◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳
編者注】「ゴリオ爺さん」は、青空文庫にて、中島英之訳で収録されていますので、一旦アップは中断します、ただし、訳者の著作権は存続しています。そこで、「風流滑稽譚」全三作の大作の投稿をぼちらぼちらと…まずは、「前口上」から。
目次
前口上
美姫インペリア
仮初の咎
王の愛妾
悪魔の後嗣
路易十一世飄逸記
大元帥夫人
箱入娘
金鉄の友
衣手の風流
当意即妙
後口上
これはド・バルザックの大人、トゥレーヌの諸寺より蒐めて開板せるもの世のパンタグリュエルの徒の慰み草に供すべく、余人の為にはあらず焉。
前口上
この草紙は、おらが国さトゥレーヌ不朽の粋士、フランソワ・ラブレエが献酬めされた名うての酒仙や座ぬけの呑助どもの髭口に合わそうとて、吟醸いたした洒脱芳醇なる詩酒でござって、作者の念願は同じくよきトゥレーヌ人たるの実を示し、めぐわしきわが郷土のお歴々の御酒興を添えんが為に他意ござらぬ。五穀はもとより寝取られ男、伊達男、おどけ男に至るまで遍ねく穣ったわが郷土より、簇出いたした法朗西屈指の名士には、追悼の涙も未だ乾かぬクーリエ<*注1>あり、『立身の途』の著者ヴェルヴィルあって、多士済々とは申せ、デカルト大人のみは願い下げといたしたい。その仔細はと申すに、大人はいたって気重な隠士で、美酒佳肴より空虚な夢想の方を讃えられた仁ゆえ、トゥールの町の料亭や喫茶の旦那衆からは貶しまれ見誤まられ、偶々人の噂話に上っても、何処のお人じゃと訊ね返されるほどに、かいもくの野暮太郎でござったからじゃ。
さてこの書冊の種を申そうならば、グルナディエール・レ・サン・シール、サシェ・レ・アゼエ・ル・リデル、マルムウチェ、ヴェレエツ、ロシュ・コルボンなんど、わが郷土のそんじょうそこらにおいであった、めでたい沙門の翁たちの鬱散養気の風流談義、さては昔覚えの説教僧やしただるい老嫗が口伝たる浮世咄などからでござる。
総じて古人は笑った途端にお腹のなかから、馬が飛び出ようが、駒が跳ね出そうが、お構いめされずにただ腹の底から、しんから笑いこけられたものじゃが、今時の若い女子衆ときては、澄まし顔にて可笑しがろうとめされてござるわ。したが王妃の頭上に油壺が似合わぬよう、華やかな法朗西国にはさような仕草は、なによりふさわしからぬ限りじゃて。
されば抱腹絶倒は男子にのみ賦与せられた特権でごあって、人は浮世の波風に曝され放題ゆえ、今更に物の本で読む要もないくらい涙の種を知っとる筈じゃから、ここに些か寛闊の譫言を印行することも、時節柄この上もない御奉公と存ずるわ。
まこと今の御時世たるや、憂いことばかり糠雨さながらに降りしきって身を濡らし、はては身内に滲み透って、女郎衆の縦線《レイ・ビユブリック》をもって、諸万人《レビユブリック》の諸々の気のつきを晴らさんとしておった往時の風儀も、まさに消融せんといたしておる。剰え分際はずれた手出しもいたさせず、じっと大人しく神や王のなすが儘に任せて、よろず笑いにまぎらせ得心しおった、いにしえ老パンタグリュエルの儕輩《ともがら》も、今や残り尠なになった許りか、日に日に身まかってゆく現状ゆえ、名だたるこれら古雅なる浮世草紙の断簡零墨が、唾は引っ掛けられ、塵芥にはまぶれ、大小便を垂れ流され、さらに咎め立てられ、はじしめられゆくごとき、憂慮すべき成行を目の前にしては、雅趣あるゴオロワの残肴に、ひそかに舌鼓を打つ吾儕など、夜の目も合わぬ何ともじゅつない思いじゃて。
また僻々しい批評家連《あらさがしや》や、言葉の屑ひろいどもや、人の趣向や心組に難癖つける世の天邪鬼たちに、ひとつ想起して戴きたいことは、笑いは童心からひり出され、歳月の旅枕を重ねるにつれ、ランプの油よろしく薄れ消えゆくものなのでごある。詮ずるところ笑わんが為には、心の無邪気さと浄らかさこそ必須不可欠、その不可欠の持ち合せもない口敲きの下卑蔵《げひぞう》には、汝《なれ》が持前の不徳や不醇をひた隠すべく、あれあのように、頬桁をすぼめ、口をゆがめ、眉をしかめて御座るのでごある。
この草紙の有様《ありよう》は、抜差ならぬ群図《グループ》であり、布置正しき彫像であるゆえ、いかなる美術家と雖も、その姿容を変改すること叶わぬは明々白々、まして談義の若干、乃至はこの戯作全般が、尼寺に向くように仕立てられてごあらぬからとて、無花果《いちじく》の葉なんどをあてがおうずる道学先生こそ、出頭第一の愚か者となり申そう。さはさりながら吾儕とて、心進まぬながらも尻軽貞女やお転婆娘たちの、耳朶を叩き、明眸を眩ませ、豊頬を赧らめ、紅唇を膨らませかねぬていの、昔言葉の艶々しすぎる文言は、はや心して稿本より剪除いたしておき申した。当代のなり下れる風儀が性に合わぬとばかりぜい言ってはおれぬし、婉曲の語法の方が、なまのよりずんと風雅のこともあるからじゃい。
まこと吾儕も年をとったかして、束の間の若気の痴れわざより、長々しい莫迦ごとの方が、ゆるゆると賞翫出来るによって、好もしくなり申した。じゃによって拙者に悪口は、平に御容赦を願いたい。昼日中よりも、夜分にこの笑い本を読んで戴けばまことに幸甚。また極めて情を燃やさせ易い冊子ゆえ、いまどき生娘が残りおったとしても、それら熱高い乙女っ子には覗かせぬよう、いっち気を遣われたいものじゃ。――なんどと忠告一番、筆を擱き申すが、この経籍そのものに関しては、顧みて心中晏如たるものがごある。とぬけぬけ申すいわれは、これが生れ故郷は心構の高い雅びな土地柄で、そこに発したるものこれ悉く、何れも大いなる成功を博しおること、金羊皮章、聖霊章、靴下留章、沐浴章なんどの勲記標章や、その他幾多の天下に冠たる文物に照らしても明らかな通りで、それらの加護に身を任せたれば、作者としても先ずは大安心。『いでや心の朋友たち、楽しみめされ。悠々と体を寛ぎ腰を伸ばして、残る隈なく読み興ぜられよ。さりながら読んだ揚句に、はて一向に下らぬわいなど仰有る御仁は、疳瘡に罹ってお果てめさるがよい。』
かく申されたるは智慧の公子、道化の王侯、われらが崇めるラブレエの宗師にて御座る。方々には帽を脱し膝を正して謹しんで清聴と云爾。
*注1* クーリエ・ド・メレ(一七七二―一八二五)フランス文人、政治的パンフレットを著す。『ダフニスとクロエ』の飜訳あり。
*注2* ベロアルド・ド・ヴェルヴィル(一五五八―一六一二)フランス十六世紀の作家。ラブレエ調の好色小咄集『立身の途』の著あり。
編者注】本文、訳者とも、著作権は消失しています。画像はいずれも、Wikipedia より