読書ざんまいよせい(028)

◎チェーホフの手帖 神西清訳(新潮社版)(008)

 妻が咽び泣いた。夫が肩をつかんで揺すぶると、彼女は泣きやんだ。

 結婚すると、彼には政治も文学も社会も、一切が今までほど面白く思えなくなった。その代り、妻や赤ん坊に関するあらゆる些事が、非常に重大なものになって来た。

「なぜお前さんの歌はそんなに短いの?」と或るとき小鳥にたずねてみた、「もしや息が続かないのじゃないの?」
「私には歌がとても沢山あるのです。それをみんな歌ってしまいたいので。」
――アルフォンス・ドーデ

 犬が教師を憎む。彼に吠えついてはいけないと言われたのだ。犬は見上げて、吠えずに口惜し涙を流す。

 信仰は精神のはたらきだ。動物には信仰はない。野蛮人や未開人にあるものは、恐怖と疑惑である。信仰に達し得るのは高尚な組織体だけだ。

 死は怖ろしい。だが、永劫に生きて決して死ぬことがないと意識したら、もっと怖ろしいことだろう。

 公衆が芸術に於いて愛するのは、何よりも先ず俗なもの、とうに彼らが知っているもの、慣れているものである。

 リベラルで、教育もあり、年も若いが、そのくせ吝嗇な学校の主事。毎日学校へやって来て、長広舌をふるうが、お金と来たらびた一文も出さない。学校はぐらぐらで今にも倒れそうだ。しかも彼は、自分が必要且つ有用な人物だと心から思い込んでいる。教師は彼を憎んでいるが、当人はそれに気がつかない。害毒は実に甚だしい。或る日教師は堪忍袋の緒が切れて、怨恨と嫌悪に燃える眼で睨みつけながら、思いきり悪罵を浴びせかける。

 教師曰く、「プーシキンの百年祭をする必要はないです。彼は教会に何の貢献もしませんでした。」

 Guitarova《ギターロヴア》嬢(女優)。

 オプチミストになって人生を知得したいなら、他人の言うこと書くことを信ずるをやめよ。自ら観照し、自ら究め探れ。

 ある夫婦が生涯X(イクス)の説を熱心に信奉して、公式のようにそれに則って自分の生活を築いた。そして死ぬ間際になって、はじめて自分の胸に問うてみた――「ひょっとしたらあの説は間違っていはしなかったかしら?Mens sana in corp oresano(身健則心明)という諺は、嘘っぱちじゃなかったかしら?」

 私の嫌いなもの――陽気なユダヤ人、急進論者のウクライナ人、酔いどれたドイツ人。

 大学はあらゆる才幹を養成する。但し鈍才をも含む。

 これに鑑みまして、足下*よ。事情みぎの如くでありますので、足下よ。……
*原文にはMy dear Sirをmydeasrとでも略したほどの可笑味がある。

 最もやりきれない人種は、田舎の名士なり。

 われらの不真面目なる性情により、われらの大多数が人生現象を洞見し熟考する能力と習慣を欠くことにより、「ちぇっ、下らない!」との言の頻繁に発せらるることわが国の如きを見ず。かくも安易に、屡〻嘲笑を以て、他人の功績乃至は真摯なる問題に対すること、わが国の如きを見ず。また一面、権威の名の重んぜらるること、幾世紀にわたる奴隷の境涯によって卑屈となり自由を怖るる、われらロシヤ人に於けるが如きを見ず。……

 医者が商人(それも教育のある――)に、肉汁とチキンを勧めた。商人はてんから茶化してかかった。先ず昼飯に野菜スープと仔豚を食べて、それから医者の命令を思い出しでもしたように肉汁とチキンを命じ、これもぺろりと平らげた。とても滑稽だと思いながら。

 修道司祭《イエロモナフ》のエパミノンド神父は、魚を釣ってポケットに入れて置く。家に帰って食べたくなると、一尾ずつポケットから出して揚げる。

 貴族Xは、家具も備品も一切つけて領地をNに売って置きながら、何から何まで竈の風戸《かぜど》まで浚って行ってしまった。それ以来Nは、貴族と名のつくものは一切嫌いになった。

