◎ シェイクスピア・坪内逍遙訳「リア王)(01)第1幕
リヤ王
シェークスピヤ 作
坪内逍遙 譯
* 第一幕 第一場
* 第一幕 第二場
* 第一幕 第三場
* 第一幕 第四場
* 第一幕 第五場
* 第ニ幕 第一場
* 第ニ幕 第二場
* 第ニ幕 第三場
* 第ニ幕 第四場
* 第三幕 第一場
* 第三幕 第二場
* 第三幕 第三場
* 第三幕 第四場
* 第三幕 第五場
* 第三幕 第六場
* 第三幕 第七場
* 第四幕 第一場
* 第四幕 第二場
* 第四幕 第三場
* 第四幕 第四場
* 第四幕 第五場
* 第四幕 第六場
* 第四幕 第七場
* 第五幕 第一場
* 第五幕 第二場
* 第五幕 第三場
登場人物
* ブリテンの王、リーヤ。
* フランスの王。
* バーガンディーの公爵。
* コーンヲールの公爵。
* オルバニーの公爵。
* ケントの伯爵。
* グロースターの伯爵。
* グロースターの男、エドガー。
* グロースターの庶子、エドマンド。
* 阿呆。(阿呆役、即ち弄臣。)
* 廷臣、キュラン。(コーンヲール公の侍士)
* グロースターの配下の民、老人。
* 侍醫。
* ゴナリルの家令、オズワルド。
* エドマンドに使はるゝ一武將。
* コーディーリャに侍する一紳士。
* 傳令。
* コーンヲールの家來數人。
* リーヤの女、ゴナリル。
* リーヤの女、リーガン。
* リーヤの女、コーディーリャ。
其他、リーヤに附隨せる武士ら、武將ら、使者ら、兵士ら、侍者ら。
場所
ブリテン。
(書中及び本文中にては、邦語との調和、其他の都合上、例の如く、必ずしも正音に拘泥せず。)
第一幕
第一場 リヤ王宮殿。
此日、王リヤが王位を退くと同時に、其所領を三分して、其三王女に分配する筈なので、 老齡のグロースターは其庶子エドマンドを從へて、 鯁直を以て聞えてゐるケントの伯爵と共に出て來て、 王の臨場を待ってゐる。
ケント
王はコーンヲールどのよりもオルバニー公爵を一段御贔屓かと存じてをったに。
グロー
始終そのやうにも見えてをりましたが、王國御配分の今日となっては、 何らを最も御尊重やら分りませぬ。雙方の御配當が如何にも精細に平等で、 擇ぶことの出來ませんほどでござりから。
ケント
(エドマンドを見て)あれは御子息でござるか?
グロー
養育致したは手前に相違ござらんが、あれは自分のぢゃと申すたびに、 毎々赧い顏をいたし、今ではもう慣れて鐵面皮になりました。
ケント
お言葉が肚に入りかねます。
グロー
ところが、此者のお袋の肚に入りましたので、それが大きうなり、 寢床に臥す夫はまだ迎へも致さんうちに、搖籃に臥せる小さひのが出來ました。 え、不品行をお察しなされたかな?
ケント
不品行も強ち咎めるには及びますまい、如是立派なのが出來て見れば。
グロー
なれども手前には、正腹の、さればとて一段かはゆいと申す譯でもない倅がござる、此者よりは一年ほど年長の。此奴は出て來いとも言はんうちに、 不作法にも飛び出した奴ではござるが、お袋は標致よしで、 生ませるまでには大分面白いこともござったことゆゑ、子でないとは申されませんわい。…… エドマンド、此お方を存じてをるか?
