南総里見八犬伝(015)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十四回
東都 曲亭主人 編次
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使女つかひめ急訟はやうちよるみづわたす」「堀内貞行」

のりものとばして使女溪澗つかひめたにかはわたす
しやくならしてヽ大記總ちゆだいずゞたまたづぬ

 かたはらに侍りたる、貞行等さだゆきら伏姬ふせひめの自殺をとゞめあへなくも、插頭かざしの花をちらせしごとく、遺感いかんやるかたなかりけり。そがなか孝德たかのりは、男子をのこにもます姬君ひめきみ末期まつごの一句にはげまされて、身をおくところなかりけん、亡骸なきからのほとりにおちたる、血刀ちかたなを手はやく取て、ふたゝび腹を切らんとす。そのとき義實よしさね聲をふりたて、「やをれ大輔狼狽だいすけうろたへたる。その身に大罪だいざいありながら、君命くんめいまたずして、自害せんとは奇怪きくわいなり。伏姬一旦甦生そせいしたれば、つみ一等いつとうなだむるとも、この山に入るものは、かうベはねんとおきてしものを、法度はつとまげておのがまに〳〵、腹切ることをゆるさんや。觀念せよ」、と進みよりて、やいば引提ひきさげ立給へば、「願ふところ」、と孝德は、なほりて合掌がつせうし、うなぢのばす程もなく、上にきらめく刃の稻妻いなつまちやううつたる大刀風たちかぜに、思ひかけなく孝德が髻弗もとゞりふつ載捨きりすて給へば、「これは」、と見かへる罪人つみひとも、いさめかねたる貞行も、驚き思ふ仁君じんくんの、恩義にいとゞかしこまる。義實は氷なす、やいばをやをら𩋡さやおさめて、たゝえる淚をふり拂ひ、「見よや藏人くらんど、わが手つから、罪人つみひとを刑罰せり。法度はつとは君の制する所、君又これを破るといふ、古人こじん金言宜きんげんむべなるかな。われもし民ともろともに、けふこの山に登りなば、大輔だいすけとがなかるべし。かうべかえたるもとゞりは、かれ亡父ぼうふへ寸志なり。かれをさなき時よりして、名を大輔と喚做よびなせしは、大國輔佐たいこくほさの臣たれ、とその久後ゆくすゑしゆくせしに、わが官職つかさもやうやく進みて、治部大輔ぢぶのたいふ大輔だいすけと、その國訓よみこゑことなれ共、文字もんじはかはらぬ主從同名しゆう〴〵どうめい、かゝるゆゑにやしゆうのうへに、あるべきたゝりを身にうけけん、可惜あたらしき壯佼わかうどが、よに埋木うもれきとならん事、かへす〳〵も不便ふびん也。親八郞は大功あり。大輔も忠なきにあらず。その親といひ、その子といひ、勳功くんこうあれども賞をず、その死に臨み、その罪に、陷るに及びては、主尙しゆうすら救ふによしなき事、わが子にまして哀傷あいしやうの淚はこゝにとゞめかたし。やよ大輔よ、孝德よ。わがこのこゝろをよくも知らば、亡親なきおやの爲、ひめが爲に、いのちをたもち、身を愛し、ほとけにつかへ苦行くぎやうして、高僧知識の名をあげよ。こゝろ得たりや」、と叮嚀ねんころに、さとし給へば孝德たかのりは、かたじけなさにはふりおつる、淚にむせび地にふして、いらへかねつゝ聲をむ。ことわりなれば貞行は、はなうちかみて進みいで、「今にはじめぬ君の仁心じんしん、姬うへの御最期ごさいごには、かごとがましき事もなく、家臣のうへをかくまでに、聞えさせ給ふ事、大輔和殿わとのが身にとりては、一郡いちぐんの守護、萬貫まんぐわんの、祿ろくにもまして滿足ならん」、といはれてやうやくかうべもたげ、「某寔それがしまこと不肖ふせうなれども、如是畜生によぜちくせうだも菩ぼだいれり。今より日本廻國につほんくわいこくして、灵山灵社れいさんれいしやを巡禮し、伏姬君ふせひめきみ後世ごせとふらひ、わが君御父子ごふしの武運を祈らん。姬うへの落命も、又それがし祝髮しゆくはつも、みな八房の犬ゆゑなれば、犬といふ字を二ッにき、犬にも及ばぬ大輔が、大の一字をそがまゝに、ヽ大ちゆだい法名仕ほうめうつかまつらん」、と申上れば義實朝臣よしさねあそん、「あはれいしくも申シたり。くだんの犬は全身みのうちに、黑白八こくびやくやつ斑毛ぶちあれば、八房と名つけしが、今さら思へば八房の、二字は則一戶八方すなはちひとりのしかばねはつはうに至るの義なり。加旃しかのみならず伏姬が自殺の今果いまは痍口きずくちより、一道の白氣はくきたなびき仁義八行じんぎはつこう文字顯もんじあらはれたる、百八の珠閃たまひらめのぼり、文もじなき珠は地におちて、その餘のやつ光明ひかりをはなち、八方へ散亂さんらんして、つひに跡なくなりし事、其所以そのゆゑなくはあるベからず。後々のちのちに至りなば、思ひあはする事もやあらん。菩提ぼだい首途かどで餞別はなむけには、たゞこの珠數ずゞにますものあらじ。努祕藏ゆめひさうせよ入道にうどう」、とさとしてやがたびければ、孝德は手にうけて、再三ふたゝびみたびうちいたゞき、「こはありかたき君のたまもの、今より諸國を編歷へんれきして、飛去とびさりたるやつたまおちたる所をたづねもとめ、はじめのごとくつなぎとめんに、一百八いつひやくはちかず滿みたずは、又當國たうごくたちかへりて、見參げんざんり候はじ。年をるとも音耗おとづれなくは、たびよりたびに野ざらしの、からうへたる犬の腹を、こやしにけりと思召おぼしめされよ。これまこと今生こんぜうのおんわかれに候べし」、と思ひきつてぞ申ける。
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読書ざんまいよせい(075)

