テキストの快楽(006)その2

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(04)


 身を切るやうな寒い風が吹き出した。たうとう雨になって 、それが夜晝ぶつ通しに降りつづく。イルトィシ河までもう十八露里の所で、例の自前馭者から私を引繼いだフョードル・ハーヴロヴィチといふ百姓が、 これより先へは行けないと言ひ出した。豪雨のためイルトィシ河畔の牧地が、すっかり水浸しなのだといふ。昨日プストィンスコ工村からやって來たクジマも危く馬を溺れさせるところだった、待たなきゃならねえ。
 「何時まで待つのかね」と私が訊く。
 「そいつあ分らねえ。神樣にでも尋ねなされ。」
 百姓小屋へはいる。座敷には赤い上シャッを着た老人が坐ってゐて、苦しげに息をついては咳をする。ドーフル氏散をやると大分鎭まった。しかし彼は藥を信用しない。樂になったのは「辛抱してじっとしてゐた」お蔭だといふ。
 坐り込んで考へる。今夜はここに泊ったものかしら。だがこの老人は夜通し咳をするだらうし、恐らく南京蟲もゐるだらう。それに明日になったら、益ゝ水嵩が增さぬものでもあるまい。いやこれは、いっそ出發した方が利口だ。
 「やっぱり出掛けるとしよう、フヨードル・パーヴロヴィチ」と私は亭主に言ふ、「とても待つちやゐられないからな。」
 「そりゃ旦那の宣しいやうに」と彼は大人しく應じる、「水ん中で泊ることにならにゃいいが。」
 で、出發する。雨はただの降りやうではない。所謂土砂降りである。私の乘つてゐる旅行馬車には屋根がない。はじめの八露里ほどは泥濘の道を、それでもだくを踏ませて行つた。
 「こりやまあ、えらい天氣だ」と、フョードル・ハーヴロヴィチが言ふ、「本當をいふと長いこと河へは行って見ねえで、水出もどんなだか知らずにゐましただ。そこへもって來てクジマの奴が、ひどく威すもんで。いや何とか行き通せねえでもなささうだ。」
 だがそのとき、 一面の大きな湖が眼の前にひろがる。それは水につかつた牧地だ。風がその上をさまよひ嘆き、 大きなうねりを立てる。そこここに小島や、 まだ水に浸らぬ地面の帶が頭を出してゐる。道の方角は橋や沼地に渡した粗朶道でわづかに知られるが、それも皆ふやけて脹れ返り大抵は元の場所からずれてゐる。湖の遙か彼方には、 褐色の見るからに暗澹たるイルトィシの岸が連なり、 そのうへに灰色の雨雲が重く垂れてゐる。岸のところどころに斑ら雪が白い。
 湖にさしかかる。大して深くはなく、車輪も水に浸ること凡そ六寸に過ぎない。橋さへなかったら割合に樂に行けたかと思はれる。橋の手前では必らず馬車を降りて、 泥濘か水の中に立たされる。橋を渡るには、先づその上に打上げられてゐる板や木片を集めて、浮き上った端の下にはなければならぬ。馬は一匹づつ離して渡らせる。フョードル、ハーヴロヴィチが馬をはづす役で、 はづした馬をしっかり抑へてゐるのが私の役目である。冷たい泥だらけの手綱を握ってゐると、强情な馬が後戻りをしたがる。着物は風に剥がれさうだし、雨は痛いほどに顏を打つ。仕方がない、引返すか。――だがフョードル・パーヴロヴィチは默って何も言はない。私の方から言ひ出すのを待ってゐるらしい。私も默ってゐる。
 强襲で第一の術を陷れる それから第二の橋、第三の橋と。……ある所では泥濘に足をとられてすんでのことで轉ぶところだった。またある場所では馬が强情を張って動かなくなり、頭上を舞ふ野鴨や剛がそれを見て笑った。フョードル・ハーヴヴィチの顔附や、その悠々として迫らぬ動作や、また落着き拂った沈默振りから推すと、こんな目に逢ふのは初めてではないらしい。それどころかもっと酷い目に逢ふのも珍しいことではないらしく、出口のない泥濘や水浸しの道や冷たい雨などは、夙の昔に平氣になってゐると見える。彼の生活も並大抵ではないのだ。
 やっと小島に辿りつく。そこに屋根無しの小屋がある。びしょ濡れの糞の傍を、びしょ濡れの馬が二匹步いてゐる。フョードル・パーヴ口ヴィチの呼聲に應じて、小屋の中から鬚もぢやの百姓が手に枯枝を持って現はれ、道案內に立って吳れる。この男が枯枝で深い場所や地面を測りながら、默って先に立って行くあとから、私達もついて行く。彼が私達を導くのは、細長い地面の帶の上である。つまり、所謂「山背」づたひに行くのである。この山背を行きなされ。それが盡きたら左に折れそれから右に折れると、別の山背に出ます。これはずっと渡船場まで續いてゐますぢや、と言ふ。
 あたりにタ闇が迫って來る。野鴨も鷗も居なくなつた。鬚もぢやの百姓も、私達に道を敎へて置いて、 もうとうに歸ってしまった。第一の山背が尽き、また水の中に揉まれなから左に折れ、それから右に折れる。するとなるほど第二の山背に出る。これは河の岸まで續いてゐる。
 イルトィシは大きな河だ。もしエルマク*が氾濫のときこの河を渡ったのだったら、鏈帷子くさりかたびらは着てゐないでも溺れ死んだに違ひない。對岸は高い斷崖をなして、まるで不毛である。その向ふに谷が見える。フョードル・パーヴロヴィチの話では、私の目的地であるブストィンノエ村*に出る道は、この谷聞に泻って山を越えるのだといふ。こちらの岸はなだらかな斜面で、水面を拔くこと二尺あまりに過ぎない。やはり秃山で、風爾に曝されたその姿は見るからにせり辷りさうだ。濁った波のうねりが白い齒を剝き出して、さも憎らしげに捧を打つては直ぐ後へ退く。その有様は、打見たところ蟾蜍ひきがへるか大罪人の怨靈ぐらゐしか住むとも思はれぬこの醜いつるつるの岸に觸るのも汚らはしいといつた風である。イルトィシの河音はざわめくのではない。また吼えるのでもない。その底に沈んだ棺桶を、片端から叩いて行くやうな音を立てる。咒はれた印象だ。
 渡守の小屋へ乘りつける。小屋から出て來た一人が言ふ。――この荒れ模様ぢやとても渡れませんや。まあ明日の朝まで待ちなされ。
 で.そこに泊ることになる。夜通し私は聞く――船頭たちや馭者の鼾を、 窓をうつ雨の音を、風の唸りを、それから怒ったイルトィシが、 棺桶を叩いてゐる音を。……翌る朝早く岸に出る。雨は相變らず降ってゐるが、風は稍ゝ收まった。けれど渡船ではとても渡れない。少さな舟で渡ることになる。
 ここの渡船の仕事は、自作農の組合の手で營んでゐる。從って船頭の中には一人の流刑囚もなく、皆この土地の人間である。親切な善良な人間ばかりだつた。向ふ岸に渡って、馬の待ってゐる道へ出ようとつるつる辷る丘を攀ぢ登って一行く私の後から、彼等は口々に道中の無事と、健康と、それから成功とを祈って哭れた。……が、イルトィシは怒ってゐる。……

[注]
*エルマク ドン・コサックの首長。十六世紀後半寡兵を以てウラルを越えシベリヤに侵入して、イルトィシ河までの範圖を確立した。
*ストィンノエ村 「不毛の村」の義。

テキストの快楽(006)その1

◎ 三枝博音「日本の唯物論者」(001)

          ま え が き

 日本人は、外国人から唯物主義だといわれたり、理想アイディアというものがわからない国民だと批評されたりした。その一例をいえば、チェンバレンやデニングなどであるが、日本人の性質のうちにはそう批評される点のあることは否定できない。さて、そうでありながら他方において、日本には唯物論の哲学といわれるほどのものはないといわれている。こうなってくると、まことに割りの合わない話である。
 ほんとうのところ、日本人は唯物論という思想はもたなかったのか。そういう思想組織がもてるようには、日本の思想丈化の成り立ちができていなかったのか。それとも、別の在り方をして、唯物論思想をもっていたのか。もしもっていたのなら、その思想はどういう形応でできていたのか。こうした問題はこれまで少しも明らかにされなかった。
 さて、それが明らかにされるには、何が唯物論かという問いが改めて投げ出されねばならないであろう。なぜなら、日本に唯物論があったにしても、ヨーロッパにおける在り方とはちがっているにちがいないから。いずれにしても、唯物論の概念が明瞭でなくては、問題は前へすすまない。
 いったい、マテリアリズムとは何をさすのであるか。
 心かそれとも物か、意識かそれとも物質か、こうした問いを押しつめていったら、マテリアリズムは、はっきりとわかるのであろうか。いよいよのところは精神しかないのだという見解、いや、けっきよくは物質しかないのだという見解、この二つが、昔と変らないまま、今日る繰りかえされている。
 私の考えでは、二つの見解のうちの前者は、頭のなかで<考え 傍点>をととのえ、紙のうえに文章をかき、人にものを教えることだけを仕事にしている人たちの場合において、真理とおもえるのであり、後者は、物を作ること、生産にいそしむことをしている人たち、および、それらの人たちの生活に共感できる人たちにとって、真理であり得る。私にはそのように思われる。
 してみると、双方の主張者のこうした論議だけでは、観念論が真理なのか唯物論が真理なのか、きまらない。唯物論と観念論の是非は、あのような、ただひとつのディメンションではきまらないのではあるまいか。物質の概念の究明のほとんどなかった過去の日本人の場合では、ことにそうなのではあるまいか。
 しかし、唯物論といわれる世界観が、どういうひとびとによって支持されているかがわかれば、そこから逆に、何が唯物論かが、かえって明らかになるのではあるまいか。
 観念論とは、その社会が泥沼のようであろうと風波さえたたねばよいと現状を甘受し、享有している人たちの世界観であるのではなかろうか。唯物論とは、それとは逆で、現状に決定的に疯議し、人間生活の在り方を、ほんらいのものにかえそうとする人たちの世界観ではあるまいか。
おまえは神の子であると教えようとする人がいると、いや私たちは神の子ではないと言い張る。おまえの存在は本質的には精神だと宣言しようとする人がいると、いや私たちの存在の本質は物質の運動であると言い張る。こういったように、人間存在の本質から出てくる抵抗、ことにその社会的な本質からくる抵抗、それの思想的表現、これがじつに唯物論であるのではあるまいか。
 私は、はじめから、このような唯物論の概念をたずさえて、日本人の生活の歴史のなかに入っていったのではなくて、世界観や学問観において傑出した過去の人物を評伝するうちに、以上のべたようなマテリアリズムに対する理解を、いっそう深くしたのである。
 私は、その理解をさらにととのえ、それを公けにするために、日本の唯物論者の現われかたを、つぎのような仕方に分けて、論評してみたのである。すなわち、「唯物論への道を準備した人々」、「唯物論に近づいた人々」、「ふたたびそれへの準備をはじめた人々」、「新しい時代(明治・大正・昭和)の唯物論者」の四つである。日本の思想文化史のように、ひだしわが多く、明暗の度の細かい思想の歴史のなかに、個々の唯物論者を見出すには、断定のゆきすぎをひかえることが大切なので、その点を考えて、試みた叙述方法なのである。
 この「まえがき」で言っていないこと、それはほかでもなく、個々の唯物論者たちの相互の歴史的つながりのことであるが、それを「むすび」のところで述べておいたから、それをも、さきに併せて読んでもらうことがのぞましい。
    ー九五六年六月下旬
           三 枝 博 音

参考】
Wikipedia 三枝博音
 三枝博音は、戦前、「唯物論研究会」に属し、様々な労作を執筆した。戦後も、そのスタンスは変わらなったが、「政治的党派」に与することなく、微妙な「距離感」を保っていたようだ。

底本】
三枝博音「日本の唯物論者」(英宝社・英宝選書)1954年6月30日初版)
なお、底本中の、ふりがなは、ruby タグを用い、傍点は、太字表示の b タグ を用いた。

読書ざんまいよせい(062)

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(03)

