中井正一「土曜日」巻頭言(13)

◎手を挙げよう、どんな小さな手でもいい  ー九三七年三月二十日


 ものごとは、理屈通りにはゆかぬという人々がいる。
 しかし、ものごとのほうが、これ見よがしに一歩もゆるがせにせずに、正しくその法則を護り、寸厘も、間違わない。
 人間が間違った意見をもっていれば、その間違っていることを現象の上に示してくれる。理屈通りにゆかぬのでなくて、ものごとの正しさに理屈が副っていなかったのである。
 ギリシャ以来、人々がものを考えはじめたのは、この自然の中に、美しい秩序が厳然とあることへ の驚きから出発したのである。
 美しい秩序が水の中にも、石の中にも、星の中にもあること、また人間の体の中にも、その系図の中にも、また人との関係の中にもあることを発見したとき、人間はただの石や水とは、異なったところのものになった。その秩序の中にいて、その秩序を保持する責任をもつ、この宇宙の唯一つの存在となったのである。
 この広漠たる宇宙の中で、人間はそのみずからの秩序を守る責任をもつ唯一つの存在である。
 新たな秩序を生み出すことすらできる自由をもつ唯一つの存在である。
 しかし、この自由は、秩序を自分で打ち砕く自由をも許しているのである。この自由のゆえに人間は、その機構を人間が見守らないと、自分で自分の秩序を投げすてる危険をも許すのである。
 今、人間は、その危険の前に立っている。
 人々は、自分がその危険を感じていながら、その理由がわからないことがある。それを、拒否すべきことを知りながら、否定の理由がハッキリわからないことがある。拒否すべき現実がハッキリしながら、否定すべき理論がハッキリしないことがある。それは、否定のない拒否である。それは往々にして、いらいらした、断乎として、といったようなやりきれない心持ち、いわば、信念となってくる。
 この信念の中には、過去に一度理由をもったが、今は他のものとなった宗教的な、または封建的な、商業的な、産業的ないろいろの残滓物がゴッチャになって、チラチラとフラッシュのように陰顕する不安定なものとなる。
 このイライラしさが暴力に手を貸すとき、人類の秩序は一瞬において破滅に面するのである。
 どんな小さな手でもいい。
 その軌道が危険であることを知らすためにさし挙げられなければならない。

中井正一「土曜日」巻頭言(12)

◎野にすみれが自由に咲くときである      ー九三七年三月五日

 一日一日、野も山も、草も本も、その装おいを変えている。
 何人がこれを止めうるか。止めえようもない静かなカが、物の秩序の中にみずからを押し進めている。
 星の移りに驚きの眼を睜り、四季の変りに怖れを抱いた原始人の畏敬は、物の秩序の動かすベ からざる厳しさに端的に向かった心持ちである。
 人間は、生きるという大きな不思議を、この物の秩序の中に読み取ろうとしたのである。物の秩序の上に、生きる秩序を築こうとしたのである。自分の秩序を、あるいは謬り、その謬りをはずみとして、新しい真実の中に、みずからを押しあげ、試み、切り展いてゆく新たな行動としての秩序を創造しているのである。一本の堇が星よりも強いのは、それが野に生えてくる秩序をみずからで創っているからである。
 それが生きていることの誇りであり、尊厳である。
 しかし、人間は今、人間の秩序を放棄している。
 弾丸の弾道の秩序の精密な研究は、人間の智力の究めたところである。しかし、その弾丸の落ちてゆく目的地は、砕け去る相手は、人間と、人間が永く築いた、人間の秩序である。すべての秩序が何物かの奴隸となっている。花に対して、星に対して、弾道の秩序に対してさえも、恥しいのは人間である。
 ロマン・ローランは、ー九一四年、十二月四日、フランスに書き送った。「私はもはやフランスの知識階級を誇りとしない。思想界の指導者たちがいたるところで衆愚に降伏していったあの信ずべからざるほどの弱さは、彼らが背骨を有しないものであることを十分に証明した。……」
 そして、彼らを弱くする、魂に抱く、イドラを粉砕するものは誰か?
 ローランは答える「野に生ゆる自由の菫」であると。
 日本に生くる幾人の人が、今、この春の光の中に生まれ出ずる自由な菫に、恥じずにいられるだろうか。

中井正一「土曜日」巻頭言(11)