◎滝沢馬琴・内田魯庵抄訳南総里見八犬伝(003)

南總里見八犬傳 第三 古那屋の卷
瀧澤(曲亭)馬琴・內田魯庵抄譯
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 古那屋文五兵衞

 こゝに行德ぎやうとく入江橋いりえばし橋詰はしづめに古那屋といふ旅籠屋はたごやがあつた。主人の文五兵衞といふは先年つま先立さきだたれた今年ことし五十五六の男鰥をとこやもめであつた。信乃しのの鄕里の幼馴染をさななじみの糠助(第二輯參照)が國を追はれて母親の無い孩兒みどりごを脊負ひて旅につかれつゝ、詮方せんかた盡きて入水の覺悟をしたのはこの入江橋の上、(第三輯卷二參照)で、通りがかりの犬飼見兵衞いぬかひけんぺゑに助けられ、方金はうきん二顆を惠まれて足手纏あしでまとひの子を引取つて貰つたのを見兵衞と知合しりあひの緣で預かつたのは古那屋こなやであった。女房が產をしたばかりて、乳があまってゐたので同じ乳房を含ませたが、このアワヤ父と共に餓ゑるか水に溺れようとした孩兒みどりごのちの芳流閣の勇士犬飼見八であつた。
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南総里見八犬伝(014)

南總里見八犬傳第二輯卷之二第十三回
東都 曲亭主人 編次
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【外題】
里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯だいにしゆう巻之二

【本文】
南總里見八犬傳なんさうさとみはつけんでん第二輯(だいにしゆう巻之二
東都 曲亭主人編次


妙經めうきやう功徳くどく煩惱ぼんなう雲霧うんむひらく」「金まり大すけ」「玉つさ」「神変大菩薩」

尺素ふみのこし因果いんぐわみづからうつたふ
雲霧うんむはらつ妖孽あやしみはじめてやむ

 伏姬ふせひめは思ひかけなく、奇しきわらべ說諭ときさとされて、無明むめう眠覺ねむりさめながら、夢かとぞおもふあととめぬ、人の言葉のあやしきに、なほ疑ひははれなき、淚の雨に敷妙しきたへの、そでは物かははらわたを、しぼるばかりにむせかへり、なげしづませ給ひけり。しかはあれども心操こゝろばえ、人なみ〳〵にたちまさる、日來雄ひころをしき姬うへなれば、うちさわぐ胸をおししづめ、顏にかゝれる黑髮くろかみを、かきあげて目をぬぐひ、「うたてやな前世さきつよに、造りし罪は秤成はかりなす、おもさかろさはしらねども、つひにこの身にむくて、かくまで物を思はする、人のうらみのしうねさよ。遮莫さもあらばあれ親のうへに、かゝるたゝりおひにき、ときゝてはのちのそののちの世まで、捺落ならくの底に沈むとも、くやしと思ふべうもあらず。たゞはづかしく悲しきは、親の爲、又人の爲に、きたなき心もたなくに、なにたねなる畜生ちくせうの、その氣をうけやつの子を、身に宿やどしなばいかにせん。そもこの山に入りにし日より、つるの林のしげきをわき、わしたかねの高きをあふぐ、一念不退讀經いちねんふたいどきやうほかは、よに他事あだしごとなきものから、佛もこゝに救ひ給はず、神さへ助け給はずて、有身みこもれる事じつならば、よしや臥房ふしどを共にせずとも、それいひとか證据あかしはなし。わがうへのみかは親のはぢこゝのつの世をかゆるとも、つひきよむる時しあらで、只畜生たゞちくせうの妻といはれん。いきての恥辱、死してのうらみ、たとふるに物あるべしや。かうとは兎の毛の末におく、つゆばかりだもしらずして、さきに瀧田にをりしとき、犬を殺してもろともに、得死えしなざるこそくやしけれ。しすべきをりはありながら、しにおくれしも業因欤ごういんか。されば善巧方便ぜんこうほうべんとて、ときおかせ給ふなる、佛のふみにもありがたき、因果いんぐわといふもあまりあり。よしやこの子のうまるゝゆゑに、親同胞おやはらからさちありて、家のさかえをませばとて、こよなき恥にやはかえん。悲しきかな」、と聲たてて、かたへの人にものいふごとく、思ひこつてはなか〳〵に、さかしき心も亂れつゝ、忍ぶにたへ繁薄しのすゝき尾花をばなが下にふし給ふ。

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人生は台詞、全てこの世は舞台(003)

