読書ざんまいよせい(003)

◎ロープシン「蒼ざめたる馬」(青野季吉訳)

はじめに】
 OCRがいくら進歩しても、元の画像が一定程度以上劣化しては、テキストとして復元できない。特にスキャン型のソフトに付随するOCRでは、全く認識しないと言っても間違いではない。例えば、国立国会図書館にある公開ライブラリにある画像は、何回かの画像処理が施されているらしく、テキスト化は無理とあきらめていたが、手間はかかるが、iPad のアプリでなんとかテキスト化ができることが分った。前回、トロツキーの著作を重訳した青野季吉を紹介したが、同じ訳者の、ロープシン「蒼ざめたる馬」を、国会図書館のライブラリーからテキストとして公開する。手始めに青野季吉の「解題」から。以下、本文公開は遅々たる歩みになると思うが、根気よくお待ちいただきたい。

自由・文化叢書
第二篇
蒼ざめたる馬
ロープシン作
青野季吉譯
冬夏社
THE FREEDOM AND CIVILIZATION SERIES

解題

 ロープシンが、ケレンスキー内閣當時の内務大臣であつた、サヴヱチニコフの名である事は可成りに知られてゐる。「蒼い馬」はこの革命黨員の自傳的告白であつて、露西亞の西に逃れてゐて、戰時通信文を寄稿するジヤナリストであつた頃からロープシンは光彩ある人として注目されてゐた。「蒼い馬」は彼が文壇に出た最初の作であつて、同時に近代 露西文學中の傑作である。 メレデユコフスキーのこう批評した事もロープシンが内務大臣である程有名である。「近代の文學中これ程露西亞人の生活及び魂をよく描出したものは無い」。露西亞の傑作に現れてゐる中心が常にユートピア・フリーランドを渇望し。時に は全くの空想である事を追求するやうな人間、並に生活であつて一九一八年の露西亞革命はこの精神的生活からの産物である事は極めて自然な合理的な解決とされてゐる。ロープシンが自個の生活の告白として描いた「蒼い馬」の人間もその通り「ユートピア・フリーンド」にしてゐる、リアリスチックアイデアリストである。ローブシンが「二つの途」と云つてゐる言葉並に革命黨員が古い虚無主義者のやうなローマンチックな因襲的な氣持よりも、アイデアリスチックな氣持で働いてゐる生活は露西亞にしか見られい型の人々で、ドストエフスキーの主人公とよく似た性情を持つてゐる。革命は人を殺し乍ら、神を信ずる事を論じ、政治的實際運動に従ふと共に、それと等しい熱情を以つて宗教信仰の問題を考へてゐる。こうした露西亜人らしい最もい型の人間が「蒼い馬」には最も心 理的に描寫されてゐる、 それと共にこの露西亞人の持つてゐる問題は吾々にも在り、近代生活の何にも潜んでゐる問題であるに於て、「蒼い馬」は直ちに版を重ねていゝ價値 をもつてゐる。そうしてそうい型の人間の最も純な人々によって成立つてゐる革命黨員 と共に生活した實際記録であるだけに力強く「文學以上」であるといつてもいゝ。 ロープシンはその後に「what never happened」を書いたがそれも「蒼い馬」と同様の人々な一九〇五年のモスクワ騒動を背景として描いてゐる。本篇の姉妹篇として續刊するであらう。

【参考】
Wikipedia ボリス・サヴィンコフ 筆名 ロープシン

 この、ボリス・サヴィンコフに降り掛かった同じような悲劇が、今日《こんにち》のロシアでも起こってしまった、痛ましいい限りである