中井正一「土曜日」巻頭言(09)

◎秩序が万人のものとなる闘いそれが人間である ー九三六年十一月二十日

 ある哲学者は、自分の存在を、自分で否定できること、例えば自殺することができること、これが人間が存在それみずからよりも優れた自由をもっている証拠だという。
 それが、石やら、星やら、動物よりも、人間がすぐれている証拠だといおうとする。
 そのことはとんでもない間違いである。
 自分が自分で死ぬことは、人間の闘いとったみずからの秩序に、暴力を奮って、それを破壊して土とか、水とかの秩序に還すことである。
 それは決して、人間の誇りではない。
 人間の誇りは、死を賭して、破滅をも賭して、人間の秩序が万人のものとなる創造への厳かな闘いを挑むことの中にあるのである。ダダ的な単なる破滅への戯れ、似而非抑的な無への落着、「地の涯」的な虚無への感激、フランコ的な存在そのものへの火遊び、ただそれだけでは秩序へのいたずらなる暴力である。
 しかし、また行動のないただ秩序の認識、図式的な歴史の推移の見透しと見極めだけでは、それがいかに賢明であっても、それがいかに的確であっても、ただそれだけでは秩序のいたすらなる無力である。
 秩序の正しい認識の下に、しかも欠乏に差し出す嬰児の学のような、直截な無邪気をもって、命を賭けた秩序が万人のものとなる創造への闘い、この闘いの中に、一個の人問の意味のすべてが含まれているのである。
 新たなヒューマニズムは、命をかけていることの感じの中に在るのでもなく、また単なる合理の誇りでもない。
 合理が万人のものとなることに向かって、自由に向かって、存在そのものをかけている關い、この存在みずからの賭けられた存在、命をかけた命、この中にヒューマニズムの意味があるのである。
 しかもこの合理に向かって存在をかける闘いは、幾万年の人間の闘いの勝利を教えてくれた方法である。
 合理が万人のものとなることが、弓矢と武器を獲ることよりも、もっと近道であり、困雄でもある、最も急を要する大切なことであることを知らせてくれたのも、この闘いの幾万年の教訓である。
 私たちは週末の一日をこの幾十万年の人間の誇りを顧ることに皆そうではないか。

中井正一「土曜日」巻頭言(08)

◎人間の最後への勝利への信頼が必要である ー九三六年十一月五日

 水がすき間があれば常に低いところに降りるように、自然は噓をついたことはない。
 人間はこの噓のない自然の現象に副って、みずからを処してゆ.くほかはないのである。そして、自然と闘い、人間みずからの生活を合理化してゆくこと、それが生きてゆくということである。生活みずからにも人間は噓はつけないのである。噓をついたところで、足下から、それははげてゆくのである。
 何故なら自然と人間との戦いは切実であって、噓を許さないし、噓をつけば人間は直ぐみずからを傷つけずにいないのである。
 噓はすぐ傷となってあらわれる。
 小さい傷なら、噓は噓をもって覆える。しかし、そのことによつて傷はそのロをより大きく開く。
 覆うべくもない傷口となって万人の前に横たわるのである。
 噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。
 万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。
 そのとき、人間はまともに自然に向かう戦いに参加することができるのである。そして、実に数百万年を勝ってきた人間の勝利の戦列に加わることができるのである。
 人間のなした過失が二千年つづいたといって、嘘を二千年いわれつづけたといって、地球を支えるアトラスのように、すべてを支えてきた人間たちは希望を失いはしない。
 人間の祖先の親しむべき人たちは数万年をどしやぶりの雨の中に、数十万年を氷河の中にみずからの生活を守りつづけてきたのである。そしてそれを正しく守りつづけたからこそ、ここに存在したのである。
 今ここに人間がいることは、希望を失い、自棄に堕ちるには余りにも切実であり、真実への闘いの結果なのである。
 結晶がその噓のない秩序を宇宙の前に誇るように、人間はその秩序を宇宙の前に築きあげつつあるのである。

編者注】
 嘘・虚偽が、特に「政治」や「ビジネス」の世界で、まかり通る世の中なれど、長いスパンでみると、「真実」が優ると信じる他ないのだろう。「噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。」
 先日、医療生協の地域でのまとめ役だった、S さんが亡くなった。嘘のない人柄は誰からも好かれていた。十年以上まえになるだろうか、母の日を前に、カーネーションのギフト券を、「お母さんへのプレゼントに使いよし。」と進呈したことがあった。彼は、そのままその券を、母親に手渡したそうだ。「花を買ってから、それを渡すもんや!」と思ったが、彼らしい率直さの現れだったかもしれない。最晩年は、幾たびかは、意にそぐわないことも多かったと推測するが 彼の誠実な人生を思い、心から悼む。

 図は、「土曜日」の3度目の表紙。

木下杢太郎「百花譜百選」より(017)

◎46 ひゝらぎもくせい 柊木犀

昭和十八年十月廿二日
天平の仏像に関して稿を起す。Dematiaceae (注 黒色真菌)に属する病原菌に関する論文を閲す。小川太一郎氏の成層圏飛行の講演を聴く。

Wikipedia ヒイラギモクセイ

付】「市街を散歩する人の心持」「荒庭の観察者より」

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正岡子規スケッチ帖(014)