エドマ
いゝえ、存じません。
グロー
ケント伯爵どのぢゃ。わしの尊敬するお方ぢゃ。お見知り申しておけ。
エドマ
何分よろしう。
ケント
おひ~お知交になって、是非御別懇に致すであらう。
エドマ
御知遇に背かぬやうに勤めまするでございませう。
グロー
彼れは九年外國へ參ってをりましたが、また直ぐに遣はす積りで。……
セネット調の喇叭が聞える。
王のお渡りぢゃ。
喇叭につれて、一人寶冠を捧げ持ちて先きに立つ、つゞいてブリテンの國王のリヤ、 次女の婿コーンヲール公爵、長女の婿オルバニー公爵、長女ゴナリル、次女リーガン、 三女コーディーリャ及び從臣大勢出る。王は七十以上の高齡で、身、神共に衰へて、 もう耄けかゝってゐるのであるが、傲岸な、わがまゝな氣質は其壯年の時のまゝである。
リヤ
グロースターよ、フランス王とバーガンディーの公爵とを接待しておくりゃれ。
グロー
かしこまりました。
グロースターはエドマンドを伴って入る。
リヤ
此間に其方逹のまだ存ぜぬ内密の旨意を申し聞かさう。……地圖を持て。…… まづ、我が王國をば三に分けた。予も高齡と相成ったによって、すべて面倒な政治上の用向は、 悉く若い壯健な者共に委ねて、身輕になり、靜かに死の近づくのを俟たうといふ決心ぢゃ。 ……我が愛子コーンヲール、……また、子たるの愛に於ては少しも劣ることのないオルバニー公爵、 予は、今日只今、化粧料として副へ遣はすべき女共の所領を公表しようと存ずる。 然るは、今にして永く未來の爭根を絶たんがためぢゃ。フランス王とバーガンディーの公爵とは、 末姫コーディーリャの愛に對する競爭者となって、其戀を遂げうために、久しう此宮中に逗留せられた。 其返辭もまた今日の筈ぢゃ。……女どもよ、今や、予は、支配をも、所領をも、 國事に關する心勞をも、悉く脱ぎ棄てゝしまはうと存ずるによって、聞かしてくれ、 其方逹のうちで、誰れが最も深くわしを愛してをるかを。 眞に孝行の徳ある者に最大の恩惠を輿へようと思ふから。……長女ゴナリルから申せ。
ゴナリ
父上、わらはゝ口で申し得らるゝより以上にあなたをば愛しまする、目よりも、空間よりも、 自由よりも、貴き又は稀なる、ありとある價あるもの以上に、命よりも以上に、 威嚴や健康や美や名譽の添った生命以上に貴下をば愛しまする。子の嘗て獻げ、 父の嘗て受けた限りの愛を以て。……息をも乏しからしめ、 語をも不能ならしめまする程の愛を以て。恰どそれほどの、 ありとあらゆる愛以上にあなたを愛しまする。
コーデ
(傍白)コーディーリャは何とせうぞ?……心で愛して默ってゐよう。
リヤ
(地圖を指し)此綫より此綫まで、鬱蓊たる森林と豐饒なる平野、魚に富める河々と裾廣き牧場とを有する、 此境域一圓の領主とそなたをばするぞよ。これは、そなたとオルバニーとの子々孫々にまで、永久の財産ぢゃ。 ……さて、予が最愛の二女リーガン、コーンヲールの奧方は何といはるゝな?
リガ
わたくしの心持も姉上と全く同じなのでございます、姉上同樣におぼしめしていたゞいて當然と存じてをります。 姉上はわたくしが思ってをる通りをおっしゃったのでございますの、只、少ゥしおっしゃり足りませんばかり。 わたくしは、最も大切な感覺の、ありとあらゆる歡樂をも仇敵と斥け、 只一へに殿下を愛敬し奉るのを幸福と思ふてをりまする。
コーデ
(傍白)ぢゃ、此コーディーリャは(何といはう)!……いや~、何もいふまい、 迚も此心は舌ではいはれるやうなものぢゃァないから。
リヤ
これがそなた及びそなたの子孫の世襲の財産ぢゃ、我が美なる王國の此豐かな三分の一は。 廣さに於ても、價格に於ても、其樂しさに於ても、ゴナリルに遣はしたのに少しも劣らん。 ……さて、可愛いやつ、最ち終ひに呼びはするが、いッかなおろそかに思ふてはゐぬコーディーリャよ、 フランスの葡萄も、バーガンディーの乳も、おのしをば夢中になって戀ひ慕ふてをる。 こりゃ、姉たちのよりも一段ゆたかな三分の一を貰ふために、おのしはどのやうなことを言ふぞ?申せ。
コーデ
(そっけなく)何もいふことはございません。
リヤ
なんにも?
