テキストの快楽(011)その3

◎シュテイフター作 小島貞介訳「湖畔の処女・水晶」


[編者注記]
 シュテイフター(1805-1868)(Wikipedia)は、オーストリアの作家。
 小島貞介(1907-1946)(Wikipedia)は、戦前のドイツ文学者。敗戦後シベリア抑留中に栄養失調により38歳で死去した。彼も戦争犠牲者の一人と言えよう。

シュテイフテル(Adalbert Stifter, 1805-1868年)著,小島貞介(1907-1946年)譯「湖畔の處女・水晶」。
底本:ロマンチック叢書7「湖畔の處女・水晶」,青磁社, 昭和二十三年一月二十一日印刷,昭和二十三年一月二十五日發行,昭和二十四年七月三十日再版發行。
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湖畔の處女・水晶

シュテイフテル 原著

小島貞介 譯

目次

* 湖畔の處女
* 一 森の城
* 二 森の移動
* 三 森の家
* 四 森の湖
* 五 森の草地
* 六 森の巖
* 七 森の廢墟
* 水晶
* あとがき
湖畔の處女・水晶:湖畔の處女・一 森の城

小國オーストリアの北境三十哩にも渡つて森林がその薄色の帶を西へと曵いてゐる。 それはタイア川の水源地に起つてボヘミアの國土がオーストリアとバヴァリアに境を接するあの境界結節點にまで及ぶ。 昔この地點に、礦物結晶結成の際の針状體樣に、巨大な尾根又尾根の一群が衝突して屈強な山巓を盛り上げた。 この山嶺は三つの國土から遙かの彼方にその水色の森をのぞかせ、波打つ丘陵地と水量豐かな溪流とを四方に送り出す。 巓はこの種の山形によく見る樣に山脈の走路を阻み、かうして山脈はここから北に折れて數日の行程に渡つて連つてゐる。

廢絶した入江にも似たこの森林彎曲の地點こそここに語らうとする物語の舞臺である。 親愛なる讀者を直接事件の人物に招ずる前に、 先づ彼等が生活し活躍した右の幽麗な森林彎曲地帶中の二つの地點を手短かに紹介してみることにする。 神々の惠みを得て彼の地をさまようたその日以來私の胸に宿るあの物狂ほしくも麗しい溪谷の風景をばせめて千が一だけ描き得ればと思ふのみえある。 私逹は逍遙の途次天がすべての人に必ず一度は而も多くは一つの相として贈る彼の二重の夢、 青春の夢と初戀の夢とを、かの地に於いて夢みた。 それは一日ひとひ幾千の心の中より一の心を選み出でて未來永劫に私逹の所有ものとし又唯一のもの最も麗しいものとして魂の底深く刻むものであり、 更にその心が逍遙さまようた山野を眼前に髣髴として永遠に消ゆる事のない花園とそてふかくも又あたたかい不可思議の想像の扉へと投げかけるものである。
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