さだめし平気なので御座ろう。いまわの折の饗宴を、あの一瞬の歓楽を、どんなに御身が常日頃より大事がっているかは、御身の人柄を知る妾にはよくと解るのじゃ。あとは野となれ山となれと、御身が酔った砌り、ぬかしおったは妾の耳底にこびり残っておる。妾とても愛するのはこの身ばかり、妾の財宝、妾の健康ばかりじゃ。さればお帰りめされ、もし疫病に五臓も凍りついておらなんだなら、明日妾に会いにおじゃれ。今日のみは御身と雖も真平じゃ。』と彼女は微笑を含みながら言った。
『インペリア、わが浄きインペリア、わしをなぶらんでくれい。』と枢機官は跪いて叫んだ。
『これはしたり、浄いあらたかなものを、どうして妾がなぶりましょう。』
『おお、この性わる遊女め、儂は御身を破門するぞ。明日こそはのう。』
『まあ、枢機官さまには枢機官の分別を失われたと見ゆる。』
『インペリア、悪魔の穢らわしい阿魔め、あ、ああ、さりながら美しい生菩薩、わがいとしの姫御前。』『体面をお考えめされ。跪くのはお止め下され。さてもあさましい。』
『のう、インペリア、臨終の際の特赦状をそちに授けようではないか。儂の財宝残らずを取らそう。いや、もっと大事なもの、わしの持っている本物の十字架の切れ端を、そなたにとらすとしよう、如何じゃ。』
『たとえ天地の財宝悉くを以てしても、今宵の妾の心は購えませぬ。』と彼女はにっこと笑いながら言った。
『万一、妾にこの我儘がなかったなら、それこそ御主イエス・キリストの聖礼拝受の資格のない罪人の、その最後の者となりはてましょう。』
『この館に火をかけるぞ。妖女め、儂をすっかり惑わしおったな。そなたを火あぶりにしてくれよう。……じゃがのう。インペリア、いとしのお人、儂はそなたに天国で極上の場席を予約して進ぜよう。どうじゃ。なに、いやか。じゃ死ね、魔法使の妖女め。くたばりおろう。』
『おお、そんなら妾はそなたをとり殺しまするぞ。』
 枢機官はたけだけしい忿怒のあまり、口から泡を出された。
『さては気が狂われましたか、早くお立退きめされ。さぞお疲れじゃろうに。』
『儂は法王になるのじゃ。この恨みは存分に晴らすぞ。』
『ではもう妾に従われぬほぞを固められてか。』
『今宵そなたの気に入るには、一体どうすればよいのじゃ。』
『さればお戻り下され。』
 彼女は鶺鴒のように軽く身を飜して部屋に駈け込み、なかから錠をさしたので、枢機官は怒り猛られたが詮方なく、遂に退散にと及ばれた。
 インペリアは一人ぼっちで炉の前に腰を卸したが、もうお稚児の僧もいないので、忿怒のあまり金の小鎖を打ちちぎって、こう叫んだ。
『悪魔の二重三重の角にかけて申すが、あの雛僧の為に枢機官どのと妾は大悶着を起し、思い切りあの人を懐柔でもしておかぬと、明日が日は毒殺の憂目を見ねばならぬ羽目に立到った。ええい、眼の前であの小僧が生きながら皮を剥がれるのでも見ねば、到底に死にきれぬわ。ああ――と彼女は今度こそ本当の涙を流しながら云った。――ああ、妾はまことに不幸な目に陥ってじゃ。時折おこぼれほどの果報にありつく報いに、後生の怖ろしさは別として、犬のような稼業をせねばならぬとはのう。』
 一くさりインペリアの愁嘆の場が済んだ時分、巧みに身を今迄かくしていた雛僧の赤い顔が、そっと彼女のうしろからさしのぞいて、ヴェネチアの大鏡に映っているのを彼女は見かけた。
『おお、このコンスタンスの浄い恋の町に、坊主沙門はあまたあれど、おぬしほど申し分のない道心、美しい可愛い沙弥、雛僧、新発意は他にないぞや。さあ、こちらへ来やれ。やさしい騎士、可愛い息子、妾のお腹、わが歓喜のパラダイスよ。御身の眼をのみたい。御身の肉むらを食いたい。恋責めに御身を殺してみたい。おお、わが栄えある青春の永遠の神よ、さあこちらへ参りや。しがない僧都から、御身を王に、皇帝に、法王に、万人の中でのいっち果報者にしてくれましょうぞ。ここな部屋うちのすべてを、火に血に投じても苦しゅうはない。妾は御身のものじゃ、その証拠をとくと示し参らそう。御身はすぐに枢機官となるのじゃ。御身の帽子を枢機官帽のように赤くするためなら、妾の心臓の血悉くを注いで進ぜよう。』
 慄える手で嬉しげに彼女は太っちょのコワレ司教の持参いたした金の杯に、ギリシャの酒をなみなみと注いで、跪いてフィリップに捧げた。法王のスリッパーより彼女のスリッパーを、公侯のお歴々が珍重ただならぬそのインペリア姫が、跪いたのである。しかしフィリップは恋ほしやの目で、黙って彼女を見つめるばかり。インペリアはついに喜悦に身ぶるいしながら申した。
『さあ、和子、何も云わずともよい、先ずは夜食をまいらしょう。』

 (1)ラ・ソルデはブウルゲイユ(シノンより四里の在所)のバター作りの女で、浮気で別嬪で陽気な田舎小町。
 (2)ジャン・フス(一三六九―一四一五)ボヘミアの宗教改革家、コンスタンスの宗教会議にて異端者として火刑に処せらる。
 (3)ジャン法王(ジャン二三代)(一三六〇―一四一九)一四一〇年法王となり一四一五年に廃黜さる。
 (4)インペリア(一四五五―一五一一)ローマの遊君、ミューズ・ルネッサンスと称せらる。その美貌と才気を以て当時に冠たり。
 (5)シギスモンド皇帝(一三六八―一四三七)一三八七年ハンガリヤ王、一四一一年より三七年までドイツ皇帝。

「美姫インペリア LABELLEIMPÉRIA」 の訳者による解説

 「巴里評論」に発表された。但しその前年十一月、「カリカテュール」誌にアルフレ・クウドルウなる筆名で、バルザックは「大司教」という本篇のエスキスとも見るべきコントを発表している。訳出して新樹社版「風流滑稽譚拾遺」にのせたから参照せられたい。バルザックはインペリア物を他に二編書いている。「節婦インペリア」(Ⅲ)「慈婦インペリア」(拾遺)がそれである。インペリアは実在人物で、ジョアシヤン・デュ・ベレエ、フィリップ・ベロアルド、アレチノ、バンデルロ、ヴェルヴィルなど十六世紀文人がそれぞれ取上げているが、ミューズ・ルネッサンスと称せられた。バルザックが本篇のヒントを得たのはヴェルヴィルの「立身の途」(第七章)からであろう。但しコンスタンスの宗門会(一四一四―一四一八年)の折は、まだインペリアは生れてなかったが、宗門会に集まった外国人は十万名、娼婦遊女で上玉の部類に属するもの千五百名が同地の風儀を紊したという。なお巴里のコレラ流行は一四一六、七年で、人口は十分の一に減じたとのことである。またこの作品は脚色上演されたことがある。

