巖窟王(下 その6)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
Youtube 【朗読】モンテ・クリスト伯(巌窟王) 77「ハイデ」
巖窟王 : 一九九 一册の始末書
法師の囁いた此人の姓、此人の名に、毛太郎次は、忽ち何も彼も思ひ出した、是が驚かずに居られやうか、無實の罪に夙の昔死んだとのみ思ふた其人が、イヤ死んだとより外思ふ道の無い其人が柳田卿と爲り暮内法師と爲つて今は我が目の前に居る、眞に神の業、神の業としても猶ほ合點の行かぬ程である、彼は力盡きて最う聲も出ぬ程の咽喉で叫んだ「エヽ貴方が彼の、次郎や段倉に密告せられて行方も知れぬ事に成ツた――」法師「爾よ、爾して今は巖窟島伯爵と云はれるのだ」巖窟島伯爵と聞いて彼の驚きが又加はツた「世界一の大金持、爾です、爾です、巖窟島伯爵と云ふ貴方の姿は、幾度も見て知つて居ます、成るほど其面影が、昔の彼――に違ひが無い、アヽ神の業、神の業、此樣な神の力を信ぜずに今が今まで道ならぬ事ばかりして居たのは恐ろしい、恐ろしい」全く彼は死際に神の力を信ずる事が出來た、法師は言葉を柔げて「神の證據を合點する事が出來たなら幸だ、遲くは無いから罪の亡ぶる樣神に祈つて、心易く往生を遂げよ、己も汝の爲めに祈つて遣る」と云ひ眞に法師が死際の人の爲めに神の救ひを求める樣に祈りを捧げた、毛太郎次は幾度も口の中で「彼の友太郎が――あの暮内法師――不思議だ――恐ろしい」など唱へて絶命した。
是より約半時の後、醫師も來た、大檢事蛭峰も來た、けれど唯死骸の傍に暮内法師が殊勝氣に祈つて居るのを見るのみで何の活劇の跡をも認め得なんだ、但し蛭峰大檢事は職掌柄として、法師に種々の事を問ふた、法師は之に答へた、自分が今夜巖窟島伯爵の留守へ來て、其書齋に入つて、徹夜して古い教書を調べて居る所へ此者が忍び込んだ故、不心得を悟して追返した所、此塀を下る所へ他の曲者が待伏して居て御覽の通り此者を殺したのだと、爾して打明けられるだけの事は打明けて最後に毛太郎次の彼の口供を出して示した、蛭峰は受取ツて開き讀み「アヽ毛太郎次確二十年前 馬港に在職した頃聞いた事の在る名前だ」と云ひ更に辨太郎の名をも讀んでハテな「此樣な脱走囚なら外にも惡事が有らうから直に捕へる事が出來やう」とは呟いたけれど、此辨太郎が目下皮春小侯爵と云つて段倉家に出入りして居る貴公子とは思ひ寄る筈が無かツた、殊に父母不明と故々書いて有る、其分らぬ父母が誰であるらうと云ふ事などは微塵も心に浮ばなんだ。
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是より凡そ一週日の間は、巴里到る處に此曲者の事が噂に上ツた、何しろ巖窟島伯爵の一擧一動は悉く新聞紙に報ぜらるゝ程の状だから、伯爵の家に入つた曲者と云ひ、曲者が又曲者に殺されると云ふ椿事は國家の大問題か何ぞの樣に言囃された、中には尋常の窃盜では無く巖窟島伯爵を暗殺する爲に忍び込んだ刺客だけれど、伯爵が其夜偶然にオーチウルの別莊で泊つたのは伯爵の幸運祝す可しだなどと、死んだ曲者から直接に聞取ツたかの如く書いた新聞紙も有ツた、從ツては伯爵の許へ追從 旁見舞に來る人も多く、其中の段倉男爵などは、矢張り蛭峰と同じく昔 馬港に同じ名の惡人が有つたなどと二三の人に明言した、けれど其惡人が、或る仕事の時には自分と相棒も同樣であツた抔の事は胴忘れしたと見え噯にも出さなんだ。
毛太郎次の噂に連れて、第二の曲者辨太郎が何者かと云ふ事も仲々噂が盛で有ツた、取分けて蛭峰大檢事は、此辨太郎を捕へて糺問せば或は自分の調べて居る巖窟島伯爵の本性が分る緒口に成りはせぬかとの念を浮かべ、今まで熱心に調べて居た古い書類の詮索は二の次に廻し、一意の辨太郎の捕縛に力を集めた、之が爲に凡そ巴里中の窃盜や前科者は、大抵嫌疑を以て捕へられ、爾して現場審問を施す爲に一々巖窟島伯爵の邸へ連れて來られて綿密に蛭峰大檢事から尋問せられた、獨り巖窟島伯爵のみは何故に大檢事が斯うまで熱心であるかを察し、人知れず頬笑んで居た。
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話 更つて、扨も小侯爵皮春永太郎に自分の許嫁夕蝉孃を讓つてホツと安心した野西武之助は一つ叶へば又一つとやら、自分の父野西子爵が新聞の記事でヤミナ事件の賣國奴と罵られ其記者猛田猛に決鬪を言込んで以來、約束の三週間の猶豫を悶かしく思ひ、只管に指を折つて其の期限の盡くるを待つて居たが、待つ身には長くとも三週間は終に盡きて、廿二日目の日とは成つた、今日こそは猛田猛に紙上で謝罪せしむるか將た介添人を差向くるか二つに一つの定まる日なれと早朝に起きて衣服も莊重にし、猛の監督する新聞社へ又も行つた、猛は何とやら氣の無い顏で出迎へたが、來意は勿論分ツて居るから、直に自分の方から口を開き「イヤ今日は私からお返辭に參上する積りでした」武之助は皆まで聞かず「其返事は事實無根として紙上に取消を掲ぐるに在るのですか、其れとも決鬪の武噐を通知する爲ですか」猛「イヤ前者でも後者でも有りません」武之助「取消でも無く決鬪でも無いとすれば、アヽ分ツた又も口先で瞞過すお積りですね」猛「イヤ其れでも有りません」武「では――」猛「先づお返辭する前に、私が猶豫の三週日を何の樣に費したかを申し上げます」云ひつゝ旅行劵や所々の關所の通過檢印を出して示し「私は事實取調の爲に、自分で希臘のヤミナ州まで出張して來たのです、餘り責任の重い譯ですから」ヤミナ州まで出張したとは成程責任を重んじた仕方である、表面無責任の樣に見る新聞社も實は斯まで責任を盡す者かと、武之助は聊か意外に思ひ、多少は猛田猛に對し尊敬の念を深くした。
猛は語を繼ぎヤミナ州へ行くのに一週間掛りました、之より早く行かれません、彼の地へ着いて檢疫の爲め四日間遮斷せられました、爾して滯在取調の日數が三日、歸り途が又一週間、都合で廿一日掛つて昨夜歸り着いたのです」武之助「實地を取調べて愈無根と分ツたでせう」猛は氣の毒に堪へぬと云ふ状である「イヤ野西さん、私は實に此結果を貴方へ打明けるに忍びません、私を友人と思ふなら貴方は何にも言はずに私を助けて下さい」實に異樣な言分である、武「出來ません」猛は暫し無言と爲り、深く考へた上「アヽ止むを得ん、野西さん、私の取調の結果は此書類に明瞭です」と云ひ一册の始末書を卓子の上を擴げた、中には何の樣な事を書いてある。
