読書ざんまいよせい(050)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(018)
「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」から(続き)

編者より】
 チェーホフの最晩年の三作、「谷間」「僧正」「いいなづけ」は、どれをとっても、珠玉の作品である。
 ただ、前二作は、「いいなづけ」が「希望」の兆しが垣間見られたが、作品は、少しニュアンスが違う。「谷間」では、ロシアの田舎でも、「資本主義的な蓄積」がその開始時期も過ぎ、生産資本として成り立ってゆく時代の人物群像である。その代表である商人ツィブーキン家の次男の嫁、アクシーニアは、本格的な工場経営に乗り出す。その上で、長男の嫁リーバの幼子を、やや悪意を持って死なせてしまう。チェーホフは、その子を毛布にくるんで家路をたどるリーバの描写が物悲しく描いている。「僧正」では、幼い頃に別れた母親が、聖職者になった僧正ピョートルの礼拝の時も、名乗りをあげられない。その時は、ピョートルが、死の床にあった最期の時間に手を握りしめた一瞬であった。二作品で、チェーホフは、未来への展望は、一切語らない。チェーホフ的な「ペーソス」の極地であろうか?
 筆致や人物造形はまったく違うが、バルザックの、前者は、貴族階級の没落をテーマとした「農民」に、後者は、聖職者としての出世が思うようにいかなかった僧侶の寂しい晩年まで描いた「ツールの司祭」にシチュエーションが似ていることが興味深く感じた。

ーーここからーー

 彼は己れの卑劣さの高みから世界を見おろした。

 ――君の許嫁は美人だなあ!
 ――いやなに、僕の眼にはどんな女も同じことさ。

 彼は二十万円の富籤をつづけざまに二度抽き当てることを夢想していた。二十万ではどうも少ないような気がするので。

 Nは退職した四等官。田舎に住んで、齢は六十六である。教養があり、自由主義で、読書も好きなら議論も好きだ。彼は客の口から、新任の予審判事のZが片足にはスリッパを片足には長靴を穿いていることや、何とかいう婦人と内縁関係を結んでいることを聞き込む。Nは二六時ちゅうZのことを気にして、あの男は片足だけスリッパを穿いて、他人ひとの細君と関係しているそうですな、とのべつに彼の噂話をしている。そのことばかり喋っているうちに、挙句の果には奥さんの寝間へでかけて行くようにさえなる(八年この方なかったことである)。興奮しながら相変らずZの噂をしている。とうとう中気が出て、手足が利かなくなってしまう。みんな興奮の結果である。医者が来る。すると彼をつかまえてZの話をする。医者はZを知っていて、今ではZは両足とも長靴を穿いているし(足がよくなったので)、例の婦人とも結婚したと話す。

 あの世へ行ってから、この世の生活を振り返って「あれは美しい夢だった……」と思いたいものだ。

 地主のNが、家令Zの子供たち――大学生と十七になる娘――を眺めながらこう思う。「あのZの奴は俺の金をくすねている。贓ねた金で贅沢な暮しをしている。この学生も娘もそれ位のことは知ってる筈だ。もしまだ知らずにいるのなら、自分たちがちゃんとした風をしていられるのは何故かということを、是非とも知って置くべきだ。」

 彼女は「妥協」という言葉が好きで、よくそれを使う。「私にはとても妥協は出来ませんわ。」……「平行六面体をした板」……。

 世襲名誉公民のオジャブーシキンは、自分の先祖が当然伯爵に叙せられるだけの権利のあったことを、人に納得させようといつも懸命である。

 ――この途にかけちゃ、あの男は犬を食った(通暁しているの意)ものですよ。
 ――まあ、まあ、そんなこと仰しゃっちゃ駄目よ。家のママとても好き嫌いがひどいの。
 ――私、これで三度目の良人おっとなのよ。……一番はじめのはイヴァン・マカールィチって名でしたの。……二番目はピョートル……ピョートル……忘れちゃったわ。

 作家グヴォーズヂコフは、自分が大そう有名で、わが名を知らぬ者はないと思っている。S市にやって来て、或る士官と出逢う。士官は彼の手を長いこと握りしめて、さも感激したように彼の顔に見入っている。Gは嬉しくなって、こちらも熱烈に手を握り返す。……やがて士官がこう訊ねる、「あなたの管絃楽団オーケストラは如何ですか? たしかあなたは楽長をしておられましたね?」