読書ざんまいよせい(032)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

編者注】「ゴリオ爺さん」は、青空文庫にて、中島英之訳で収録されていますので、一旦アップは中断します、ただし、訳者の著作権は存続しています。そこで、「風流滑稽譚」全三作の大作の投稿をぼちらぼちらと…まずは、「前口上」から。

目次

前口上
美姫インペリア
仮初の咎
王の愛妾
悪魔の後嗣
路易十一世飄逸記
大元帥夫人
箱入娘
金鉄の友
衣手の風流
当意即妙
後口上

これはド・バルザックの大人、トゥレーヌの諸寺より蒐めて開板せるもの世のパンタグリュエルの徒の慰み草に供すべく、余人の為にはあらず焉。

    前口上

 この草紙は、おらが国さトゥレーヌ不朽の粋士、フランソワ・ラブレエが献酬めされた名うての酒仙や座ぬけの呑助どもの髭口に合わそうとて、吟醸いたした洒脱芳醇なる詩酒でござって、作者の念願は同じくよきトゥレーヌ人たるの実を示し、めぐわしきわが郷土のお歴々の御酒興を添えんが為に他意ござらぬ。五穀はもとより寝取られ男、伊達男、おどけ男に至るまで遍ねく穣ったわが郷土より、簇出いたした法朗西屈指の名士には、追悼の涙も未だ乾かぬクーリエ<*注1>あり、『立身の途』の著者ヴェルヴィルあって、多士済々とは申せ、デカルト大人のみは願い下げといたしたい。その仔細はと申すに、大人はいたって気重な隠士で、美酒佳肴より空虚な夢想の方を讃えられた仁ゆえ、トゥールの町の料亭や喫茶の旦那衆からは貶しまれ見誤まられ、偶々人の噂話に上っても、何処のお人じゃと訊ね返されるほどに、かいもくの野暮太郎でござったからじゃ。
 さてこの書冊の種を申そうならば、グルナディエール・レ・サン・シール、サシェ・レ・アゼエ・ル・リデル、マルムウチェ、ヴェレエツ、ロシュ・コルボンなんど、わが郷土のそんじょうそこらにおいであった、めでたい沙門の翁たちの鬱散養気の風流談義、さては昔覚えの説教僧やしただるい老嫗が口伝たる浮世咄などからでござる。
 総じて古人は笑った途端にお腹のなかから、馬が飛び出ようが、駒が跳ね出そうが、お構いめされずにただ腹の底から、しんから笑いこけられたものじゃが、今時の若い女子衆ときては、澄まし顔にて可笑しがろうとめされてござるわ。したが王妃の頭上に油壺が似合わぬよう、華やかな法朗西国にはさような仕草は、なによりふさわしからぬ限りじゃて。
 されば抱腹絶倒は男子にのみ賦与せられた特権でごあって、人は浮世の波風に曝され放題ゆえ、今更に物の本で読む要もないくらい涙の種を知っとる筈じゃから、ここに些か寛闊の譫言を印行することも、時節柄この上もない御奉公と存ずるわ。
 まこと今の御時世たるや、憂いことばかり糠雨さながらに降りしきって身を濡らし、はては身内に滲み透って、女郎衆の縦線《レイ・ビユブリック》をもって、諸万人《レビユブリック》の諸々の気のつきを晴らさんとしておった往時の風儀も、まさに消融せんといたしておる。剰え分際はずれた手出しもいたさせず、じっと大人しく神や王のなすが儘に任せて、よろず笑いにまぎらせ得心しおった、いにしえ老パンタグリュエルの儕輩《ともがら》も、今や残り尠なになった許りか、日に日に身まかってゆく現状ゆえ、名だたるこれら古雅なる浮世草紙の断簡零墨が、唾は引っ掛けられ、塵芥にはまぶれ、大小便を垂れ流され、さらに咎め立てられ、はじしめられゆくごとき、憂慮すべき成行を目の前にしては、雅趣あるゴオロワの残肴に、ひそかに舌鼓を打つ吾儕など、夜の目も合わぬ何ともじゅつない思いじゃて。
 また僻々しい批評家連《あらさがしや》や、言葉の屑ひろいどもや、人の趣向や心組に難癖つける世の天邪鬼たちに、ひとつ想起して戴きたいことは、笑いは童心からひり出され、歳月の旅枕を重ねるにつれ、ランプの油よろしく薄れ消えゆくものなのでごある。詮ずるところ笑わんが為には、心の無邪気さと浄らかさこそ必須不可欠、その不可欠の持ち合せもない口敲きの下卑蔵《げひぞう》には、汝《なれ》が持前の不徳や不醇をひた隠すべく、あれあのように、頬桁をすぼめ、口をゆがめ、眉をしかめて御座るのでごある。
 この草紙の有様《ありよう》は、抜差ならぬ群図《グループ》であり、布置正しき彫像であるゆえ、いかなる美術家と雖も、その姿容を変改すること叶わぬは明々白々、まして談義の若干、乃至はこの戯作全般が、尼寺に向くように仕立てられてごあらぬからとて、無花果《いちじく》の葉なんどをあてがおうずる道学先生こそ、出頭第一の愚か者となり申そう。さはさりながら吾儕とて、心進まぬながらも尻軽貞女やお転婆娘たちの、耳朶を叩き、明眸を眩ませ、豊頬を赧らめ、紅唇を膨らませかねぬていの、昔言葉の艶々しすぎる文言は、はや心して稿本より剪除いたしておき申した。当代のなり下れる風儀が性に合わぬとばかりぜい言ってはおれぬし、婉曲の語法の方が、なまのよりずんと風雅のこともあるからじゃい。
 まこと吾儕も年をとったかして、束の間の若気の痴れわざより、長々しい莫迦ごとの方が、ゆるゆると賞翫出来るによって、好もしくなり申した。じゃによって拙者に悪口は、平に御容赦を願いたい。昼日中よりも、夜分にこの笑い本を読んで戴けばまことに幸甚。また極めて情を燃やさせ易い冊子ゆえ、いまどき生娘が残りおったとしても、それら熱高い乙女っ子には覗かせぬよう、いっち気を遣われたいものじゃ。――なんどと忠告一番、筆を擱き申すが、この経籍そのものに関しては、顧みて心中晏如たるものがごある。とぬけぬけ申すいわれは、これが生れ故郷は心構の高い雅びな土地柄で、そこに発したるものこれ悉く、何れも大いなる成功を博しおること、金羊皮章、聖霊章、靴下留章、沐浴章なんどの勲記標章や、その他幾多の天下に冠たる文物に照らしても明らかな通りで、それらの加護に身を任せたれば、作者としても先ずは大安心。『いでや心の朋友たち、楽しみめされ。悠々と体を寛ぎ腰を伸ばして、残る隈なく読み興ぜられよ。さりながら読んだ揚句に、はて一向に下らぬわいなど仰有る御仁は、疳瘡に罹ってお果てめさるがよい。』
 かく申されたるは智慧の公子、道化の王侯、われらが崇めるラブレエの宗師にて御座る。方々には帽を脱し膝を正して謹しんで清聴と云爾。

