テキストの快楽(011)その3

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(04)
第一幕 第五場~第二幕 第二場

リヤ王:第一幕 第五場
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第一幕

第五場 同じ處の前庭。

リヤとケントと阿呆と出る。

リヤ
(ケントに)其方は、此書面を持って、予に先き立ち、グロースターまで參れ。 此書中のことを問ふたならば、答へいぢゃが、其餘は其方が存じてをる何等の事をも女兒むすめには知らすまいぞ。 勉強して急いで參らんと、予のはうが先きへ往くぞ。
ケント
御書面をお渡し申しますまでは、休むこッちゃァございません。

ケント入る。

阿呆
もしか人間の腦髓が踵ンとこにあったら、あかぎれりゃァせんかい?
リヤ
れるかも知れん。
阿呆
ぢゃァ、御安心なさましだ、お前だけは緩靴を穿く必要が無いから。
リヤ
はゝゝゝゝゝ!
阿呆
今に見な、お前のもう一人の女兒むすめは、きッと親身らしくしてくれるよ。 何故なら、彼女あれ彼女あれとはだい~(苦林檎)が九年母(林檎)に似てるやうに似てるけれど、 しかしおれにゃ解ってることは解ってらァ。
リヤ
如何どういふことが解ッとるんぢゃ?
阿呆
彼女あれ彼女あれとは同じ味だよ、だい~(苦林檎)がだい~(苦林檎)に似てるやうに。 お前は知るまい、なぜ人の鼻は顏の中央まんなかにあるか?
リヤ
知らんなう。
阿呆
はッて、鼻の兩側を善う見張って、鼻で嗅ぎ出せないことは、目で以て見附ける爲だ。

末女コーディーリャの事を想起して、おのが輕擧を悔むてい

リヤ
(煩悶の思入れ)濟まんことをしたわい彼女あれには。……
阿呆
かき如何どうして貝を造るか、知ってるかいお前。
リヤ
うんにゃ、知らん。
阿呆
おれも知らん。しかしなぜ蝸牛まひ~つぶりが家を有ってるかは知ってらァ。
リヤ
なぜぢゃ?
阿呆
はッて、うぬが頭をしまっとく爲だ。 女兒むすめどもにっちまって角の容場いればをなくするためぢゃァないや。
リヤ
(煩悶して)親の情を棄てゝしまはう。これほどにしてやった父をば! ……馬の支度はどうした?
阿呆
驢馬が何疋も其支度にいってるよ。七つ星の數は、七つしか無いといふ其理由いはれが面白いや。
リヤ
八つとは無いからであらうが。
阿呆
その通り。お前は立派に阿呆になれらァ。
リヤ
(又煩悶して)是非とも取返して!おそろしい恩知らずめ!
阿呆
小父たん、お前がおれの阿呆だったら、おら撲るよ、あんまり早く齡を取ったから。
リヤ
どうして?
阿呆
聰明りこうにもならんうちに、齡を取るやるがあるもんかい!
リヤ
(又煩悶して)おゝ、天よ、氣ちがひにならせて下さるな、氣ちがひに! 正氣にしておいて下され。氣ちがひにはなりたくない、氣ちがひには!

一紳士出る。

どうぢゃ!馬の支度は出來たか?
紳士
出來ましてございます。
リヤ
さァ、來い。
阿呆
觀衆けんぶつに對って)今はしんぞで、おれの引込むのを見て笑ってゐる女子あまツこも、 さう~は處女むすめぢゃゐまいて、物がちょんぎられてしまはぬ以上は。

王を先きに一同入る。

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リヤ王:第二幕 第一場
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第二幕

第一場 グロースター伯の居城。

エドマンドとコーンヲールの家臣キュランとが左右より出て逢ふ。 場所は城内の或建物の前。此建物の内に長子エドガーが隱れてゐるのである。

エドマ
キュランさん、御機嫌よろしう。
キュラ
あんたにも。今お父さんにお目にかゝって、 今夜コーンヲールさまと奧方のリーガンさまとがお成りなされることをお知らせして來ました。
エドマ
如何どうしたといふのでせう?
キュラ
いや、わたしも知りません。世間の噂はお聞きなすったでせう、といふのは窃々こそ~話の事です。 まだほんの耳語みゝこすり程度なんですからね。
エドマ
いゝえ、ねッから(知りません)。どんな事なんで?
キュラ
いくさが始まるらしいといふ噂をお聞きなさらなかったかい、 コーンヲールさまとオルバニーさまとの間に?
エドマ
いゝえ、ちッとも。
キュラ
ぢゃ、今にお聞きなさるでせう。ごきげんよう。

