読書ざんまいよせい(043)

◎蒼ざめたる馬(007)
ロープシン作、青野季吉訳

 アルベール・カミュは、コロナ禍の最中で讀んだ「ペスト」と「蒼ざめたる馬」に題材をとった戲曲「正義の人びと」くらいしか知らなかった。今回、岩波新書で、彼の生涯や作品の紹介を讀んで、少し興味を持った。その中で、「正義の人びと」に触れたところから、部分引用。

 戯曲は、一九〇五年のロシア第一次革命のさなか、セルゲイ大公暗殺を実行したロシアのテロリストたちを扱っている。
 一九〇五年のロシアに、自分の時代について語るのに等価の倫理を見出したのである。冷戦のさなかに、政治とモラル、正義と自由、目的と手段の問題に、抒情性と古典性を兼ね備えた演劇による答えを提示することが彼の狙いであった。「心優しき殺人者たち」ではテロの状況が忠実に再現されているが、『正義の人びと』では、いくつかのロシアを想起させる特徴を消し、歴史的モデルに自分自身の体験の記憶を注ぎ込んで、時代を超えた普遍性をもたせようとした。

 『正義の人びと』では、カミュは『誤解』のような古典劇の様式に戻り、舞台として極度に切り詰められた隠れ家の枠組みを作った。外界から切り離された登場人物たちは、つねに閉所空間にいる。大公暗殺とカリャーエフの処刑という二つの事件は、古典劇の規範に従って、舞台の外で起こる。こうした過去の美学的手法を用いて、彼はテロリズムというきわめて今日的な主題に挑んだのだ。

 セルゲイ大公殺害の任務を引き受けたカリャーエフは、同志のドーラに向かって自分の信念を語る。「だれも二度と殺人を犯さない世界を建設するために、ぼくたちは殺すのだ。大地がついには潔白な人びとで満ちあふれるためにこそ、ぼくたちは犯罪者となることを受け入れるのだ」。本来は相反するものである殺人と潔白が、ここでは関係づけられる。ロシアの民衆の潔白を実現するためにこそ、テロリストたちはみずから殺人者であることを受け入れる。しかし、『戒厳令』のディエゴはすでに、独裁者ペストのやり方は殺人をなくすと称して殺人を犯すことだと批判していた。民衆の潔白のために殺人を犯すテロリスト自身は、果たして潔白なのだろうか。この困難な問題をめぐって戯曲は展開される。
 潔白のためには殺人も必要であることを覚悟していたカリャーエフであるが、大公の馬車に子どもたちが同乗していることを知ったとき、爆弾を投げるのをためらう。ここから、カミュが創造した虚構の人物であるステパンと、カリャーエフの論戦が始まる。ステパンは、革命を実現するためにはどんな手段も許されるのであり、そこに「限界はない」と主張するが、それに対してカリャーエフはこう言う。「君のことばの裏には、やはり専制政治が顔をのぞかせている」。この「専制政治」は、『正義の人びと』執筆時の冷戦時代には左翼全体主義の巨大な国家の姿をとってあらわれていた。
 ステパンも正義を主張するが、正義の上にさらに潔白を要求する点において、カリャーエフはステパンとは異なる。「人間は正義だけで生きているのではない」、人間に必要なのは「正義と潔白」だと彼は言う。自分の身の潔白を守るため、カリャーエフは大公の甥と姪の命を助ける。そしてテロの犠牲者から奪うことになる命に対して自分の命を代償として差し出すことを覚悟する。それは、殺人が引き起こすニヒリズムに陥らないためにカミュが提示することができた唯一の解決法なのである。
 『正義の人びと』のドーラも同様に愛の権利を主張するが、彼女はロシアの圧政と闘う革命家であり、同志カリャーエフを愛しながらも、正義への愛を優先することを義務と考える。
 第三幕において、カミュの戯曲のなかでもっとも悲痛な愛の場面が二人のテロリストのあいだで展開される。ドーラはカリャーエフに、鎖につながれた人民の悲惨を忘れて自分を愛してくれるか、とたずねる。…人間たちはもはや愛するすべを知らない」。カリャーエフは、正義の集団的情熱に身を捧げている。しかし、愛を求めるドーラは、絶望的にこう問いかける。

「でも、だめね、あたしたちには永遠の冬なんだから。あたしたちは、この世界の人間じゃない、正義に生きてる人間なのよ。夏の暑さなんか、あたしたちには縁がないのよ。ああ!憐れな正義の人びとだわ!
 『結婚』で謳歌された夏は、この「永遠の冬」からはあまりにも遠い。ドーラにとっては、死こそが、カリャーエフとふたたび結ばれる唯一の避難所なのだ。幕切れ直前に、彼女の最後のせりふが痛切に響きわたる。「ヤネク!寒い夜に、そして同じ絞首刑で!これで何もかもずっと楽になるわ」。
 この作品は正義についての思想劇であると同時に、カミュにとってはまれな愛のドラマでもある。…『正義の人びと』では、…女優と劇作家の不可能な情熱恋愛が、政治的イデオロギーの議論の背後に忍び込んで、この戯曲の方向を定めたのだ。困難な愛の叫びが、反抗的抒情性とともに高まり、作品のあちこちから聞こえてくる。」

 今は、こんな学生時代と同様な命を賭けた「情熱」は持ち得ないが、カミュの出自たるアルジェ植民地の体験を持ち続けた彼の生きざまだけは伝わってきた。
 カミュの戯曲「正義の人びと」の典拠の一つになったのが、ロープシン「蒼ざめたる馬」であるが、こちらは、登場人物はすべて架空名となっている。また、ロシア的抒情か?、カミュは「政治的な緊張」に主体を置いているのに対して、いささかメロドラマ調が辛気臭くなっている。このあたりは、ザヴィンコフとカミュの気質の違いか、強いて言えば、ロシアとフランスの国民性が現れているのかもしれない。