  *注1* クーリエ・ド・メレ(一七七二―一八二五)フランス文人、政治的パンフレットを著す。『ダフニスとクロエ』の飜訳あり。
  *注2* ベロアルド・ド・ヴェルヴィル(一五五八―一六一二)フランス十六世紀の作家。ラブレエ調の好色小咄集『立身の途』の著あり。

編者注】本文、訳者とも、著作権は消失しています。画像はいずれも、Wikipedia より

読書ざんまいよせい(016)

◎バルザック・小西茂也訳「ゴリオ爺さん」(002)

長文です!

 生々しい苦惱と、とかくは空ろな喜びとに溢れたこの谷底は、それこそ恐ろしいまでに動搖を呈してゐたので、幾分なりとも長續きのする感動を、そこに惹き起こさうがためには、何か途方もないやうなものをでも、持ち出さなければならないだろう。しかも、そこには惡德と美德とがよりかたまつて、由々しいどえらいものとなつた苦惱が、あちらこちらに轉がつている。それに接したら利己心も射倖心も、佇立してそぞろ憐れを催さずにはゐられまい。だがそうした際に覺える感銘とても、かぐはしい果實のように、たちまち食らいつくされてしまうのである。文明の車は、かのジャッゲルナットの山車*と同じで、よしんば餘人のようにやすやすとは轢き碎きがたい心をその轍にかけるにしても、車輪の回轉速度をやや緩めたと思ふまもあらばこそ、たちまちにもそんなものは壓し潰し去つて、勝ちほこつた步みをなほも續けてゆくのである。
*〔印度クリシュナ神像を載せる車。往時迷信者は喜んで身をその轍の下に投じ極樂往生を遂げたといふ。〕
 讀者諸君もこの車と同じように、きつと振舞われることだろう。諸君はこの本をその白い手にとつて、「こいつ面白さうだぞ」と呟きながら、ふくよかな肱掛椅子に深々と身を沈められる。そしてゴリオぢいさんの人知れぬ不運話を讀み終えてから、お手前の無感動は棚にあげ、ひとへに作者をけしからぬものにして、やれ誇張にすぎるの、詩的空想に墮してゐるなどと、おとがめ立てになりながら、夕食の卓に向はれて健啖ぶりを示されることだらう。ああ! だがしかと心得おかれたい。このドラマは作りごとでもなければ、お話でもないのである。オール・イズ・トルーだ。してその正眞正銘さといつたら、誰でもが各自の家のなか、おそらくはまたその心の奧深くに、このドラマの要素を認めることが出來るに違ひはないくらゐなのだ。
 さて、この下宿館につかわれている建物は、ヴォーケル夫人の持家である。ヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りの下手、ちやうど界隈の地形がラルバレート街のほうへ、馬匹もめつたに上り下りせぬほどの急な險しい傾斜をなして、落ちかかろうとしているあたりにある。こうした地勢のおかげで、ヴァル・ド・グラースの圓屋根《ドーム》とパンテオンのそれとの間におしつめられたこれら町々には、あたり一帶に靜寂がみなぎつているのだが、この二つの記念建造物から投ぜられる黃ばんだ色調のため、まわりの雰圍氣もさま變つて、圓屋根の放ついかめしい色合いは、界隈一帶をいかにも陰氣くさいものにしてゐる。そこいらの舖石も乾き上り、溝には泥も水もなく、塀にそつて雜草が生い繁つている。どんな呑氣な人閒でも、ここらを通りかかれば皆と同じようにやつぱり氣が滅入りこんでしまうだろう。馬車の音でさえここでは一つの事件となる。どの家も暗くじめじめとして、庭塀は牢獄を思はせる。ひょつこりと迷ひこんできたパリ人が、ここらあたりで見かけるものといつたら、賄つきの下宿屋か學校か病院、貧窮か倦怠、死に瀕した老殘の姿か、苦役を强ひられる華やかなるべき靑春のさまなどであらう。パリのどこの界隈でもこれほど陰慘で、そして敢て言うならば、これほど人に知られないところはないだろう。わけてもこのヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りは、この物語をはめこむブロンズの額緣としては、何よりふさはしい唯一のものである。しかもこの物語たるや、どんなにくすんだ色合いや沈重な思索で、著者が讀者の頭を準備しておいても、けつして過ぎるということはあるまい。それはちょうど地下墓所《カタコム》のなかに旅人が降りて行くとき、一段ごとに日の光が薄れ、案內者の歌聲が次第に洞にひびいてゆくのと同じである。まつたくこれはぴつたりとした比喩だと思ふ。空洞の頭蓋骨と、ひからびきつた心と、さてどちらが見て怖ろしいか、誰にそれが決められよう?
 この下宿屋の正面閒口は小庭に面し、建物はちやうどヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りと直角をなしているので、奧行はすつかり消されてしまつている。正面閒口に添つて、ちやうど建物と小庭との間に、小砂利を敷いた、幅一間あまりの水盤狀の空地があり、その前方の砂を敷いた小徑の兩傍には、天竺葵や夾竹桃や石榴などが植わつた、靑や白の大きな陶器鉢が竝べてある。この小徑に通じている中型の門には、一枚の看板が揭げてあり、それには「メゾン・ヴォーケル」、そしてその下のほうには「男女其他御下宿」と麗々しく書かれてあつた。
 甲高い呼鈴がとりつけられた格子門のあいだから、小さな舗道の突き当り、ちょうど通りに面した突き当りの壁の上に、界隈の画家の筆になる、緑の大理石まがいのアーチ門を、昼間ならのぞき見ることができるだろう。絵筆でごままかしていかにも神龕《ずし》みたいにしてあるその下に、キューピッドの像が立っている。もっとも像の塗料も剥げちょろけになっているが、それを見て象徴趣味を好む手合いは、そこから程遠からぬところで治療されているパリ社交病〔パリ社交病はそこからほど近いサン・ジャック新町にあったカピュサン病院(ミディ病院)で治癒されていた〕の神話をでも、きっとそこに読みとることだろう。像の台座の下にある、なかば消えかけた次のような碑銘は、一七七七年パリに帰ったヴォルテールにたいして示された熱誠のほどを披瀝《ひれき》し、この装飾物の由緒ある年代を偲ばせている。

