テキストの快楽(015)その3

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(04) 第二幕 第三場~第四場


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リヤ王:第二幕 第三場
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第二幕

第三場 荒れた岡の一部。(前と同じ城内としてあるテキストもある。)

父の勘氣を蒙ったエドガーが出る。他國へ放浪しようとしても、警戒が嚴しいので、 餘儀なく躊躇してゐるていである。

エドガ
布令が出て手が廻ってゐるといふことを聞いたが、幸ひに樹の洞にかくれて追手をばまぬかれた。 どの港も閉され、どこ一箇所非常な警戒で以て俺を捕へようとしてゐない處はない。 のがれられるだけは命を助かるために、 貧窮がかつて人間をして獸も同樣の墮落の極に到らしめた其時の姿も 是程ではと思ふやうな最もあさましい姿をも取らうと思ふ。 顏はむさいもので塗りたて、腰には古ゲットを卷き、頭髮かみのけはもぢゃ~にもつれさせ、 赤裸々あかはだかで以て風雨雷電にも身を曝さう。さういふ先例は、此國のベドラムの乞食共だ、 彼奴等は、わめき聲をあげて、麻痺しびれて無感覺になってゐる素肌のかひなへ、針だの、 木串だの、釘だの、迷迭香まんねんかうの刺だのを突きたて、怖ろしげな樣子を見せて、 呪ったり祷ったりして、下賤の農家から、あはれな小ぽけな村から、羊小舎から、磨粉屋こなやから、 無理やりに布施を貰ふ。なさけないタリーゴッド!なさけないトム(なぞと呼んであるく)! が、まだしもあれは人だ。此エドガーは人でなしだ。

エドガー入る。

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リヤ王:第二幕 第四場
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第二幕

第四場 同じ處。

リヤが阿呆役と一紳士とを從へてグロースターの居城内の中庭へ現はれる。 そこにはケントが足枷を掛けられたまゝ眠ってゐる。

リヤ
さう急にやしきを出た上に、使ひの者を返してよこさぬといふは不思議ぢゃ。
紳士
わたくしが傳聞うけたまはりました所によりますれば、 つい前夜までは他所へお出張でましの思ひ立ちは無かったらしうございます。

ケント目を覺して、足枷に掛かったまゝで、王と挨拶する。

ケント
王さま、ごきげんよう!
リヤ
やッ?……そちはそんな辱めを受けてゐながら、娯樂なぐさみとでも思ふてをるか?
ケント
どういたしまして。
阿呆
はゝゝゝゝ!えらい脚絆を穿いてゐらァ。馬は頭で縛り、犬や熊は首ッ玉で縛り、猿は腰で縛り、 人間はすねで縛る。とかくすねが働き過ぎると、あゝした木の股引を穿かされる。
リヤ
そちの役柄をもわきまへをらんで、そんな待遇をしたのは誰れぢゃ?
ケント
お二方でございます、お婿さまとお令孃むすめごで。
リヤ
いゝや、そんな筈は無い。
ケント
いゝえ、さうなんでございますよ。
リヤ
うんにゃ、さうぢゃない。
ケント
いゝえ、さうなんで。
リヤ
うんにゃ~、そんなことはせん。
ケント
いゝえ、しました。
リヤ
ヂューピターも照覽あれ、せん!
ケント
ヂューピターも照覽あれ、しました!
リヤ
彼等はそんなことは決して能うせん。能うしもせねば、しようとも思はん。 承知でかやうな暴戻を働くは、人殺しよりも惡いことぢゃ。どういふ譯で、如何なる罪があって、 予の使者たる其方に對し、かやうな待遇を蒙らすに至ったか、すみやかに説明せい。
ケント
殿さま、てまへがおやしきへ參りまして、あなた樣の御書面をお二方にお渡し申しました途端に、 膝を突いて御挨拶をしてまだ起ち上りもしませんうちに、汗で湯氣の立ってゐる馬で以て、 一人の使者が息を切ってやって參って、其主人のゴナリルさまの口上を喘ぎ~述べまして、 間にてまへが居るにもかまはず、書面を差出しますと、お二人がそれを直ぐに讀んで、 そこでにはかに御家來衆を呼び輯めて、忽ちお馬にめされました。 てまへには、後から來い、いづれ其中に返辭を遣はすとおっしゃいまして、冷淡なお待遇あつかひ、 それから此處でてまへの邪魔をしをりました其使ひの者に出逢ひましたが、其奴そいつは、 つい此間あなた樣に對し無禮を働いたの野郎なんでしたから、分別よりは癇癪の方が先きに立って、 つい引ッこぬきました。すると、彼奴、大きな臆病聲を出しゃァがってやしき中の者を呼び立てましたのです。 お婿さまも、令孃むすめごさまも、てまへの所行は此位ゐ恥ィかゝせて相當だといふお見立でございます。
阿呆
冬はまだッちまはないなァ、雁がそッちへ飛ぶやうぢゃァ。