 金持のインテリXは農民の出だったが、手を合わさんばかりに息子に頼んで曰く、「ミーシャ、自分の身分を変えるなよ! 死ぬまで百姓でいるがいい。貴族にも商人にも町人にもなるなよ。今じゃ郡会の役人に百姓を処罰する権利が出来たという話だが、そんならそれで勝手に権能を持たせて処罰させて置け。」彼は百姓の身分を誇りにして、尊大でさえあった。

 ある謙遜な男のために祝賀の催しがあった。一同はいい機会とばかり、てんでに自己誇示やお互い同志の褒めっくらで時を忘れた。食事も終ろうという頃になってやっと気がついてみると――当の御本尊を招ぶのを忘れていた。

 可愛らしい物静かな奥さんが、激怒のあまりこんなことを言った。――「もし私が男だったら、あいつの横面を張り倒してやるんですのに!」

 回教徒は魂の救いのために井戸を掘る。私達も銘々に、生涯が跡形もなく永劫の中へ過ぎ行かぬため、学校か井戸か、何かそんなものを遺すことにしたらさぞいいだろう。

 われわれは卑屈と偽善とでへとへとになっている。

 犬に着物を食い破られたことのあるNは、今でも何処かへ這入るたびにこう訊く、――「ここには犬はいませんか?」

 Peter《ピョートル》 Demianych《デミヤーノウッチ》 Istochnikov《イストーニチコフ》.*
*源泉または名人の意。

 Grush《グルーシ》氏、Polkatytskij《ポルカトイツキイ》*氏。
*「梨」カトイク(有名な煙草製造者の名)の半分の意。

 男妾を職業とする若い男が、精力を保つため大蒜《にんにく》ソースを常用する。

 学校の主事。鰥夫《やもめ》ぐらしの司祭が、手風琴を鳴らしながら、『聖者には霊の安息《いこい》!』を歌う。

 のばしちゃうぞ*!
*「のしちゃうぞ!」の言い違いほどの可笑味。

 七月には高麗鶯が朝いっぱい歌う。

「Sigov《シゴーフ》(鮭)豊富に取揃え」――毎日街を通るたびにXはそう読んで、一たい鮭だけで店が立ち行くものか、誰が鮭を買うのかといつも不思議に思っていた。三十年たってからやっと、気をつけて正しく読んだ、「Sigar《シガール》(葉巻)豊富に取揃え。」

 技師の眼にうつる賄賂。――百円札の一ぱい詰ったダイナマイトの筒。

「あたくし、スペンサーを読んだことがありませんのよ。どんな事を書いているのか話して下さいな。一たい何に就いて書いていますの?」「あたくし、巴里の展覧会に壁間画《パノオ》を出品しようと思いますの。題材を下さらない?」(うるさい奥さん。)

 労働をしない人々、つまりいわゆる支配階級は、長いあいだ戦争なしでは居られない。戦争がないと彼等は退屈になる、安逸に倦んでいらいらして来る。何のために生きているのか分らなくなり、共喰いをしたり、せいぜい不愉快な悪口を、なるべく後の祟りのないような言い方で浴びせ合うのに懸命だ。なかで最も優秀な分子は、お互い同士にも自分自身にも飽きが来ないように、精根をつくすのである。ところが戦争が始まると、みんな吾を忘れて熱狂して、共通の不幸によって一致団結する。

 不貞をはたらいた妻は、大きな冷えたカツレツだ。誰かほかの人の手に握られたに違いないので、触《さわ》る気がしない。

 ある老嬢が、『敬虔の電車*』という論文を書く。
*古臭い敬虔と近代的な電車の対照から来る可笑味。

 Rytseborskij《ルイツエボルスキー》,Tovbich《トヴビチ》,Gremuhin《グレムーヒン》,Koptin《コプチン》*.
*「騎士の格闘」「乞食の負袋」「轟く」「煤ける」。

 彼女の顔には皮膚が足りなかった。眼をあくには口を閉じなければならぬ。及びその逆。

 彼女がスカートをもち上げて、しゃれたペチコートを見せると、男に見られつけている女のような身装《みなり》をしていることがわかる。

 Xが理窟をこねる。――「たとえば鼻《ノース》という字をとって見給え。ロシヤじゃ君、この字は尾籠千万にも、謂わば不体裁な肉体の一部を意味するね。ところがフランスじゃ、婚礼という字だぜ。」そして実際、Xにあっては鼻は不体裁な肉体の一部だった。

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