八月四日

①翠菊 エゾキク
伊予松山ニテハ江戸菊
又ハ「タイメンギク」トイフ
又「タイミンギク」(大明菊カ)トモイフ
仙台辺ニテハ朝鮮菊トイフトゾ

②同日夕刻
石竹《セキチク》

中井正一「土曜日」巻頭言(06)

◎ポーズに気づいた瞬間に行動は空虚になる ー九三六年九月十九日

 みっちりしたボー卜の練習をしているとき、漕いでいる者がフト岸を気にし出したとき、敏感な舵手にはそれがわかるものである。
 自分のフォームを人が見ていると思い、また見せようと思った瞬間、一本一本水に切り込んでいる櫂先から、スーッと力がさめるように消えてゆくものである。
見てくれ<傍点>のこころ、これでどうだのこころ、こうしているんだよ、のよの字<傍点>。それは切っても切っても流れる水のように、こころの底に溢みくる湿気である。
見てくれ<傍点>のこころはそれがどんなにかすかであっても、マネキン人形のもつ硬さをもっている。それは単なるポーズである。行動はこわばり、止まり、やがて他のものに転換してゆく。とんでもないものに移りゆく。
 このベルトに一端を喰われたら、どんなにもがいても、あせっても、あばれても、それはユックリその道を辿って、マネキンがそうであるように、喰い込まれ、きざまれて、売り物になってゆく。レッテルの貼られた何物かが、その腕から下げられる。
この見てくれの自分のポーズの下をかい潜って、身を翻して、行動みずからの真実の中に拶入することは、チョトやソットの困難ではない。
 自分が未だつかんでいない真実を主張して議論が前のめりになっているとき、周囲の見透しのないのに、見ろ<傍点>と身構えて見るとき、いつもポーズは変装して、こころの底で道化ている。
 ポーズはそれが悪意であるときよりも善意であるときにしのび込んでくる悪戯者である。何故なら賞められる<傍点>ということの中に糜爛剤を落してゆく奴なんだから。
 そしてポーズをなくするということにこだわれば、またニヒリズムのポーズとして、彼はくっついてくるのである。それは人間を行動より奪い取る一つの思想の真空である。
 見ること<傍点>にだけ終始するものは、この見られる<傍点>ことを、気にすることは永遠に断ち切ることができない。嬰児のごとく、卒直に欠乏に泣き欠乏に手をさしのべる行動<傍点>こそが、はじめて嬰児のごとく自然の前に險を閉じ、自然をも万人をもまた彼の前に無限の愛をもって眼を閉じしむるのである。
 われわれの機構の中に何が欠乏しているか、それに卒直に手をさしのばすことは、ポーズに手渡すには余りに厳かな必要である。
『土曜日』はあらゆるポーズを脱るる半日である。

編者注】
 写真は、「土曜日」第34号(昭和12年・1937年6月5日号)に掲載された、淀川長治氏の投稿。この号はさしずめ、映画「失われた地平線」(Wikipedia)特集号のようだ。反ファシズムの「牙城」ともいうべき「土曜日」は、このように多彩な執筆陣を備えていた。淀川長治氏なども、その気骨ある一人である。

 画像の二次利用はご遠慮ください、

中井正一「土曜日」巻頭言(05)

◎どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕こう 1936年9月5日

 ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』の中に忘れられない一つのシーンがある。ミーチャが検事の訊問の後、疲れの後に夢見る場面がある。何処か荒涼たる曠野を旅行しているらしい。霙の中を馬車は走っている。妙に寒い感じである。
 直ぐ近くに小さな村があって、何軒かの真黒な百姓家が見えている。百姓家の大半は焼払われて、ただ焼残った柱だけが突立っていた。村に入ろうとすると道の両側に大勢の女達が並んでいる。みんな瘠せさらばっって妙に赤ちゃけた顔をしている。
 一人の女が手に泣き叫ぶ赤ん坊を抱いている。彼女の乳房はもう乾上って一滴の乳も出ない。赤ん坊は寒さのために土色になった。小さな露出しの掌を差伸ばしながら声を限りにないていた。
 ここで、ミーチャは印象的な問を繰返し出すのである。そして、「いいや、いいや」……「聞かせて呉れ、何故焼出された母親達がああして立っているんだ。何故人間は貧乏なんだ。何故餓鬼は不幸なんだ。何故真裸な野っ原があるんだ。何故あの女達は抱合わないんだ。何故接吻しないんだ。何故喜びの歌を歌わないんだ。何故黒い不幸の為に斯んなに黒くなったのだ。何故餓鬼に乳を飲ませないんだ?」
 彼は心の中で斯ういう事を感じた。自分は愚かな気違じみた訊き方をしている。けれども自分は何してもこういう訊き方をしたいのだ。何うしても訊かねばならないのだ。彼はまた斯うも感じた。今まで一度も経験した事のない感激の中に泣き出したい様な気持にさえなった。そしてもうこれからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく……。
 ドストエフスキーのこんな場面とその感じは、夢よりももっと痛切な現実である。感じだけに立止まればそれは夢である。しかし、人間がみんなでこの不幸の状態に自らを導いたのだと気付いたとき、この不幸を耕す鋤を腕に感じた時、そこに招くが如き新しい光がさし来り、刺す様な現実として醒め来るのである。どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕けばよい。その行動は、この感じと夢が、どんなに困難であるかということと、命を賭ける値ある悦びであるかということを知らしめるであろう。

