読書ざんまいよせい(041)

◎バルザック・小西茂也「風流滑稽譚」第1篇

【編者より】
大層な長文痛みいる。本文に《》が使われてる故、ルビの内容は〔〕で已む無くされた。ルビ区切りには、従来通り|を使用いたした。

仮初の咎

   ブリュアン老人嫁取りのこと

 ロワール川に臨むロシュ・コルボン・レ・ヴウヴレイのお城を竣工めされたブリュアン殿と申すは、若かりし頃はいたって荒々しい武弁でござった。幼にして早くも娘っ子の尻を追い廻し、金銭は湯水の如くに遣い、鬼神を凌ぐほどのあらけない振舞が多かったが、父親ロシュ・コルボンどのの逝去以来、当主に直られてこのかたは、日毎しどもない美遊に耽り、びらしゃら自堕落な歓楽に身を持ち崩しておられた。が、何はさてお銭には嚔をさせ、下帯には咳をさせ、酒樽には鼻血を出させ、地所は空堀に、遊女は総揚げに、といった御乱行が祟って、遂にはまっとうな方々からも義絶を受け、交遊相手は債鬼と獄道者よりほかなくなってしまわれたが、その高利貸とても、抵当としてロシュ・コルボンの封土権しか残っておらぬのを見て、――もともとこのRupes Carbonis(燃える岩)、すなわちロシュ・コルボンは国王の直轄所領地であったが、――隔心を生じて栗の毬よりとげとげしく相成った。されば自暴自棄からブリュアンどのは縦横無尽に暴れ廻って、人の鎖骨をへし挫いたり、詰まらぬことで誰にでも喧嘩を吹っかけたり、とんと始末におえなくなったので、隣りに住んでおった口達者のマルムウチェの和尚は、《御辺がしかく正道を踏み行わるるは、あっぱれ藩侯の分として、至極尤もの儀ながら、いっそ神の栄光のため、聖地エルサレムに大便をいたす憎きマホメットの外道どもを、征伐に御渡海遊ばされたら、猶一段と天晴れでは御座るまいか。さる上は金銀財宝と免罪符を、しこたま抱えて、この故郷へなり、乃至は悉皆のさむらい衆の嘗ての生国たる天国の故里へなりと、凱旋めされること必定でがな御座ろう。》と仔細顔にて告げたので、尤もなる分別に感じ入ったるブリュアンは、隣人知己の歓喜の下に、僧院で出陣の身支度をば整え、和尚の祝福を受けて故郷を後にいたしたのであった。
 爾来ブリュアンはアジアやアフリカの多くの町々を劫掠に及び、御用心とも云わずに邪教徒どもを薙ぎ倒し、サラセン人やギリシャ人やイギリス人その他の生皮を剥ぎ、敵味方もわきまえず、何処の国の傭兵かも見境いなしに、ぎょうに梟勇を振り廻されたのは、じたい詮索ごとが生れつきの大嫌いで、糾問は殺したあとの後廻しという、いと堅実な了簡深い資性があったからである。天帝の御意や国王の思召や、また己れの意にも叶った荒仕事を、かく励むうちブリュアンは、よき信徒であり、忠義な侍であるという名声を天下にあげて、海の彼方の国々で、散々に面白可笑しい月日を送られた。貧しい女に一文めぐむより、阿魔っ子に小判一枚とらせる方を、殿は好まれ、それもなるべく数すくなの美しい阿魔っ子に仁慈を垂れ、数多い醜い老婆などは避けるようにしておったのは、さすがにトゥレーヌ人の血を受けただけあって、転んでも只は起きぬ律儀まったい性分からと見えた。
 さるほどにブリュアンもトルコ女や聖骨や聖地などから、数々の恵沢に満喫してやや心倦んだものか、金銀財宝を山の如くに積んで、十字の軍から凱旋して参ったが、通例だれでも出陣の折のふくらんだ財布を、凱旋には軽くして、癩病ばかり重々しげに負って戻って来るのと逆だったもので、ヴウヴレイの里の人も、ひどく喫驚いたした趣きでごある。
 チュニスより戻るや、ブリュアンは国王フィリップから伯爵に叙せられ、トゥレーヌ及びポワトゥの奉行職にと取立てられた。有徳な殿には、天性すぐられた上に、若き日の無分別の天への償いとして、エグリニョルの教域に、カルム・デシオの天主堂を建立までいたされたので、近郷近在からも愛され敬われ、もっぱら教会と天主の御恩寵のうちに、安心立命の日々を送っておられた。この在りし日の放埒な若衆、無鉄砲な壮漢も、髪が薄くなるに従い図外れた道楽気も失せて、今は極めて古文真宝なる好々爺となり、涜神の言辞を面前で耳にでもせぬ限りは、滅多に怒られたこともなかった。若年血気の折に余人に代って、かかる雑言を吐き尽した覚えがあるので、堪忍しきれぬためである。さしもまた喧嘩好きだったのが、絶えて人と争わなくなられた。奉行なのですぐと相手が譲ってくれたからである。けっく今はかなわぬ望みとてないまま、頭のぎりぎりから爪先まで、いちえんなどやかに落着いてしまわれたが、小悪魔だとて同じ境遇にありつけば、やはりそうなろうではないか。
 殿の居城はスペインの胴着のように、ぎざぎざした縫い目で裁たれたシルエットを、岡の上に聳やかし、ロワール川にその姿をば水鏡しておったが、広間には見事な綴れ錦の壁掛を張りめぐらし、サラセン渡りの家什調度が、室内を狭しとばかり飾り立てられ、トゥールの市民はもとより、サン・マルタンの大司教や役僧たちの目をも奪った。サン・マルタン寺院には、純金で縁飾りした旗印一旒を、信心のしるしとして寄進つかまつった。お城の周囲には肥沃な田畑、風車場、喬林など打続いて、くさぐさの収穫物が上納せられたので、あたりでも屈指の分限者と目され、いざ鎌倉といえば、手勢一千騎を具して国王の御馬前に馳せ参ずるを辞さぬ豪の者と謳われておった。
 齢も傾いてからは、絞り首に精励な下役が、咎人の貧しい百姓などを引立てて来る毎に、奉行ブリュアンは莞爾として、《ブレディフ、宥してやれ。儂が海外で無分別に命をあやめた罪滅しとしよう。》と申されたが、敢然として罪人を樫の木に引吊したり、絞首台にぶらんこ吊りさせることも屡々とあったるは、偏に正邪を糺し、古来の慣行を領内に失わざらんがためと見えた。されば領民の従順謹直なること、昨日尼寺に入ったばかりの新発意もただならず、それに夜盗追剥どもの所行が兇悪の理は、御自分の経験で十分に御存じだったもので、呪わしいこれら猛獣どもに対しては、寸毫も容赦めされず良民の保護にと当られたので、領民いずれも枕を高く出来た次第でごある。奉行にはまた信心の篤いことも格別で、祈祷であれ、酒事であれ、万事が万事はやばやと片附けられる性分でござったので、裁判沙汰もトルコ式に捌き、敗訴人には軽口を云って慰め、食事など共にして、なにがさて力づけて進ぜることも度々とあった。生きる妨げをすれば罰は十分と申し、絞り首の罪人の亡骸も、信心衆と同じ聖土に埋葬を許し、猶太人に対してさえ、よくせき彼等が暴利や高利で身を肥さぬ限りは、きつい糾明に及ぶこともなく、奴等こそ有難い多額納税者じゃと申して、蜂が蜜を掻き込むように、普段は彼等にせっせと分捕勝手に任しておいて、宗門や国王や領内の、乃至は己が身の、利益得分を計る時のほかは、ついぞその蜜を奪ったこともおりなかった。
 かかる寛仁なる振舞から、ブリュアンは老若貴賤すべての愛着と畏敬を蒐めるにいたった。お白洲から微笑を湛えて戻る殿に、これも寄る年波のマルムウチェの和尚が、《さっても殿がそのように笑ませられるは、必定、吊し首がでけるによってじゃな。》とちょがらかすこともあったし、ロシュ・コルボンからトゥールへ馬上豊かに罷る雄姿を見て、サン・サンフォリアン新町の乙女などは、《今日はお裁きの日じゃ。ブリュアン老殿様が、あれお通りになる。》と、東方から引いて戻った逞しい白馬に跨った奉行の偉容を仰いで、とんと怖じ恐れる様子もなかったし、橋の上で少年達も石弾きの手を止めて、《お奉行様、御機嫌よろしゅう!》と叫ぶと、《おお、よい子じゃ。鞭を喰うまでは、せっせと遊んだがよいぞ。》と、戯れるのに対し、《おっと承知の介、お奉行様。》といった情景が常に領内には見られた。かく殿のお蔭で、領内も泰平に、盗賊も跡を絶ち、ロワール川大洪水の年も、冬季ただの二十二名の兇漢が、絞り首の大往生をとげたに止まり、その他に一名シャトオヌフの村で焚刑された猶太人があったが、これは聖パンを盗んだ科とも、またありあまる裕福にまかせて、それを買い取った罪とも云われておる。
