日本人と漢詩(063)

◎西村真琴、豊中市と魯迅
魯迅のこの詩への題記に
「西村博士、上海戦後に喪家の鳩を得、持ち帰りて之を養う。初めは亦相安んずるも、終に化し去る。塔を建てて以て蔵《おさ》め、且つ題詠を徴《もと》む。率《にわか》に一律を成し、聊《いささ》か遐情《かじょう》(はるかな心)に答うと爾《しか》云《い》う。一九三三年六月二十一日、魯迅」とある。
題三義塔  三義塔に題す
奔霆飛熛殲人子
敗井頽垣剩餓鳩
偶値大心離火宅
終遺高塔念瀛洲
精禽夢覺仍啣石
闘士誠堅共抗流
度盡劫波兄弟在
相逢一笑泯恩仇
読み下し文は、写真右参照のこと
西村真琴は、戦後すぐに豊中市会議員(議長)を勤めた。その後公民館館長を歴任、戦時中は、上海事変のさなか、中国滞在中に、傷ついた鳩を日本に持ち帰ったが、1933年3月、その鳩は死に、豊中市穂積の自宅に埋葬、三義塔と名付け、題詠を依頼し、魯迅が詠んだ七律。
奔霆《ほんてい》は飛行機の爆撃、飛熛《ひひょう》は砲弾が飛び交う様、敗井・頽垣《はいせい・たいえん》くずれ落ちた家の垣。大心は大悲の心、火宅は燃え盛る家で、高塔とともに仏教用語。大心は大悲心、火宅は日に包まれた家。瀛洲は日本の「美称」。
(以下略)
現在ある豊中市の碑には、こうした悲惨さについては触れられていない。以下のブログにあるように、歴史を捨象したところに、「日中友好」など生まれようがないと思うのは私だけだろうか?
ブログ「Arisanのノートー大事なことが抜けている」

ちなみに、西村真琴氏(Wikipedia)は、水戸黄門役で名を馳せた俳優・西村晃氏の父君。

日本軍の飛行機の爆弾や銃火が中國人民を殺傷し井戸や垣をやぶり崩して町を荒廃させ、一羽の餓えた鳩をのこした。
たまたまその鳩が西村真琴博士の大慈悲心にあって火に包まれた家を離れたがとうとう死んで三義塚をのこし日本を(一つの気高い心の故に)記念している。
死んだ鳩は眠りから覚めて、かの古伝説に言う精衛の如く、日中間をへだてる東海を小石をくわえて埋めんとし、私と貴方(日中両国人民)は誠心かたく時流に抗して闘う。
今は日中両国のへだたりははるかに遠いが長い年月を苦難して渡り尽くせば、日中両國の大衆はもとより兄弟である。その時逢ってニッコリすれば深いうらみも滅び去るだろう。

一九三三、六、二十一魯迅

 

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