 人なべて知れ、汝の主《あるじ》はキューピッドぞ
 彼は主なり、かつて主なりき、なお主たるべし

 夜になると格子門は完全な門に置き替えられた。正面間口と同じ長さを幅にしている小庭は、通りの庭塀と隣家の仕切塀とに囲まれていた。常春藤《きづた》のマントが隣家には一面に垂れかかっておおいつくし、パリの町なかだけに、それは絵のような効果をあげて、道行く人々の眼を惹いていた。どの塀も樹檣《じゅしょう》となった果樹や葡萄樹でおおわれ、その埃りっぽいひょろひょろした果実の実り具合はヴォーケル夫人の年々の懸念の種であり、下宿人相手の好個の話題となっていた。庭の両塀に添って、狭い小径が菩提樹《チュール》の木立にと通じてくる。コンフラン家の生まれながらヴォーケル夫人は、下宿人たちの再三の文法上的注意にもかかわらず、頑としてチュイユとそれを発音して止まなかった。左右の両小径の間に、円錐形に仕立てられた果樹の寄り添った朝鮮|蘇《あざみ》の方形花壇があって、その周囲はすかんぽ、ちしゃ、ぱせりなどで縁取られていた。菩提樹の木立の下には、緑色の円テーブル、腰掛がそのまわりにはおかれてあった。土用の候になると、コーヒー代ぐらいには事欠かぬ程度の客人たちが、卵もかえりそうな炎暑のさなかを、ここまでコーヒーを啜《すす》りに出張《でば》って来る。
 正面建物は四階建てで、その上に屋根裏部屋がある。総体粗石づくりで黄色く塗りつぶされているが、パリのほとんどすべての家屋敷が、不名誉の凶相をかく呈しているというのも、もっぱらかかる黄色塗りのせいである。小さなガラスのはまった五つの開き窓が、正面の各階にはあって、それぞれにブラインドが取り付けられてあるが、それが思い思いの揚げ方をしているので、いっせいに並ばずに妙にちぐはぐである。建物の側面には各階に窓が二つずつ、一階のそれには金網張りの鉄格子が、飾りとしてついている。建物の裏手には、およそ三間幅ほどの中庭があり、豚、鶏、兎などが、仲よくそこに暮らしている。突き当りには薪をしまう物置小屋があって、物置と調理場の窓の間には肉類を入れる容器が吊してあり、その下を流し場の脂ぎった汚水が流れてゆく。この中庭にはヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りに面した狭い小門がついていて、悪臭は真平御免とばかり炊事女は、この汚水溜にざぶざぶと水を注いで、家うちの汚物を門から外へと掃き落してしまっている。
 もちろん、一階は下宿営業用にあてられていて、そのとっつきの部屋は、通りに面した二つの窓から採光し、ガラス張りのドアで出入りするようになっている。このサロンにすぐ続いた食堂は、階段口で調理場から隔てられている。階段は蝋引きの着色タイルと木とでできている。艶のあるのとないのとで、互い違いの縞模様に織られた粗毛織の肱掛椅子や腰掛が、ずらり備えつけられたこのサロンほど、見る目にもの悲しい眺めはまたとないであろう。中央には灰白のサント・アンヌ大理石をはった丸テーブルがあり、その上には今日到るところに見受けられる白磁のコーヒーセットの、金の網目模様もなかば消えかかったやつが、飾りとしておかれてある。床張りの粗悪なこの部屋は、肱の高さぐらいまで、腰羽目が張られている。残りの壁の部分には、テレマークの主要場面を描いた、ワニス塗りの壁紙が貼ってあり、その古典的人物にはいずれも彩色が施してある。鉄網を張った窓と窓との間の鏡板には、ユリシーズの息子のためにカリプソが催した饗宴の図が、下宿人たちの展覧に供されている。四十年来この絵は、若い下宿人たちの冗談の種になって来た。懐《ふとこ》ろが淋しいのでやむなく忍んでいる下宿の飯を自嘲して、いつまでもこんな境遇に甘んじている身ではないと、思い上っていたからである。石の暖炉の焚き口がいつも綺麗なのは、よっぽどの特別な場合でもなければ、火がたかれぬことを現わしていた。暖炉棚には丸笠をかぶせた古ぼけた造花が、二つの花瓶に仰山に挿してあり、その近くにはいとも悪趣味な青大理石の置時計が飾りとしてでんと据えおかれていた。
 このサロンの発散する匂いといったら、およそ言葉では言い表わしようがないが、強いて言ったら、「下宿屋の匂い」とでも評すべきものだろう。むっとしてかびくさく、腐った脂肉のような悪臭、ひやっとし、鼻にしめっぽく、衣服にまで浸み込むていの匂い、食べ終ったあとの部屋の匂い、調理場、食器室、遍路宿泊寺の匂い。老若下宿人めいめいからの、「その独特な」カタル性の発散気が放つ、嘔吐を催すようなこうした臭気の成分を、検定する方法でももし発見されたなら、おそらくかかる匂いをも描破することを得よう。だがなんと、こんな平俗ないとわしさを覚えるサロンではあったが、これでもお隣の食堂にくらべたら、まだしも貴婦人方の紅閨《こうけい》のように、優雅で香り高いものとも申せることが、おわかりになられよう。
 その食堂たるや、すっかり羽目板づくりになっている。もとは何かの色で塗られてあったのであろうが、今はもうさだかではない。その地色の上を、塵垢が層をなして、奇怪な模様を描いている。壁わきのねばつくような食器戸棚の上には、切子の曇りガラスの水差し、波紋形のついた錫《すず》のお盆、青い縁とりをしたトゥールネ焼の厚手の磁器皿の一かさねなどがのっていた。片隅にある箱には、番号のついた仕切りがついていて、汚れたり、葡萄酒のしみがついたりした下宿人たちのナプキンが、そこにはしまわれている。よそだったらどこでもお払い箱の、ぶっこわしてもぶっこわれぬ家具類が、ここには陣取っていて、まるで養老院における文明の敗残者たちといった恰好で控えている。部屋には雨が降るとカプシン僧の人形が、顔を出してくる晴雨計があり、食欲も失わさせられるような俗悪な版画が、金線の入った漆塗りの木框にあちこちおさまり、銅の象嵌をした鼈甲《べっこう》型の掛時計、緑色のタイルの陶器製ストーブ、埃と油とが一緒についたアルガン式のケンケ洋灯。それにまた、細長い食卓の上の蝋引のテーブルクロスといったら、すっかり脂がしみついていたので、外から飯だけ食いにくる悪戯好きの病院助手だったら、外科用のメスでのように指をつかって、自分の名をそこに、書きとめることもできたであろう。それからまたびっこな椅子、スパルト繊維でできたみじめったらしい小さなわらマット、こいつはいつも巻きが戻ってしまっていたが、ついぞその姿を消したことがない。それに穴があき、蝶番《ちょうつがい》ははずれ、木も黒こげになった見る影もない足|炬燵《ごたつ》。これらの家具調度がどんなにおいぼれて、ひびだらけで、腐りはて、ぐらぐらにむしばまれ、片輪で片目でよぼよぼで、気息えんえんたるありさまであるか、それを逐一説明するには、およそ事詳しい描写が必要となるのであるが、それではあまりにもこの物語の興趣が殺《そ》がれ、せっかちな読者諸君はご容赦になってはくださるまい。
