◎ 私と許六、張継
李杜は別にして、漢詩と言えば真っ先に挙げられるのがこの詩である。日本人に愛好されたようで、よく、お寺や古い家の客間に掲げられている。江戸時代の俳人、森川許六が、「和訓三体詩」という俳文的な訳文の中で記しているので、同時に挙げておく。
Fēng qiáo yè bó Táng Zhāng jì
楓 橋 夜 泊 唐 ・ 張 継
Yuè luò wū tí shuāng mǎn tiān
月 落 烏 啼 霜 滿 天
講習の中では、まさに月が沈んでゆくので、落(luò)は、4声が似つかわしいとのこと、なるほど。
Jiāng fēng yú huǒ duì chóu mián
江 楓 漁 火 對 愁 眠
Gū sū chéng wài hán shān sì
姑 蘇 城 外 寒 山 寺
Yè bàn zhōng shēng dào kè chuán
夜 半 鐘 聲 到 客 船
読み下し文と訳文は、Wikipedia 参照のこと。
鞆の夜泊の楫枕、室のうき寝の波の床、汐馴衣ひと夜妻、かさねて寝んと漕よせて、上りくたりの舟懸リ、近付ぶりにかいま見の、空約束に待侘る、門トのじゃらつき、階子の轟き、胸つぶるゝ折からに、田舎渡りのわけ知らず、まかれて人に囉ハるゝ、只獨寝の床寒く月落かゝる淡路嶋、生田の森の村烏、秌の霜夜の明けかねて、海士のあさり火行違ひ、寝覚の多葉粉くゆらせて、すこし晴行うき眠り、松の嵐の一の谷、須广寺につく鐘の声、波の枕に伝ひ来て、舟ハ湊を押出しける。
いささか、というよりかなり「和臭」ぽいところが面白い。原詩には、色事はないとは思うが、ひょっとすると、結句の「客船(kè chuán)」は女性同伴なのかもしれない。