 朝。――Nの口髭が紙で巻いてある。

 そこで彼は、自分がどこへ行っても――どんなところへ行っても、停車場の食堂へ行ってさえ尊敬され崇拝されてるような気がしたので、従っていつも微笑を浮べながら食事をした。

 鶏が歌っている。だが彼にはもはや、鶏が歌っているのではなくて、泣いているように聞える。

 一家団欒の席で、大学に行っている息子がJ・J・ルソオを朗読するのを聴きながら、家長のNが心に思う、「だが何と言っても、J・J・ルソオは頸っ玉に金牌をぶら下げちゃいなかったんだ。ところが俺にはこの通りあるわい。」

 Nが、大学に行っている自分の継子を連れて散々に飲み歩いた挙句、淫売宿へ行く。翌る朝、大学生は休暇が終ったので出発する。Nは送って行く。大学生が継父の不品行を咎めてお説教をやり出したので、口論になる。Nがいう、「俺は父親としてお前を呪うぞ。」「僕だってお父さんを呪います。」

 医者なら来て貰う。代診だと呼んで来る。

 N・N・Vは決して誰の意見にも賛成したことがない。――「左様、この天井が白いというのはまあいいとしてもですな、一たい白という色は、現在知られているところではスペクトルの七つの色から成るものです。そこでこの天井の場合でも、七つの色のうちの一つが明るすぎるか暗すぎるかして、きっかり白になってはいないという事も大いにあり得るわけです。私としては、この天井は白いという前に、ちょっと考えて見たいですな。」

 彼はまるで聖像みたいな身振りをする。

 ――君は恋をしていますね。
 ――ええ、まあ幾分。

 何事がもちあがっても彼は言う、「こりゃみんな坊主のせいだ。」

 Fyrzikov.

 Nの夢。外国旅行から帰って来る。ヴェルジボロヴォの税関で、抗弁これ努めたにも拘わらず、妻君に税をかけられる。

 その自由主義者が、上着なしで食事をして、やがて寝室に引き取ったとき、私は彼の背中にズボン吊を認めた。そこで私には、この自由主義を説く俗物が、済度すべからざる町人であることがはっきり分った。

 不信心者で宗教侮蔑者を以て任じているZが、こっそりとお寺の本堂で聖像を拝んでいるところを誰かに見つかった。あとでみんなからさんざん冷やかされた。

 ある劇団の座長に四本煙突の巡洋艦という綽名がついている。もう四度も煙突をくぐった(身代限りをした)ので。

 彼は馬鹿ではない。長いこと熱心に勉強をしたし、大学にもはいっていた。だが書くものを見るとひどい間違いがある。

 ナーヂン伯爵夫人の養女は段々と倹約しまり屋になって行った。ひどく内気で、「いいえ」とか「はい」とかしか言えない。手はいつもぶるぶる顫えている。或るとき、やもめ暮らしの県会議長から縁談があって、彼のところへ嫁に行った。やっぱり「はい」と「いいえ」で、良人にびくびくするばかりで、少しも愛情が湧かなかった。或るとき良人がとても大きな咳をしたので、彼女は動顛して、死んでしまった。

 彼女が恋人に甘えて、「ねえ、鳶さん!」

Perepentievペレペンチェフ君。

 戯曲。――あなた何か滑稽なことを仰しゃいな。だってもう二十年も一緒に暮らしてるのに、しょっちゅう真面目なお話ばかりなんですもの。あたし真面目なお話は厭々ですわ。

 料理女が法螺を吹く、「ワタチチョ学校へ行ったのよ(彼女は巻煙草をくわえている)……地球がまんまるな訳だって知ってるわよ。」

 「河船艀舟錨捜索引揚会社」。この会社の代表者が、何かの紀念祭には必ず現われて、N気取りのテーブル・スピーチをやる。そしてきっと食事をして行く。

 超神秘主義。

 僕が金持になったら、ひとつ後宮ハレムをこしらえて、裸のよく肥った女どもを入れとくね。尻っぺたを緑色の絵具でべたべた塗り立ててね。

 内気な青年がお客に来て、その晩は泊ることになった。不意に八十ほどの聾の婆さんが灌腸器を持ってはいって来て、彼に灌腸をかけた。彼はそれがこの家のしきたりかと思ったので、大人しくしていた。翌る朝になって、それは婆さんの間違いだと分った。