四月十三日。

 エルナは私に云つた。
「あなたに合ふばつかりに生きてゐるやうに思へてよ。わたしあなたを夢に見ましたわ。わたしのお禱りはみんなあなたの爲めよ。」
「エルナ、お前は仕事を忘れてゐる。」
「わたしは一緖に死にましやうね.。…..ほんとにわたし、あなたとかうして居ると、小娘のやうな、赤ん坊のやうな氣がします。…..わたしはあなたに差上けるものは何んにも無いの······わわたしの愛だけ。受けて下さいね……」
 そして彼女は泣き出した。
「泣くな、エルナ。」
「わたしは嬉しくつて泣いてるのよ。······でもモウ止みましたわ。それ、泣かないでしやうね。わたしあなたにお話しゝ度いことがあるの。ハインリヒが……」
「彼がどうしたって!」
「まあ、そんな冷淡になさらないでね······ハインリヒが昨日わたしに、わたしを愛してるって、 言ったの。」
「え?」
「でもわたしはあの人を愛さなくつてよ。お存じでしやう。 わたしの愛するのはあなたけなのどう?嫉妬《やけ》て?どう?」彼女は私の耳にさゝやいた。
「嫉妬《やけ》る?馬鹿々々しい!」
「嫉妬《や》いちやいけなくつてよ。わたしあの人のことなんかちつとも思つてやしませんから。でも あの人はほんとうに可哀相。わたしそりお氣の毒に思ふの。しかしあの人の言ぶことをかな けりあならないとは思はないの。何だかあなたに裏切りでもするやうに思ったんですもの……」 「僕を裏切るつて!しかし、エルナ。」
「わたしはあなたをそんなに深く愛してるんです。それでもあの人はまた可哀相でならないの。わたしはあの人にお友達になりますつて云ひましたわ。お氣にかゝつて?」
「そんなことはないさ。エルナ。 僕は氣にしやしない。嫉妬もしない。」
 彼女は目を落した。惱んでゐた。
「あ、あなたはたどもうおかまひ無しなのねえ。」
「エルナ」と私は云った。「ある女達は、忠實な人の妻であったり、熱烈な戀人であったり、誠の深い友達であつたりする。しかし彼等は、優れたタイプの女ー生れながらの女王である女ーと較べものにはならんよ。 そう云ふ優れた女は、誰にも彼女の心を與へやしない。彼女の愛は、選ばれた一人に與へるすばらしい賜物なんだ。」
 エルナはオド/”\した眼をして聽いてゐた。それから彼女は云つた。
「あなたはまったくわたしを愛してるやしないのねえ。」
 私は接吻で彼女に答へた。彼女は私の頭を押付けて、囁いた。
「一緖に死にましやうね、え?」
「多分、そうだらう。」
  彼女は私の腕の中で眠りに落ちた。

四月十五日。

 ハインリヒの馬車に乘って出掛けた。
「どんな氣持だね?」私は彼に聞いた。
 彼は頭を振つた。
「あんまりいお役目ちやないね。」と彼は云つた。雨の中を、一日中で、馬車を驅るなんて。」
「全くだ。」と私は彼に云つた。それも、戀《こひ》に落ちてる時は、よけい不愉快だ。」
「何を知つてるんだい?」彼は素早《すばや》く私の方へ振返つた。
「何を知ってるつて?何にも知らない。知り度くもないさ。
「君は何でも嬉戲《ちやうだん》にしてしまふ。 ショーヂ。」
「そんな事ないよ。」
 私達は公園を通つた。キラ/\する雫《しづく》が、溢れた枝から、私達へふりかゝつた。芝生にはところ/”\に淺、<ママ>い綠の新しい草があつた。
「ジョーヂ!」
「え?」
「ジョーヂ。 爆發物の準備には、偶然の出來事が起る危險はないかね?」
「勿論、あるよ。偶然な出來事は、折々、起るよ。」
「すると、エルナは燒死んで仕舞ふね?」
「あるだらう。」
「ジョーヂ!」
「何?」
「何故、あの女にその仕事を委せておくんだ!」
「彼女《あれ》は黑人《くらうと》だ。」
「あ、あの女が!」
「そうだ。」
「誰かほかの人に能きないのか?」
「え?」
「出來ないこともなからう。しかし君はなぜそんなに氣にするんだい?」
「氣にしやあしない。たと知りたいんだ。」
 歸り路に、彼はまた私の方へ向いた。
「ジョーヂ。」と彼は云つた。
「もうぢきやる〈「やる」に傍點〉か?」
「うむ。」
「何時《いつ》?」
「二三週閒の中に。」
「誰かつれて來て、エルナの代りをさせることは、どうしても出來んか?」
「どうしても出來ん。」
 彼は靑い服の中で戰慄《おのの》いた。しかし何にも云はなかつた。
「誰かほかの人に能きないのか?」
「え?」
「出來ないこともなからう。しかし君はなぜそんなに氣にするんだい?」
「氣にしやあしない。たと知りたいんだ。」
 歸り路に、彼はまた私の方へ向いた。
「ジョーヂ。」と彼は云つた。
「もうぢきやる〈「やる」に傍點〉か?」
「うむ。」
「何時《いつ》?」
「二三週閒の中に。」
「誰かつれて來て、エルナの代りをさせることは、どうしても出來んか?」
「どうしても出來ん。」
 彼は靑い服の中で戰慄《おのの》いた。しかし何にも云はなかつた。
「いゝ日だ。ハインリヒ。くよ/\するな。 はしやげよ!」
「僕はいゝ氣持なんだ。」
「取立て誰かの事を氣にするな。そうするともつと幸福《しあはせ》になるよ。きっと。」
「分つとる。君が云はなくつてもいいよ。 さよなら。」
 彼は靜かに馬車を願って行つた。こんどは私が、長い閒、彼を見送つてゐた。

四月十六日

 私は自問する。私はまだエレーナを愛してゐるか?たゞ一つの影を、彼女に對する以前の愛を、 愛してゐるのではないか?ヴァニアの言つた事は正しいのではないか、私は誰も愛しない、愛す ることが出來ないのだと云ふことが?が、何故人は愛さなければならんのだ、要するに。
 ハインリヒはエルナを愛してゐる。 一生、 彼女だけを愛して行くだろう。しかし彼の愛は、 彼を幸福にはしない。私の愛は全く歡びなのに、彼のは反對に、彼を悲慘《みじめ》なものにする。
 私はまた退屈な旅館の、退屈な私の部屋に坐つてゐる。多數の人々が、私と同じ屋根の下に生きてる。私は彼等とアカの他人だ。私はこの町の石壁の中で、アカの他人だ。私は、何處でも、アカの他人だ。エルナは、自身のことは何にも考へないで、彼女の全存在を私に與へてゐる。が、私は彼女のことを氣にかけない。彼女の愛に報ゆるー何で?友情で?もしくは恐らく、友情と云ふ僞りの口實で?エレーナのことを思つてゐて、エルナに接吻する、何と云ふ馬鹿なことだ、 それでも、私のしてゐることは、それだ。しかし要するに、それが何だ!

読書ざんまいよせい(027)