(節をつけて)親父襤褸つゞれ著りゃ子は皆な盲目、
親父が財布持ちゃ子は皆な孝行。
運の女神は名うての賣女だ、
錢の無いのにゃ目もくれぬ。

だけれど、お前は、女兒むすめさんのおかげで、 年中かンねン(艱難)にゃ不自由しないや。
リヤ
(煩悶して)おゝ、癪が、此胸先きへ!ヒステリカ・パッショー(癪)め、下れ、おのれ、 沸き上るむねの惱み、おのれの居處は下ぢゃわい!……我女むすめは何處にゐる?
ケント
グロースターさまと御一しょに此おやしきに。
リヤ
いて來るな。こゝに待って居れ。

リヤ入る。

紳士
今承はった事の外にはなンにも不都合をせなかったのですか?
ケント
なンにもしません。……王さまは、如何どうして斯うおとも少なでお渡りになりました?
阿呆
そんな事をたづねた罪で足枷に掛けられりゃァ當然なんだがなァ。
ケント
阿呆どん、何故?
阿呆
蟻のとこへ往って教はって來な。冬は働かんものだよ。鼻を案内者にしなけりゃァ、 盲人でない以上、目をば案内者にするね。鼻がありゃ二十人が二十人まで、臭くなりかゝってるものは嗅ぎ附けらァな。 大きな車の輪が山から轉げ落ちる時分にゃ、つかまってゐないこッた。手を離さないと、 首の骨が折れッちまはァ。だがね、登る時にゃつかまってゝ、引ッ張り上げて貰ふことさ。 おい、聰明りこうな人が一段もつと善いことを教へたら、今俺が教へたことは返してくれ。 こりゃ惡黨にだけ守って貰ひたいや、阿呆が教へたんだからなァ。

(節をつけて)慾を目的めあてのお家來衆は、
表面うはべばかりのおともでござる、
雨が降りだしゃお先きへ御免、
後におぬしは濡鼠。
おれは殘ります、阿呆は後に、
早う逃げるは聰明りこう者。
逃げりゃ阿呆も惡黨なれど、
阿呆は惡黨ぢゃござんない。

ケント
阿呆どん、お前何處でそれを教はった?
阿呆
阿呆め、足枷臺なんぞぢゃ教はらないぞ!

リヤ又出る。グロースターいて出る。

リヤ
おれに面會をことわる?二人とも病氣ぢゃ?何ぢゃ、疲勞してゐる? 終夜旅行ひたしましたから?全くの口實ぢゃ、叛きもとらうとする徴候ぢゃ。 もッと良い返答を聞いて參れ。
グロー
御前、御存じの如く、公爵は、あゝいふ一徹な、火のやうなお性質でござりますから、 お言ひ出しなされたことは、いッかなお退きになりません。
リヤ
おのれ!何を馬鹿な!ちゝ畜生!何ぢゃ、火のやうな!性質が何とした! やい、グロースター、こりゃやい、グロースター、俺がコーンヲール公爵夫婦に面談したいのぢゃ。
グロー
御前、その通りに言上仕りましたのでござります。
リヤ
言上仕った、彼奴らにに?やい、其方そちは予を存じてをるか?
グロー
無論、存じてをりまする。
リヤ
國王がコーンヲールに會談せんとするのぢゃ。慈父が其むすめと會談せんとするのぢゃ、 奉公を命ずるのぢゃ。其方そちは此儀を二人の者に言上仕ったか? ちゝ畜生?何ぢゃ?一徹ぢゃ?火のやうな?其火のやうな熱い公爵とやらに申して來い、王が…… いや、先づ待て。……全く不快なのかも知れん。 健康すこやかな時には能う務められる職分つとめも病氣の爲には怠るものぢゃ。 肉體に壓迫を蒙るといふと、肉と共に心もなやまざるを得ないやうになる。…… まゝ、こらへよう。いはゞ、病人の發作同樣の事であるのを、おのれの我儘な心は、 それを健康な者の所爲のやうに見ようとする。……