       三

 チュメーンからトムスクまでの間には、シベリヤ街道に沿つて一つの小村も部落もない。あるのは大村ばかりで、それが二十乃至二十五露里、時には四十露里もの間隔を置いてゐる。この土地に莊園が見られないのは、つまり地主がゐないからである。工場も水車場も、旅籠も見られない。……沿道で人の住む氣配のするものと言へば、風に唸る電線と里程標ぐらゐなものである。
 村には必らず敎會がある。時によると二つもある。學校もまづ村每にあるらしい。百姓小屋には一軒ごとに掠鳥の巢箱があつて、それも垣根とか白樺の梢とかの、手のとどきさうな低い所に置いてある。掠鳥を可愛がるのはこの土地の風習で、これには猫も手を出さない。庭といふものはない。
 寒さのびりびりする夜を乘り通して、明け方の五時に、自前馭者の家の座敷に坐つてお茶を飮む。その座敷といふのは廣々とした明るい部屋で、飾りつけなどは、クールスクやモスクヴァあたりの百姓の夢想だも及ばぬほどに立派である。淸潔なことは驚くぱかりで、塵ひとつ汚點ひとつない。塵は白塗り、ゆかは必らず板張で、それをペンキで塗るか、または色模様の粗麻布を敷きつめるかしてある。卓子が二脚、長椅子がー脚、 それに椅子、食器棚、 窓の上には鉢植もある。一隅には寢臺があつて、羽根蒲團や赤い被ひを掛けた枕などが、その上に山を築いてゐる。この山に登るには椅子を臺にしなければ駄目だ。そして寢ると、身體は浪の底に沈み込む。シベリヤの人はふつくらした寢床が好きなのだ。
 隅の聖像を中心に、兩側には繪雙紙が貼りつらねてある。皇帝の肖像がかならず幾通りかあつて、それからゲオルギイ・ポベドノーセッツ*、「ヨーロッパの諸君主」(その中にはどうした譯か、ペルシャの王樣までが見受けられるーー)、績いてラテン語やドイツ語で題銘のはいつた聖徒の畫像、 バッテンベルグ公*やスコベレフ*の半身像、それからまた聖徒の像。……壁の裝飾にはボンボンの包紙や、火酒ヴオトカのレッテル卷煙草から剝いだペーパーまで使つてある。この貧相な飾りは、堂々たる寝臺や色塗りの肘とまるでそぐはない。だがどうも仕樣がないのだ。藝術の需要は旺盛なのだが、藝術家の方で現はれて來ないのだから。扉を見たまへ。それには靑い花と赤い花の咲いた木が描いてある。何やら鳥もとまつてゐるが、どうも烏よりは魚に似てゐる。木は壷から生えてゐる。その壷によつて見ると、これを描いたのはヨーロッパ人ーーつまり追放者に違ひないことが分る。天井の環形も煖爐の飾りも、同じく追放者がたくつたものだ。いかにも不細工な繪ではあるが、この邊の百姓にはこれだけの腕前もないのだ。九ケ月のあひだ、拇指だけ別になつた手袋をはめたなりで、 指を一本一本伸ばす暇もない。やれ零下四十度の酷寒、やれ牧場が二十露里も水浸しになつた。——さうして短い夏が來ると、一時に疲れが出て肩は張る、筋は拘攣つれる。こんな風ではどうして繪なんかやつてゐる暇があらうか。彼等が畫家でも音樂家でも歌手でもないのは、 年ぢゆう自然との猛烈な鬪爭に追はれてゐるからだ。村で手風琴の音のすることも滅多にないし、また馭者が唄ひ出すのを待つてゐたら、なほさら馬鹿を見る。
注]
*ゲオルギイ・ポベドノーセッツ 希臘神話の農事の神から轉化したと推測されるキリスト敎の聖者の一人。ロシヤでは家畜の保護者の性質を帶びてゐる。畫像としては、槍を以て龍を突く騎士の姿であらはされる。
*バッテンペルグ公 初代のブルガリヤ公アレクサンドル(在位一八七九――八六)。口シヤ政府の意に抗つて憲法を制定し、ルーマニヤ、セルビャと戦つて勝つた。
*スコベレフ ロシヤの有名な將軍(一八四三――八二)。七七・八年の露土戰爭をはじめ赫々たる武勲が多い。
 あけつぱなしの扉から、 廊下ごしに別の部屋が見える。板敷の明るい部屋である。そこでは仕事の眞最中だ。お主婦さんは、年のころ二十五ほどのひょろ長い女だが、いかにも人の善ささうな柔和な顏をして、 卓子のうへの揑粉を揑ねてゐる。眼にも胸にも兩手にもきらきらと朝日が當つて、まるで揑粉を日光と揑ね混ぜてゐるやうだ。亭主の妹らしい娘がブリン*を燒き、屠殺したての仔豚を料理女が茹でる。亭主はフェルト惺靴の製作に餘念もない。何もしないのは老人だけだ。婆さんは兩足をぶらさげて煖爐ペチカに腰かけ、溜息まじりに呻いてゐる。爺さんは咳をしながら煖爐のうへのとこに寝てゐたが、 私の姿を見るとのこのこ這ひ下りて、 廊下を越して座敷へはいつて來た。世間話がしたいのだ。……今年の春は相憎と近來にない寒さでしてと、先づそこからロを切る。やれやれ明日はもうニコラ様*で、 明後日はまた耶蘇昇天節だといふに、 咋夜も雪が降りをつて、 村の往還ぢやどこかの女子おなごが凍え死にましてな。家畜どもは餌がないので細くなりますし、犢なんぞはこの寒さで腹を下します。……それから今度は私に向ひ、どこから何處へ何の用でつつ走りなさる、 奧さんはおありか、 女子供はもうぢきにいくさがあると噂しよりますが、 あれは本當でせうかなどと尋ねた。
注]
*プリン 英米で朝食に供する本來の意味でのパンケーキに似てゐる。
*ニコラ樣 「ニコラの日」の意。露曆五月九日を指す。「ニコラ様が濟んだら冬を讃へよ」といふ諺がある。
 子供の泣聲がする。それでやつと、寝臺と煖爐のまん中に小さな搖籃が吊つてあるのに氣がついた。お主婦さんは揑粉を抛り出して、こつちの部屋へ駆け込んで來る。
 「ねえ商人の旦那、 ひよんな事がありますもので」と、彼女は搖籃をゆりながら、柔和な笑顏を私に向ける、「二た月ほど前、 オムスクから赤ん坊を抱へた町人女が來て泊り込みました。……しやんとした身裝みなりをしとりましたが。……何でもチュカリンスクでその兒を生み落して、洗禮もそこでして來たとか申しました。產後のせいか道中で加減が惡くなりましてね、私方のこれニの部屋に寢かせてやりました。亭主持ちだと言つとりましたが、なに分りは致しません。顏に書いてあるぢやなし、旅行券も持つちやをりませんもの。赤ん坊だつてきつと父親てておやの知れない…」
 「餘計なことまでほざきをる」と爺さんが呟く。
 「來てから一週間ほどしますと」とお主婦さんは續ける、「かう申すのです、――『オムスクへ行つてやどに會つて來ますわ。サーシャは置いといて下さいな。一週間したら貰ひに來ますから。連れて行つて道中で凍え死なしちや大變ですものね。……』そこで、 私はかう申しました、――『ねえ奧さん、世の中にや十人十二人と子供を授かる人もあるのに、家のも私も罰あたりでまだ一人も授からないんです。物は相談だが、サーシャ坊をこのまま私らに貰へませんかね。』すると暫く考へとり
ましたが、やがて、『でもちょいと待つてドさいな。夫に相談して見て、一週間したら手紙でお返事しませう。さあ、やどが何と言ひますか。』 でサーシャを置いて出て行きましたが、 それつきりもう二た月にもなるのに、姿も見せず手紙も來やしません。とんだ喰はせもので。サーシャは親身になつて可愛がつてやりましたが、今ぢや家の子やら他人ひとの子やら、さつぱり分りませんです。」
 「その女に手紙を出すんだね」と私は智慧を貸した。
 「なるほど、 旦那の仰しやる通りだ」と、亭主が廊下から言ふ。
 彼は這入つて來て、私の顏を默つて見てゐる。まだ何か智慧の出さうな顏附だと見える。
 「そんなこと言つたつて、出せるものかね」とお主婦さんが言ふ、「苗字も言はずに出て行つたもの。マリヤ・ペトローヴナ、それつきりさね。オムスクの町はお前さん廣いからね。とても分りつこないさ。雲をつかむやうなもんで。」
 「なるほどな、 そいつは分らねえ」と亭主は相槌をうつて,また私の顏を見る。まるで『旦那、何とかなりませんか』とでも言ふやうだ。
 「折角これまで馴れつこになつたものを」と、お主婦さんは乳首をふくませながら言ふ、「夜晝なしに泣聲が聞えると、違つた氣持になるぢやないか。この小屋までが見違へるやうになるぢやないか。それを、明日にもあの女が戾つて來て連れて行くかと思ふと、一寸先は闇で……」
 お主婦さんの眼は眞赤になつて、淚が一ぱい溜つた。そして急ぎ足で部屋を出て行つた。亭主はその後姿へ顎をしやくてて、薄笑ひを浮べて言ふ。――
 「馴れつこになつただと……へん、不憫になりやがつた癖に。」
 さう言ふ自分も馴れつこになつて、 やはり不憫になつて來てゐるのだが、男としてそれを白狀するのは極りが惡いと見える。 ,
 何といふ心善い人のだ。お茶を飮みながらサーシャの話を聞いてゐるあひだ、私の荷物は外の馬車に積みつぱなしにしてある。ああして置いてられはしまいかと尋ねると、彼等は笑つてかう答へる。――
 「誰が盜むものかね。よる夜中だつて盜みやしねえでさ。」
 事實、旅行者が盜難に逢つた噂は、道申絶えて.耳にしなかつた。その點では、この土地の風俗は醇朴を極め、一種善良な傳習を守つてゐると言ひうる。たとひ馬車の中に財布を落したとしても、拾つた馭者が自前の馭者なら、中も改めすに返しに來ることは疑ふ餘地がない。驛馬車にはあまり乘らなかつたので、その方の馭者の事はほんの一例しか舉げられないが、宿場で待つ間の退屈凌ぎに手に取つて見た不平帳では、盜難の訴へはただー件しか眼につかなかつた。旅人の長靴を入れた袋が紛失したのである。しかも袋は間もなく見附かつて持主の手に歸つたから、 當局の裁決が示してゐるやうに、この訴へは結局「詮議に及ばず」なのだ。更に迫剝事件になると、噂話にも上らぬほどである。まるであつた例しがないのだ。ここに來る途中で散々に威かされた例の破落戶ごろつきにしても、旅行者にとつては兎や鴨ほどにも害はないのださうだ。
 お茶には、小麥粉のブリンや、凝乳と卵の入つた揚饅頭や、小さな燒菓子や、角形つのがたパンの揚物などが出た。プリンは薄くつて、厭に脂つこい。角形パンになるとその味ひも色合も、 どうやらタガンログ*やドン・ロストフ邊のいちでウクライナ人の賣つてゐる、 あの黃色い孔だらけの環形ラスクを思はせる。シベリヤ街道に沿つては到るところ、パンの燒き方が非常にうまい。每日、 大量に燒くからであらう。小麥粉の値段は安く、四貫目で三四十銭位なものだ。
注]
*タガンログ ロストフに近く、アゾフ海に臨む港町。チェーホフは此の町で生れた。
 だが、パンの揚物だけでは腹の蟲は收まらない。そこで晝食に何か料理を頼むとすると、 出るものとい へば、 何處でも必らず「鴨のスープ」に極つてゐる。このス—プには手が附けられない。どろどろに濁つた液體のなかを、野鴨の肉片だけならまだしも、中身も碌に洗つてない臓物までが泳いでゐる始末である。まるで美味うまくはないし、見ただけでも胸がむかつく。どの百姓小屋を覗いても、獵の獲物が貯へてある。シベリヤでは狩獵の法律などはまるで行はれず、一年ぢゆうぶつ通しに小鳥を射つ。しかしどれだけ射つたにしても、野禽の盡きる心配はまづあるまい。チュメーンからトムスクに至る千五百露里の間に野禽の群は夥しいが、使へる鐵砲は一挺だつてないし、飛ぶ鳥の射落せる獵人は百人に一人位なものであらう。鴨を捕るときには、.普通は沼泥の現はれた所やびしょびしょの草の上に腹這ひになつて、大人しく坐つてゐるのだけを狙つて射つ。そのうへ彼等の立派な鐵砲は五度やそこら引金を引いたのぢや中々彈丸たまが飛び出さないし、いざ發射すると肩や頰にひどい反動が來る。幸ひに獲物に當つたにしても、それから先がまた一苦勞である。長靴と上股引をぬいで、冷たい水の中を這ふやうにして行く。この土地には獵犬がゐないのである。

読書ざんまいよせい(061)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(09)