巖窟王 : 二〇〇 大活劇の幕開
猛田猛の差出した始末書を、武之助は受取つて披き讀んだ[、]此書にはヤミナの城が何うして土國軍に破られたかを書いてある。
最初の一頁を讀だのみで早や武之助の顏色は變ツた、全く自分の父野西次郎の賣國の證據が滿ちて居るのだ、今が今まで我が父を眞正の名譽ある軍人、正直な貴族、心の清い眞人間、と思へばこそ、纔ばかりの新聞の雜報にも腹を立て、決鬪してまで父の名譽を護らんと思ひしなれ、其れが全くの賣國奴、人として齡する事の出來ぬ樣な賤しむ可き振舞の有つた者と分ツては、何うして悲しまずに居られやう、始末書は爾う長くは無いけれど、中に記した父の汚辱は百年千年消ゆる事は無い、讀むに從ひ武之助の顏は低く低く埀れて、再び猛田猛を仰ぎ見ることも出來ず、果は唯だ男泣きに頭を動かすのみと爲つた、實に何れ程か悔しからう、今まで清淨潔白を誇つて居た自分の身體も、血管の中には賣國奴の血が滿ちて居るのだ、洗ふにも拭ひ清めるにも由が無い、猛田猛は此状を見、不便に堪へぬ「野西さん、御尤もです、けれど父の罪が子に傳はると云ふ昔の倫理は廢りました、父は父、子は子です、貴方の身は何處までも清いのですから、最う此始末書を無い者にして、知らぬ顏で父の恥を隱す外は有りますまい、新聞の記事は既に三週間も前の事で今は誰も忘れて居ます、此儘に伏せて了へば誰が再び思ひ出して賣國奴次郎などと云ふ噂を仕ますものか、縱しや思ひ出す人が有つても、次郎が即ち貴方の父野西子爵だと云ふ事を誰も疑ひはせぬのです、此私が無言で居さへすれば、貴方の一家の恥は暗から暗へ消えて了ひます、勿論私は貴方への友誼に對し、生涯他言する筈は無く此場限りで此事を忘れます、爾して此始末書は貴方へ上げて了ひますから、サア思ひ直して父上の名譽を安全に保ち成さい」
是ほどの信切が又と有らうか、三週間も旅行して調上げて來た始末書を、其まゝ與へて再び他言もせぬと云ふのだ、武之助は首を擧げも得ぬけれど深く其實意を感じた、爾して暫くの後、涙を收め「私は憤死しても足りません、此始末書はヤミナ城主有井宗隣の遺臣とも思はれる希國の立派な紳士が四人までも自署して事實の正確な事を保證して有りますから一點の疑ひをも插む所は有りません、全くの野西次郎は賣國奴です、假令ひ父とは云へ子とは云へ、其樣な者を私は此上父と思ふことは出來ませんから自分の身は始末します、其れにしても父の名譽を再び傷かぬ樣にするのは私の義務と思ひますから、お言葉に甘えて此始末書は私が戴きます」猛「ハイ貴方がこの始末書を絶滅して再び父の名の傷かぬ樣にすれば、其れこそ貴方が廿餘年養育の恩を返すに足りませう、貴方は今時に珍しい高潔な心が、浮氣の樣な振舞の底に籠つて居ますから、父の汚辱の爲に身を汚されぬ樣にするが肝腎です、何も彼も取返しの附かぬ不運と斷念め、善後の道を誤らぬ樣に成さい」眞に友人の忠告である、武之助は蹶然として立上がツた、爾して「お言葉に從ひます」と一言叫び、彼の始末書を取るが否や傍に燃て居る煖爐の火に燻べて了つた。
是で我が父の罪惡は跡方も無く消えた、全く親に對する子の義務を果したと云ふ者だ、併し是が爲に最早心が清々したと云ふ程に感ずる譯には行かぬ、猛に顏を見らるゝさへ恥かしい「猛田さん、私は最う、貴方に合せる顏が有りません、イヤこの國に居て總ての知人に顏を見られる勇氣が無いのです、併し此後 縱しや何の樣な遠國へ行かうとも貴方の恩は忘れません」と悄然として謝した。
勿論猛田は之を勵ました、既に恥辱の證據が湮滅した上は何も其樣に自ら縮むには及ばぬ、今までの通り大手を振つて推も推されもせずに、交際し、そこで父の名譽を保護する事も出來るのだなど、充分氣の引立つ樣に言葉を盡した、此道理には武之助も聊か服し、成るほど自分から恥かしげに肩身を狹くしては、却て人に父の汚辱を疑はれる素か知らんとも思ひ初めたけれど、其れにしても何と無く氣が重い、何うやら今までの天地とは急に天地が狹くなツた心地がする、兎に角今一應、能く考へて見ねば成らぬと、猛には猶ほ幾度も禮を云ふて茲を出た。
爾して外の冷たい空氣に頭を晒して見ると、成るほど自分から恥て逡巡するのは益々惡い、其上に全體誰が父の恥を訐き出した者か、其人を詮索して復讐もして見たい、爾だ過去つた罪惡を新聞紙に書かせ今更此身にまで肩身を狹くさせる樣な人は、猶ほ此後も何の樣な事を仕やうも知れぬから、出來る者なら其人を尋ね出して充分に懲らして呉れねばならぬと、此樣な氣が起るに連れ、大に心も引立つたけれど、其れにしても當分は何處か靜かな所へ身を置き度い、爾して此敵が何の邊から出た者か、其れ等の事も能く考へて見たい。
其れから其れと考へて歩むうちに、我知らず巖窟島伯爵の家の前に來た、此時丁度伯爵の家から馬車に乘つて出た一紳士が武之助に默禮して去つた、此紳士は小侯爵皮春永太郎である、彼は愈々段倉夕蝉孃と縁談が出來たに付て何か伯爵へ相談に來たのだらう、其樣な事は何うでも好い、自分も伯爵に逢ひ旅行先をでも相談して見やうと、フト思ひ附いて其儘伯爵の邸に入つた、伯爵は直に出迎へたけれど之も何だか毎もより不機嫌である、爾して呟く樣に武之助へ云ふた「實に困ツて了ひます、皮春小侯爵と段倉の娘が愈近日婚禮するなどと、其れでは私が貴方や貴方の御兩親に濟ぬから、今も其樣な婚禮に立會ふ事は出來ぬと小侯爵を叱ツて歸しました」斯樣な事は武之助の耳には入らぬ「其れは伯爵、何うでも好いぢや有りませんか、誰も貴方が小侯爵と夕蝉孃との婚禮に責任が有るとは思ひませんから、其れよりも伯爵、私は當分靜かな所へ旅行し度いと思ひますが何處か好い所は有りますまいか」伯爵は忽ち心を轉じた樣に「アヽ旅行ならば私も其積りです、實は此頃ノルマンデーの海岸へ別莊を作りましたから今日夕方から行く積りですが」渡りに船とは此事である武之助「何うか私をもお連れ下さい」伯爵「御兩親に御異存が無くば」誠に話は早い、直に同行の相談が極ツた。
