中井正一「土曜日」巻頭言(07)

◎集団は新たな言葉の姿を求めている ー九三六年十月二十日

 人間が四つの足から二本で立ち上ることを覚えるには数万年を要したのである。
 人間が言葉を覚えるにもまた数万年の歴史が絶えざる努力を要したのである。
「言う言葉」から「書く言葉」をもつようになるにも人問はどんなに苦労をしたことか。
 かくして、人間は、生きることを合理化し、動物としては、この宇宙的星辰の中に、唯一の、星の秩序を読み取ることのできる存在として生きつづけてきたのである。
 この存在の中に、存在のみずからの働きの中に、合理的なものを見出すことのできること、みずからの生活を合理化できること、これが、この数千万年を辿りきた人間の誇りである。
 人間が滅びることが、敢えて誇りとなるほどの、地球上の不思議な事実である。
 このことが「文化」ということなのである。人類は地殻の上において孤独であるのみではない。この無限である時間と、空間の上において、孤独である。
 この獲きたった合理的な営みを、わずかな人間たちの暴力の中に、争いの中に、破波に堕すには余りにも歩みきたった生活は苦しかったはずである。
 常に新しい文化を、新しいみずからの生活の合理を発見してゆくこと、これが生きているということにほかならない。
 言葉が、「書く言葉」から「印刷する言葉」を発見したとき、人々はそのもつ効果に驚きはしたが、それをみずからのものとしたとはいえない。
 その発見は、数百万人の人間が、数百万人の人間と、ともに話し合い、唄い合うことができることの発見であった。
 しかし、人々は、話し合いはしなかった。一般の新聞も今は一方的な説教と、売り出し的な叫びをあげるばかりで、人々の耳でもロでもない「真空管の言葉」もまたそうである。ますますそうである。
 今人々は集団において、建啞的である。
 この『土曜日』は、今新しく、すべての読者が執筆者となることで、先ず数千人の人々の耳となり、数千人の人々の口となることで新たな言葉の姿を求めている。
 数千の人々が数千の人々と話し合うことのできる、新たな話し声を発見しつつある。人間の発見しなければならないのは、機械と装置ではない。人間の新たな秩序への行動である。
 この『土曜日』の数千の人々の話し声は、やがて数万人の、数百万人の、数千万人の、お互いの話し声となることがどうしてないといえよう。何故ならわれわれは、集団的な言葉を獲つつある聾啞者であったからである。

編者より】
 〚土曜日』の多彩な執筆陣に、小説家加賀耿二がいた。治安維持法で検挙され、保釈された加賀(石川県)出身の小説家と言えば?(戦後、彼は日本共産党の代議士となって活躍する。)図は、1936年7月4日・創刊号に載った彼の小説である。

数千の人々が数千の人々と話し合うことのできる、新たな話し声を発見しつつある。(が、)人間の発見しなければならないのは、機械と装置ではない。人間の新たな秩序への行動である。

 昨今の、AI や SNS だけで容易に扇動される、世情を見ていると、戦前の話とは到底思われない。

図の二次使用は著作権もあるのでご遠慮ください。

中井正一「土曜日」巻頭言(06)

◎ポーズに気づいた瞬間に行動は空虚になる ー九三六年九月十九日

 みっちりしたボー卜の練習をしているとき、漕いでいる者がフト岸を気にし出したとき、敏感な舵手にはそれがわかるものである。
 自分のフォームを人が見ていると思い、また見せようと思った瞬間、一本一本水に切り込んでいる櫂先から、スーッと力がさめるように消えてゆくものである。
 見てくれ<傍点>のこころ、これでどうだのこころ、こうしているんだよ、のよの字<傍点>。それは切っても切っても流れる水のように、こころの底に溢みくる湿気である。
見てくれ<傍点>のこころはそれがどんなにかすかであっても、マネキン人形のもつ硬さをもっている。それは単なるポーズである。行動はこわばり、止まり、やがて他のものに転換してゆく。とんでもないものに移りゆく。
 このベルトに一端を喰われたら、どんなにもがいても、あせっても、あばれても、それはユックリその道を辿って、マネキンがそうであるように、喰い込まれ、きざまれて、売り物になってゆく。レッテルの貼られた何物かが、その腕から下げられる。
この見てくれの自分のポーズの下をかい潜って、身を翻して、行動みずからの真実の中に拶入することは、チョトやソットの困難ではない。
 自分が未だつかんでいない真実を主張して議論が前のめりになっているとき、周囲の見透しのないのに、見ろ<傍点>と身構えて見るとき、いつもポーズは変装して、こころの底で道化ている。
 ポーズはそれが悪意であるときよりも善意であるときにしのび込んでくる悪戯者である。何故なら賞められる<傍点>ということの中に糜爛剤を落してゆく奴なんだから。
 そしてポーズをなくするということにこだわれば、またニヒリズムのポーズとして、彼はくっついてくるのである。それは人間を行動より奪い取る一つの思想の真空である。
 見ること<傍点>にだけ終始するものは、この見られる<傍点>ことを、気にすることは永遠に断ち切ることができない。嬰児のごとく、卒直に欠乏に泣き欠乏に手をさしのべる行動<傍点>こそが、はじめて嬰児のごとく自然の前に險を閉じ、自然をも万人をもまた彼の前に無限の愛をもって眼を閉じしむるのである。
 われわれの機構の中に何が欠乏しているか、それに卒直に手をさしのばすことは、ポーズに手渡すには余りに厳かな必要である。
『土曜日』はあらゆるポーズを脱るる半日である。