 ちょうど翌年、乾草聖人祭の頃のこと、――トゥレーヌでは、サン・ジャン聖人刈取祭とこれを云っているが、――エジプト人やボヘミア人なんどの流浪の掻払いどもがさすらって参って、サン・マルタン寺院から聖宝を盗み、剰え場所もあろうに、聖母マリア様の御座のところへ、老耄犬ほどの年恰好の、仲間の賤しいモール生れの軽業の美少女を、丸裸のまま置去りにして逃げた。これぞ町びとの揺ぎなき信仰に対する、侮蔑嘲弄のしるしとも申すべく、さっても図ないかかる涜神の贖罪といたして、早速にくだんのモール娘を、草市が立つサン・マルタン広場に引き出して、噴水のほとりで生きながら火炙りの刑に処そうと、検察当局も法門もずんと裁断いたしたるところ、ブリュアン奉行はこれに首を振って、明快に陳じ申されるには、《これはいかなこと、件のアフリカ娘の魂を、まことの宗門に帰依せしめてこそ、奇特にもなり、また上天の思召にも相叶うものとそれがしは存ずる。と申すは一朝、悪魔が女体に潜んで業を張るに於ては、断決どおりに薪を山と積もうと、悪魔を焚殺することは能わぬではござらぬか。》と、不承されたので、げに寺法にも適い、慈悲福音の御教えにも添うた順義ある言として、大司教もこれに同心めされたが、町の上臈衆はじめ貴紳の面々には、《それでは見事な儀式もお流れじゃ。牢屋のなかで目を泣きはらし、縛られた山羊さながらに喚き叫んでおる、あのモール娘の所存に任せるとなれば、鴉のように長命をば望んで、ちょろり改宗してしまうで御座ろう。》と、高声で不合点したので、奉行は、《いや、異邦の娘が心底から改宗いたすとならば、一段と雅致ある儀式を、それがし執行するといたそう。躬が親しく洗礼の代父を勤め、諸事万端、盛大に挙式いたしてもよいが、生憎とまだ稚児〔コクバン〕衆(チョンガー)のそれがしゆえ、どこぞの息女に代母の役を頼まば、なおと神意にも叶うことと存ずる。》と申された。チョンガーとはトゥレーヌの土地言葉で、まだ嫁取りも済まぬか、或は童貞と見做されている若衆を、女房持ちや鰥夫から区別いたす際の言葉じゃが、総じてチョンガーと申せば夫婦ぐらしで埃臭くなった殿方より、気も軽く浮々してござるから、そんじょうそれと名はつけずとも、娘子衆ならば、ちょろくこれを見立てるすべを心得ていよう。
 モールの娘は、火刑の積木と、洗礼の聖水と、どちらを選ぶべきかをうじうじするまでもなく、エジプト産の邪宗門として焚き殺されるより、切支丹にころんで生きながらえる方を、もとより好んだので、一瞬にいのちを燃やす代りに、一生涯心臓を燃やす身とは相成った。というのは信仰心に躓きのないようにと、シャルドンヌレに近い尼寺にこもって、不犯の誓を立てることに定まったからじゃ。さて洗礼の儀式は大司教のお館にて挙げられた。トゥレーヌの衆ほど、舞や踊や飲み食いに熱中して、大盤振舞や無礼講に、羽目を外す連中は、ついぞ全世界にその比を見ないほどで、救世主の栄光を祝して、早速にトゥールの町の貴顕淑女はここを先途と踊り狂われた。老奉行職が代母の役に選んだは、後のアゼエ・ル・ブリュレ、当時のアゼエ・ル・リデルの領主の御息女で、父領主は十字軍に加わって、アクルという遠い遥かな町で、サラセン人の捕虜となり、生憎と押出しが立派すぎたため、莫大もない身代金を要求せられておった。アゼエの奥方はその金子調達のため、強慾な金貸に領地まで抵当に入れ、一文なしに身をはたいて殿の帰りを待ち侘びつつ、町の陋屋に起臥しておられたが、坐る敷物はなくとも気位だけはシバの女王よりも高く、主人の襤褸切れを護る忠犬のように、頼もしずくなところがごあった。斯様な窮乏のどん底に陥ったアゼエの奥方を見るに忍びず、奉行は救済の一助として、エジプト娘の代母になることを、アゼエの息女に体よく頼みこんで、金品贈与の口実を得られた。さて奉行にはサイプラスの町で劫掠いたした重い金鎖を所蔵しておったのを、贈物として臈たけた代母の頸に掛けようと、殊勝にも考えついたが百年目、図らずもそれと一緒に、己が封土も白髪も金銀も軍馬も、総ざらい掛けてしまう結果とは相成った。と申すはトゥールの上臈衆に交って、アゼエのブランシュ姫が孔雀の舞をみやびやかに踊る妙な姿を、一目見るに及んで首ったけ、ふならふならと入れ揚げてしまわれたからである。
 モールの娘もこれが娑婆見納めの日というので、芸尽しに綱渡り、軽業、曲芸、輪舞、跳躍と、あらゆる妙技を出しきって、座の衆目を奪ったが、ブランシュ姫の舞いざまの清艶都雅に比しては遥かに及ばず、ずんと一籌を輸したとは世間の取沙汰でござった。玉敷の床板にも恥じらう踝をした芳紀十七の姫御前が、年が年ゆえあどけなげに、踊り興ずるそのさまは、さながら初の一節を奏でそめる蝉の風情と申そうか、眺めるブリュアンはけなるい老いの煩悩に取憑かれてしまわれた。まことそれは猛々しい脳溢血的な弱味さかんな修羅燃やしで、積む白髪の雪に恋の炎も消え尽す頭部は別として、足の底から頸筋のあたりまで、奉行の身体は燃え焦げたのである。その機に及んで初めて己が居城に足らぬのは、奥方ばかりということに奉行は気附き、実際以上の淋しさをば覚えられた。なにがさてお城に奥方のないは、釣鐘のない撞木と同じという訳で、奉行がこの世に望むものがあったとしたら、奥方を迎えるという一事のほかにはなく、もしもアゼエの奥方が兎や角、返事を渋ったなら、自分にはこの世からあの世に移るばかりしかないと、立ち所に嫁取りの儀を切望いたされた。しかしこの洗礼祭の騒ぎの間は奉行も並々ならぬ恋の痛手を痛感することも僅かだったし、ましてや頭の毛を薄くしたおのが八十路の不祥に思い及ぶことも尠く、うら若い代母の容姿が、あまりにはっきりと眼の底に灼きついたので、おのが霞まなこのことも打忘れてしまわれた。それにまたブランシュ姫も御母堂の下知のまま奉行を下にもおかず目差しや身振りで款待いたされたが、代父の年が年ゆえ昵懇に及んでも何の仔細もないと、思い定めたからでもあろうか。春の朝のように目ざめているトゥレーヌの悉皆の娘っ子とはうって変って、生来初心でおぼこなブランシュ姫は、されば手に接吻することを老人に先ずは許した。――それからしてちょっと下の頸っこ、いや、ずんと窪っこのところに。と、こう申したるは祭から一週間後、この二人の婚礼を司った大司教猊下でごあるが、嫁取りも立派だったが、さっても花嫁御寮ときたら、更に立派でござりや申した。
 ここなブランシュ姫はまこと類いなく華奢で優雅であられたが、なかでもそのおぼこ振りと申したら、古来その例しも聞かぬほどのかいもくの野暮娘で、色恋の道も心得ねばその仔細も手段もわきまえず、人は臥床の内で何もせぬものと思い、赤子は縮緬甘藍の中から出るものと合点めされていた。そがい母者人が何一つ知らせずにこの懐ろ娘を育て上げたからで、スープを歯のあわいから何として吸うたものやら、弁えさせないで大きくしたほどの丹精の甲斐には、清い華やかな純な乙女が花咲いて、天国へ飛翔する翼を欠いた天使そっくりと申したらよろしかろう。
 泣き沈んだ母御前の賤居を後にいたして、サン・ガチアン大聖堂にしつらえられた晴れの祝儀の庭に、ブランシュ姫が赴こうと立出でて、セルリの街筋に敷きつらねられた錦の毛氈を渡るそのあでやかな姿に、目の放楽をいたそうと、近郷近在からこぞって物見にと老若男女が集まって参られたが、トゥレーヌの土を、こうまで可愛げな足が踏んだことはないとか、こうまで涼しい碧い眸が空を仰いだこともおりないとか、こうまで見事な敷物や花吹雪が街を飾った祝言もないとか、いやはやもっぱらの取沙汰でごあった。町の娘子衆や郊外のサン・マルタンや、シャトオヌフの当世娘たちは、めでたく伯爵夫人の玉の輿を釣ってのけたブランシュ姫の丈長の鹿子色の編髪を羨まぬとてはなかったが、それとともに、いやそれ以上に、姫の金糸の衣裳、海彼の宝玉、白ダイヤ、或は奉行に身を永遠に結びつけた縁〔えにし〕の糸とも知らずに、姫が無心にまさぐっておった黄金の鎖を、所望すること切なるものがござった。
 この花嫁と並んで立った老奉行の有卦に入ったるその浮かれ振りと申したら、皺や眼差や仕草の悉くから諸果報がこぼれ出んばかりで、老いの腰を鎌ほどに伸して、花嫁の傍に倚り添ったるさまは、晴れの調練にまかり出る野武士よろしくで、手を脇腹にあてがっておったは、はや歓喜に喘ぎ困〔こう〕じ過ぎたためでごあろう。妙なる祝鐘の音や、眼も綾な練り行列や、華麗を尽した盛儀のさまは、《大司教直々の御婚儀》と後世に語り伝えられたほどで、モール娘の雨霰も結構、老奉行の洪水も結構、改宗の洗礼の大溢れも結構と、町の娘子衆は自分等もあやかりたくて願うたが、もとよりエジプトにもボヘミアにも程遠いトゥレーヌの里のことゆえ、こうしたお目出度もその後はついぞ起ったためしとておりなかった。
 祝儀が済んでのちアゼエの奥方は、奉行から莫大な金子を賜わったので、早速にアクルへ下ってその金で良人の身を買い戻そうと、息女のことは呉々も花婿どのに頼んで、万端の準備を整えくれた奉行の麾下や組頭や士卒を供といたして、その日のうちに出立せられた。ずっと後になって、アゼエの領主ともども奥方には戻って参られたが、癩を患っていた良人を、伝染の危険をも顧みずに甲斐甲斐しく看護いたして、全治せしめたその献身ぶりこそは、いたく世上の歎称をば受けられた。