◎正月の気分は遠い追憶に似ている  一九三七年一月五日

 一九三七年が全世界に一様に来ることは何でもないようだが、人間全体に一様の親しい感じがするものである。「元旦や昨日の鬼が礼に来る」といったように、年のはじめは対立感情がフトなくなる日である。
 一体お祭りとか騒動は人を結びつけるものである。東京震災のとき『ロンドン・タイムズ』は、「かかる災害にあって、人間は文明のヴェールがいかに薄いかを知る。日本は今やS・O・Sをかかげるべきである。全世界は直ちにこれを救いにいかねばならない」と書いた。米国からは食糧や毛布や靴や義援金を積んで軍艦が全速力をもってやってきた。
 そこには何の私心もありえようがないほどの咄嗟のことであった。これがあたりまえの人の心であり、これでさえあれば何の悲しみも怖れも、この三七年度にはないわけである。
 文明のヴェールはいつでも人間にとって薄いのだし、全世界の人間は、ただでさえ、そう楽に生きてはいないのである。東京震災のあの瞬間に全世界にあたえたショックのような気持ちが永くつづいてくれさえしたら、わが世は永遠の正月気分なのである。課長も社員も、やあおめでとうといったような正月気分でいられたらどんなにいいかと思わぬ人はあるまい。
 しかし、救いにきたその軍艦が東京震災くらいいつでも再現できることを、気づきはじめると、わが世の春も酔もさめる感じがする。
 文化というとむつかしいようだが、この正月気分のように、人間が瞬間ホッと本然の自分にたち帰った気持ちと行動を、いろいろ分析し守り育てることなのである。
 その本然の姿とは、それに帰ろう、それに帰ろうとしている人間の失った故郷である。歴史の幾千年もの過去は、その本然の姿の中に生きていたのに、いろいろの機構が、人間をそこから引き離し、追い出し、追放したのである。
 これに反して、人間ができたとか、しっかりしてきたということ、この素直な心を曲げて歪められた世界観で塗り固め、一つの疎外された世界観でガッチリ凝り固まる。そのことは口にはいわないが、実に淋しい影を人間に与えた。
 正月とかお祭りとか騒動、または物想うとき憩うとき、この凝り固まった殻を破って、それを溢れて、遠い遠い想い出と懐郷の気分が、平和と自由と協力の懐しさが込みあげてくるのである。抑えた真実がその姿を包みきれないのである。
 今年も、週末の何れの日をも、この真実を解放する憩いと想いとしようでないか。

編者注】図は、「土曜日」1937年1月号表紙

中井正一「土曜日」巻頭言(10)

◎真理は見ることよりも、支えることを求めている 一九三六年十二月五日

 ある人たちはあるいは世の中はもっと悪くなるかもしれないという。そのいろいろの理由をあげ、その必然を説いてくれる。
 そして若い人たちが無邪気に真理とし、欠乏を欠乏として主張するとき、そんなことは今の時勢では通らないし、無駄な努力だという。
 そして、いつかよい日が向こうから歩いてくるかのようにわずかな行動をも止め、また他の行動を批判し嘲笑する。
 世の中がもっと悪くなることを知っていることが、あたかも歴史の全部の知識であるかのごとく、弁証法の全部であるかのごとくである。果たしてそうであろうか。
 地図に描いた線のように、図式的に一つの点から他の点に歴史がその道を辿るものだろうか。辿るといって横から見ていていいはずのものだろうか。
 そうではない。
 一つの動きから他の動きに移るわずかな移動の、その動きのモトはなんであるか。それをもう一度考えなおさなければならない。
 生活の真実が、あらゆる無理な暴力に抵抗する。その抵抗の真実が、歴史のあらゆる動きのモトではないのか。
 世の中が悪くなれば、その無理な暴力にさらに抵抗する自然な力が、歴史そのものを動かしているのであって、善くするも、悪くするも、日常の小さな人々の正しさを支える主張の上にかかっているのである。
 人々の小さな欠乏が、その欠乏を自覚して正しくその主張を高めることによって、歴史と生活が、その方向を正しく変えてくるのである。
 真理は平常の小さな事の中にかくれているのであって、大げさなポーズや、知ったかぶりな図式の中にあるわけではない。
 どんな大きな声で演説してみても、旗と行列を何年繰り返してみても、何の英雄も一番簡単な肉の値段を一銭でも下げることはでぎなかったではないか。否、数字はその反対を黙って物語っている。
 真理と勝利は常に日常の生活の味方である。自分たちの小さな生活の周囲の、どんな小さな正しい批判も、どんなささやかなる行動も、それは歴史を一端より一端に移動せしめる巨大なる動きのモトとなりうるのである。
 歴史は横から見られるよりも、その中に入つて、それを支えることを求めている。男も女も諸君の一つ一つの小さな手が、手近な生活の批判と行動を手離さないことを、真理は今や切に求めている。