編者注】
 かろうじて残っていたFacebook ノートより。戦前の良質なドストエフスキー受容がそこにはあると思う。

 この八月に、学生時代の芝居仲間の、F君が亡くなった。能登への地方巡業(「ドサ回り」と称していた)の時、酒を飲み夜遅くまで騒いでいた時、F君がぬっと現れ、「夜は寝るもんや!」と言われたことを今でも鮮明に覚えている。彼のK高校在学中、彼なりに「激動の時」を経験し、大学入学後は学部は違ったが、芝居でも、役づくりに真剣で、彼の生真面目なところが魅力的だった。卒業後、久しぶりに「政治的」な話をしたところ「学生時代のあの頃と変わらんな!」と返してきた。
 自分では、変わったつもりであり、その言葉に一時的には厶ッとしたが、今考えれば褒め言葉だったかもしれない。ありがとう、F君!「これからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく」という自分の心にあるミーチャの思いは変わらないのだよ!

読書ざんまいよせい(050)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(018)
「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」から(続き)

編者より】
 チェーホフの最晩年の三作、「谷間」「僧正」「いいなづけ」は、どれをとっても、珠玉の作品である。
 ただ、前二作は、「いいなづけ」が「希望」の兆しが垣間見られたが、作品は、少しニュアンスが違う。「谷間」では、ロシアの田舎でも、「資本主義的な蓄積」がその開始時期も過ぎ、生産資本として成り立ってゆく時代の人物群像である。その代表である商人ツィブーキン家の次男の嫁、アクシーニアは、本格的な工場経営に乗り出す。その上で、長男の嫁リーバの幼子を、やや悪意を持って死なせてしまう。チェーホフは、その子を毛布にくるんで家路をたどるリーバの描写が物悲しく描いている。「僧正」では、幼い頃に別れた母親が、聖職者になった僧正ピョートルの礼拝の時も、名乗りをあげられない。その時は、ピョートルが、死の床にあった最期の時間に手を握りしめた一瞬であった。二作品で、チェーホフは、未来への展望は、一切語らない。チェーホフ的な「ペーソス」の極地であろうか?
 筆致や人物造形はまったく違うが、バルザックの、前者は、貴族階級の没落をテーマとした「農民」に、後者は、聖職者としての出世が思うようにいかなかった僧侶の寂しい晩年まで描いた「ツールの司祭」にシチュエーションが似ていることが興味深く感じた。

ーーここからーー

 彼は己れの卑劣さの高みから世界を見おろした。

 ――君の許嫁は美人だなあ!
 ――いやなに、僕の眼にはどんな女も同じことさ。

 彼は二十万円の富籤をつづけざまに二度抽き当てることを夢想していた。二十万ではどうも少ないような気がするので。

 Nは退職した四等官。田舎に住んで、齢は六十六である。教養があり、自由主義で、読書も好きなら議論も好きだ。彼は客の口から、新任の予審判事のZが片足にはスリッパを片足には長靴を穿いていることや、何とかいう婦人と内縁関係を結んでいることを聞き込む。Nは二六時ちゅうZのことを気にして、あの男は片足だけスリッパを穿いて、他人《ひと》の細君と関係しているそうですな、とのべつに彼の噂話をしている。そのことばかり喋っているうちに、挙句の果には奥さんの寝間へでかけて行くようにさえなる(八年この方なかったことである)。興奮しながら相変らずZの噂をしている。とうとう中気が出て、手足が利かなくなってしまう。みんな興奮の結果である。医者が来る。すると彼をつかまえてZの話をする。医者はZを知っていて、今ではZは両足とも長靴を穿いているし(足がよくなったので)、例の婦人とも結婚したと話す。

 あの世へ行ってから、この世の生活を振り返って「あれは美しい夢だった……」と思いたいものだ。

 地主のNが、家令Zの子供たち――大学生と十七になる娘――を眺めながらこう思う。「あのZの奴は俺の金を贓《くす》ねている。贓ねた金で贅沢な暮しをしている。この学生も娘もそれ位のことは知ってる筈だ。もしまだ知らずにいるのなら、自分たちがちゃんとした風をしていられるのは何故かということを、是非とも知って置くべきだ。」

 彼女は「妥協」という言葉が好きで、よくそれを使う。「私にはとても妥協は出来ませんわ。」……「平行六面体をした板」……。

 世襲名誉公民のオジャブーシキンは、自分の先祖が当然伯爵に叙せられるだけの権利のあったことを、人に納得させようといつも懸命である。

 ――この途にかけちゃ、あの男は犬を食った(通暁しているの意)ものですよ。
 ――まあ、まあ、そんなこと仰しゃっちゃ駄目よ。家のママとても好き嫌いがひどいの。
 ――私、これで三度目の良人《おっと》なのよ。……一番はじめのはイヴァン・マカールィチって名でしたの。……二番目はピョートル……ピョートル……忘れちゃったわ。

 作家グヴォーズヂコフは、自分が大そう有名で、わが名を知らぬ者はないと思っている。S市にやって来て、或る士官と出逢う。士官は彼の手を長いこと握りしめて、さも感激したように彼の顔に見入っている。Gは嬉しくなって、こちらも熱烈に手を握り返す。……やがて士官がこう訊ねる、「あなたの管絃楽団《オーケストラ》は如何ですか? たしかあなたは楽長をしておられましたね?」