 さて婚儀もとどこおりなく済み、三日にわたった披露の宴も賀客の大満悦裡に果てて、ブリュアン殿は供廻りも美々しく新婦をおのが居城にと伴って、マルムウチェ和尚がお祓いをした新床へ、世の常の良人の形儀に従って厳かに案内いたし、ロシュ・コルボンの領主にふさわしい緑の金襴金糸を張りめぐらせた大きな閨房にて床入りの式を行われた。身体じゅう香水を浴びたブリュアン老人が、新婦の傍らに添臥し、いざ肉と肉になると、やおら新郎は新婦の額ぎわに先ず以て接吻し、次いで花嫁の金鎖の環の止金の胸に触れるあたり、白いふくよかな乳房の上に接吻をいたした。……が、これをもって、それなりけりの終りとは相成った。
 階下の広間では、なおもはずむ舞の手拍手、華燭の祝歌、陽気な戯事、それらを耳にしながらも老武弁の伊達者には、己れを信ずること篤きあまりに、余の儀に及ぶことを控えて愛のしこなしは沙汰止みにといたしたのでごある。嘉例にしたがって、金の杯に浄めた床入りの酒が、傍らにおかれてあったのを目口かわきの新郎はぐっとあおって気力をつけめされたが、腹うちこそその薬力で暖ったものの、だらりとした下紐の中心は、むなしく何の験気もおりなかった。しかし新婦は新郎のかかる叛逆不逞を、いささかも訝る模様もなかった。心底からのいや堅気な未通女で、婚儀に就いて心得ておったことは、僅かに懐ろ娘の眼にありありと見えるもの、――衣裳だとか、酒盛だとか、馬匹だとか、奥方になり女主人となること、伯爵夫人として領地を統べること、遊行や下知をほしいままにすることだけと合点なされているだけで、とんとうんつくな子供も同じこと、褥のあたりに垂れた金の総や瓔珞を爪繰り、おのが初花を埋むべき廟所とも知らずに、ただその壮麗さに驚嘆の眼を瞠っておったのであった。おのが罪科に気づくに、遅過ぎた気味のある不念な奉行は、それでもなお後日に儚ない望みをかけ、今宵がほどは仕業の補いを、言葉をもって埒明けんずと心構えられた。したが後日に期すといっても、妻に振舞おうと彼が大事にしている当の代物は、くやしや毎日、少しがほどずつ虧耗してゆくをなんとしょう。そこで奉行は新妻に四方八方〔よもやま〕話を仕掛けてもてなされた。衣裳櫃はおろか、蔵や長持の鍵まで、悉皆|奥方〔おく〕に預ける話、屋敷田畠の宰領を一任して、一切の口出しを慎しむ話、――つまりトゥレーヌ人の言い草に従えば、麺麭の片きれを相手の頸に掛けてやる話を、仔細らしくしだしたのであった。聞いて花嫁は乾草の山に踏み込んだ若い軍馬さながら満悦して、三国一の気前よい殿御と奉行をあがめ奉り、褥の上に身を起して婉然とし、われこそ爾今は天下晴れての夜毎のあるじと、緑錦の臥床を今更のように眺めて、一段となまめいた面持で床上を撫でさすられた。花嫁が次第にかく美色を呈してもやついて参るのを見た老獪な殿には、乙女子にこそ余り接せられなかったが、好きものの女人を常に手玉にとられた幾多のむかしの御体験からして、羽根蒲団の上では女人がいかにしどもなく牝猿になるものかを、身に沁みて御存じだったもので、昔なら辞退尻込みどころでない例の女子のすなる手玩びやあじゃらなキッスといった、濡事のけなるいたわれ遊びのからくみを、こっちに仕掛けられて、法王の御入滅のようないまの己れが身の冷灰を見破られることを心配いたし、われと果報を忌み怖れるもののように、新床の片端にと身をしざって、仮粧ばんだ新妻に向って申された。
『のう、そなたももはや奉行が奥方じゃ。まこと大名の御内室じゃて。』
『まだで御座りましょう。』
『はて聞えぬことじゃ。なんでおみが家刀自でないぞ。』ひどくうろたえて奉行は申した。
『されば子を生みまいらせぬほどは、嫡室とは申されますまい。』
『なんと道すがら牧場を見つろうが。』老翁は話題を転じた。『いかにも。』
『されば、あれもわこぜがものじゃ。』
『はあ嬉しや。されば蝶を捕まいて随分と遊び申そう。』と笑いながら答えた。
『さてこそ聞き分けのよい。途中、森も見つろうがの。』
『はあ、あの森は殿と御一緒でなくば淋しゅう御座りましょう。お伴い下さりませ。したがラ・ポヌウズが心を籠めて、われらが為にと醸しおかれた床入の御酒〔みき〕を、少しわらわにも賜わりませ。』
『これはいかなこと。あれを飲うだなら体内に炎を発するわ。』
『さればこそ所望いたすのじゃ。妾は一刻も早う子を生みまいらしょうと存ずれば、それに験のあると聞き及ぶかの飲料を下さりませ。』とさも怨めしげに申されたが、この言葉に姫が頭の先から足の裏まで、おぼこ娘のことを察知めされた奉行には、『そのことならば先ず以て、天主の御意がのうては叶い申さぬ。且つは女体の刈入れ時にならねば、能わぬことじゃて。』
『妾〔み〕が刈入れ時は何時でござりましょう!』嫣然としてブランシュは訊ねた。
『造化の神の思召す時じゃ。』と強い笑いを作って申した。
『してそれは、どのように仕るもので御座る?』
『されば神秘の学、錬金の業、危険極まる隠事であるわ。』
『さてこそ躬がしのびごとを憂えて、母者人には、いたく打泣かれたのも尤もじゃ。したがベルト・ド・プリュイリが嫁入りの手柄話に鼻高々と申したは、これほど易い業も天下に御座りやないとじゃが……』と夢みる面持で新婦は云った。
『それは年によりけりじゃ。』と老城主は答えた。
『時にわごりょは儂が厩舎で、トゥレーヌにその名も高い白駒を見たか喃。』
『あい。天晴れ温和な駒にて御座りまする。』
『さればあれもそなたに進ずるほどに、気が向く儘に乗り廻すがよいぞ。』
『噂に違わぬ親切な殿、有難う御座やりまおす。』
『なおその上に、余の大膳職、礼拝堂番、主計役、主馬頭、料理方、代官なんどを始めとして、呼名をゴオチェと云う躬が旗持の若小姓モンソロオ殿に、麾下の侍、武士、足軽、軍馬を引具せしめて、わぬしの膝下に跪坐させようぞ。万一そなたの下知に怱々従わなんだ者あれば、立ちどころに絞り首じゃ。』
『してかの神秘錬金の術と申されたを、今ここで行うわけには参らぬかや?』
『なかなか。まず余の儀に立ちこえて肝要なは、そなたも儂も、天主の御恩寵に屹度適うた身に相成ることじゃ。さなくば罪業沢山の悪しき子を生むを以て、重く寺法にも禁ぜられておるわい。世に済度も叶わぬ無道の者夥しいは、何れも両親が魂の清らに澄む折を待たず、無分別にも子孫に邪念を伝えたからなのじゃ。美しき有徳な子は無垢な父母のみが生む定めなれば、新床にお祓いをなすのもそが為じゃ。さるに依りマルムウチェの和尚もこの床に魔除けをいたしたる筈。時に其方は教会の掟に背いた覚えはござないか。』
『されば弥撒の前に罪障悉皆赦免の御沙汰を拝しましたれば、其後は何一つの罪咎もつゆ覚え御座りませぬ。』と口早やにブランシュは申した。『おもとほどの天晴れな者を北の方にいたして、儂は双びもない果報者じゃて。したが躬は邪宗門のごと、はや涜神の振舞を犯しおったわ。』と狡い奉行は思い出したように叫ばれた。『まあ、何故にて御座りまする?』
『されば舞が一向に果てず、わごぜと水入らずに一室に引籠って、かく接吻をなすの期が、かいしき参らぬによって、先刻はつい神を呪い申したわ。』
 そう申して慇懃に姫の手をとり、接吻を雨霰として、空言睦言かきまぜてさまざまに述べ立てられたので、姫はすっかり悦に入り満足気であったが、昼の踊やさまざまの儀式に疲れを覚えたものか、《明日こそはさような呪いを発せずと床に籠れるよう、妾が十分こころしまする。》と言いつつ夢路にこそは入りめされた。残された老人は新妻の白い美しさに、げしゅう心奪われ、優しい姫の心根に接してその恋心も弥募ったが、この天真爛漫さを保たせる術を心得るのは、何故に牛が反芻するかを説き明らめるのと同じ難渋ごとと考えて、少からずに困却いたした。前途にさらに何の光明とてなかったが、無心にすやすやと寝入っているブランシュの妙なる麗質をしげしげと見るにつけ、翁の胸中の焔は燃え上って、飽く迄この恋の寵珠を守り防がんずと、堅く心に決心めされた。老いの目に涙を浮かべつつ彼は姫の美しい金髪や、可愛らしい瞼や、赤い爽かな口許に、眼の覚めぬようそっと接吻をいたした。……そしてそれが彼の享有のすべてでごあった。してそれはブランシュの心に通うことのない沈黙の快楽であっただけに、うわずった彼の心は一段と燃え燻ぶるばかりで、落葉した老路の雪を、いたく嘆いた憐れなこの老奉行は、歯の落ち尽した時分に胡桃をお授けになられた神様のお戯れに、しんぞじゅつない思いをいたされたのであった。
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読書ざんまいよせい(038)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