素より伯爵の樣な人が、態々ノルマンデーの海岸へ別莊を作り、其處へ行くと云ふには何か深い目的が無くては成らぬ、其別莊を作る爲に伯爵が何れほど家令春田路に差圖したか、又何の樣にして其道筋へ駿馬を配り、其別莊の下へ早船を繋ぎ、スワと云へば咄嗟の間に此國を立去る用意を調へて有るかは、既に讀者が知つて居る所である、けれど武之助は其れらを知らぬ、定めし伯爵の別莊と云へば立派な所だらうと思ひ、直に用意の爲め我家に歸つた、歸つた後で伯爵は、之も直に二階に上り、何の爲かは知らぬけれど、彼のヤミナ城主有井宗隣の一女と云ふ鞆繪姫の室に入り、凡そ二時間ほども姫と何事をか話をした、話の中には互に泣きもした笑ひもした、餘ほど深い相談でも有つたものと見える、漸く其れが果て再び下へ降つて來た時は、眉間に何やら尋常ならぬ決心が刻まれて居る樣に見えた、けれど其所へ丁度用意を調へて武之助が來た爲めに眉間の刻みは直に嬉しげな笑と爲つた、爾して武之助が、「母も貴方と御一緒ならと云ひ大層喜びました」と云ふを合圖に其まゝ二人は馬車に乘り、ノルマンデーを指して鞭を擧げた、後で思へば是れが全く大なる活劇の幕開きであつた。
巖窟王 : 二〇一 議場空前の光景
親の因果が子に報うとは、野西武之助の樣な場合であらう、彼は自分の父野西子爵に全く賣國奴たる振舞の有つたのを知ツて、父の汚名が直ちに自分の身に纒綿る樣に感じた、縱しや其汚名は猛田猛の慈悲に依り證據を掻消して了ツたとは云へ、是で以て人を欺く事は出來ても自分の心を欺くと云ふ事は出來ぬ、此巴里に居るは人に顏見らるゝ度に何だか自分が辱められる樣な氣がする、兎も角も當分の中は靜かな田舍へ引込んで深く考へて見やうと思ひ、巖窟島伯爵に從ツて伯爵のノルマンデーの別莊へ向けては立ツた、此別莊で靜かに心を落着けて考へ廻す中には、誰が斯う執念深く我父の舊惡を訐くのか其邊の見當も附くだらうと、出發の時には此樣に思つて居たが、後で思ふと眞に此出發が前囘の末に記した通り活劇の幕開きであツた、實に悲しい恐ろしい幕開きであツた。
爾とも知らずに彼は伯爵の馬車に伯爵と共に乘り、只管に急がせた、實に伯爵の贅澤は今に初めぬ事ながら只驚く外は無い、ノルマンデーまで約五十里の間に七ヶ所も伯爵私設の馬繋ぎ場が有ツて茲には夜も晝も絶間無く駿馬の用意をして待つて居る、此方から伯爵の馬車が着けば直に其疲れた馬を初めての馬に取替へ、力を新にして出發する、假令へ國王の急使とても斯うまで充分な眞似は出來ぬ、巴里を立つたは午後の四時で有ツたけれど、之が爲に夜の十二時にノルマンデーへ着いた、五十里の路を馬車で只八時間とは恐らく前後に無い實例だらう、而も別莊には夜半ながら入浴の用意まで出來て居る、巴里第一流の旅館とても斯うまでは手が屆くまい。
入浴が終ツて、最と輕い品で夜食を濟ませ、浪の音を聞きながら寢に就たは夜の十二時である、交際にのみ身を委ねて居る武之助に取つては二時に寢るのは早い中とも云ふ可きだ、尤も心に有耶無耶の有るが爲に寢心は餘り能く無かツた、幾度か惡い夢に魘されなどして、漸く明方から熟睡し、十時に至ツて目が覺めた、爾して床を離れて縁側に出て見ると、何しろ彿國の海岸中で第一等の場所と云はれる丈けに、目の前には廣い海のパノラマが横はツて、而も海の温度は冬の寒さを消し、得も云へぬ快き心持である、俯向いて直に別莊の下を眺めると、伯爵の持物だらう、見事な遊山船が繋がれて居て、其 周圍には網船釣舟も許多浮て居る、只伯爵の口から一言の差圖さへ出れば何の樣な漁獵でも出來るのだ、其上に更に右手の方を見ればデイフの高い岬が茲から徐々上りの地續きと爲つて峠までの間に青い草原も林も牧場も狩場も有る、是が總て伯爵の別莊に附屬して居る事は馬車の中で伯爵に聞いた話にて分ツて居るが、話にも優る場所である。
仙境に入つたとは是だらうと此日も翌日も自分の身を忘れる迄に打寛いで居たが三日目には、青天の霹靂とも云ふ樣に此靜かな場所へ蹄の音高く巴里から早馬の急使は何の用である、巴里に於て武之助の父野西次郎の身に掛ツた所謂る活劇を知らせて來たのだ。
説き出す、武之助が立た翌々日である、巴里で最も信用の厚い政府方の新聞紙、世間では半官報とまで尊ふて居る紙上に野西子爵に對する容易ならぬ非難の記事が載せられた、其れには先頃猛田猛の主宰する新聞に出た記事を一層詳しくした者を、明かに姓名をまで指して、賣國奴の罪を武之助の父に塗附けてある、短いけれど爭はれぬ、其本文は左の通りだ。
▲先頃某新聞にヤミナ城の陷落せしは全く同城に籠りたる彿國士官中、敵軍土耳古に通ずる者あり、報酬の爲に城を賣りたるに因る旨を記し、大に世間を驚かしたるが、悲しくも今は其記事の事實なるを確め得るに至れり、某新聞には其賣城賣國の奴を次郎とのみ記せしが、此次郎は其後お有りに歸り、今は陸軍の中將にまで登され子爵の肩書を有して貴族の中に列なれり、知らず我彿國の貴族總體は斯の如き醜奴の其同族中に在るを知りて恬然顧みる所無きや、吾人は是れを驅逐して我國の貴族總體の名を雪消する爲め、併せて目下開院中なら貴族院の參考に供する爲め特に其姓名を發表す、其醜奴其賣國奴は野西次郎なり。
實に驚く可き嚴責の文字である、之のみで無い、猶ほ他の信用の厚い二三新聞にも、多分は同じ根據から出たであらう、似寄つた意味の文が出て、是等には更に其詳報として當時野西次郎が敵の軍隊を案内してヤミナの城門を内から開き不意に城主有井宗隣の室にまで敵の將士を連れ込たる殘酷な所行から、宗隣の夫人及び其幼い姫君が逃惑ひて老僕バシリキと云ふ者に助けられ、纔に落延びんとする所を案内詳しい次郎が自ら追掛けて之を捕へた状、及び忠臣セリームと云ふ者が奮鬪して城主と共に敵彈に斃れた事まで其時の憫れな状を其儘に記したのも有る、實に是れ等の記事が巴里の上下全社會を驚かせたは殆ど一世を震動せしめたと云ふ可き程である。
