◎森川許六と王維、杜荀と柳宗元
江戸時代、荻生徂徠の古文辞学派の「盛唐詩」偏重の前は、日本では、三体詩(七言絶句、五言律詩、七言律詩の三詩型をいう)はじめの唐詩のみならず宋詩を含む詩集が実作の手本だった。江戸中期以降も、改めてその傾向は続く。それのみならず、多様な受け止め方がされるようになり、松尾芭蕉の弟子・森川許六の七五調を交えた訳文もその一つで、漢詩の受容のあり方として興味深い。
そもそも、現代も行われている、漢詩解説の、白文、読み下し文、語句の解説・典拠、訳文が確立したのは、いつの時代だったのだろう。遡れば、室町時代の「抄物」になるらしいが、いずれ紹介する機会があろう。
許六の「和訓三体詩」から、二、三首、比較的有名どころの詩の、注や訳文を挙げてみると、
九日懐山東兄弟 九日山東の兄弟を懐ふ 王維
獨在異鄕爲異客 独り異郷に在りて異客と為る
每逢佳節倍思親 佳節に逢ふ毎に倍《ます》々親を思う
遙知兄弟登高處 遥に知る兄弟高きに登る処
遍插茱萸少一人 遍く茱萸を挿して一人少なからん
*許六注 他国に旅寝すれば、他国のものになりたると云ふことなり。―中略―佳節は爰にては重陽を指す。王維十七歳の作なり。親にます〳〵孝心深きものなり。此詩微弱なれど孝子の情ます〳〵厚きゆえに称して世に伝ふ。九日に高きに登って茱萸をかくること、本註にくはし、日本洛陽にて茱萸を売る。家毎に買い取りて之をかく、是なり。
《詩意》京生れの人。年若にして東に下り。一とせ二とせを過ぎざるに関東の訛りを習ひ。都言葉は露ばかりも見えず。二階のろく台には、庭竈の春を思ひ。吾妻の柏餅をすゝめられては。鞍馬笹の粽を忘れずして。母の俤を慕ふ。殊に重陽の節は。古きを追ひ。東山の高きに登らむろて。姉は妹を負ひ兄は弟の手を引き。残らず茱萸《ぐみ》を買ひとりて。故郷の家に帰へらん。はらから打ちならびたる食時《めし》どきには。われ一人の膳を少《かゝ》さんと。旅の乏しきにうち添へ。一入故郷の空をおもひ出ける。
(解釈)重陽の日には家族小高い丘に登る「登高」 。佳節がめぐるたびに京の家族を思い出して、母や兄弟の姿を思いやり、自分ひとり欠けた膳が哀しく目に浮かぶのである。参勤交代の勤務が始まれば、東武にあって関東の言葉に馴染み、鞍馬笹の粽の味も遠い。家族を想う漢詩は和訳され俳文に整うと、より親族のぬくもりを表す。
現代語の語注や訳は、くらすらんを参考のこと。(解釈)の部分は、藤井美保子氏の論考からの引用。
酬曹侍御過象縣見寄 曹侍御が象縣を過きて寄せ見らるゝに酬ゆ 柳宗元
破額山前碧玉流 破額山前《はがんさんぜん》 碧玉の流れ
騒人遥駐木蘭舟 騒人遥に駐《とど》む木蘭《もくらん》の舟
春風無限瀟湘意 春風限《かぎ》りなし瀟湘の意
欲採蘋花不自由 蘋花を採《とら》んと欲するに自由ならず
*許六注 破額山は五祖寺のある所、碧玉の流は水の色なり。騒人は曹侍御をいふ。遥駐は象県というところまで来たるを聞き及びたりといふ意。木蘭の舟は舟をほめていふ詞なり。註にくはし。三の句、常に曹侍御が事を忘れず、思ひくらすといふ事、瀟湘は曹侍御が在りし所、四の句は早速罷り出で蘋花を採って迎へたけれども、流人の身自由ならずといふことなり。
《詩意》石山の麓《ふもと》勢多の流れに。木蘭《もくらん》の舟をつなぎて夜泊せる俳諧の翁いませりと遥に聞きけり。其風を慕ふ者、あるは官袴につながれ儘《まゝ》ならぬ身の恨に、春風の限りなきを添へたり。江東筑摩江には、蓴菜《じゅんさい》いたづらに肥えて、五老井の新茶はむなしく壺に朽ちたりとて、相訪らはざるうらみを述べたり。
現代語の語注や訳は、ティェンタオの自由訳漢詩を参照のこと
旅懐《りょかい》 旅の懐《おも》い 杜荀鶴悵
月華星彩座来収 月華星彩座し来れば収まる
嶽色江聲暗結愁 嶽色江聲暗に愁を結ぶ
半夜燈前十年事 半夜燈前十年の事
一時和雨到心頭 一時に雨に和して心頭に至る
*許六注 二の句暗の一字、流浪行く末のおぼつかなきを尽くせり。かたらふべき友なき一人旅、たしかにあらわれたり。嶽色江聲は月華星彩に対せる辞、和はあはするといふ心。全編客中の雨の慵《ものう》き事にて結ぶ。
《詩意》くたびれて宿かる頃の藤の花。月のたそがれ星の隈。雲に収まる峯の色。闇の川音すさまじく。旅の枕に寐ざめたり。夜半の灯撥き立てゝ。十とせ余りの流浪の身。居をうつすこと七所。一時にうかぶ胸の上。降り出す雨にまじへたり。
現代語の語注や訳は、日々是好日を参照のこと
《詩意》は、松尾芭蕉「くたびれて宿かる頃の藤の花」の句を敷衍したのだろう。また、杜荀は、杜牧の庶子で、父親の「遣懷」とのタイトルでの「十年ひとたび覚む揚州の夢、占め得たるは 靑樓 薄倖《はくこう》)の名」の名句を明らかに意識する。
村上哲見『三体詩・上』は、残念ながら、許六の「和訓三体詩」は、「詩意」のみの所収であるが、他の詩も紹介する機会がこれまたあろう。