◎蒼ざめたる馬(006)
ロープシン作、青野季吉訳

四月八日

 次に私が合つた時、ヴアニアは云つた。
「僕が始めてキリストを識つて、神に目醒めた時のことを話さうかね?シベリヤへ追放されてゐた時だ。或日獵に出た。オブヂ[オヸ?]流域で、川が大洋《たいやう》へ灌《そそ》ぐところは海のやうだ。天空は低く灰色で、渦卷く流れもやはり灰色だ。岸へは眼がとどかず。全く存在しないやうだ。一隻のボートは僕を小さい島へ上げた、夕方友達が迎へに來ると約束をしたんだ。僕は島を徘徊して、☓[一字不明、鴨か?]を打つた。そして、沼地で、朽ちた赤、小さい綠の丘や澤《さは》があつた。僕は岸が全く見えなくなるまで、步き續けた。僕の打つた☓[一字不明、鴨か?]がどこかに落ちたが、見つけることが出來なかつた。搜してゐる閒に夜になつて來た。だん/\暗くなつて、夜霧が川の上へは匍ひ上つた。僕は岸へ戾ることに定めて途に迷はないやうに、風の方向で確めた。が、一步踏み出すと、僕の足が地中へめり込み出した。 僕は丘の上へ足場を求めやうとしたが、駄目だ、 僕は泥沼へ落ち込んでるんだ。僕はぢわりぢわり<傍点>と沈んで行くんだ。一分閒にインチづゝ位。
「寒くなつて、雨が降り出した。片方の足を拔かうとしたが、一インチ深く更に沈むばかりだつた。もう、絕望して、銃を取上げて空中へ向つて射ち出した。誰か付けて來て、助けて吳れると思つて…
「風のヒユウ/\いふ音だけで、あたりはひつそりしてゐた。僕は膝の上まで埋れて沼地に立つてゐたんだ。僕は思つた。泥沼が僕を吸込んで仕舞つて、僕の頭の上でブクブクと泡が立つ、そして原《もと》のやうに、綠の丘より外に何にも殘らない。僕はすつかり氣落ちがして、泣き出しさうになつた。それからまた足を扱き上げやうとしたがーます/\惡くなるばかりだ。僕は氷のやうに冷くなり、白楊のやうに震えた。こんなになって僕は死ぬんだー世界の果てで……泥沼で……一定の蠅のやうには突然心が全く空虛になつたやうに感じた。何の事はない 僕は死にかゝつてるんだ。僕は血の出るまで唇を噛んだ。出來るだけ力を詰めて『片々の足を拔き上げた。 こんどは甘く行った。片々だけ自由になつたので、大きな歡びを感じた。長靴は泥沼にくつゝいて殘り、足から血が出てゐた。丘に足場を得やうとして、銃を力にして、もう片方の足を泥から拔き始めた。とう/\兩足で立上つた時に、僕は動かなかつた。また踏出すと泥沼に落込むことを怖れたんだ。僕は、 夜明けになるまで、そこで終夜立ち盡くしてゐた。その時なんだ、長い一夜の閒、泥沼の眞中にーー雨は降る、天空は暗い、風は吼えるーー立つてゐた時だ、僕の上 そして僕達の內に在ると、僕の心の深い底で識つたのは。恐怖はすつかり去って仕舞つて、僕 には歡びの外何物もなくなつた。重い/\ものが僕の心から消え去つた。翌朝、友達が來て救つて吳れた。」
「死が近づいた時、神を見る者は澤山あるよ。それをさせるのは恐怖なんさ。ヴアニア」
「恐怖だつて?そうかも知らん。が、こんな穢ない處で神が見られると思ふかい?心靈は、死が近づいて、その境界が見えた時に、高められるんだ。多くの場合、臨終に神を見るのはそれなんだ。僕もまた死が近づいた時神を見たんだ。」
「實際、君。」彼は一寸息を入れて、續けた。「實際、君ーー神を見ることほど君を幸福にすることは無いよ。知らない閒は、神は君の考へに入つて來はしないんだ。君はいろんな種類のことを考へる、然し神のことを考へない。或る人々は頭の中に超人を描いてみる。超人をして彼等は實際、哲學者の寶玉を登見し、人生の問題を解決したと思つてゐる。が、僕から見ると、彼等は みんなスメルヂヤコフみたいなものだ。彼等は、自分に最も近い者を愛すことは出來ない、その代りの最も遠い昔を愛す……·といふ。しかし、君の廻りに居る者に愛が持たれないで、どうして 君から遠い者に愛が持たれるのだ!他人の爲めに死ぬこと、君の死を彼等に與べることは容易《たやす》いことだ。が、人々のめに生きることは非常に六つかしい。 それは、一日々々、一刻々々を愛によつて生きることだ、神の愛するやうに、凡ての人閒を、凡ての生ける者を、愛することだ、自身の存在を忘れることだ。自己の爲めでなく違い者の爲めでもなく、生命を創ることだ。僕等は 慘酷になつてゐる、僕等は獸のやうだ。人閒がどんなに方々で躓いて步くか、彼等がどんなに求 めても見出すことが出來ないかを見るのは、悲しいことではないか?彼等は支那の神々を信じ、木の丸太を信じて、神を信じキリストを愛することは出來ないのだ。僕等は少年の頃からその毒で腐れてゐるのだ。ハインリヒを見ろ。彼は一つの花をた一つの花だと呼ぶことが出來ない。かやうな花冠とかやうな花辯を有つ、かやう/\な屬のかやう/\な科の花と、いつも彼は誰加へなければ氣がすまない。こういふ下らない細かいことが、彼は花そのものを見させてしもふんだ。僕等が役にも立たないつまらぬことの爲めに、神を見そこなふのもやはりそれなんだ。僕等には數學と推理しかないんだ。しかしあの夜は、泥沼の眞中の小さい丘の上で立ち盡して、 死を待つてゐた時に、その時に僕はよく解ったんだ。理性は萬能ぢやない、その上に何物かゞ在るが、僕は目隱しをしてゐるから、見ることが出來んのだ、知ることが出來んのだと。 何故 笑ふのだ、チヨーヂ?」
「む、一人前なことを云ふね。」
「そんなことはどうでもよい。どうだ、人は愛なくして生きることが出來るか?」
「勿論、出來るさ。」
「どうしてだ?どうして出來るんだ?」
「全世界に唾を吐きかけりやいゝんだ。」
「チョーヂ、そりあ眞面目に言つてんぢやなからうね?」
「眞面目だよ。」
「あゝ、ヂヨーヂ!」

四月十日

 私は今日知事を見た。彼は背の高い、細かく刈込んだ口髥のある、寧ろ容貌いゝの老人で、眼鏡をかけてゐる。 廣場は昨日まで一面雪覆はてゐたが、湿つた舗石道を顕はしてゐた。氷は消え去つて、川は日射にキラ/\と輝いてゐた。雀が囀つてゐた。
 一臺の馬車がその家の玄關に止つた。私はすぐそれと分つたーー黑い馬、黃い輪止め。私は廣場を橫切つて、家の方へ行つた。私が近いた時に、扉が一杯に開かれて、見張りの巡査が挨拶をした。知事は靜かに階段を下りて來た。私は舖石道に根を下したやうに立つて、ちつと彼を見詰めた。彼から目を外すことさへ出來なかつた。彼は頭を上けて、私を見た。私は帽子をとつて、 丁寧に彼にお辭儀《じぎ》した。彼は微笑をうかべて、軍帽に手を舉けて私のお辭儀《じぎ》に答へた。その瞬閒、私は彼を厭に思つた。
 私は公園の方へぶら/”\步いて行つた。足に泥がくつゝいた。鴉が赤揚の閒を飛び廻つてゐた。

四月十日[ママ]

 私は暇潰《ひまつぶ》しに圖書館へ行つた。大きな靜かな室の中の讀書家の多くは、髥を生した大學生や、 髮を短く剪つた女大學生であつた。顏を綺麗に剃つて高いカラーをしてゐる私は、彼等とはひどくかけ離れてゐた。非常な興味を以つて古典を讀んだ。古代の人々は實際良心などを持つてはゐなかつた、彼等は心理を求めはしなかつた。彼等はたゞ生きただけだーー草が生え、鳥が歌ふと同じに。聖《きよら》かな單純ーーそれが、生活を受入れ、それに叛逆《はんぎやく》しない唯一の道ではないか?彼等は彼等を護つてくれるやうに神に願ひ、……神は彼等を護つた。ウリスは彼等の財產を掠奪する者との戰ひに、彼等を護つてくれるバラスの女神を有つてゐた。
 私を見捨てないやうに、どんなに私は禱つたらいゝか?私は誰に助力と保護とを訴へたらいゝか?私は獨りだ。しかし誰も私を護ってくれる者のない以上、私は自分で護らなければならな い。神を有たない以上、私が私自身の神とならなければならないのだ。
 ヴアニアが私に言ったことは何であったか?すべての事が赦されると考へることは、スメルヂヤコフへ導く。……しかしスメルヂヤコフは他のすべての者より惡い者では無い。