     美姫インペリア

 コンスタンスの宗門会に赴かれるためボルドオの大司教は、供廻りにトゥレーヌ生れの眉目うるわしい雛僧を加えられたが、その若僧の言動の世にも雅びなさまと申したら、ラ・ソルデ*(1)と総督との間に成した愛の結晶との取沙汰まで専らなくらいであった。ボルドオの大司教がトゥールの町を過ぎられた折、トゥールの大司教には進んでこの雛僧を御提供遊ばされたが、大司教たちがお互にかくお稚児をやりとりめされたのは、衆道の神学的むず痒さが如何に烈しいものか、身に沁みて覚えがござったからであろう。この雛僧もかくてはるばる宗門会に参り合い、学徳世にすぐれた大司教どのの館に宿を取られた。フィリップ・ド・マラというこの雛僧は、師の君に見習って行を慎しみ、いとも殊勝に法燈につかえようと発心いたしたが、神秘な宗門会につどった多くの沙門のうち、なかには随分と身をもち崩しながらも、徳行高い僧都にも劣らず、いな、それ以上に、免罪符にあれ、金貨にあれ、僧禄にあれ、たんまりと稼いでおる御仁を、尠からず彼は眼の毒にいたしておった。
 夜としいえばとかく悟道の遮げになるものだが、さてそのある晩のこと、悪魔めがフィリップの耳元に囁き申した。《聖母《エクレジ》寺の豊かな乳房を、僧の誰もが吸っても涸れぬのは、神の存在を立証する何よりの御奇蹟じゃ。されば和僧もいっそ後生楽な暮しをした方が栄耀では御座らぬか。》と教外口伝を受けた折角の好意を、無にするほどの新発意でも彼はなかったので、呆れるくらい素寒貧だったゆえ、金を払わずに済むことなら、旨い御馳走を鱈腹にたべ、独逸の炙肉やソースに食傷するまでに満喫いたそうと、早速《さそく》に思い立ったのであった。大司教を見習い奉り日頃もっぱら克欲に是れつとめてはいたものの、老法師が最早でけぬから戒も犯さず、聖《ひじり》として通っていたに引換え、貧者に冷やかな艶っぽい遊女どもが、はなやかにわんさとのさばっているのを、若い身空の彼は見るにつけて、堪え難い煩悩熱に苦しんだ揚句は、ふさぎの虫にとっつかれるのが屡々でごあった。そもそもコンスタンスにかかる遊び女があまた屯したのは、宗門会の高僧衆の悟道の一助たらんとするに他ならず、意気なこれら鵲《かささぎ》どもは、枢機官、法印、法務僧、法王使、別当、僧正なんどをはじめ、公侯伯などのお歴々をまで、とんと乞食坊主をでもあしらうように、剣突をくらわしめされておったのである。フィリップはこれら生菩薩に、どう言い寄ってよいやら、その手立てを存ぜぬ儘に、いたくもどかしがっておった。毎夜のお祈りの済んだ後で、しさいらしく恋の経文を押し揉んで彼は、ああ言われたらこうも答えようと、いろいろさまざまの場合を予想して、女人衆との問答の独り稽古に励んでいたが、そのくせ翌日の晩祷の折に、装い美美しい姫御前の一人が、太刀佩いた小姓衆に轎脇《かごわき》を守られて、傲然と渡ってゆくのに出逢うと、蠅を捕えようとする犬そこのけに大口をあけたまんま、彼の身心を燃やすあでやかな芳顔を、ぽかんと見送ってしまうのを常といたした。
 宗門会のお歴々の庇護を受けて暮している、これら甘ったれの牝猫どもの上つ方の分際《きわ》と、阿闍梨や律師や法眼の面々が、慇懃を通ずる光栄に浴しておるのは、ひとえに贈物の功徳のお蔭であって、但し贈物と申しても、聖舎利や免罪符などのたぐいではなく、専ら宝石や黄金の功力《くりき》を以てしてじゃと、猊下の祐筆でペリゴール出の御仁が、歯切れのよい調子で、フィリップに開眼してのけられたもので、うぶで世間知らずの彼は、それからというもの、写字の酬いとして大司教から恵まれた鳥目を、他日上人衆の寵姫を一目拝み、その余は神様におまかせする際の元手にいたそうと、せっせとお銭《あし》を藁床の下に蓄え出した。彼は頭の天頂《てっぺん》から爪先まで底抜けの態で、夜会服を纏った牝山羊が、貴婦人に似ている程度には、どうやら殿御らしくもあったが、無性の欲望に鬩《せめ》がれて、夜分、コンスタンスの町々を彷徨し、いのちなど屁とも思わず、衛兵の戟先で串刺しにされる危険を冒してまで、遊君の許に出入する高僧衆の姿をのぞき見して歩いていた。ありようは彼の見たものといえば、館にすぐ点された蝋燭の明りに輝く戸や窓であり、耳にしたものといえば行い澄した僧官やその他の、歌舞音曲のざんざめき、杯盤狼藉のどんちき騒ぎ、酒池肉林の大法会、真言秘密の和讃《ハレルヤ》の色読なんどでごあった。ああら不思議や、そこでは膳部までが御奇蹟を現じて、祭式はすなわち脂ぎったおいしい鍋料理、朝の勤行は豚の脛肉、夜の勤行は腹一杯の生臭物、唱える頌歌は舌ったるい砂糖漬といった塩梅に、物みなあらたかに変性いたしおった矣。ひとしきりかく酒盛が果てるや、これら勇ましい和尚たちも、欣求菩薩でひっそりかんと静まり返り、小姓は階段の上で骰子遊びに夢中になり、鼻息荒い騾馬どもは街頭で大喧嘩、ものなべて上々吉の首尾と相成って、夜もふけて行くのが常でごあった。なれどまた信仰や宗旨もそこになお厳として残ってはおった。だからして善人フス*(2) が火刑せられたのじゃ。が、その訳はというにこの御仁は、招かれずして皿に手を出したからで、借問す、しからば何故フス殿は余人に先立って、異端の新教徒《ユグノー》になられたので御座ろう?
 さるほどに優しい小坊主フィリップは、懈怠の咎から折檻されて、屡々打擲まで受けたが、悪魔がその度毎に雛僧を力づけて、早晩姫御前の許で上人となる番が、彼にも来るものと思い込ませておった。情欲おさえ難いこの雛僧は秋口の牡鹿のように胆太くなって、或晩のこと、コンスタンス第一等の美館へ忍び込んで行った。その館の階段には、いつも侍や家令や下僕や小姓が手に松明をかざし、銘々の主人、王侯僧都の御帰りを待ちあぐんでいるさまを、何度も見て、この館の姫君こそ、必ずや素晴しい天下一の傾城に違いないと考えめされたからである。
 いましがたこの館を立去ったババリヤ侯の文使いと、勘違いされたものか、武装いかめしい見張りの者にも、見咎められずに罷り通ったフィリップ・ド・マラは、さかりのついた猟犬よろしく、素早く階段を駆け上り、えならぬ香料の匂いに惹かれて、とある部屋に入ったが、そこでは丁度この館の女あるじが侍女にかしずかれて、お召替のまっ最中だったので、捕吏に出会った偸盗のように、彼は茫然と其場に立竦んでしまった。寵姫は下着も頭巾もつけぬ、いともあじゃらなていたらくで、腰元や侍女は甲斐甲斐しく沓を脱がせるやら、衣裳を剥ぐやらしておった。うるわしくさわやかな玉の肌、あまりにもあらわなそのあですがたに、敏捷な雛僧もただただ「ああ!」と艶っぽい嘆声を洩らすばかり。
『坊は何しに参ったのじゃ?』と寵姫には訊ねられた。
『魂を御身に捧げんとて。』と眼で美女をむさぼりながら答えた。
『では明日来てたもれ。』雛僧を思いきり嬲ろうとしてか、彼女はそう言った。
顔いっぱい真赧になったフィリップは、優しく答えた。
『必ず参上仕りましょう。』
 寵姫は狂女のように笑い出した。うじうじしてフィリップはぼんやり突っ立っているほどに、次第に心くつろいで、えもいわれぬ恋情に燃えたキューピッドの眼で、じっと彼女を眺め、象牙のように滑らかな背に垂れかかった美しい髪や、波形に縮れた無数の捲毛のひまにちらつく、白いすべすべ光るやわ肌など、飽くこともなく歎賞しつづけた。雪の額に戴いた紅玉は、可笑し涙にうるんだ寵姫の黒い瞳よりも、輝きは褪せていたし、聖櫃のように金泥を塗った反り長の上沓は、ふしだらに身をくねらせたはずみに投げ飛ばされて、白鳥の嘴より小さな足があらわに露出《むきだ》されていた。ひどくこの晩の彼女は機嫌がよかった。そうでもなかったらこの小坊主ごとき、その師たる一の僧正への斟酌もいたさず、情容赦もなく窓から外へと、抛り出されていたに違いはあるまい。
『この御坊の眼の美しいこと!』と侍女の一人が言った。
『どこからやって参ったのじゃやら。』と他の侍女も申した。
『可哀想に、母者人がさぞかし探してござるじゃろう。正道に立戻らせて進ぜましょう。』と奥方には仰せられた。
 悩ましいこの女体が、やがて臥せにゆく金襴の寝床に眼を走らせ、雛僧は五感もいまだ慥かだっただけに、この上ない法悦から胴ぶるいをいたした。恋ごころと甘い悟りに満ちた若僧の眼の色から、寵姫は浮気心を目ざませられて、半ば笑いながら、半ば惚れこみながら、重ねて明日を約して引取らせた。彼女のその追いやりかたに遭っては、法王ジャン*(3)でさえこれに従いめされたであろう。況んや宗門会の決定で法王の職を解かれ、殻を失った蝸牛同然の今日この頃のジャン猊下の身であってみれば、猶更のことである。
『これはしたりマダム、またしても自性清浄の誓願が、色界への欲念にと化けましたぞえ。』と腰元の一人が云ったので、雹のように旺んな大笑いが起った。水も滴る水精よりもあじな上臈を、ちらり見ただけで茫となったフィリップは、まるで冠頂鴉のように、頭を板壁や腰張に打ちつけ打ちつけ出て行った。館の門の上に獣物の像が刻んであるのを横目にして、大司教の許に戻って参ったものの、心はすっかりもろもろの悪魔の眷属に巣くわれ、五臓六腑は妖しくすれからされてしまっていた。早速に己が部屋で一晩中フィリップは金勘定に夜を明かしたが、どう数え直してもただの四枚しかなく、そしてそれが尊き臍繰りの全部だったので、彼はこの世で身一つに持ち合せているものすべてを彼女に捧げて、その歓心を得ようと、深く心に期したのであった。
 フィリップがそわそわして溜息ばかりついているのを見てとったやさしい大司教には、いたく御心配遊ばされて、どうしたのじゃと訊ねられた。
『ああ、和尚様、あんな軽いやさしい手弱女が、どうしてこんなに重く私の胸にのしかかるものか、われとわが身に呆れておる次第なので。』
『してそれはいずくの女人衆じゃ?』と阿闍梨は世の衆生のためにと誦しておられた祈祷書を下において向き直られた。
『ああ、さだめし和尚様からはきついお叱りを受けることで御座いましょうが、実は私、どう踏んでみても上人様級の思いものを、拝んで参ったのでございます。が、かの女人を善心に立返らすようとのお許しを、よしんば和尚様から頂きましたにしても、黄金|一緡《ひとさし》あまりも足らぬもので、いかんともするすべなく、かく打嘆いているのでございます。』
大司教は鼻の上の抑揚音符《やまがた》をしかめられたきり、何とも仰せられなかった。畏った雛僧は、目上の長老にかく懺悔に及んでしまったことを、肌身の下では慄え上っていた。が、すぐと聖《ひじり》は申された。
『さればさだめし高価な女子衆じゃな?』
『左様で、沢山の司教帽をかすめ、多くの笏杖を噛ったげにござりまする。』
『どうじゃフィリップ、その女人を思い切るなら、慈善箱より金貨三十枚取らせようではないか。』
『とんでもございませぬ、和尚様、それでは私がえらく損をいたしまする。』彼は心中かたく期していた饗応に夢中になっていたので、そう答えた。
『おおフィリップ、其方もかの上人衆と同じく、悪魔に誘われて神に叛こうとするのか。』とボルドオの大司教には嘆息せられた。
いたく悲しまれた大司教は、己が下僕を救うべく、童貞男の守り神、聖ガチアンにお祈りを上げ、フィリップを跪かせて、聖フィリップに御加護を願うよう戒告めされた。しかし悪魔にとりつかれていた雛僧は、明日という日に、かの生弁天が彼に大慈大悲の済度をおさずけ下さった際、わが身がとちらぬようにと、声低く祈り出した。熱心げに唱えるその祈誓を聞かれて、お人好しの大司教には、こう叫ばれた。『そうじゃ、フィリップ。勇気を持て。神様は必ずやお前のお祈りを、お聞き届けなされて下さるぞ。』