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「マクベス」(01) 第一幕


* 登場人物
* 第一幕 第一場
* 第一幕 第二場
* 第一幕 第三場
* 第一幕 第四場
* 第一幕 第五場
* 第一幕 第六場
* 第一幕 第七場
* 第ニ幕 第一場
* 第ニ幕 第二場
* 第ニ幕 第三場
* 第ニ幕 第四場
* 第三幕 第一場
* 第三幕 第二場
* 第三幕 第三場
* 第三幕 第四場
* 第三幕 第五場
* 第三幕 第六場
* 第四幕 第一場
* 第四幕 第二場
* 第四幕 第三場
* 第五幕 第一場
* 第五幕 第二場
* 第五幕 第三場
* 第五幕 第四場
* 第五幕 第五場
* 第五幕 第六場
* 第五幕 第七場
* 第五幕 第八場

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登場人物

* ダンカン、スコットランドの王。
* マルコム、其王子。
* ドナルベイン、其王子。
* マクベス(王の從兄弟)、王軍の將。
* バンクヲー、王軍の將。
* マクダッフ、スコットランドの貴族。
* レノックス、スコットランドの貴族。
* ロッス、スコットランドの貴族。
* メンチース、スコットランドの貴族。
* アンガス、スコットランドの貴族。
* ケイスネス、スコットランドの貴族。
* フリーアンス、バンクヲーの一子。
* シーワード、ノーサムバランド伯、英軍の將。
* 少シーワード、其息。
* シートン、マクベスに仕ふる一士官。
* 少年、マクダッフの子。
* イギリス王の侍醫。
* スコットランド王の侍醫。
* 一武官。
* 一門衞。
* 一老人。
* マクベス夫人。
* マクダッフ夫人。
* 一侍女、マクベス夫人に仕ふる女。

* ヘカチー(或ひはヘケート)、女魔神。
* 三妖巫。
* 幻像。

貴族、紳士、士官、兵士、刺客、侍者役及び使者役。

場所

スコットランド及びイングランド。

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マクベス:第一幕 第一場
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第一幕

第一場 荒れ地。

雷鳴電光。三人の妖巫ヰッチ

妖の一
 いつ又三人が一しょにならう、鳴る時か、光る時か、降る時かに?
妖の二
 騷動ごたくさんだ時分に、勝敗かちまけの決った時分に。
妖の三
 そいつァ日沒ひのいり前だらうよ。
妖の一
 場處は何處で?
妖の二
 いつもの荒れ地で。
妖の三
 彼處あそこでマクベスを待ちうけやう。

此時、あちこちで此妖巫ヰッチらの使役する魔物の鳴く聲が聞える。

妖の一
 今往くよ、灰毛猫グレーモルキン
妖の二
 ひきが呼んでるよ。
妖の三
 あいよ、今直ぐ。

三人が手を取合って、踊りながら歌ふ。

三人

清美きれい醜穢きたない
醜穢きたない清美きれい
狹霧やきたない空氣ン中を翔ばう。

三人ともに入る。
(惡魔の使徒である妖巫ヰッチらは、常に人間の災禍わざはひの下るのを希望してゐるから、 其自然觀は人間のそれとは逆である。人間の善、美、清淨、愉快、便利とするものは、彼等の惡、 醜、汚穢、不愉快、不便利とするものであり、而して其反對が彼等の善、美、清淨、愉快、便利なのである。 天候とても同斷。晴朗は彼等の忌む所、陰鬱な瘴烟や、毒霧が彼等の得意の舞臺なのである。 風雨、雷電を喜ぶのも同じ理由。以上は當時の民間信仰にもとづいた説。)

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読書ざんまいよせい、改め、人生は台詞、全てこの世は舞台(002)

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(07) 第五幕

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リヤ王:第五幕 第一場
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第五幕

第一場 ドーワ゛ーに近きブリテン軍の陣營。

鼓手、旗手をひきゐてエドマンド、リーガン、士官ら、兵士ら出る。

エドマ
 (士官に)公爵のところへ往って、承知うけたまはってまゐれ、先般の御案通りであるか、 又は其後何等かの理由で方針を變へられたかどうかを。自分自身でしたことを非難して、 始終變へてばかりをられる。確定したところを承知うけたまはって參れ。

命を受けて一士官入る。

リガン
 姉上の家來は、何か(途中で)間違ひが生じたのに相違ない。
エドマ
 さうかも知れません。
リガン
 (うちとけて)エドマンドさん、 貴下あなたはわたしが貴下あなたに對して好意を有ってることはごぞんじでせう。 おっしゃいよ……眞實ほんたうの事を……事實そのまゝでなくては不可いけませんよ。…… 貴下あなたはわたしの姉を愛していらっしゃるの?
エドマ
 さ、姉上として、愛してゐます。
リガン
 兄上でなくっては入られない處へお入りなすったことはなくって?
エドマ
 とんでもない事をおっしゃる。
リガン
 わたしは心配でなりません、貴下あなたほとん夫婦めをとと呼んでよいほどに、 姉と同心一體ぢゃァないかと思って。
エドマ
 決してそんなことはありません。
リガン
 わたしは決してそんな眞似を姉にさせてはおきません。貴下あなた、姉とは親しんで下さいますな。
エドマ
 大丈夫です。……(奧を見て)お姉上とおつれあひの公爵!