編者注】ワーニャ(当訳本ではヴアニア)は、カミュ「正義の人々」でのセルゲイ大公暗殺の実行者カリャエフとされている。画像は「正義の人々」本邦初演のポスター。

読書ざんまいよせい(020)

◎蒼ざめたる馬(005)
ロープシン作、青野季吉訳

◎蒼ざめたる馬(004)
ロープシン作、青野季吉訳

 四月六日

 復活祭の前週間は過ぎた。今日、楽しいは鳴り響いてゐる。復活祭の日曜日だ。夜は、投び 満ちた行列、キリストの讃美の中に、過ぎた。街々は朝から澤山の人出がして、林檎一つ落ちる 余地もない。頭に白いハンカチーフを巻いた百姓女、兵隊、襤褸を着た食、制服の學生 彼等はみんな接吻したり、 向日葵の種を噛んだり、お僥舎《しやべ》りをしたり、笑ったり、無駄口をたさいたりしてゐる。赤い復活祭の卵や、しやうが<傍点>餅が路傍で賣られ、色のついた風船がリボンにつながれてゐる。群衆は、巣の中の密蜂のやうに、ブンブン鳴りざめいてゐる。
 少年時代に私達は、四旬齋《レント》の六週間のあひだ聖晩餐の仕度をした。 丸一週間斷食をして、式の日にも、晩餐の儀禮のすむまでどんな食べ物に觸れなかつた。それから五週間目《パツシヨンウイク》が来た。 ……おゝ、私達の跪拝の狂熱、會堂に展けられた救世主の御慕への熱情的な密着! 「主よ、われらが罪を赦させ玉へ。」復活祭の朝々は、天國のやうな感じを與へた。蠟燭の輝き、蠟の匂ひ、僧侶の雪白な法服、金色の龕があつた。・・・・・興奮で息が詰りそうであつた。キリストはすぐ甦り玉ふか?
 私達は清められた復活祭のバンの一片を持つてすぐ家に歸らうか?
 家では、すべてがお祭りの仕度になつてゐた。復活祭の全週間はお祭り日であつた。
「お占ひなされ、旦那さま。」一人の小娘が私の手に封じ物を押し入れた。
 小娘は裸足で襤褸を着てゐる。お祭りらしい様子は何にもない。 彼女から買った灰色の紙に、次のやうな豫言がある。
「悪運に追廻さるとも、希望を棄つる勿れ、失望に道をゆづる勿れ。汝は大いなる困難に打克ち、運命をして汝にその車輪を向けしむるならん。汝の企は、汝の思ひしよりも更に一層大いな る、全き成功を以つて飾らるゝならん。」
 そうだ、私にとって、これは佳い復活祭の卵ではないか?

 四月七日

 ヴァニアは他の人達と一緒に、馭者立場に暮してゐる。彼は腰掛の上に彼等と喰付いて眠る。彼は共同釜で食つてゐる。 自分で馬の手入れをして、馬車の掃除をする。 彼は馬車を驅って、終日、街中で費す。彼はこぼ<傍点>さない。彼の仕事にすつかり満足してゐる。
今日、彼は新しい着物を着て居り、頭髪は鮮やかに油をぬられて、長靴は氣持よく鳴る。
 彼は私に云つた。
「遂に復活祭が来た。それは善い・・・・・・キリストは甦った。眞實だよ、ジヨーヂ。」
「うむ、何が善いことだい?」
「あゝ、君は・・・・・・君は悦びを持つてゐない。君は、萬象を在りのまゝに受取らないんだ」
「君はそうか?」
「僕?そりあ全く別だ。しかし僕は君が気の毒だよ、ジヨーヂ。」
「気の毒だ?」
「そうだ・・・・・・君は誰をも愛さい。 君自身をさへ愛さないんだ。・・・・・・僕等の立場《たちば》に。一人の馭者がゐる、チツホンと云ふんだ。色の黒い髪の巻き下つた百姓なんだ。彼は悪魔のやうに意地惡だ。以前には大變な物持ちだつたんだが、大火ですつかり持つてたものを無くしたんだ。人が憎くんで彼の家へ放火したんだ。彼はそれが忘れられないで、誰でも、どんなものでも、呪つてゐる。彼は、神も、學生も、商人も、小供さへも、呪つてるんだ。 彼は彼等をすつかり嫌つてるんだ。『彼奴等は犬畜生だ。彼奴等は誰も彼も。』と彼は云ふんだ。『彼奴等はキリスト教徒の 血をすゝつてるんだ。そして神は、天から彼奴等を見下して、それを観て楽しんでゐるんだ。』・・・・・・或日、僕が茶店を出て立場へ歸つて来ると、チツホンが立場の真中に突立つてゐた。脚を廣く 開いて立ち上つて、袖を巻くし上げてゐた。大いに手綱を握つて、馬の眼を激しく打つてゐるんだ。生命《いのち》の氣《け》もない可哀想な馬は、拳固を外そうとして頭をふるのに、彼は續けかけ續けかけ眼を亂打するんだ。『骸骨奴!』 彼は皺枯れ聲で努鳴った。『獣奴!思ひ知らしてやるぞ』『チツホン 何故可哀相なものを打つんだ!』私は彼に問ふた。『默れボロ野郎!』彼はさう答へて、益々怒つて馬を打つんだ。。
 ヴアニアは砂糖の小さい一塊りを嚙んで、茶を綴って、續けた。
「怒るなよ、ジヨーヂ、笑ふな。僕の考へてることを知ってるかね?僕等は、僕等はみんな、貧しい心なんだ。僕が生活を驅つて行く力は何だ?憎惡だ、たゞ憎惡だけだ。僕等は愛さない、愛すと云ふことはどんなことか、僕等は知らない。僕等は戰ふ。僕等は殺す。 僕等は焼く。そして僕等もまた絞め殺され、縊られ、焼かれるのだ。何者の名に於いて、それが爲されるのか?聞かせてくれい。。
私は肩をゆすつた。
「ハインリヒに聞け、ヴアニア。」
「あゝ、ハインリヒ!彼は人々を自由にして、彼等のすべてに食物を與へることを信じてゐる。 しかしそれはマルタの役目なんだ。マリアお役目は何だ?人が自由の爲めに死なんとする。いや 自由の爲めばかりぢやない、一滴の涙の爲めにも死なんとする、それは僕は十分了解する。僕も、地に奴隷なく、飢ゆる者の無いことを、神に禱る。しかしそれで事がすむんぢやないよ、ジヨーヂ。現在、人々の生活が非眞理の上に建てられてあることを、僕等は知ってる。眞理はいつたい何處に在るのか?話せるなら話して呉れ。」
「眞理とは何か?君の言ふのはさうか?」
「そうだ、真理とは何か?ねえ君 『我の生れ、我の此世に来れるは、眞理の證《あかし》を爲さんが爲めなり。眞理に在る凡ての者は、我聲を聞く』さ。」
「ヴァニア、キリストは、汝殺すこと勿れ、と云つたよ。」
「知ってる。しかし血のことはまだ云ふな。何か他のことを話して呉れ。歐羅巴は世界に二つの言葉を與へて、それを苦痛で封じ込んだ。第一が自由だ、第二が社會主義だ。しかし僕等は世界にどういふ言葉を與へたか?自由の名において、多くの血が流された。が、誰が自由を信ずるか?が、君は實際、社會主義が地上の天國だと信ずるか?愛の名において、愛の爲めに、誰が火刑柱に上つたか?人々が自由になり、子供が食に飢えず、母が泣き悲しまないだけでは充分ではないと、僕等のうちの誰かこれまで敢《あ》えて言つたか?それよりもつと以上に、彼等がお互に相愛する必要が、大いなる必要があるんだ。神は彼等共に在り、彼等の心の中に在らねばならんのだ。それだのに、その神と愛を、彼等は忘れてゐる。しかしマルタは眞理の分でしかない。あとの半分はマリアだ。僕等のマリアは何處に居るか?一つの大きな道の爲めに、今や戰はれてゐる、僕は强くそれに信頼する。それは百姓の道だ。凡てのキリスト教徒の道だ、實にそれは、キリストの道なんだ。それは神の爲めに、愛の爲めに、戦はれてゐるんだ。人々は釋放たれ、食を與えられ、愛の生命は彼等のものとなるだろう。僕もまた、吾々は神の民だといふことを、信ずる。愛が吹き込まれ、キリストがその中につてゐるのだ。僕等の言葉は、復活の言葉だ、主よ、甦れ!……僕等の信仰は小さい、僕は小供のやうに弱い。それだから僕等は劍を執《と》るんだ。僕等が劍を振廻すのは、力がある爲ぢやない。僕等の弱さと僕等の恐怖とからなんだ。しかしながら明日来る者を待て。彼は純なる者だ。彼等は劍を要しない。彼等は强い。が、彼等の來る前に、僕等は死ぬだらう。そして僕等の小供のその孫が神を愛するであらう。彼等は神のうちに生き、キリストを讃美するであらう。新しい世界が彼等に啓らけ、彼等はその中に、僕等が現在見ることの出来ないものを、見出すてあらう。……そして、おゝ、ヂヨーヂ!今日は復活祭の日曜日だ。キリストは甦つた!せめて今日一日だけで僕等の傷《きず》を忘れやう。そしてお互に眼を打合ふことを止《よ》そう……」
 彼は、新しい考が突然思ひ浮んだやうに、寧ろ不意に止《や》めた。
「どうしたんだ、ヴァニア?何か云はうとしてるたんぢやないか?」
「君に云ふがねぇ。鎖を斷ち切ることは不可能だ。僕には他の途はないんで、全く何にも。僕は殺しに行く、しかし僕は福音を信する、キリストを讃へる。おゝ、苦痛だ!」
 居酒屋は、お祭りを祝つた酒醉ひの喧騒で滿たされてゐた。ヴアニアは卓子掛の上に頭を低く垂れかけて待つてゐた。私は何をすることが出来たか・・・手綱《たづな》で彼の眼を打つことか?

