日本人と漢詩(006)

◎石川丈山


詩仙圖の成るを喜ぶ
老を投ず 一乘山水の生涯
身閑《しずか》に心足りて 紛華《ふんか》に遠し
詩仙圖就《な》り 堂宇に列し
風雅新たに開く 凹凸花
浦上玉堂の項で触れた「隷書」の達人と言えば、江戸時代初期の詩人、石川丈山(1583〜1672 Wikipedia http://is.gd/KGwbOJ)。その名は、加藤周一の「三題噺」(Amazon http://is.gd/bkIEin)で知った。幼い頃、京都・詩仙堂(Wikipedia http://is.gd/h16ecS)に連れて行かれた記憶はあるが、その当時は、その山荘の主の名を知る由もない。近年、2回ほど、静寂の詩仙堂を訪れたことがある。詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) というらしい。堂に掲げ、名前の由来となった三十六詩仙の狩野探幽筆の画額は、見事な「隷書」で書かれている。詩仙の間は、撮影禁止なので、早稲田大学古典籍データベースから、中国南北朝の詩人、「謝霊運」の額。ところで、詩仙を選ぶにあたり、こだわりがあるらしく、中薗英助の「艶隠者–小説 石川丈山」では、丈山一流の「政治嫌い」、「三題噺」では、ひいては「人間嫌い」がその因とあるが、そんな所だろうか。