鼓手、旗手をひきゐてオルバニー、ゴナリル、及び兵士ら出る。

ゴナリ
 (二人の樣子を目早く見て、傍白)妹めに、あの人との仲を邪魔されるくらゐなら、 今度のいくさに負けたはうがよい。
オルバ
 リーガンどの、めでたうお目にかゝりまする。……(エドマンドに)うけたまはれば、 王は我が苛政に憤激せる不平黨に擁せられて、其女むすめコーディーリャ方へおもむかれたとの事だ。 正義と信ずるに至らんうちは、勇斷を致しかねるのが吾等の性質もちまへですが、此度このたびの事は、 フランス王が、王を助くるのを本意とはせずして、敢て我が國を侵掠しようと企てるのであるから、 棄て置かれません。王及び其黨與に至っては、正當な且つ重大な理由があって干戈を動かされたのであるから、 これに刄向かふことは……
エドマ
 (冷笑して)いや、實に公明正大なお考へです。
リガン
 そんな事ァ如何どうでもいゝぢゃありませんか?
ゴナリ
 只協力して敵を防げばいゝのですよ。内部うちはの、個人に關することは當面の問題ぢゃありません。
オルバ
 では、老功の者を輯めて、會戰の手續きを定めませう。
エドマ
 すぐさま御陣所へ參りませう。
リガン
 姉上、いらっしゃいませんか?
ゴナリ
 いゝえ。
リガン
 いらっしゃったはうが都合がようございますから、どうぞ一しょにいらっしゃって。
ゴナリ
 (傍白)おほう、其謎は解ってますよ。……參りますよ。

一同が入らうとする時、假裝したエドガーが出る。最もおくれて入らうとするオルバニーに對って

エドガ
 かやうな賤しい者にもお目を賜はりまするならば、一言申し上げたいことがございます。

オルバニーは、立止まって、先きに立ってゐる人々に

オルバ
 ぢき追ひ附きますよ。……

皆々入る。オルバニーとエドガーだけが殘る。

申せ。
エドガ
 御開戰以前に、此書面を御覽下さい。若し御勝利でございましたら、 喇叭を以て此書を持參しましたてまへをお呼び出し下されたい。 見るかげもないてまへでございますが、書中にちかひおきましたる事程は、 見事に劍を以て證明して御覽に入れまする。萬一にも御敗軍となりますれば、此世に關する御能事は終り、 隨って陰謀たくみごとも止みまする。御幸運に渡らせられまするやう!
オルバ
 此書を讀み了るまで待ってをれ。
エドガ
 それは相叶ひません。其時刻となりましたら、傳令使に命じてお呼び立て下されませ、 すれば再びお目にかゝりまする。
オルバ
 では、きげんやう。書面は讀みおくであらう。

エドガー入る。
エドマンドが出る。

エドマ
 敵は迫りましたぞ。備へをお立てなされ。勤勉な斥候の此報告で、敵軍の兵力其他確實な事が分ります。 (書面を渡す。)お急ぎを願ひます。
オルバ
 勇んで出陣しませう。

とオルバニー入る。

エドマ
 (皮肉な笑ひを浮べて)姉にも妹にも夫婦約束をしておいたので、互ひに危み疑ってゐる、 一度さゝれた者がまむしをあやぶむやうに。どッちを取ったものか?兩方ながらか? かた~か?どちらも止すか?兩方を生しておきゃ、どちらも此方こツちものにゃならん。 未亡ごけのはうを取りゃァ姉のゴナリルが憤激して狂人のやうになる。かと言って、 所天ていしゆが生きてゐて見れば、此方こツちの手もまづしと。まづ、ともかくも、 戰爭中はあの男の助けを利用することにして、戰ひが濟んだら、夫を邪魔物にしてゐるあの女に工夫させて、 手早く押方附けることにしよう。あの男は、リヤやコーディーリャに慈悲を施さうとしてゐるが、…… 戰爭が濟んで、あいつらが捕虜となった曉にゃァ……赦免なんぞさせるこッちゃない。 おれの今の境遇は礪行れいかうが肝腎だ、ぐづ~考へてゐべきぢゃァない。

エドマンド入る。

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南総里見八犬伝(013)

南總里見八犬傳第二輯卷之一第十二回
東都 曲亭主人 編
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草花さうくわをたづねて伏姫ふせひめ神童かんわらはにあふ」「伏姫」

富山とやまほら畜生菩提心ちくせうぼだいしんおこ
流水ながれさかのぼり神童未來果じんどうみらいくわ

 濁世煩惱色欲界ぢよくせぼんなうしきよくかいたれ五塵ごぢん火宅くわたくのがれん。祇園精舍ぎおんせうしやかねこゑは、諸行无常しよぎやうむじゃうひゞきあれども、あくまで色を好むものは、後朝きぬぎぬの別れををしむがゆゑに、たゞこれをしもあたとし憎にくめり。沙羅雙樹さらそうじゆの花の色は、盛者必衰しやうじゃひつすいことわりをあらはせども、いたづらめづるものは、風雨ふううすぎなんことをねたむがゆゑに、ひとへ延年ゑんねんの春をちぎれり。くわんずれば夢の世、觀ぜざるもまた夢の世に、いづれまぼろしならざりける。思ひうちにあるものは、龍華りうげ三會さんゑふといへども、凡夫出離ぼんぶしゆつり直路ちよくろをしらず。さめて復またさとるものは、虎穴龍潭こけつりうたんりといへども、瑜伽成就ゆかじやうじゆの快けらく多かり。かくまでに世を思ひすてて、富山とやまの奧にふたとせの、春とし秋を送るかな。
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読書ざんまいよせい(074)