中井正一「土曜日」巻頭言(09)

◎秩序が万人のものとなる闘いそれが人間である ー九三六年十一月二十日

 ある哲学者は、自分の存在を、自分で否定できること、例えば自殺することができること、これが人間が存在それみずからよりも優れた自由をもっている証拠だという。
 それが、石やら、星やら、動物よりも、人間がすぐれている証拠だといおうとする。
 そのことはとんでもない間違いである。
 自分が自分で死ぬことは、人間の闘いとったみずからの秩序に、暴力を奮って、それを破壊して土とか、水とかの秩序に還すことである。
 それは決して、人間の誇りではない。
 人間の誇りは、死を賭して、破滅をも賭して、人間の秩序が万人のものとなる創造への厳かな闘いを挑むことの中にあるのである。ダダ的な単なる破滅への戯れ、似而非抑的な無への落着、「地の涯」的な虚無への感激、フランコ的な存在そのものへの火遊び、ただそれだけでは秩序へのいたずらなる暴力である。
 しかし、また行動のないただ秩序の認識、図式的な歴史の推移の見透しと見極めだけでは、それがいかに賢明であっても、それがいかに的確であっても、ただそれだけでは秩序のいたすらなる無力である。
 秩序の正しい認識の下に、しかも欠乏に差し出す嬰児の学のような、直截な無邪気をもって、命を賭けた秩序が万人のものとなる創造への闘い、この闘いの中に、一個の人問の意味のすべてが含まれているのである。
 新たなヒューマニズムは、命をかけていることの感じの中に在るのでもなく、また単なる合理の誇りでもない。
 合理が万人のものとなることに向かって、自由に向かって、存在そのものをかけている關い、この存在みずからの賭けられた存在、命をかけた命、この中にヒューマニズムの意味があるのである。
 しかもこの合理に向かって存在をかける闘いは、幾万年の人間の闘いの勝利を教えてくれた方法である。
 合理が万人のものとなることが、弓矢と武器を獲ることよりも、もっと近道であり、困雄でもある、最も急を要する大切なことであることを知らせてくれたのも、この闘いの幾万年の教訓である。
 私たちは週末の一日をこの幾十万年の人間の誇りを顧ることに皆そうではないか。

中井正一「土曜日」巻頭言(08)

◎人間の最後への勝利への信頼が必要である ー九三六年十一月五日

 水がすき間があれば常に低いところに降りるように、自然は噓をついたことはない。
 人間はこの噓のない自然の現象に副って、みずからを処してゆ.くほかはないのである。そして、自然と闘い、人間みずからの生活を合理化してゆくこと、それが生きてゆくということである。生活みずからにも人間は噓はつけないのである。噓をついたところで、足下から、それははげてゆくのである。
 何故なら自然と人間との戦いは切実であって、噓を許さないし、噓をつけば人間は直ぐみずからを傷つけずにいないのである。
 噓はすぐ傷となってあらわれる。
 小さい傷なら、噓は噓をもって覆える。しかし、そのことによつて傷はそのロをより大きく開く。
 覆うべくもない傷口となって万人の前に横たわるのである。
 噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。
 万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。
 そのとき、人間はまともに自然に向かう戦いに参加することができるのである。そして、実に数百万年を勝ってきた人間の勝利の戦列に加わることができるのである。
 人間のなした過失が二千年つづいたといって、嘘を二千年いわれつづけたといって、地球を支えるアトラスのように、すべてを支えてきた人間たちは希望を失いはしない。
 人間の祖先の親しむべき人たちは数万年をどしやぶりの雨の中に、数十万年を氷河の中にみずからの生活を守りつづけてきたのである。そしてそれを正しく守りつづけたからこそ、ここに存在したのである。
 今ここに人間がいることは、希望を失い、自棄に堕ちるには余りにも切実であり、真実への闘いの結果なのである。
 結晶がその噓のない秩序を宇宙の前に誇るように、人間はその秩序を宇宙の前に築きあげつつあるのである。