キュラン入る。

エドマ
今夜こゝへ公爵が來る?そいつァうまいや!いよ~うまいや! それもきッと此方こツち爲事しごとの材料になるに相違ない。 兄貴を捕へる爲に、親父はもう、捕手の者を伏せた。 ところで、是非やってのけんけりゃならん煩瑣やゝこし爲事しごとが一つある。 どうか、手取早く、運よく參りますやうにだ!

建物の前に歩みよって

兄さん、一寸ちよいと。降りていらっしゃい!兄さん~!

エドガー出る。

お父さんが見張ってゐます!さ、兄さん、早くお逃げなさい! あなたが此處にゐるといふことが知れたんです!幸ひ、夜だから、都合がよい。 ……若しか貴下あなたはコーンヲール公のことを何か惡く言やァしなかったんですか? こゝへ、今來ますよ、急に此夜中に、リーガンさんも一しょに。 もしか彼人あのひとの肩を持って、オルバニー公のことを何とか言やァしなかったんですか、 考へて御覽なさい。
エドガ
決して、一言も言はない。
エドマ
お父さんが來たやうです。御免なさいよ。謀計はかりごとで、 貴下あなたと切合ふ眞似をしなけりゃならない。 お拔きなさい。一生懸命になって防禦する眞似をなさい。 ……(と二人とも劍を拔いて、斬り合ふ眞似をしながら、大聲で)さ、降參してお父さんの前へお出なさい! ……おいおい、早く火光あかりを~!……(小聲にて)兄さん、早くお逃げなさい! ……(大聲で)把火たいまつ々々!……

エドガー足早に入る。

(小聲で)さよなら。……幾らか血が出てゐた方が手強く戰ったやうに見えるだらう。 (袖をまくりあげて時分で腕に劍を附けながら) 情婦いろをんなへの心中立にこれ以上の事をする醉漢よひどれが幾らもある。 ……(大聲で)お父さん~!こら、まて、こら!……だれか來てくれ、だれか!

グロースターが把火たいまつを持った僕數人と共に急いで出る。

グロー
エドマンドか?奴は何處にゐる?
エドマ
つい今までこゝに立ってゐたんです、昏暗くらやみの中に、拔劍ぬきみを持って、 さうして月に對ッて、願はくば我が爲にとか、何とか、怖ろしい呪文を唱へてゐたんです。
グロー
いやさ、何處にゐると聞くんだ?
エドマ
ねえ、こんなに血が出るんです。
グロー
いや、奴は何處にゐる、エドマンド?
エドマ
此方こツちへ逃げたんですよ、とても、その、駄目だと悟ったもんだから……
グロー
それ、おッかけろ!あとを追へ、あとを。……

しもべ共急いで入る。

エドマ
とてもわたしに貴下あなたを殺させようとしたッても駄目だと悟ったからです。 親殺しの大罪を犯した者は、神さまが雷を落してお罰しなされる、 父に對する子たる者の義務は重大なもんだとわたしが言ひまして、つまり、 如何どうしても兄さんの非道な企に合體しないもんですから、私が油斷してる處へ、 凄じい勢ひで以て突いてかゝって、わたしの二の腕を突刺したんです。 けれども私が奮然として正義の爲に大膽に戰はうとしたのを見なすった爲か、 或ひは大きな聲をしたので怖れてだか、急に逃げッちまひました。
グロー
存分遠く逃げろ。此國にをる限り、引ッ捕へずにおかうか!見附け次第打果してくれる。 おれの大事の御主君公爵どのが、今夜ここへ成らせられる、其御威勢を借りて、 あの非道な卑怯者を搜し出して刑場へれ來る者には謝儀むくいらす、 かくまふ者は死刑に處するといふ布令を出さう。
エドマ
わたしがいろ~と諫言いけんをして、惡心を止めさせようとしましても、 兄さんは惡口雜言を吐いて、改心なさりさうにも見えませんから、 わたしが、それでは告發すると言ひますと、兄さんは「こゝな無財産の妾腹め! おれがきさまを陷れようと思やァ、どれほどきさまに徳があらうと、 信用があらうと、世間ひとが信ずると思ふか?いゝや、おれが否認しようとさへ思やァ ……無論、さうするんだが……さうとも、たとひきさまがおれの自筆を持出したからって、 おれはそれを悉くきさまの誘惑、思ひ附き、わるだくみに由ることにしッちまふ。 おれが死ねァきさまに取ってはおびたゞしい利益になるから、 きさまがそれを望むだらうと世間が想像してゐないと思ふのは、世間を大馬鹿にした話だ」 と、さういふんです。
グロー
おゝ、世にも珍しい、おッそろしい惡漢あくたうめが!あの手紙を、覺えが無いといふか? 彼奴あいつはおれの子ぢゃァ無い。