   附  錄

     社會主義と國家

 近時社會主義を駁するの論議多し、而して其最も有力にして而して最も普通なる者二あり、一は卽ち之を目して國家の權力を無限に增大すると為す者、 他は卽ち之を以て國家の廢滅を意味すと爲す者是れ也、二說氷炭啻ならずと雖も、而も兩つながら謬れり、是れ前者は社會主義を以て國家社會主義と混同し、後者は社會主義を以て無政府主義と混同する者なれば也、故に予は世間幾多の論客に向って、其社會主義を駁するの前、 先づ社會主義者が現時の所謂國家なるものに對する態度と、社會主義者が理想する國家の如何とに就て、一番の檢竅あらんことを望まざるを得ず。
 社會主義の要義が籍の生産と分配とを以て國家公共の業務となすに在るは論なし、然れども之を成すや、或は現在の國家組織に向って多少の變更を加へんとする者あり、或は全然根本の改造を要すとする者あり、孰れにもせよ眞正の社會主義者中何人も今日の所謂團家に整して之に信賴する者あらず、獨逸の社會民主黨の如きは、實に國家ステート絕滅アボリシヨンを希望することを揚言せり、此點に於ては彼等は、一見無政府主義と混同せらるゝの恐れあり、然れども知らざる可らず、彼等の所謂國家なる語は、猶ほ彼等が責本其他の語を使用するが如く彼等に特有なる學術的意味テクニカルセンスに於て使用せらるゝ者なることを、換言すれば彼等が絕滅せんとするの國家は、卽ち或一階級を代表せるの國家なることを、或一階級の利益の爲めに他の階級を壓虐して之が利益を纂奪するの國家なることを。
 獨逸の社會民主黨は其名の示すが如く社會主義者たるのみならず、亦實に民主主義者デモクラツト也、而して共生存する所の國家が極めて非民主的なる事、其事は彼等をして益々共國家に對する憎惡を熾ならしめたり、彼等は現在の國家を憎惡するの甚しきと共に、現在の國家の手に經濟的企畫を委任せんとする國家社會主義に向って急激の抵抗を試むるに至り、一千八百九十二年の會議に於て、彼等自ら其革命的勢力たることを宣言すると同時に、國家社愈主義を目して保守なりとして痛罵せり、彼等は謂らく今の國家は『財產及び階級の支配なる現在の社會的關係を維持せんが爲めの『組織的權力』に過ぎずと、故に彼等は斯る國家を根本的に絕滅し、彼の一階級の利益を承認せずして一切平等の利益を增進するの組織を建設せむことを望むもの也、但だ彼等の理想せる一切平等の利益を增進するの組織が、國家ステートなる語を附して果して適當なるや否やは、是れ自から別問題に屬す、若し夫れ英國フワビアン黨や、米國の社會黨に至っては、敢て画家絶滅を唱ふるなし、是れ怪しむに足らず、彼等の國憲が獨逸に比して大に民主的なるが故に、急激の手段に依らずして能く多數福利の增進を期待し得べきが爲めのみ。
 蓋し社會主義と民主主義とは、恰も烏翼車輪の如し、何となれば一は經濟的に一は政治的に多數共通平等の幸福を其向上の目的となす者なれば也。故に眞正の社會主義者たる者は必ずや眞正の民主主義者たらざる能はず、專制的國家に在るの社會主義者は民主的國家を建設せんと試み、民主的國家に在るの社會主義者は、共國家の更に完全ならんことを望む、唯だ其手段の緩急を異にするのみにして皆政治的改革に熱心ならざるはなし、而して彼等の目して最も理想に近しとして贊歎する所は、實に瑞西の政治的制度也、夫の.一般國民をして直接に法律の可否を投票せしむるのレフエレングムや、多數の國民に發議の權を與ふるのイニシエチーヴや、國民が立法府に於て有する代表者の數の比輟上尤も公平なるプロポーシヨナル選擧法や、皆な民主的意義の大に發現せられたるものにして、社會主義者の望仰想望する所なりとす。
 如此にして社會主義は、深く現時の國家の中央謂の害逐に懲りて、地方分權を主張するに至るは自然也、彼等は人民の事業をして人民に依て行はしめ、若くは人民に近かしめんが為に多くの公務を中央政府の手より奪つて地方の自治團體に恢復するの必要を感ず、彼等は可及的中央政府の職權と權力とを削減して、國家を以て地方市府町村の自治的集合團體の聯合とし中央政府は唯だ團體聨合を統一し、彼等が共通の利益を公平に按排せしむるの具となさんと欲す、彼等は如何なる政治にもあれ如何なる組織にもあれ、富財の社會共同的生產と其公平の分配を保障することを必する者也、萬人をして總て其堵に安んぜしめ、萬人をして總て十分に其知能を發揮せしむるの地位と機會を保障することを必する者也、是れ彼等が經濟及敎育の事業を以て一に公共の手(國家と言はず)に委せんとする所以にして、而して經濟敎育の二事を除くの外は、決して政治的干涉を喜ぶ者に非る也、否な極めて自由放任を主張する事猶ほ今の個人主義者の如き也、例せば國敎の如きは社會主義とは全然相容れられざるものにして、獨逸民主黨が其綱領に於て明かに宗敎を個人の私事なる事を宣言せるが如き是也、彼等の希望は人をして人を支配せしむるに非ず、人をして物を支配せしめんと欲すれば也。
 カール・マルクスと俱に所謂獨逸科學的社會主義の’祖師と稱せられたるフリードリヒ・エンゲルは日く、『夫れ壓制せらるべき階級なく、或階級の支配なく、個人の生存競爭なきに至らば、國家と名くる壓制的權力も亦必要なからん、而して之に代て起る者は、社會全體の代表者としての國家也、然れども此國家や唯社會の名に於て生産の機關を有するに過ぎず、唯此一事、國家の最初の職務にして、亦最後の職務也、社會關係に於る國家の干涉は、一層はー曆より漸々無用となつて消滅するに至るべし』と。
 然り、社會主義者が理想とする國家は唯だ如此きのみ、彼等は決して國家萬能の主義に依て個人の自由を沒却せんとする者に非ず、而も亦全然社會の秩序を無視して、其團結組織を破壊せしめんとするものに非ず、要は多致人の幸福のみ、平等の利益のみ、世の社會主義を批評する者宜しく此點に留意せよ、若し夫れ社會主義制度が立君政治と兩立するや否やは、自ら別問題也。
               (明治三十五年二月五日、『日本人』第一五六號所載

     社會主義と直接立法

 予は社會主義の見地より、世界萬邦の社會主義者と同じく、我日本に一日も早く一種の『レフエレングム』と『イニシエーチーヴ』の實施を切望するものである、一寸適當の語を思ひ付かぬので、假に前者を直接投票、後者を直接發議權と譯する。
 凡そ世間に馬鹿げたと言ひ、無意味と言っても、日本國民の所翼參政權なる者ほど無意味に馬鹿げた代物は有るまい、是が普通選舉でも行はれて居るなら猶可なりだが、今の日本は納稅資格などといふ時代後れの愚なことをして居るので、選舉有權者は四千五百萬の國民中百萬內外に過ぎぬではない歟、夫も公平選擧法プロポーシヨナルでも採用されて、此百萬人の有權者が盡く代表者を出し得るならば猶可なりだが、大政黨以外の候補者は大抵落選させらるゝので、眞に代表者を出し得る者は、百萬人中僅に五六十萬人に過ぎぬのではない歟、夫も彼等五六十萬人の意思だけでも確かに議會に代理され遂行さるゝなら猶可なりだが、其代表者は議會に入るを得ると同時に、全く政府の奴僕となって仕舞ふのではない歟、換言すれば日本人で參政權を有する者は國民中の極少數で、而も其少數が參政權を行ふのは、唯だ議員の投票を投票箱に投入れる一刹那、共一刹那だけに止まつて、後は煙散霧消するのではない歟、此爲體で有りながら國民の參政權で候などゝは呆れて物が言へぬのである、參政椎てふ名詞にして若し靈あらば、盜し噱然として笑ひ、啾然として泣くであらう。
 抑も政治の本義を推擴めて其極致に至つたならば、國民自身が直接に政權を執り行ふのが當然だが、但だ實際社會の狀態が此に至るを許さないので、少數官吏、少數議員に彼等の代理を頼むといふのは、今更言ふまでもないのである、故に予は、否な多くの學者は歐米諸國の代議制度に對してすら之を政治の極致に遠いとして極めて不平不滿足である、だから彼等は國民參政の功果を擧ぐる方法を講ずるのに、日も亦足らぬ有樣である、況して我日本に至っては参政の功果どころか、此不幸不滿足なる普通の代議制度にすら追付かないで、實際は君主專制、寡頭政治の蠻域に、蠢めき廻つて居るのである、是れ我政治の進步發達を希ふの上に於て、大に考慮すべき所でない歟。
 然らば如何にして眞に國民參政の權利を實功あらしめ、如何にして政治の本義に一步なりとも近くべき歟、此點に於て普通選舉は無論急要である、公平選擧法も無論急要である、而も是では未だしで、彼等の參政權の實功は、矢張共投票を投ずる刹那に過ぎぬので有る、是に於て百尺竿頭ー步を進めて國民の直接投票レフエンダム 直接發議權イニシエーチーヴを主張せざるを很ないのである。
直接投票レフエンダムといふものは、議會で決議した重大なる法案の可否を、更に國民の意見に問うて、其贊成を得て初めて法律とするのである、直接發議權は國民多數の連署を以て重大なる法律の改廢或は制定を發議し、矢張國民の投票に依て採決するのである、此兩者あって始めて國民が政治に參與するの實があり、國民の意思を代表しない官吏と議員との横暴を制し得るのである、而して欧米諸國中此兩者を實行して居るのは、瑞西聯合共和國である、予は無論瑞西の制度を其儘採用せよといふのではないが、併し其方法は大に參考とするに足るのである。
 孰れの國でも兩院を通過した法律は其規定した日時から直ちに効力を有するのだが、瑞西國では左樣は行かぬ、緊急なる性質の者、其他或特種の者を除くの外は、共法案を九十日間遍く各州に掲示して、若し其期限內に國民三萬人の請願か、若しくば八個の州の政廳より該法案の直接投票を要求して來た埸合には卽ち直接に國民をして可否を投票せしめねばならぬ、最も是迄行はれた直接投票は州政廳より要求したのではなくて、常に國民の請願に由つたのであった、三萬人といへば全國民の約百分のー、有權者總數の廿分のーである、斯くて其請願者の記名が定數に充ちたならば、卽ち聯合各州に於て同日に投票を行はしめる、投票期日は、命令を發した日から、四週間後でなければならぬ、一千八百七十四年から一千八百九十三年に至る間に、揭示せられた法律命令百六十四件中、直接投票を耍求せられたのが十八件、共中十二件は否決せられた、卽ち直接投票に掛けるのが一割內外で、其多くは否決せられたのである。
 直接投票は獨り聯邦議會の法案に就てのみならず、各州でも夫々州議會の法案に就て行って居るのである、尤も各州で多少制度を異にして重大の法案を盡く直接投票に問ふのもあれば、州民多數の要求を待て始めて之に付するのもある。後者では請願の記名提出の期限は通例三十日內外で請願者定員は其州有權者の五分のー乃至十二分のーである。
 爰で吾人の最も注意すべきは、彼等國民及び州民が直接投票を要求するのは、決して一時の感情に走るのではなくて、其嚴格に且熱心に自己の權利を行ふことである、而して政府も議會も謹んで其命令に服從するので日本の如く民意を度外して善い加減に扱ふことは出來ぬのである。
 直接發議權も亦久しく聯合各州に用ゐられて居る、州民が或法律の改廢若しくは創定を希望する時は、多數の賛成を得て其理由を具し、州の議會に提出する、其定員は直接投票者の割合と略同樣である、夫で議會は一定の期間に(或州は二ヶ月)之が成案を作り、同時に議會も又別に議會の案と意見とを附して州民の直接投票を命じ、其採決に從って直に法律となるのである。於是て實際彼等は直接に立法の權利を堅く把持し居るものである、而して是も亦た極めて嚴格に愼重に行はれるのである、此制度は古來州にのみ用ゐられて居たが一千八百九十一年に至って晰邦の憲法修正に用ゐらるゝこととなつた。
 其制に從へば若し五萬の國民が、憲法に於て或條章の制定を要求すれぱ、聯邦議會は直ちに其希望を討究して一の成案を摧へ、之を直接投票に問はねぱならぬ、又其要求の賛すべきものでなかつたならば、先決問題として憲法の改正すべきや否やを直接投票に間ひ、其採決を待て再び細目の成案を國民に問ふのである、又人民より詳細の成案を提出した場合には、議會は之に贊するか或は別に異つた案を出すか、或は全く反對の案を出して、共に國民の決定に委することが出來る、但し議會の案は其請願書の受領の後一ケ年間に作らねばならぬ、其時限を過ぎたら請願の案に同意した者となって、投票に附せられる、此方法で聯邦の憲法は屢ば修正せられ、大に同國政治の進步と發達に資したのである。
 我日本に於ては憲法修正の發議權は獨り天皇陛下の持し玉ふ處である、而して現在憲法の修正せられない限りは、我國民が憲法修正に關する發議は元より、一般法律に對する直接投票レフエンダム、及び直接發議權イニシエーチーヴをも得られないのは承知である、予は決して憲法の紛更を試むるが如き所存は微塵もない。
 併しながら、現時の國民参政權がノンセンスであるのは確かである、政治の本義が國直接の政治に在るのは確かである、而して直接投票と直接發議とが、政治の本義に一步を近づくものなるも亦確かである。
 試に思へ、若し我國民が早く直接投票と直接發議との權利を得て居たならば、藩閥の政治家は能く今日の運命を保つたであらう歟、 無法の軍備は能く擴張せられたであらう歟、亂暴なる增税は能く承諾せられたであらうか、高野問題は今日までも未定のまゝで殘つたであらう歟、鑛毒問題に直訴の必耍があったのであらう歟、凡そ是等の例を見來れば、 如何に我國民の權利が全く蹂躙せられ、輿論が全く度外視せられ、ー國の政權が一部少數の手に竊まれて居るが爲めに、多くの不正と多くの非義と、 多くの損害と多くの醜聞が被むらされたかゞ解るであらう、我日本の國民は果して永く此の狀態に堪ふべきである歟、堪へ得ることが出來るであらう歟。
 若し日本の政治が果して君主專制寡頭政治の域を離れて將來益す進步し發逹し行くものならば、何時かーたび這箇の制度を採用するの氣運に際會せずには居らぬ、斯る氣運は如何なる經過で熟する歟、又は如何なる手續で事實に現出して來るかは是れ自ら別問題である、但だ此氣運にーたび際會すると極った以上は、予は一日も其速かならんことを希望に堪へぬ、而して若し此のニ箇の直接立法の方法が行はるゝに至ったとすれば、社會主義の目的は其大半を遂げたものである。
      (明治三十五年一月二十七日、『萬朝報』第三千號所載、原題「直接參政論」)

