人生は台詞、全てこの世は舞台(007)

◎ 宮本研「日本人民共和国」
まずは、題字…
«この敗北で斃れたのは、革命ではなかった。斃れたのは、革命以前の亡霊であり、それまで断ち切れずにいたさまざまの、人物や幻想や観念や計画であった。»—マルクス『フランスにおける階級闘争』

 歴史に、「もし」(if)という過程はあり得ない。しかし、その都度々々にときに垣間見せる、オルタナティブパスウェイ(別の道筋)を想像し、芝居などに現実化することができる。それも過去の局面により、濃淡が出てくるような時代がある気がする。その一時期が、1945年の敗戦後、幾ばくも経っていない時代の特質であろう。
 時代背景は、1946年夏から1947年春にかけて、敗戦直後の、2.1ゼネストをめぐる労働組合の事務所が主な舞台である。まず劇冒頭から、当時の権力関係を如実に反映し、時の占領軍(GHQ)のエージェンシーの役割を担った、黒田が登場する。労働組合の中に、「協力者」を物色するためだ。

第一幕

<一九四六年――夏>
機関銃の音が、眠っている記憶をよびおこすように、遠くからひびいてくる。
紗幕の向うに矢田部がうずくまっている。

(黒田)あれから一年。……ちょうどひとまわりして、また夏がやって来たな。お前はまだ、そこにそうやってうずくまっている。矢田部、もういいじゃないか。
そこにそうしているのはもういい。……お前はもう、第六航空軍三十三戦隊の兵長じゃない。……戦争は終ったんだ。戦争だけじゃない。戦争を終らせまいとするおれたちの努力もまた終ったんだ。

舞台の下手に、黒田の姿。

黒田 ……歩きはじめてはどうなんだ。どっちの方向だろうと、おれはもう、命令もしなければ制止もせぬ。おれはもう、お前の上官でもなければ同志でもない。……立てよ。矢田部。歩き出すんだ。おれたちの、お見事な誤算でしかなかった努力が終って一年。……動いてみろ、矢田部。でなければ、お前がおれたちから離れていった意味なんかない……

 矢田部は、かっての兵隊当時の部下、どうやら「戦争遂行工作」に加担させたらしい。その矢田部は、やがて、労働組合活動の中心人物となってゆく。やがて、その運動の最大の高揚期、1947年2月1日を期する、2.1ゼネストの遂行が大きな課題となる。

矢田部 日本は負ける、負けた方がいいなんてふざけたことを考えてた野郎がいて、しかし、結局こうして、その連中のいう通りになっちまったなんて、本当をいうと、今だって歯ぎしりだ。…そしたら、キャップがいうんだ。……社会ってな……世界っていったつけかな…一度出来上ったら、ハンダでくっつけたみてえに百年千年動かねえもんじゃねえ。いくらだって変るし、変えられる。事と次第によっちゃ、土台からやりかえることだって出来る。おれたち、それをやってるんだっていうんだがね。
文 そうよ。
矢田部 そういわれても、まだ、合点がいくわけじゃねえけど、 ……しかし、パリ・コンミュ—ン、あいつはいいな。
文 パリ ・コンミュ—ン。
矢田部 フランスは戦争に負けた。けど、責任をとらなくちゃいけねえのは戦争おっばじめたやつなんで、鉄砲もたされパンパンやった兵隊じゃねえ。捕虜になっちまったボナバル卜の野郎はそっちにくれてやる。おれたちはおれたちのフランスをつくる。……パリ・コンミュ—ン。
文 労働者がっくった、世界で初めての労働者の政府。
矢田部 軍隊と警察を廃止して労働者が武装した。……裁判官や検事の賃金を労働者と同等に切り下げ、工場のリストをつくって労働者に引き渡した。……共和制の自治政府。
文 パリ・コンミューン。
矢田部 パリ・コンミューン。

 ゼネスト直前になり、GHQ のスト中止命令が出る。その時も矢田部は、独自の活動で、大勢の動向に抗しようとするが…
 終幕近くで、GHQ の「手先」黒田が登場する。この芝居を見事に芝居たらしめるような、この「枠組み」は、時の権力関係を象徴したようでもある。

矢田部 (冷ややかに)……何しに来た。
黒田 お前に、お別れをいおうと思ってな。
矢田部 ……
黒田 おれは昨夜ここにやって来た。……なぜだと思う?
矢田部 おれは、引き受けてなんかいない。何も頼まれてなんかいない。
黑田 しかし、お前はおれに頼まれたとおりのことをやった。しかも、組織にたてついてまでもだ。…….昨夜、おれはこの部屋に来た。……もう一度聞くが、何のためだと思う?
矢田部 ……
黒田 おれの頼みを聞いてくれるかどうかを見届けにじゃない。おれは、お前にゼネストをやめさせようと思って来たんだ。
矢田部 (思わず黒田を見る)
黑田 アメリカさんは、本当はゼネストに突入してもらいたかったんだ。……禁止命令は出した。しかし、どこか一つ位向う見ずのところが出て来るだろう。そしたら、それを口実に全体を叩く。そして、終戦からこっち、ブレーキの利きにくくなった左翼を一挙に撃滅する。……分ってるだろうが、やつらはもう、左翼の友軍じゃない。……お前はそのワナにかかろうとした。おれはお前に、それを教えてやろうと思った。しかし、お前はやった。
矢田部……
黒田 お前はやっとお前の戦争に勝ったようだな。ゼネス卜は負けた。しかし、そんなことはどうだっていい。お前たちはアメリカさんに中止命令というド口をはかせたんだからな。その上、お前は自分にも勝った。これから先、お前がどんな道を歩くのかは知らん。しかし、お前はもう、成功も失敗も、人のせいではなくて、自分の責任として引きうけてやっていけるだろう。……おれは駄目だ。生きてる世界がだんだん狭くなって来た。これでいい。だから、お前とはこれでさよならだ。お前はよくやった。……元気でやれ。……もう、ここにも来ない。
(中略)
党員1 矢田部君。……うまくいえないんだけど、このままでは、もう駄目かも知れないね、党。