 姓。Verstakヴェルスターク*.
*長い腰掛。

 人間(百姓)は愚かであればあるほど、その言うことが馬にわかる。

「題材 ・ 断想 ・ 覚書 ・ 断片」(終了)

読書ざんまいよせい(029)

はじめに―関西勤労協での講義「芸術論への旅」を受講して

 先日まで関西勤労協で「芸術論への旅」とのタイトルの講座があったため、計4回にわたり受講してきた。芸術の発生からはじまり、その哲学的根拠など多岐にわたるテーマであった。途中、絵画、写真、生け花など主に造形芸術に触れた部分など、あまり関わらない分野だけに、教えられる部分が数多くあった。最終回は、チェーホフとブレヒトの芝居を扱った講義であり、一層興味を惹かれた。そこで、講義後のディスカッションに少しでも寄与するために、チェーホフについて、思うところをまとめてみた。
 その昔、まだ芝居など「現役」だったころ、「芸術とは?」といった論議に口泡飛ばしたものだ。「芸術は『表現』だ!」「いや違う『認識』であるべきだ!」との二大論陣の少し離れたポジションにいて、こうした「こ難しさ」にも付き合わされた。前者は、吉本隆明などが主張するところ、後者は「旧」左翼系が譲らぬところ。少しあとで永井潔という画家が、「認識」説をきちんと整理して、提起したところで、「そんなものだろう」と一応の納得したものだ。ただ、吉本の「芸術=表現論」も、「認識」とした上での、歴史的に見て「政治主義」的な引き回しに我慢できなかったことはなんとか理解できたが…
 以下、講座での当方のメモから…
◎チェーホフにおける「表現」と「認識」
・チェーホフの戯曲は、いずれも一筋縄ではゆかず、「演出」する立場からは、意外と厄介である。
・彼の戯曲は、患者の「カルテ」であり、小説は「レシピ=処方箋」に例えられると読んだことがある。
そこで、4大劇の結末を見てみると…(いずれも神西清訳)
○「かもめ」
(ト書き)右手の舞台うらで銃声。一同どきりとなる。
○「ワーニャ伯父さん」
ワーニャのセリフ「…わたしのこのつらさがわかってくれたらなあ!」
ソーニャのセリフ「でも、仕方がないわ、生きていかなければ! (間)ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。」
(ト書き)テレーギン、忍び音にギターを弾く。
○「三人姉妹」
(ト書き)楽隊はだんだん遠ざかる。
オーリガのセリフ「それがわかったら、それがわかったらね!」
○「桜の園」
(ト書き)はるか遠くで、まるで天から響いたような物音がする。それは弦の切れた音で、しだいに悲しげに消えてゆく。ふたたび静寂。そして遠く庭のほうで、木に斧を打ちこむ音だけがきこえる。
徐々に、劇の結末が、静謐になっているのがわかる。
◎究極の「自己表現」とは?「芸術的感性」の感性はここにあるように思われる。
○「赤旗記事」の画像参照
「いいなずけ」(1903年)は、チェーホフ最後の小説で、好きな小説の一つであるが、肉体的衰えから、やや荒削りの感は否めない。それでも、再論するが、この場合、チェーホフにとっての究極の「自己表現」とは(副)主人公の「死」であろう。最後の言葉が、「Ich sterbe !」“私は死ぬ”というのも彼らしい。もっとも、「人はよく嘘をつく。その死ぬときでさえ」という彼らしい発言あり。
○その「自己表現」は、他との関わりの中で、彼の深い「認識」と結びついていた。と同時に、「奇をてらう自己表現」は、あくまでその場限りでいずれ忘れ去られるだろう。
○ただし、各個人の「認識」が、極めて政治主義的かつあまりにも狭量な「断罪」をくだされた歴史―今も続いているかもしれない―を繰り返してはならない。
◎「ナンセンス劇」と見る中村雄二郎のチェーホフ解釈
○チェーホフの「したたかさ」(表現的には「なにも解らない」とする彼の韜晦」)にまんまと引っかかった、悪質の「不可知論」的な陥穽に過ぎないのではないか?初期の短編「ねむい」や後期の中短編「谷間」、「退屈な話」、「犬を連れた奥さん」などが、「ナンセンス劇」であってたまるか!
○「臨床の知」というのも、「カルテ」と「処方箋」に日々格闘するわが身にとっては、許されない暴論にすぎない。