ふと又ケントに目をつける。

おのれ~!何とがあって彼れをかやうな目に逢はせをった?これで見ると、 公爵夫婦の此處へ來たのは謀計はかりごとに相違ない。……予の家來を渡せ。 公爵夫婦に申せ、俺が面會したいといふと、只今直ぐに。出て參って拜承うけたまはれ、 參らんければ、此方、寢所口へ參って、太鼓で睡眠を叩き破るぞと申せ。
グロー
どうかしてお仲の和ぐやういたしたいものでござる。

と言ひ~グロースター入る。

リヤ
おゝ、此むね、此さしこんで來るむね!下れ!
阿呆
たんとむねをお叱りよ、小父たん、魚饅頭をこしらへるとて、 生きた鰻を饂飩粉うどんこの中へ入れた下婢おさんどんのやうに。熱いから飛び出さうとすると、 下婢おさんどん、鰻の頭を菜箸で叩いてよ、「引ッ込みな、不作法な奴だよ、引ッ退みな!」ッて。 氣の毒だらうッて、枯草にバター附けて馬にれたのは、其下婢おさんどんの阿兄にいさんだッさ。

グロースターが案内して、コーンヲール、リーガン、及び從者ら出る。

リヤ
(やっと機嫌を直して)お早うござるの。
コーン
御機嫌よろしう!

コーンヲールが何事か從者にさゝやく。と從者一二人が立ちかゝりて、ケントを足枷臺から下す。

リガン
(王に)お目にかゝってお嬉しう存じます。
リヤ
リーガンよ、さうもあらう。さうなうてはならん筈ぢゃ。もしも嬉しう思ふてくれんやうであれば、 墓の中のそなたの母を不品行ふしだらを働いた女と見做して離縁せうと思ふてゐた。……

此中ケントの放免されたのに目を附け

おゝ、ゆるされたか?その事は又別の時に。……(リーガンの手を取って)リーガンや、 姉は不可いけない奴ぢゃ。おゝ、リーガン、姉めは角鷹くまたかのやうに殘忍な、不孝な、 鋭い爪で、これ、此處を貫きをった!胸が一ぱいになって言はれん。リーガンよ、 とてもそなたは眞實ほんたうにはすまい、姉めが、それは~、酷いとも、何とも…… おゝ、リーガン!

王はリーガンの胸に顏をあてゝ泣く。

リガン
(冷かに)まァ、あなた、お靜かになさいまし。わたしは、 姉上の眞價が貴下あなたによくお解りになってゐないのだらうと存じます、 姉上が義務をお盡しなさらんといふよりは。
リヤ
えッ、それはまた如何どうして?
リガン
わたくしには、姉上がいささかたりとも義務を怠りなさるやうなことがあらうとは思はれません。 もしも、或ひは、あなたの御近侍衆の亂暴を御譴責なすったかも知れませんが、それは多分、 姉上の越度をちどにはならんやうな立派な目的にもとづいた正當な理由があることだらうと存じます。
リヤ
あの姉の不孝者めが!
リガン
おゝ、あなたはお齡を取っていらっしゃる、もう御壽命も行き止りになってゐるのです。 あなたの事をあなた御自身よりも善うわきまへてゐる人逹に、さういふ人に何事も任して、 貴下あなたはおとなしうしていらっしゃるのがよいのです。ですから、どうぞ、 姉上のおやしきへお歸りなさいまし、さうして、わたしが惡かったとおっしゃい。
リヤ
彼女あれに詫びろといふのか?見い、これが家長たる者に似あふか?