党員1、静かに出て行く。

 矢田部さん…あたし、行くわ。

矢田部、答えない。
文、出て行く。
歌声が急に高くなる!矢田部、はじかれたように立ってドアをうしろ手に閉める。……その視線の方向に、一枚だけ残ったスローガンが垂れている。

 今から考えると蛇足のようであるが、この場面で、観劇していた「前衛党員」は、怒って軒並みに席を立ったようだ。心情的に分からぬわけではないが、その後の党の推移もまた象徴している気がしてならない。
 繰り返しになるが、歴史に「if」はありえないし、やり直しも効かない。でも、「オルタナティブ・パスウェイ」(もう一つの道)を提示する力が、芝居にはあることを、いつまでも信じたい。

人生は台詞、全てこの世は舞台(006)

◎ ハロルド・ピンター「温室」(喜志哲雄訳)


 戦後すぐには、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を嚆矢として、「不条理演劇」が流行った。今から考えると、その定義は、そんなに簡単ではない。私見だが、主に三つの方向に分化していったように思われる。一つは、本家ベケットのように、自己の「不条理性」を表したもの、二つは、イオネスコに代表される、この世界そのものが「不条理」だと強調するもの、三つ目は、ともに「不条理」な自己と世界の関わりをひっくるめて描くものと仮に分類しておく。そして、最後のものは、その傾向として、「政治」的になりやすい。ハロルド・ピンターの初期作品であるが、「温室」もその一つで、後に彼はそのテーマを深化させてゆく。
 収容と病院を兼ねた施設と言えば、全体主義的な抑圧体制の格好の舞台である。どこか、チェーホフの「六号室」を彷彿させる雰囲気である。それどころか「温室」(The Hothouse)というタイトルは、反語的に響き、かえって不気味に聞こえる。また、(もと)トップの主人公の姓が「ルート」が、 Root(根)なら、余計に状況的である。

   

しかし、私は時々思うんだ、もっとてきぱき改革をやってもよかったんじやないかと。ものごとってのは変るもんだ、つまるところ。変るに決ってるってこと、変ればそれでいいというんじやないが、変るに決ってるんだ。

   短い間。

それにしても、時々思うんだ、もう少し改革をやっててもよかったんじやないかーー時間があったら。何でもかでも変えるとか根本的に変えるとかというんじゃない。それは必要ない。しかし、たとえばこの番号制だ。連中を名前で呼んだ方がずっと簡単じやないか。そうすれば、混乱が生じることもない。つまるところ、連中は犯罪者ではない。ただ助けを必要とする人間であるというだけだ、そこで私達はその助けを、ああしてみたりこうしてみたり、精一杯智恵を働かせて、精一杯頭を使って、何とか与えようとする、連中が信頼の念を恢復するように、そう、自己に対する信頼の念、他者に対する信頼の念、それから……世間に対する信頼の念を。いいかね。つまるところ、連中は一人残らず本省のお墨つきを貰ってやって来たんだ。どこにでもいる馬の……その……:ああ……骨じゃない。

   彼は言葉を切って考えこむ。

時々思うんだ、連中は面白くないんじゃないかな……少しばかり……年中、番号で呼ばれるのは。ここへ来て二、三年たっと、忘れてしまうやつも出て来る人じやないか、父親がつけてくれた名前を。それとも、母親か。

   

この施設の目的の一つは、一人残らず連中に自信をつけさせるところにある、そう、その自信がつけば、いつの日か、「私の名はガビンズ」と、たとえばそう言えるようになるわけだ。簡単には行かない、簡単には行かないよ、それは、しかし、いつもいつも五二四四号と呼ばれてたんじや、一層むずかしくなる、そうだろう?私たちは連中の名前を忘れ、連中は自分たちの名前を忘れる。時々思うんだがね、これが正しいやり方なんだろうか。(彼は机に向って坐る)

 ト書きに(間)と間を指定するのも、実に効果的に思える。
 こうした心底を持ち、意図的にか、偶然にか、トップを任されたルートは、収容者の謎の死や女性をめぐる妊娠事件や、自らの女性への思いなど、様々な「事件」に直面し、最後は、収容者もろとも「粛清」される。その最後のメリークリスマスの「温和」な所内放送は、なぜか空虚に、またアイロニカルな響きを感じるのは、私だけだろうか?