中にも彼の猛田猛は折角野西武之助に對する自分の信切が水の泡と爲たのを嘆き、朝飯をも喫せずに早速是等と同業諸社を廻り、如何にして斯る記事を載せる事とは成つたかと糺した所、此前日ヤミナ州から人が來て、幾束の證據書類を以て各社を廻り、若し此社で出さずば他社へ出させると掛合たる爲め、各社ともに斯る大椿事を他社に先驅せられるの辛さに、我れ後れじと出した者と云ふ事が分つた、其れにしてもヤミナ州から故々野西子爵の舊惡を訴へる爲め、證據を以て此巴里へ出て來たのは何者だらう、多分は亡國の恨み未だ消えも遣らぬ遺臣等の中だらうと猛一人は合點し得た。
何しろ是ほどの大暴露を貴族院が默つて居る筈は無いとて市中の人は吾も〳〵と貴族院へ推し掛けた、之を默つて居る程では貴族院が自ら貴族の信用と體面とを保護し得ぬのだと、誰も云ひ彼も罵り、其廣い傍聽席は定刻の前に滿ちて了つた。
議員とても其通りである、日頃休み勝の人までも悉く出席した、孰れも手には一枚又は數枚の新聞紙を悔しげに握り、事の眞相を詮議する丈けの嚴重な議決をせねば成らぬと憤つて居る状が、容にも態にも現はれて居る、此中に唯だ一人未だ今朝の新聞を見ぬ人が有る、其れは外で無い、賣國の醜奴と名を指された當人野西子爵である、子爵は毎に變らず議場に歩み入り、他の人々が常より早く出揃ふて居る状に、聊か不審を催したと見え、右を左をと見廻した、議場空前の光景とは正に是れだ。
巖窟王 : 二〇二 總身の剛ばツた樣に
野西子爵は居並ぶ一同の議員を見廻し、誰の顏にも侵し難い嚴かな色の現はれて居るに驚いた。何事の莊重な議事だらう、何か外交の方面にでも容易ならぬ事件の起ツたのだらうかと、徒に訝かツたけれど自分の身が賣國奴の名を受けて今裁判せられるが爲だとは思ひもよらぬ。
賣國奴、賣國奴、唯だ簡單な此一語が、此場合に於て何故斯くも人々を憤らせるので有らう、是は外でも無い、ヤミナの戰ひは全彿國の人と云ひ度いが實に全歐羅巴、全基督教國の人々が悉く同情を表した所で、殊に此彿國からは許多の有志が援兵に馳せ向つた、野西子爵も其一人であつた、爾して此城の陷ツた時には、殆ど歐羅巴中に泣かぬ人とては無かツた程である、其上に其城の亡びたと共に、彿國の援兵は殆ど殘らず死して了ツた、其れだから其城を敵に賣つたと云ふ事が彿國人が彿國の國民を賣つたと云ふのと同じ程重く聞える、人の國人の城を賣つたのでは無い、全基督教國の同情を賣つたのだ、義勇なる同胞兵士の生命を賣つたのだ、之れが憎まれず、怒られずに居る筈は無い。
併し氣の毒なのは此朝野西子爵が新聞を見ずに議場へ出て來た事である、新聞は一日一日の出來事を報ずる者で、何時自分に何の樣な關係の有る事が出やうも知れぬから、世に立つ人は一日の事務の前に必ず新聞を讀まねば成らぬ、殊に貴族社會の人々は文學の趣味とても深い爲に、只其趣味の爲めにも朝々新聞を讀まずには耐へ得ぬ程であるのに、其處に至ツて野西次郎は俄貴族の悲しさである、何事も他の貴族と異らぬ樣に飾り立てゝ居るけれど、幼い頃からの文學の素養が無い爲めに、新聞を讀まぬのを爾までの苦痛とは思はぬ、此朝も認む可き二三の手紙が有ツた爲め其方を先にして新聞紙を後にし、其中に貴族院へ出席する刻限と爲ツたゆゑ、何の心配も無く出て來たのである。
けれど議場の趣が餘り毎もと違つて居るから、何事なるかを他の議員に問ふて見やうかと思ふた、併し問ふも聊か極りが惡い、其うちに誰れか發言でもせば直に合點が行くだらうと思ひ直して控へて居た。
毎もとは違ツて議長も何だか重々しく構へたまゝ口を開かぬ、又議員一同も誰れが此重大な口切をするのだあうと互に人の發言を待つて、云はば睨み合の姿である、何しろ人一人の存亡に關するのみか貴族總體の榮辱となる事件だから、發言者の責任が仲々重い、此分では誰れも彼も云はずに濟ますには至らずやと殆ど氣遣はれる程であつたが、終に一人、日頃から野西子爵と何事をも爭ふ癖の有る貴族が議長を呼んで立つた、一同、自分が口切の役を免れたのを喜ぶ樣である、直に發言は許された、直に其人は壇に登つた。
彼は先づ、貴族總體の令聞に關する件だから私情を捨て一同の傾聽せられん事を望むの意を述べ、彌が上にも莊重に説き初めた、聽く人も今まで是ほど謹んで此人の言葉を聽いた事は無い、彼は次に新聞紙を自分の前に開き「私は同僚たる貴族院議員の一人に對し、非難の聲を發するの辛さを避けん爲め、茲で此新聞を讀上げます、新聞の記事が私に代つて一切を云ふのです」と云ひ、落着いた調子で其記事を讀初めた、一同は水を打つた如く鎭まつて首を埀れ、唯だ野西子爵より背後に坐して居る人だけが野西子爵の容子を偸み視た、併し傍聽者の視線は前と後との別なく子爵の身に集まツた。
發言者が、讀んで「ヤミナ城の陷落」と云ふや子爵の顏は直ちに青くなツた、傍聽人は其變り方の激しいのに身を震はした、次に「今は其記事を事實なるを確め得たり」と云ひ、「次郎は其後巴里に歸り云々今は陸軍中將にまで登され云々」と云ふに至ツて彼は充分の勇氣を絞り集めやうと悶えた、けれど無益である。更に其最後に及び、「其醜奴其賣國奴は子爵野西次郎なり」と讀終るに至ツて彼は自ら呼吸をも爲し得ぬほど總身 剛ばツた樣に見えた、發言者は氣味好しと云ふ状を無理に隱して「私は我が最も尊敬する議員の一人に對し、斯る事實無根の、イヤ事實無根たるを望ましく思ふ如き醜き風説の顯れたを悲しみ、此風説の擴がらぬ前に黨院に於て詮議を盡し、善後の處置を取られんことを望みます、先其處置としては此件を廣く議員の討議に付し次には詮議の爲に委員を設けんことを望みます」と云つて壇を降ツた。
之に何等かの答辯の無くては成らぬのは野西子爵自身である、けれど彼が咽喉は最早涸て彼の一語を發するをも遮斷する樣である、彼は殆ど身動きさへも得せぬ、纔に眼を動かして虚呂々々と同席者の顏を見るのがヤツとである。
巖窟王 : 二〇三 委員會 一
喉は涸いて聲も出し得ず身は剛ばつて動きも得せぬ野西子爵の此状は、自分の身に罪の覺えが有る爲だらうか、其れとも覺えは無いけれど唯餘りの驚きに一時度を失つた爲だらうか。