編者注】
 嘘・虚偽が、特に「政治」や「ビジネス」の世界で、まかり通る世の中なれど、長いスパンでみると、「真実」が優ると信じる他ないのだろう。「噓に対して闘うものは、言葉でなくして、最後は生活の事実である。万人の生活があらゆる噓を噓として示し、生活みずからの矛盾として現われた場合、真実はたとい何人の言葉をも、雄弁をも借りなかったとしても、みずから万人のものとなるのである。」
 先日、医療生協の地域でのまとめ役だった、S さんが亡くなった。嘘のない人柄は誰からも好かれていた。十年以上まえになるだろうか、母の日を前に、カーネーションのギフト券を、「お母さんへのプレゼントに使いよし。」と進呈したことがあった。彼は、そのままその券を、母親に手渡したそうだ。「花を買ってから、それを渡すもんや!」と思ったが、彼らしい率直さの現れだったかもしれない。最晩年は、幾たびかは、意にそぐわないことも多かったと推測するが 彼の誠実な人生を思い、心から悼む。

 図は、「土曜日」の3度目の表紙。

中井正一「土曜日」巻頭言(06)

◎ポーズに気づいた瞬間に行動は空虚になる ー九三六年九月十九日

 みっちりしたボー卜の練習をしているとき、漕いでいる者がフト岸を気にし出したとき、敏感な舵手にはそれがわかるものである。
 自分のフォームを人が見ていると思い、また見せようと思った瞬間、一本一本水に切り込んでいる櫂先から、スーッと力がさめるように消えてゆくものである。
見てくれ<傍点>のこころ、これでどうだのこころ、こうしているんだよ、のよの字<傍点>。それは切っても切っても流れる水のように、こころの底に溢みくる湿気である。
見てくれ<傍点>のこころはそれがどんなにかすかであっても、マネキン人形のもつ硬さをもっている。それは単なるポーズである。行動はこわばり、止まり、やがて他のものに転換してゆく。とんでもないものに移りゆく。
 このベルトに一端を喰われたら、どんなにもがいても、あせっても、あばれても、それはユックリその道を辿って、マネキンがそうであるように、喰い込まれ、きざまれて、売り物になってゆく。レッテルの貼られた何物かが、その腕から下げられる。
この見てくれの自分のポーズの下をかい潜って、身を翻して、行動みずからの真実の中に拶入することは、チョトやソットの困難ではない。
 自分が未だつかんでいない真実を主張して議論が前のめりになっているとき、周囲の見透しのないのに、見ろ<傍点>と身構えて見るとき、いつもポーズは変装して、こころの底で道化ている。
 ポーズはそれが悪意であるときよりも善意であるときにしのび込んでくる悪戯者である。何故なら賞められる<傍点>ということの中に糜爛剤を落してゆく奴なんだから。
 そしてポーズをなくするということにこだわれば、またニヒリズムのポーズとして、彼はくっついてくるのである。それは人間を行動より奪い取る一つの思想の真空である。
 見ること<傍点>にだけ終始するものは、この見られる<傍点>ことを、気にすることは永遠に断ち切ることができない。嬰児のごとく、卒直に欠乏に泣き欠乏に手をさしのべる行動<傍点>こそが、はじめて嬰児のごとく自然の前に險を閉じ、自然をも万人をもまた彼の前に無限の愛をもって眼を閉じしむるのである。
 われわれの機構の中に何が欠乏しているか、それに卒直に手をさしのばすことは、ポーズに手渡すには余りに厳かな必要である。
『土曜日』はあらゆるポーズを脱るる半日である。

編者注】
 写真は、「土曜日」第34号(昭和12年・1937年6月5日号)に掲載された、淀川長治氏の投稿。この号はさしずめ、映画「失われた地平線」(Wikipedia)特集号のようだ。反ファシズムの「牙城」ともいうべき「土曜日」は、このように多彩な執筆陣を備えていた。淀川長治氏なども、その気骨ある一人である。

 画像の二次利用はご遠慮ください、

中井正一「土曜日」巻頭言(05)