人生は台詞、全てこの世は舞台(005)

◎ イプセン 原千代海訳「ヘッダ・ガーブレル」

 劇作家だった宮本研氏(1926-1988)は、概ね次のようなことを言っている。
「芝居の幕は、いわば舞台装置(主に室内)の「第四の幕」である。特にイプセン以降の近代リアリズム演劇において成立した。いわば、「のぞき見」できる芸術である、そこには、おのずから前提ができあがる。観客は、のぞき見していることがばれないように、客席を暗くして、俳優ものぞき見られないが如く、独白など観客との接点を断つ。こうした約束事が近代劇にはあるのだ。」
 この芝居も、定石とおりに、書き割り内部の長い描写から始まる。
 ヒロインのヘッダ・ガーブレルは、一言で言えば、実に嫌な女性である。ヘッダとその夫と、その学問上および大学の地位を巡ってのライバル、かってはヘッダとまんざらでもなかった男性の三人を巡って劇は展開してゆく。ライバルが泥酔のあげく、夫を凌ぐほどの著書の原稿を紛失してしまう。その原稿を手に入れたヘッダは、ライバルの想い人への嫉妬からか、暖炉で原稿を償却してしまう。失意のあまり、ライバルは自殺してしまうが、使った拳銃は、ヘッダの所有物だった。それを知悉する判事は、ヘッダに脅迫まがいに言い寄ってゆく。万事休すのヘッダが取った行動は?
 先に「嫌な女性」と記したが、尊敬する父親も含めて、夫、そのライバル、判事など、世間の男性の俗物性の「生贄」とされたのだろう。
 チェーホフの「かもめ」のテーマとも重なるような気がふとした。
 セリフの引用は、第三幕の最後、ヘッダが、原稿を焼くシーン。

ヘッダ  あっ、ちょっと、形見の品を持っていっていただかなくちゃ!

ヘッダは書き物机へ行き、引き出しを開けて,ビストルのケ—スを取り出す。それから、このうちの一丁を手に、レェ—ヴボルクのほうへ戻ってくる。

レェ—ヴボルク  (ヘッダを見て)それは!そいつを持っていけ、っていうんですか?
ヘッダ  (ゆっくりうなずいて)覚えていらっしゃるでしょう? 一度はあなたを狙ったことがあるのよ。
レェ—ヴボルク あのとき、いっそ、やってくれたらよかったんだ。
ヘッダ  はい !今度は、自分て使うのね。
レェーヴボルク (胸のポケットにビストルを突っ込み)ありがとう!
ヘッダ 立派によ、エイレルト・レェ—ヴ・ボルク! 約束してちょうだい!
レェーヴボルク じゃ、さようなら、ヘッダ・ガ—ブレル。

工イレルト、ホールのドアから去る。
ヘッダはし,はらくの間、ドアのところで耳をすます。それから、書き物机のほうへ行き、原稿の包みを取り出す。包みの中をちょっとのぞき、はみ出している紙片を二、三引き出して、それに見入る。それから、包みを全部かかえ、ストーブのそばの肱掛け椅子に行き、腰をおろす。しばらくして、スト—ブのロを開け、包みを開く。

ヘッダ (一折りの原稿を火に投げ込み、自分に言い聞かせるように、ささやく)さあ、あんたの子供を焼いてやる、テア!あんたの縮れっ毛も一緒にね!(さらに二、三帖の原稿を投げ込み)あんたの子供で、エイレルトの子供をね。(残りを投げ込み)焼いてやる、――焼いてやる、あんたの子供を。

南総里見八犬伝(018)

南總里見八犬傳第二輯卷之四第十七回
東都 曲亭主人 編次
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「思ひくまの人はなか〳〵なきものをあはれに犬のぬしをしりぬる」「犬塚しの」「龜笹」「はま路」