眞逆に今までの此子爵の名譽から考へると賣國奴と云ふ程の醜い所行が有つたゞらうとも思はれぬ、爾れば議員の半分は此事を無實の疑ひと思ひ、半分は子爵に罪の有る者と思ふた、けれど誰も彼も子爵の容子の餘り尋常ならぬには怪しみと憫れみとの交々起るを制し得なんだ、間も無く議長は一同に問ふた、委員を設けて此事件を審問す可きや否やと、滿場は委員を設くる方に投票した、爾して委員十二名、直ぐに其席で選ばれた、最早此事件は曖昧の間に揉み消す事は出來ぬのだ、日を定めて野西子爵を委員十二名の前に呼出し一々當時の事柄を詮議するのだ、詮議の結果、若し子爵が、自分に賣國の振舞が無いと云ふ立派な證據を示し得れば好いけれど、證據を示す事が出來ぬ場合は全く賣國奴の罪に落つることは無論である、賣國奴の罪に落つるは人間として此上も無い汚辱に陷るのだ、名譽も身分も悉く消滅して今まで名譽の高かツた陸軍中將野西子爵は人間の交りも出來ぬ事に成つて了ふのだ。
議長は更に野西子爵に向つて問ふた「何日貴方は委員會に出て御自分を辯護します、其日取は貴方の御都合に依つて定めませう」何たる寛大な問であらう、併し此時までに野西子爵は少しづつ少しづつ、自分の勇氣を呼び集め、變ツた顏色をも常に復し、騷ぐ胸をも推鎭めて、此恐ろしい場合に相應するだけの度胸を定めて居た、最早ナニ恐れる所は無い、恐れては益々自分の身の暗いのを人に疑はれるのだ、何の、と云ふ状で傲然と立上ツて答へた「議長よ」呼掛ける聲も確である「罪の無い者が、罪の無い事を言ひ開くに、何で熟考の時間などが要りませう、私は斯樣な怪しからぬ疑ひを受けて一刻でも忍ぶ事は出來ません、委員會に出て審問せられるのが早いだけ好いのです」眞に立派な答へである、子爵を罪有りと信ずる人も之には確に其信念を動かされた、議長は暫し考へて「然らば今夕の八時から黨院の委員室で開きませう、若しも一夕で終らねば、終るまで毎夜八時から開く事に致しませう」誰一人異議は無い、議長は再び「野西子爵は其れまで言ひ開きの材料を取揃へ成さる爲めに、此席をお退き成さるが好いでせう」子爵「然らば議長の好意に從ひませう」言ひ放ツて野西子爵は、高く頭を空に聳やかし、罪も汚れも無い己の顏を見て呉れと云ふ状で退席した。
豫て彼は、斯る事も有らうかと、集められるだけ材料を集め何の樣な嫌疑をも言ひ開く事の出來る樣に手を盡しては有る、之は自分に落度の有る人の常である、何時其落度を發見せらるゝも知れぬとの心配が常に心に絶えぬから、何うしても其邊の手當をするのだ、併し議員や傍聽者や一般の人々は子爵の一時拭涸れ[注:喉涸れの誤りか?]身剛ばツた状を忘れぬ、子爵が果して明白に此嫌疑を拭ひ得るだらうかと危ぶんだ事は無論である。
是より委員會の開かれる夜の八時まで世間の噂は大變であツた、寄ると障ると今夜の委員會を噂せぬ者は無い、中には子爵が委員會へ出席し得ぬだらうと云ふも有り、機敏な新聞社などは早くも其筋へ手を廻し若しも子爵が外國へ落ちて行く爲め窃に旅行劵の下附を願ひ出はせぬかと網を張ツて待つたのも有る、勿論委員會は祕密の記事で、傍聽を許されぬので有るけれど、通手から通手を求めて、或は次の間へまで入らせて呉れとか、或は書記又は從僕、又は給使として其席へ出入りさせて呉れとか、甚だしきは卓子の下へ忍ばせて呉れなど無理な運動をする者さへ有ツた、其中の二人や三人は目的を逹したらしい。
頓て定めの刻限とは成ツた、委員は殘らず委員室に集まつた、野西子爵は旅行劵を願ひ出もせず、嚴めしい禮服を着け、宛も古への武人の樣に、胸の釦を首の所まで掛け上げて、眞に威儀堂々と此室へ歩み入つた、右の手に革の疊み鞄を持つて居るは云はずと知れた云ひ開きの證據品を入れて居るのだ、此眞面目な、爾して武骨な、而も品格の有る軍人に賣國の罪が有らうとは思はれぬ程である、委員の中の三四人は少しも子爵を疑はぬとの好意を示す爲め故々席を離れて子爵と握手した、最早何の樣な疑ひでも微塵に云ひ碎いて了ふとの自信力が此一時で更に子爵の胸に強くなツた樣に見える。
子爵が席に着かふとする此一瞬間であツた、一人の給使が一通の手紙を持て入來り、恭しく議長の席に之を置いて去つた、是れ此手紙、何人が何の爲めに寄越した者か、若しも野西子爵にして手紙の中の事を知つたなら、必ず此委員會も平和には終らぬ事を察し得たで有らう、併し手紙の中を想像し得る筈は無い、議長とても此手紙に重きを置かぬ、手に取上げはしたけれど、イヤ宛も手癖の附いて居る樣に其封じ目を開いたけれど、自分では封を切つたとも氣の附かぬ振で、其まゝ又 卓子の一方に置き、見向きさへもせずに委員總體に向ひ「サア、之より委員會を開きます」と報告した、封だけを開かれた今の手紙は「早く中を讀んで呉れ、讀んで呉れ」と請求するかの樣に見えた。
巖窟王 : 二〇四 委員會 二
議長の報告と共に委員會は始まツた、會の目的は主として野西子爵の辨解を聞くに在るのだ、子爵は今朝ほどの身も舌も剛ばツた状とは大變な違ひで有る、最早何の樣な疑ひでも微塵に碎く事が出來ると云ふ確信が附いたと見え、横柄な素振の中に深く落着いた所も見え、人を嘲る樣な笑さへ口の兩側に浮べて居た。
爾して頓て議長の許しを得て立ち上り、先づ其身が義勇兵としてヤミナを援けに赴いた旨意から説き初めた、充分に考へて有る事と見え、言葉の順序も正しく其意味の筋道も立つて辯舌も極めて爽快である、殊にヤミナの敵なる土耳古の憎む可きを説き出した所など、眞に雄辯とも云ふ可き程で、土耳古を人道の敵なりと罵り「自分が一片の侠骨は、憎む可き人道の大賊が、孤弱憐む可きヤミナを虐ぐるを見るに忍びず、憤然起つて妻子を振捨てヤミナ軍に馳せ加はりました、他日に至り此行爲が利慾とか金錢とか云ふ如き心事に解釋せられやうとは素より思ひも寄らぬ所でした、況して賣國の所業などとは之を口にすうる人の有るさへも合點がゆきません」と説破し、更に進んで其身が忠勤を以てヤミナ城主有井宗隣の參謀長にまで進められ、更に間も無く全權使として談判の爲め敵軍に赴いたけれど、談判は不調に歸したので、再び戰ふ決心を以て城に返つた所、早や城主有井宗隣、今果の際に在り、自分の妻子の後事を托して死んだとの事に至るまで、悲壯な口調を以て説明し、最後に其等の證據として其身が城主から受けた辭令書の外に、城主が盟約を締結するに用ひた金印を議長の前に出し「此金印は城主が肌身離さぬ程に大切にして居た品です、若しも自分の擧動に少しでも疑はしい所が有れば城主が其れを氣附かぬ筈が無く、苟も氣附いたならば此品を私へ與へる筈が有りません、此品は城主が息を引取る間際に、今まで忠實に働いた襃美として手づから肌身から取出して私へ渡されたのです」眞に立派な言開きで有る、成るほど此人に賣國の所業の有る筈が無いと云ふ委員の過半は思ひ込んだ、此時に若し議長が先刻の手紙に氣が附かなんだなら直に野西子爵は委員室から勝誇つて出る人と爲つたかも知れぬ。