◎どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕こう 1936年9月5日

 ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』の中に忘れられない一つのシーンがある。ミーチャが検事の訊問の後、疲れの後に夢見る場面がある。何処か荒涼たる曠野を旅行しているらしい。霙の中を馬車は走っている。妙に寒い感じである。
 直ぐ近くに小さな村があって、何軒かの真黒な百姓家が見えている。百姓家の大半は焼払われて、ただ焼残った柱だけが突立っていた。村に入ろうとすると道の両側に大勢の女達が並んでいる。みんな瘠せさらばっって妙に赤ちゃけた顔をしている。
 一人の女が手に泣き叫ぶ赤ん坊を抱いている。彼女の乳房はもう乾上って一滴の乳も出ない。赤ん坊は寒さのために土色になった。小さな露出しの掌を差伸ばしながら声を限りにないていた。
 ここで、ミーチャは印象的な問を繰返し出すのである。そして、「いいや、いいや」……「聞かせて呉れ、何故焼出された母親達がああして立っているんだ。何故人間は貧乏なんだ。何故餓鬼は不幸なんだ。何故真裸な野っ原があるんだ。何故あの女達は抱合わないんだ。何故接吻しないんだ。何故喜びの歌を歌わないんだ。何故黒い不幸の為に斯んなに黒くなったのだ。何故餓鬼に乳を飲ませないんだ?」
 彼は心の中で斯ういう事を感じた。自分は愚かな気違じみた訊き方をしている。けれども自分は何してもこういう訊き方をしたいのだ。何うしても訊かねばならないのだ。彼はまた斯うも感じた。今まで一度も経験した事のない感激の中に泣き出したい様な気持にさえなった。そしてもうこれからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく……。
 ドストエフスキーのこんな場面とその感じは、夢よりももっと痛切な現実である。感じだけに立止まればそれは夢である。しかし、人間がみんなでこの不幸の状態に自らを導いたのだと気付いたとき、この不幸を耕す鋤を腕に感じた時、そこに招くが如き新しい光がさし来り、刺す様な現実として醒め来るのである。どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕けばよい。その行動は、この感じと夢が、どんなに困難であるかということと、命を賭ける値ある悦びであるかということを知らしめるであろう。

編者注】
 かろうじて残っていたFacebook ノートより。戦前の良質なドストエフスキー受容がそこにはあると思う。

 この八月に、学生時代の芝居仲間の、F君が亡くなった。能登への地方巡業(「ドサ回り」と称していた)の時、酒を飲み夜遅くまで騒いでいた時、F君がぬっと現れ、「夜は寝るもんや!」と言われたことを今でも鮮明に覚えている。彼のK高校在学中、彼なりに「激動の時」を経験し、大学入学後は学部は違ったが、芝居でも、役づくりに真剣で、彼の生真面目なところが魅力的だった。卒業後、久しぶりに「政治的」な話をしたところ「学生時代のあの頃と変わらんな!」と返してきた。
 自分では、変わったつもりであり、その言葉に一時的には厶ッとしたが、今考えれば褒め言葉だったかもしれない。ありがとう、F君!「これからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく」という自分の心にあるミーチャの思いは変わらないのだよ!

中井正一「土曜日」巻頭言(04)

◎星を越えて、人間の秩序は、その深さを加える 一九三六年八月一日

 星が数字を知っているかぎり、人の世が誤差のみを辿ることはできない。
 分秒を違えずに、日触の時間があらかじめわかることは、何でもないことのようだが、不思議なことではないか。別に人間の理論に天体が従ったわけではない。悠久の古えより、物質が辿る秩序を、人間がさぐりあてたのである。
 誰にも命令を受けない物質が、みずからの本源のカと力の組み合いの中に、ゆれながら、ふるえながら、みずからの位置を辿っているのである。そして、その地上に生きる者にまでわかるほどの秩序が、そこに沈んでいるのである。
 数千万年を土の中にうずもれている物質が、自ら自らの結晶の秩序を忘れないのはどうだ。顕微鏡の下に 一分の謬りのすきをも見せないこの細かな感覚はどうだ。人間がダイヤモンドに驚異を感じたのは、今人々 が見ている様な憎むぺき感情のもとに於いてではない。強靱なこの秩序に対する畏れよりしてである。恥し いのは人間である。
 互に組合うぺき秩序より、ひそかに脱落し辿るぺきさながらの位置より、みじめにも遁走し、更に敢えて 人々の友愛と知惹をかきみだし、人々の明日への希望を打砕いているのは誰であるか。外でもない、自分逹自らである。
 星を見れば恥じ、水を見れば恥じ、花を見れば恥じ、石を見れば恥じなければならない物が人間である。
 しかし、重大なことが残っている。
 星がいかに怜悧でも、結晶がどんなに巧緻でも、人間のこの激しい秩序への動揺は、知らないのではないかということである。
 人間にとって、人間の中に棲む自然と秩序は老いている。若い人間がそのふるえている手を取らなくてはならない。手を借さなくてはならない。
 人間の尊厳とは星のそれではなく、花のそれでもなく凡ての謬りを機みとして、新しい真実の中に、自らを押し上げ、試み、切展いて行く行動の中にある。 この重い動きと強靱な秩序への見透しの中に人間の厳かさがあるのである。
 星を越えて、秩序はその深さを加える。
 星が大きいとて、この闘いに比すれば愚直である。星が数字を知っているとて、この闘いに比すれば静謐である。人間の滅ぴることは、この闘い故に、悠久の徴しとなるのである。
 憩いと想いはこの尊厳と悠久の帰り棲む場所である。