・写真は、「集合写真の断片。ボログダでの若きサヴィンコフ(Wikipedia より)
・著者・訳者とも著作権は消失している。

読書ざんまいよせい(010)

◎蒼ざめたる馬(004)
ロープシン作、青野季吉訳

 三月二十八日。

 知事は確かに彼の生命に對する企てを知つた。昨夜彼は、突然ボドゴルノエへ出立した。私達はそこへ尾けて行つた。ヴアニャ、フエドル、ハインリヒは異つた場所で見張りをした。 私は町を彷徨つた。それが私の定められた役目だつた。
 私達はいま彼のこを十分知つてゐる。失敗する筈はない。すぐ日を決めてよい。ヴァニャが第一に……

 三月二十九日。

 アンドレエ・ペトログツチはこゝに居る。彼は、中央委員會の一員で、諸鑛山での長い年月の勞働と西比利へ追放されたことを誇としてゐて、古い革命家の生活をしてゐるのである。 憂鬱な眼と失つた灰色の髪を持つてゐる。
 我々は一緒に料理屋へ登った。
「ねえ。ヂヨーヂ君。」彼は惶てたやうな様子で始めた。「少時《しばらく》仕事を延ばそうと云ふ話しが出てるゐるんだがね。君はどう思ふかね?」
「給仕!」と私は呼び立てた。「蓄音器で『コルネヴイコの鐘』をやれ。」
「君は他事《よそ》々々しくしてゐるが」と彼は言った。「非常に重大な事だよ。我々の現在の策略と下院の仕事とどうして調和し得るか?我々は確實な周到な立場を保たなけりやならない。一方かまたは他方なんだ。立憲主義に適合して下院に這入つて行くか、若くは、明らさまに反對して、そして……それから勿論……ね、どう思ふね?」
「どう思ふつて!どうも思はないさ。」
「然し、よく心を定めて呉れ給へ。事情は君を―‐君達の團隊をだよ--除外するかも知れないから。」
「何?」 私は寧ろ鋭く訊ねた。
「除外すると云ふのは適當な言葉ぢやない、然し--ね、どう云つたらよいか?… 勿論我々は分つてゐる……ねぇヂヨーヂ君、我々は了解してる……それが我々の仲間をどんなに失望させるか知つてゐる。我々は高い価値をおいてる……そして、要するに未だ何事も定つてはないんだ」
 彼の類は檸檬《レモン》のやうに黄く、眼の周りに皺があつた。彼は、場末の惨めな下宿に住んで、酒精ランプで湧かした茶を啜って、一冬《ひとふゆ》薄い外套を着て、企らんだり議論したりして時を費してるたに違ひない。彼は『仕事をしてゐた』のであつた。
「アンドレエ・ペトロヴッチ」と私は彼に言った。「決心なんぞは打捨つて置き給へ。君の勝手にしていゝ譯だ。君達がどんな決定をしやうと、やはり僕達は仕事を続けるばかりさ。」
「本統にそうか?君は中央委員の決定に歸しないのか?」
「然し、ジョーヂ君。」
「それが僕の最後の言葉だ。アンドレエ・ペトロヴツチ。」
「それならどうする?」彼は私をせがんだ。
「うむ。」
「仕事をどうする?」私は言ひ返した。
 彼は溜息をして、私に手を差した。
「君の今言ったことを僕は彼等に云ひはしない。」と彼は言った。「どうにか甘く行って欲しいものだ。君は僕を怒ってやしないだらうね?」
「さよなら、ヂヨーヂ。」
「さまなら、アンドレエ・ペトロヴツチ。」
 空は寒さの近い兆に星で一杯であつた。狭い荒れた通りは不思議な光景を呈してゐた。 アンドレエ・ペトロヴツチは汽車に間に合ふのに急がなければならなかった。可哀そうなお爺さん、可哀そうな父《とつ》ちゃん坊つちやん!······それでもまあ彼等のは天國だ。