議長は、彼の手紙を手先で弄びつゝ子爵に向ひ「城主が貴方に托したと云ふ妻子は其後何うなりました」誠に輕い問である、併し何と無く子爵の顏は不快を感ずる樣に見えた、「ハイ、悲しい哉其妻と鞆繪姫と云ふ子を私が手下に命じて城から連出させましたけれど、何しろ城の陷る如き敗軍ですから、其者が何處かで戰死したと見えます、其後詮議の道さへも無いのが此野西次郎の深く遺恨とする所で有ります」議長「貴方の其言立には誰か生て居る證人は有りませんか」子爵「當時ヤミナの城に籠つた中でも無事に生殘つたのは、私の外に殆ど二三人しか有りますまい、若し其二三人の中誰でも獨り今茲へ現はれて呉れるなら、私は自分の口からは言憎い樣々の手柄をも必ず其人が言立てゝ呉れて私の言葉が事實と云ふ事は、イヤ事實の半分にも足らぬと云ふ事が直ぐに分りますのに、其人の無いのは殘念に堪へません」此一語は悄然として述べた、眞に生た證人の殘つて居ぬのが殘念な事だらう。
議長は略ぼ滿足した容子で、今まで弄んで居た彼の手紙を、念の爲めと云ふ樣に推し開き、スラ〳〵と讀下したが忽ち顏の容子を變へて「アヽ丁度貴方の其御殘念を償ふ證人が現はれましたよ」と云つた、子爵はギクリとして「エ、エ、何と」議長は之に返辭せず委員一同に向ひ「此樣な手紙を寄越した人が有ります、讀みますからお聞き下さい」斷つて置いて讀み下した。
拜啓野西子爵が先年ヤミナに於て爲せし事柄に付き大切なる證據を所持致し居候間、委員の方々にお知らせを申度く候、此手紙の筆者は其時ヤミナ城主の死する枕許に在りたる一人にして城主の妻と娘鞆繪姫の其後の事をも詳しく存じ居候故、委員の方々に一應わが陳述を御聞取りあらんことを請ふ可き充分の權利ある身分と存じ候、今は應接室に控へ居り候間御都合宜しき時間に御呼入れ下され度候。
眞に野西子爵の爲には屈強の證人である、然るに子爵は今殘念と云ひたる言葉にも似ず痛く狼狽の状を示し「其樣な人の有る筈は有りません、必ず私を憎む何者かゞ私を陷入れる爲に贋の證人を作つたのです、議長は、私が今まで數々の戰場に於て、何れほど國家に忠義で有つたかを考へ其樣な手紙に耳を傾けぬ樣に願ひます、苟も忠義の心の缺く者が陸軍の中將にまで昇進する事が出來ませうか」議長は聞かぬ振りである、其儘委員に向ひ「此手紙の差出人を呼入れて其陳述を聞きませうか、其れとも子爵の辨解を最早充分の者として此者を追返しませうか」眞に子爵の運命は委員の返事一つに懸つて居る、一髮千鈞を繋ぐとは此場合である、委員の一人は答へた「兎に角呼入れて陳述を聞きませう」「贊成」「贊成」と續いて叫ぶ者が有つた。
直ぐに議長は守衞を呼び「此手紙の差出人を之へ呼べ」と命じた、抑も何の樣な人が現はれやう、定めし其時に戰死する事を免れた老軍人に違ひ無いと、一同待つて居る所へ、守衞の後に從つて歩み入つたは、一人に從者を連れた姿も、優かな婦人である、爾して顏は濃い覆面に隱れて見えぬ、誰とて意外に思はぬは無い、議長は婦人に請ふて先其覆面を取除けた、取除けた覆面の跡に現はれた其顏は殆ど滿場に輝き渡る程の美しさである、委員一同、呼吸の聲さへ立てる者が無い。
巖窟王 : 二〇五 委員會 三
此婦人 抑も何者であらう、委員も議長も眞に其美しさに呆氣に取られた、爾して知らず〳〵婦人と野西子爵との顏を見比べた。
アヽ野西子爵の此時の顏、眞に見物と云ふ可きである、今までの勝誇つた樣な色、嫌疑を嘲る樣な笑は總て一度に掻消えて、云はゞ罠に罹つた狼の、齒を剥出して咆えるかと思ふ樣な容貌とは爲つた。
無理も無い、唯だ此婦人の唇に此野西子爵の死と活とが懸つて居る、命をまで此一婦人の手に握られて居るのだ、確に野西子爵は唯一目で此婦人が誰かと云ふ事を見て取つたらしい、確に舊い見覺えが有るらしい。
議長及び委員の面々は野西子爵の此樣を見て、扨は此婦人決して今まで野西子爵に逢つた事の無い身では無い、決して此事件の證人とするに足らぬ人では無いと、急に此婦人を重い證人と見る事に成つた、イヤ今までとても意外な爾して大切な證人とは思つて居たけれど、其思ひが一入加はツたのだ、議長は先婦人に椅子を與へたけれど、婦人は之を辭して立た儘である、之に反して今まで立て居た野西子爵は立て居る力が無い、立て居たくも足が云ふ事を聞かぬと見え、折れる樣に椅子の面へ曲り込んだ。
婦人は端然と議長の問を待つて居る、議長は問ふた「貴女は此委員會へ大切な證據を示すと云ふお申込みの樣ですが、果して此事の見證人ですか」婦人「ハイ其れに相違有りません」其語は聊か外國の訛が有るけれど純粹な彿國語で、其音調は場合に相當する丈の悲しさを帶びて爾して顏に相當して美しい。
「ですが婦人」と議長は呼んで「現場を見た證人としては餘り貴女のお年が若過ぎる樣に思ひますが」婦人「ハイ其時私は唯だ四歳でした、けれど自分の身、自分の一家に此上も無い大切の事柄ゆゑ、幼心に痛く感じまして其後は忘れる暇も無く今も歴々と覺えて居ます」議長「一家の大事とは、貴女は何者です」との此問ひは、先刻から委員總體の唇に出掛けて居たのだ、彼等は婦人の顏から片時も目を離さぬ程にして居たけれど、此返辭を待受けて又 一入眼に力を入れた。
婦人は何と答へるだらう、少しの間が待遠い樣で有ツた、「ハイ私は、ヤミナ城主有井宗隣の一女鞆繪です」言葉と共に兩の頬が聊か紅らんだ。
鞆繪姫、鞆繪姫、今しも一同が野西子爵の口から聞いた其名である、有井宗隣の一女と云へば、世が世ならば公女である。姫君と侍かれて通例の人は其顏を拜む事さへ出來ぬ筈である、其名を聞いて委員の中の或者等は急に其衣服へ目を着けた、成るほど今までは氣が附かなんだけれど希臘の皇族の着る被物である、華美に飾つて居ぬけれど、高價な織物で仕立たもので自然と爭はれぬ品位も備はツて居る樣に思はれる、中には又此名を聞き、扨はと彼の巖窟島伯爵を思ひ出した人も有る、如何にも夜芝居で伯爵の棧敷に居て、何處の何うした美人かと多くの人に怪しまれた美人なのだ。
