槙村浩「日本詩歌史」(001)

目次・日本詩歌史―――
詩を通じて見たる日本史の概略
詩における唯物弁証法的ヒューマニズム理論に関する覚え書


第一章 序論――――7

 芸術の起源と童心―――原始共産制時代における詩の任務―――古事記か?万葉集か?……唯物弁証法か?社会主義アリズムか?

第二章 日本原始共産制時代の詩歌――――13

 詩学方法論の一例と日本語の特殊性―――本来平和的な共産詩人の進歩的戦争に対する反省と苦悶―――盛期第一期、狩猟的農業時代。女性による白鳥の歌の第一曲―――盛期第二期、牧畜的農業時代。移民戦争の英雄酋長による白鳥の歌の第二曲―――盛期第三期、社会主義的農業時代。原始的女性織工による白鳥の歌の第三曲―――原始共産制没落の諸表象

第三章―日本貴族制時代の一、半族奴制期の詩歌――――27

 日本国家の✕力による結成―――共同財産の没収過程と大悪天皇の詩―――平民の乞食過程と飛鳥時代の詩―――平民の貴族過程と飛鳥時代の詩―――芸術における価値分裂の経過

第四章 日本貴族制時代の二、族奴制期の詩歌――――――41

 奴隸生産における「アテナイ」型と「奈良」型の異同―――華麗短命な日本型族奴制の頂点を準備するものとして大化の回顧―――日本社会史家の混乱に対しての忠告文化を直接に剖け!…―――群小貴族詩人の一群、人暦、赤人、旅人、憶良、家持―――書紀と万葉の反戦人民詩人たち―――奈良と平民芸術の没落

第五章 日本貴族制時代の三、半農奴制期の詩歌―――――58

 平安の史的特徴。詩歌に表われた重圏的一神論と相即相入の集約的土地所有制―――弘法、祝詞、古今集、百人一首―――詩学方法論の一例としての転形期の没落の恋愛

第六章 日本王制時代のー、古典封建制的農奴制期の詩歌―――68

 古典封建制前期の特徴―――坊主天皇をめぐる「もの、あわれ」詩人たち―――封建的実践理性の詩人興教―――封建的純粋理性の詩人親鸞―――農奴的収取の「物自体」をめぐる自力他力の論争―――好色一代女としての女王を描いた長篇叙事詩「平家」―――古典封建制後期の特徴

第七章 日本王制時代の二、商業封建制的農奴制期の詩歌――――81

 商業封建制の特徴―――—商業封建主義の展望図としての誹諧と浄瑠璃と短歌復興調―――芭蕉の脱皮過程、新訳「春の日」「猿蓑」「炭俵」、芭蕉最后の到達点として寄生的リアリズム―――近松の人形哲学―――商業封建主義日本君主はいかにして古典封建主義中国え侵略せんとしたか、その陰影的仮象の弁証法的表現としての国性爺三部曲―――上層奴隸のギルド的自殺と、「馬子」及び「飛脚」の光の哲学―――近松における男色と女色、僧院的農奴制から遊廓的農奴制え、「万年草」と「七墓廻」―――姉弟女娼男娼篇、苟合の完成としての心中種々相最后の閨房に用意されたルーデサック―――川柳、社会の芸術的縮図としてなぜ男色的宮廷が遊廓の短詩によって描写されねばならなかったか―――主従・夫婦-親子の封建的三次元階段の解消過程―――アルカーブとしての高利貸的古典的整正さを特徴とする蕪村派―――一茶。離散した自由農民の雀の歌、封建小作争議調停裁判|日本封建制崩壊過程の史的批判、アジア的生産えの逆襲の必然性の素描―――外国帝国主義の奴僕としての志士、牢獄遊泳の末死刑となった犬の歌―――列侯会議的明治維新の主張者としての初期ブルジョワ自由主義者の詩―――明治の少年王一派は人民一揆と共に芸術をまで圧殺した上からの社会変革を敢てした…