写真は、「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏の高知新聞記者時代の大逆事件「被告」坂本清馬氏らのインタビュー記事(1948年11、12月)

読書ざんまいよせい(060)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(08)

     第七章 結  論
〇果然、病源は發見せられたる也。謎語豈に解決せられざらんや。
〇殖產的革命は社會組織進化の一大段落を宣吿せり、產業の方法は、個人の經営を許すべく、餘りに大規模となれる也。生產力は個人の領有を許すべく、餘りに發達膨大せる也。故に彼等は其性質の社會的なるを承認されんことを耍求す、其領有の共同的ならんことを强請す、其分配の統ーあらんことを命令す、而も聽かれざる也。是を以て競爭となり、無政府となり弱肉强食となり、獨占となり、社會多數は是等獨占的事業の犠牲に供せらるゝに至る。
〇故にエンゲルは日く『社會的勢力の運動や、其盲目なる、亂暴なる、破壊的なる、毫も自然法の運動に異なるなし。而も吾人ーたび其性質を理解するに及んでや、隨意に之を驅役して、以て自家の用を爲さしむるを得る、猶ほ雷光の通信を助け、火焰の煮炊に供するが如し』と。然り現時社會が生產機肅發達の爲めに利せらるゝなくして、却って之が蕾に苦しむ所以の者、一に社會進化の法則に悖反はいはんするが爲めのみ。若しーたび其性質趨勢を理解して之を利導せん乎、猶ほ人を震し人を焚くの雷光火焰が吾人必須の利器となるが如けん也。
〇今に於て怪しむ勿れ、學術の日に進んで徳義の日にくづるゝことを、生產益を多くして、萬民益益貧しきことを、敎育愈々盛にして罪惡愈々多きことを嗚呼是れ一に現時の生產機關私有の制度之をして然らしむるのみ。個人をして、今の生產機關を私有せしむるは、猶ほ狂人をして利刃を持せしむるが如し、自ら傷け、人を傷けずんば已まず。
〇而して共結果や卽ち分配の不公となれり、分配の不公は卽ち多數人類の貧困と少數階級の暴富となれり、暴富なるものは卽ち驕奢となり、腐敗となり、貧困なるものは卽ち堕落となり、罪悪となり、擧世滔々として江河日に下る、洵に必至の勢ひのみ。
〇故に今日の社會を救ふて其苦痛と墮落と罪悪とを脫せしむる、貧富の懸隔を防止するより急なるは無し。之を防止する、富の分配を公平にするより急なるは無し。之を公平にする、唯だ生產機關の私有を廢して、社會公共の手に移すに在るのみ。換言すれば卽ち社會主義的大革命の實行あるのみ。而して是れ實に科學の命令する所、歷史の要求する所、進化的理法の必然の歸趣にして、吾人の避けんと欲して避く可らざる所にあらずや。
〇嗚呼近世物質的文明の偉觀壯觀は、如此にして始めて能く眞理、正義、人道に合することを得可きにあらずや。眞理、正義、人道の在る所、是れ自由、平等、博愛の現ずる所に非ずや。自由平等博愛の現ずる所是れ進歩、平和、幸福の生ずる所に非ずや。人生の目的唯だ之れ有るのみ、古來聖賢の理想、唯だ之れ有るのみ。エミール・ゾーラ叫んで日く『社會主義は驚嘆ワンダフルすべき救世の敎義也』と。豈に我を欺かんや。
〇起て、世界人類の平和を愛し、幸福を重んじ、進步を希ふの志士、仁人は起て。起って社會主義の弘通と實行とに力めよ。予不敏と雖も、乞ふ後へに從はん。

人生不得行胸懐。雖壽百歳酒夭也。
[編者注]典拠は 『小窓幽記』、訳は、「生きているうちに胸の懐いを遂げなければ、年が百歳になろうと、若死にである。」くらいの意味か?
[補足]劉宋の人、蕭恵開の語に「人生不得行胸懐、雖寿百歳猶為天也」〔宋書、巻八十七〕がある。蕭恵開は、晚年志をえず、つねに人にそういったという。

靑天白日處節義。自暗室陋屋中培來。
旋乾轉坤的經綸。自臨深履薄處操出。
[編者注]意味は「晴れ渡る空の日のごとき正義・節操は、暗室陋屋の中から培われ、天をひっくり返すほどの国の方策は、深き水の上の薄氷を踏むほどの熟慮の境地から力を得る。」くらいの意味か?
[補足]青天白日。清明の象を喩う。「大丈夫心事、当如青天白日、使人得而見之可也」〔朱子文集〕とみえる。〇施乾転坤。乱れた天下をよく治った状態に代えること(韓愈〔潮州刺史謝上表〕)。〇臨深履薄。至って危いたとえ。戦々兢々、如臨深淵、如履薄冰」〔詩、小雅、小旻〕。〇困窮危険の状況から、社会主義の立派な経綸が生みだされることをいう。(「近代日本思想体系」筑摩書房・幸徳秋水集から)

社會主義神髄 終

読書ざんまいよせい(059)

◎神西清訳 チェーホフ「シベリアの旅」(02)

       二

 アバツコエといふ大きな村(チュメーンを距る三百七十五露里)を、五月六日の前夜おそく發ったとき、 馭者になつたのは六十がらみの老人だった。馬を附けようといふ間際になって、彼は蒸風呂ですつかり汗を出したうへ吸瓢すいふくべを使って血を取つた。何故血を取るのかと訊くと、腰が痛むからと答へる。年に似合はぬ元氣な老人で、身體もなかなかよく動くのだが、 さう言へば步き工合がどうもをかしい。脊髓癆だと見える。
 背の高い無蓋の旅行馬車に乘り込む。二頭立である。老人が鞭を振って何やら叫ぶ。しかし昔のやうには聲も出ず、まるでエヂプト鳩みたいにゴロゴロいふだけだ。
 道の兩側にも遙かの地平線にも、蛇のやうに這ひながら燃える火がある。去年の草が燃えるのだ。わざわざそれを燃すのがこの土地の習慣だといふ。が乾き切ってゐるため燃えが惡く,炎の蛇は所々れたり、消えたかと思ふとまた燃え上ったりして、悠々と這ひ廻るのである。火叢からは火の粉が散る。上の方には白い煙が昇る。火が急に小高い叢に燃えつく時は實に美しい。炎の柱が地上七尺ほどにも伸びて、 大きな煙の塊りを天へ投げあげるかと思ふと、まるで地心に沈み込みでもするやうに、直ぐまた崩れ落ちる。その蛇が白樺の林へ這ひ込むときは、 また一段と美しい。林一面にばつと明るくなって、白い幹が一本一本はっきりと見え、樹立の落す影に明るい班紋が入り亂れる。このイルミネーションを見ると、 何か不安な氣持がして來る。
 向ふから驀地に凍りついた凸凹道をがらがら云はせながら、郵便の三頭立トロイカが駆けて來る。老人が周章てて馬首を右へ轉じると、重さうな巨きな圖黑をした郵便馬車が飛ぶやうにすれ違ふ。歸りを急ぐ馭者が乘つてゐるのだ。また別の馬車の音が聞えて來る。見ると卜ロイカがもうー臺、全速力で向ふから突進して來る。私達の方は急いで右へ避けたが、意外千萬にもトロイカの方は何故か右へは避けずに左へそれて、 眞向ふから飛びかかって來る。ああ、 ぶつかるぞ、 と思ふ間もあらばこそ、たちまち轟然たる音を發して、こちらの二頭も郵便馬車の三頭も眞黑な塊りに化してしまつた。旅行馬車は後足で突立ち上り、 地面に抛り出された私の上からは、ありつたけのトランクの包みが。……茫然自失の態で、そのまま地而に轉がってゐると、又もや三臺目のトロイカの疾驅する響が聞え出す。『さあ』と私は考へる、『今度こそはお陀佛だ。』だが有難いことに負傷は大したこともなく、手も足も折れてゐないので、私は地面から起きあがれる。跳び起きるが早いか道傍へ駆け出して、吾ながら奇妙な聲で喚き立てる。――
 「とまれ、とまれよう。」
 空つぽと見た郵便馬車の中から、むくむくと人影が起き上り、 手綱の方へ手をのばす。そして三臺目のトロイカは、私の荷物をかすめて危く停る。
 二分間ほどは沈默のうちに過ぎる。まるで狐につままれたやうな形で、ー體何が持ち上ったのやらさっぱり分らない。梶棒は折れ、馬具は裂け、鈴をつけた頸圏くびわが地面に散らばり、馬は苦しげに息を吐く。馬もやはり茫然としてゐるらしく、どうやら傷も重いらしい。老人はうんうん唸り、 溜息をつきながら起きあがる.。先に行つた二臺のトロイカが引返して來た。そのうちに四臺目のトロイカが來、さらに五臺目が來る。……
 それから猛烈な罵詈雜言がはじまる。
 「瘡でも出來でかせ!」と衝突した馭者がわめく、「その口に瘡さ搔け! 眼はどこへ附けとるだ、 この老耄れめが。」
 「どっちが惡いだ」と老人は泣聲でわめく.、「手前が惡いくせして、ぽんぽん言ひくさる。
 その悪口の言ひ合ひから僅かに推察し得たところによると、衝突の原因はかうであつた。郵便を運んだ歸りのトロイカが五臺、 アバツコ工を指して行く。規則では歸りの車は緩くり走らせることになってゐるのだが、先頭の馭者が退屈ではあり、また一刻も早く暖かい思ひがしたいので全速力を出した。ところが續く四臺の馭者はみな寢込んでゐて、誰も手綱を取る者がない。つまり殘りの四臺は、馬が全速力でー臺目を追ふなりにしてあつたのだ。もし私が旅行馬車の中でいい氣持に眠つてゐたり、或ひは三臺目のトロイカが二臺目のすぐ後に續いて來たのだつたら、到底無事には助からぬ所だつたのだ。
 馭者たちはありったけの聲を出して罵り合ふ。その聲は十露里先でも聞えるに違ひない。とても堪らぬほど怒鳴り散らす。相手の持ち合はせてゐる凡ゆる聖なるもの貴いもの大事なものを、何から何まで殘らず辱め瀆し去らねば已まぬ、これらの醜惡極まる言葉や文句を考へ出すには、さぞかし莫大な機智や憎念や不淨な考へが消費されたことだらう。こんな惡口のつける者は、シベリヤの馭者や渡船夫のほかにはゐない。みんな囚徒に仕込まれたのだといふ。しかも馭者の中で一番大聲に罵り狂ふのは、ぶつけた當の馭者である。
 「ええ、もう止めろ、馬鹿者めが!」と老人が遮る。
 「何だと?」と、例の馭者は十九ほどの餓鬼だったが、それが物凄い劎幕でつめ寄つて、老人の鼻先にぬつと立つ、「それがどうした?」
 「手前もよっぽど。……」
 「それかどうした?言って見ろ、どうしたつてんだよ。梶棒の切れつ端でぶんのめすぞ。」
 この調子では、今にも摑み合ひになるかと思つた。暁闇、遠近には草を燒く火が見えてはゐるが、 そのため冷え切つた夜氣は別段溫まるでもなく、一と塊りになつたまま嘶き聲を立ててゐる癇の强い物騷な馬の傍で、この亂暴な暄嘩の群に圍まれてゐるのは、何とも言ひやうのない淋しさだった。
 老人はまだぶつぶつ言ひながら、例の病氣のせゐで足を高く持ち上げるやうにして馬と旅行馬車の周圍を步いて、手當り次第に繩や革紐を解いて廻る。それで折れた梶棒を結いわ》へようといふのである。それから今度は道路に腹這ひになって、燐寸をすりすり、輓革を搜す。私の荷物の革紐までが徵發された。やがて東の方が紅らむ。野雁もとうに眼をさまして啼いてゐる。やがて馭者たちも行つてしまふ。だが私達は相變らず立ちづめで、修繕に餘念がない。何べんも進まうとして見るのだが、折角結んだ梶棒は忽ちぽきんと行く。で、またも行軍中止だ。……寒い。
 やっとのことで、村まで辿りつく。二階建ての百姓小屋のところで車を停める。
 「イリヤ・イヴァーヌィチ、馬さあるかね?」と、 老人が呼ぶ。
 「あるだよ」と、誰やらが窓の中で陰氣な聲を出す。
 小屋で私を出迎へたのは、赤シャツを着た大男である。素足で睡さうな顏をしてゐる。まだ寢呆けてゐると見えて、何やら薄笑ひを浮べてゐる。
 「南京蟲にあつちや敵はねえでさ、大將」とぼりぼり搔きながら、だんだん顏一ぱいに笑ひ出しながら彼が言ふ、「座敷はわざと煖めねえだ。寒いと奴さん步かねえからね。」
 ここでは南京蟲や油蟲が這ふとは言はずに步くと言ふ。旅行者が行くと言はずに、 つつ走るといふ。「旦那は何處へつつ走りなさる」と訊く。つまり「何處へ行きなさる」の意味である。
 家の外では馬車に油を差したり、 頸圏の鈴をぢやらつかせたりしてゐるし、代り合つて馭者になったイリヤ・イヴァーヌィチは身支度をしてゐる。そのひまに私は、部屋の隅にうまい場所を見附けて、 穀粒か何かの袋に頭を凭せたかと思ふと、 すぐさまぐつすり痕込んでしまふ。やがて夢の中に私の寝臺が出て來る、 私の部屋が出て來る。夢の中で私は歸つて食事をしながら、 自分の二頭立が郵便のトロイカと衝突した話を、 家の者にして聽かせる。が二三分したかと思ふと、イリヤ・イヴァーヌィチが私の袖を引張つて言ふのが聞える。――
 「さあ起きるだ、 大將。馬が出來ただ。」
 懶惰、寒がり!それらの惡德を嘲笑ふこれは何といふ揶揄であらうか。寒氣は縱橫十文字に背中ぢゆうを走り廻る。また馬車で行く。……もう明るくなって、 空は日の出前の金色に染まる。道にも野づらの草にも、 痛ましい白樺の幼樹林にもー面に霜が降りて、まるで砂糖漬けを見るやうだ。どこかで蝦夷山鷄えぞやまどりが啼いてゐる。