編者注】
 写真は、「土曜日」第34号(昭和12年・1937年6月5日号)に掲載された、淀川長治氏の投稿。この号はさしずめ、映画「失われた地平線」(Wikipedia)特集号のようだ。反ファシズムの「牙城」ともいうべき「土曜日」は、このように多彩な執筆陣を備えていた。淀川長治氏なども、その気骨ある一人である。

 画像の二次利用はご遠慮ください、

中井正一「土曜日」巻頭言(05)

◎どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕こう 1936年9月5日

 ドストエフスキーの『カラマゾフの兄弟』の中に忘れられない一つのシーンがある。ミーチャが検事の訊問の後、疲れの後に夢見る場面がある。何処か荒涼たる曠野を旅行しているらしい。霙の中を馬車は走っている。妙に寒い感じである。
 直ぐ近くに小さな村があって、何軒かの真黒な百姓家が見えている。百姓家の大半は焼払われて、ただ焼残った柱だけが突立っていた。村に入ろうとすると道の両側に大勢の女達が並んでいる。みんな瘠せさらばっって妙に赤ちゃけた顔をしている。
 一人の女が手に泣き叫ぶ赤ん坊を抱いている。彼女の乳房はもう乾上って一滴の乳も出ない。赤ん坊は寒さのために土色になった。小さな露出しの掌を差伸ばしながら声を限りにないていた。
 ここで、ミーチャは印象的な問を繰返し出すのである。そして、「いいや、いいや」……「聞かせて呉れ、何故焼出された母親達がああして立っているんだ。何故人間は貧乏なんだ。何故餓鬼は不幸なんだ。何故真裸な野っ原があるんだ。何故あの女達は抱合わないんだ。何故接吻しないんだ。何故喜びの歌を歌わないんだ。何故黒い不幸の為に斯んなに黒くなったのだ。何故餓鬼に乳を飲ませないんだ?」
 彼は心の中で斯ういう事を感じた。自分は愚かな気違じみた訊き方をしている。けれども自分は何してもこういう訊き方をしたいのだ。何うしても訊かねばならないのだ。彼はまた斯うも感じた。今まで一度も経験した事のない感激の中に泣き出したい様な気持にさえなった。そしてもうこれからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく……。
 ドストエフスキーのこんな場面とその感じは、夢よりももっと痛切な現実である。感じだけに立止まればそれは夢である。しかし、人間がみんなでこの不幸の状態に自らを導いたのだと気付いたとき、この不幸を耕す鋤を腕に感じた時、そこに招くが如き新しい光がさし来り、刺す様な現実として醒め来るのである。どんな小さな土の一塊でもよい、掌に取って砕けばよい。その行動は、この感じと夢が、どんなに困難であるかということと、命を賭ける値ある悦びであるかということを知らしめるであろう。

編者注】
 かろうじて残っていたFacebook ノートより。戦前の良質なドストエフスキー受容がそこにはあると思う。

 この八月に、学生時代の芝居仲間の、F君が亡くなった。能登への地方巡業(「ドサ回り」と称していた)の時、酒を飲み夜遅くまで騒いでいた時、F君がぬっと現れ、「夜は寝るもんや!」と言われたことを今でも鮮明に覚えている。彼のK高校在学中、彼なりに「激動の時」を経験し、大学入学後は学部は違ったが、芝居でも、役づくりに真剣で、彼の生真面目なところが魅力的だった。卒業後、久しぶりに「政治的」な話をしたところ「学生時代のあの頃と変わらんな!」と返してきた。
 自分では、変わったつもりであり、その言葉に一時的には厶ッとしたが、今考えれば褒め言葉だったかもしれない。ありがとう、F君!「これからは決して餓鬼が泣かない様に、萎びて黒くなった餓鬼の母親が泣かない様にしてやりたい。そして此の瞬間からしてもう誰の目にも、涙のなくなる様にしてやりたい。何んな障害があろうとも一分の猶予もなく」という自分の心にあるミーチャの思いは変わらないのだよ!