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(06) 第四幕


リヤ王:第四幕 第一場
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第四幕

第一場 荒野ヒース

やはりベドラムの狂人乞食に假裝したまゝでエドガーが出る。

エドガ
 斯うして、輕蔑さげすまれてるのを知ってゐるのはまだましだ、 始終口先きで欺されて、さげすまれてゐるよりは。運命に見棄てられて、一等惡い、沈みき切った境遇にゐるてィのは、 早晩浮き上る望みこそあれ、なンにも恐ろしいことはない。およそ情けないのは、 此上もない善い境遇からの變轉だ。悲哀かなしみ極ればよろこび來る。 して見りゃァ、此そっけない、空な風めも、今の我が身にゃ良い友逹だ。おのしに吹き飛されて、 こんな最惡の境遇に墮ちたものゝ、何一つおのしの世話にならんのだから、氣樂だ。……や、だれか來た!

グロースターが、一老人に手を引かれて、出る。

お父さんぢゃないか、見すぼらしい姿で、手を引かれて?……おゝ、人生よ、人生よ、人生よ! 思ひがけない轉變に遭ふて世を厭ふ心を起せばこそだが、でなきゃ、誰れも甘んじちゃァ老衰すまいわい。
老人
 おゝ、お殿さま、手前は御先代さま以來このかた、八年間、御配下に住んでをりましたのです。
グロー
 ってくれ、あッちへってくれ、どうか歸ってくれ。助けてくれても、 わしの爲にはなンにもならん。そちの難儀になるわ。
老人
 でも、お行手がお分りになりますまい。
グロー
 行手とてもない。それゆゑ目は要らん。目の見えた時分には折々蹉躓けつまづいた。 生中なまなか有れば油斷の種ぢゃ、無いはうが得ぢゃ。……おゝ、憫然ふびんなエドガー、 欺かれた父が怒りの餌食となったエドガーよ、息のうちにもう一度そなたの身に觸れることが出來たなら、 亡うしたまなこを取戻したともいはうに!
老人
 (エドガーに)おい~!だれぢゃ、そこにゐるのは?
エドガ
 (傍白)おゝ、神よ!「今が一等惡い境遇だ」なんぞとは容易に言へるもんぢゃァない。 前よりも境遇が惡くなった。
老人
 ありゃ狂人乞食のトムめぢゃ。
エドガ
 (傍白)もっと惡い目に遭ふかも知れない。「こりゃ一等惡い境遇だ」と口で言ひ得る間は、 まだ~一等わるいのぢゃァない。
老人
 (エドガーに)やい、おのしは何處へ往く?
グロー
 乞食か?
老人
 乞食で狂人なのでござります。
グロー
 幾らか正氣でなうては乞食は出來ん筈ぢゃ。此間の暴風雨あらしの晩に、ちょうどそんな奴に逢ふた。 それを見てわしは、人間をば蟲螻むしけらぢゃと思ふた。其時倅せがれの事が念頭に浮んだ。 なれども、其折には、心がまだけてをらなんだれど、其後そののちいろ~と聞き及んだ。 あゝ、あのあぶ蜻蛉とんぼ惡戲少年いたづらこぞうが扱ふやうに、吾々人間をば神さまが扱はっしゃる。 神はお慰み半分に人間をお殺しなさる。
エドガ
 (傍白)如何どうして如是こんな事になったのだらう?あゝ、辛や~、悲しい最中に阿呆の眞似をせねばならんとは! 自分にも氣の毒、他人にも氣の毒だ。……旦那さん、ごきげんよう!
グロー
 裸體すはだかの奴か?
老人
 さやうでござります。。
グロー
 なりゃ、おのしはもう歸ってくれ。若し尚ほわしの爲に一里か二里ドーワ゛ー街道を後追ふて來てくれる深切があるなら、 其裸蟲はだかむしに、何か著る物をば持って來て遣ってくれ、わしは此奴を手引に頼まうと思ふから。
老人
 あゝ、貴下あなたさま、此奴は狂人でござります。
グロー
 それが惡世の然らしむる所ぢゃ、狂人が盲者の手を引く。吩咐いひつけた通りにせい。 それがいやならば勝手にするがよい。とにかく、歸ってくれ。
老人
 手元にござりまするいツち良い著る物を持って來てやりませう。 手前の身は如何どうなりませうとかまひませぬ。

