南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十四回
東都 曲亭主人 編次
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岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)から
【挿絵説明】「苦肉の計蟇六神宮河に沒す」「左母二郞」「土太郞」「ひき六」「信乃」
軍木媒して莊官に說く
蟇六僞りて神宮に漁す
卻說陣代簸上宮六は、曩に莊官蟇六が女兒濱路を眷憐てより、戀々の慾火禁めかたくて、寤ても寐ても忘られず、「媒妁もがな」、と思ふ氣色の、坐に顯れたりければ、媚て勢利を旨とする、そが屬役軍木五倍二、傍に人なき折を見て、宮六にいふやう、「人思ひあれば色に出づ。色に出れば人もしるなり。某屬者、尊公の氣色によりて、既にその意を察したり。そは必蟇六が女兒なる、濱路とやらんが事なるべし。槐門貴族の姬上ならば、及びかたき事もあるべし。尊公配下の一莊官、そが女兒のうへならば、なでふ御こゝろを勞し給ふに及ん。もし娶り給はんとならば、某媒妁仕らん。一トたび言を傳へなば、蟇六歡びて承引べし。尊意如何」、と密語ば、宮六莞然とうち笑て、「寔に和殿の察知の如し。さばれ濱路は、蟇六が一女なり。且壻がねもありと聞けば、輙くは承引べからず。われこの故に思へ共、思ひかねつゝ思はずに、和殿に怪しめられし也」、といへば五倍二小膝を進め、「それは尊公遠慮に過たり。蟇六は配下の莊官、倒さんとも起さんとも、公の御こゝろひとつにあらん。尒らば壻がねありといふとも、忽地に變改して、こだみの婚緣を結ぶべし。渠もし遲々して迷ひを取らば、是自滅を招くなり。某これらの利害によりて、說かば必從はん。御こゝろやすく思ひたまへ」、と誇㒵に肯ふにぞ、宮六斜ならず歡びて、次の日種々の聘物を、七八人ンの奴隸に舁して、軍木五倍二を媒妁とし、私に蟇六が宿所に遺しけり。
さる程に五倍二は、蟇六許赴きて、軈てあるじに對面し、簸上宮六が懇望の事の趣、婚緣の一議を述て、只管に說勸るに、蟇六早に應せず、「且荊妻に相譚て、ともかくも仕らん」、といひかけて退きしが、俟こと半晌あまりにして、やうやくにいで來つ、五倍二に對ひていふやう、「おん媒妁の趣を、濱路が母にも示し候ひき。寔に思ひかけもなく、よろづ御蔭を庇るなる、簸上大人懇に、濱路を娶給はんとて、しかも亦重々しき、媒妁を賜りしは、親子が僥倖也。しかはあれども、こゝにひとつの難義あり。犬塚信乃といふものは、妻龜篠が甥なるに、云云の故をもて、稚きより、養ひとり、濱路と養子妻にして、職祿を讓らん、と契約して候に、當時證人夥あり。素より信乃を女壻にすなるは、わが夫婦の情願にあらず、又濱路が情願にも候はず。只里人等が贔屓ゆゑに、已ことを得ず候なり。かゝれば信乃を遠離て、後にこそおん承を、仕らめ」、といはせもあへず、五倍二は冷笑ひ、「いはるゝ趣胡亂也。よしや然るすぢあるにもせよ、一トわたりに聞くときは、言を兩端に寓するに似たり。簸上氏へ婚緣を、結んと思ふ事、僞りなきものならば、治定の返答し給ひて、後に彼壻がねを、遠離るとも遲きにあらず。某不肖なれども、當城の屬役たり。陣代の爲に媒妁して、胡亂の返答は傳へかたし。迷ひを取らば和殿がうへ也。冥罰は速ならんに、當坐に決著せられぬは、いかにぞや」、と威されて、蟇六は忽地に、顏色蒼みて、齒戰し、答んとするに得いはれず、やうやくに我にかへりて、思はず太き息を吻き、「軍木公說得て理あり。某短才魯鈍なれ共、再び得かたき女兒が婚緣、いかでか推辭奉らん。只その故障あるよしを、まうすまでにて候ひし。されば件の障を、穩便に除ん事、容易にはなしかたし。こはわが親子の爲のみならず、後々まで簸上殿のおん爲に候へば、苦心して計るべし。且その期に至るまで、婚緣の議を祕し給ひね。仰には背候はず」、といふに五倍二面を和らげ人「いはるゝ趣こゝろえたり。早速の承諾は、某さへに面目なり。性急に似たれども、吉日なれば陣代より、贈るゝ聘禮の件々、齎して候なり」、といひつゝ目錄を遞與すになん、外面に在る軍木が若黨、主の咳を暗號にて、件の聘物を運び入れつゝ、處陜まで緣頬へ、ひとつ〳〵に竝すえたり。蟇六は、と見かう見て、胸うち騷げど、辭するによしなく、受書を寫めて、五倍二に遞與しつ、歡びの盃を、進せんとて奴稗を召ぶを、五倍二急に推禁め、「いまだ彼障礙を除かで、賀酒に時を移さば、忽地闔宅のものにしられて、後に事を行ひかたけん。簸上殿もいかばかりか、待わびしくこそをはすらめ。饗應は且く預けて、はや罷らん」、と身を起せば、蟇六は、「さなり」と應て、敢亦これを禁めず、恭しく額をつき、「倉卒至極、遺憾千萬、さらば再て來臨まで、預り侍る」、と先にたちて、玄關の板敷まで、送り出つゝおのが名の、蟇に等しく身を平めかして、臂を張り、頭を擡、「寔に千秋萬歲」、と迭に祝し、祝されて、留る舅、媒人は、披く扇に夕日影、土用近つく俄晴、長櫃舁し從者等は、吹入るゝ風を譽あへず、主の後方に引そふたり。
蟇六は見送果て、そが侭裡面に入る程に、竊聞したる龜篠は、やをら紙門を推ひらきて、彼種種の聘物を、顋もて數て、うち微笑み、「吁めでたの結納や」、といへば蟇六手を抗て、「音高し。人もや聞ん。濱路と信乃等にしられ給ふな。この品々には大袱を、とくうち被給はずや。おん身且く張番せよ。われ土藏へ運び入れて、長櫃の中に隱さん。あなや、〳〵」、と焦燥ば、龜篠は忙しく、袱夥もて來つゝ、被すれば蟇六袴の稜を、袺挾して袖卷揚、女兒に見せぬ聘禮物は、親のみ靡く柳樽、母が竊によろこん布の、和名はひろめ、鯣より、なほ重寶は鰹の脯、これらはさせる直うちなし。特に氣を張られしは、飾附の白髮苧より、なほ素やかなる白銀也。しかも生にて二十枚、これに竝びて卷衣五本、綾にやあらん、錦欤、と木口を見るのみ解く隙なし。白木の臺はなくもがな、と思ふ物からこゝには置れず、二ッ左右に引提て、藏の戶口を出つ入りつ、わが物ながら夫婦して、盜むがごとき心配は、その度每に人や見る、「來ずや」と問へば、「來ず」といふ、鸚鵡かへしは歌ならで、わが腰折れん疲勞足、辛くも隱し藏めけり。時しもながき夏の日なれば、奴婢は彼此に睡臥、濱路は納戶に只ひとり、洗衣を熨斗てをり。信乃は菩提院へ詣るとて、嚮に出たるが、いまだ還らず。只額藏のみ、いづ處にかをりけん、蟇六が彼品々を、運び隱して後に見れば、客房の次の閒に、單衣の領をひらきつゝ、蚤を捻て居たりける。