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(009)

 お嬢さんが嬌態しなをつくって、こんなお喋りをする、「みんな私のことを怖がっていますの……世間の男も、かぜも……。 ああ、もう何も仰しゃらないで! あたしお嫁になんか決して行きませんわ!」家はというと貧乏で、父親は大酒飲みだ。もし人が、彼女が母親と一所懸命に働いて、父親のことを人前に隠そうと骨を折るのを見たら、彼女に対する深い尊敬の気持で一ぱいになるだろう。同時にまた、彼女がなぜ貧乏や労働をそれほど恥かしく思って、あのお喋りを一向に恥じないのか、不思議な気がするだろう。

 レストラン。自由主義的な話がはずんでいる。温厚なブルジョアのアンドレイ・アンドレーイチが急にこんなことを言い出す――「妙な話ですが、これでも私はアナーキストだったことがあるんですよ!」みんなびっくりする。A・Aの話。――厳格な父親。その田舎町に徒弟学校が出来たが、職業とは何ぞや教育とは何ぞやなどというお談義に夢中になって、何一つ教えては呉れず、だいいち何を教えたらいいかも見当がつかなかった。(だって町じゅうの人を靴屋にしたら、誰が靴を註文するものですか。)彼は学校を追い出された。家からも追い出された。地主邸の執事の助手に住込んだ。金持や飽食の徒や肥っちょが癪に障って来た。地主が桜の木を植えた。A・Aは手伝いをしているうちに、手もとが狂った振りをして、シャベルでその生白い肥った指をばらばらにしてやりたくて堪らなくなった。そこで眼をつぶって力一ぱいに打ち下したが、外れてしまった。それから出て行った。森、野原の静寂、雨。温かい場所が恋しくなって、叔母さんの家へ行った。叔母さんは輪形パンでお茶を御馳走して呉れた。すると、アナーキズムは消えてしまった。……話が済んだとき、卓子の傍を四等官のLが通り過ぎる。それを見ると、A・Aは直ぐさま起ち上がる。それからLが家作持であることなどを説明する。
 ――私は仕立屋へ徒弟奉公に出されました。親方が裁って呉れたズボンを、私が縫いはじめたところが、側条わきすじが曲がっちまって、それこんな工合に膝のところへ出てしまいました。そこで指物師の所へ奉公にやられました。或るとき鉋を使っていると、手が滑った拍子に鉋が窓へ飛んで、硝子が割れました。――その地主はレット人で、栓抜きシトーボルという名でした。今にもめくばせをして、「ええおい、一杯やりてえなあ!」とでも言い出しそうな顔つきをしていました。毎晩一人で飲んでいましたっけが、それが癪に障って来ました。

 クヴァス販売商が、王冠印のレッテルを貼っている。Xはそれを見て、癪で業腹でならない。商人の分際で王冠を簒奪しやがってと思うと、居ても立っても居られない。Xは法廷へ訴え出たり、誰かれ問わずつき纏ったり、返報の手段をさがしたりしているうちに、心痛と過労がもとで死ぬ。

 家庭教師をこう言ってからかう、「マダム・手真似テマネ」。

Shapcheryginシャエプチェルギン,Tsambizebuljskijツァムビゼブリスキー,Svinchutkaスヴィンチュトカ,Chemourakliaチェモウラクリア.

 老年の尊大さ、老年の厭人主義。軽蔑されている老人を私は何人見て来たことだろう!