老人入る。

グロー
 やい、裸體はだかの男。
エドガ
 トムは寒うござります。……(傍白)もう假裝ごまかし切れなくなった。
グロー
 これ、こゝへ來い。
エドガ
 (傍白)でも假裝ごまかさんければならん。……(グロースターに)貴下あんたのお目から、あゝ、血が出ます。
グロー
 おのしはドーワ゛ーへ往くみちを知ってをるか?
エドガ
 階段も、大木戸も、馬道めだうも、人道も、みんな知っとります。 惡魔がおどかしゃァがったんで、トムの智慧は悉皆みんななくなッちまった。 用心さっしゃい、お歴々の息子さん、惡魔にとッつかれんやうに! あはれなトムには、惡魔が五頭ひきまで一しょに取ッ附きをりました。 淫亂はオービヂカット、その次ぎは唖の魔王ホッビヂダンス、盜賊どろぼう根性はマフー、 人殺しはモードー、變妙來な面附つらつきをする癖はフリッバーヂビット。 其奴そいつ其後そののち腰元衆や女中衆に取ッ附きました。 だから、旦那、御用心なさいまし!
グロー
 こりゃ此財布を取れ、天の處罰を受けた爲に、あらゆる他の苦痛を怨む心もなうなった奴。 俺の不幸がおのしの幸福になるわい。あゝ、神々よ、常に斯樣かやうにお扱ひ下されい! 世の富有ゆたかな、暖衣飽食の徒輩ともがら……天の定法を侮り、 其身に感ぜぬゆゑに貧困の困苦を見ようともせざる徒輩ともがらをして、 すみやかに天の力を感ぜしめたまへ。さすれば、分配によって過剩おほすぎるのを滅して、 各人こと~゛く物足ることにならう。……(エドガーに)ドーワ゛ーを存じてをるか?
エドガ
 知っとります。
グロー
 彼處あそこ絶壁きりぎしがある、 岩で取限とりしきられた海の中央まんなかへ高く聳え覗き込むやうになってゐる絶壁きりぎしがある。 つい、あの縁際ふちぎはまで案内してくれ、 すれば、予の身邊みのまはりにある有價かねめの物をおのしにとらして、 今の不幸ふしあはせを救ふて遣る。あそこから先きは、案内は要らん。
エドガ
 手を借さっしゃい。トムが案内するから。

二人とも入る。
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読書ざんまいよせい(073)

◎ 三枝博音「日本の唯物論者」(013)

〚編者注 以下の底本は、科学の古典文献の電子図書館「科学図書館」の古典文献の電子図書館「科学図書館」から〛

付録・唯物論史

    まえがき

 唯物論はひとつの世界観であるが、この世界観はつねに敵をもっていた思想であった。このことをまず知っておくことが必要である。どんな世界観思想だってもちろん反対論をともなわないものはない。その思想がはっきりしていればいるだけ、反対論がともなうのは当然のことである。しかし、単なる反対者でなくて必ず敵をもつということは、唯物論思想の特質であり、この思想の運命である。
 唯物論史は周知のように古代ギリシアのレウキポスやデモクリトスからはじめられるが、すでにこれらの思想家たちからが、敵としてはとりあつかわれなかったにしろ、プラトンやアリストテレスからよく言われず、少くとも世界観のうえで味方とは考えられていなかったことは、アリストテレスの書いているものからしても、明らかである。ヨーロッパでは唯物論の思想を人々のうちに滲透させた人としてルクレティウスはすぐれた思想家であるが、ほぼ二〇〇〇年もの長いあいだ彼の著述(『ものの本性について』)が避けられていたようであるのも、じつは宗教の信仰にたよる人々や眼に見えぬイデーのみ貴ぼうとした観念論者たちのなかに、黙っている小さな無数の敵がいたのだとおもう。近世になると唯物論の敵の例は多い。敵が多いだけでなく、判然と必ず敵を呼び出す思想として、唯物論は出てきているのである。
 誰もコペルニクスやガリレオを唯物論者だとレッテルを貼りはしないが、しかし何としても聖書のなかの造物者としての神を否定してしまった点では、これらの自然科学者たちは近世の唯物論的世界観への道をひらいた第一人者だといわねばならない。コペルニクスやガリレオが不倶戴天の敵を宗教裁判所を代表とする信仰者たちのなかに呼びおこしたのは、じつに近世の自然科学的世界観のなかにある無神論的唯物論だったのでなくてはならない。一八世紀のフランスの唯物論者たち、ラマルク、エルヴェシウス、ジャン・メリエなどとなると、生涯敵をもちつづけたのであった。一九世紀から二〇世紀のマルクス、エンゲルス、レーニンとつぎつぎあげてくれば、もう唯物論はつねに敵があることによってひとつの体系ある思想組織となった世界観であったことがあきらかである。さて私たちは今やそのような唯物論的世界観の支持者を「近代日本をつくった人々」のなかに置いて考察しようとしているのである。
 「近代日本」とはいったい何だろう。それはいうまでもなく、近代的性格をそなえるようになった時代の日本のことでなくてはならない。近代的性格とは、人間が自分自身を見出し(ルネサンス)、神を否定し(一八世紀)、産業の仕方を機械化し(一九世紀)、世界観を自然科学的思想のうえに築いてしまった時代(二〇世紀)がもっている性格のことでなくてはならない。してみると、近代日本とは、かつて「神国」と呼ばれ通してきた日本が右のような近代化を実現するに至った日本のことだということになる。日本は近代化という至難のことをとにかく一世紀たらずの間になしとげたのである。日本がかように近代化されてしまったことが、日本人の生活を幸福にしたと無条件にいえるかどうか、それについてはいろいろな意見があることでもあろう。しかし上述の意見で日本が近代化していることは、どうしようもない事実である。
 民族国家の近代化の困難は、日本だけではない。ソヴィエトも中国もそれぞれこの困難を背負った。そしてその困難さにはそれぞれ特徴があった。日本の場合、そのむつかしさの特徴はどういう点にあったのであろうか。
 いずれは近代化とは生活の合理化ということで言いかえられるものである。合理化において日本人はどういう特質を示したか。日本人は生活の合理化を個々の人間のうちの知恵において処理したが、その知識の客観的な組織(科学および科学的技術)において処理しなかった。このことへの着眼は日本文化を理解するにとって大切な鍵であると私はおもう。もし、日本人が前者をすら欠いでいたら、今日日本は世界の最劣等の民族国家であったろう。
 生活の合理化が正規にすすんだ例は西欧の諸国であるが、そこでは組織だった産業が先頭に、技術と科学がこれにつき、純粋な科学がこれにともない、哲学はこれらの全線に併行した。これをぜんたい的にいうと、客観的組織化が特徴だった。日本に欠けていたものはこれだった。
 つまり、サイエンスとテクノロジーとが欠けていたことである。学問と実践の両方において組織性がなかったこの国において、もっとも困難なるものは以上いったような意味での組織的な客観的な世界観の欠如である。
 日本の唯吻論はこうした世界観の弱さのなかに形成されねばならぬものだった。荒野の地に花が咲こうとしたが、この花はつねに摘みとられようとされた花だったわけだ。私たちは福沢諭吉のような近代的思想家によってこの荒れた土地がややいっぱん的に耕地化されていったことはみとめるが、唯物論の播種とまではいかなかった。むしろ日本人の生活の合理化をもっとも具体的に尖鋭に押しすすめようとした森有礼のような思想家によって、唯物論はようやく根を下しはじめたといいたい。あとでのべるように、森には合理化を鮮明に強力に押し出した啓蒙家の面があったから。
 日本の近代化をそれぞれの文化部門でひきうけた思想家実践家たちのなかで、唯物論者たちはどういう課題をどういうように解いていったか。この問題に若干の考察を加えることが、この論文の狙いである。さて、そうしたとき唯物論者とはどの範囲までの合理的な近代的思想家を指すのであるか。このことをヨーロッパにおいてその実例のもっとも判然とみられるような型に分けて考えることをしないで、日本の近代化の実情についてその型をいちおうさだめて、叙述してみたいとおもう。
 生活の合理化へと日本人の思想を導いた人々を唯物論への道を準備した人たちとして、これを啓蒙家または哲学思想家のなかから見出すことがまず最初に試みられる。これらの人々は当然明治の初期または中期に属する。第二に、合理化の思想をとくに具体的に鮮明に押しすすめた人々を唯物論への道を拓いた人たちとして、政治家または専門の学者のなかから見出すことがなされる。この型の人々も、どちらかというと明治時代に属する。第三は、唯物論という世界観をとくに意識しこれを志向した思想家ではないという点では、第一第二と共通する。しかし、第三では、唯物論思想をすでに意識していて、これと併行して別箇の世界観をもってとおした人々について考察する。第四では、唯物論という世界観を日本人の間に実現させようと努力した人々を、考察する。第五には更に、唯物論の一九世紀後半、二〇世紀の前半における発展の実情からみて、歴史的唯物論という新観念のもとで新しい世界観を樹立しようとした人々を評論してみることである私は右のように五つの型をつくってみて、これでこの人物評論を主とする近代日本の唯物論小史をまとめてみたいとおもう。その五つはA・B・C・D・Eに分けることにしたい。なお読者が私の『日本の唯物論者』を参照されることを望みたい。
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読書ざんまいよせい(072)

