日本人と漢詩(105)

◎井波律子と廖雲錦

 今日は、亡母の命日、久しぶりに休みをとって簡単な墓参を済ませた。一年にも満たないターミナルの時は、息子としてとうてい「孝行を尽くした」とは言えないのだが、それでも、それなりに「喪失感」がしばらくは続いた。

 対象が実母ではないが、「姑《しうとめ》を哭《こく》す」詩。

禁寒惜暧十餘春 寒《かん》を禁じ暖《だん》を借しむこと 十余春
往事回頭倍愴神 往事《おうじ》 回頭《かいとう》すれば 倍《ます》ます 神《こころ》を愴《いた》ましむ
幾度登樓親視膳 幾度《いくたび》楼《ろう》に登り 親しく膳を視《み》ん
揭開幃幕已無人 幃幕《いばく》を掲《かか》げ開くも 已《すで》に人《ひと》無し

 作者は、廖雲錦《りょううんきん》、清代中期の詩人袁枚《えんばい》門下の数多くいた女性詩人、生没年は不詳とある。当方も、井波律子さんの著作で初めて詩人の名を知った。

 訳は、井波さんのをまるごと引用

「寒くないよう暧かくすることにつとめて、十余年。昔をふりかえると、ますます心が痛む。何度、二階に上がり、この手でお給仕したことだろうか。垂れ幕を持ち上げ開いてみても、もうお姿はない」

 あの期間は、わが連れ合いは、姑のケアを実に良くしてくれた。今でも感謝に絶えない。また、井波さんは、実母を見送った時に引き寄せ文章を綴っているが、喪失感の表現として、肉親が亡くなるとは、まさに「幃幕を掲げ開くも已に人無し」と実感できる。

参考】井波律子「新版 一陽来復―中国古典に四季を味わう」岩波現代文庫(図はそのカバー表紙

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