読書ざんまいよせい(056)

◎巌窟王(巖窟王)(上 001)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯
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(中略)著作権が切れたテキストは、自由に配布していただいてかまいません。ただし誤植チェックに関してはまだ不十分です
巖窟王(上 その1)
アレクサンドル・デュマ著
黒岩涙香譯

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2003年 12月 28日 初配布
2004年 10月 11日 34~61章追加
2025年 5月11日 文字コードを Unicode に変更など
ゼファー生

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(中略)著作権が切れたテキストは、自由に配布していただいてかまいません。ただし誤植チェックに関してはまだ不十分です
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【テキスト中に現れる記号について】

ルビ
(例)衣嚢かくし

〳〵, 〴〵: 踊り字
複数文字の繰り返しを意味する。
(例)おの〳〵=おのおの。こと〴〵く=ことごとく。

[]:原文にない注記

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巖窟王 : 目次

アレクサンドル・デュマ (Alexandre Dumas, 18021870) 著、黒岩涙香 (18621920) 譯、史外史傳 巖窟王 ーー モンテ・クリスト伯 ーー (Le Comte de MonteCristo, 184445)。
出版社:愛翆書房。上卷:昭和二十三年十一月十日印刷,十一月十五日發行,定價百八十圓。下卷:昭和二十四年三月十日印刷,三月十五日發行,定價二百圓。
史外史傳 巖窟王
アレクサンドル・デュマ 著
黒岩涙香 譯
目次

◎目次
・前置
・上卷 主要人物

一 團友太郎と段倉
二 お露は情婦ではありません許婚です
三 父と子、類は友
四 お露と次郎
五 次郎は青くなつた
六 幾等でも奧の手を
七 筆と紙、筆と紙
八 婚禮の饗宴
九 何時までの分れ
一〇 蛭峰檢事補と米良田禮子
一一 宛名は誰れ
一二 危い處、危い處
一三 人間の日 照らぬ所
一四 梁谷法師
一五 國王陛下へ宛て
一六 出世と云ふ一語
一七 國王の御前
一八 青天の霹靂
一九 天運か天道か
二〇 顏中に黒い頬髭
二一 其顏を此窓から
二二 一種の優形紳士
二三 百日間
二四 監獄巡視
二五 二人の囚人
二六 例の五百萬圓
二七 此外の處分なし
二八 卅四號、廿七號
二九 怨に相當の復讐
三〇 自殺、自殺
三一 例の物音
三二 誰だ、誰だ
三三 穴の向ふと此方とで
三四 其穴から頭を
三五 己は伊國の法師梁谷だ
三六 何の樣な時節
三七 教師と弟子
三八 誰を怨めば好いでせう
三九 脱獄の再擧
四〇 藥を、藥を
四一 恩を返す道
四二 金貨にて凡そ二……
四三 扨て其大金
四四 一枚の白紙
四五 天の口、天の手
四六 第三囘の發病
四七 恐ろしい新思案
四八 袋の中
四九 監獄の墓地
五〇 一天墨の如く
五一 チブレン島
五二 我姿を鏡に寫した
五三 時が來た
五四 モンテ、クリスト島
五五 巖窟
五六 巖窟の祕密
五七 一廉の紳士と爲つて
五八 戀しい消息
五九 印度邊の豪族
六〇 竒癖の人
六一 贈り物
六二 暮内法師
六三 赤い皮の財布
六四 不正直のお蔭
六五 野西子爵
六六 嬉しいだらう
六七 尋常の法師では
六八 イヽエ即金で
六九 其代りにお願が
七〇 其れ程能く見破る事が
七一 森江商會
七二 無論金件です
七三 一艘の帆前船
七四 漏水が初まりました
七五 海の雇人
七六 船乘新八
七七 神さへ見捨てた
七八 一通の手紙を差出した
七九 此の短銃を何う成さる
八〇 一挺は私が用ひます
八一 不思議
八二 天の意
八三 嗚呼無人島
八四 此島に大變な豪い人が
八五 昔話の境遇
八六 心の誓ひ
八七 不老不死の靈液
八八 望遠鏡
八九 鬼小僧
九〇 猿の樣に身輕く傳ふて
九一 正直者か
九二 初めて怪物の顏を
九三 明朝の九時を以て
九四 巖窟島伯爵
九五 意の如くする積です
九六 辛い修業
九七 立派な彿國語
九八 何處に隱れて了つたか
九九 山賊の陷穽
一〇〇 捕はれて居るのは何處
一〇一 土牢と云ふ言葉に
一〇二 サンサバシヤンの山洞
一〇三 伯爵の巴里乘込
一〇四 五月廿一日
一〇五 森江大尉は此人です
一〇六 三個の碧精
一〇七 人を驚かす人
一〇八 金の捨て所
一〇九 嗚呼何の樣な對面
一一〇 戀か恨か
一一一 子爵夫人露子
一一二 窓から誰か
一一三 田舍の別莊
一一四 古い祕密が
一一五 此梯子は人殺しの
一一六 コルシカ人の仇討
一一七 其箱を深く埋め
一一八 美しい男の子
一一九 衣嚢かくしに小犬
一二〇 血の雨
一二一 神の言葉
一二二 鼻でも切つて
一二三 其樣な僅な金高
一二四 美しい栃色
一二五 大手腕
一二六 其んな恐しい毒藥が
一二七 世界の人
一二八 神の法律
一二九 一種の宣告
一三〇 鞆繪
一三一 此財布が忘れられやうか
一三二 柳田卿とは誰

巖窟王 : 前置

世に英雄は多いけれど拿翁なぽれおんの樣な其の出世の花々しい英雄は又と無い。さうして其亡び方の異樣に物凄い英雄も亦と無い。

彼は實に、第十九世紀の首途かどでに花を飾つた人である、第十九世紀と云ふ大舞臺に大活劇の幕を開いたのが彼だ。

彼は千七百六十九年に、ほとんど人の振返つて見さへせぬ、地中海の小島に生れて、三十の歳には早や全 彿國ふらんすを足下に踏まえる大將で有つた、十九世紀の幕の開いた千八百〇一年には、既に議政官の長と爲つて、國王の無い國に國王と同じ身分に爲つて居た。

猛りに猛つた民權論の眞盛りに、革命の眞只中に出て直ぐに其の民權論を蹂躙し、殆ど全國民の生殺與奪の權を一手に握るとは何たる怪物だらう、彼が其國の歴史に例の無い「皇帝」と云ふ尊號を得たのが、彼の卅六歳の年、即ち千八百〇四年で、民權も革命も總て彼の前にお辭宜じぎした、此時に當つてや彼は佛國の皇帝たるのみね無く、全歐洲の王である、殆ど人間の閻魔大王とも爲つて居た。日耳曼ぜるまんも、西班すぺいんも、阿蘭陀おらんだも、墺太利おうすとりいも、皆彼の配下に立ち、北方の強と云ふ可き露西亞ろしあまでも彼の鼻息のもと慴伏せふふくして居た。海を隔てた英國いぎりすより外には彼の意の儘に成らぬは無かつた、歴史家が此時の彼を指して「空前の大野心の空前の大成功」と云つたのは無理は無い、實に空前のみならず絶後の大成功である。

自分の兄弟三人を、サツサと諸國の王に取立て、尚ほ不足する所は手下の軍人で補つた、亂暴は亂暴であるが「國王製造者」と云ふ無類の異名を得たのは千古の竒觀と云ふ可しだ、全く隨意に國王を製造して居たのだ、大抵の國で野心家の野心と云へば、小さいのは獵官ぐらゐ、大きいとても總理大臣と云ふには過ぎぬ、此人逹に比ぶれば、何たる懸隔、雲泥などゝ云ふ言葉では追着かぬ、兵隊を議場に入れ喇叭の聲で議員の怒聲を埋めて置いて、一蹶して國家の長と爲り、再蹶して皇帝と爲り、三蹶して皇帝の上の皇帝と爲つた。

さうして其の四蹶目が面白い、自分の生れたコルシカ島から遠くも無いエルバ島へ、皇帝と云ふ尊號を持つたまゝ流されて蜑戸あまの焚く火の侘寢わびねに夢を照される人とは爲つた。

けれど四蹶には終らぬ、五蹶してエルバ島を脱するや備への嚴重なグレノブルの關所を單身で越えんとして番兵の前に立ち「防禦の武噐の無き皇帝を、汝射殺すて功名するは今ぞ」と告げた、膽力天地を呑むとは此事だらう、番兵が彼の膝に、彼の足に、すがり附いたもうべである、佛國全土の民は箪食たんし壺漿こしやうせぬばかりに歡迎したのもうべである、新王 路易るい十八世が一夜の中に夜逃げしたのも亦 うべである。