倩々と其姿を見つゝ議長は「貴女の其お言葉には何か證據が有りませうか、確に有井宗隣の一女鞆繪姫と云――」鞆繪姫「ハイ有ます、私の父及び家老二人の調印した誕生證書マセドニヤ及びエピラス州の管長から授かツた宗籍の寫し其れから」其れからとの一語に力を入れたのは最も力ある證據を云ひ出す用意らしい「其れから最後に、私がアルメニヤの奴隸商人エルコバーと云ふ者へ母と共に女奴隸として賣渡されました其賣買の證書が有ります、私を其奴隸商へ賣渡しました人は、外でも無く、父宗隣に參謀長とまで取立てられた彿國の士官で、父の城を土耳古を賣渡した上に、私と母とを數々の分捕品と共に捕へ、自分の獲物の一に加へた野西次郎と云ふ者です、私と母とを賣渡した其價が四十萬 法と云ふ事まで書いて有ります」
成るほど是れに勝る證據は無い、野西次郎は人の城を賣つた上に猶人身賣買と云ふ事をまで行ふたのだ、野西次郎の顏は鞆繪姫が言葉の一句一句に、險益々 險と爲つて、眼には血の色が射し、殆ど姫に飛びも掛らんかと思はれる樣に見えた、併し姫の方は彼が悶けば悶くだけ益々態度が落着いた、其落着いた状に、却つて荒狂ふよりも恐ろしい力が有つて、靜かな言葉が一々に野西子爵の頭から釘を打つ樣に徹へた、委員一同も全く手に汗を握るに至つた。
言終ツて姫は其證據書類を取出して議長に渡した、最後の一通は土耳古語で認めてある、議長自らは土耳古語が讀めるけれど、誰か外の人に讀ませ度いと委員の顏を見廻すと、兼て語學の力を誇つて居る人、二人が現はれ、立會つた上で其一人が左の如く讀下した、是れが全く野西子爵を金縛りにする程の恐ろしい證據物である。
「餘は土耳古王の後宮に女奴隸を納むる御用奴隸商アルメニヤ人エルコバーと云ふ者なり、此女はヤミナ城主、故有井宗隣の娘にして年は十一歳なり、其城の沒落の時、土耳古王の内命を含みて彿國の軍人が生捕りたるを、餘が王の御用に依り買受けたる者にして今は又國王の許しを得て之を伯爵巖窟島友久に賣渡す者なり。
巖窟島伯爵は此女奴隸の身を買取る償金として土耳古王の慾する碧玉三個、一個の價凡そ八十萬 法宛なるを國王に納めたれば何人も此女奴隸を所有する巖窟島伯爵の權利を爭ふこと能はざる可し、伯爵に之を賣渡したる餘エルコバーは七年前に此女奴隸を其捕獲主たる彿國の軍人野西次郎と云ふ者に四十萬 法を與へ直接に買取り、今まで育て上げたれば又何人も此女奴隸を巖窟島伯爵に賣渡す餘の權利を爭ふ者無し、國王の御璽を迄得て後日の爲めに此證書を作る者なり。
成るほど國王の御璽も据ツて居る、年月日もエルコバーの署名も確である、此上の證據は又と無い。
巖窟王 : 二〇六 委員會 四
人として他人の身體を賣るは罪惡の極である、而も自分を信認し自分を參謀長にまで取立てた大恩人の妻と兒を、奴隸商人に賣渡すとは、人の城を賣り國を賣り同胞の生命を賣つた罪の上に一段の仕揚を加へた樣な者である、是より上の卑劣と罪惡とは心に描くことさへ出來ぬ。
此奴隸商の賣買證書を讀終るや滿場は死の境に入つた如く靜まツた、誰も彼も野西子爵が何事をか辨解するのかと待つて居たけれど子爵は辨解せぬ、口も動かぬ身も動かぬ、唯其 眼を鞆繪姫の身に注ぐのんみである、注ぐ積りで注ぐのか將た恐ろしさに姫の姿より其眼が剥がれぬのかは疑問である、何うも注ぐまじとすれど無意識の眼が其方へ轉ずる樣である。
議長は又も鞆繪姫に向ひ「一應巖窟島伯爵へ問合せませうか」と問ふた姫「イヽエ、私が父同樣に思ふて居る伯爵は、一昨日ノルマンデーの別莊へ行き、此巴里へは居ませんのです」議長「其れなら貴女は誰に相談して今日此所へお出に成りました」姫「若し巖窟島伯爵が居れば必ず私を推し留る所でした、伯爵は決して此樣な事に贊成はして下されません、けれど私は兼てから、何うか父の仇を復し度いと今日を待つて居ました、此巴里へ來ましてからも、家に引つ込んでは居ましても毎日、新聞や雜誌を讀み、父の仇野西次郎が何の樣な事をして居るかと蔭ながら知つて居ました、今日こそは天から彼の罪を訐く時を與へられた事を思ひ、誰にも知らさず茲へ來たのです、ホンに二度とは無い機會だと思ひました」議長は再び野西子爵の返事を待つた、けれど子爵の状は初めの通りである。
「野西子爵、貴方は何とか辨解の辭は有りませんか」と議長は氣の毒げに問ふた、猶も返辭は無い、議長は更に「然らば私から問ひませう、第一に貴方は此婦人を有井宗隣の娘鞆繪姫だと認めますか」子爵は忽ち力を得て立上つた「イヽエ認めません、此女は必ず詐欺でせう、誰か私を怨む者が、此狂言をして私を陷れる計略でせう」殆ど死物狂ひの叫びである、此言葉を聞くよりも鞆繪姫の冴えた眼は鋭く子爵の顏を射た、爾して聲は裂帛の響きがある。
「オヽ貴方は私の顏に見覺え無いと云はれますか、私が四歳の時ゆゑ、見違へるかも知れませんが、私の顏は母に生き寫しです、鏡に向ふても分つて居ます、母の顏はよもやお忘れには成りますまい、貴方は私の父を殺した後で、後宮へまで追つて入り、母と私とを守護して落延びる忠臣を殺し、母と私とを捕へたでは有りませんか、奴隸商人エルコバーに引渡したでは有りませんか、父の代理として土耳古朝廷に使ひしたも貴方です、和議充分に調へたからと云つて歸り城中一同へ油斷をさせたのも貴方です、爾して土耳古の攻撃軍を城の中へ案内したのも貴方です」一聲は一聲よりも急に叫び、爾して最後に殆ど十々滅を刺す樣に「私の父を不意に殺して、其首を槍先に高く差上げたのが貴方では有りませんか、貴方の身にも有井宗隣の怨みが纒ふて居ます、貴方の前額には有井宗隣の血が注いで居ます、貴方は未だ其血を拂ひ去りも得ぬでは有りませんか」眞に心の底より溢れる如く湧き出づる瞋りには誰とて敵することは出來ぬ、委員一同、全く野西子爵の前額に今も猶だ其血が着いて居るのかと疑ふ如く子爵の顏に振向いた、爾して子爵自らも自分の前額に氣味惡き感じが起つたと見え、遽だしく手の甲を以て前額を撫でた、之が彼の最後の力で有ツた、彼は「ウーン」と一聲絶望の聲を洩らして又も椅子の面に挫け込んで了ツた。