 磨りへったためか、それとも色塗りしたためか、床の赤いタイルはくぼみだらけである。そんなわけでここに君臨しているのは、詩情のない貧窮といってよい。鬱積した、擦り切れきった貧窮である。まだ泥にこそまみれてはいないが、しみだらけの貧窮である。穴もつづれもない貧窮ながらに、いまにも腐ってしまいそうなそれである。
 この食堂がもっともその光彩を放つのは、午前七時ごろ、ヴォーケル夫人の飼猫がご主人より先に現われて、食器戸棚の上に跳びあがり、小皿でそれぞれ蓋をしたお碗のなかの牛乳を嗅ぎまわって、ごろごろ朝方の咽喉ならしをする一時であろう。まもなくお女将《かみ》も姿を現わす。きざったらしくかぶったツル織の布帽の下からは、入毛の付髷《かもじ》がゆがんではみ出ている。しわだらけにすぼまったスリッパを、足に引きずってだ。老けた小肥りの顔の中央には、おうむのくちばしのような鼻が出張っている。小さなぽっちゃりした手、教会にしげしげ通う信心家のようにでっぷりとした物腰恰幅、充溢しきって波を打っている胴着、そういったすべては、打算心がうずくまり、わざわいが泄ってきているこの部屋と、ぴったり調和をかもし出していた。ヴォーケル夫人は、生暖かいむっとする部屋の悪臭を吸っても、いっこうに胸も悪くせられないもようだった。秋の初霜のようなお女将の冷ややかな顔立ち、しわの寄った眼もと、踊子の作り笑いから、手形割引業者の苦い渋面にまでもかわるその表情具合、いってみれば夫人の人体《にんてい》のすべてが、この下宿屋を解明しつくしていること、下宿がお女将の人柄を含有しているがごとくにであった。そういえば徒刑場も看守なしにはすまされない。そのどちらかを抜きにしたら、そのものの想像はできないだろうからだ。背の低いこの青ぶくれの夫人は、こうした生活環境の所産だったのだ。ちょうどチフスが病院の発散空気の結果であるように。毛編みの下袴《したばき》が、上着のお古でつくったスカートからはみ出し、ひびいった布地のほころびから、綿がのぞき出しているといったそのあんばいは、よくこのサロンや食堂や小庭を、端的に表現するものであり、それは料理場をも予告し、あわせて下宿人たちをも予覚せしめている。されば夫人がその姿を見せてはじめて、この場の光景もここにその全きを得るわけである。
 正面建物は四階建てで、その上に屋根裏部屋がある。総体粗石づくりで黄色く塗りつぶされているが、パリのほとんどすべての家屋敷が、不名誉の凶相をかく呈しているというのも、もっぱらかかる黄色塗りのせいである。小さなガラスのはまった五つの開き窓が、正面の各階にはあって、それぞれにブラインドが取り付けられてあるが、それが思い思いの揚げ方をしているので、いっせいに並ばずに妙にちぐはぐである。建物の側面には各階に窓が二つずつ、一階のそれには金網張りの鉄格子が、飾りとしてついている。建物の裏手には、およそ三間幅ほどの中庭があり、豚、鶏、兎などが、仲よくそこに暮らしている。突き当りには薪をしまう物置小屋があって、物置と調理場の窓の間には肉類を入れる容器が吊してあり、その下を流し場の脂ぎった汚水が流れてゆく。この中庭にはヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りに面した狭い小門がついていて、悪臭は真平御免とばかり炊事女は、この汚水溜にざぶざぶと水を注いで、家うちの汚物を門から外へと掃き落してしまっている。
 もちろん、一階は下宿営業用にあてられていて、そのとっつきの部屋は、通りに面した二つの窓から採光し、ガラス張りのドアで出入りするようになっている。このサロンにすぐ続いた食堂は、階段口で調理場から隔てられている。階段は蝋引きの着色タイルと木とでできている。艶のあるのとないのとで、互い違いの縞模様に織られた粗毛織の肱掛椅子や腰掛が、ずらり備えつけられたこのサロンほど、見る目にもの悲しい眺めはまたとないであろう。中央には灰白のサント・アンヌ大理石をはった丸テーブルがあり、その上には今日到るところに見受けられる白磁のコーヒーセットの、金の網目模様もなかば消えかかったやつが、飾りとしておかれてある。床張りの粗悪なこの部屋は、肱の高さぐらいまで、腰羽目が張られている。残りの壁の部分には、テレマークの主要場面を描いた、ワニス塗りの壁紙が貼ってあり、その古典的人物にはいずれも彩色が施してある。鉄網を張った窓と窓との間の鏡板には、ユリシーズの息子のためにカリプソが催した饗宴の図が、下宿人たちの展覧に供されている。四十年来この絵は、若い下宿人たちの冗談の種になって来た。懐《ふとこ》ろが淋しいのでやむなく忍んでいる下宿の飯を自嘲して、いつまでもこんな境遇に甘んじている身ではないと、思い上っていたからである。石の暖炉の焚き口がいつも綺麗なのは、よっぽどの特別な場合でもなければ、火がたかれぬことを現わしていた。暖炉棚には丸笠をかぶせた古ぼけた造花が、二つの花瓶に仰山に挿してあり、その近くにはいとも悪趣味な青大理石の置時計が飾りとしてでんと据えおかれていた。
