後退りの記(003)

◎堀田善衛「ラ・ロシュフコー公爵傳説」
◎ハインリッヒ・マン「アンリ四世の青春」

「われわれの美徳は,ほとんどの場合,偽装した悪徳に過ぎない。」人口に膾炙したこの句は、高校時代山仲間だったN君の口癖だった。ある意味、温厚だったモンテーニュの口調とはひと味ちがう感触に驚いたものだった。それがラ・ロシュフコー「箴言と考察」という本を知るきっかけだった。

1572年は、フランスにとって多事多難な年であった。アンリ四世(当時皇太子)の母が、ナバラ王国女王ジャンヌ・ダルブレ(Wikipedia)が、息子のマルグリット(マルゴ)王妃との結婚式に列席するため、パリに赴く途中で急死した。ライバル・カトリーヌ・ド・メディシス(Wikipedia)が、毒殺したとの噂が絶えなかった。母の遺言を結婚式に向かうアンリに託したのが、フランソワ・ラ・ロシュフコー(三世)であると、ハインリッヒ・マンは書く。三世は、「箴言と考察」の著者の曽祖父にあたる。その後、サン・バルテルミの虐殺(Wikipedia)という大悲劇が起こった。その結果、その頃は、プロテスタントだったフランソワ・ラ・ロシュフコー(三世)は、パリの路上で殺されてしまったのである。その後は、当代の六世に到るまで、ラ・ロシュフコー家にとって苦難の日々だったのである。フランス絶対王政の確立の契機となったフロンドの乱(Wikipedia)では、当代は瀕死の重傷を負うが、それは後の話となるので、機会があれば言及するだろう。