今まで縱し野西子爵に罪無しと思ひ人が有つたにせよ、此樣を見ては、誰か又其思ひを支へる者ぞ、唯一齊に子爵を汚らはしい人も認めた、併し議長一人は親切である、彼は猶も丁寧に「子爵よ何の樣な證據が有らうとも吾々は貴方が充分の反證を提出する事を望みます、反證が無いとならば委員の中より二名だけを急にヤミナ州へ派遣し貴方の請ふが儘に反證を集めさせますが何うです、何うすれば反證が上りますか」何んで反證が擧がる者か、ヤミナへ人を遣れば此上にも賣國の證據のみが出て來るのだ、子爵は又も無言と爲つた、議長は暫らく待つた末、又も「サア貴方の返辭は如何です」子爵は辛やく聞える程の幽な聲で「最早や返辭は有りません」
是れ全く服罪である、議長は聲を張上げて「然らば鞆繪姫の云ふ所が事實ですか、貴方は自分の無實を言張る材料が無いのですか、眞に貴方は新聞紙に疑はれた如き罪惡の人ですか」と念を推す樣に問ふ言葉も實は宣告と同じ事である、子爵は四度び立上ツた、併し今度は辨解の爲では無く、逃去るが爲で有ツた、一應は委員の顏を見廻したけれど、總ての顏に宣告が現はれて居る、最早斷念の外は無い「アヽ」と一聲叫んだまゝ兩手に握んだ自分の短𧙥を右左に引裂たは胸の壓迫せらるゝ樣に感ずるを掻除けん爲であらう、爾して網を破ツた猛獸の如く、狂ひ狂ふて廊下に出た、後は唯だ廊下の外に彼の不揃な足音が次第に遠く聞えるのみで有ツた、暫くして其足音は急ぎ去る馬車の遠音と代ツて了ツた、多分は乘つて來た馬車に乘つて自分の家へ逃げ歸つたのであらう。
後に議長は委員全體に向ひ「諸君は野西子爵に賣國の所行が有つた者と認めますか」返辭は滿場一致である「認めます、認めます」鞆繪姫は全く議事の終るまで茲に居た、別に嬉しげにも心地好げにも其顏を變ぜぬけれど、父の仇を復し得て胸に滿足の意の滿渡る事は、何と無く神々しい其振舞の總てに現はれて居る、爾して最後に議長に向ひ「今日は實に私の爲めに光榮ある一日で有りました」との一語を殘し、附添ふ下僕に從ふて茲を去ツた、其姿はヴァジルの謠ふた希臘の女神かと思はれる許りであつた。
巖窟王 : 二〇七 翌日の午後
人間が世に立つには隨分悔しい恥かしい事も有る、これど此委員會で鞆繪姫に言込められた野西子爵の樣な甚い場合は、澤山は無いだらう、是れで全く彼の生涯は盡きた樣な者だ、最早貴族と成つて居る事も出來ず、陸軍中尉で居る事も出來ず、全く人間の仲に顏出をする事も出來ぬ、無慘、無慘、眞に無慘の極である、彼此後を何うするか知らぬけれど、夜逃でもして外國に落ち延びる外、殆ど活て居る道も有るまい、イヤ外國へ落ち延びたとて、此樣な大耻辱が其身に着き廻らずに居るものか、何處に此樣な人の活られる世界が有らう、其れも年でも若ければ又格別、彼は最う、知らぬ他國で再び艱難辛苦すると云ふ年頃でも無い、何處を何う考へても世間に彼の居る可き位地は無い。
吁彼何で此樣な大耻辱を受たので有らう、自分の犯した罪惡の報ひとは云へ、其罪惡は既に一昔以前の事で、世間が一人殘らず忘れて了ツた「舊惡」である、のみならず此事の當時ですら此國には誰れ一人知つた者の無い筈で有ツた、其れが計らずも今茲に廻ツて來て、痛く嚴しく恐ろしく身に報ゆるとは、天意天罰としても餘り殘酷だ。
眞に誰の仕業だらう、之を若しも巖窟島伯爵が復讐の爲めに仕組んだ者とすれば、充分に復讐の目的は屆いたと云はねば成らぬ、成るほど巖窟島伯爵が此野西子爵から昔受けた屈辱と艱苦とは眞に世に類の無い類ででは有つたけれど、野西子爵の今の屈辱も類の有る類では無い、若し天秤に掛けて較べて見れば、其時の苦痛に於ては或は伯爵の方が長かツただけ甚いかも知れぬけれど、伯爵の方は盛返して來て復讐を加へる丈けの年齡は殘つて居た、云はゞ殺されて猶ほ活返る道が有つたのだ、イヤ道が有つた譯では無い、到底活て此世へ復る道の無いのを、無理に自分で道を拓ツて活返ツた樣な者では有るけれど兎も角も活て返ツた、兎も角も再擧が出來た、けれど子爵の此度の場合には金輪ざい活返るのと云ふ道が無い、是れだけが雙方を平均させると差引と云ふ者だらう、何にしても非常な損害に對して非常な復讐で有ツたと云はねば成らぬ。
是れでも見ると野西子爵よりも猶 一入罪の重く、猶ほ一入恨みの深い、段倉と蛭峰とに對しての復讐も思ひ遣られる、果して伯爵の胸の中に充分の成案が有るとすれば、眞に此伯爵こそは其自ら云ふ通り此大なる復讐の爲に天の祐けを得て居るのだ、人間業では出來ぬ程の事をするのだ。
其れは扨置いて此恐ろしい事件の知らせがノルマンデーなる伯爵の別莊に着いたのは丁度委員會の翌朝であツた、之れは新聞記者猛田猛から、伯爵の別莊に居る野西の息子武之助へ急使を以て知らせて遣ツたのだ、併し伯爵の方は此知らせが無くとも必ず事の大體を推量して心待に待つて居たのだらう、イヤ此急使より外の方面から必ず通信を得た事だらう、伯爵がノルマンデーに別莊を作り其途中や其界隈に加へた一方ならぬ準備から考へて見れば、確に別の方面から通知せられるだけの道はある、何でも巴里總體の事、イヤ其身の戰ふて居る戰場總體の事は悉く手に取る樣に分ツて居るのだ、全く或人の評した通り、巖窟島伯爵が社會の暗所に戰ふた用意と手柄と竒運とは、事に初めに間接ながら少からぬ關係の有ツた拿翁の國家の明所に戰つた用意や手柄や竒運にも劣らぬのだ、否、寧ろ優つて居るのだ。
急使に接して野西武之助が驚いたのは無論で有る、彼は我が父に對する賣國の非難が再び新聞紙に現はれて今度は貴族院が特別に委員會を開く事に決した迄を知つて、直に巴里へ引返す氣に成つた、父の大事、家の大事、引返さずには居られぬと直に伯爵へ其旨を告げた所伯爵も驚いた容子で、直に歸れと云ひ、歸るには遠慮無く我が早馬を使へと云ひ、猶ほ暫らく考へた末「イヤ何しろ大變な事件だから私も一緒に巴里へ歸りませう」と云つた、爾して武之助と共々に馬車に乘つた、馬車の上で八時間、唯だ不思議な事は一言も伯爵が途中で武之助を慰めなんだ一事である、武之助も同じく無言だ、唯だ巴里を見詰めて、矢の樣に走る馬車を悶かしとした、伯爵も殆ど其通りである、辛く巴里へ着くが否、伯爵は本邸へ、武之助は猛田猛の新聞社へと右左に分れた、是れは委員會の有ツた翌日の午後四時頃であツた。