タケット調の喇叭(行進曲)が聞える。

ありゃ公爵の喇叭ぢゃ!何故ござらっしゃったのか知らん。……あらゆる港を閉ぢさせてしまはうから、 彼奴あいつめ逃れッこは無い。是非公爵にお許可ゆるしを受けう。 且つ又、彼奴あいつ肖像画にがほゑを遠近に送って、全國の者に注意をさせう。 おのしは兄とは全く腹ちがひの孝行者ぢゃ、家督を相續するやうに計らふてくれる。

此時、コーンヲール公爵、同夫人リーガン、及び侍者ら大勢ついて出る。

コーン
どうなすったな!只今こゝへ參ると同時に、竒怪な風説を傳聞うけたまはったが……
リガン
もしそれが事實であるなら、其科人とがにんには何樣どんな嚴罰を課しても尚ほ足らない程です。 え、どうなすったの?
グロー
おゝ、奧方、此胸が張り裂けるやうでござります、此胸が!
リガン
や!では、父上の名附兒が貴下あんたを殺さうとしたのですか? あの父上が名附親におなりなされた、あの兒が?エドガーが?
グロー
おゝ、奧方、奧方、お恥かしうござりますわい!
リガン
もしやエドガーは、父上にお仕へしてゐるの亂暴な武士さむらひ共と交際をしてはゐませなんだか?
グロー
そりゃ存じてをりませんが……あんまりな惡行でござる、あんまりな。
エドマ
(リーガンに)はい、お交際つきあひをしてをりました。
リガン
そんなら不思議は無い、不良になったのも。(コーンヲールに)彼奴あいつらが教唆そゝのかしたんです、 あの老人を殺して其財産をわがものにしようと思って。つい今、姉上からのお使ひで、 彼等武士さむらひ共の事を詳細にお知らせがありました。 若し彼等が寄寓するため、私たちの館へ參るやうなら、それを避けて、わざとゐないことにしたがよい、 といふお心添がございました。
コーン
わしとても居らんはうがよいのだ。……エドマンド、お前は父御に對して、 立派に孝子らしう振舞ふたさうだの。
エドマ
當然な務めを致しましたに過ぎません。
グロー
兄の奸計わるだくみを知らせくれまして、それから彼れを捕へうとて働きまするうちに、 御覽の如き手傷をば受けました。
コーン
追手を出しましたか?
グロー
出しましてござります。
コーン
捕らへさへすれば二度と害をするおそれはあるまい。 わしが力を如何やうにも利用して志望こゝろざしをお遂げなさい。 ……エドマンド、お前の孝順の振舞ひは如何にも感心の至りだから、只今すぐに、 わしの家臣に召抱へる。かういふ忠誠な人物は必要だ。
エドマ
忠義だけはお盡し申しまする、他の事はともかくも。
グロー
れの爲に、お禮を申し上げまする。
コーン
時に、まだ御存じあるまい、何故吾々が參ったかを……
リガン
突然にやみの夜を辿って。グロースターどの、實は重大な理由があって、 是非とも貴下あんたの御助言が承はりたいのです。父からも、姉からも其仲たがひの事情を申し越されたのですが、 それはやしきを離れて返辭をしたはうが適當であるやうに考へましたの、 それ~゛の使ひの者にはこゝで返書を渡す筈になってゐます。グロースターどの、 御心中は察しますが、暫く忍んで、わたしどもの爲にさしせまって入用な忠告こゝろぞへを述べて下さい。
グロー
心得ましてござります。……ようこそ渡らせられました。

喇叭。皆々入る。

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リヤ王:第二幕 第二場
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第二幕

