日本人と漢詩(083)

◎渡辺崋山と杉浦明平

渡辺崋山( Wikipedia )は、愛知県知多半島にあった田原藩(小藩というより貧藩と言えるだろう)の家老。蛮社の獄で、高野長英らと、捕縛、崋山は切腹に追い詰められた。従来、絵画が有名だが、彼の漢詩が紹介されることは意外と少ない。たしか、杉浦明平の大部な小説「小説 渡辺崋山」では、上巻は、一首だけだったと思う。

ここでは、まずは、その一首、27歳のおり、江戸在住での作と小説にはある。

中秋歩月
俗吏難與意 俗吏意を与《とも》にし難く
孤行却自憐 孤行却って自ら憐れむ
松林黒于墨 松林は墨より黒く
江水白於天 江水は天よりも白し
樓遠唯看燭 楼は遠く唯燭を看る
城高半帯雲 城は高く半ば雲を帯ぶ
不知今夜月 知らず今夜の月
偏照綺羅莚 偏《ひとえ》に綺羅《きら》の莚《むしろ》を照らすを

語釈】孤行:同僚と協調しない独自の生き方 樓遠唯看燭:将軍家斉の観月の宴 綺羅:その豪勢の様

小説では、華山のハラのうちを描く。為政者の金の使い方の理不尽さは現在も続く。

おれたちは腹をすかしておるのに、夜中まで飲み食い遊びほうけてけつかる腹が立ってならなかったんだ。…いまは日本中が飢えている。それなのに、大奥では依然として、毎日白砂糖千斤ずつ消費している。…そういう後宮のために消尽された無駄な費用をよそへ廻せば、四、五十万人と見込まれる今年の餓死者の大半は生きのびることができたのではなかろうか。

次に、晩年幽居での詩作を掲げる。

辛丑元旦二首
其一
萬甍烟裏海暾紅 万甍烟裏 海暾《かいとん》紅《くれない》なり
投刺飛轎西又東 刺を投じ轎を飛ばして 西又た東
滾々馬聲皆醉夢 滾々たる馬声 皆な酔夢
今朝眞箇迎春風 今朝真箇《まこと》に春風を迎う

語釈】辛丑:天保十二年(1841年) 海暾;海から昇る太陽 投刺飛轎西又東:人々のせわしい様 滾々馬聲皆醉夢:駆け抜ける馬の蹄の音も、酔っ払った後の夢の中

其二
四十九年官道樗 四十九年 官道樗《ちょ》なり
昨非不改愧衞蘧 昨非改めず 衛蘧《えいきょ》に愧《は》ず
天下難望只天樂 天下望み難きは只だ天楽
七十萱堂數架書 七十の萱堂《けんどう》 数架の書

語釈】官道樗:宮使いも樗(節が多く曲がりくねった木)で役に立たない。莊子に由来 衛蘧:春秋時代、衛の蘧伯玉は、齢五十にして、それまでの非を悟った 天樂:至高の楽しみ、萱堂(自らの母親)と數架の書をせめてもの楽しみにしたい

これらの詩を読むと、吹っ切れたというより、なにかそれまでの緊張感が抜けていった印象があり、自刃直前の華山の心情はいかばかりのものだったろうか?

付】Wikipeda 写真の詩を、訓読すると「石に倚って疎花痩せ、風を帯びて細葉長し。霊均の情夢遠く、遺珮沅湘に満つ」となる。霊均は、屈原の字だから、蘭を屈原に例えると同時に華山自らの自負であるだろう。天保十年(1839年)の「蘭竹双清」に添えたものだそうだ。

とまれ、蛮社の獄で犠牲になった、渡辺崋山や高野長英は、当時最高の知性であり、彼らが、非業の死を遂げたことは、日本の近代史でも、有数の悲劇であったことは論を俟たない。

【参考】
・入矢義高「日本文人詩選」(中公文庫)
・杉浦明平「小説 渡辺崋山」(上)(朝日新聞社)

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