 このサロンの発散する匂いといったら、およそ言葉では言い表わしようがないが、強いて言ったら、「下宿屋の匂い」とでも評すべきものだろう。むっとしてかびくさく、腐った脂肉のような悪臭、ひやっとし、鼻にしめっぽく、衣服にまで浸み込むていの匂い、食べ終ったあとの部屋の匂い、調理場、食器室、遍路宿泊寺の匂い。老若下宿人めいめいからの、「その独特な」カタル性の発散気が放つ、嘔吐を催すようなこうした臭気の成分を、検定する方法でももし発見されたなら、おそらくかかる匂いをも描破することを得よう。だがなんと、こんな平俗ないとわしさを覚えるサロンではあったが、これでもお隣の食堂にくらべたら、まだしも貴婦人方の紅閨《こうけい》のように、優雅で香り高いものとも申せることが、おわかりになられよう。
 その食堂たるや、すっかり羽目板づくりになっている。もとは何かの色で塗られてあったのであろうが、今はもうさだかではない。その地色の上を、塵垢が層をなして、奇怪な模様を描いている。壁わきのねばつくような食器戸棚の上には、切子の曇りガラスの水差し、波紋形のついた錫《すず》のお盆、青い縁とりをしたトゥールネ焼の厚手の磁器皿の一かさねなどがのっていた。片隅にある箱には、番号のついた仕切りがついていて、汚れたり、葡萄酒のしみがついたりした下宿人たちのナプキンが、そこにはしまわれている。よそだったらどこでもお払い箱の、ぶっこわしてもぶっこわれぬ家具類が、ここには陣取っていて、まるで養老院における文明の敗残者たちといった恰好で控えている。部屋には雨が降るとカプシン僧の人形が、顔を出してくる晴雨計があり、食欲も失わさせられるような俗悪な版画が、金線の入った漆塗りの木框にあちこちおさまり、銅の象嵌をした鼈甲《べっこう》型の掛時計、緑色のタイルの陶器製ストーブ、埃と油とが一緒についたアルガン式のケンケ洋灯。それにまた、細長い食卓の上の蝋引のテーブルクロスといったら、すっかり脂がしみついていたので、外から飯だけ食いにくる悪戯好きの病院助手だったら、外科用のメスでのように指をつかって、自分の名をそこに、書きとめることもできたであろう。それからまたびっこな椅子、スパルト繊維でできたみじめったらしい小さなわらマット、こいつはいつも巻きが戻ってしまっていたが、ついぞその姿を消したことがない。それに穴があき、蝶番《ちょうつがい》ははずれ、木も黒こげになった見る影もない足|炬燵《ごたつ》。これらの家具調度がどんなにおいぼれて、ひびだらけで、腐りはて、ぐらぐらにむしばまれ、片輪で片目でよぼよぼで、気息えんえんたるありさまであるか、それを逐一説明するには、およそ事詳しい描写が必要となるのであるが、それではあまりにもこの物語の興趣が殺《そ》がれ、せっかちな読者諸君はご容赦になってはくださるまい。
 磨りへったためか、それとも色塗りしたためか、床の赤いタイルはくぼみだらけである。そんなわけでここに君臨しているのは、詩情のない貧窮といってよい。鬱積した、擦り切れきった貧窮である。まだ泥にこそまみれてはいないが、しみだらけの貧窮である。穴もつづれもない貧窮ながらに、いまにも腐ってしまいそうなそれである。
 この食堂がもっともその光彩を放つのは、午前七時ごろ、ヴォーケル夫人の飼猫がご主人より先に現われて、食器戸棚の上に跳びあがり、小皿でそれぞれ蓋をしたお碗のなかの牛乳を嗅ぎまわって、ごろごろ朝方の咽喉ならしをする一時であろう。まもなくお女将《かみ》も姿を現わす。きざったらしくかぶったツル織の布帽の下からは、入毛の付髷《かもじ》がゆがんではみ出ている。しわだらけにすぼまったスリッパを、足に引きずってだ。老けた小肥りの顔の中央には、おうむのくちばしのような鼻が出張っている。小さなぽっちゃりした手、教会にしげしげ通う信心家のようにでっぷりとした物腰恰幅、充溢しきって波を打っている胴着、そういったすべては、打算心がうずくまり、わざわいが泄ってきているこの部屋と、ぴったり調和をかもし出していた。ヴォーケル夫人は、生暖かいむっとする部屋の悪臭を吸っても、いっこうに胸も悪くせられないもようだった。秋の初霜のようなお女将の冷ややかな顔立ち、しわの寄った眼もと、踊子の作り笑いから、手形割引業者の苦い渋面にまでもかわるその表情具合、いってみれば夫人の人体《にんてい》のすべてが、この下宿屋を解明しつくしていること、下宿がお女将の人柄を含有しているがごとくにであった。そういえば徒刑場も看守なしにはすまされない。そのどちらかを抜きにしたら、そのものの想像はできないだろうからだ。背の低いこの青ぶくれの夫人は、こうした生活環境の所産だったのだ。ちょうどチフスが病院の発散空気の結果であるように。毛編みの下袴《したばき》が、上着のお古でつくったスカートからはみ出し、ひびいった布地のほころびから、綿がのぞき出しているといったそのあんばいは、よくこのサロンや食堂や小庭を、端的に表現するものであり、それは料理場をも予告し、あわせて下宿人たちをも予覚せしめている。されば夫人がその姿を見せてはじめて、この場の光景もここにその全きを得るわけである。
 五十そこそこぐらいのヴォーケル夫人は、「よもの苦労をなめつくした女」のすべてに似たところがあった。ガラスのような眼玉をし、もっとよけいに玉代を払わせようとむきになる、遣手《やりて》婆さんの生《き》一本さがそこにはほの見えていた。しかも自分の運命をやわらげるためなら、どんなことだってやりかねぬ気象の女だった。もしも陰謀人のジョルジュなりピシュグリュ〔ジョルジュ・カドゥダルはブルターニュの王党派首領で、ナポレオン暗殺を企てて一八〇四年逮捕されて斬首。ピシュグリュ将軍もその連累者として同じ運命をたどった。『暗黒事件』参照〕なりが、いまだにお上に売り込めるものなら、すかさずやってのけたであろう。にもかかわらず、下宿人たちは、「根はいい女なのだが」とお女将のことを言っている。自分たちと同じようにお女将が泣きごとを言ったり、しゃくりあげたりするのを聞いて、めぐり合せの悪い人とばかり、思いこんでいたからである。亭主のヴォーケルとは、なにをしていた男だったのだろう? 亡夫のことをお女将は、ついぞ人に語り聞かせたためしがない。どうして亭主は破産したのだろう? 「不仕合せ続きでしてね」と、お女将はそれに答えていた。亭主は彼女にさんざんに苦労をかけ、その死後に遺したものといったら、泣くための眼と、住むためのこの家屋敷と、他人のどんな不幸にも同情するせきはない権利とをだけだった。なぜなら苦しめるったけの苦しみを、みんな自分は嘗めたのだからというのが、このお女将の通り文句であったから。