第八章 日本帝制時代のー、資本主義者の詩歌―――――128

 日本資本主義発達過程の展望、早期金融資本の制約による駆足的帝国主義の理論―――利権の自由主義的投資の牢獄資本的保護主義えの委任、被告「革命詩人」透谷と判事「憲法詩人」緑雨―――悲歌「親は他国に、子は島原に」——子規宣言「天皇是なれば軍部非なり、軍部是なれば天皇非なり」―――帝国主義戦争の讃歌、詩人晩翠、日本ブルジョアジーの万里の長城―――資本循環の等差的凹壁における口マンチシズム―――その発生、「民法」法典詩人藤村と最良の農村ブルジョア詩人夜雨―――その解消、工業資本集中の進軍歌を奏でた人々―――世界的旧人民主義詩人石川啄木―――ハイネと啄木のローレライ的放浪―――ー九〇五年の戦争と暴動に対する啄木―――大逆事件に対する彼の逃避と逡巡、そして最后に決然たる✕✕銃殺連帯宣言―――沈滞的象徴派と白秋一派―――大戦、ロシア革命、世界革命の猛然たる開始―――にせもの「民衆詩人」と、ブルジョア詩人の良き分子の低迷―――ブルジョア詩全体をあげてのカフェえの転落

第九章 日本帝制時代の二、人民と共産主義者の詩歌――――188

 数行的走り書―――中野重治、森山啓、上野壮夫、伊藤信吉、工屋戦二の五人民詩人えの戯詩

第十章 結語―――197

 労働の集団的把握と芸術の体現者としての人類の起源―――人民文化としてのリアリズムとロマンチシズムのかつて存在せず、また真実な意味で存在せぬであろうことの歴史的証明―――奴隸所有制と奴隸所有者国家形成の芸術に及ぼした影響の世界的展望のスケッチ―――日本詩歌史の概略的回顧——世界に誇る日本の原始共産人民の詩とそのプロレタリア人民詩、コミュニスト詩人金龍済―――詩における主観的弁証法と客観的弁証法のヒューマ二ズム的一致―――人民詩人当面の任務―――日本人民革命の展望―――「詩は✕のものである!」——再びマルクスの投じた爆弾・芸術云術の童心的起源に関する二重性の復帰的発展と補足的解決

槙村浩「日本詩歌史」(002)