◎ 三枝博音「日本の唯物論者」(012)
む す び


 以上、二篇、五章、十六節にわたって、唯物論思想の線につながる人たちの評伝を試みたのであるが、さいごにぜひ述べておきたいことは、それらの人たちの学問的な且つ思想的なつながりである。「補」のところで論評した人たちは別であるが、その他の思想家たちは或るひとつの共通の線において、とにかくむすびつくのである。どのひとりとして、啓蒙の第一線に立っていない人はない。ややもすれば隠されがちな人間存在の本質からの欲求を、社会に向って呈露させようとしなかった人はいないのである。さて、そうではあるが、学問的思想のうえでのそれらの人たちのつながりがのこらず確認できるとは決していえないのである。
 ヨーロッパだったら、デモクリトスやエピクロスの思想とつながりのない唯物論者はまず稀だし、ベーコンやホッブスに何かのかたちでつながらないということはなかったし、一八世紀いごだったら、フランスの唯物論者たちの考え方をふりかえってみない唯物論者はまずないといっていいし、また一九世紀の後半いごだったら、マルクス、エンゲルスが、ひき合いに出される場合がほとんどである。かようにして、学問的思想のうえでれん関のないということは考えられない。
 この書は日本唯物論史ではなく、個々の唯物論者を評伝することを意図しているのだから、思想の歴史的な結びつきを明瞭に書き表わすことに努力したわけではないが、その結びつきを探すことが終始私にとっては問題であった。戸坂潤は、河上肇と教養や学問で結ばれる点があるが、兆民や秋水とは或る隔りをもっている。兆民は仏教や老荘から彼の唯物論思想を成長させるものを汲みとったが、秋水においては同じことは求められない。諭吉の啓蒙思想には江戸時代の思想家からくる影響はあったろうが、彼が蟠桃の無神論や昌益のラディカルな反観念論思想に触れたとは(少なくとも今の私には)思えない。
 しかし、それならすべで無連絡かといえば、そうではなくて、梅園は益軒の影響を深くうけていると察せられるし、春臺や仲基などは、また淇園すらもが、徂徠の先行なくしてはおそらく考えられないであろうし、その他こうしたつながりならば指摘されるものがいくつかあるであろう。いっぱんに、人物と人物との思想体系と思想体系との歴史的つながりについては、実証的な研究をまたないでは、つながりが「無い」という断定は、ほとんどぜったいにといっていいほどに、さしひかえねばならぬのだから、私たちの場合でも、個々の唯物論者の相互の学問的・思想的つながりについては、否定的な断定は遠慮しなくてはならない。これからいごの研究において、日本の唯物論思想家相互の関係が明らかにされる労作が必ずや公けにされるであろう。孤独の反逆者だと私たちが考えている昌益でも、必ずしもそうでなかったことが或いは明瞭になる日があるかも知れない。
 日本の唯物論思想家たちの思想的つながりについての私の見解は以上のごとくであるが、それにしても、ヨーロッパの場合と比べてみるとき、どの思想家も(ことに江戸時代においては)まえに先行者がなく、後にすぐつづく後進者がなく、一様にむすびつくべき唯物論思想の太い主脈の線がなかったことが、強く感じられるのである。
 ここで、つぎのことを述べておきたい。明治以後においては、もっと多くの唯物論者をとりあげて評伝すべきであることを痛感したのであるが(たとえば、野呂栄太郎や三木清、唯物論研究会に属していた永田広志、鳥井博郎、伊藤至郎その他のひとびと)、紙数のうえでその余裕がなかった。
 なお、明治・大正時代における自然科学者で、生活の仕方が合理主義的で唯物論的であった人たち(たとえば狩野亨吉博士のような人物)についても、のべておきたかったが、これらは他日機会を得たとき試みたいと思うのである。 