 その翌日、大司教は宗門会に参られて、宗門の使徒たちの放縦な振舞いを難ぜられている折から、フィリップ・ド・マラは粒々辛苦の結晶たるその蓄財を散じて、香料やら沐浴やら蒸風呂やらその他の下らぬものに費消し、めかしこんであっぱれ色男を気取ったので、どこぞの上臈衆の御稚児衆とも見えたくらいであった。彼は心の女王の棲家を今一度たしかめるべく、町へ出掛けて通りがかりの人に、誰方様のお屋敷かと尋ねると、その人は彼の鼻先であざ笑って、
『美姫インペリア*(4)の名を知らぬとは、さてさて貴殿は何処から参じた疥癬かきどのじゃ。』
 名を聞いた許りで、如何に怖ろしい罠に、われから陥ったかを悟ったフィリップは、悪魔のために大事なお宝をあだに費したことを思い、わだわだと身慄いいたした。
世にも稀な容体振った気儘女インペリアの美しさは、そも生菩薩の来迎にも劣らず、上人衆を手玉にとり、荒くれ武者を誑かし、世の暴君を尻の下に敷くに、かねて妙を得ていた麗人でごあった。それに何ごとにもあれ、寵姫の御用ならと、お声懸りを待ち構えている腕自慢の隊長、射手、貴族の面々を、私兵としてあまた彼女は配下に擁していたので、鶴の一声、ちょっとでも気に逆らう者をあの世に送りこめたし、一度優しくほほえんでみせれば、忽ち怖ろしい血の雨が、俄かに降ったくらいである。だから仏蘭西王の隊長ボオドリクール殿などは、坊主どもにあてつけて、今日はばらして欲しい御仁は御座らぬかと、毎度彼女に訊ねておった。インペリアが婉然とその笑みを与えていた権勢並びない上つ方の高僧衆を除けば、爾余の衆生は彼女の恋の口説手管に乗ぜられて、てもなくその意の儘に牛耳られ、いかな有徳な、また冷厳な御人であろうと、鳥黐に捕えられたていたらくに、なんなく絡められてしまうのでごあった。さればこそ彼女は正真正銘の上臈の奥方や大公妃もただならず、世間から敬し愛され、奥方《マダム》とまで呼ばれる有様であったので、さる権だかいまことの上臈が御憤慨あそばされて、シギスモンド皇帝*(5)に直訴に及ばれたるところ、御仁慈な帝にはかく勅諚あらせられた。
『御辺たち善女は浄い婦徳の天晴れな習わしをあくまで守られるがよく、またマダム・インペリアは女神ヴィーナスのあでな仕来りをこれまた守るがよい。』
 帝のあまりにも柔和なこのキリスト教的な勅答に、なんと怪しからなくも善女たちには、柳眉を逆立てられたということである。
 フィリップは前夜の無賃《ろは》の眼保養を思い出し、所詮あれで全部だったかと危惧いたして、心浮かぬまま飲み食いもせずに、町をぶらついて時の来るのを待ったが、インペリアほど御しがたからぬ女人なら、いくらでも上に跨がれそうな、それはそれは伊達な男振りでござった。
 無明の夜となった。トゥレーヌ生れの美僧は増上慢に胸ふくらかし、欲望で鎧われ、いきづまるほどの嘆声で鞭打たれて、まこと宗門会の女王の館に鰻のようにすべり込んだ。女王と申したは、彼女の前に、宗門のあらゆる碩学、権威、大徳がひれ伏していたからじゃが、館の執事はこの小坊主を不審がって、外に追い出そうとしたのを腰元が見つけて、階段の上から、これアンベエル殿、奥方の大切なお稚児で御座るぞと注意をいたした。
 身の冥加と果報に上気したフィリップは、婚礼の晩のように真赧になって足も躓きがちに螺旋階段を昇った。腰元は彼の手をとって、一間へ案内すると、既に奥方は力くらべの相手を待ちかね顔に、なまめいた薄衣裳でわくわく控えてござった。傍らの金繍の毳だった卓布の上には、素晴しく結構な酒盛の支度が豪勢に並べられてあった。酒の瓶、凝った盃、ヒポクラスの酒壺、サイプラス酒の甕、薬味の容器、孔雀の丸焼、緑色の掛け汁、小豚の塩漬など、もしもフィリップがインペリアにかほど目がくらんでいなかったら、さだめしたんまりと彼の眼を喜ばせたに違いはあるまい。雛僧の眼がすっかりおのれに吸いついているのを見たインペリアは、法燈の御連中の無常迅速な敬虔振りには慣れきっていたのに、今度ばかりは大満悦であった。そのゆえはこの雛僧に昨夜から彼女は夢中となり、今日も一日彼のことが、心臓のなかを駈け廻っていたからである。窓も鎖された。奥方は羅馬帝国の皇太子をでも迎えるように、身支度を整え、よろずよそおいも済んでいた。さればインペリアの聖なる美しさに宣福されたフィリップは、皇帝も藩侯も、いな法王に選出された枢機官とても、今宵いまその頭陀袋の中に、悪魔(鐚銭)と愛執をのみひそませた一介のこの沙弥には及ぶまいと、われと思い定めた程だった。彼は大公を気取って、いとも慇懃雅びやかに奥方に会釈した。奥方はじっと彼に炎の眼を注いで、
『もっと妾のそばへのう。昨日以来変ったかどうか、とくと見たいほどに。』
『いかさまずんと変って御座ろう。』
『はてさてどこが変られたのじゃ。』
『されば昨日は片思い、今宵は相愛の仲じゃほどに、貧しい素寒貧より、一躍して王者を凌ぐ富裕な身の上となり申した。』
『まこと御身は変られたのう。若い雛僧から老獪な悪魔に、一躍にしてなられてじゃ。』と快活に彼女も言った。
二人は赤々とした火の前に寄り添ったが、その温かみは満身に法悦を漲りわたらせた。すぐにも御馳走にくらいつくことも出来たが、彼と彼女は眼で鳩のように見交すより他の考えはなく、皿にお箸をつけるどころではなかった。嬉しそうに二人が楽々と腰を落着けたと思った途端に、奥方の門先を大声でがなりながら叩く只ならぬ物音がいたした。
『奥方さま、邪魔者が入りました。』と息せききってはせつけて来た腰元が言った。
 清興を遮られたことをいきどおる暴君のような権柄な調子で、奥方は何事じゃと叫ばれた。
『コワレの司教がお目にかかりたいそうにございます。』
『あんな奴は悪魔に攫われたがよい。』とインペリアは云って、婉然と雛僧の方を見た。
『隙間から明りが見えたと申し、是が非にもとお取次を願っておりまする。』
『今宵はちと熱気味じゃと伝えてたもれ。正真まったくの話じゃ。妾はこの雛僧にぞっこんと熱を上げ、心身ともにあつあつじゃもの。』
 そう云って身体じゅう沸立っているフィリップの手を、恭々しく握りしめたとき、コワレの司教が、息弾ませながら怒り立ったでっぷり姿を現わした。後に続いた家隷が、ラインでとれたばかりの鱒を、坊主料理で調じて金の皿に盛り、ついでさまざまの薬味箱だの、くさぐさの珍肴、さては彼の僧院の浄い尼さんが作ったジャムだの、醸し酒だのを、運び入れた。
『は、はあ、悪魔に攫わそうとお切匙なされずとも、どうせ悪魔の許に赴く筈のこの身でござるわ。』と司教は野太い声で言った。
『あなたのお腹も何時かは見事な剣の鞘となり申そう。』と柳眉をひそめながら奥方には答えたが、今迄の美しく楽しげな容子もどこへやら、人を慄え上らせるほどそれは邪悪な相と変った。
『してこの合唱隊の小童《こわっぱ》は、奉納物でござるか!』と幅広い赭ら顔を優しいフィリップの方に向けて、司教は不遜げに申した。
『猊下、やつがれはマダムの懺悔聴聞に参り合いました。』
『はてさて、其方は宗法を存ぜぬのか。上臈衆の夜半の懺悔は、司教にのみ遺された権利じゃぞ。……早々と退散いたせ、並の坊主の仲間へ戻りおろう。二度と此処へ来るな。さもなくば破門をいたすぞ。』
『戻るには及ばぬぞや。』とインペリアは吼えるように叫んだ。恋に燃える艶姿より、憤怒に燃える形相の方が、遥かに美しく濃艶なくらいだった。彼女の裡には恋と怒がともどもに宿っておったからである。