第一章 序論

    芸術の起源と童心――原始共産制時代における詩の任務――古事記か?万葉集か?……唯物弁証法か?社会主義リアリズムか?
 芸術の起源と童心との関係について、われ/\は今まで書かれたもののうちで最も美くしいものゝ一つを、老マルクスの遺稿の中に持っている。
 「人は再び小供になることは出来ない。もしなったら馬鹿になるだろう。だが、小供の純朴さは彼を喜ばせないだろうか? 彼は再びより高き段階において、その純真さを再生産するために、努力してはならないだろうか?小供のような性質の人には、いかなる年令期においても、小供の心の特質が、その純真さをもって蘇えるものではなかろうか? 人類が最も美しく展びたその社会的幼年期は再び復帰せざるーの階段として、なぜ永久の魅力を与えないだろうか? しつけの悪い小供もあれば、早熟な小供もある。古代民族の多くは、かかる範疇に属していた。正常なる小供はギリシャ人であった。彼等の芸術がわれ/\に対して魅力を有するとゆう事実は、それがその上に生長せる社会階段の未発展なことゝ矛盾するものではない。魅力はむしろその結果である。そしてそれはむしろ、芸術がそのもとに成立し、しかもそのもとにのみ成立するをえたところの、未熟なる社会的条件が、決して復帰しえないとゆう事実と、不可分的に結合しているのである。」(河上肇、宮川実両氏共訳「経済学批判序章」の最后の節)
 こんな小供がある!――彼は人類が最も美くしく展びたその社会的幼年期を、素朴な原始共産主義的な生活の中で生きぬいていた。それは生活そのものが美くしい詩だった。われくは昨日までその断片を、インデアンやアイヌの中にもっていた。今日でもパプアや興安嶺の山奥には、こうした世界が埋もれている。だがわれ/\の祖先は、二千年の昔、それをもっとひろ/”\とこの日本列島の上に持っていたのだ。彼等は財産を共同にし、全体の会議で何事も決定した。結婚と狩猟と戦争と農耕と遊戯と響宴と、すべての場合に彼等は種族と氏族の共同感情を、高い芸術にまで灼きつくすことを忘れなかった。会合で、詩人は伝統的な或は即興的な詩を歌い上げた。詩は例外なく音楽を伴っていたし、全員が彼について歌い出すと、詩は舞踏に変化した。いろんな部門の芸術家たちが、絵や彫刻をほどこした楽器や仮面を携えて躍りはじめた。男と女は、別々でなく、個人的でなく、一人の例外もなく全体が任意にえらび合った組み合せで、愉快な種族の宴舞え加わった。彼等の芸術的指導者は、また必ず政治的指導者の属員だった。詩人の技術者は、普通なくてわならぬ者として酋長のひとりに選ばれたし、また酋長のすべては、全体が詩人である種族を統率して行く上において、概して愉快なすぐれた歌い手だった。
 木や石で築き、草や土でふいた小屋、或は円天井の美しい建築の下の野つ原が、彼等の会場だつた。一方には鋤と弓矢、一方には弓矢と剣が、彼等の芸術的な集会場と各人のまわりに設備されていた。それは彼等の詩と生産と舞踏との共通な道具でもあった。
 彼等は穀物や、果物や、鳥獣の肉や乳でこさえた、この上もない愉快なコクテールで、おたがいの心と胃袋の底までをひたし合った。それは苦悩を忘れるための虐げられた人々のアヘンでもなく、カフェ・マルキシストが、やらぬ仕事の口実に乾杯する酒杯でもなかった。この飲料を酒となづけるのは、彼等の詩に純粋芸術のヴェールをきせて眺め、或は野蛮なぼろっきれとして捨て去ると同様、実に「集団の頭脳と心臓と生殖器とを一貫してつらぬく消化器」に対する無理解な誣告だったのだ。
 だが、われくは正しく「ギリシャの芸術」を想像しうるか? もしこの言葉が直ちに、ミロンやフィヂアスの黄金像をきみらに聯想さすならば、きみらは日本原始共産主義芸術の言葉によって、直ちに無器用な図体の大きい奈良の大仏を聯想しないことをふしぎと思うがいゝ。あの神聖な禿鷹のように荘麗で 奈良の大仏から油をひっこぬいて四角四面に整然と突つ立てたようなパルテノンが、市民貴族の宝冠と奴隸市場と共に存在した頃は、滅亡後の破片の上に公平を幻想した仮装的共産主義は、その未来の逆説的表象としての、社会大衆主義者お好みのブルジョア・デモクラシーの、逆さにうつった影と一しよに、これっぱかしも残っていなかったのだ。優秀な文化と政治の建設者たる作者は美くしかったへラスに俄然最后のとどめを刺した「文字化されたホーマー」の出現する以前のギリシャ原始共産制時代の誠実な南欧の種族社会にこそ、あんなにも健全に歴史の頂点コースを進んだ、成長する小供の純真な思い出を托したのだ。とげられぬブルジョア民主主義的理想に知らず知らずにかこまれている人々は、原文の社会的意義を必ずや読み代えるだろう。だが、われ/\をして仔細に点検せしめよ。いやしくも奴隸に対する暴虐と、彼等を支持する神聖貴族の芸術のーかけをさえ、わが老マルクスが愛した証拠を、これっぱしでも見つけることは出来ないのだ。