 朝。――Nの口髭が紙で巻いてある。

 そこで彼は、自分がどこへ行っても――どんなところへ行っても、停車場の食堂へ行ってさえ尊敬され崇拝されてるような気がしたので、従っていつも微笑を浮べながら食事をした。

 鶏が歌っている。だが彼にはもはや、鶏が歌っているのではなくて、泣いているように聞える。

 一家団欒の席で、大学に行っている息子がJ・J・ルソオを朗読するのを聴きながら、家長のNが心に思う、「だが何と言っても、J・J・ルソオは頸っ玉に金牌をぶら下げちゃいなかったんだ。ところが俺にはこの通りあるわい。」

 Nが、大学に行っている自分の継子を連れて散々に飲み歩いた挙句、淫売宿へ行く。翌る朝、大学生は休暇が終ったので出発する。Nは送って行く。大学生が継父の不品行を咎めてお説教をやり出したので、口論になる。Nがいう、「俺は父親としてお前を呪うぞ。」「僕だってお父さんを呪います。」

 医者なら来て貰う。代診だと呼んで来る。

 N・N・Vは決して誰の意見にも賛成したことがない。――「左様、この天井が白いというのはまあいいとしてもですな、一たい白という色は、現在知られているところではスペクトルの七つの色から成るものです。そこでこの天井の場合でも、七つの色のうちの一つが明るすぎるか暗すぎるかして、きっかり白になってはいないという事も大いにあり得るわけです。私としては、この天井は白いという前に、ちょっと考えて見たいですな。」

 彼はまるで聖像みたいな身振りをする。

 ――君は恋をしていますね。
 ――ええ、まあ幾分。

 何事がもちあがっても彼は言う、「こりゃみんな坊主のせいだ。」

 Fyrzikov.

 Nの夢。外国旅行から帰って来る。ヴェルジボロヴォの税関で、抗弁これ努めたにも拘わらず、妻君に税をかけられる。

 その自由主義者が、上着なしで食事をして、やがて寝室に引き取ったとき、私は彼の背中にズボン吊を認めた。そこで私には、この自由主義を説く俗物が、済度すべからざる町人であることがはっきり分った。

 不信心者で宗教侮蔑者を以て任じているZが、こっそりとお寺の本堂で聖像を拝んでいるところを誰かに見つかった。あとでみんなからさんざん冷やかされた。

 ある劇団の座長に四本煙突の巡洋艦という綽名がついている。もう四度も煙突をくぐった(身代限りをした)ので。

 彼は馬鹿ではない。長いこと熱心に勉強をしたし、大学にもはいっていた。だが書くものを見るとひどい間違いがある。

 ナーヂン伯爵夫人の養女は段々と倹約《しまり》屋になって行った。ひどく内気で、「いいえ」とか「はい」とかしか言えない。手はいつもぶるぶる顫えている。或るとき、やもめ暮らしの県会議長から縁談があって、彼のところへ嫁に行った。やっぱり「はい」と「いいえ」で、良人にびくびくするばかりで、少しも愛情が湧かなかった。或るとき良人がとても大きな咳をしたので、彼女は動顛して、死んでしまった。

 彼女が恋人に甘えて、「ねえ、鳶さん!」

 Perepentiev《ペレペンチェフ》君。

 戯曲。――あなた何か滑稽なことを仰しゃいな。だってもう二十年も一緒に暮らしてるのに、しょっちゅう真面目なお話ばかりなんですもの。あたし真面目なお話は厭々ですわ。

 料理女が法螺を吹く、「ワタチ女《チョ》学校へ行ったのよ(彼女は巻煙草をくわえている)……地球がまんまるな訳だって知ってるわよ。」

 「河船艀舟錨捜索引揚会社」。この会社の代表者が、何かの紀念祭には必ず現われて、N気取りのテーブル・スピーチをやる。そしてきっと食事をして行く。

 超神秘主義。

 僕が金持になったら、ひとつ後宮《ハレム》をこしらえて、裸のよく肥った女どもを入れとくね。尻っぺたを緑色の絵具でべたべた塗り立ててね。

 内気な青年がお客に来て、その晩は泊ることになった。不意に八十ほどの聾の婆さんが灌腸器を持ってはいって来て、彼に灌腸をかけた。彼はそれがこの家のしきたりかと思ったので、大人しくしていた。翌る朝になって、それは婆さんの間違いだと分った。

 姓。Verstak《ヴェルスターク》*.
*長い腰掛。

 人間(百姓)は愚かであればあるほど、その言うことが馬にわかる。

「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」(終了)

正岡子規スケッチ帖(013)

①八月二日
日日草《ニチニチサウ》
②八月三日
瞿麦《くばく》 なでしこ
花売リノ爺ハ之《これ》ヲ
とこなつトイㇷ

読書ざんまいよせい(049)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(017)
「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」から
付き】「可愛い女」「おでこの白い仔犬」雑感