とリヤは膝まづいて、極皮肉な口吻で、ゴナリルに謝罪する擬態まねをする。

我女むすめよ。わしは齡を取ってゐます、老人は無用のもんぢゃ、斯う膝を突いてお願ひする、 どうぞ著物を下さい、寢床を、食物を。」
リガン
父上、お止しなさい。見ッともなうごいます。姉上のところへお歸りなさいまし。
リヤ
(起き上って)決して歸らん。姉めは俺の附きの者を半數に減らしをった上に、俺を睨みつけて、 まむしのやうな殘忍な毒舌を以て、これ、此胸を貫きをった。……天上に貯へおかれた有りとある懲罰よ、 恩を知らぬ彼奴あいつ素頭すかうべに墮ちかゝれ!おのれ、人を害そこなふ毒風よ、 彼奴あいつの若い骨々に浸み入って、不具者にしてくれいの不孝者を!
コーン
馬鹿なことを、もし~、馬鹿なことを!
リヤ
汝、迅速なる電光いなびかりよ、眼をくらます汝の猛火を、 あの人を侮蔑さげすみをる眼の中へ射込んでくれい!強烈なる日光の吸ひ上ぐる沼の毒氣よ、降り下って、 美しいを自慢の彼奴あいつの面つらをめちゃ~にしてしまうてくれい!
リガン
おゝ、怖ろしい!その通りに私にもおっしゃるでせう、お腹が立てば。
リヤ
いゝや、リーガン、そなたは決して俺に呪はれるやうなことはない。 そなたは柔和やさしい性質きだてぢゃによって、酷い、荒々しいことはせん。 姉の目は猛きつうて火のやうぢゃが、そなたのはやさしい。 おれの娯樂たのしみをばおしんで、附きの者を減したり、がみ~と口返答くちべんたふをしたり、 約束の隱居料を切り縮めたり、つまり、おれの入って來んやうに閂を横たへるやうなことは、 そなたの持前には無いことぢゃ。そなたは子たる者の本分をよう知ってゐやる、自然と守らねばならぬ義務を、 親に對する禮儀を、恩に報ゆるの道を知ってゐやる。 そなたは此王國の半分をわしがそなたがにったことを忘れやせん。
リガン
父上さま、肝腎の御用の方を拜承うけたまはりませn。
リヤ
わしの家來を足枷臺に掛けたのは誰れぢゃ?

此時、奧にてタケットが聞える。

コーン
あの喇叭は何ぢゃ?
リガン
あれはきッと姉上です。直に行くといふ書面でしたが、果して見えたのです。

オズワルド出る。

御主人が見えましたか?
リヤ
(オズワルドを睨んで)何時いつ變るともはかられん女主人の恩寵を力に、 虎の威を我が物かほに見せびらかしあるく狐奴め!……退すさりをらう!
コーン
如何どうなさらうといふのです?
リヤ
俺の家來を足枷臺に掛けたのは誰れぢゃ?……リーガンよ、よもやそなたは知らんことであらう。 ……や、誰れぢゃ來たのは?

ゴナリルが出る。王それを見て

おゝ、天にまします神々、もし神々にして老人を憎みたまはずば、神明若し孝行をよみしたまはゞ、 これをば餘所事とばし思し召さるな。御使ひ神をお下しあって、何卒なにとぞ身方みかた下されい! ……(ゴナリルを睨んで)やい、おのれ、此鬚を見ても恥ぢをらんか?

