南総里見八犬伝(025)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十四回
東都 曲亭主人 編次
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岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)から
【挿絵説明】「苦肉くにくの計はかりこと蟇六ひきろく神宮河かにはかはに沒ぼつす」「左母二郞」「土太郞」「ひき六」「信乃」

軍木媒ぬるでなかたちして莊官せうくわんに說とく
蟇六僞ひきろくいつはりて神宮かにはに漁すなとりす

 卻說かくて陣代簸上宮六ぢんだいひかみきうろくは、曩さきに莊官蟇六が女兒濱路むすめはまぢを眷憐みそめてより、戀々れん〳〵の慾火禁よくくわとゞめかたくて、寤さめても寐ねても忘わすられず、「媒妁なかたちもがな」、と思ふ氣色けしきの、坐そゞろに顯あらはれたりければ、媚こびて勢利せいりを旨むねとする、そが屬役軍木五倍二したつかさぬるでごばいじ、傍かたへに人なき折を見て、宮六にいふやう、「人思ひあれば色に出づ。色に出いづれば人もしるなり。某屬者それがしちかころ、尊公そんこうの氣色けしきによりて、既にその意を察したり。そは必かならず蟇六が女兒むすめなる、濱路とやらんが事なるべし。槐門貴族くわいもんきぞくの姬ひめ上うへならば、及びかたき事もあるべし。尊公そんこう配下の一莊官いつせうくわん、そが女兒むすめのうへならば、なでふ御みこゝろを勞し給ふに及およばん。もし娶めとり給はんとならば、某媒妁それがしなかたち仕らん。一トたび言ことを傳へなば、蟇六歡よろこびて承引うけひくべし。尊意如何そんゐいかに」、と密語さゝやけば、宮六莞然につことうち笑ゑみて、「寔まことに和殿わとのの察知さつちの如し。さばれ濱路は、蟇六が一女ひとりむすめなり。且壻かつむこがねもありと聞けば、輙たやすくは承引うけひくべからず。われこの故ゆゑに思へ共、思ひかねつゝ思はずに、和殿に怪しめられし也」、といへば五倍二小膝こひざを進め、「それは尊公遠慮に過すぎたり。蟇六は配下の莊官、倒たふさんとも起おこさんとも、公の御みこゝろひとつにあらん。尒しからば壻むこがねありといふとも、忽地たちまちに變へん改かいして、こだみの婚緣こんえんを結ぶべし。渠かれもし遲々ちゝして迷ひを取らば、是これ自滅を招くなり。某それがしこれらの利害によりて、說かば必かならず從はん。御みこゝろやすく思ひたまへ」、と誇㒵ほこりかに肯うけがふにぞ、宮六斜なゝめならず歡よろこびて、次の日種々くさ〳〵の聘物おくりものを、七八人ンの奴隸しもべに舁かゝして、軍木五倍二を媒妁なかたちとし、私ひそかに蟇六ひきろくが宿所に遺つかはしけり。