第二場 グロースター伯居城の前。

ケントと、今使者となってやって來たオズワルドとが左右から出る。薄昏うすぐらいい夜明方なので、 ケントをコーンヲール家の者と思ってオズワルドが呼びかける。

オズワ
お早う。お前は此やしきの人かい?
ケント
うん。
オズワ
馬は何處においたらいゝか?
ケント
沼ン中が好いよ。
オズワ
どうか、をしへてくんなよ、深切心があるなら。
ケント
深切心なんざ無い。
オズワ
ぢゃ、きさまにゃァかまはん(さういふ不埒なことをいふなら)。
ケント
へん、かまはんとも言へまいぞ、リプスベリーの獸類欄けだものごやはふり込まれる段となりゃ。
オズワ
なんでそんな無禮を申すか?知合でもないきさまが。
ケント
野郎、おれはきさまを知ってるぞ。
オズワ
おれを何だと思ってゐる?
ケント
はて、惡黨よ、ろくでなしよ、人の食ひあましを有難がって食ふ、卑劣な、高慢な、薄っぺらな、けちな、 三枚著物の、年給たった百ポンドの、毛絲靴下の、ぢゝむさ野郎め!肝玉の小ぽけな、 何かといふと政府おかみ頼みの、下賤な、自惚鏡と睨めくらをする、虚飾家みえぼう、おせっかい、 親讓りの財産といッちゃァかばん一箇ひとつしかない奴隸やつこていのいゝ慶菴をしかねぬ野郎、 惡漢わるものと乞食と臆病者いくぢなし誘拐者かどはかしと小牝犬の惣領息子とを混成ちゃんぽんにしたやうな野郎、 もし斯うならべた名を只の一字だってうでないとぬかしゃァがると、大聲あげて吠えるまで、 撲って~撲ちのめしてくれたい野郎だ。
オズワ
てもまァ、何といふ怪しからん奴だきさまは!知りもせず知られもせん者に對って、 そんな惡體をきをるとは?
ケント
おれを知らん?何といふ鐵面皮奴づう~しいやつきさまは! 王さまの前で足をすくって、きさまをおれが撲りつけたは、まだやっと二日前だ。 さァ、拔け、惡黨!夜中ぢゃァあるが幸ひ月が照ってゐる。きさま材料たねにしておれが名月汁をこさへてくれる。 さ、卑劣な、下賤な、氣取屋め、拔きゃァがれ。

ケントは劍を拔く。

オズワ
えィ、退れ!きさまにゃ用は無い。
ケント
拔け、惡黨!きさまは名聞殿の肩を持って、王樣のお爲にならん書面なぞを持參し、 曲事くせごとを働く奴だ。拔け、惡黨、拔かんと、其脛に切形を附けてくれるぞ! 拔け、惡黨。さァ、突いて來い。
オズワ
助けてくれ!人殺しだ!助けてくれ!

と逃げにかゝるのを遮って

ケント
さ、打って來い、奴隸やつこめ!待て、惡黨、待て。虚飾奴めかしやつこめ、打て!

ケント劍のみねでオズワルドをさん~゛に打擲する。

オズワ
助けてくれ!人殺し!人殺し!

エドマンドが細刄劍レーピヤーひツさげて出る。

エドマ
どうしたんだ!何事が起ったのだ?