此時、リーガンは姉を迎へて握手する。王はそれを見て

おゝ、リーガン、そなた、其奴そいつの手を取るのか?
ゴナリ
手を取っては何故惡いのですか?わたくしが如何どういふ不埒を致しました? 無分別や老耄が不埒と名附けることが、必しも總て不埒ぢゃァございません。
リヤ
おゝ、此胸!善う裂けんでゐる!まだ持ちこたへてをるかそちは? ……(コーンヲールに)如何どうして予の家來が足枷臺に掛けられたのぢゃ?
コーン
(傲然と)てまへが掛けさせました。此男は、もっと優待の度を減らしてもよい程の亂暴を働きましたので。
リヤ
お前さんが!え、お前さんが?
リガン
父上、あなたは弱いんですから、弱さうにしていらっしゃい。もし、お戻りになって、 此月の末まで姉上と御一しょにお住ひになって、お附きを半數になさいましたなら、それから私共へいらっしゃいまし。 只今はやしきを離れてをりますし、あなたをお款待もてなし申さうと存じましても、 それに必要な準備が何一つ出來ませんのです。
リヤ
姉のやしきに戻れ?さうして五十人だけ減らせ?いゝや、戻らん、 戻る位ならば、誓って、俺は、屋根の下には居らん、雨風の憎しみと鬪って、狼や梟を友逹にして、 絶體絶命の身をるやうな苦しみを味うた方がましぢゃわい! 彼奴あいつの處へ戻れ!彼奴あいつの處へ戻るくらゐなら、あの血の氣の多いフランス王、 末女おとむすめを化粧料も無しでれてったあのフランス王の椅子の前に膝を突いて、 青侍か何ぞのやうに、見すぼらしい露命をつなぐための捨扶持を乞ふた方がましぢゃわい。 彼奴あいつの處へ戻れ?なぜいつそ俺に勸告すゝめん、(オズワルドを指さし) 此下郎げすめの奴隸やつこになれ、馬になれと何故勸めん!
ゴナリ
そりゃあなたの御隨意です。
リヤ
(ゴナリルに)我女むすめ、どうぞ俺を狂人にさせてくれるな。おのしには最早もう厄介は掛けん。 さやうなら。もう二度とは逢ふまい、又と顏を見ることはすまい。……と言うても、おのしは、 切っても切れん俺の肉ぢゃ、値ぢゃ、實女むすめぢゃ、いや、肉といふよりも肉の中の惡い病ひ、 惡い奴ぢゃけれど、俺のものであると言はねばならん。おのしは、 俺の腐った血の生み出した腫物できものぢゃ、惡いかさぢゃ、腫れ廣る癰疽ようそぢゃわい。 けれども俺はおのしを呪ふまい。おのしが恥辱を蒙らうと、蒙るまいと、それは天に打任して、 俺はそれを祈りはせん。雷におのしを撃ち殺せともいはん、 天で裁判をなさるヂョーヴ神におのしの惡事を告訴いひつけもせん。 改心の出來る時が來たら、改心せい、其うちとッくりと考へて、善人になれ。俺はこらへてくれる。 リーガンのとこにゐればよいから、俺と百人のものとが。
リガン
さうお望み通りにゃなりませんわ。わたくしはまだお出にならうと預期してをりませんでしたし、 お迎へ申しますに適當な準備とても致してをりませんから。お聽き遊ばせな、あなた、 姉上の御意見を。そりゃあなたが我儘には相違ない、けれども思慮分別のある方であって見れば、 あなたの御老年といふ事を思って、忍耐がまんして……尤も、 これは申さいでも姉上のよう御存じの事でございますけれど。
リヤ
そんあことを言うて、お前は當然ぢゃと思ふか?
リガン
はい、當然ですとも。え、五十人のお附きですって?結構ぢゃありませんの? 何の必要あって其以上が要ります?はい、又は五十人だけも何の爲に? そんなに大勢お抱へになっておくと、費用も危險も募らうぢゃありませんか? 一つやしきに、二種の命令の下に大勢の者がゐて、如何どうして和親が保たれます? それは困難なことで、ほとんど不可能です。
ゴナリ
あなた、なぜ妹なり、私なりが家來と呼んでをります者をお使ひなすっては不可いけませんのです?
リガン
なぜ不可いけませんの、わなた?もし彼等に不行屆きがございませうなら、 わたくし共がきツと取締りまする。もし私共へお入りになりますやうなら…… どうやら入らっしゃりさうで危い……どうか二十五名だけに願ひます。 それ以上は御免を蒙ります。
リヤ
そちたちには、何もかも遣はしたのに……
リガン
ちょうど好い時に下さいましたの。
リヤ
のみならず、そなた逹を俺の後見とし、一切の權力を委任した其代りに、 百人だけは傍仕へへの武士さむらひを必ず附けておくといふ約束でったのに。 何、二十五人以上をれて來てはならん?リーガン、そなたう言うたか、實際?
リガン
はい、もう一度申します。わたくしはそれ以上はお斷り申します。
リヤ
(驚き呆れて)猛惡な顏附も見よくなる、上手の猛惡な奴が出ると。 最上の猛惡でないだけが幾らかの取得ぢゃ。……(ゴナリルに)其方そちもとへ往かう。 そなたの五十人は二十五の倍ぢゃ。……すればそなたの愛はれのゝ倍ぢゃ。
ゴナリ
まァ、お聽きなさいまし。何の必要があります二十五人のお附きなんか? 十人だって、いゝえ、五人だって?もし御用があれば、 やしきには其倍程の者がゐてお世話するぢゃありませんか?
リガン
何の必要があります一人だって?
リヤ
えゝ、必要を論じるな。見るかげもない乞食さへも、其貧窮の極に在って、尚ほ何か餘計なものを持ってゐる。 自然が必要とする以上を人間に許し與へん時には、人の生と獸類けだものと擇ぶ所が無いわい。 其方そちは貴婦人ぢゃ、もし只暖かくさへしてゐれば、それで貴婦人の服裝が足るものなら、 自然は決して其方そちが今てゐるやうな、そんあ綺羅びやかなものを必要とはせんわい。 それは暖を取るやくには立たん。しかし、まこと必要といふは……おゝ、天の神々よ、 吾等に忍耐を賜りませ、吾等に必要な忍耐を!これ、御覽ぜよ、神々、 齡も積り悲しみも積って、見るも哀れな此あさましい老人をば。 これなる女兒むすめ共を父に叛かしめられまするは、尊神あなたがたの御意でござるか? よしさうであるにせい、いつまでも此奴らのすがまゝになってゐるほどに、 それほどに手前をば玩弄もてあそびになされて下さるな。 男らしい怒りを起させて下され、女の武噐の涙なんぞに此男子の生面を汚させて下されますな!……