是れと云ふのも畢竟は、天が此の逞しい俳優をして大詰の一幕ウヲーターローの敗軍から、英國の軍艦で、セントヘレナの孤島に流さるゝ英雄の末路を演じさせ「私慾より上に脱せざる人には永久の成功無し」と云ふ大なる教訓をのこさんが爲で有つたのであらう、彼は多くの英雄豪傑と同じく、偶然の人間では無い、天意の道具に使はれた特製の圖面である。

こゝに説き出す巖窟王の實談は、此の拿翁なぽれおんの話では無い、全く別の人、別の事柄であるけれど、拿翁なぽれおんと少からぬ關係がある、此話の始まるのが、丁度 拿翁なぽれおんがエルバ島を脱した千八百十五年二月廿九日の事で、此實談の主人公が、其島へ立寄つて拿翁なぽれおんに聲を掛けられて來た時からの話である。

而も此人や彼と同じく、亦偶然の人間では無く、天の意を圖解する天の道具かと怪しまれるのだ、拿翁なぽれおんが歴史の表面に活動する間に、此人は暗黒なる裏面に人間界の鬼の樣に働いて居た、さうして其一身の波瀾、其の閲歴と事功との光怪、殆ど拿翁なぽれおんと對す可き程の者で而も人物の天性、醇の醇なることに至つては、彼れ翁輩をうばいと比す可きで無い、唯翁は野心的に進み、此人は人情的に進んだけに、翁は知られ、此人は隱れ、翁は輝き、此人は曇り、從つて舞臺も演劇も全く違つて居る、彼の人は雷の如く陽氣にして此人は地震の如く沈痛である。

唯だ發端の話頭わとういさゝか翁がエルバ島を脱する時の事件と關聯する所が有つて、彼を知らねば之を解するの不便なるが爲めに、愈々いよ〳〵話に入らうとする前に斯くは記して置くのである。

史外史傳「巖窟王」其の巖窟とてもエルバや、コルシカと同じ地中海の一島で又遠くは離れて居ぬ、舞臺とは、西洋から指して東洋と云ふ土耳古とるこへんより伊國いたりやを經て佛國の中心歸して居る、或人は之れを「神侠傳」と云ひ或人は「復讐竒談」と云ひ、譯者は之を「巖窟王」と云ふ、いづれの名も此人の一端を寫したに過ぎぬ、全體を讀終れば適當な概念が自ら讀者の胸に浮ぶであらう。

譯 者 識

巖窟王 : 上卷 主要人物

だん友太郎ともたらう(エドモン・ダンテス)
數竒の運命とたゝかひぬく本篇の主人公。後の巖窟島伯爵(モンテ・クリスト伯)。
つゆ(メルセデス)
友太郎の許嫁、友太郎の入獄中次郎の妻となる。
次郎じらう(フエルナン)
スペイン村の漁師、後西班牙戰爭の功あつて野西子爵(モルセール子爵)となる。
野西のにし武之助たけのすけ(アルベール・ド・モルセール)
次郎とお露の間に生れた息子、若き子爵。
段倉だんぐら 喜平次きへいじ(ダングラール)
森江氏持船巴丸(フアラオン丸)の會計主任。後次郎と共に西班牙戰爭で巨利を博し大銀行家となり男爵を贖ふ。
蛭峰ひるみね重輔しげすけ(ヴイルフオール)
野々内彈正の息子で若き檢事補。父とは反對に熱心な王黨の支持者、後の檢事總長。
梁谷はりや法師(フアリヤ法師)
友太郎が獄中にて會える博學多才なイタリヤの司祭。友太郎生涯の恩師であり又恩人。
森江もりえ良造りやうざう(モレル)
マルセーユの船主、友太郎の主人にして又恩人。
森江もりえ眞太郎しんたらう(マクシミリヤン・モレル)
森江氏の長男で陸軍々人。
野々内ののうち彈正だんじやう(ノワルテイエ)
蛭峰の實父にてナポレオン黨の有力な鬪士。
粕場かすば毛太郎次けたらうじ(カドルツス)
友太郎の友人にてマルセーユの仕立屋、後に旅籠屋の主人。
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読書ざんまいよせい(055)

◎噫無情(001)


噫無情
ヸクトル、ユーゴー 著
黒岩涙香 譯

【はじめに】
このファイルは、ソースが存在しているサイトの、html や、テキストそのままを、ルビなど「青空文庫形式」にできるだけ近づけて改編し、文字コードを、できるだけ、Unicode 化したものです。
【著作権表示】
テキストの配付・再利用は自由です。扱いは プロジェクト杉田玄白方式に準じます。ただし、誤りなど含んでいる可能性もあり、使用にあたっては、自己責任でお願いします。
【テキスト中に現れる記号について】
ルビ:
(例)衣嚢かくし

〳〵: 踊り字
複数文字の繰り返しを意味する。
(例)ボロ〳〵=ボロボロ。

[]:底本の誤りなどの注記

噫無情 : 目次
タイトル:噫無情 (Les Misérables, 1862)
著者:ヸクトル、マリー、ユーゴー (Victor Hugo, 1802-1885)
譯者:黒岩涙香 (1862-1920)
底本:縮刷涙香集第二編縮刷『噫無情』
出版:扶桑堂
履歴:大正四年九月十五日印刷,大正四年九月十八日發行,大正七年七月十七日廿二版(實價金壱圓六拾錢)

目次
* 小引
* 一 一人の旅人りよじん
* 二 其家をのぞき初めた
* 三 高僧と前科者
* 四 銀の皿、銀の燭臺
* 五 神の心と云ふ者だ
* 六 寢臺ねだいの上に起直り
* 七 社會の罪
* 八 恍として見惚みとれた
* 九 恐る可き分岐點
* 十 愚と云はふか、不幸と云はふか
* 十一 ひどいなア、ひどいなア
* 十二 華子
* 十三 小雪
* 十四 斑井まだらゐ父老ふらう
* 十五 蛇兵太じやびやうた
* 十六 星部ほしべ父老ふらう
* 十七 死でも此御恩は
* 十八 夫がなくて兒供が
* 十九 責道具
* 二十 畜生道に落ちた
* 二十一 警察署
* 二十二 市長と華子
* 二十三 運命の網
* 二十四 本統の戎瓦戎ぢやん、ばるぢやん
* 二十五 不思議な次第
* 二十六 難場の中の難場
* 二十七 永久の火
* 二十八 天國の惡魔、地獄の天人
* 二十九 運命の手
* 三十 聞けば兒守歌である
* 三十一 重懲役終身に
* 三十二 合議室
* 三十三 傍聽席 一
* 三十四 傍聽席 二
* 三十五 傍聽席 三
* 三十六 傍聽席 四
* 三十七 傍聽席 五
* 三十八 市長の就縛 一
* 三十九 市長の就縛 二
* 四十 市長の就縛 三
* 四十一 入獄と逃亡 一
* 四十二 入獄と逃亡 二
* 四十三 むかし話
* 四十四 再度の捕縛、再度の入獄
* 四十五 獄中の苦役
* 四十六 老囚人の最後
* 四十七 X節クリスマスの夜 一
* 四十八 X節クリスマスの夜 二
* 四十九 X節クリスマスの夜 三
* 五十 X節クリスマスの夜 四
* 五十一 X節クリスマスの夜 五
* 五十二 X節クリスマスの夜 六
* 五十三 X節クリスマスの夜 七
* 五十四 客と亭主 一
* 五十五 客と亭主 二
* 五十六 客と亭主 三
* 五十七 も此老人は何者
* 五十八 隱れ家 一
* 五十九 隱れ家 二
* 六十 隱れ家 三
* 六十一 隱れ家 四
* 六十二 落人おちうど
* 六十三 落人おちうど
* 六十四 何物の屋敷 一
* 六十五 何物の屋敷 二
* 六十六 尼寺 一
* 六十七 尼院 二
* 六十八 尼院 三
* 六十九 尼院 四
* 七十 本田圓ほんだまるし
* 七十一 父と子
* 七十二 本田守安 一
* 七十三 本田守安 二
* 七十四 ABCアーベーセーの友
* 七十五 第一、第二の仕事
* 七十六 異樣な先客
* 七十七 青年の富
* 七十八 公園の邂逅めぐりあひ
* 七十九 白翁はくおう黒姫くろひめ
* 八十 白翁と黒姫 二
* 八十一 白翁と黒姫 三
* 八十二 白翁と黒姫 四
* 八十三 神聖な役目
* 八十四 四國兼帶の人 一
* 八十五 四國兼帶の人 二
* 八十六 四國兼帶の人 三
* 八十七 四國兼帶の人 四
* 八十八 四國兼帶の人 五
* 八十九 四國兼帶の人 六
* 九十 四國兼帶の人 七
* 九十一 四國兼帶の人 八
* 九十二 四國兼帶の人 九
* 九十三 陷穽おとしあな
* 九十四 陷穽おとしあな
* 九十五 陷穽おとしあな
* 九十六 陷穽おとしあな
* 九十七 陷穽おとしあな
* 九十八 陷穽おとしあな
* 九十九 陷穽おとしあな
* 百 陷穽おとしあな
* 百一 陷穽おとしあな
* 百二 町の子
* 百三 十七八の娘
* 百四 私しと一緒
* 百五 愛 一
* 百六 愛 二
* 百七 愛 三
* 百八 庭の人影 一
* 百九 庭の人影 二
* 百十 庭の人影 三
* 百十一 愛の天國
* 百十二 無慘
* 百十三 千八百三十二年
* 百十四 容子ありげ
* 百十五 疣子と手鳴田
* 百十六 家はからである
* 百十七 死場所が出來た
* 百十八 一揆軍 一
* 百十九 一揆軍 二
* 百二十 軍中雜記 一
* 百二十 軍中雜記 一
* 百二十 軍中雜記 一
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十一 軍中雜記 二
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十二 軍中雜記 三
* 百二十三 軍中雜記 四
* 百二十四 軍中雜記 五
* 百二十五 軍中雜記 六
* 百二十六 軍中雜記 七
* 百二十七 軍中雜記 八
* 百二十七 軍中雜記 八
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十八 軍中雜記 九
* 百二十九 蛇兵太の最後
* 百三十 守安の最後
* 百三十一 エンジラの最後
* 百三十二 堡壘の最後
* 百三十三 哀れ戎瓦戎 一
* 百三十四 哀れ戎瓦戎 二
* 百三十五 哀れ戎瓦戎 三
* 百三十六 哀れ戎瓦戎 四
* 百三十七 哀れ戎瓦戎 五
* 百三十八 哀れ戎瓦戎 六
* 百三十九 哀れ戎瓦戎 七
* 百四十 哀れ戎瓦戎 八
* 百四十一 哀れ戎瓦戎 九
* 百四十二 哀れ戎瓦戎 十
* 百四十三 哀れ戎瓦戎 十一
* 百四十四 哀れ戎瓦戎 十二
* 百四十五 哀れ戎瓦戎 十三
* 百四十六 哀れ戎瓦戎 十四
* 百四十七 哀れ戎瓦戎 十五
* 百四十八 最後 一
* 百四十九 最後 二
* 百五十 最後 三
* 百五十一 最後 四
* 百五十二 大團圓