 もとは、松下裕氏の訳書にあるので、孫引きになるが、阿刀田高氏が、「レーニンのある文章で、メンシェヴィキだったかの論敵を揶揄して、「チェーホフの『可愛い女』のように、支配勢力にすり寄ってゆくだろう」と書いている。自分の作品がこんなところで利用されるなんて、草葉の陰でチェーホフもびっくりしたことだろう。また、「可愛い女」=悪女説も根強かったのだろう。でも、昨今を考えれば、KM党首などは、そんな役割なんだと、ふと思いついた次第。

ここから
題材・断想・覚書・断片(01)

 ……何という馬鹿げたことだろう。第一、何という偽善だろう。相手をやりこめて、不愉快な思いをさせるのがその男の目的なら、何もグラノーフスキイ*なんかを持ち出す必要はないではないか。
 私は傷めつけられ散々に侮蔑された感情を抱いて、グリゴーリイ・イヴァーノヴィチの家を後にした。私は美辞麗句や、美辞麗句に隠れる連中に対する憤懣の念で、胸が一ぱいだった。家に帰る途々こう考えた。――或る者は社会を罵り、或る者は俗衆を罵る。過去を讃美し現代を非難して、理想がないなどと喚き立てる。だがそんなことは、二三十年前にもやはり言われたことではないか。それはもう役目を勤め上げて、廃れ物になりつつある紋切型ではないか。そして今日それを繰り返す者は、自分が若さを失って、時代に遅れつつあることを白状することになる。昨年の落葉の中に埋れる者は、昨年の落葉とともに朽ちるのだ。私は考えているうちに、こんな気もしはじめた――今や時勢におくれつつある無教養なわれわれ、喋ることは俗っぽく、考えつくことは陳腐なわれわれは、すっかり黴が生えているのではあるまいか。われわれがインテリ仲間同士で古びた襤褸の山を掻きまわしたり、昔ながらのロシヤ流儀で啀み合いをやったりしているひまに、われわれの周囲には何時の間にか、見も知らぬ別の生活が沸き立っているのではあるまいか。「睡り娘」みたいなわれわれに、やがて突如として大事件が襲いかかるだろう。その時になって諸君は、商人のシードロフだのエレツから出て来た郡立学校の教師だのという、われわれなどより眼も見え知識もひろい人間が、われわれを舞台のずっと後方へ追いやるのを見るだろう。何故なら彼等はわれわれ皆んなを束にしたより働きがあるからだ。また私は思った――私達が互いに啀み合いながら、瞬時も喋々することをやめない言論の自由を、いま突然与えられたとしたら、私達ははじめのうちはその使い途に困るに相違ない。折角のその自由を、互いのスパイ的行為だの財慾だのを新聞紙上で暴露し合うことに濫費するのが落ちではあるまいか。そしてわが国には人間らしい人間も、科学も、文学も、何から何まで一切ありはしないという怖るべき事実を、社会に向って立証するのが落ちではあるまいか。ところでこんな事実を突きつけて社会を慴えあがらせることは、われわれが現にやっていることだし今後もやることだろうが、みすみす社会の勇気を挫くことになるのだ。つまりわれわれは社会的意義も政治的意義も持っておらぬということをはっきり裏書きすることになるのだ。また私は考えた――新しい生活の曙光が射さぬうちに、われわれは縁起でもない老婆や老人になり果てて、その曙光から厭わしげに顔をそむけ、他に率先してその曙光を讒誣中傷するようになるであろう。……
*西欧派の有名な思想家。(一八一三―五五)

 ――ママはしょっちゅう貧乏話ばかりするんです。それがとても変なんです。なぜ変かっていうと、第一私達は貧乏で、乞食みたいに人様の情に縋っているくせに、結構な食事を頂いてますし、こうして大きな邸にいますし、夏には田舎の持村へ避暑をしますし、一向に貧乏人らしくないんですからね。きっとこれは貧乏じゃなくて、何かしら別の、もっと悪いものなんでしょうよ。第二に変なのは、もう十年このかたママは利払いのお金を工面するだけのことに精根涸らしているんです。あれだけの精力があるんなら、それを何かほかのことに使ったら、今じゃこんな家は二十軒ぐらい建っていはしないかと思いますね。第三に変なのは、私達の家の一番つらい仕事はママが背負っていて、私の肩にかからないことです。これが私には一ばん不思議で、気味のわるいことなんです。ママは、今しがたも自分で言ってましたが、ちゃんと考えがあると言うんで、そこらを頼み廻って肩身の狭い思いをしています。借金は日ましに殖えるばかりですが、私は今の今までママの手助けは何一つしないのです。それに、この私に何が出来ましょう。私はいくら考えて見ても、何にも分らないんです。私にはっきり分っていることは唯ひとつ、私達は坂道をぐんぐん降りて行くところだということだけです。先に何があるか――そんなこと誰が知るもんですか。今にも私達は貧乏のどん底に沈みそうだという話ですし、貧乏は恥辱だとかいうことも聞きますが、何しろまだ貧乏をしたことがないので、それも私には分らないんです。

 あの婦人たちの頭の中味は、その顔色や服装と同様に灰いろで色つやがない。彼女達が科学だの文学だの傾向だのといった話をするのは、彼女達が学者や文学者の妻なり姉妹なりだからに過ぎない。彼女達がもし警察署長か歯科医の妻なり姉妹だったら、きっと火事や歯の話を、同様の熱心さでするに相違ない。縁もゆかりもない科学の話を彼女達にさせて置いて、黙って聴いているのは、とりも直さずその無学に阿ることである。

