南総里見八犬伝(024)

南總里見八犬傳第三輯卷之一第二十三回
東都 曲亭主人 編次

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【挿絵説明】「糠助ぬかすけ懺悔さんげ物語ものかたり窮客きうするたびゝと稚兒をさなこいだきてなげんとす」
岩波文庫「南総里見八犬伝」(二)から

犬塚いぬつか義遺託ぎゐたくうけひ
網乾あぼし謾歌曲そゞろにかきよく

 犬塚信乃戍孝いぬつかしのもりたかは、伯母夫大塚蟇六をばむこおほつかひきろくいへ移居うつりすまひしより、嫌忌けんきうちに日をわたり、年を送れば、里人さとひとなどには、親しくも物いはず。たゞ彼百姓糠助かのひやくせうぬかすけのみ、舊馴染ふるきなじみと、伯母も許して、信乃がゆゑに疑はず。その性愚直さがぐちよくなればなり。げにこの老人おきなは、信乃が爲に、言葉敵ことばかたきになるものならねど、おろかなる隨僞まゝいつはらず、よろづに實意まごゝろあるものなれば、信乃はその木ぼくとつの、じんにちかきを愛しつゝ、その門邊かどべよぎる日は、たちながら安否あんひを問ひ、はじめにかはらず交參まじらひけり。かゝりし程に、糠助が女房にようばうは、去歲こぞの秋身まかりつ。長き病著いたつきなりけるに、きはめ寒家まづしきくらしにあなれば、はて藥價くすりのしろ續かず。このとき信乃は糠助に、圓金一兩こばんいちりやう贈與おくりあたへて、藥料やくりやうたすけにしたり。しかれども、蟇六龜篠等ひきろくかめさゝらはこれをしらず。されば信乃が今にして、これらの貯祿たくはへあるよしは、父番作ばんさくのこせる也。番作貧まづしかりしかど、身まかりしのちに見れば、鎧櫃よろひびつの底に、圓金こばん十兩あり。「このかね三ッが一ッもて、わがほうむりの事にみてよ。そのひそかに腰につけて、身の爲また友の爲に、肝要かんえうの事あらば、用ひよ」、と書遺かきのこしたり。亦是後またこれのちのちまでを、おもひはかりし親の恩、いたゞかねも湯とわかん、淚と共に袖にかくして、龜篠等にはこれをつげず、「貯祿たくはへありや」、ととはれしとき、そのかね三兩をいだして、棺槨墓碑くわんくわくぼひの料としつ。又父の三十五日をひけるに、また一兩を伯母に遞與わたして、法筵酒食はうえんしゆしよくの料とせり。蟇六も龜篠も、これらの金にはをりて、「なほ有りや」、ととひしとき、「これのみ也」とこたへしかば、「さならん」、と思ひつゝ、そののちとはざりけり。「かくてこの七八年、伯母夫婦と同居すなれば、彼番作田かのばんさくたは名のみにて、わが爲にはえならず。われには舊衣ふるきをのみせて、不自由ならずといふ事なけれど、美味美服をねがはざれば、親の遣財いざいを減らすことなし。しかれどもかの糠助は、わが犬、與四郞よしらうが事につきて、うれひともにせし日もありけり。その艱難かんなんを救はずは、我只彼われたゞかれそむく也」、とこゝろひとつに思ひとりて、ひそかに金をおくりしかば、糠助夫婦は、感淚かんるいとゞめあへず、只管ひたすら信乃を伏ふしおがみて、その信義を賞嘆し、藥劑くすりもとめて用ひしかども、定業じやうごうなればにや、その妻はなくなりにき。

南総里見八犬伝現代語訳サイト(第二十三回)

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