噫無情 : 小引

■「噫無情」と題し茲に譯出する小説は、ヸクトル、マリー、ユーゴー先生の傑作『レ、ミゼラブル』なり
■著者ユーゴー先生は多くの人の知れる如く、佛國の多恨多涙の文學者にして又慷慨なる政治家なり、詩、小説、戯曲、論文等に世界的の傑作多し、先生千八百二年に生れ八十四歳の壽を以て千八百八十五年(明治十八年)に死せり
■『レ、ミゼラブル』は先生が國王ル井、ナポレオンの千八百五十年の非常政策の爲に國外に放逐せられ白耳義に流竄せる時に成りしと云へば、即ち五十歳以上の時の作なり、最も成熟せし著作と云ふ可し(先生が初めて文學者として世に著はれしは其十四歳の時に在り)
■「ミゼラブル」ちは、英國にては視るに忍びざる不幸の状態を指すの語なり、佛語にては多く『身の置所も無き人』と云ふ意味に用ゐらる、即ち社會より窘害せられて喪家の犬の如くなる状態に恰當する者の如し、我國の文學者が一般に『哀史』と云ふは孰れの意に取りたるやを知らずと雖も先生が之を作りたる頃の境遇より察すれば前の意よりも後の意に用ひたる者なるが如くに察せらる
■余先頃、ヂュマのモント、クリストーを巌窟王と題せしに或人は巌窟王の音が原音に似たりとて甚だ嘆稱せられたり、余は爾まで深く考へたるに非ざりしを、勿怪の幸ひと云ふ可し、今『レ、ミゼラブル』を『噫無情』と題し、又音の似通ひたりと云ふ人あり、然れども之も爾うまで考へしには非ず、唯だ社會の無上より、一個人が如何に苦めらるゝやを知らしめんとするが原著者の意なりと信じたれば、他に適切なる文字の得難さに斯くは命名したるなり
■原書はユーゴー先生の生存中に幾版をも重ねたれば先生親から幾度も訂せし者と見ゆ、英譯にも數種あり、余の有せる分のみにても四種に及ぶ、猶ほ耳に聞きて未だ手にせざる分も無きに非ず、是等を比較するに、或者は高僧ミリールの傳を初に置き、或る者はヂャン、ヷルヂャンを初めに置きたるが如き最も著るしき相違なり、思ふにミリールは先生が理想とせし人なる可ければ卷首に之を掲ぐるが當然なる可きも、晩年に及び讀者に與ふる感覺の如何に從ひて次章に移したるならんか、余は(新聞紙に掲ぐるには)後者の順序が面白かるべきを信じ、其れに從ふ事としたり
■譯述の體裁は余が今まで譯したる諸書と同く、余が原書を讀て余の自ら感じ得たるが儘を、余の意に從ひて述べ行く者なれば、飜譯と云はんよりも人に聞きたる話をば我が知れる話として人に話すが如き者なり、若し此を讀みて原書に引合せ、以て原書を解讀する力を得んと欲する人あらば失望す可し、斯かる人に對しては、余は切に社友山縣五十雄君の英文研究録を推薦す(内外出版會社の出版にて一册定價二十錢、英米の有名なる作者の詩歌及び短詩を親切に飜譯し註釋したる者なり)
■若し原書を句毎に譯述すれば五百回にも達す可し、少くとも三百回より以下なる能はず、然れども余は成る可く一般の讀者が初めの部分を記憶に存し得る程度を限りとし百五十回乃至二百回以内に譯し終らんことを期す
■ユゴー先生が此書に如何の意を寓したるやは余不肖にして能く知らざるなり、之を學[※;1文字不明。兄?]諸氏に質すに、社會組織の不完全にして一個人が心ならざる境遇に擠陷さるゝを慨したるなりと云ふ人多し、多分は然るなる可し、先生の自ら附記したる小序左の如し
△法律と習慣とを名として、社會の呵責が此文明の眞中に人工の地獄を作り、人の天賦の宿命をば人爲の不運を以て妨ぐることの有る限りは
△現世の三大問題、即ち勞働世界の組織不完全なるに因する男子の墮落、饑渇に因する女子の滅倫、養育の不足の爲の兒童の衰殘、を救ふの方法未だ解釋せられざる限りは
△心の饑渇の爲に衰死する者社會の或部分に存する限りは
△以上を約言して廣き見解に從ひ、世界が貧苦と無學とを作り出す限りは
則ち此種の書は必要無きこと能ばざる也
蓋しル井、ナポレオンが非常政策を發する前、佛國には社會主義の勃興あり、暗に政府及び朝廷を驚かしめたり、先生は是れより先き、文勲を以て貴族に列せられたるも深かく社會黨の運動に同情を寄せ、王黨を脱して共和黨に入り大に畫策する所ありたれば、社會下層の無智と貧困とを制度習慣の罪と爲し、其の如何に凄慘なるやを示さんと欲したる者ならんか、先生が流竄の禍を買ひたるも畢竟は斯る政治上の意見の爲なり、若し我が日本に『レ、ミゼラブル』の一書を飜譯する必要ありとせば、必ずや人力を以て社會に地獄を作り、男子は勞働の爲に健康を損し、女子は饑渇の爲に徳操を失し、到る處に無智と貧苦との災害を存する今の時にこそ在るなれ、唯だ余がユーゴー其人に非ざるを悲しむ可しとす

譯 者 識
噫無情 : 一 一人の旅人りよじん
縮刷 噫無情ジーミゼラブル(前篇)
佛國 ユーゴー先生 著
日本 黒岩涙香 譯
彿国ふらんすの東南端プロボンと云ふ一州にダイン(Digne)と稱する小都會がある
別に名高い土地では無いが、千八百十五年三月一日、彼の怪雄 拿翁なぽれおんがエルバの孤島を脱出ぬけだしてカン(Canes)の港に上陸し、巴里ぱりーの都を指して上つたとき、二日目に一泊した所である、彼れが檄文を印刷したのもこゝ、彼れの忠臣ベルトラン將軍が彼より先に幾度いくたびか忍び來て國情を偵察したのもこゝである
此外に此小都會の多少人に知られて居るのは徳望限り無き高僧 彌里耳みりいる先生が過る十年來土地の教會を管して居る一事である

*   *   *   *   *
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読書ざんまいよせい(053)

◎ 幸徳秋水「社會主義神髄」(05)