王男泣きに泣く。

うんにゃ、おのれ、不幸不倫の賊婦め、今に爲返しかへしをしてくれる、怖ろしいことをしてくれる ……全世界が……どんな事かまだ解らんが、世界中を怖れおののかすやうな事をしてくれる。 おのれらは俺が泣くだらうと思ひをらうが、いゝや、俺は泣かぬわい。 泣きたうてならぬけれども、おのれ、泣く位ゐならば、此心臟をば千萬片に引裂ひきちぎってくれうわい!……

阿呆の肩にもたれかゝって

おゝ、阿呆よ、俺ァ狂人になりさうぢゃ!

とグロースター、ケント、阿呆らが王を介抱して入る。遠雷が聞える。すさまじい風の聲が聞える。

コーン
奧へ往かう。あらしになりさうだ。
リガン
やしきは狹いから、老翁おぢいさんと家來とではとても入りきりゃァしない。
ゴナリ
みんな御自分がわるいのさ。求めて安樂をお棄てなさるんだから、自業自得で、辛い目も見なさらんけりゃならん。
リガン
父上だけなら歡迎しますけれど、お附きは一人だって困りますもの。
ゴナリ
わたしもさう思ってゐます。……グロースターどのは何處へ往きました?
コーン
老翁おぢいさんいていったが……あ、戻って來た。

グロースター出る。

グロー
王は大へんなお腹立ちでございます。
コーン
どこへいらっしゃらうといふんだね?
グロー
馬を~とおっしゃいますが、どちらへおこしやら、わかりません。
コーン
うッちゃっておくがいゝ。好きこのんでなさるこった。
ゴナリ
あなた、強ひて止めないがようございます。

夜になりかける。電光、雷鳴。風が激しくなる。

グロー
あゝ!夜にはなる、烈しい風が怖ろしう吹き荒れる。 こゝいら數マイルの間はほとんくさむらさへもない。
リガン
おゝ、頑固かたいぢな我儘な人には自業自得の苦痛が、きッと良い教師になります。 門口かどぐちを閉めておしまひ。父上には亂暴な武士さむらひ共が附いてゐるから、 どんな好い加減のことをお耳に入れて、何をお教唆すゝめ申すか、知れたものでない。 思慮があれば、是非警誡せねばなりません。
コーン
(グロースターに)門口とぐちの締りをなさい。ひどい晩だ。 いかにも、リーガンのおいひの通りだ。あらしを避けよう。あッちへ。

皆々入る。風雨、雷電。

坪内逍遙(1859-1935)譯のシェークスピヤ(1564-1616)作「リヤ王」です。
底本:昭和九年十月廿五日印刷、昭和九年十一月五日發行の中央公論社、新修シェークスピヤ全集第三十卷。

【ネットでの底本】
osawa さん、投稿(更新日: 2003/02/16)
2025年10月23日 一部訂正(底本中の、ふりがなは、ruby タグを用いた、また一部文字は UTF8 に変換できなかった。)にてアップ。

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