『フィリップ、帰ってはならぬ。ここはそなたの家も同然じゃ。』
そう云われてフィリップは、奥方から真底愛されていることを悟った。
『ジョザアファトの谷における最後の審判の折は、神の御前にて人は上下平等であると、祈祷書にも福音書にも申しては御座らぬか?』と彼女は司教に向って申した。
『それはバイブルをまぜっかえした悪魔の作りごとで、たださように書かれてあるだけじゃ。』早く食卓に就こうとあせっていた巨大愚鈍のコワレ司教はさよう答えた。
『ならば下界に於ける御辺らの女神である妾の前では、何とぞ四海平等に振舞ってほしいものじゃ。さもなくばいつの日か、御身の頭と肩の間を、やんわり人に絞めさせましょうぞ。法王の剃髪《さかやき》にもたくらぶべき妾の神通力ある剃髪にかけて、そのことは誓いまするぞ。』そうは言ったものの鱒や薬味や珍肴を、夕餉の品数に加えたく思って、彼女は抜かりなく附け加えた。
『まあそれより坐って、ちくと一献いかがじゃ。』
 こすい紅鶸インペリアは、かかる羽目に陥ったことは毎々なので、いとしい情人に目はじきをして、葡萄酒が即決を下してくれるゆえ、こんな独逸坊主なぞすぐ盛り潰そうほどに気にかけるには当らぬ旨を知らせた。腰元は司教を食卓につなぎつけ、しかと縛めたが、フィリップは待望久しかった果報が、煙と消えたのにむしゃくしゃして、しぜん口も噤みがちになり、この世の坊主の数よりも多い悪魔の眷属に、この司教めを引渡してやりたいと内心では思っておった。食事もはや半ばに及んだが、インペリアにしか飢えていなかったフィリップは、卓上にも手をつけず、物も云わず奥方にひしと寄り添って、ピリオドもコンマもアクセントも綴りも字体も字づらもなくとも、上臈衆にのみは通ずるあの楽しい心言葉を語り聞かせていた。亡き母が彼を縫いこんでくれた坊主肌の上っ張りを、後生大事にいたしていた色好みの肥大漢コワレは、嫋やかな手でマダムがお酌するヒポクラスの酒を、陶然としてあおり続けておったが、そろそろ曖気《おくび》も出かかった頃おい、俄かに通りの方で騎馬行列の騒がしい物音が聞えた。幾頭もの馬や、「ほう、ほう」という侍童の掛け声で、恋路を急ぐ貴人の着御ということが解った。げにその通り、インペリアの下人には、玄関払いをくらわしかねたラグーザ枢機官が、間もなく彼女の部屋に姿を現わした。悲しい羽目に陥った奥方と雛僧とは、昨日からの癩病やみのように恥じ入って、ちいさくなってしまわれた。この枢機官を追い出そうと計るのは、悪魔を誘惑するも同じい難事だったし、それに丁度、法王の三人の候補者が宗門のためと称して辞退した後で、この枢機官が法王になるかも解らなかった時であった。ラグーザ枢機官はこすからい伊太利人で、髯むじゃらの大の詭弁家、かねて宗門会の一方の旗頭であったが、この場の一から十までを、彼の悟性の最も弱い働きでもって、すぐと察して、その腹の虫をいやすには如何にすべきかなんど、長く思案に及ぶまでもなかった。彼は坊主の食い気に駆られて着到いたしたが、おのれが飽食せんが為には、なんと非道にも、坊主二人を刺殺し、真正の十字架の切れ端をも、売却しかねまじい性分でごあった。それで彼は《ちょっと》と云って、フィリップを小脇へ呼んだ。可哀想にフィリップは悪魔の手がいよいよわが身に及んだことを観念して、生きた心地もおりなかったが、立上っていとも険相の枢機官に、《なに御用で?》と訊ねた。ラグーザは彼の腕をむずと掴んで階段の方へ連れて行き、フィリップの白眼をきっと見ながら、ずけずけと申した。
『やいやい、見れば不憫な若僧のようだが、お前の臓腑が何匁あったかをお前の親方に、告げ知らせるのは、いたわしくてならぬわい。貴様を眠らせて気晴しを遂げたがために、晩年になって仏心を起し、菩提を弔う仕儀に到るのは真平じゃい。されば其方は寺領の主となって余命を永らうるか、はたまた今夜、この館の姫の主となって、明日という日に息の根を絶たれるか、二つに一つを選ぶがよいぞ。』
 不憫なフィリップは絶望しながら言った。
『猊下の御執心がさめた後ならば、また戻って来て差支えありませんでしょうか。』
 怒る気勢も挫けた枢機官は、けれど厳かにこう言った。
『さあ選べ。絞り首か寺領か。』
『ああ、そんならいっそ大きな寺領にして下され。』とフィリップはこすからく答えた。
 と聞くや枢機官は部屋に戻り、インキ壺をとり寄せ、フランスの法王使節にあてた指令書を、特許状の端に書きなぐった。寺領という文字を書きかけた時、フィリップは口をはさんだ。『猊下、コワレの司教は、兵隊が入り浸る町の居酒屋の数ほども、あまたの寺領を持っておりますし、神様の思召しも浅からぬ御仁ですから、私のように易々と、追い立てる訳にも参りますまい。立派な寺領を頂戴する御礼に、素晴しい智恵をお貸し申しましょう。いま巴里では凄じいくらいコレラが蔓延して、住民いたく難渋に及んでいることは御存じでございましょう。ですから猊下の古馴染のボルドオの大司教が、コレラでころりと御陀仏の引導を渡しての帰り途だと、あの司教に御披露なされませ。すればコワレ殿は大風の前の藁屑のように、大急ぎで退散いたすに相違ござりませぬ。』『ほ、ほう、お前の入智恵は寺領一つでは惜しいくらいじゃ。よし、これ、ここに黄金百枚ある。昨日カルタで勝って手に入れたテュルプネイ僧院を、其方へ棚牡丹《たなぼた》式につかわすゆえ、そこへ赴く路用にいたせ。』
 こうした言葉の遣り取りを聞き、またフィリップがこちらの望む、愛の真髄の籠ったむずがゆい眼差を、彼女に投げもせずにのめのめ退散するのを見て、牝獅子のインペリアは若僧の卑劣さを見破り、海豚のように頬を膨らませた。己れの執心に一命を捧げることも出来ずに、恋人をあざむくような男を赦すことは、信仰篤い女人でもなかったので、彼女にはなおと不可能であった。されば蝮蛇の眼差でフィリップを蔑み見たインペリアの眼には、雛僧の死がありあり彫まれてあったが、それは枢機官をいたく喜ばせるものであった。呉れてやった寺領もすぐまた元に戻るわいと、好色な伊太利人は看て取ったからである。しかしフィリップは嵐の迫ったのにも毫も気にかけず、人に夕方追っ払われる濡犬そっくり、耳を垂れ、口を噤んだまま、すごすご逃げ出して行ったので、奥方は腹の底からの溜息を洩らされた。人間という性の悪いものの本体を、そのちょっとでも掴めたら、早速に火あぶりにでもしてやりたいくらいに彼女は思った。というのは彼女を領じていた体内の火が、あたまに上りきって、インペリアの周囲一帯に、焔の火箭となってむらむら燃え上っていたからである。それも御道理様で、坊主にだまされたのは、これが彼女には最初のことだった。そのさまを見てとった枢機官は、もうこれからはこっちの天下とばかり北叟笑んでおったとは、なんと狡い御仁では御座らぬか。いや、それも尤もじゃ、赤帽かぶった枢機官どのじゃもの。
ラグーザ枢機官はコワレに申した。
『これはこれは御僧、おぬしと同席は近頃光栄至極でござる。ましてや奥方に、ても似つかわしからぬあの小坊主を、首尾よく追い出したれば、なおさらのことじゃ。と申す訳は美しくあでやかなわが牝鹿どのに、かやつ近づこうものなら、平僧の分際でいて、立ち処に無慙な死神を呼び出す仕儀にいたるは必定じゃからのう。』
『ほう、それはまた何故でござる?』
