日本人と漢詩(098)

◎中江兆民と真山民


兆民の「一年有半」は、彼が余命を知りながら、時の政治家の人物評や、大阪に療養の居を構えてから、通った人形浄瑠璃や浪花節のことなど、なかなかに話題が多岐にわたり、面白い著書である。

「越路音声の美、曲調の巧、真に匹儔《ひっちゅう》なし。けだし津太夫、呂太夫は、玉造の男形と相ひ待ち、越路太夫は紋十郎の女形と相ひ待ちて、倶にその妙を極むるを得、皆逸品なり。」

その著の紹介が恩田 雅和氏による「繁昌亭」支配人による連載として、大阪保険医協会のHP にある。

ところで「一年有半」の中では、彼が親しんだ漢詩にも触れた箇所がある。若い頃から、時折漢詩に親しんだ兆民は、杜甫、李白、高青邱をはじめ、宋末の遺民とされる真山民の詩の一部を引く。彼のバックグラウンドもなかなか奥深いものがあろう。ここではやや季節をことにするが、その全句を紹介する。

山間秋夜     真山民
夜色秋光共一闌 夜色秋光 共に一闌
飽収風露入脾肝 飽くまで風露を収めて 脾肝に入る
虚檐立盡梧桐影 虚檐立ち尽くす 梧桐の影
絡緯数聲山月寒 絡緯数声 山月寒し

語釈は関西吟詩文化協会HP参照のこと。ここでは、この詩の詩吟も紹介されている。

なかなか詩吟も力演だが、どうも重過ぎるきらいもないではない。本来の詩のピンイン読みが、さすが本場の雰囲気が出ていて、より効果的のような気がする。中国発の、漢詩原文読みのサイトがあるようなので触れておきたい。

新春 真山民

餘凍雪纔乾 余凍《よとう》 雪《ゆき》纔《わず》かに乾《かわ》き
初晴日驟暄 初晴《しょせい》 日《ひ》驟《にわ》かに暄《あたた》かなり
人心新歳月 人心《じんしん》 新歳月《しんさいげつ》
春意舊乾坤 春意《しゅんい》 旧乾坤《きゅうけんこん》
煙碧柳回色 煙《けむり》は碧《みどり》にして 柳《やなぎ》色《いろ》を回《かえ》し
燒靑草返魂 焼《やけあと》は青《あお》くして 草《くさ》魂《たましい》を返《かえ》す
東風厚薄無 東風《とうふう》 厚薄《こうはく》無《な》く
隨例到衡門 例《れい》に随《したが》いて 衡門《こうもん》に到《いた》る

語釈などは、M&Cメディア・アンド・コミュニケーションを参照のこと。

参考】
中江兆民「一年有半・続一年有半」(岩波文庫)

日本人と漢詩(093)

◎幸徳秋水と中江兆民

師弟の関係にあった幸徳秋水が中江兆民の葬儀の時の詩。その敬愛に満ちた評伝「兆民先生」の冒頭に掲げる

寂寞北邙呑涙回 寂寞《せきばく》たる北邙《ほくぼう》
斜陽落木有餘哀 斜陽《しゃよう》 落木《らくぼく》 余哀《よあい》あり
音容明日尋何處 音容《おんよう》 明日《みょうにち》 何處《いづ》くにか尋《たづ》ねん
半是成煙半是灰 半《なか》ばは、是れ煙と成り、半は是れ灰

語釈、訳文は詩詞世界を参照のこと。

続く文章も、思慕の念が溢れるものになっている。

「想起す去年我兆民先生の遺骸を城北落合の村 に送りて荼毘に附するや、時正に初冬、一望曠野、風勁く草枯れ、満目惨凄として万感胸に湛へ、去らんと欲して去らず、悄然車に信せて還へる。這の一首の悪詩、即ち当時車上の口占に係る。嗚呼、逝く者は如斯きか、匆々茲に五閲月、落木蕭々の景は変じて緑陰杜の天となる。今や能く幾人の復た兆民先生を記する者ぞ。」

一方、師の兆民も、漢詩の詩作が数百首あったようだが、まとまって紹介されることは少ない。そのなかで、「兆民先生」で引用される詩がある。

病中得二首之二 病中二首を得の二 中江兆民
西風終夜壓庭區 西風《せいふう》 終夜《しゅうや》 庭区《ていく》を圧《あ》っし
落葉撲窗似客呼 落葉《らくよう》 窓《まど》を撲《う》ちて 客の呼ぶに似たり。
夢覺尋思時一笑 夢覚め 尋思《じんし》の時一笑《いっしょう》
病魔雖有兆民無 病魔《びょうま》ありと雖《いえど》も兆民《ちょうみん》なし

語釈、訳文は同じく詩詞世界を参照のこと。

これ以上、余分な解釈は必要あるまい。兆民は、大坂堺市でその療養生活を送った。堺市市之町にはその居住先があるという。今度、機会があれば訪れてみよう。

参考】
・幸徳秋水「兆民先生」(岩波文庫)
・中江兆民「一年有半・続一年有半」(岩波文庫)