     第五章 社會主義の効果

〇說て此に至らば、一團の疑惑は雲の如く、油然として直ちに衆人の心頭を衝て起る者あらん、何ぞや。
〇日く、古來人間の氣力奮揚し、智能練磨し、人格向上することを得る所以は、實に生存の競爭あるが爲めに非ずや。若し萬人衣食の慮る可きなく、富貴の進取すべきなく、賢愚强弱皆な平等の生活に安んぜざる可らずと爲さば、何物か又吾人の競爭を鼓舞せんや。競爭なきの社會には卽ち勤勉なけん、勤勉なきの社會には、卽ち活動進步なけん、活動進步なきの社會は、卽ち停滯、堕落、腐敗あるのみ。社會主義實行の効果は、唯だ如此きに止まらざる乎と。
〇獨り庸衆の、這個の杞憂を抱けるのみならず、碩學スペンサーの如きすら亦日く、『社會主義の制度は總て奴隸制度也』と。ベンジヤミン・キツドも亦大著『ソシアル・エヴオルーシヨン』中に論じて謂らく『個人の生存競爭は、啻に社會あって以來のみならず、實に生物あって以來、常に進步の源たる者也、而も社會主義の目的は全く之を禁絕するに在り』と。而して今の地主資本家に阿媚して自ら利する者あらんとするの徒、亦此種の言說を誇張し、以て社會主義の大勢に抗する唯一の武器と為すもの ゝ如し。
〇夫れ社會主義の為す所にして、果して個人の自由を奪ひ社會の進步を休せしむる彼等の言の如くならん乎、其唾棄すべきや論なし。然れども是れ誤謬也、謬誤にあらずんぱ卽ち讒誣ざんぶ也。
〇思へ所謂生存競爭が社會進化の大動機たるは、豈に彼等の言を待て後ち知らんや。而も古來社會の組織が漸次其狀態を異にするに至るや、之を刺擊し活動せしむる所以の競爭其物も從つて其性質方法を異にせざることを得ず。腕力の競爭が智術の競爭となれるを見よ、個人の競爭が團體・の競爭となれるを見よ、武器の競爭が辯說の競爭となれるを見よ、掠奪の競爭が貿易の競爭となれるを見よ、侵略の競爭が外交の競爭となれるを見よ、生存競爭の性質方法が、常に社會の進化に伴ふて進化せるの迹を見る可らずや。
〇而して見よ、現時の經濟自由競爭が殖產的革命の前後に於て、世界商工の發達に與って大に力ありしことは、予も亦之を疑はず、然れども此等競爭を必耍とせし時代は旣に過ぎ去れり。今や自由競爭は果して何事を意味すとする乎、唯だ少數階級の暴橫に非ずや、多數人類の痛苦に非ずや、貧富の懸隔に非ずや、不斷の恐慌に非ずや、財界の無政府に非ずや。是れ實に社會の進化に益なきのみならず、却って其堕落を長ずる者に非ずや、如此にして吾人は猶ほ共保存を希ふの理由ある乎。
〇太初蠻野の時に於てや、暴力の鬪爭は社會進化の爲めに共唯一の動機たりき、而も今日に於ては直ちに一個の罪悪に非ずや、若し競爭は進步に必耍なるが故に、暴力も之を禁ずるを得ずと言はヾ、誰か其無法を笑はざらんや。今の自由競爭を以て必要となすの愚は實に之に類せずや。
〇且つや眞個の競爭を試む、必ずや先づ競爭者をして平等の地位に立たしめざる可らず、其出發點を同じくせしめざる可らず。而も今の競爭や如何、一は生れながらにして富貴也、衣食足り敎育足り、加ふるに父祖の讓與せる地位と信用と資產とを以てす、他は貧賤の子也、凍餒とうだい窮苦の中に長じ、敎育なく資產なく、地位なく信用なし、有る所は唯だ赤條々の五尺軀のみ。而して此兩者を直ちに競爭場裡に投じて長短を較せしむ。而して其勝敗の決を見て喝采して日く、是優勝劣敗也と、是れ豈に殘酷なる虐待に非ずや、何ぞ競爭たるに在らんや。
〇然り今の自由競爭や、決して眞個公平の競爭に非ざる也、今の禍福や決して勤惰の應報に非ざる也、今の成敗や決して智愚の結果に非ざる也。運命のみ、偶然のみ、富籤を引くと一般のみ。
〇否な所謂自由競爭の不公なるのみならず、此等不公の競爭すらも、今や殆ど之を試むるの餘地なきに至らんとす。見よ、世界產業の大部は旣に偶然を僥倖せる資本家の獨占となれるに非ずや、世界土地の大部は、旣に運命の恩籠ある大地主の兼併に歸せるに非ずや、而して資本を有せざる者及び土地を有せざる者は、唯だ彼等の奴隸たるの外なきに至れるに非ずや。然り自由競爭の名は美也、而も事實に於て經濟的競爭は竟に其迹を絶たずんば已まず。豈に特に社會主義の之を廢絕することを待たんや。
〇於是乎生存競爭の性質方法は、更に一段の進化を經ざることを得ず。社會主義は實に這個進化の理法を信じて、社會全體をして此理法に從はしめんと欲す。然り現時卑陋の競爭を變じて高尙の競爭たらしめんと欲す、不公の競爭を變じて正義の競爭たらしめんと欲す。換言すれば卽ち衣食の競爭を去て、智德の競爭を現ぜんと欲する也。
〇試みに思へ、人生の進步向上にして、單に激烈なる衣食の競爭の結果なりとせん乎、古來高材逸足の士は必ず社會最下府の窮民中に出づべきの理也。而も事實は之に反す、人物が多く富貴の家に生ぜざると同時に、極貧者の中に出づること亦甚だ稀なるに非ずや。他なし富貴の階級や、常に侫娼阿諛ねいびあゆの爲めに圍繞せられて、志驕り氣餒ゑ、徒らに快樂の奴となり、窮乏の民や終生衣食の爲めに遑々として、唯だ飢凍に免る、に急なれば也。
〇然り高尙なる品性と偉大の事業とは、決して社會貧富の兩極端に在らずして、常に中間の一階級より生ずる者也。彼れ夫れ資財ありと雖も未だ彼等を厲敗せしむるに足らず、勤勞を要すと雖も、未だ彼等を困倦こんけんせしむるに至らず、猶ほ其智能を磨くの餘裕有り、心氣を奮ふの機會多ければ也。見よ封建の時に於て武士の一階級が其品性の尤も高尙に、氣カの尤も旺盛に、道義の能く維持せられたる所以の者は、實に彼等が衣食の爲めに其心を勞するなくして、一に名譽、 道德、眞理、技能の爲めに勤勉競爭するの餘裕機會を有せしが爲めに非ずや。若し彼等にして初めより衣食のために競爭せざる可らざらん乎、直ちに當時の『素町人根性』に隨落し去らんのみ、豈に所謂『日本武士道』の光榮を擔ふことを得んや。
〇基督は富人を嚴責するに、其天國に入り難きを以てし、貧しき者は幸福なりと日へり。然れども知らざる可らザ、當時の猶太の貧民は、漁農を務め、エ獎を勵み、以て獨立の生を營めるの中等民族にして、決して今日多數の賃銀的奴隸と同視すべきに非ざることを。而して社會を擧げて是等中等民族と為さんとするは、是れ社會主義の目的とする所に非ずや。
〇爰に人あり、雇主の叱陀を恐るゝが爲めに非ず、財貨の報酬を望むに非ず、唯だ工作を愛するが爲めに建築に從事すとせよ、唯だ神來に乘じて其大筆を揮洒こんしやすとせよ。彼等の藝術は如何に其眞を得、善を得、美なるを得べきぞや。其他幽奧なる哲理の探討や、精緻なる科學の硏究や、如此にして始めて大に其光修を放つべきに非ずや。
〇更に一面より見る、現時社會の陵落と罪惡の大半は實に衣食の匮乏に因す、金錢の競爭に因す。家庭の平和も之が爲めに害せられ、婦人の節操も之が爲めに汚され、士人の名讐も之が爲めに損せられ、而して一國一社會の風敎、道德之が爲めに壞敗せらる。見よ現時我國監獄の囚徒七萬人、而して其罪狀の七割は實に財貨に關する者也といふに非ずや。古人言ひ得て佳し、『金が敵の世の中』なりと。若し世に金銭の競爭なかりせば、社會人心は如何に純潔なる可りしぞ、少くも今の罪惡は其大半を掃蕩す可きに非ずや。而して能く吾人の爲めに、金銭てふ怨敵を滅絶し、衣食競爭の蠻域を脫せしむる者は社會主義に非ずや。ウィリアム・モリスは日く『人が財貨の爲めに心を勞するなきに至るも、技費 萬有、戀愛等は、人生に與ふるに趣味と活動とを以てす可し』と。是等の趣味と活動は、吾人の爲めに更に正義高尙なる自由競爭を開始して、以て社會の進化を促進するを得ん也。
〇言ふこと勿れ、衣食の慮る可きなくんば、人は勤勉することなけんと。人の勤勉を促す者、豈に唯だ財貨のみならんや、人間の性情は未だ如此く汚下ならざる也。見よ彼の深山大海の探險や、學術上の發明や、文學美術の大作や、共他各々好む所に從ひ適する所に向って其技能を試むるに當つてや、心中獨り自ら愉悅に堪へざるもの無くんばあらず。况んや之に加ふるに多大の名譽光榮の酬ゆるありとせば誰か欣然として共勤勞に服せざる者らんや。少年の學生が孜々として學ぶ者は、決して衣食の爲めにするに非ざる也、兵士の奮躍して死に趨くは、決して衣食の爲めにするに非ざる也。
〇現時勞働者の大抵勤勞を厭ふて、動もすれば安逸を貪るの狀あるは、予も亦之を認む、然れども是れ豈に彼等の罪ならんや。夫れ演劇を觀、角觝かくていを樂む者と雖も、其長きに及べば卽ち倦怠を感ず。况んや悪衣惡食にして、一日十數時間の勤勞に服す、以て少壯より老衰に至る、何の希望なく、何の變化なく、何の娛樂なし。而して其事業や必しも共好む所に非ざる也、唯だ衣食の爲めに驅らるゝのみ。而して彼等が勤勞の功果や、共大部は卽ち他人の爲めに掠奪せられて彼等は僅に其生命を支ふるに過ぎざるに非ずや。之を如何ぞ疲勞厭倦せざることを得んや。然り今の勞働者が衣食の爲めに驅らるゝや、牛馬の如し、彼等の心身は旣に共鞭笞に堪へざるに至れり。彼等が懶惰を以て其樂園と爲すに至れる者、一に現時社會組織の弊害之を致せるのみ。
〇夫れ人は其勤勞の長きに堪へざるが如く、亦逸豫の長きに堪へず。試みに今日の勞働者に向つて、汝の衣食は給せらるべし、汝是より勤勞を要せずと言はヾ、彼等は初め喜んで其情眠を貪らん。而も如此き者數日ならしめよ、十數日ならしめよ、數月ならしめよ、彼等は漸く其徒然無為に飽きて、必ずや多少の事業を求むるに至るや明らか也。
〇故に社會主義制度の下に處して、衣食あり、休息あり、娛樂あり、而して後ち其好む所、適する所に從って、一日三四時乃至四五時、其强健の心身を勞して社會に奉ずるが如きは、却って是
れ一種の滿足あらんぱあらず。苟くも人心ある者誰か敢て避躱ひたいせんや。『勞働の神聖』てふ語は、於是て初めて意義あることを得ん也。
〇若し夫れ社會主義を以て個人の自由を沒却すといふに至っては、妄之より甚しきは莫し。予は先づ此言を為すの人に向って反問せん。現時果して所謂個人の自由なる者ありやと。
〇宗敎の自由は之れ有らん、政治の自由は之れ有らん、而も宗敎の自由や、政治の自由や、凍餒とうだいの人に在ては、一個の空名に過ぎざるに非ずや。所詮經濟の自由は總ての自由の要件也、衣食の自由は總ての自由の樞軸也、而して今果して之れ有る乎。
〇米國勞働者同盟第十三囘大會に於けるヘンリー・ロイドの演說の一節は、答へ得て痛切也、日く『米國獨立の宣言や、昨日は自治(セルフ・ガバーンメント)を意味せりき、今日は卽ち自業(セルフ・エンブロイメント)を意味す。眞個の自治は卽ち自業ならざる可らず。……而も今や勞働者が其爲す可き所を爲し得ず、其耍する所を與へられざるは、滔々皆な然らざるなし。勞働者は勞働の八時間ならんことを欲す、而も彼等は十時間、十四時間、十八時間の勞働に服せざる可らず。彼等は其子女を學校に選らんと欲す、而も却て之を工場に送らざる可らず。彼等は其妻の家庭を治めんことを欲す。而も却て之を機器車輪の下に投ぜざるを得ず。彼等は病で靜養を欲するの時、猶ほ勞働せざることを得ず、勞働を欲するの時却て解雇の爲めに失業せざることを得ず。彼等は職業を乞ふて得ざる也、彼等は公平の分配を得ざる也。彼等は他人の私慾若くば野望の爲めに、彼等自身の、彼等の妻の、彼等の子女の、四肢體軀、健康、生命すらも犧牲に供せざることを得ず』と。豈に獨り工場の勞働者のみならんや、今の世に處して生產機關を有せざる者は、其生活の不安にして苦痛なる、皆な然らざるなし、而も彼等は呼で日く自由競爭也、自由契約也と。是れ强制の競爭のみ、是れ壓抑の契約のみ、何の自由か之れ有らん。
〇社會主義の主張する所は、實に這個の强制を位せしめんとするに在り、這個の庶抑を免れしめんとするに在り。一八九一年エルフルト大會に於ける獨逸社會民主黨の宣言書の一節は日く『這個社會的革命は、特に勞働者の解放エマンシペーシヨンのみならず、實に現時社會制度の下に苦惱せる人類全體の解放を意味す』と。思へ社會主義一たび實行せられて、天下の雇主の爲めに驅使せらるゝの被雇者なく、權威に席抑せらるゝの學者なく、金錢に束縛さる、の天才なく、財貨の爲めに結婚するの婦人なく、貧窮の爲めに就學せざるの兒童なきに至らば、個人的品性の向上せられ、其技能の修練せられ、其自由の伸張せらる、は果して如何ぞや。
〇ミルは日く『共產主義に於ける檢束は、多數人類に取て、現時の狀態に比して、明かに自由なる者あらん』と。彼の所謂共産主義は卽ち今の社會主義を意味する者也。
〇然り宗敎革命は吾人の爲めに信仰の桎梏しつこくを撤したりき、佛國革命は吾人の爲めに政治の束縛を免れしめき。而して更に吾人の爲めに衣食の桎梏、 經濟の束縛を脫せしむる者は、果して何の革命ぞや。エンゲルは卽ち社會主義を稱して日く、『是れ人間が必要ネセンシチー王國キングドムより一躍、自由の王國に上進する者也』と。
〇夫れ唯だ『自由の王國』也。是を以て社會主義は國家の保護干渉に賴る者に非ざる也。少數階級の慈善恩惠に待つ者に非ざる也。其國家や人類全體の國家也、其政治や人類全體の政治也。社會主義は一面に於て實に民主主義デモクラシーたる也、自治の制たる也。
〇今の國家や唯だ資本を代表す、唯だ土地を代表す、唯だ武器を代表す。今の國家は唯だ之を所有せる地主、資本家、貴族、軍人の利益の爲めに存するのみ。人類全僚の平和、進步、幸福の爲めに存するに非ざる也。若し國家の職分をして如此きに止まらしめば、社會主義は實に現時の所謂『國家』の權力を減殺するを以て、其第一着の事業と為さざる可らず。然り封建の時に於ては人類、人類を支配したりき、今の經濟側度の下に於ては、財貨、人類を支配せり、社會主義の社會に在ては、實に人類をして財貨を支配せしめんと要す、人類全體をして萬物の主たらしめんと要す。豈に奴隸の制ならんや、豈に個人を沒却する者ならんや。否人生は此如にして初めて其眞價を發揚す可きに非ずや。
〇社會主義は、現時國家の權力を承認せざるのみならず、更に極力軍備と戰爭とを排斥す。夫れ軍備と戰爭とは、今の所謂『國家』が資本家制度を支持する所以の堅城鐡壁とする所にして、多數人類は之が爲めに多大の犧牲を誅求ちうきうせらる。今や世界の諸强國は軍備の爲めに、實に二百七十億弗の國債を起し、而して單に之が利息のみにして、常に三百萬人以上の勞働を要すといふに非ずや。加之幾十萬の壮丁は常に兵役に服し、殺人の抜を習ふて無用の勞苦を曾めざる可らず。獨逸の如き、壯丁の多數は皆な兵士として徴集せられ、田野に礬する者は、半白の老人若くば婦女のみなりといふ。嗚呼是れ何等の悲慘ぞや。況んや一朝戰爭の破裂に會ふや、幾億の財帑をついやし、幾千の人命を損して、國家社會の瘡痍永く癒ることを得ず、あます所は唯だ少數軍人の功名と、投機師の利益のみ。人類の災厄罪過豈に之に過ぐる者あらんや。
〇若し世界萬邦、地主資本家の階級存するなく、貿易市場の競爭なく、財富の生産饒多にして、其分配公平なるを得、人々各其生を樂しむに至らば、誰が爲めにか軍備を擴張し、誰が爲めにか戰爭を為すの要あらんや。是等悲慘なる災厄罪過は爲めに一掃せられて、四海兄弟の理想は於是乎始めて實現せらる、を得可き也。社會主義は一面に於て民主主義たると同時に、他面に於て偉大なる世界平和の主義を意味す。
〇故に予は玆に再言す。社會主義を以て競爭を廢止する者となすこと勿れ、社會主義は衣食の競爭を廢止す、而も是れ更に高尙なる智德の競爭を開始せしわんが爲めのみ。勤勉活動を沮礙そがいすと云ふこと勿れ、社會主義の除去せんとするは、勤勉活動にあらずして人生の苦惱悲慘のみ。個人を沒却すといふこと勿れ、社會主義は却って萬人の爲めに經濟の桂梏を脫却して、十分に其個性を發展せしめんと欲するに非ずや。奴隷制度なりと云ふこと勿れ、社會主義の國家は階級的國家に非ずして、平等の社會也、 專制的國家に非ずして博愛の社會也、人民全體の協同の組織を為して、以て地方より國家に及び、以て國家より世界に及び、四海平和の惠福を享受せんとする者に非ずや。
〇果して能く如此しとせぱ、誰か又社會主義的制度の下に在て、人間品性の向上、道德の作興、學藝の發達、社會の進步が今日に比して更に幾曆倍なるを疑ふ者ぞ。
   議事者。 身在事外。 宜悉利害之情。
   任事者。 身居事中。 當忘利害之慮。
[編者注:典拠は、菜根譚 前集百七十四項 読み下し、ことを議するものは、を事のそとりて、よろしく利害りがいじょうつくすべし。事ににんずる者は、身を事の中にりて、まさに利害のおもんぱかりをわするべし。(物事は始まるまでは多面的に考え付くし、いざ実行する段になれば、あれこれ考えずにひたすら行動しなさい。)]

南総里見八犬伝(005)

南総里見八犬伝巻之二第四回
東都 曲亭主人 編次
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白箸河しらはしがはつりして義実よしざね義士ぎしにあふ」「里見よしさね」「堀内貞行」「杉倉氏元」\「金碗かなまり孝吉たかよしよる里人さとひとをあつむ」「金まり八郎」

小湊こみなと義實義よしさねぎあつ
笆內かきのうち孝吉讐たかよしあたふ。

卻說義實主從かくてよしさねしゆうじゆうは、こゝの池、彼川かしこのかはと、ふちをたづね、たちて、みちよりみちに日をくらせば、白濱しらはま旅宿りよしゆくへかへらず、ゆき〳〵て長狹郡ながさのこふり自箸河しらはしかは涉獵あさるほどに、はや三日にぞなりにける。日數ひかずもけふを限りと思へば、こゝろしきり焦燥いらだつのみ、えものことにありながら、小鯽こふなに等しきこひだにも、はりにかゝるはたえてなし。千劒振神ちはやふるかみに、彥火々出見尊ひこほほでみのみことこそ、うせにしはりもとめつゝ、海龍宮わたつみに遊び給ひけれ。又浦嶋うらしまの子は堅魚釣かつをつり、鯛釣たひつりかねて七日まで、家にもずてあさりけん、ためしに今も引く絲の、みだれ苦しき主從は、思はずもおもてをあはして、齊一嗟嘆ひとしくさたんしたりけり。
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