『さればさ、彼奴はボルドオの大司教の書記めじゃが、その大司教どのには今朝がた怖ろしい疫病に取りつかれたからじゃ。』
司教はチーズでもまるごと嚥下しようとする時のような大口を開けた。
『へえ、どうして猊下にはそれを御存じで?』
『さればさ、儂はいましがた、かの和尚に末期の聖餐礼を執行して、慰めて参ったばかりのところなのじゃ。今時分は大方、あの聖も紫の雲にのって、天国へ急いでおることじゃろう。』とコワレの手を握りながら枢機官には申された。
 コワレの司教は肥満した御仁が如何に身軽いかを実演いたしてみせられた。何故なら便腹の御仁は神のお恵みに依り起居も難渋であろうと、その代りには風船のような弾性ある内部の管を授けられているからで、さればコワレもわだわだと汗ばみながら、一跳びうしろにとびしざって、飼葉と一緒に羽根でも口に入った牛のように、烈しく鼻鳴らすとともに、さっと蒼ざめて、奥方に別れの言葉さえ告げずに、階段をころがり落ちて行った。やがて表の扉もしまり、司教が街なかをころげ去ってゆく様子に、ラグーザどのは腹をかかえて面白がっておられたが、
『なんと身共は法王の位に適うはもとより、御身が今宵の情人としてもふさわしくは御座らぬか喃。』と言った。
 しかしインペリアがいたく懸念げなのを見た枢機官は、彼女の傍らに寄って両手であやなし、枢機官式にゆすぶり、ちょうらかそうとした。そもそも枢機官といったれば、兵隊はおろか他の何人にも増して、釣鐘打ちの上手、ゆすぶりの名人でごあるが、そのいわれは根が閑人で、人性を損うまいとする天晴れ殊勝なる心掛によるものでもござろうか。
『まあ滅相もない。気が違われたか枢機官どの、御身は妾を殺そうとなされるのか。ここな意地わるの極道坊主め、御身にとって大事なは、ただ快楽をむさぼることのみじゃ。妾の美しい一物なぞ、その小道具なのでござろう。妾を御身の快楽の犠牲に供し、あとで妾を聖者の列に加えようと思召さるるか。ああ、御身はコレラに罹り、妾にもそれを移そうとめさる。能無し御坊、廻れ右して早く立去られるがよい。ゆめ妾に触れてたもるな。』と彼女は身を退けながら云ったが、猶も枢機官が迫って来るのを見て、『さもなくばこの短刀でぐさりと一つ御見舞申しまするぞえ。』
 そういって素早く彼女は腰袋から小さな短剣を取出した。これなん、時に応じ機に乗じ、彼女が巧みに使いわけしておった代物である。
『したがわが小さな天国よ、いとしの姫御よ、儂がコワレの老牛を追い払う算段にいたした調略を、何故にそなたはさとらぬのじゃ。』と笑いながら枢機官は云った。
『されば妾がいとしいとなら、即刻その実証を見せてたもれ。さ、すぐに立帰って欲しいのじゃ。御身が病気に罹ったとしたら、妾の死ぬることも、さだめし平気なので御座ろう。いまわの折の饗宴を、あの一瞬の歓楽を、どんなに御身が常日頃より大事がっているかは、御身の人柄を知る妾にはよくと解るのじゃ。あとは野となれ山となれと、御身が酔った砌り、ぬかしおったは妾の耳底にこびり残っておる。妾とても愛するのはこの身ばかり、妾の財宝、妾の健康ばかりじゃ。さればお帰りめされ、もし疫病に五臓も凍りついておらなんだなら、明日妾に会いにおじゃれ。今日のみは御身と雖も真平じゃ。』と彼女は微笑を含みながら言った。
『インペリア、わが浄きインペリア、わしをなぶらんでくれい。』と枢機官は跪いて叫んだ。
『これはしたり、浄いあらたかなものを、どうして妾がなぶりましょう。』
『おお、この性わる遊女め、儂は御身を破門するぞ。明日こそはのう。』
『まあ、枢機官さまには枢機官の分別を失われたと見ゆる。』
『インペリア、悪魔の穢らわしい阿魔め、あ、ああ、さりながら美しい生菩薩、わがいとしの姫御前。』『体面をお考えめされ。跪くのはお止め下され。さてもあさましい。』
『のう、インペリア、臨終の際の特赦状をそちに授けようではないか。儂の財宝残らずを取らそう。いや、もっと大事なもの、わしの持っている本物の十字架の切れ端を、そなたにとらすとしよう、如何じゃ。』
『たとえ天地の財宝悉くを以てしても、今宵の妾の心は購えませぬ。』と彼女はにっこと笑いながら言った。
『万一、妾にこの我儘がなかったなら、それこそ御主イエス・キリストの聖礼拝受の資格のない罪人の、その最後の者となりはてましょう。』
『この館に火をかけるぞ。妖女め、儂をすっかり惑わしおったな。そなたを火あぶりにしてくれよう。……じゃがのう。インペリア、いとしのお人、儂はそなたに天国で極上の場席を予約して進ぜよう。どうじゃ。なに、いやか。じゃ死ね、魔法使の妖女め。くたばりおろう。』
『おお、そんなら妾はそなたをとり殺しまするぞ。』
 枢機官はたけだけしい忿怒のあまり、口から泡を出された。
『さては気が狂われましたか、早くお立退きめされ。さぞお疲れじゃろうに。』
『儂は法王になるのじゃ。この恨みは存分に晴らすぞ。』
『ではもう妾に従われぬほぞを固められてか。』
『今宵そなたの気に入るには、一体どうすればよいのじゃ。』
『さればお戻り下され。』
 彼女は鶺鴒のように軽く身を飜して部屋に駈け込み、なかから錠をさしたので、枢機官は怒り猛られたが詮方なく、遂に退散にと及ばれた。
 インペリアは一人ぼっちで炉の前に腰を卸したが、もうお稚児の僧もいないので、忿怒のあまり金の小鎖を打ちちぎって、こう叫んだ。
『悪魔の二重三重の角にかけて申すが、あの雛僧の為に枢機官どのと妾は大悶着を起し、思い切りあの人を懐柔でもしておかぬと、明日が日は毒殺の憂目を見ねばならぬ羽目に立到った。ええい、眼の前であの小僧が生きながら皮を剥がれるのでも見ねば、到底に死にきれぬわ。ああ――と彼女は今度こそ本当の涙を流しながら云った。――ああ、妾はまことに不幸な目に陥ってじゃ。時折おこぼれほどの果報にありつく報いに、後生の怖ろしさは別として、犬のような稼業をせねばならぬとはのう。』
 一くさりインペリアの愁嘆の場が済んだ時分、巧みに身を今迄かくしていた雛僧の赤い顔が、そっと彼女のうしろからさしのぞいて、ヴェネチアの大鏡に映っているのを彼女は見かけた。
『おお、このコンスタンスの浄い恋の町に、坊主沙門はあまたあれど、おぬしほど申し分のない道心、美しい可愛い沙弥、雛僧、新発意は他にないぞや。さあ、こちらへ来やれ。やさしい騎士、可愛い息子、妾のお腹、わが歓喜のパラダイスよ。御身の眼をのみたい。御身の肉むらを食いたい。恋責めに御身を殺してみたい。おお、わが栄えある青春の永遠の神よ、さあこちらへ参りや。しがない僧都から、御身を王に、皇帝に、法王に、万人の中でのいっち果報者にしてくれましょうぞ。ここな部屋うちのすべてを、火に血に投じても苦しゅうはない。妾は御身のものじゃ、その証拠をとくと示し参らそう。御身はすぐに枢機官となるのじゃ。御身の帽子を枢機官帽のように赤くするためなら、妾の心臓の血悉くを注いで進ぜよう。』
 慄える手で嬉しげに彼女は太っちょのコワレ司教の持参いたした金の杯に、ギリシャの酒をなみなみと注いで、跪いてフィリップに捧げた。法王のスリッパーより彼女のスリッパーを、公侯のお歴々が珍重ただならぬそのインペリア姫が、跪いたのである。しかしフィリップは恋ほしやの目で、黙って彼女を見つめるばかり。インペリアはついに喜悦に身ぶるいしながら申した。
『さあ、和子、何も云わずともよい、先ずは夜食をまいらしょう。』