 もともとそんなことは、みんながさつで愚劣なことなんです。詩的な恋愛なんて言ったって、山の上から無意識に落ちてきて人を圧し潰す雪崩みたいな、無意味なものに思えるんです。ところが音楽を聴いていると、そうした一切――つまり何処かの墓の下で睡っている人もあれば、命びろいをして、白髪婆さんになっていま劇場のボックスに収まってる女もある、といったようなことは、安らかで荘厳なことのような気がして、あの雪崩にしろもう無意味なものとは思えないんです、だって大自然の中には、何一つ意味のないものはないんですからね。そして一切は赦されるんです。赦さなけりゃ可笑しいんです。

 古くなって、そろそろ用をしなくなったソファや腰掛や寝椅子を、鄭寧に労わるオリヴ・イヴァーノヴナの様子は、老いぼれた犬や馬に対するときと同じだった。したがって彼女の部屋は、さながら家具の養老院とでもいった風な有様だった。鏡のまわりにも、どの卓子の上にも、どの飾棚の上にも、半ば忘れられた人々の一向に見栄えのしない写真が立ててあって、壁には今まで誰一人として眺めたことのない絵が掛けめぐらしてあった。青い笠をしたランプがたった一つともっているだけなので、部屋の中はいつも暗かった。

 君が「前へ」と叫ぶ時には、前へとはどっちのことなのか、必ずその方角を示し給え。もし方角を示さずに、この言葉で坊さんと革命家とを同時に焚きつけたら、彼等は全くちがった道を進むだろうことを認め給え。

 聖書のなかに、「師父たちよ、爾の子等が心を騒がすな」とあります。身持のわるい出来損いの子等にさえそうせよというのです。ところがうちの坊さんたちは僕をいじめるんです、ひどくいじめるんです。すると朋輩が、いいも悪いもなしにその真似をします。若僧がまたその真似をします。で私は、しょっちゅう結構な言葉で顔をぶたれています。

 叔母さんが心の苦しみを顔色に出さないのを見て、彼はまるで手品のようだと思った。

 O・Iはしょっちゅうそこらを歩き廻っている。ああした女というものは、蜜蜂と同じに、授精力のある花粉を撒いて歩くものである。……

 金持から嫁は貰うな――亭主の方が追い出される。貧乏人から嫁は貰うな――夜もろくろく眠られぬ。同じ貰うなら、自由きままなコサック気質の女を貰え。(ウクライナの諺)

 <ここから太字>アリョーシヤ<ここまで太字> よく世間の人がこう言いますね、「婚礼までが花なのさ。婚礼は――さらば夢よ幻よ! さ」なんて。一たい何という情味のないがさつな言い草でしょう!

 梭魚《かます》の跳ねる水音が好きなうちは、その人は詩人だ。あれは強者が弱者を追う音に他ならぬと知るならば、その人は思想家だ。さて彼が、この追跡にはどんな意味があるか、駆逐によって得られる平衡がなぜ必要なのかを覚らないならば、彼は再び子供の頃のように馬鹿で痴鈍になる。そして物を知れば知るほど、考えれば考えるほど、益〻馬鹿になる。

 <ここから太字>赤ん坊の死<ここまで太字>。やっとこれで一安心と思えば、忽ちまた運命の平手打ちさ!

 神経質で心配性で子煩悩の牝狼が、冬籠りの番人小屋で小犬の「額白《しろ》」を攫った。羊の仔と思い違えをしたのである。彼女はかねがね、そこには牝羊がいて、子どものあることを知っていた。「額白《しろ》」を攫って逃げ出すと、誰か不意に口笛を吹いた。彼女はあわてて小犬を口から取り落したが、小犬は後からついて来た。……無事に窩まで辿りついた。小犬は狼の仔たちと一緒に彼女の乳を吸うようになった。次の冬が近づいても小犬は殆んど変らなかった。ただ少し痩せて、脚が長くなって、額《ぶち》の白い斑がちょうど三角の形になった。牝狼はからだが弱かった。*
*これは短篇『額白《しろ》』(一八九五年)の一部分をかい摘んで述べたもの。

 『額白《しろ》』は、「おでこの白い仔犬」などの題名で、いくつか翻訳されているが、数は意外と少ない。チェーホフの数編ある「児童文学」の一つ。グリムと違って、オオカミもほほえましく描かれている。
そこで、原文(ロシア語)からの、機械翻訳を試みた。比較のために、「沼野充義訳チェーホフ短篇集 集英社」から冒頭部分の引用。

 腹ぺこの母さん狼がむっくりと起き上がりました。狩りに行こうというのです。狼の子供たちは全部で三匹、ひとかたまりになり、お互いに体を温めあって、ぐっすり眠っています。母さんは子供たちをぺろりとなめ回してから、出かけました。

以下、翻訳だが、多少のぎこちなさはあるが、意は通じるので掲載する。

ロシア語タイトル Белолобый(白い額)