 女主人の小刻みな足どりを聞きつけて、でぶっちょの料理女シルヴィは、あわてて寄宿人たちの朝飯の仕度にとりかかった。外から食事をしにくる客は、概して夕飯の折だけで、これは月ぎめ三十フランの割りになっていた。
 この物語のはじまった当時、下宿人は総勢七人だった。二階にはこの家で最上の二組の部屋があり、その小さいほうにはヴォーケル夫人が住み、もう一つをフランス共和国政府陸軍出納支払官未亡人たるクーチュール夫人が占めていた。母親代りになって同夫人は、ヴィクトリーヌ・タイユフェルというごくうら若い娘と一緒に暮していた。この二婦人の下宿代は千八百フランに上った。三階の二部屋もふさがっていて、一方はポワレという老人、もう一方は四十がらみで黒いかつらをつけ、頬ひげも染めたヴォートランと名乗る、もとは商人だったとかいう男が住んでいた。四階は四つの部屋から成り、その二つが貸されていた。マドモワゼル・ミショノーという老嬢と、以前はそうめんやマカロニやうどんなどの製麺業者で、ゴリオ爺さんとみんなから呼ばれて甘んじている老人とが、それぞれそこに住んでいた。ほかの二部屋は渡り鳥も同様な連中、ゴリオ爺さんやミショノー嬢と同じく、賄費と間代をあわせて、月に四十五フランしか払えぬような貧乏学生にと用意されてあった。ヴォーケル夫人は書生を置くことをあまり喜ばず、他に適当なのがない場合にだけ、迎え入れていた。書生はパンを食べすぎるからである。
 ちょうどその頃、この二部屋の一つを、アングレーム近傍から法律の勉強にと、パリに上って来た一青年が借りていた。家族が多いので年に千二百フランの仕送りをするためには、彼の一家もそうとうな窮乏を忍ばねばならなかった。ウージェーヌ・ド・ラスティニャックというのが、その青年の名だったが、自分の逆境に発奮して、勉学へと志を立てた立身青年の一人で、双肩にかかった両親よりの嘱望のほどを年若くして彼は知り、学問のご利益をはやくも考え合せて、他日の立身栄達にそなえて、その学業の指針を社会将来の趨勢にあらかじめ順応させて、衆に先んじて社会を搾取してやろうという、年少気鋭の一人であった。
 好奇の念に燃えた彼の観察と、パリのサロンに入り込みおおせた巧みなその手腕とがなかったら、この物語もこれほど真実味のある色調で、彩りつくすことはできなかったであろう。まさしくこれ彼の鋭敏なる頭脳の働きと、慄然たる状況の秘密を看破しようとした、その願望に帰すべきものである。しかもこの状況たるや、それを作り出した人たちからも、またそれを忍従している者からも、ひた隠しに隠されているところのものであったが。
 四階の真上には洗濯物を吊して乾かす小室と、二つの屋根裏部屋とがあって、そこに下男のクリストフと、でぶっちょの炊事婦シルヴィとが寝泊りしていた。これら七人の下宿人のほかに、ヴォーケル夫人は法科や医科の学生たち、年にならして八名ばかりと、また近所に住み、夕御飯だけの契約の二三人の常連とをとっていた。だから夕飯時には、食堂に十八人ばかり集って来たが、二十人ぐらいまでは優に収容ができそうに見えた。しかし朝は七人の下宿人しか現われなかったので、朝飯のあいだのそのつどい具合といったら、家族たち内輪の食事時の観をば呈していた。それぞれに上靴のまま降りて来て、外から食事に来る連中の風采や態度、前夜の出来事などについて、ざっくばらんな意見が交され、水入らずの親しさでみんなは語りあっていた。これら七人の下宿人はヴォーケル夫人の駄々っ子たちだった。夫人はそれぞれの下宿料の額によって、その心尽しなり敬意なりを、さながら天文学者よろしくの精確さで測って、わかち与えておったのである。
 偶然の巡りあわせから、ここに同宿することになった七人も、それと同じような斟酌《しんしゃく》をはたらかせていた。三階の下宿人二人は、月に七十二フランしか払っていない。クーチュール夫人だけはべつとして、こんな安い下宿料は、ラ・ブールブ慈善産院とサルペトリエール女性救護院とのあいだにある、サン・マルセル通りでもなければ、とうていに見られない相場で、多少なりと目立つ不幸の重荷の下に、これら下宿人はおしひしがれている連中に違いないことを、前知らせするものである。そんなわけでこの家の内部が、むき出しにしている荒涼たる光景は、その常連たる住人たちの、いちように損じた着衣のなかにも、繰り返されていた。男たちのつけている長上着は、怪しげな色にあせ、都雅な巷《ちまた》なら道ばたの隅に転がっているような靴を、それぞれにはいて、シャツは擦り切れ、下着はお化けとなっていた。女たちのローブも、これまた流行おくれの染直しや色あせもので、古いレースは繕《つくろ》いだらけ、手袋も使い古して垢光りし、襟飾りは万年褐色、肩掛けといったら総体がほぐれかかっていた。服のほうはこんなふうとしても、それをつけているからだのほうは、大部分ががっしりとした骨組で、人生の嵐に耐えきった体躯をし、顔つきは硬く冷たく、通用停止をくったエキュ銀貨のそれのように、微塵も艶っ気が見られなかった、萎《しぼ》んだ口許ながら、がつがつした歯が武張《でば》っていた。幕のおりたドラマか、あるいは現に演ぜられつつあるドラマが、これら下宿人からは予覚させられた。もっともそれは華やかな脚光を浴び、彩られた書割《かきわり》のあいだで演ぜられるドラマではなく、生ける無言のドラマ、心をあつく掻き乱し、血を凍らせるようなドラマ、いつ果てるとてもない持続のドラマである。