妬忌ときたくましうして蟇六螟蛉ひきろくひとのこをやしなふ
孝心こうしんかたうして信乃曝布しのたきはらひ

 卻說犬塚番作かくていぬつかばんさくは、年來としごろの志願稍遂やゝとげて、男子既をのこゞすで出生しゆつせうし、母も子もいとすくよかに、產室撤うぶやおさむるころにぞなりぬ。「さてちごの名をなにとかよばん」、と女房手束にようばうたつかかたらへば、手束はしばら沈吟うちあんじ、「よに子育こそだてのなきものは、男兒をのこゞなればとし、の子には男名をとこなつけて、やしなひたつればつゝがなしとて、如此しかする人もまれにははべり。我夫婦わがふうふさちなくて、男兒三人擧をのこゞみたりまうけしかど、みな殤子みづこにてなくなりたるに、このたびも又男兒をのこゞなれば、一しほ心よはくなりて、想像おもひやりのみせられはべり。この子が十五にならんころまで、女子をなごにしてはぐゝまば、つゝがあらじと思ひ侍り。その心してなつけ給へ」、といへば番作うちほゝみ、「死生めいあり、名のとがならんや。ものいみ多き僻事ひがこと、いとうけがたき筋なれども、おん身が心やりにもならば、に從ふもわろきにあらず。古語に長きをしのといふ。和名妙わめうせう長竿ちやうかんを、しのめとよませし、則是すなはちこれなり。今も穗の長きすゝきを、しのすゝきといふぞかし。しげきすゝきとするは非ならん。わが子の命長かれ、とことほぎのこゝろもて、その名を信乃しのよぶべき。昔われ美濃路みのぢにて、不思議におん身と名吿なのりあひ、信濃路しなのぢにして夫婦となりぬ。しのとしなのとその聲近し。越鳥ゑつちやう南枝なんしすくひ、胡馬こば北風ほくふういばふといへり。たれかそのはじめを忘れん。わが子もし發迹なりいでて、受領じゆれふする事さへあらば、信濃の守護しゆごにもなれかし、と亦祝またことほぎのこゝろにかなへり。この名は甚麼いかに」、とまめたちて、とへ手束たつかきゝあへず、「そはいとめでたき名にはべり。富人とむひと五十日百日いかもゝか、と產室うぶややしなひのよろこびに、さけもり遊ぶ日も多かり。せめてこの子が名ひらきに、かまどの神に神酒獻みきたてまつり、手習子てらこ綿わた弟子をしえこに、ものくはせ給はずや」、といふに番作うち點頭うなづき、「われもかくこそ思ふなれ。とく〳〵」といそがせば、手束はちか媼等うばらやとひて、赤小豆飯あづきいひ芝雜魚しばざこしるなますといそがしく、目つらをつかみ料理して、里の總角等あげまきら召聚會よびつどへもりならべたる飯さへに、あからかしはの二荒膳にくわうぜんはしとりあぐる髻鬟等うなゐらが、顏は隱るゝ親碗おやわんに、子の久後ゆくすゑことぶきの饗應もてなしにみなあきたりて、ひざにこぼれし粒飯つぶいひを、ひらひもあへず、身を起し、よろこびをのべかへるもあり、人より先に草屨わらくつを、穿はか穿はかせじ、とかしましく、𥉉あはて〚目+條〛てかへるも多かりけり。
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南総里見八犬伝(017)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十六回
東都 曲亭主人 編次
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山院さんいん宿しゆくして番作ばんさく手束たつかうたがふ」「菴主蚊牛」「たつか」「大塚番作」