追 記

 この書の成立について、英宝社の佐々木峻君の二ヵ年にわたる私に対する激れいと、池城安昌君の校正、年表・索引その他の協力とに対して、厚くお礼を述べておきたい。(一九五六年六月記

〚編者注 年表・索引のテキストは省略する。〛

読書ざんまいよせい(071)

◎ シェイクスピア・坪内逍遥訳「リア王」(05) 第三幕


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リヤ王:第三幕 第一場
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第三幕

第一場 荒野ヒース

雷電、風雨。闇夜。ケントと一紳士とが左右より出る。

ケント
 誰れだ、此ひどいあらしに?
紳士
 此天氣同樣、心が亂脈になってゐる者です。
ケント
 あんたですか?王はどこにおいでゝです?
紳士
 荒れ狂ふ雨や風と鬪っておいでゝす。風に對って、地球を海ン中へ吹き込んでしまへだの、 でなきゃ、天地を一變させるか、滅亡させるために、卷き返る海を大陸まで吹き上げッちまへだのとおっしゃって、 あの白い頭髮かみのけをば掻き毟ったり何かなさると、怒りたける烈風が暗雲やみくものそれを攫って、 玩弄おもちやにします。つまり、王は人體の小天地で、 激しく相鬪ってゐる大天地の雨風をばないがしろにしようとしていらせられるのです。 乳の盡きた熊さへも潛み、獅子やかつゑた狼さへも出歩き得ない如是こんな晩に、帽子もめさんで、 走りまはって、まるで棄鉢になっておいでなさるのです。
ケント
 だれかお傍にゐますか?
紳士
 阿呆がゐるばかりです。やつは例の通り洒落のめして、それで以て斷腸のお苦しみを打消さうとつとめてゐます。
ケント
 てまへ貴下あんたを善く知ってをますから、見込んで、一大事を御委託申したい。 上手に隱してゐなさるから、表面うはべにはまだ見えないが、 オルバニーどのとコーンヲールどのとはおツそろしく仲がわるい。又、二人とも、 其忠義めかす家臣のうちにゃァ、内々フランス王の間者となって、 見たことや聞いたことを細大となく彼方あちらへ通信してゐる者があります、…… 運星のお庇で高い位に在る人たちにゃァ、兎角えてさういふ臣下が附いて廻るものです。…… そこで、兩公爵の口論の事から、陰謀の事から、老王に對する虐待乃至それらの根本と見做すべきあらゆる祕密までが、 とうに通信されてゐるさうです。いや、とにかく、フランス王が此内訌に乘じて攻め寄せるといふことは、事實です。 吾々の油斷を機として、既に主立った港々に上陸し、今にも軍旗を飜さうとしてゐるのです。 そこで、あんたへのお頼みはです。もしてまへを信じて、急いでドーヴァーまで行って、 王が何樣どんな不倫な取扱ひにお逢ひなされ、お氣が狂ふほどのお悲しみといふことを正しく報道して下されたなら、 必ず厚く其勞力ほねをりを感謝されるお人にお逢ひなさるでありませう。てまへうぢも育ちも紳士です、 傳聞うけたまはり及んだことがあって、あんたに此役目をお頼みします。
紳士
 尚ほ篤とうけたまはりました上で。
ケント
 いや、それは無用です。自分は表面うはべに見えるよりも以上の者だといふ證據に、此財布を、 これをひらいて、中の金子きんすをお使ひなさい。 もしコーディーリャさまにお逢ひなされたら……必ずお逢ひなさるでせうから……此指輪を御覽に入れて下さい、 すれば、てまへが何者かといふことは其際そのをり、お話なさるでありませう。……

あらし烈しくなる。

えィ、此あらしは!王をお搜し申して來よう。
紳士
 お手を。(手を振合ふ)何か外に申し殘されたい事は?
ケント
 ほんの一言、しかし今まで申したよりも大切な事。といふのは、王をお見附け申したなら…… あんたは其方そツちへ、わたしは此方こツちへ往かう……眞先に見附けた者が大きな聲で呼ぶことにしませう。

二人とも入る。
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