編者注】「ゴリオ爺さん」は、青空文庫にて、中島英之訳で収録されていますので、一旦アップは中断します、ただし、訳者の著作権は存続しています。

読書ざんまいよせい(011)

◎バルザック「人間喜劇」カタログとゴリオ爺さん(001)

 書店に立ち寄り、偶然手にしたのが、バルザック「『人間喜劇』総序・他」(岩波文庫)、「総序」も興味深いが、カタログ(1845年)を見ているだけで、十分「人間喜劇」に浸っている気がした。カタログに挙げられている130編余の小説のうち、有名所をほんの数編しかかじっただけだが、例えば、山の写真を見て、日本百名山を踏破したような気分である。もっとも百名山の登頂は半分を少し達成したが、まずは、一生のうちに「人間喜劇」のたとえ半分も読むことはないだろう。とりあえず、文庫の「付録」にあった「カタログ」の一部から抜粋。(余力があれば全カタログを紹介する。

第I部風俗研究 ÉTUDES DE MŒURS
[l] 私生活情景 Scénes de la vie priveé
(1『子どもたち Les Enfants』)
(2『女子寄宿学校 Un Pensionnat de demoiselles』)
(3『寄宿学校内 Intérieur de collége』)
4『毬打つ猫の店 La Maison du chat-qui-pelote
5『ソーの舞踏会 La Bal de Sceaux
6『二人の若妻の手記 Méoires de deux jeunes mariées
7『財布 La Bourse
8『モデスト・ミニョン Modeste MignonJ
9『人生の門出 Un début dans la vie
10『アルベール・サヴァリュス Albert Savarus
11『ラ・ヴァンデッタ La Vendetta
12『二重家庭 Une double familleJ』
13『家庭の平和 La Paixdu ménage
14『マダム・フィルミアニ Madame Firmiani
15『女性研究 Étude de femme
16『偽りの愛人 La Fausse MaîtresseJ
17『イヴの娘 Une fille d’Éve
18『シャベール大佐 Le Colonel Chabert
19『ことづて Le Message
20『ざくろ屋敷 La Grenadière
21『捨てられた女 La Femme abandonnéeJ』
22『オノリーヌ Honorine
23『ベアトリクス Béatrix ou les Amours forcées
24『ゴプセック Gobseck
25『三十女 La Femme de trente ans
26『ペール・ゴリオ Le Pére Goriot(ゴリオ爺さん)
27『ピエール・グラスー Pierre Grassou』→パリ生活情景
28『無神論者のミサ La Messe de l’athée
29『禁治産 L’Interdiction
30『夫婦財産契約 Le Contrat de mariage
(31『婿と姑 Gendres et belles-mères』)
32『続女性研究 Autre étude de femme

 数少ない読了小説で、一番印象深かったのは、26『ペール・ゴリオ』(ふつう、『ゴリオ爺さん』という名で親しまれている。その頃、シェイクスピアの「リア王」を読み、芝居も覧たので、思いの外、プロットが似ていることが、興味のそそるところだったのかもしれない。
 当方が、実際のカルチエ・ラタンの現場に佇んでいた経験をもった、だいぶ以前のことである。
 続くかどうかは、自信はないが、その冒頭部分、(角川文庫昭和26年11月26日版小西茂也訳で、作者はもちろん、訳者の著作権も消失している。青空文庫にもないはずである。)図は、岩波文庫表紙と角川文庫版「ゴリオ爺さん」挿絵
— ここから「ゴリオ爺さん」
    偉大にして令名赫赫たる
     ジョセフロウ・サン・ディレール*へ
     その著作と天才を讃美するしるしとして
          ド・バルザック
*注)ジョセフロウ・サン・ディレール(1772-1844)動物學者。變態說論者。キュヴイエ・ガルなどと共にバルザックに大きな影響を與えた。

 本文は、新字新かなづかい(創元社版)、ただし挿絵などは旧かな版からも転載した。

第一章 下宿屋
第二章 二つの訪問
第三章 社交界への登場
第四章 不死身
第五章 二人の娘
第六章 爺さんの死

登場人物

ゴリオ爺さん
 かつて製麺業者として成功し、莫大な財産をきずいた商人。だが、愛妻を亡くしてからは、嫁いだ二人の娘の言うがままになって、ヴォケール夫人の下宿屋でひっそり暮らす。

アナスタジー・ド・レストー伯爵夫人
 ゴリオ爺さんの上の娘。「サラブレッド」とあだ名される。父親から金をひきだすのがうまく、それがまた妹との喧嘩をひきおこす。

デルフィーヌ・ド・ニュシンゲン夫人
 銀行家に嫁いだゴリオ爺さんの下の娘。名門に嫁いだ姉にたいする嫉妬にさいなまれている。ラスティニャックを夢中にさせ、親しくなる。

ウージェーヌ・ド・ラスティニャック
 野望を胸にパリに出てきた二十二歳の青年。勉学に励んで学位をとる道と、社交界に進出して地位を手に入れるという、二股をかけた生活を送ろうとする。

ヴォーケル夫人
 下宿屋の女主人。世間の苦労をなめつくしたやり手のおかみ。

ヴォートラン
 得体の知れない四十がらみの大男。ラスティニャックの野心を見ぬき、金銭の援助を申しでる。

ボーセアン子爵夫人
 パリ社交界の女王の一人。ラスティニャックの遠縁で、彼の上流社会進出に力をかす。恋の手練手管をラスティニャックに教えながら、いっぽうでは社交生活に虚しさを感じている。シルヴィ 下宿屋の太っちょの料理女。

ヴィクトリーヌ・タイユフェル
 百万長者の父親に認知してもらえず、死んだ母の遠縁にあたるクーチュール夫人と下宿屋にひっそりと暮らす娘。

ビアンション
 ラスティニャックの友人の医学生。

ダジュダ・パント侯爵
 ポルトガルの富裕な貴族。ボーセアン子爵夫人の愛人。

下宿屋

 ヴォーケル夫人は旧姓コンフランという年配のおかみさんで、もう四十年来パリで下宿屋を開いていた。カルチエ・ラタンとフォーブール・サン・マルソーの間にある、ヌーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りでのヴォーケル館といえば、すこしは人にも知られ、下宿人に老若男女を迎え入れていたが、相当に信用があるその下宿館の風儀を、ついぞ云々《うんぬん》せられたこともなかった。もっともここ三十年、若い連中をお客にしたことは一度もなかったし、家からの仕送りがよっぽど乏しければ別だが、若い身空でいて腰が落ち着けるような下宿屋でもまたなかった。
 けれどこのドラマの始まった当時の一八一九年には、一人の貧しい娘がそこに下宿人になっていた。ドラマなる言葉は最近のロマンチック文学で、ふんだんに濫用されて歪められた結果、すっかり信用を堕《おと》してしまっているが、ここではぜひともその語を用いておく必要がある。なにもそれは言葉の本来の意味からいって、この物語がドラマチックだからというのではない。一巻のこの物語が果てるや、パリの城壁の内と外で、おそらく若干の涙が流されるであろうからである。だがこの物語は、パリ以外のところでも、十分に解ってもらえるだろうか? そうした疑問も一応はもっともだ。観察だくさんで、しかも地方色に溢れた本情景の特異性といったものは、モンマルトルの岡とモンルージュの高台にはさまれ、いまにも崩れ落ちそうな壁土とどぶ泥の溝川とで、名を売ったこの谷底のなかでもなければ、その真味を知るわけにはゆかぬからである。