白刃はくじんもと鸞鳳良緣らんほうりやうえんむす
天女てんによやしろ夫妻一子ふさいいつしいの

 卻說大塚番作かくておほつかばんさくは、淺痍あさでなれども一晝夜いちちうやあまたみちを來にければ、疲勞つかれとともにそのきず痛みて、通宵よもすがらいもねられず、まくらにかよふ松の聲、溪澗たにかはの音さわがしく、ぬるとはなしに目睡まどろみけん、紙門隔ふすまこしにうちかたらふ、聲するに驚覺おどろきさめ、枕をそばたて熟聽つら〳〵きけば、およつけたる男の聲也。「されば菴主あんしゆはかへりけん。渠何事かれなにことをいふにかあらん」、と耳をすまして聞く程に、忽地女子たちまちをなこ泣聲なきこゑして、「そはきゝわきなし、むじんなり。衆生濟度しゆぜうさいどは佛のをしえ、よしそれまでにおよばずとも、心をけが破戒はかいの罪、法ころもはぢやいばもて、ころさんとはなさけなし」、といふはまさしく宿貸やどかして、われをとゞめし女をなこなり。「原來菴主さてはあんしゆは破戒の惡僧あくそうかはよ少女をとめを妻にして、彼奴かやつゑば旅人りよじんをとゞめ、ひそかに殺して物をとる、山賊さんぞくきわまれり。たま〳〵君父くんふうらみかへし、恥をきよめ、危難をのがれて、こゝまで來つるに阿容々々おめ〳〵と、われ山賊の手にしなんや。さきにすれば人をせいす。こなたよりうついでみなころしにすべけれ」、と思ひさだめてちつとさわがず、ひそかおきて帶引締ひきしめ、刀を腰に、かゝぐりかゝぐり、紙門ふすまのほとりへしのびよりて、開闔たてつけ間準ひずみより、ことやう闕窺かいまみるに、その年四十あまりの惡僧、手に一挺いつてう菜刀なかたなをふりあげて、女子をなこむかひておどしつすかしつ、いふことさだかに聞えね共、われをうたんず面魂つらたましひ女子をなこはこれをとゞめあへず、かみふりみだしてよゝとなく。害心既に顯然げんぜんたる、爲體ていたらくに番作は、いさゝかも疑はず、紙門ふすまちやうひらきて、庖湢くりやのかたへ跳出おどりいで、「山賊われを殺さん。われまづなんぢを殺すべし」、とのゝしりあへずとびかゝれば、惡僧おはきにうち驚き、もつたるやいばひらめかして、きらんとするこぶしの下を、くゞぬけつゝ足をとばして、腰眼ゐのめのあたりをはたる。蹴られて前へひよろ〳〵と、五六步いつあしむあし走りいだして、やうやくに踏駐ふみとゞまり、ふりかへつてつきかくるを、右へ流し、左へ、すべらし、數回あまたゝびかけ、なやまして、疲勞つかるゝ處をつけ入りて、つひやいはをうち落せば、惡僧いよ〳〵こゝろあはてて、にげんとすれば、番作は、莱刀なかたな手ばやくとりあげて、「賊僧天罰思ひしれ」、とのゝしる聲ともろともに、あびせかけたる刃の電光いなつま脊條せすぢをふかくつんざいたり。灸所きうしよ痛痍いたでに、霎時しばし得堪えたへず、惡僧は「あつ」と叫びて、たふるゝ胸膈むなさき、とゞめの刀尖きつさきさしつらぬきて引拔ひきぬく莱刀、血をふりたらして、刃をぬぐひ、𥉉惑あはてまどひにげも得ず、伏沈ふししづみたる女子をなこむかひて、まなこいからし聲をふりたて、「なんぢ甲夜よひいひめぐみて、一碗いちわんの恩あるに似たり。又賊僧がかへり來て、われを殺さんとするをとゞめし、こは側隱そくいんの心なれども、この賊僧が妻となりて、これまでいくその人を殺せし、これまたしるべからず。さればのがれぬ天のせめすみやか首伏はくでうして、やいばうけよ。いかにぞや」、ととはれてはつかかうべあげ、「その疑ひは情由わけしらぬ、おん身が心のまよひにこそ。わらははもとよりるものならず」、といはせもあへず冷笑あざわらひ、「淺くもことを左右によせて、時を移して小賊等こぬすびとらが、かへるをまちてをとこのために、うらみかへさんと思ふなんぢ胸中きやうちう、われかばかりの倆伎たくみのらんや。つげずはこれもていはせん」、と打晃うちひらめか菜刀なかたなの光と共にとび退しりぞき、「やよまち給へ、いふことあり」、といへ共ゆるさいかり刀尖きつさき何處いづこまでもと夤緣つけまはす、刃頭はさきたてもなよ竹の、雪にをれなん風情ふぜいにて、右手めてのばし、左手ゆんでつき片膝立かたひざたてて身をらし、うしろざまに迯遶にげめぐるを、番作はなほのがさじ、とうてばひらき、拂へば沈み、たゝんとすればいだゞきの上にひらめく氷のやいばのがれかた手をふところへ、さし入るゝひまもなく、きら*んと進む目前まなさきへ、とりいだす一通つきつけて、「これ見て疑ひはらし給へ。きゝわきなや」、と兩の手に、引延ひきのばしたる命毛いのちげの、ふでに示せしその身の素姓すせう、番作とくすかし見て、思はず刃をとり直し、「こゝろ得かたき書狀しよでう名印ないん梵妻賊婦ぼんさいぞくふ艷書欤ゑんじよか、と思ふには似ず勇士の遺書かきおき。やうこそあらめ、その情由わけ語れ」、と身をひらかし、刃を席薦たゝみ突立つきたてて、膝折敷ひざをりしき目守まもりてをり。
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南総里見八犬伝(016)

南總里見八犬傳第二輯卷之三第十五回
東都 曲亭主人 編次
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うらみむくひて番作ばんさく君父くんふ首級くびをかくす」「大塚番作」「にしごり頓二」「牡蛎崎小二郎」

金蓮寺きんれんじ番作讐ばんさくあた
拈華庵ねんげあん手束客たつかたびゝととゞ

前卷既に說訖ときをはる、伏姬富山ふせひめとやまりにしころは、十六さいのときにして、長祿元年ちやうろくぐわんねんの秋なるべし。又金碗入道かなまりにうどうヽ大坊ちゆだいぼうは、嘉吉元年かきつぐわんねんの秋、父孝吉ちゝたかよしが自殺せしとき、既に五歲になりければ、長祿二年富山にて、伏姬自殺のうれひかゝり、にはか出家入道しゆつけにうどうして、雲水うんすいまかしつゝ、斗藪行脚とそうあんぎや首途かどいでせし、このとき廿二歲になりぬ。伏姬は年はつかに、十七にて身まかりたまへば、ヽ大坊はかの姬より、その年才とし五ッの兄なりけり。かくて長祿は三年にして、寬正くわんせうにあらたまり、又六年にして、文正ぶんせうと改元せらる。さはれ元年のみにして、又應仁おふにんと改めらる。これもはづかに二年にして、文明ぶんめいと改元ありけり。應仁の內亂治りて、戎馬じうばひつめあとはらひ、名のみなりけるはなみやこは、もと春邊はるべたちかへり、稍長閑やゝのどやかになりぬるも、このころの事なれば、(文明五年春三月、宗全病そうぜんやみみまかり。五月に至りて勝元も亦病またやみみまかりにき。こゝにおいてそのの合戰、征せずしてやみにけり。これを應仁の兵亂ひやうらんといふ)この年號のみ長久とこしなへに、十八年まで續きけり。こゝに年序ねんじよかゞなふれば、伏姬の事ありて、ヽ大が行脚あんぎや啓行かしまたちせし、前卷長祿二年より、今文明の季年すゑいたりて、無慮すべて二十餘年に及べり。このあはひ犬塚信乃いめづかしのが、未生みせう已前いぜんの事をのぶ。この卷亦復またまた嘉吉におこりて、文明のころに至れり。