コーデ
はい、なんにも。
リヤ
(目に角を立てゝ)何もないところからは何も生れん。改めて申せ。
コーデ
わたくしは、不仕合せなことには、心にある事を口に出すことが出來ません。 わたしは義務相應にあなたを愛しまする、それより多くもなく、少くもなく。
リヤ
どうしたのぢゃ、コーディーリャ?いひかたを繕はんと身の爲になるまいぞよ。
コーデ
父上さま、あなたは私を生んで、育てゝ、かはゆがって下さいましたから、 そのお禮に正當な子たる者の義務だけは盡しまする。命令を守りまする、愛しもし、敬ひもしまする。 ……何故に姉上がたは夫をお迎へなされましたか、眞實あなたばかりを愛しなされるなら? 恐らく、わたしは、もし婚禮すれば、貞實に事へねばならぬ夫の爲に、 愛をも心づかひをも勤めをも半分は傾けねばなるまいと存じまする。父上ばかりを愛さうと思ふたら、 わたくしは決して姉上がたのやうに結婚はいたしますまい。
リヤ
(愕き呆れて)それは本心でいふのか?
コーデ
はい、本心でございます。
リヤ
幼少でありながら、それほどまでに柔情の無い?
コーデ
幼少であっても、申すことは眞實でございます。
リヤ
(赫となって)勝手にせい。なりゃ、其眞實を持參金にしをるがよい。太陽の聖い光りをも、 ヘケートの神祕をも、夜の闇をも、人間が生死の因たるあらゆる天體の作用をも誓ひにかけて、 予はこゝに、父たる心づかひをも、近親たることをも、血族たることをも抛げ棄て、 今日より永久に汝をば勘當する。殘忍野蠻の、 おのが食慾を饜かす爲に實の子をも喰ふといふ彼のシゝヤ人を友逹ともして、 憐れみいたはったはうがましぢゃわい、昨日までは女であった汝をばいたはり憐れむよりは。
ケント
あゝ、もし、我が君には……
リヤ
默れ、ケント!……龍と怒りとの間に立つな。……最ち彼女をかはゆう思ふて、 彼女が深切な介抱をば末の頼みともしてをったに。……退れ、目通り叶はん! ……天の神々も照覽あれ、あいつめは子では無い、女で無いぞ!……フランス王を呼べ。 ……えゝ、起たんか?バーガンディーを呼べ。
一侍臣急ぎ奧へ入る。
コーンヲールとオルバニーとは、女等二人の所領と共に第三の分をも分配せい。 彼奴は、正直と自稱しをる其高慢を料に結婚しをれ。 お前たち兩人に、我權力をも、最上の位をも、王座に附帶するあらゆる名譽、實力をも讓り輿へる。 わしは、月々、百人の武士を附人に控へおき、それをお前たちが扶持することにして、 一月代りにお前たちの邸で世話になるであらう。わしは只王といふ名義、稱號だけを貰ふておく。 國家の收入、統治の實權等一切は、婿どの、悉くお前たちのものぢゃ、其證據として、 只今爰で此王冠を分ち遣はす。
王冠を二人に渡さうとする。ケント見かねて王の前にひざまづいて
ケント
リヤ王殿下、常に我が王と崇め、我が父とも愛し、我が主君と奉じ、神に祈り奉る度毎に我が大保護者と……
リヤ
弓は既引絞ったわ、箭先を避けい。
ケント
いゝや、其箭の鋭尖で胸を貫かれてもかまひません。(憤然として起ち上って) リヤ王が御本心を失はせられた上は、ケントは禮儀を棄てまするぞ。