三月三十日

 私はまたエレーナの家の近くをぶらつき始めた。それは巨大な、灰色な、重々しい建物だ。 地主は商人のキユボロソフだ。エレーナはそんな立派な家にどうして住んでることが出来るんだらう。
 霜の中に立つて、閉ちた扉の前を何度も行つたり來たりして、起つて来そうもないことを待つ てゐるのは、馬鹿々々しいと云ふことを私は知つてゐる。ひょつとして彼女に遭ったとしても、 それがどうなることか?何にもならないのだ。
 私は昨日大通りでエレーナの夫に會つた。最初私が遠くから彼を見た。その時彼は寫真を見るのに或店の窓際に立ち止つたのであつた。彼は私の方へ背中を向けてゐた。私は這いて、彼の傍に止った。彼は背の高い、細々して、頭髪の見事な、二十五位の男で、士官だ。
 彼は見返つてすぐ私が分つた。私は彼の眼の中に悪意と嫉妬とを認めた。彼が私の眼に何を認めたかは知らない。
 私は彼に嫉妬もしてゐなければ、彼を嫌つてもゐない。然し彼は私の邪魔になつてゐる。そこに物或物が在る。 彼を眺めたときに私には次の言葉が思ひ浮んだ。
 今日は雪がして小川は傾斜地を走つてゐる。水が日光にキラ/\輝いてゐる。 雪が溶け 田舎の空氣には春の匂ひ、興奮させるやうな森の濕りがある。夜はまだ霜が下るけれど、 日盛りには地面は滑らかになつて屋根からは滴りが落ち始める。
 この前の春を私は南方で過した。夜は參宿《オリオン》の輝きがあるばかりでのやうに闇であつた。 朝、私は海へ出る道でよく砂利濱を歩いた。 ひーず《傍点》は森の中で蕾がふくらみ、白百合もやはりそうだ。私は懸崖に登った。焼くやうな陽光は私の頭上にあり、遙か下方に海の透き通るやうな靑さを見ることが出來た。 蜥蜴は石の上を匍ひ、蚊は空中に羽を鳴らしてゐた。 私は熱い石の上に軀を伸して波の音に入ることが好きだった。時が過ぎて、物は忽ち私の眼から消えて仕舞ふ――海も、森も、春の花も。全宇宙が生命の無限の歓びに滿ちた巨大な一軆となつた・・・・・・そして 今は?
 私の友達のベルデユームの士官が、コンゴーで服務した闇の生活を私に語った。そこには
彼が唯一人で、五十人の黒人兵士を率いてゐた。彼の哨兵線は大きな川の岸に在つた。太陽は少 しもほどよい濕さを送らず、發黄病の不斷の危険のある所であつた。對岸には彼等の王と法律と 有つてゐる黑奴の獨立部落があつた。晝は夜に続き、再び晝が来た。朝も、晝も、晩も、彼は 砂の岸のある同じ濁つた川、靑く光つた同じ爬蟲類、分らない言葉をかつてゐる同じ黒人を見る のであった。折々暇つぶしに彼は銃を取つて茂つた葉の中にある毛の頭を打った。
 彼の兵士が岸の黒奴を一人捕虜にすると、それを一定の場所において、暇つぶしに射撃の標的にした。逆《ぎやく》にまた、彼の方の一人が對岸で捕へられると、手足を切取られて、川の中に立たせられ、頭だけ出して一晩中そうしておかれた。翌日には彼の首は切られた。
 白人が黑人と異いがあるかどうか私は疑ふ。異ひは何であるか?選擇がなされなければなら ない。「汝殺す可からず」か――この場合、我々の凡ては、黑人があると同じに、人殺しだ。また は「眼には眼、齒には齒」か――この場合には、辯解する必要はない。私の望みはそうだ。 そして 私は私の好きなことを實行する。申譯や、他人の意見を非常に氣にする中には、臆病の要素が含 まれてみないか?何故人は、人殺しと呼ばれることを怖れ、英雄と呼ばれることを欲するか?要するに、他人の言ふことに向つて、私は何を氣にするか?
 ラスコルニコフは婆さんを殺して、婆さんの血で彼自身が息を止められた。ヴアニアは殺す爲 めに出てゐる。彼は幸福を感ずるであらう。 彼はそうであらうか、私は疑ふ!愛の爲めにそれをするのだと、彼は言ふ。しかし愛は存在するか?キリストは實際三日目に死から甦つたか?······ それはみんな言葉に過ぎないのだ・・・・・・。否《いな》。」
  お前の襦袢の虱《しらみ》が、
 「お前は蚤《のみ》だ」とお前を嘲ったら
 引きづり出して殺して仕舞へ。

著者・訳者とも著作権は消失している
図は、ザヴィンコフ「テロリスト群像」(上)岩波現代文庫 表紙

読書ざんまいよせい(007)