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日本人と漢詩(127)

◎ 李白と私

まずは、七言絶句から…

Huáng hè lóu sòng mèng hào rán zhī guǎng líng Táng Lǐ bái
黄 鶴 樓 送 孟 浩 然 之 廣 陵   唐 ・ 李 白
Gù rén xī cí huáng hè lóu
故 人 西 辭 黄 鶴 樓
Yān huā sān yuè xià yáng zhōu
煙 花 三 月 下 揚 州
Gū fān yuǎn yǐng bì kōng jìn
孤 帆 遠 影 碧 空 盡
Wéi jiàn cháng jiāng tiān jì liú
惟 見 長 江 天 際 流

読み下しと語釈は、 Wikibooks 参照のこと

Zǎo fā bái dì chéng Xià jiāng líng Táng Lǐ bái
早 發 白 帝 城 ( 下 江 陵 ) 唐 ・ 李 白
Zhāo cí bái dì cǎi yún jiān
朝 辭 白 帝 彩 雲 間
Qiān lǐ jiāng líng yī rì huán
千 里 江 陵 一 日 還
Liǎng àn yuán shēng tí bú zhù
兩 岸 猿 聲 啼 不 住
Qīng zhōu yǐ guò wàn chóng shān
輕 舟 已 過 萬 重 山

読み下しと語釈は、 Wikipedia 参照のこと

続いて、五言古詩…

Xià zhōng nán shān guò hú sī shān rén sù zhì jiǔ Táng Lǐ bái
下 終 南 山 過 斛 斯 山 人 宿 置 酒   唐 ・ 李 白
Mù cóng bì shān xià        Shān yuè suí rén guī
暮 從 碧 山 下            山 月 隨 人 歸
Què gù suǒ lái jìng        Cāng cāng héng cuì wēi
卻 顧 所 來 徑            蒼 蒼 橫 翠 微
Xiāng xié jí tián jiā         Tóng zhì kāi jīng fēi
相 攜 及 田 家          童 稚 開 荊 扉
Lǜ zhú rù yōu jìng         Qīng luó fú xíng yī
綠 竹 入 幽 徑          青 蘿 拂 行 衣
Huān yán dé suǒ qì        Měi jiǔ liáo gòng huī
歡 言 得 所 憩          美 酒 聊 共 揮
Cháng gē yín sōng fēng  Qǔ jjìn hé xīng xī
長 歌 吟 松 風          曲 盡 河 星 稀
Wǒ zuì jūn fù lè   Táo rán gòng wàng jī
我 醉 君 復 樂          陶 然 共 忘 機

読み下しと語釈は、 Uni 参照のこと

Yuè xià dú zhuó sì shǒu qí yī Táng Lǐ bái
月 下 獨 酌   四 首   其 一   唐 ・ 李 白
Huā jiān yī kǔn jiǔ      Dú zhuó wú xiāng qīn
花 閒 一 壼 酒            獨 酌 無 相 親
Jǔ bēi yāo míng yuè       Duì yǐng chéng sān rén
擧 杯 邀 明 月            對 影 成 三 人
Yuè jì bù jiě yìn                   Yǐng tú suí wǒ shēn
月 既 不 解 飮            影 徒 隨 我 身
Zàn bàn yuè jiāng yǐng   Xíng lè xū jí chūn
暫 伴 月 將 影            行 樂 須 及 春
Wǒ gē yuè pái huái         Wǒ wǔ yǐng líng luàn
我 歌 月 徘 徊            我 舞 影 零 亂
Xǐng shí tóng jiao huān  Zuì hòu gè fēn sàn
醒 時 同 交 歡             醉 後 各 分 散
Yǒng jié wú qíng yóu      Xiāng qī miǎo yún
永 結 無 情 遊            相 期 邈 雲 漢

読み下しと語釈は、 厂碧山 参照のこと

Chūn sī Táng Lǐ bái
春 思   唐 ・ 李 白
Yàn cǎo rú bì sī         Qín sāng dī lǜ zhī
燕 草 如 碧 絲            秦 桑 低 綠 枝
Dāng jūn huái guī rì        Shì qiè duàn cháng shí
當 君 懷 歸 日            是 妾 斷 腸 時
Chūn fēng bù xiāng shí  Hé shì rù luo wéi
春 風 不 相 識            何 事 入 羅 幃

読み下しと語釈は、 詩詞世界 参照のこと

 李白は「詩仙」とも言われ、ともすれば「浮き世離れ」した詩趣が持ち味のようだが、彼の現実世界の捉え方は、三層構造になっていたようだ。「俗世間」「女性や友人関係」「自己の内面世界」の三つであるが、それに安住することなく、互いに行き来することに特徴がある。その意味で、その意味で、トータルとして「世界内存在」といえば大げさになるが、「生存する」そのままの形でのとしての彼の本質があるように思われ、彼が意外と身近に感じられる。こんな話を、ピンインを習いながら講師と話しをした。深いなあ(笑)。