お腹を空かせた雌オオカミは狩りに行くために立ち上がった。彼女の子オオカミは3匹とも、体を寄せ合って温め合いながらすやすやと眠っていた。彼女は子オオカミたちを舐めると、出発した。
すでに3月の春だったが、夜になると木々は12月のような寒さでひび割れ、舌を出すのもはばかられるほどだった。雌狼は体調が悪く、疑心暗鬼に陥っていた。ちょっとした物音に身震いし、誰かが自分なしで家の狼を傷つけないか、ずっと考えていた。人や馬の足跡、切り株、積み上げられた薪、そして暗い手入れされた道の匂いが彼女を怯えさせた。暗闇の木々の向こうに人がいて、森の向こうのどこかで犬が吠えているように彼女には思えた。
彼女はもう若くはなく、勘も鈍っていた。そのため、キツネの足跡を犬の足跡と間違えることもあったし、若い頃にはなかったことだが、勘に惑わされて道に迷うことさえあった。健康状態が悪かったため、以前のように子牛や大きな雄羊を狩ることはなくなり、仔馬を連れた馬にはすでに遠く及ばず、腐肉だけを食べていた。新鮮な肉を食べることはめったになく、春に野ウサギに出くわしたとき、子供を連れ去ったとき、子羊のいる納屋に入ったときだけだった。
彼女の巣穴から4メートルほど離れた、街道沿いに冬の家があった。イグナットは70歳くらいの老人で、咳をしながら独り言を言っていた。彼は整備工だったに違いない。停車する前にはいつも、「止まれ、車!」、そして発進する前には 「全開だ!」と叫んでいた。彼と一緒にいたのは、アラプカと名付けられた犬種不明の巨大な黒い犬だった。アラプカが遠くまで走っていくと、彼はアラプカに叫んだ: 「リバース!」。時々彼は歌いながら、激しくよろめき、しばしば転んで(雌狼は風のせいだと思った)叫んだ: 「レールから外れた!」
女狼は、夏と秋に雄羊と2匹のヤルカがウィンターハウスの近くで草を食んでいたことを思い出した。そして今、小屋に近づくにつれ、彼女はもう3月であり、時間から判断して馬小屋には子羊がいるに違いないと気づいた。空腹に苛まれながら、彼女はその子羊をどんなに貪欲に食べるだろうかと考えた。そのような考えが、彼女の歯をカチカチと鳴らし、暗闇の中で目を二つの光のように輝かせた。
イグナートの小屋、納屋、馬小屋、井戸は高い雪の塊に囲まれていた。静かだった。アラプカは納屋の下で寝ていたに違いない。
雌狼は雪渓を登って馬小屋に行き、前足とマズルで藁葺き屋根をかき集め始めた。藁は腐って緩んでいたため、雌狼はもう少しで落ちそうになった。突然、暖かい湯気と糞と羊乳の匂いに顔を打たれた。下界では寒さを感じたのか、子羊が小さく吠えた。穴の中に飛び込んだ雌狼は、前足と胸で柔らかくて暖かいものの上に倒れ込んだ。
彼女は力を振り絞って走り、同時にすでに狼の匂いを嗅ぎつけたアラプカが激しく吠え、小屋では不穏な鶏が鳴き、ポーチに出てきたイグナットが叫んだ:
– 全速力で!笛を吹け!
そして機械のように口笛を吹き、そして……ゴーゴーゴーゴーゴーゴー!……。そしてこの騒音はすべて、森のこだまとなって響き渡った。
少しずつ静まり、雌狼は少し落ち着くと、歯で掴んで雪の中を引きずっていた獲物が、この時期の子羊よりも重く、まるで硬いことに気づき始めた。雌狼は立ち止まり、荷を雪の上に置いて休み、食事を始めた。それは子羊ではなく子犬で、黒く、頭が大きく、足が高く、大型の犬種で、額にはアラプカと同じ白い斑点があった。その様子から察するに、ただの雑種である。アラプカは傷だらけの背中をなめると、何事もなかったかのように尻尾を振り、雌狼に向かって吠えた。彼女は犬のように唸り、彼から逃げ出した。狼は後を追った。彼女は振り返って歯を鳴らした。彼は困惑して立ち止まり、おそらく彼女が自分と遊んでくれていると思ったのだろう、マズルを小屋の方角に伸ばし、まるで母親のアラプカに自分と雌狼と一緒に遊ぼうと誘っているかのように楽しそうに吠えた。
すでに明るくなり、雌狼が鬱蒼としたアスペンの茂みの中を進むと、どのアスペンの木もはっきりと見え、すでにライチョウが目を覚まし、美しい雄鶏が子犬の不注意な跳躍や吠え声に邪魔されてよく鳴いていた。
「どうして私を追いかけてくるの?- と雌狼は腹立たしく思った。- 私に食べてもらいたいに違いない」。
3年前の大嵐のとき、背の高い老松が根こそぎ倒れて穴ができた。穴の底には古葉と苔が生え、骨や牛の角があり、子オオカミたちはそれで遊んでいた。子オオカミたちはすでに目を覚ましており、3匹ともよく似た姿で穴の縁に並んで立ち、尻尾を振って母オオカミの帰りを見つめていた。子犬は3匹を見つけると、少し離れたところで立ち止まり、長い間2匹を見ていた。