 晴れ渡った厳寒の日に、卸したての橇に敷物を掛けて届けて来るのは実にいい気持だ。

 XがN町に赴任して来た。彼は暴君のように振舞う。自分以外の人が成功もてるのを喜ばない。第三者がいると態度が変る。女の姿が見えると声の調子が変る。葡萄酒をぐときには、先ずびんの頸のところを自分のコップにちょっぴり注いでから、同席の人達に注ぐ。婦人と散歩するときは腕を支える。つまり何かにつけて教養を見せようとするのである。他人の洒落には決して笑わない。――「もう一度言って見たまえ。」「その手は古いな。」人の顔さえ見ればとっつかまえて一席講話をやるので、みんなが飽々してしまった。老婦人連が「独楽」と綽名をつけた。

 立居振舞も、部屋へ這入るときの作法も、物の問い方も、何一つ知らない男。

Utjuzhnyjウチュージヌイ*氏。
*熨斗という字から作る。

 問われもせぬのにしょっちゅう先手を打つ男。――私には梅毒はありません。私は正直な男です。家内も正直な女です。

 Xは一生涯、召使の風紀頽廃や、その矯正法や抑制法のことばかり、話したり書いたりした。そして、自分の家の従僕やコック女を除いて、ほかの誰からも見棄てられて死んだ。

 小さな娘が有頂天になって自分の叔母さんのことを、――「うちの叔母さんはとても美人よ、美人よ、うちの犬みたいに美人よ!」

Mariaマリア Ivanovnaイヴァーノヴナ Kolotovkinaコロトフキナ*.
*「攪拌棒」、或いは「やりきれぬ女」。

 恋文の一節。――「お返事の切手を同封しました。」

 優秀な人たちが農村から都会へ出てくる。だから農村は疲弊しつつあるのだし、今後も疲弊を続けるであろう。

 パーヴェルは四十年の間コックをしていた。しかも自分の作ったものは食わず嫌いで、ついぞ口に入れたことがなかった。

 保守的な人達が害毒を流すことが極めて少ないのは、彼等が臆病で、自己に確信をもっていないからである。害毒を流すのは保守主義者ではなく、心の荒んだ人達である。

 女への恋が冷める。恋から解放された感情。やすらかな気分。のびのびと安らかな想念。

 どっちか一つ。――馬車に乗っているか、それとも降りちまうか。

 戯曲のために。――自由主義の婆さんが若づくりをする、煙草をすう、話相手なしでは居られない、情深い。

 特別寝台の乗客――それは社会の屑だ。

 あそこにいるのは黒土帯人チェルノジェムです。つまりレーピン*の『ザポローグ人』ですね。
*ロシヤの人物画の大家。『スルタンへの国書をしたためるザポローグ人』はその傑作の一つ。

 奥さんの胸に、肥ったドイツ人の肖像がぶら下っている。

 一生涯、選挙のたびに左派に投票した男。

 死人の着物を脱がせた。けれど手袋を脱がせるひまがなかった。手袋をした屍体。

 地主が食事をしながら自慢する、「田舎は暮らしが安いですよ。――鶏も自分のだし、豚も自分のだし。――暮らしが安いですよ!」

 税関吏が職務を愛するのあまり、政治上の不穏文書を捜して、旅客の持物を残る隈なく検査する。これには憲兵までが憤慨してしまう。

 真の男性(muzhchinaムシチーナ)は、夫(muzhムーシ)と官等(chinチン)とより成る。

 教育。――「よくむんだよ」とお父さんが言う。そこでよく嚼んで、毎日二時間ずつ散歩をして、冷水浴をした。だがやっぱり不仕合わせな無能な人間が出来あがった。

 商工業的医学。

 四十歳のNが十七になる少女と結婚した。第一夜、彼は彼女を炭坑町へ連れて帰った。彼女は床にはいると、彼を愛していないと言って急に泣き出した。善人のNは狼狽して、悲哀に胸をつまらせて、書斎へ寝に行く。

 むかし荘園のあった場所には、その跡形も残っていない。ただ一つ紫丁香花ライラックの叢だけは、そっくり残っているけれど、どうしたわけか花が咲かない。

息子 今日は木曜でしたね。
 (聞き取れずに)え?
息子 (怒って)木曜ですよ!(静かに)お風呂にはいらなくちゃ。
 え?
息子 (ぷりぷりして、憤然と)お風呂ですよ!