王は劍に手を掛ける。
何をなさる?國君が阿諛に屈する時には、忠臣も能う口を開かんと思し召すか? 至尊に愚昧な振舞ひがあれば、直諫は恥を知る者の義務でござる。……王權は元の通りお手許に留めおかせられい、 そして御再慮あって、決してかやうなおそろしい輕忽な振舞ひをなされますな。 末姫君は決して御不幸ではござらん、若し此判斷にして相違ひたさば、手前の一命を召されませ。 外に反響する音の低いは、内に誠情が充實してゐるので、心の空虚でない證據でござる。
リヤ
默れ、ケント、命が惜しくば。
ケント
いや、此命はお身代りの御用にもと今日まで貯へました。お爲故にならば惜しみません。
リヤ
えゝ、目通り叶はん。退れ。
ケント
いゝや、退りません。從前通り手前をば目安になされて、是非黒白のお見分をなされませ。
リヤ
やァ、アポローも照覽あれ……
ケント
やァ、アポローも照覽あれ、御誓言は無益でござる。
リヤ
おゝ、おのれ!無禮者め!
王再び劍を拔きかける。オルバニーとコーンヲールとでそれを止める。
オルバ、コーン
まァ~!
ケント
良醫を殺して惡い病に報酬をおやりなされ。お宣言のお取消しをなさらんに於ては、 聲が此喉から出る限り、あくまでも間違った御所業ぢゃと申しまするぞ。
リヤ
默れ、不忠者!忠義を存ずるなら、先づよく聽け!汝敢て…… 予はかりそめにも敢てせざるに……君臣の盟約を破壞せんと欲するのっみか、甚しき傲慢不遜の態度を以て、 予が宣言の實行を妨げんと致しをったる事、王たる者の性として、身分として、決して忍ぶ能はざる所ぢゃ、 予が其權を執り行ふ只今に及んで、其應報を受けい。五日だけは許し遣はす、世の不便、 災厄を避くる準備の爲に。しかしながら第六日には、必ず此國に背を向けをらう。 若し第七日となって尚ほ國内にうろつきをらば、見附け次第死刑にする。立去れ! ヂュピターも照覽あれ、此宣告は一たび出でては復らんぞよ。
ケント
(愀然として)おさらばでござる。王がかやうな振舞ひをなされるからは、此國には自由は無い、 此處に留まるのは追放も同然ぢゃ。……(コーディーリャに對ひ)神々も貴女をば愛憐んで、 お護りなさるゝであらう、思ふこと正しく、其言ふこと更に最も正しい娘御!…… (ゴナリルとリーガンに對ひ)孝行らしい口吻から善い結果の生ずるやう、實行によって大言の始末をなされ。 ……(皆々に向ひ)おゝ、かた~゛これで暇乞ひをいたします。 住み慣れん國に合せて爲慣れた生活を續けませうわい。
ケントしを~として入る。
喇叭の聲盛んに起る。グロースター伯が先きに立ち、フランス王とバーガンディーの公爵とを案内して出る。 從者大勢ついて出る。
グロー
フランス王とバーガンディー公とが渡らせられてござります。
リヤ
(冷靜を裝って)バーガンディーどの、先づ貴下に尋ねまする、 貴下はそれなる王と末女を爭ひめされたが、貴下が、 若しそれだけを得る能はざれば此縁邊は止めるとある最低額の化粧料は幾何でござるの?