太陽はすでに夜が明けて昇り、辺り一面雪が光っていたが、彼はまだ遠くに立って吠え続けていた。仔犬たちは母犬に乳を飲ませ、前足で母犬の痩せた腹に押し込み、母犬は白く乾いた馬の骨をかじっていた。彼女は空腹で、犬の吠え声で頭が痛く、招かれざる客に突進して引き裂いてやりたかった。
とうとう子犬は疲れて声を荒げた。自分が恐れられておらず、注目すらされていないのを見て、彼は狼の子供に近づき、しゃがんだり飛び跳ねたりし始めた。さて、日中になると、彼を見るのは簡単だった……。目は小さく、青く、つぶらで、顔全体の表情は極めて愚かだった。子オオカミに近づくと、前足を大きく伸ばし、マズルを子オオカミの上に置いて、こう言った:
– ムニャ、ムニャ…」。ムニャ、ムニャ…」。
子オオカミたちは何も理解せず、尻尾を振った。それから子犬は前足で狼の子の大きな頭を叩いた。オオカミの子も前足で子犬の頭を殴った。子犬は狼の横に立ち、尻尾を振りながら横目で狼を見た。カラスたちは彼を追いかけ、彼は仰向けに倒れて足を上げた。3羽のカラスが彼に襲いかかり、歓喜の声を上げながら、痛くはないが冗談のように噛み始めた。カラスたちは高い松の木の上に座り、上から彼らの争いを見ていた。騒がしくなり、陽気になった。太陽はすでに春に燃えており、嵐で倒れた松の木の上を時々飛んでいたにわとりたちは、太陽のきらめきに照らされてエメラルド色に見えた。
そして今、子オオカミたちが氷の上で子犬を追いかけ、格闘しているのを見て、雌オオカミは思った:
「そして今、子オオカミが氷の上で子オオカミと追いかけっこをしたり、取っ組み合いをしたりするのを見て、雌オオカミはこう思った。
遊び終わると、子オオカミたちは穴に入って寝た。子犬は少しお腹を空かせ、それから太陽の下で伸びをした。そして目が覚めると、また遊び始めた。
雌狼は一日中、そして夕方になっても、昨夜馬小屋で子羊が鳴いていたこと、そしてそれが羊の乳のにおいがしたことを思い出していた。トカゲは乳を吸い、お腹を空かせた子犬は走り回り、雪の匂いを嗅いだ。
「私が食べよう…」。- 雌狼はそう決めた。
彼女は子犬に近づくと、子犬は彼女のマズルを舐めて鳴いた。以前は犬を食べたこともあったが、その子犬は犬の臭いが強く、弱っていた彼女はその臭いに耐えられなくなった。
日暮れには寒くなった。子犬は寂しくなって家に帰った。
子オオカミが眠りにつくと、雌オオカミは再び狩りに出かけた。前の晩と同じように、彼女はわずかな物音にも警戒し、切り株や薪、暗くて寂しいジュニパーの茂みにおびえた。彼女は道から離れ、氷の上を走った。突然、はるか前方の道路に何か暗いものが光った……。視覚と聴覚を研ぎ澄ますと、確かに何かが歩いている。アナグマだろうか?彼女は用心深く、わずかに呼吸を整え、すべてを脇に置いて、暗い場所を追い越し、振り返って見た。額の白い子犬が冬の家に戻ってきたのだ。
「もう二度と邪魔されたくない」と思った雌狼は、すぐに前へ走った。
しかし小屋はもう間近だった。彼女は再び雪の吹きだまりを登って馬小屋に向かった。昨日の穴はすでに春藁で埋まっており、屋根には新しい足跡が2本伸びていた。雌狼は足と口輪を素早く動かし、子犬が来るかどうか見回したが、温かい湯気と糞尿の臭いがしたかと思うと、後ろから湧き上がるような喜びの吠え声が聞こえた。子犬が戻ってきたのだ。子犬は屋根の上の雌狼に飛びつき、それから穴の中に入り、暖かさの中でくつろぎ、自分の羊を見つけると、さらに大きな声で吠えた……。アラプカは納屋の下で目を覚まし、狼の匂いを嗅ぎつけて吠え、鶏は鳴き、イグナートが単発銃を持ってポーチに現れたときには、怯えた雌狼はすでに小屋から遠く離れていた。
– フユット!- とイグナットが口笛を吹いた。- フユート!全速力で走れ
引き金を引くと銃は誤射し、もう一度引くとまた誤射し、三度目に引くと銃身から大きな火の束が飛び出し、耳をつんざくような「ブー!ブー!」という音がした。彼は肩に激痛を感じ、片手に銃、もう片方の手に斧を持ち、何の音か見に行った……。
しばらくして、彼は小屋に戻った。
– どうしたんだ?- その夜一緒に寝ていて、物音で目を覚ました旅人が、かすれた声で尋ねた。
– なんでもない – イグナートは答えた。- 何でもないよ。私たちのリスフットは、暖かいところで羊と一緒に寝ていたんだ。でも彼はドアの中じゃなくて、屋根の上で寝たいんだ。昨日の夜、屋根を解体して散歩に出かけたんだ。
– バカだ。
– そう、私の脳内の泉が破裂したのだ。死は愚か者を好まない!- イグナートは炊事場に登ってため息をついた。- まあ、まだ起きるには早いし、寝るか……」。
そして朝になると、イグナートはベロロボゴを呼び寄せ、耳のあたりを痛いほど引っ掻いた:
– ドアへ行け!ドアへ行け!ドアへ行け!ドアへ行け!」!

・参考】
ロシア語原文のサイト
・阿刀田高「チェーホフを楽しむために」 新潮社