読書ざんまいよせい(022)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(006)

 悪には抗しえないが、善には抗しうる。

 彼は坊主のように権門に媚びる。

 死人に恥辱はない。だがひどい悪臭を放つ。

 敷布の代りに汚ないテーブル掛。

 ユダヤ人Perchik.*
*小っぽけな胡椒。

 俗物が会話のなかで――「そのほかなんなんまで。」

 大ていの富豪は図々しくって自惚れの強いものだが、その富をまるで罪のように背負っている。もしも貴婦人や将軍が慈善の催しに彼の寄附を求めず、貧しい学生も乞食もいなかったら、彼は定めし憂鬱と孤独を感じることだろう。もし乞食がストライキを起して、一さい彼の施しを求めぬことに申し合わせたら、彼は自分から出掛けて来るに違いない。

 夫が友人たちをクリミヤの別荘へ招待する。あとで妻は、夫には黙って勘定書をそのお客さんたちに出して、間代と食事代を受けとる。

 ボターポフは兄と親交を結んで、それが妹への恋のもとになる。妻と離別をする。やがて息子が、兎小屋のプランを送って来る。

 ――僕はうちの畠に豌豆えんどうと燕麦を蒔いたよ。
 ――つまらんことをしたものだ。Trifolium(苜蓿うまごやし)を蒔けばよかったのに。
 ――豚を飼いはじめたのさ。
 ――つまらん。有利でない。仔馬を飼った方がいい。

 友情に厚い少女が、非常に美しい動機から、困ってもいない親友Xのために寄附金を募って歩いた。 何故こうも屡〻コンスタンチノープルの犬*のことを書くのだろう。
*コンスタンチノープルは野良犬の多いことで有名。

 病気。――あの男は水療法みずりょうほうに罹ってね。

 知人の家へ行くと、ちょうど夜食の最中で、お客が大勢いる。とても賑かだ。隣り合う婦人連と世間話をしたり、葡萄酒を飲んだりで私は愉快だ。とてもいい気分。突然Nが検事みたいな荘重な顔付で立ち上って、私のための乾杯の辞をやる――「言葉の魔術師よ、理想の影が朦朧と消えゆく現代に残された理想よ……願わくは聡明にして久遠なるものを種播たねまかれんことを……。」私は、それまですっぽりと頭巾をかぶっていたのに、その頭巾を取られて、銃の先で狙われるような気がした。スピーチが済むと、杯を打ち合わせて、それから沈黙。座は白けてしまった。「さあ、貴方が何か仰しゃる番よ」と隣席の婦人が言う。だが何を言えばいいのか。私はその男に酒瓶でも投げつけてやりたかった。で、胸の底に沈渣おりが溜っているような気持で寝床につく。「見給え、見給え、諸君。この席には何という馬鹿者がいるのだ!」

 小間使が寝床を直すたびに、スリッパを寝台の下のずっと壁際へ投げ込んで置く。肥っちょの主人が到頭かっとして、小間使を追出そうとする。ところがこれは、肥満症を癒すためスリッパを成るべく奥の方へ投げて置くように、医者が彼女に命じたものと判明した。

 あるクラブで、会員一同が不機嫌だったばかりに、さる立派な男を落選させた。そして彼の将来を台無しにしてしまった。

 大きな工場。若い工場主が皆を「お前」呼ばわりして、学士号のある部下たちに暴言を吐く。ドイツ人の庭男だけが勇敢にも憤慨した。――「お前めえ何を言うだ、この金袋め!」

Trachtenbauerトラフテンバウエルという苗字の、ちっぽけな豆みたいな生徒。

 新聞で大人物の死を知ると、そのたびに喪服を着る男。

 劇場で。ある紳士が、前にいるレディの帽子が邪魔になるので、脱いで下さいと頼む。不平の呟き、腹立たしさ、歎願。とうとう白状に及ぶ、「奥さん、私が作者なんですよ!」――その返事、「あたし別に構いませんわ。」(作者は人目を忍んでこっそり劇場に来ている)

 賢く振舞うには、賢いだけでは足りない。(ドストエーフスキイ)

 AとBが賭をする。Aはその賭でカツレツを十二皿きれいに平らげる。Bは賭金を払わないのみか、カツレツの代まで払わない。

【編者注】ふりがなは、ruby タグを、傍点は、b タグを使用しました。