日本人と漢詩(093)

◎幸徳秋水と中江兆民

師弟の関係にあった幸徳秋水が中江兆民の葬儀の時の詩。その敬愛に満ちた評伝「兆民先生」の冒頭に掲げる

寂寞北邙呑涙回 寂寞《せきばく》たる北邙《ほくぼう》
斜陽落木有餘哀 斜陽《しゃよう》 落木《らくぼく》 余哀《よあい》あり
音容明日尋何處 音容《おんよう》 明日《みょうにち》 何處《いづ》くにか尋《たづ》ねん
半是成煙半是灰 半《なか》ばは、是れ煙と成り、半は是れ灰

語釈、訳文は詩詞世界を参照のこと。

続く文章も、思慕の念が溢れるものになっている。

「想起す去年我兆民先生の遺骸を城北落合の村 に送りて荼毘に附するや、時正に初冬、一望曠野、風勁く草枯れ、満目惨凄として万感胸に湛へ、去らんと欲して去らず、悄然車に信せて還へる。這の一首の悪詩、即ち当時車上の口占に係る。嗚呼、逝く者は如斯きか、匆々茲に五閲月、落木蕭々の景は変じて緑陰杜の天となる。今や能く幾人の復た兆民先生を記する者ぞ。」

一方、師の兆民も、漢詩の詩作が数百首あったようだが、まとまって紹介されることは少ない。そのなかで、「兆民先生」で引用される詩がある。

病中得二首之二 病中二首を得の二 中江兆民
西風終夜壓庭區 西風《せいふう》 終夜《しゅうや》 庭区《ていく》を圧《あ》っし
落葉撲窗似客呼 落葉《らくよう》 窓《まど》を撲《う》ちて 客の呼ぶに似たり。
夢覺尋思時一笑 夢覚め 尋思《じんし》の時一笑《いっしょう》
病魔雖有兆民無 病魔《びょうま》ありと雖《いえど》も兆民《ちょうみん》なし

語釈、訳文は同じく詩詞世界を参照のこと。

これ以上、余分な解釈は必要あるまい。兆民は、大坂堺市でその療養生活を送った。堺市市之町にはその居住先があるという。今度、機会があれば訪れてみよう。

参考】
・幸徳秋水「兆民先生」(岩波文庫)
・中江兆民「一年有半・続一年有半」(岩波文庫)

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