◎蒼ざめたる馬(003)
ロープシン作、青野季吉訳

  三月十七日。

 私が何故この仕事を始めたか、私は知らない。然し他の者がそれに入つて來た理由は知つてる。ハインリヒはそれが私の義務だと信じてゐる。フエドルは妻が殺されたので私と付い た。 エルナは生きてゐるのは恥だと云ふ。ヴァニアは… ヴァニア自らに語らせやう。
 最近彼が私の者となつて、一緖に郊外で終日した。 私は彼と旅舍で談合する約束があつた。
 彼は、下層階級の人の着けるやうな長靴に靑服でやつて來た。彼は鰓髯を直して髮を圓く刈込んでゐた。彼は言つた。
「時に、君はこれまでキリストのことを考へたことがあるか?」
「誰のこと?」
「キリストのことさ、神人キリストのことさ。君はこれまで、何を信じなければならんか、どうして生きなければならんか、君自身に尋ねたことがあるかね?宿屋や、馭者溜りで僕はよく聖書を讀むんだ。そして僕は、人閒にはた二つの道しか開けてゐない、實際二つ切りだといふ結論に達したんだ。一つは、ての事は許す可きだと信することだね。いゝかね、例外無しに凡てのことがだだよ。もしどんな考へにも冒し進んで慄《おじ》けない心を持つてゐれば、その道によつてドストイエフスキーのスメルヂヤコフのやうな人物が作られるだ。 要するその態度にも論理はある、と云ふのは、神が存在せず、キリストが一個の人閒に過ぎない以上は、そこにはまた愛もない、卽ち君を抑へる何物も無いからね。モウ一つはキリストに導いて行くキリストの道だ。人閒の心に 愛があるなら―本統の深い愛だよ―彼は殺すことが出[來 1字補]ると思ふか出來ないと思ふか?」
 私は答へた。「出來るさ、どんな場合でも」
「いや、どんな場合にも出來ない。 殺すことは大きな罪だ。「同胞の爲にその生命を棄つるより 「大いなる愛は無し」さ。 そして彼は、生命より以上の―彼の心靈も投け出さなければならないんだ。彼は彼自身の十字架に上らなければならんし、愛によつて―愛だけによつてが促されないからには、どんな決心もしてはならないんだ。他の動機なら彼をスメルヂヤコフ*に戾して仕舞ふんだ。僕の生命を取つて見給へ。何の爲めに僕は生きてゐるか?僕の最後の時が、僕が全生命をその爲に生きなければならなかつたものを證據立てる爲めなんだ、全く。僕は神に祈る。神樣、愛の爲めに君を死なせて下さいと。が、人殺しをする爲めにお禱りをする者があるか?人は殺すであらう、然しそれに就いて禱りはしない…僕は知つてゐる、僕は心の中に十分に愛を持つてゐないんだ。 僕の十字架は僕には重過ぎて擔へないんだ。」
「笑ふな。」と彼はすぐ後で言つた。「何にも笑ふことは無い。僕は神と神の言葉のことを話してるんだ。僕が譫語《たわごと》を言つてると君は思つてるんだらう。實際君は僕が譫語を云つてると思つてるかい?え?」
私は返事をしなかつた。
「默示錄の約翰」を覺えてゐるだらう。「この時に人々死を求ん爲《なせ》ども能はず。死んことを願へど死は遁去《のがれさる》べし。」と云つてゐる。死を願ふ時に、死が君から去るほど恐ろしいことがあらうか?君もまた死を求めるだらう。 我々皆も。どうして僕等は血を流すか?法律を破るか?君は法律を認めない。血は君には水と同じだ。然し覺えてる給へ、いつか君は僕の言葉を思出すだら う。君はその結末を追ひ求めてゐるが、それはやつて來ないだらう。 死は君から遁去るだらう。 僕はキリストを信ずる、實際信ずる。然し僕は彼と共に居ないのだ。 僕は彼に値しない。 僕は泥と血で穢されてるのだ。それでもなほ慈悲深い神は來て下さるだらう。」
 私はぢつと彼の眼を凝視めて答へた。
「それなら、 何故殺すか?君は勝手に僕から離れていゝんだよ。」
 彼の顏はすつかり靑ざめた。
「どうして君はそんなことを言ふんだ?僕の靈は惱んでゐる。然し僕は出來ない…… 僕は愛する。」
「譫語だ。ヴァニア。もうそんなことを考へるな。」
 彼は答へなかつた。
 私は彼を離れて、街へ出るとすぐ、すつかり忘れて仕舞つた。

[編集者注]
* ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」の登場人物、小説では、父親を殺害。

  三月十九日。

 エルナは泣いて淚の中から云つた。
「あなたはもうわたしを愛してゐない。」
 彼女は私の肱掛椅子に坐つて、手で顏を蔽ふてゐた。彼女の手がそんなに大いことを、前に氣が付かなかつたのは不思議だ。
私は彼女を深く凝視して言つた。
「聲を立てるな、エルナ」
 彼女は眼を上げて私を見た。彼女の赤いと落込んだ下唇が彼女を醜くした。私は窓の方へ向いた。 彼女は肱掛椅子から立つて、おづ/\私の袖を引いた。
「ごめんなさいよ」彼女は言つた。「もう聲を立てませんから」
 彼女は時々泣聲を立てる。 最初に眼が赤くなつて、それから頬が膨れ出して、おしまひにはかすかな涙が頬の上にけて来る。何といふかな涙だ!
 私は彼女を膝に引寄せた。
「エルナ」私は彼女に言つた。「僕がおまへを愛すると此迄云つたことがあつたかい?」
「いゝえ」
「僕はおまへを欺いたかい?他の女も僕は愛すると云はなかつたかい?」
彼女は答へなかつた。たゞ全身を震はした。
「どうだね。」
「え、そう仰つたわ。」
「だからね、おまへに飽きが来たら、僕はおまへに言つて仕舞ふよ。決してお前に祕したりなんかしない。僕を信するだらうね?」
「え、信じます。」
「む、それでいゝ。さあもう泣くのは止せ。 おまへより外には無いんだよ。」
 私は彼女にキスした。 彼女は次のやうに云つて、樂しさうな顔をした。
「どんなにわたしはあなたを愛してるでしやう!」
 然し私は彼女の大きな手を忘れることは出来なかつた。

  三月廿一日。

 私は英語は一言も知らない。旅館や、料理屋や、町で、片言混りの露亞西語をつかふ。それか 時々いやなことが起つて來る。
 昨夜私は芝居に行つた。赭い、汗つほい顏をした嚴丈な男が側に掛けてゐた。彼が鼻を鳴して深い呼吸し、幕の開いてる間半眠りをしてゐた。幕合に私の方を向いて訊ねた。
「あなたは何國《どこ》の方《かた》ですか?」
 私は返事をしなかつた。
「お分りになりませんか?」と彼は再び訊た。「あなたのお國を知り度いんです」
 私は彼を見ないで答へた。
「私は英國皇帝の一臣民です。」
これで彼は満足しないらしかつた。
「誰の臣民だと仰るんですか?」と彼は重ねて訊ねた。
「英國人ですよ。」
「あゝ英國人…あなたが?それならあなたは世界で一番悪い國民にしてるんですね。 彼奴等《あいつら》は日本人に加勢して對島海峡で我國の旗艦を沈めた。彼奴等のすることはそんなもので。それでゐてあなたは知らん顏で、露西亞へ旅行に來てゐる。 止しにして貰ひ度い!」
 人々が私達に目を向けた。
「私にものを仰ることをやめて戴きましやう。」と私は低い聲で言つた。
「あなたを巡査に渡します。 私のすることはそれだ。」彼は聲を張り上げて言ひ續けた。「お覧なさい此の男を!あれはきつと日本の間だ。それでなけりあ、何かの詐欺師だ。英国人だつて、本統に!巡査がなぜ尾けないんだらう」
 私はポケットの中の拳銃を觸つた。
「お默んなさい。」と私は命じた。
「默れつて!いや、二人で警察へ行かう。そこへ行けばも何《なに》彼《か》も分るんだ。間諜は我国では許されないんだ。神聖な露西亞萬歳だ!」
 私は立ち上つて、彼の闘い血の灑いた眼を眞直に見詰めた。
「三度君に警告する、默んなさい!」
 彼は肩をすくめて一言も言はないで坐つて仕舞つた。
 私は劇場を出た。