 さる程に五倍二は、蟇六許赴がりおもむきて、軈やがてあるじに對面し、簸上ひかみ宮六が懇望こんまうの事の趣おもむき、婚緣こんえんの一議を述のべて、只管ひたすらに說勸ときすゝむるに、蟇六早とみに應いらへせず、「且荊妻まづけいさいに相譚かたらふて、ともかくも仕らん」、といひかけて退しりぞきしが、俟まつこと半晌はんときあまりにして、やうやくにいで來きつ、五倍二に對むかひていふやう、「おん媒妁なかたちの趣おもむきを、濱路が母にも示し候ひき。寔まことに思ひかけもなく、よろづ御蔭みかげを庇かうむるなる、簸上大人懇うしねんごろに、濱路を娶めとり給はんとて、しかも亦重々またおも〳〵しき、媒妁なかたちを賜りしは、親子が僥倖こぼれさいはひ也。しかはあれども、こゝにひとつの難義なんぎあり。犬塚信乃いぬつかしのといふものは、妻龜篠かめさゝが甥おひなるに、云云しか〳〵の故ゆゑをもて、稚おさなきより、養ひとり、濱路と養子妻やうしあはせにして、職祿しよくろくを讓らん、と契約して候に、當時證人夥あまたあり。素もとより信乃を女壻むこにすなるは、わが夫婦の情願ねがひにあらず、又濱路が情願ねがひにも候はず。只里人等たゞさとひとらが贔屓ひくゆゑに、已やむことを得ず候なり。かゝれば信乃を遠離とほさけて、後のちにこそおん承うけを、仕らめ」、といはせもあへず、五倍二は冷笑あざわらひ、「いはるゝ趣胡亂おもむきうろん也。よしや然さるすぢあるにもせよ、一トわたりに聞くときは、言ことを兩端に寓よするに似たり。簸上氏うぢへ婚緣こんえんを、結むすばんと思ふ事、僞りなきものならば、治定ぢじやうの返答し給ひて、後のちに彼壻かのむこがねを、遠離とほさくるとも遲きにあらず。某不肖それがしふせうなれども、當城の屬役しよくやくたり。陣代ぢんだいの爲に媒妁なかたちして、胡亂うろんの返答は傳へかたし。迷ひを取らば和殿わとのがうへ也。冥罰めうばつは速すみやかならんに、當坐たうざに決著けつちやくせられぬは、いかにぞや」、と威おどされて、蟇六は忽地たちまちに、顏色蒼がんしよくあをみて、齒戰はぶるひし、答こたへんとするに得えいはれず、やうやくに我われにかへりて、思はず太き息を吻つき、「軍木公說得ぬるでこうときえて理りあり。某短才魯鈍それがしたんさいろどんなれ共、再び得かたき女兒むすめが婚緣、いかでか推辭いなみ奉らん。只たゞその故障こせうあるよしを、まうすまでにて候ひし。されば件くだんの障さゝはりを、穩便おんびんに除のぞかん事、容易にはなしかたし。こはわが親子の爲のみならず、後々のち〳〵まで簸上殿のおん爲に候へば、苦心して計るべし。且まづその期ごに至るまで、婚緣の議を祕し給ひね。仰おふせには背そむき候はず」、といふに五倍二面おもてを和やわらげ人「いはるゝ趣おもむきこゝろえたり。早速さうそくの承諾せうだくは、某それがしさへに面目めんもくなり。性急せいきうに似たれども、吉日きちにちなれば陣代より、贈おくらるゝ聘禮たのみの件々しな〳〵、齎もたらして候なり」、といひつゝ目錄を遞與わたすになん、外との面かたに在ある軍木ぬるでが若黨、主しゆうの咳しはぶきを暗號あひづにて、件くだんの聘物おくりものを運び入れつゝ、處陜ところせきまで緣頬えんがはへ、ひとつ〳〵に竝ならべすえたり。蟇六ひきろくは、と見かう見て、胸うち騷さはげど、辭ぢするによしなく、受書うけふみを寫したゝめて、五倍二ごばいじに遞與わたしつ、歡よろこびの盃さかつきを、進まゐらせんとて奴稗ぬびを召よぶを、五倍二急に推禁おしとゞめ、「いまだ彼障礙かのせうげを除のぞかで、賀酒よろこびさけに時を移さば、忽地たちまち闔宅やうちのものにしられて、後のちに事を行ひかたけん。簸上殿ひかみとのもいかばかりか、待まちわびしくこそをはすらめ。饗應けうおふは且しばらく預けて、はや罷まからん」、と身を起せば、蟇六は、「さなり」と應いらへて、敢亦あへてまたこれを禁とゞめず、恭うやうやしく額ぬかをつき、「倉卒至極さうそつしごく、遺憾千萬いかんせんばん、さらば再かさねて來臨まで、預り侍る」、と先にたちて、玄關の板敷いたしきまで、送り出いでつゝおのが名の、蟇ひきに等しく身を平ひらめかして、臂ひぢを張り、頭かうべを擡もたげ、「寔まことに千秋萬歲せんしうばんぜい」、と迭かたみに祝しくし、祝しくされて、留とゞまる舅しうと、媒人なかうどは、披ひらく扇あふぎに夕日影、土用どよう近つく俄晴にはかはれ、長櫃舁ながひつかきし從者等ともひとらは、吹入ふきいるゝ風を譽ほめあへず、主しゆうの後方あとべに引ひきそふたり。

 蟇六は見送果みおくりはてて、そが侭裡面まゝうちに入いる程に、竊聞たちきゝしたる龜篠かめさゝは、やをら紙門ふすまを推おしひらきて、彼種種かのくさぐさの聘物おくりものを、顋あごもて數かぞへて、うち微笑ほゝゑみ、「吁あなめでたの結納ゆひいれや」、といへば蟇六手を抗あげて、「音高し。人もや聞きかん。濱路と信乃等らにしられ給ふな。この品々には大袱おほふろしきを、とくうち被かけ給はずや。おん身且しばらく張番はりばんせよ。われ土藏ぬりこめへ運び入れて、長櫃ながひつの中うちに隱さん。あなや、〳〵」、と焦燥いらたてば、龜篠は忙いそがはしく、袱夥ふろしきあまたもて來つゝ、被きすれば蟇六袴はかまの稜そばを、袺挾つまばさみして袖卷揚そでまきあげ、女兒むすめに見せぬ聘禮物たのみのしるしは、親のみ靡なびく柳樽やなぎたる、母が竊ひそかによろこん布ふの、和名わめうはひろめ、鯣するめより、なほ重寶ちやうほうは鰹かつをの脯ほしゝ、これらはさせる直ねうちなし。特ことに氣を張られしは、飾附かざりつけの白髮苧しらがそより、なほ素しろやかなる白銀しろかね也。しかも生なまにて二十枚、これに竝びて卷まき衣きぬ五本、綾あやにやあらん、錦欤にしきか、と木口こくちを見るのみ解とく隙ひまなし。白木しらきの臺だいはなくもがな、と思ふ物からこゝには置おかれず、二ッ左右に引提ひきさげて、藏くらの戶口を出でつ入いりつ、わが物ながら夫婦して、盜ぬすむがごとき心配は、その度每たびごとに人や見る、「來こずや」と問へば、「來ず」といふ、鸚鵡あふむかへしは歌ならで、わが腰折こしをれん疲勞足つかれあし、辛からくも隱し藏おさめけり。時しもながき夏の日なれば、奴婢ぬひは彼此あちこちに睡臥ねふりこけ、濱路は納戶なんどに只たゞひとり、洗衣あらひきぬを熨斗のしてをり。信乃は菩提院ぼだいいんへ詣まうつるとて、嚮さきに出いでたるが、いまだ還かへらず。只額藏たゞがくざうのみ、いづ處こにかをりけん、蟇六ひきろくが彼品々かのしな〳〵を、運び隱して後のちに見れば、客房きやくざしきの次の閒に、單衣ひとへきぬの領えりをひらきつゝ、蚤のみを捻ひねりて居たりける。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第二十四回)

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