と二人を引分ける。

ケント
(怒って)お若いの、お望みなら敵手あひてにならう。さァ、喧嘩の爲方しかたををしへてやる。 さァ、突いて來な。

此時、コーンヲール、リーガン、グロースターを先きに、從僕ら大勢ついて出る。

グロー
武噐を持って?刄物を?どうしたのぢゃ?
コーン
しづまれ、命が惜しいならな!立騷ぐと死刑に處するぞ!どうしたのだ?
リガン
姉上の使ひの者と父上の使者ではないか?
コーン
なぜ爭鬪に及んだのだ?申せ。
オズワ
息がれて物が言へません。
ケント
不思議はないや、おッそろしく勇を揮ったんだからなァ。やい、憶病者、 造化もきさまこさへた記憶おぼえは無いといふだらう。 裁縫師したてやの手で出來た野郎だきさまは。
コーン
竒怪なことを申す奴だ。裁縫師したてやが人間を造るか?
ケント
へい、造ります。石工や繪工ゑかきなら、二時間も職を習やァ、 まさか是れ程拙い人形ひとがたこさへませんや。
リガン
なぜ爭鬪けんくわをしたんぢゃ?
オズワ
此亂暴な老年としよりが、……こやつは先だって胡麻鹽鬚髯ごましほひげに免じまして、 一命を助けつかはしました奴でございますが……
ケント
やい、Z野郎!無くても差支へのない餘計文字野郎!……殿さま、お許可ゆるしさへ出りゃァ、 俺が此赤土野郎を石灰しつくひになるまで、蹈みのめして、それで雪隱の壁を塗ってくれます。 ……胡麻鹽鬚髯ごましほひげにめんじた?此鷦鷯みそさゞいめ!
コーン
默れ!……おのれ、無禮千萬な奴、尊敬といふことを存じをらんか?
ケント
存じてゐます。でも腹の立つ時ァ別です。
コーン
なぜ腹を立ったのだ!
ケント
こんな、面目玉に附けかたも知らないやうな奴が、劍を附けてゐやァがるのが癪にさはりました。 斯うにや~笑ってゐる野郎が、兎角、 釋きほぐすことの出來んほどに善く結ばれてゐる貴い絆をも鼠のやうに咬み切ります。 主人の胸であばれる氣儘我儘を御無理御尤もと撫で附けます。燃え立つ火には油をかけ、 冷い心には雪をかぶせ、否と言ったり、さやうと言ったり、主人の風の手の變るにつれて、 翡翆かはせみのやうに嘴の方向むきを變へます。なンにも知らんで、犬のやうに、 只もう主人の尻にいてあるく奴です。

オズワルドてれかくしに笑ふ。

其癲癇顏てんかんづら止してくれ!おれの言ふ事を聽いて、うぬ、笑やァがるな? おれが幇間たいこもちでゝもあるかのやうに。雁め、汝うぬにセーラムの原で出逢やァ、がァ~いはせて、 キャメロットへひこくってくれように。
コーン
やァ、うぬは、氣でも狂ったか?
グロー
どうして爭論に及んだのぢゃ?それを言へ。
ケント
およそそりの合はないッて、此奴と手前とほどなのはありゃしません。
コーン
此男をなぜ惡黨と呼ぶんだ?
ケント
あの面附つらつきが氣に入りません。
コーン
さういや、予の顏色とても、(グロースターを見返りつゝ)あの仁のとても、又、奧のとても、 そちの氣に入らんかも知れん。
ケント
正直に言ッちまふのが手前の性分です(から、言ひますが)、斯うならんでゐる肩の上に、 今載ッかってゐるどのつらよりも、もう少しァ見ッともいゝのを(今までに)見てゐますよ。
コーン
此奴は、無遠慮なのを襃められたところから、わざと無禮不作法にもてなして、 強ひて性質もちまへでもない言動をよそほふやつと思はれる。 手前は阿諛へつらふことは出來ません、とても……正直に、何の飾りもなく…… 有りの儘の事を言はざるを得んなぞと!世人がそれを容れゝば、よし。咎めれば、 正直一圖だからと言ひぬける。往々にして此類の惡黨がある。 小心翼々として役目を務める世間にありふれた諂諛者ごますり共より、正直を賣物にする斯ういふ奴が、 えて一段と腹黒で、油斷がならんものだ。
ケント
(わざと馬鹿丁寧に)お殿さまへ、えゝ、眞實、誓言にかけまして、恐れながら、みゆるしを蒙りまして、 輝き渡る日の神の御額に渦卷き立つ赫々かく~たる猛火にひとしき……
コーン
何を申す?
ケント
あなたがお嫌ひなさるから、手前の口吻いひかたを變へて見たので。 手前は決して諂諛者ごますりぢゃございません。 無遠慮ぶつきらぼう貴下あなたを騙したとかいふ奴は、 そりゃァ明々白々ぶつきらぼうの惡黨なんでございませう。 手前は貴下あなたの御機嫌が治るからと頼まれても、さういふ惡黨にゃァなりたくありません。
コーン
(オズワルドに)彼れに對して如何どんな不都合をしたのだ?
オズワ
何もいたしゃしません。王樣が、此間、何か誤解遊ばしまして、てまへを御打擲になりました時分に、 此男が、王と御一しょになって、御立腹の後押しりおしをいたして、 てまへの足を背後うしろからすくひました、でてまへがつい倒れますと、 侮辱いたしたり、雜言を吐いたりいたして勇者がりますので、えらさうに見えますると、 王が御稱讚になりました、わざと負けてをりますものを攻撃したい過ぎませんのですが。それから、 其偉い手柄に味をしめて、今日またこゝで拔いたのでございます。
ケント
憶病者の大ほらふき、こいつらに比べりゃァエーヂャックスなんぞァほんの末社だ。
コーン
足枷臺を持って來い!……おのれ、頑固がうじやうな老惡黨め、老莊士め、きッと教へてくれる。
ケント
習ふにゃァ齡を取り過ぎてゐます。足枷臺を取寄せるのァお止しなさい。てまへは王さまの直參で、 お使ひで此方こちらへ參ったのです。お使者を足枷臺に掛けちゃァ、王さまの御身分に對して、 あンまり不作法なお待遇しむけで、失禮過ぎませうぜ。
コーン
足枷臺を取って來い!正午ひるまでは、決して身動きさせるな。
リガン
正午ひるまで!夜までになさい!夜の明けるまでに。
ケント
もし、奧さん、てまへが父御さまの飼犬であったって、さういふ風にお扱ひなすっちゃ濟みますまいぜ。
リガン
飼犬でなくって、お抱への惡黨だから、さうするんぢゃ。
コーン
此奴は姉上が申し越された徒輩ともがらの同類なんだ。……さァ~、足枷臺を持って來い!

