日本人と漢詩(123)

◎ 私と李賀


 典型的な漢詩をひとまず置いて、不定句のある、詞餘でピンイン読みをご教示いただいた。

Sū xiǎo xiǎo mù Táng Lǐ hè
蘇 小 小 墓 唐 ・ 李 賀
Yōu lán lòu  Rú tí yǎn
幽 蘭 露    如 啼 眼
Wú wù jié tóng xīn
無 物 結 同 心
Yān huā bù kān jiǎn
煙 花 不 堪 剪
Cǎo rú yīn  Sōng rú gài
草 如 茵   松 如 蓋
Fēng wéi chóng  Shuǐ wéi pèi
風 爲 裳    水 爲 珮
Yóu bì chē  Xī xiāng dài
油 壁 車   夕 相 待
Lěng cuì zhú  Láo guāng cǎi
冷 翠 燭   勞 光 彩
Xī líng xià  Fēng chuī yǔ
西 陵 下   風 吹 雨
 読み下しと訳文は、Wikipedia 参照のこと。
 以前杜甫の詩を、クラシックの交響曲、杜牧は、協奏曲、李商隠は、ジャズのブルースに例えたが、李賀の詞をピンインで発音すると、古い物悲しいシャンソンのようである。

 もう一つ、定型詩で五言律詩

Qī xī Táng Lǐ hè
七 夕   唐 ・ 李 賀
Bié pǔ jīn zhāo àn
別 浦 今 朝 暗
Luó wéi wǔ yè chóu
羅 帷 午 夜 愁
Què cí chuān xiòn yuè
鵲 辭 穿 線 月
Yíng(Huā) rù pù yī lóu
螢(または花) 入 曝 衣 樓
Tiān shàng fēn jīn jìng
天 上 分 金 鏡
Rén jiàn wàng yù gōu
人 間 望 玉 鉤
Qián táng sū xiǎo xiǎo
錢 塘 蘇 小 小
Gèng zhí yī nián qiū
更 値 一 年 秋

 読み下しと語釈、訳文は、「しお風ブログ「湘南❤風と星物語」in二宮」を参照のこと。
 前詞でもそうだが、この詩でも、蘇小小は過去のフィクション上の人物ではなく、現世で愛し合った恋人と二重写しになって、詩詞が成立しているように思う。

日本人と漢詩(011)

◎芥川龍之介と李賀と佐藤春夫


蘇小小の墓――(李賀)
 幽蘭露 如啼眼
 無物結同心
 煙花不堪剪
 草如茵 松如蓋
 風爲裳 水爲珮
 油壁車 夕相待
 冷翆燭 勞光彩
 西陵下 風吹雨
読み下し文は、Wikipedia 李賀の項(http://is.gd/PJaTwI)を参照。「ひとりよがりの漢詩紀行」(http://is.gd/e8hfPL)では、中国音(ピンイン)まで付けられている。
佐藤春夫は次のように訳す
幽蘭の露と
わが眼を泣き腫らし
何に願をわれは掛くべき
われ娼女《たはれめ》を誰《たれ》かは手生《ていけ》けの花と見ん
草を茵《しとね》とし
松は蓋《おほひ》となり
風は裳《もすそ》とみだれ
水は珮《おびたま》となる
油壁《いふへき》の車して
夕されば人を待つ
青白き鬼火のあかり
ひえびえとゆらめきひかり
西陵のあたり
風まじり雨振りしきり
また、「連想」を働かせることにする。とりあえずは「西湖」がキーワードになるだろうか。
以前読んだ、芥川龍之介の文章で、たしか「支那」紀行の一文、「江南游記」の中だったと記憶しているが、いかにも彼らしく、日本人ならちょっとは憧れる杭州郊外の西湖を「貶す」ところが印象的だった。有名な南朝の時代の名妓蘇小小の墓は「詩的でも何でもない土饅頭《どまんじゅう》だった。」そうだ(+_+)。これじゃあ、あまりにも蘇小小が可哀想なので、李賀の有名な詩と「古調自愛集」からの佐藤春夫の訳詩を小小、じゃなかった少々(^^;)付け加えた。原詩は、定律詩ではなく「詩余」の形。三言が基本だけに余計な説明がなく、どこかサンボリスム的でもある。というより「よこはま・たそがれ」的な体言止めの「演歌」というべきだろうか?
写真は、Wikipedia(http://is.gd/HHeKwY)からの李賀の肖像画。ちなみに、詩仙堂で見た利賀像は、あまりにもオジン臭かった。こちらのほうが「青春詩人」らしく格段にカッコよい。