 それと同じことが、日本にも確実に言われる。もし人が老マルクスと共に万葉集を愛するならば、彼は何故奴隸貴族と奴隸宗教の所産を愛するかを明らかにし、その理由を白状せねばならぬ。解放の戦士の中にこうした人があるのはおかしい! われ/\はしみ/”\と、彼等が貴族的な感情の故に革命を愛し、彼等のパルテノンと万葉集的情緒にふれぬ限りにおいて、戦線から転向しないのではないかを疑わざるをえない。
 もし詩が万葉集から出発するならば、その起源は、こうした孤高な遊蕩児の感情であり、相互強姦のきものを個人的強姦にきせようとする恋愛の感情である。それは根本的には、性の姦淫の形をかった身分の姦淫である。奴隸宮廷は、「花をかざして今日もつどえる」ひまたっぷりの大宮人を選者として、「宮木ひく泉の口に立つ柚の憩う間もなき*」ご奴隸の憂愁の上に、この詩集を編みあげた。ダーウィンが詩をもたぬ禽獣の大きい自然と種の中に没入した愛欲の起源について世界歴史上の現実のあらゆる遺跡と、現実のあらゆる証拠とが、個人的な恋愛よりも共通な社会的感情から、詩と芸術とそしてあらゆる文化とが生れてきたのを立証していることを、われ/\が自分自身に確証せねばならぬ時期に遭遇せねばならぬとは、何と情けないことだろう! ロビンソンの島にしろ、パスカルの鳥にしろ、神と同様恋愛からは決して詩は生まれなかった。
*万葉集」巻11二六四五「宮材引く泉の柚に立つ民の息ふ時無く恋ひわたるかも」槇村は柚と民を入れまちがえた。
 「古事記か?万葉集か?」これは「シェクスピアか? シルレルか?」よりもっと日本社会=芸術史的に興味ある問題を提起する。
 何よりも万葉集以前にれっきとした詩が存在し、それがみじんも奴隸と暴政の記録と憑據《ヒョウキョ》のー片もない時期に、美くしい小供の文化の花を咲かせたことを、両者をはっきり差別された懸隔のあるものとして、がんこな俗物どもになっとくさせることは、何と骨の折れることだろう。――こんなことは判りきったことだ!  ー九三二年の恐慌以来四五年間の、労働者農民の生活状態のはげしい悪化が、多くの人々に次第に、正しい詩の任務をはっきりさせると共に、正しい詩の起源をはっきり胃の腑と一しょに頭にたたきこませたことは、事実なのだ。そのためにどんなに多くの真率な前衛と、無名の詩人とが身をもって道びらきしたことだろう!だが、問題は決して楽観的ではない。なぜプロレタリア詩をひつくるめて現代の全体の詩は、われ/\に低調と不快と憂鬱と退却の感じを与えるだろうか。それは質的よりむしろ量的に、生活の単語を拾い上げた。われ/\の生活と戦線の悪化に対して、治維法にへしまげられた、事実上の半無抵抗主義の蔭に詩を置くならば小説以上に詩の立遅れは克服しがたいものとなるであろう。単に量的に生活の単語を拾い上げることで一時をごまかすことを特徴とする受け身の社会主義的リアリズムに、美くしい真理の仮面をきせ、唯物弁証法と或は異った或は同じものとして、実際上茫漠たるあいまいさの中に置き、敗北と屈従を合理化しようとする試みの前に、これらの似而非な誤謬的理論が常によってもって伝説的な出所とするサヴェート芸術理論の歪曲された楣を残して置くこと、そして彼等をして日本を横行するに委さして置くことは、十分に検討されずして葬り去られんとする唯物弁証法の正統を血のにじみ出る実践をもって、生活とのすきまなき合一さとの上に、築き、かつ戦いとったわれ/\✕✕芸術家の恥辱ではないか。「受動的な社会主義的リアリズムか?能動的な唯物弁証法か?」本稿の末尾においてもっと説明されるはずのこのスローガンは、まづ日本詩歌史の初頭において、「万葉集か?古事記か?」のスローガンを正しく理解することを、その一つの歴史的典據となしうるだろう。