『土曜日』第十三号

編者注】図は、『土曜日』から「藤井大丸」の広告。叔母は、少々「しぶちん」だったので、デパートに連れてもらった時は、よく京都駅前の藤井大丸にでかけた。河原町の高島屋などは、値が張るのが、一つ、西洞院五条から河原町までより、京都駅前までのほうが、歩いて近かった(もちろん、西洞院通りを走る、明治以来の路面電車には乗せてもらえなく、四停留所分くらい歩かされ、子どもの身にとっては辛かった。)が二つ。藤井大丸の食堂で、オムライスだったかな?食べさせてもらった時、叔母曰く「ようけ歩いたから、お腹へって、おいしんやで!」。それ以来、オムライスは私のソウルフードになった。付け加えると、広告にあるように、蒸し暑い夏の京都で、冷房完備をうたった店舗だったせいかもしれない。幼少時の想い出の一つである。

中井正一「土曜日」巻頭言(03)

 今回は、すこし掲載順を変え、「土曜日」第十五号( ー九三六年八月十五日)から…

◎虚しいという感じだけに立ち止まるまい

 人は営みの嵐音の中で、すき間を洩れる風のような不思議な想いにめぐりあうことがある。
 何故こんなに多くの人々が歩いているのか。何故こんなに多くの人々が苦しんでいるのか、何故苦しみがあるのか。何故こんなに忙しいのか、何故人は笑っているのか、何故泣いているのか。
 小さな子供が母親にいくらでも問いかける問のような、何か大きな問が、次から次へと追いかけるように、止まることなく湧いてくることがある。
 それは想いというよりは、一つの感じである。自分にもわからない一つの心の動きである。そよそよと吹く風が、大気の全体を音もなく動かしているような、あらゆるものを親しく撫で、触ってゆく微かな感じである。
 そしてそこに漲るものは、大きな虚しさである。このすべての営みが全体をあげて、寥々たる無の中に沈んでゆくのではないかという感じである。
 それは実に太古の民もが、大きな自然や、激しい人生に臨んで、いだいた感じであり、その時代その時代において、その色合いが変わりその現わしかたが違ってきた想いである。そして、その想いの中に立ち止まって、それを、「道」にまで変えてきたことが度々である。
 しかし、大切なことは、この感じを、この虚しさだけに立ち止まらせては、ものを半分で止めて打ち切っているのだと気づくことである。
 すべての物のさながらな生きいきした動きが、いろいろのものに拒まれ、いろいろのものによってそらされていることを、微かにも気づいた人間の心が、この感じである。利刃のような鋭さをもって切り裂いているこのいいあらわしようのない豊富な人間の心が、この漠然とした感じである。この大きな虚しい心である。この虚しい心は、虚しさだけで立ち止まってはならない。この感じこそすべての行動のはずみとしての感情の基礎であり、知識の源である。批判の精神の原始的な無尽の蔵である。
 烈々とした、人間の明日へののぞみに直ちに打ち変わる原鉱であり、ほんとうの知恵の嵐の最初の微風である。それは手離さないことによって、人間のあらゆる正しい行動の原動となる至宝である。
『土曜日』はかかる宝のいっぱいにみちている倉庫である。

編者注】
 総選挙も終わり、「虚しいという感じだけ」の現在の心境にピッタリのタイトルである。これから各政党で虚々実々の駆け引きが盛んになるだろう。そういう意味では「激動の時代、先のわからない時代」の訪れである。その中では、その場限りの言い訳や当たり障りのない言葉、もっときつく言えば、嘘、騙し、虚偽の言葉などやがて削ぎ落とされるに違いない。沖縄から、ほんのりと風があったが、「ほんとうの知恵の嵐の最初の微風」を感じたかどうかはおぼつかない。人々の暮らしの営みを静かに、しかもしっかりと見守ってゆくしかないのかもしれない。この巻頭言が書かれた九年後に、日本が迎えた敗戦の日を、それに至る狂気の戦争の日々を含め、絶対に来ささないためにも。

 図は、「土曜日」に掲載された、京都市の喫茶店の広告。なかには、今も続いている店もあるという。