バーガ
大王殿下、手前は豫てお約束のあった以上を要求致しません。また、あれ以下をお遣はしではございますまい。
リヤ
バーガンディーどの、彼れめをかはゆう存じてをった時分にはさうもござったのぢゃが、 今は値が下りました。それ、そこに居りまする。若しあの見すぼらしい體内に存在する者が、いや、其全體が、吾等の勘氣を蒙ったがために、聊かの財産も添ひませんが、それでもお氣に適ふたら、 それに居りまする、お伴れなされ。
バーガ
失禮ながら、さういふ御條件では、推選いたしかねます。
リヤ
なりゃ、お棄てなされ。神かけて、只今申したのが彼れが財産の全部でござる。……(フランス王に) 大王よ、吾等は貴下の御懇請を重んじまするによって、吾等が憎う思ふ者をお娶りなされいとは申しかねる。 ぢゃによって、現在の親すらも子といふことを恥づるやうな女よりも一段立派な者へ愛情をお向けなさるがよい。
フラン
さて~、竒怪なこと!つい先刻までは貴下の御祕藏であり、貴下が御称讚の主題でもあり、 御老體の藥膏でもあり、最善でもあり、最愛でもあった姫が、 忽ちのうちに八重九重の恩惠を剥ぎ去られねばならんほどの大不埒を犯されたとは。定めし、 前々御吹聽あった愛情が健全である限りは、姫の罪は竒怪至極と申すほどの甚しいものでございませうな。 併し姫にさやうなことがらうとは、奇蹟でもなくば、吾等の理性の能う信じませんことでござる。
コーデ
(王の前にひざまづきて)殿下にお願ひ申し上げまする、もしも……妾は、 心にもない事を滑かに言ふことが拙うございますゆゑ、……妾は心に思ふたことは、 言ふよりも先きに行はうと存じますゆゑ、……どうぞお願ひ申しあげまする、妾が御寵愛を失ふたのは、 決して不品行でも、汚はしい振舞ひでも、不貞操でも、不名譽の所業でもなく、 諛ふ目附や辯舌を有たぬゆゑに御勘氣を受けたのぢゃとおっしゃって下されませ、 それらを缺いでゐるために御寵愛を失ふたけれど、自身では、それが無いのが徳の有るのぢゃと信じて、 寧そ喜んでをりまする。
リヤ
(いよ~怒って)親に怒りを起さすやうな汝、生れをらなんだがましぢゃわい。
コーディーリャは泣き顏になりながらも、詫びようとはしない。
フラン
只それのみで?爲やうと思ふ事をも兎角いはずしておく語少なの持前?…… バーガンディーどの、姫に對する其許の意見は?愛も眞の愛ではない、 愛のみを主とせんせ他の條件を交ふるやうでは。姫をお迎へなさるか?其身そのまゝが化粧料といふ事ぢゃが。
バーガ
リヤ王殿下、前にお申し出しあったゞけをお添へ下されい、 手前即座にコーディーリャどのを迎へてバーガンディー公爵夫人といたしまする。
リヤ
何も遣はしません。誓ふた上は、決定してござる。
バーガ
(コーディーリャに)お氣の毒ながら、父御をお失ひなされたゆゑに、夫をも失ひめされた。
コーデ
(傍白)バーガンディーどの、御機嫌よろしう!……財産を目的の愛情であるからは、 (迎へようといはれたとて、お前の)妻にならうとは思ひませぬ。
フラン
(コーディーリャに)コーディーリャどの、貧しうて却って最も富み、棄てられて却って最もいみじく、 憎まれて却って最もいとほしいコーディーリャどの、あなたとあなたの徳操とを吾等が拾ひまする。 棄てられたものを拾ふに故障はあるまい。(と手を執って)あゝ、あゝ!彼等はこれほどに冷かに取扱ひをるのに、 不思議にも我が愛情は烈火のやうに熱して燃ゆる。……殿下よ、 化粧料もない貴下の令孃を偶然に拾ひまして、吾等が妻、我が國民の妃、 我がフランス國の王妃といたしまする。水くさいバーガンディー公爵が幾人あらうと、 此價の知れぬ淑女を我が手から買ひ取ることは出來まい。……コーディーリャどの、 人々に暇乞ひをなされ、むごい人逹ではあるが。此處を失ふて、 貴女は此處よりも更に善い處を得られたのぢゃ。