南総里見八犬伝(015)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十四回
東都 曲亭主人 編次
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使女つかひめ急訟はやうちよるみづわたす」「堀内貞行」

のりものとばして使女溪澗つかひめたにかはわたす
しやくならしてヽ大記總ちゆだいずゞたまたづぬ

 かたはらに侍りたる、貞行等さだゆきら伏姬ふせひめの自殺をとゞめあへなくも、插頭かざしの花をちらせしごとく、遺感いかんやるかたなかりけり。そがなか孝德たかのりは、男子をのこにもます姬君ひめきみ末期まつごの一句にはげまされて、身をおくところなかりけん、亡骸なきからのほとりにおちたる、血刀ちかたなを手はやく取て、ふたゝび腹を切らんとす。そのとき義實よしさね聲をふりたて、「やをれ大輔狼狽だいすけうろたへたる。その身に大罪だいざいありながら、君命くんめいまたずして、自害せんとは奇怪きくわいなり。伏姬一旦甦生そせいしたれば、つみ一等いつとうなだむるとも、この山に入るものは、かうベはねんとおきてしものを、法度はつとまげておのがまに〳〵、腹切ることをゆるさんや。觀念せよ」、と進みよりて、やいば引提ひきさげ立給へば、「願ふところ」、と孝德は、なほりて合掌がつせうし、うなぢのばす程もなく、上にきらめく刃の稻妻いなつまちやううつたる大刀風たちかぜに、思ひかけなく孝德が髻弗もとゞりふつ載捨きりすて給へば、「これは」、と見かへる罪人つみひとも、いさめかねたる貞行も、驚き思ふ仁君じんくんの、恩義にいとゞかしこまる。義實は氷なす、やいばをやをら𩋡さやおさめて、たゝえる淚をふり拂ひ、「見よや藏人くらんど、わが手つから、罪人つみひとを刑罰せり。法度はつとは君の制する所、君又これを破るといふ、古人こじん金言宜きんげんむべなるかな。われもし民ともろともに、けふこの山に登りなば、大輔だいすけとがなかるべし。かうべかえたるもとゞりは、かれ亡父ぼうふへ寸志なり。かれをさなき時よりして、名を大輔と喚做よびなせしは、大國輔佐たいこくほさの臣たれ、とその久後ゆくすゑしゆくせしに、わが官職つかさもやうやく進みて、治部大輔ぢぶのたいふ大輔だいすけと、その國訓よみこゑことなれ共、文字もんじはかはらぬ主從同名しゆう〴〵どうめい、かゝるゆゑにやしゆうのうへに、あるべきたゝりを身にうけけん、可惜あたらしき壯佼わかうどが、よに埋木うもれきとならん事、かへす〳〵も不便ふびん也。親八郞は大功あり。大輔も忠なきにあらず。その親といひ、その子といひ、勳功くんこうあれども賞をず、その死に臨み、その罪に、陷るに及びては、主尙しゆうすら救ふによしなき事、わが子にまして哀傷あいしやうの淚はこゝにとゞめかたし。やよ大輔よ、孝德よ。わがこのこゝろをよくも知らば、亡親なきおやの爲、ひめが爲に、いのちをたもち、身を愛し、ほとけにつかへ苦行くぎやうして、高僧知識の名をあげよ。こゝろ得たりや」、と叮嚀ねんころに、さとし給へば孝德たかのりは、かたじけなさにはふりおつる、淚にむせび地にふして、いらへかねつゝ聲をむ。ことわりなれば貞行は、はなうちかみて進みいで、「今にはじめぬ君の仁心じんしん、姬うへの御最期ごさいごには、かごとがましき事もなく、家臣のうへをかくまでに、聞えさせ給ふ事、大輔和殿わとのが身にとりては、一郡いちぐんの守護、萬貫まんぐわんの、祿ろくにもまして滿足ならん」、といはれてやうやくかうべもたげ、「某寔それがしまこと不肖ふせうなれども、如是畜生によぜちくせうだも菩ぼだいれり。今より日本廻國につほんくわいこくして、灵山灵社れいさんれいしやを巡禮し、伏姬君ふせひめきみ後世ごせとふらひ、わが君御父子ごふしの武運を祈らん。姬うへの落命も、又それがし祝髮しゆくはつも、みな八房の犬ゆゑなれば、犬といふ字を二ッにき、犬にも及ばぬ大輔が、大の一字をそがまゝに、ヽ大ちゆだい法名仕ほうめうつかまつらん」、と申上れば義實朝臣よしさねあそん、「あはれいしくも申シたり。くだんの犬は全身みのうちに、黑白八こくびやくやつ斑毛ぶちあれば、八房と名つけしが、今さら思へば八房の、二字は則一戶八方すなはちひとりのしかばねはつはうに至るの義なり。加旃しかのみならず伏姬が自殺の今果いまは痍口きずくちより、一道の白氣はくきたなびき仁義八行じんぎはつこう文字顯もんじあらはれたる、百八の珠閃たまひらめのぼり、文もじなき珠は地におちて、その餘のやつ光明ひかりをはなち、八方へ散亂さんらんして、つひに跡なくなりし事、其所以そのゆゑなくはあるベからず。後々のちのちに至りなば、思ひあはする事もやあらん。菩提ぼだい首途かどで餞別はなむけには、たゞこの珠數ずゞにますものあらじ。努祕藏ゆめひさうせよ入道にうどう」、とさとしてやがたびければ、孝德は手にうけて、再三ふたゝびみたびうちいたゞき、「こはありかたき君のたまもの、今より諸國を編歷へんれきして、飛去とびさりたるやつたまおちたる所をたづねもとめ、はじめのごとくつなぎとめんに、一百八いつひやくはちかず滿みたずは、又當國たうごくたちかへりて、見參げんざんり候はじ。年をるとも音耗おとづれなくは、たびよりたびに野ざらしの、からうへたる犬の腹を、こやしにけりと思召おぼしめされよ。これまこと今生こんぜうのおんわかれに候べし」、と思ひきつてぞ申ける。
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読書ざんまいよせい(075)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(003)