 (1)ラ・ソルデはブウルゲイユ(シノンより四里の在所)のバター作りの女で、浮気で別嬪で陽気な田舎小町。
 (2)ジャン・フス(一三六九―一四一五)ボヘミアの宗教改革家、コンスタンスの宗教会議にて異端者として火刑に処せらる。
 (3)ジャン法王(ジャン二三代)(一三六〇―一四一九)一四一〇年法王となり一四一五年に廃黜さる。
 (4)インペリア(一四五五―一五一一)ローマの遊君、ミューズ・ルネッサンスと称せらる。その美貌と才気を以て当時に冠たり。
 (5)シギスモンド皇帝(一三六八―一四三七)一三八七年ハンガリヤ王、一四一一年より三七年までドイツ皇帝。

「美姫インペリア LABELLEIMPÉRIA」 の訳者による解説

 「巴里評論」に発表された。但しその前年十一月、「カリカテュール」誌にアルフレ・クウドルウなる筆名で、バルザックは「大司教」という本篇のエスキスとも見るべきコントを発表している。訳出して新樹社版「風流滑稽譚拾遺」にのせたから参照せられたい。バルザックはインペリア物を他に二編書いている。「節婦インペリア」(Ⅲ)「慈婦インペリア」(拾遺)がそれである。インペリアは実在人物で、ジョアシヤン・デュ・ベレエ、フィリップ・ベロアルド、アレチノ、バンデルロ、ヴェルヴィルなど十六世紀文人がそれぞれ取上げているが、ミューズ・ルネッサンスと称せられた。バルザックが本篇のヒントを得たのはヴェルヴィルの「立身の途」(第七章)からであろう。但しコンスタンスの宗門会(一四一四―一四一八年)の折は、まだインペリアは生れてなかったが、宗門会に集まった外国人は十万名、娼婦遊女で上玉の部類に属するもの千五百名が同地の風儀を紊したという。なお巴里のコレラ流行は一四一六、七年で、人口は十分の一に減じたとのことである。またこの作品は脚色上演されたことがある。

読書ざんまいよせい(032)

◎風流滑稽譚(一)バルザック著小西茂也訳

編者注】「ゴリオ爺さん」は、青空文庫にて、中島英之訳で収録されていますので、一旦アップは中断します、ただし、訳者の著作権は存続しています。そこで、「風流滑稽譚」全三作の大作の投稿をぼちらぼちらと…まずは、「前口上」から。

目次

前口上
美姫インペリア
仮初の咎
王の愛妾
悪魔の後嗣
路易十一世飄逸記
大元帥夫人
箱入娘
金鉄の友
衣手の風流
当意即妙
後口上

これはド・バルザックの大人、トゥレーヌの諸寺より蒐めて開板せるもの世のパンタグリュエルの徒の慰み草に供すべく、余人の為にはあらず焉。

    前口上

 この草紙は、おらが国さトゥレーヌ不朽の粋士、フランソワ・ラブレエが献酬めされた名うての酒仙や座ぬけの呑助どもの髭口に合わそうとて、吟醸いたした洒脱芳醇なる詩酒でござって、作者の念願は同じくよきトゥレーヌ人たるの実を示し、めぐわしきわが郷土のお歴々の御酒興を添えんが為に他意ござらぬ。五穀はもとより寝取られ男、伊達男、おどけ男に至るまで遍ねく穣ったわが郷土より、簇出いたした法朗西屈指の名士には、追悼の涙も未だ乾かぬクーリエ<*注1>あり、『立身の途』の著者ヴェルヴィルあって、多士済々とは申せ、デカルト大人のみは願い下げといたしたい。その仔細はと申すに、大人はいたって気重な隠士で、美酒佳肴より空虚な夢想の方を讃えられた仁ゆえ、トゥールの町の料亭や喫茶の旦那衆からは貶しまれ見誤まられ、偶々人の噂話に上っても、何処のお人じゃと訊ね返されるほどに、かいもくの野暮太郎でござったからじゃ。
 さてこの書冊の種を申そうならば、グルナディエール・レ・サン・シール、サシェ・レ・アゼエ・ル・リデル、マルムウチェ、ヴェレエツ、ロシュ・コルボンなんど、わが郷土のそんじょうそこらにおいであった、めでたい沙門の翁たちの鬱散養気の風流談義、さては昔覚えの説教僧やしただるい老嫗が口伝たる浮世咄などからでござる。
 総じて古人は笑った途端にお腹のなかから、馬が飛び出ようが、駒が跳ね出そうが、お構いめされずにただ腹の底から、しんから笑いこけられたものじゃが、今時の若い女子衆ときては、澄まし顔にて可笑しがろうとめされてござるわ。したが王妃の頭上に油壺が似合わぬよう、華やかな法朗西国にはさような仕草は、なによりふさわしからぬ限りじゃて。
 されば抱腹絶倒は男子にのみ賦与せられた特権でごあって、人は浮世の波風に曝され放題ゆえ、今更に物の本で読む要もないくらい涙の種を知っとる筈じゃから、ここに些か寛闊の譫言を印行することも、時節柄この上もない御奉公と存ずるわ。
 まこと今の御時世たるや、憂いことばかり糠雨さながらに降りしきって身を濡らし、はては身内に滲み透って、女郎衆の縦線《レイ・ビユブリック》をもって、諸万人《レビユブリック》の諸々の気のつきを晴らさんとしておった往時の風儀も、まさに消融せんといたしておる。剰え分際はずれた手出しもいたさせず、じっと大人しく神や王のなすが儘に任せて、よろず笑いにまぎらせ得心しおった、いにしえ老パンタグリュエルの儕輩《ともがら》も、今や残り尠なになった許りか、日に日に身まかってゆく現状ゆえ、名だたるこれら古雅なる浮世草紙の断簡零墨が、唾は引っ掛けられ、塵芥にはまぶれ、大小便を垂れ流され、さらに咎め立てられ、はじしめられゆくごとき、憂慮すべき成行を目の前にしては、雅趣あるゴオロワの残肴に、ひそかに舌鼓を打つ吾儕など、夜の目も合わぬ何ともじゅつない思いじゃて。
 また僻々しい批評家連《あらさがしや》や、言葉の屑ひろいどもや、人の趣向や心組に難癖つける世の天邪鬼たちに、ひとつ想起して戴きたいことは、笑いは童心からひり出され、歳月の旅枕を重ねるにつれ、ランプの油よろしく薄れ消えゆくものなのでごある。詮ずるところ笑わんが為には、心の無邪気さと浄らかさこそ必須不可欠、その不可欠の持ち合せもない口敲きの下卑蔵《げひぞう》には、汝《なれ》が持前の不徳や不醇をひた隠すべく、あれあのように、頬桁をすぼめ、口をゆがめ、眉をしかめて御座るのでごある。
 この草紙の有様《ありよう》は、抜差ならぬ群図《グループ》であり、布置正しき彫像であるゆえ、いかなる美術家と雖も、その姿容を変改すること叶わぬは明々白々、まして談義の若干、乃至はこの戯作全般が、尼寺に向くように仕立てられてごあらぬからとて、無花果《いちじく》の葉なんどをあてがおうずる道学先生こそ、出頭第一の愚か者となり申そう。さはさりながら吾儕とて、心進まぬながらも尻軽貞女やお転婆娘たちの、耳朶を叩き、明眸を眩ませ、豊頬を赧らめ、紅唇を膨らませかねぬていの、昔言葉の艶々しすぎる文言は、はや心して稿本より剪除いたしておき申した。当代のなり下れる風儀が性に合わぬとばかりぜい言ってはおれぬし、婉曲の語法の方が、なまのよりずんと風雅のこともあるからじゃい。
 まこと吾儕も年をとったかして、束の間の若気の痴れわざより、長々しい莫迦ごとの方が、ゆるゆると賞翫出来るによって、好もしくなり申した。じゃによって拙者に悪口は、平に御容赦を願いたい。昼日中よりも、夜分にこの笑い本を読んで戴けばまことに幸甚。また極めて情を燃やさせ易い冊子ゆえ、いまどき生娘が残りおったとしても、それら熱高い乙女っ子には覗かせぬよう、いっち気を遣われたいものじゃ。――なんどと忠告一番、筆を擱き申すが、この経籍そのものに関しては、顧みて心中晏如たるものがごある。とぬけぬけ申すいわれは、これが生れ故郷は心構の高い雅びな土地柄で、そこに発したるものこれ悉く、何れも大いなる成功を博しおること、金羊皮章、聖霊章、靴下留章、沐浴章なんどの勲記標章や、その他幾多の天下に冠たる文物に照らしても明らかな通りで、それらの加護に身を任せたれば、作者としても先ずは大安心。『いでや心の朋友たち、楽しみめされ。悠々と体を寛ぎ腰を伸ばして、残る隈なく読み興ぜられよ。さりながら読んだ揚句に、はて一向に下らぬわいなど仰有る御仁は、疳瘡に罹ってお果てめさるがよい。』
 かく申されたるは智慧の公子、道化の王侯、われらが崇めるラブレエの宗師にて御座る。方々には帽を脱し膝を正して謹しんで清聴と云爾。

  *注1* クーリエ・ド・メレ(一七七二―一八二五)フランス文人、政治的パンフレットを著す。『ダフニスとクロエ』の飜訳あり。
  *注2* ベロアルド・ド・ヴェルヴィル(一五五八―一六一二)フランス十六世紀の作家。ラブレエ調の好色小咄集『立身の途』の著あり。

編者注】本文、訳者とも、著作権は消失しています。画像はいずれも、Wikipedia より