  三月廿四日。

 ハインリヒは丁度二十二になる。學生の時には會合でよく饒舌つた。その時分は眼鏡をかけて長い髪をしてゐた。今は、彼もヴアニアのやうに粗野になつた。痩せていつも顏を剃るつてゐない。彼の馬も痩せて、馬具はボロ/\で、橇は古物だ。彼は最下層階級のありふれた橇屋だ。
 ある日彼は私とエルナをに乗せて來た。町の門を出る時に、彼はくるりと後を向いて言つた。
「このあいだ僕は坊主と喧嘩したよ。そいつがラウンド・スクエヤの番地を云つて、十五コペ ーキの橇代を拂はうと云つたんだ。僕は所を知らないから、橇をくる/\後を挽いて廻つたんだ。とう/\ 奴《やつ》怒り出して仕舞つて、毒付き出すんだ。『泥棒め、貴様は道を知らないんだな、巡査に引渡すぞ!』 それから續けて云ふんだ。『馭者といふものは自分の燕麥《からすむぎ》の嚢のやうに町をちゃんと知つて居らにやならんもんだぞ。貴様はきつと騙つて鑑札を取つたんだな。一ルーブル位の賄賂を つかつて、試驗なしに通して貰つたんだろう。』僕はそいつを取るのに面倒したよ。『どうぞ旦那様お赦し下さい』と僕は云つた。『キリスト様の爲めにお赦し下さい!』 彼の言ふことは實際だ。僕は試験を受けやしないんだ。 宿無しのカルプジヤが僕の代りに受けてくれて、僕は手間賃に五十コベーキ拂《はら》つたんだからね」
 エルナは聞いてるなかつたが、彼は非常に油が乗つて續けた。
「すぐ二三日前も藝當をやつたよ。或お爺さんの夫婦を乗せたんだ。いゝ階級の禮儀正しい人らしかつたが、かなりの老夫婦だつた。丁度ロング・スツリートを駆けて行つた時に、電車が停留所に止つたんだ。それを餘り気にも留めないで、僕は軋道を駆けぬけた。すると橇の中の老夫婦は飛び上つて、激しく僕の首筋を蹴飛した。『惡者奴!』と彼は呼んだ。『貴様は私達が轢死させるつもりか?氣狂のやうに驅立てゝどうするんだ、畜生!』
「『旦那様何も驚きなさることはありません。』と私は言った。『横切つたつて何でもないことでございます。電車の出る迄にはまだ少時《しばらく》あります。その時女が佛蘭西語で彼に云ふのが聞えた。ジアン、そんなにお怒りなさるなよ。お體に大層さわりますよ。馭者もやはり人間ですから』 彼女 は實際、馭者もやはり人間だと云つたんだ。すると彼は露西亞語で答へた。『それはそうだらうが、此奴は獸《けだもの》だよ』『おゝ、ジアン、』と彼女は云つた。『そんなことを仰つては恥《はぢ》になります。それから彼が僕の肩を軽く叩くのを感じた。『濟《す》まなかったな。』と彼は言った。『氣に掛けなさんな。』そして彼は二十コペーキのチツプを呉れた。……彼等は多分自由黨なんだらう。……おい右だ 婆《ばあ》さん孃《ぢやう》さん!」
 ハインリヒは惨めなよろ/\の馬に鞭を當てた。 エルナはそつと私に寄り添った。
「エルナ・ヤコヴレヴナさん。此の土地はいかゞですね?仕事に慣れましたか?」
ハインリヒは寧ろ辱かしそうにしてこの問ひを發した。 エルナは嫌やらしい風で答へた。 「すつかり満足してますわ。 そりあ仕事にももう慣れましたわ」
 私の右手には黑い亡靈のやうな櫟樹があり、左手には野原《のはら》の白い衣があつた。町は前に展がつてゐた。會堂は日光に輝いてゐた。
 ハインリヒは口を噤み、橇の軋る音の外は、通りは深い沈默の中にあつた。ハインリヒは私達を町へ返した。橇から下りる時に私は、彼の手に五十コベーキをおいた。彼は霜を被った帽子を脱いで、長い間私を見つてゐた。
 エルナは低語いた。
「今夜、あなたのところへ行ってもよくつて?」

注記】画像は、古本市場で出品の「蒼ざめたる馬」奥付き。なお本文、訳文の著作権は消失している。
参考】川崎浃訳「蒼ざめた馬」(岩波書店 同時代ライブラリー)

読書ざんまいよせい(003)

◎ロープシン「蒼ざめたる馬」(青野季吉訳)

はじめに】
 OCRがいくら進歩しても、元の画像が一定程度以上劣化しては、テキストとして復元できない。特にスキャン型のソフトに付随するOCRでは、全く認識しないと言っても間違いではない。例えば、国立国会図書館にある公開ライブラリにある画像は、何回かの画像処理が施されているらしく、テキスト化は無理とあきらめていたが、手間はかかるが、iPad のアプリでなんとかテキスト化ができることが分った。前回、トロツキーの著作を重訳した青野季吉を紹介したが、同じ訳者の、ロープシン「蒼ざめたる馬」を、国会図書館のライブラリーからテキストとして公開する。手始めに青野季吉の「解題」から。以下、本文公開は遅々たる歩みになると思うが、根気よくお待ちいただきたい。

自由・文化叢書
第二篇
蒼ざめたる馬
ロープシン作
青野季吉譯
冬夏社
THE FREEDOM AND CIVILIZATION SERIES

解題

 ロープシンが、ケレンスキー内閣當時の内務大臣であつた、サヴヱチニコフの名である事は可成りに知られてゐる。「蒼い馬」はこの革命黨員の自傳的告白であつて、露西亞の西に逃れてゐて、戰時通信文を寄稿するジヤナリストであつた頃からロープシンは光彩ある人として注目されてゐた。「蒼い馬」は彼が文壇に出た最初の作であつて、同時に近代 露西文學中の傑作である。 メレデユコフスキーのこう批評した事もロープシンが内務大臣である程有名である。「近代の文學中これ程露西亞人の生活及び魂をよく描出したものは無い」。露西亞の傑作に現れてゐる中心が常にユートピア・フリーランドを渇望し。時に は全くの空想である事を追求するやうな人間、並に生活であつて一九一八年の露西亞革命はこの精神的生活からの産物である事は極めて自然な合理的な解決とされてゐる。ロープシンが自個の生活の告白として描いた「蒼い馬」の人間もその通り「ユートピア・フリーンド」にしてゐる、リアリスチックアイデアリストである。ローブシンが「二つの途」と云つてゐる言葉並に革命黨員が古い虚無主義者のやうなローマンチックな因襲的な氣持よりも、アイデアリスチックな氣持で働いてゐる生活は露西亞にしか見られい型の人々で、ドストエフスキーの主人公とよく似た性情を持つてゐる。革命は人を殺し乍ら、神を信ずる事を論じ、政治的實際運動に従ふと共に、それと等しい熱情を以つて宗教信仰の問題を考へてゐる。こうした露西亜人らしい最もい型の人間が「蒼い馬」には最も心 理的に描寫されてゐる、 それと共にこの露西亞人の持つてゐる問題は吾々にも在り、近代生活の何にも潜んでゐる問題であるに於て、「蒼い馬」は直ちに版を重ねていゝ價値 をもつてゐる。そうしてそうい型の人間の最も純な人々によって成立つてゐる革命黨員 と共に生活した實際記録であるだけに力強く「文學以上」であるといつてもいゝ。 ロープシンはその後に「what never happened」を書いたがそれも「蒼い馬」と同様の人々な一九〇五年のモスクワ騒動を背景として描いてゐる。本篇の姉妹篇として續刊するであらう。

【参考】
Wikipedia ボリス・サヴィンコフ 筆名 ロープシン

 この、ボリス・サヴィンコフに降り掛かった同じような悲劇が、今日《こんにち》のロシアでも起こってしまった、痛ましいい限りである