南總里見八犬傳 第三 古那屋の卷
瀧澤(曲亭)馬琴・內田魯庵抄譯
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 古那屋文五兵衞

 こゝに行德ぎやうとく入江橋いりえばし橋詰はしづめに古那屋といふ旅籠屋はたごやがあつた。主人の文五兵衞といふは先年つま先立さきだたれた今年ことし五十五六の男鰥をとこやもめであつた。信乃しのの鄕里の幼馴染をさななじみの糠助(第二輯參照)が國を追はれて母親の無い孩兒みどりごを脊負ひて旅につかれつゝ、詮方せんかた盡きて入水の覺悟をしたのはこの入江橋の上、(第三輯卷二參照)で、通りがかりの犬飼見兵衞いぬかひけんぺゑに助けられ、方金はうきん二顆を惠まれて足手纏あしでまとひの子を引取つて貰つたのを見兵衞と知合しりあひの緣で預かつたのは古那屋こなやであった。女房が產をしたばかりて、乳があまってゐたので同じ乳房を含ませたが、このアワヤ父と共に餓ゑるか水に溺れようとした孩兒みどりごのちの芳流閣の勇士犬飼見八であつた。
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南総里見八犬伝(014)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十三回
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしゆう巻之二

【本文】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯(だいにしゆう巻之二
東都 曲亭主人編次


妙經めうきやう功徳くどく煩惱ぼんなう雲霧うんむひらく」「金まり大すけ」「玉つさ」「神変大菩薩」

尺素ふみのこし因果いんぐわみづからうつたふ
雲霧うんむはらつ妖孽あやしみはじめてやむ

 伏姬ふせひめは思ひかけなく、奇しきわらべ說諭ときさとされて、無明むめう眠覺ねむりさめながら、夢かとぞおもふあととめぬ、人の言葉のあやしきに、なほ疑ひははれなき、淚の雨に敷妙しきたへの、そでは物かははらわたを、しぼるばかりにむせかへり、なげしづませ給ひけり。しかはあれども心操こゝろばえ、人なみ〳〵にたちまさる、日來雄ひころをしき姬うへなれば、うちさわぐ胸をおししづめ、顏にかゝれる黑髮くろかみを、かきあげて目をぬぐひ、「うたてやな前世さきつよに、造りし罪は秤成はかりなす、おもさかろさはしらねども、つひにこの身にむくて、かくまで物を思はする、人のうらみのしうねさよ。遮莫さもあらばあれ親のうへに、かゝるたゝりおひにき、ときゝてはのちのそののちの世まで、捺落ならくの底に沈むとも、くやしと思ふべうもあらず。たゞはづかしく悲しきは、親の爲、又人の爲に、きたなき心もたなくに、なにたねなる畜生ちくせうの、その氣をうけやつの子を、身に宿やどしなばいかにせん。そもこの山に入りにし日より、つるの林のしげきをわき、わしたかねの高きをあふぐ、一念不退讀經いちねんふたいどきやうほかは、よに他事あだしごとなきものから、佛もこゝに救ひ給はず、神さへ助け給はずて、有身みこもれる事じつならば、よしや臥房ふしどを共にせずとも、それいひとか證据あかしはなし。わがうへのみかは親のはぢこゝのつの世をかゆるとも、つひきよむる時しあらで、只畜生たゞちくせうの妻といはれん。いきての恥辱、死してのうらみ、たとふるに物あるべしや。かうとは兎の毛の末におく、つゆばかりだもしらずして、さきに瀧田にをりしとき、犬を殺してもろともに、得死えしなざるこそくやしけれ。しすべきをりはありながら、しにおくれしも業因欤ごういんか。されば善巧方便ぜんこうほうべんとて、ときおかせ給ふなる、佛のふみにもありがたき、因果いんぐわといふもあまりあり。よしやこの子のうまるゝゆゑに、親同胞おやはらからさちありて、家のさかえをませばとて、こよなき恥にやはかえん。悲しきかな」、と聲たてて、かたへの人にものいふごとく、思ひこつてはなか〳〵に、さかしき心も亂れつゝ、忍ぶにたへ繁薄しのすゝき尾花をばなが下にふし給ふ。

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