◎蠣崎波響
蠣崎波響(1764~1826)は、蝦夷地・松前藩第12代藩主松前資廣《すけひろ》の五男、家老職のとき、松前藩転封の憂き目に会い、蝦夷地への復帰に努力した。独特のアイヌ画など絵画にも堪能し、またその頃の詩人などとも広く交友があった。(Wikipedia) 彼の漢詩より、歳暮から正月にかけての詩を数首。画像は「梅花十詠」の表紙。並大抵の労苦ではなかったはずだが、淡々とわが生を振り返る佳詩である。
戊寅歳暮 七絶
書帙堆中心事虚 書帙(しょちつ)うずたかきうち 心事 むなし
官忙老却逐居諸 官忙 老却して 居諸を逐う
今年亦是已経過 今年もまたこれ已に経過す
五十何能読五車 五十にして 何ぞよく五車を読まん
うずたかく積んだ書物のなかで心中はむなしく感じる
公務多忙でめっきり老いてしまいいたづらに月日をおいかけるだけ
今年もまたすでに過ぎてしまった
五十歳にしてどうして五台の車に積んだような書物が読むことができようか
注:戊寅 文政元年(1818年)波響55才 居諸 詩経に「日居月諸」(日よ月よ)とある
歳晩即時 七律
三百六旬如奔輪 三百六旬 奔輪の如く
閑中忙裏忽移巡 閑中忙裏 忽ちまち移り巡る
光陰難逐磨針業 光陰 逐いがたし 磨針の業
活計何愁鋤鏟貧 活計 何ぞ愁えん 鋤鏟の貧
泉脈未通前筧凍 泉脈は未だ通ぜず 前筧(ぜんけん) 凍れるに
梅唇先放半枝春 梅唇は先に放して 半枝の春
不知得得老期近 得々たる老期の近きを知らず
歳歳待花与鳥均 歳々 花を待つこと鳥と均(ひと)し
一年三百六十日は回る車輪のようで
暇でも忙しくてもあっという間に経ってしまう
あくせくとした日常の身を削るような用向きに時の流れが容赦なく過ぎてゆくが
鋤と鍬の農耕生活なら貧乏でも構わない
水の流れはまだ通じておらず庭先のかけいも凍ったままだが
梅の花がまず咲いて枝の半分だけが春になった
悠々自適の老後の生活が近いともしらず
年ごとに鳥と一緒になって花を待っている身である
除夜 二首
其一 五絶
歳酒迎賓酌 歳酒 賓を迎えて酌み
塵忙忘酔中 塵忙 酔中に忘る
五更春信動 五更 春信 動き
門外柳枝風 門外に 柳枝の風
年忘れの酒を来客と酌み交わすと
日頃の忙しいのも酔って忘れる
明け方には春の便りが届いたよう
門の外には柳の枝に吹く風の音
其二 七絶
椒酒避寒垂暁天 椒酒(しゅくしゅ) 寒を避けて 暁天になんなんとす
梅風馥郁遶窓前 梅風 馥郁(ふくいく)として 窓前をめぐる
残燈不滅猶明影 残燈はきえず 猶お明影あり
明影堂中遇一年 明影の堂中 一年にあう
寒さよけにお屠蘇を飲んで明け方になってきた
梅の香の風はふくいくとして 窓の前をめぐっている
昨年の残りの灯火は消えずになお明るく影を照らす
その光と影の部屋で新しい年に出会った
【参考】
・中村真一郎「蠣崎波響の生涯」
・高木 重俊「蛎崎波響漢詩全釈―梅痩柳眠村舎遺稿」