リヤ
其許に進ぜまする。御自分のになされ、吾等はそのやうな女は有たん。 又と其面を見まいわい。……
王は席を蹶って起つ。
ぢゃによって、立去りをらう、父の恩愛もなしに、祝福もなしに。……さァ~、バーガンディーどの。
喇叭。フランス王と、ゴナリルとリーガンとコーディーリャとだけ殘りて、皆々入る。
フラン
姉上たちに暇乞ひをなされ。
コーデ
父上御鍾愛のあなたがたへ、涙に浸る目でコーディーリャがお別れ申しまする。 あなたがたのお氣質はよう知ってゐますけれど、妹の身としては、 世間で謂ふあなたがたの缺點を口にするに忍びません。父上に孝行をなされて下され。 口に出しておっしゃったあなたががたのお心に父上をお頼み申しまする。……けれども、 御勘氣を受けてゐなければ、もっと善いところへ頼んでゆきたい。……さやうなら、おふたりとも。
リガン
わたしたちへの務めぶりのお指揮には及びません。
ゴナリ
御自分の殿御の機嫌を損ねないやうになさい、運命のお餘り程に思ふて、お前さんを拾ふてくれた殿御です。 父上に從順を怠ったお前さんです、自身が缺乏した其不徳相當の缺乏が身に報いますのよ。
コーデ
八重に包んだ虚僞が今に露見する時が來ませう。惡いことは如何掩ひ隱してゐても、 遂には恥辱を受けねばなりません。……さやうなら!
フラン
さァ~、コーディーリャどの。
フランス王はコーディーリャを促して入る。
ゴナリ
いもうと、二人の身に密接に關係したことで、いろ~話したいことがあります。 父上は今夜にも最早いらっしゃりさうだよ。
リガン
きッとさうです、あなたのとこへ。來月は私どもへ。
ゴナリ
知っての通り、齡のせゐでおそろしく氣まぐれにおなりなされたわね。 その證據を見たのは一度や二度ぢゃない。いつでもコーディーリャは一番のお氣に入りであったのに、 あの通り、譯の分らん理由で勘當ぢておしまひなさるんだものを。
リガン
老耄のせゐです。それでも御自身には殆ど氣が附いてゐませんの。
ゴナリ
若い健全な頃でさへも一徹短慮な人であったのが、齡を取りますったんだから、 永い間性癖となった弱點にかてゝ加へた老耄で、怒りぽくもなって、 始末におへない我儘をなさると思はねばなりません。
リガン
わたしたちとても、彼のケントと同じに、いつ、どんな氣まぐれな目に逢ふか知れませんよ。
ゴナリ
フランス王が出立するので、挨拶や何かで、奧ではまだ手間が取れませう。……どうぞお前さん、 わたしと合體してやって下さい。もし父上があゝいふ氣立で威をお揮ひなさるやうであると、 權力を渡して貰ったからッて、有害無益ですよ。
リガン
尚ほ善く御相談いたしませう。
ゴナリ
どうにかせにゃなりませんよ、今のうちに。
二人とも入る。
坪内逍遙(1859-1935)譯のシェークスピヤ(1564-1616)作「リヤ王」です。
底本:昭和九年十月廿五日印刷、昭和九年十一月五日發行の中央公論社、新修シェークスピヤ全集第三十卷。
【ネットでの底本】
osawa さん、投稿(更新日: 2003/02/16)
2025年9月22日 一部訂正(底本中の、ふりがなは、ruby タグを用いた)にてアップ。