從者が足枷臺を持って出る。とコーンヲールが指圖してケントを足枷臺に上らせようとするのを、 グロースターが見かねてとゞめる。

グロー
まゝ、おとゞまり下されませう。此者の不埒は重大でござります、が、それに對しては、 御主人の王さまがきツと御譴責あそばされることゝ存じまする。 あなた樣の思し立たれましたお處刑しおきは、 小盜こぬすみ其他違警罪などにて罰せらるゝ最もあさましい下賤な徒輩ともがらに相當した下等な御懲罰でござります。 王のお使者を斯樣かやうにお扱ひになっては、王が定めし、御自身を輕しめられたやうに思し召されて、 御氣色にさへられませう。
コーン
其せめわしが負ふ。
リガン
王よりも姉上がお怒りなさらう、御用で參った御家來が、侮辱を受けたり、攻撃されたりしたとお聞きになったら。 ……其奴の脚をめい。

從者らが立ちかゝりてケントを足枷臺に掛ける。

さァ、あなた、あちらへ。

グロースターとケントの他は皆入る。

グロー
(ケントに)氣の毒ぢゃなう。いひ出しては後へは退かぬと世間も知る公爵どのゝ御意ぢゃから、是非に及ばん。 今に何とか調停とりなししませう。
ケント
どうか放擲うつちやッといて下さい。眠ないで、みっちり歩いたから、暫く眠ます。 目が覺めたら口笛でも吹いてゐませう。善人の運は踵から延びるといひます。おやすみなさいまし!
グロー
(傍白)公爵のなされかたは善うない。きッと御氣色にさはらう。

グロースター入る。

ケント
リヤ王どの、貴下あなたは諺をば身に思ひ知らっしゃらねばなりませんぞ。 天惠を失って日向ぼッこり!……(懷中から書状を取出しつゝ、東の空を見やって)早く來てくれ、 此下界への合圖火、おまひの氣持の好い光りで此密書が讀みたい! 災禍わざはひ極らざれば竒蹟あらずだ。こりゃたしかにコーディーリャどのからの通信たよりだ。 俺が名をも姿をもくらまして斯うしてゐるといふことを都合よく傳へ聞かれたところから、時機を俟って、 此竒怪な状態から國を救ひ、弊を除かうと望んでをられるのだ。 ……疲れた上に眠足らんので重たくなったまなこよ、ちょうど好い、此見ッともない宿を見るな。 ……運の神よ、おやすみなさい。もう一度白い齒を見せて、車の輪を廻して下さい!

ケントは足枷臺に掛かったまゝで眠る。

坪内逍遙(1859-1935)譯のシェークスピヤ(1564-1616)作「リヤ王」です。
底本:昭和九年十月廿五日印刷、昭和九年十一月五日發行の中央公論社、新修シェークスピヤ全集第三十卷。

【ネットでの底本】
osawa さん、投稿(更新日: 2003/02/16)
2025年10月19日 一部訂正(底本中の、ふりがなは、ruby タグを用いた、また一部文字は UTF8 に変換できなかった。)にてアップ。

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