日本人と漢詩(082)

◎藤原定家と白居易

日本での漢詩の「読み解き」を広く取れば、時代を遡ると「和漢朗詠集」あたりからだろう。この時代に引用される詩人は、白居易が一定割合を占め、鎌倉時代になっても定家晩年の作「拾遺愚草員外」の中では、「白氏文集」から題をとった句題和歌が百首ある。どの和歌も、さすが定家、よく熟されている。

氷とく人の心やかよふらむ風にまかする春の山みづ

府西池 白居易
柳無氣力枝先動 柳《やなぎ》に気力無くして 枝先《ま》ず動うごき
池有波紋冰盡開 池に波は紋《もん》有りて 氷《こおり》尽《ことごと》く開らく
今日不知誰計會 今日《こんにち》 知らず誰《たれ》か計会《けいかい》せる
春風春水一時來 春風《しゅんぷう》 春水《しゅんすい》 一時に来たる

語釈・訳文は、Web漢文大系を参照のこと。

白妙の梅咲山の谷風や雪げにさえぬ瀬々のしがらみ
此の里の向ひの村の垣ねより夕日をそむる玉のを柳

春至る   白居易

若爲南國春還至  若為《いかんせん》 南国 春還また至るを
爭向東樓日又長  争向《いかんせん》 東楼《とうろう》 日又長きを
白片落梅浮澗水  白片《はくへん》の落梅《らくばい》は澗水《かんすい》に浮うかぶ
黄梢新柳出城墻  黄梢《こうしょう》の新柳《しんりゅう》は城墻《せいしょう》より出でたり
閑拈蕉葉題詩詠  閑《しづか》に蕉葉《しょよう》を拈《と》り 詩を題して詠じ
悶取藤枝引酒嘗  悶《むすぼ》れて藤枝《とうし》を取り 酒を引きて嘗《たし》なむ
樂事漸無身漸老  楽事《らくじ》 漸《やや》く無くして 身漸《やや》老ゆ

語釈・訳文は、雁の玉梓 ―やまとうたblog―を参照のこと。

思ふとちむれこし春も昔にて旅寝の山に花や散らむ

曲江憶元九

春来無伴閑遊少 春来《しゆんらい》伴《とも》無くして閑遊《かんゆう》少なく
行楽三分減二分 行楽三分《さんぶん》二分《にぶん》を減ず
何況今朝杏園裏 何《なん》ぞ況《いわ》んや今朝《こんちょう》杏園《きょうえん》の裏《うち》
閑人逢尽不逢君 閑人《かんじん》逢い尽くせども君に逢はず

語釈・訳文は、『拾遺愚草全釈』参考資料 漢詩を参照のこと。

釘貫亨氏の「日本語の発音はどう変わってきたか」(中公新書)を興味深く読んだ。それによると、藤原定家は、なかなかの理論家だったらしく、和歌や「源氏物語」など仮名+漢字表記を分かりやすく、しかもバランスがよいように、工夫をこらしたようだ。(私事ながら、釘貫氏は、わが連れ合いの従兄弟にあたる。)

この著書にそって、当時の読みを、下段に提示すると、

咲きぬ也夜の間の風に誘はれて梅より匂ふ春の花園
さきぬなりよのまのかぜにさそふぁれてうめよりにふぉふふぁるのふぁなぞの

 春風  白居易
春風先発苑中梅  春風 先に発《ひら》く 苑中の梅
桜杏桃梨次第開  桜 杏 桃 梨 次第に開く
薺花楡莢深村裏  薺花《せいか》 楡莢《ゆきょう》 深村の裏《うち》
亦道春風為我来  亦《ま》た道《い》う 春風 我が為に来たると

語釈・訳文は、沈思翰藻を参照のこと。

その後、平板になった現代より、より抑揚のある発音であり、和歌の朗詠もなかなかにドラマティックだったように思う。

【参考】浅野春江「定家と白氏文集」(教育出版センター)