日本人と漢詩(109)

◎中江藤樹と熊沢蕃山と生写朝顔話

 先日、文楽鑑賞、題目は「生写朝顔話《しょううつしあさがおばなし》」。これが、「意外」なほど、面白かった。1840年、天保年間の作とあるので、浄瑠璃台本の「大作主義的な最盛期を過ぎ、複雑な「因果応報」の筋書きに観客も飽きがきたのか、比較的単純なプロットである。一言で言えば、相思相愛の恋人どうしの偶然がなせる「すれ違い」の連続、後の世の、「不如帰」や「君の名は」に受け継がれると複数の識者は言っている。台本の元になったのは、中国・明末、清初の小説から題材を取った、馬田柳浪「朝顔日記」、明治の文人、広津柳浪の祖父、「松川事件」で論陣をはった、広津和郎の曽祖父にあたるとある。
 戦国大名、大内氏に仮託して話は進む。宇治に来ていた二枚目のやさ男、宮城阿曽次郎が認《したた》めた、和歌「諸人の往き交ふ橋の通ひ路は肌涼しき風や吹くらん」の短冊が、風のいたずらか、川遊びの船に流れ着く。そこにいたのは、ヒロイン深雪。それが、二人の出会いと別れの始まりだった。以下、筋は略するとして、お家騒動はからみ、駒沢次郎左衛門と名を変えたヒーローを亡き者にせんとする陰謀で、痺れ薬を飲まそうとするが、間一髪笑い薬に置き換えられ、盛った本人が笑いの止まらぬようになるシーンなど、実際の舞台では太夫の大熱演であった。
 宮城阿曽次郎のモデルになったのは、儒学者熊沢蕃山、彼は岡山藩に使えたとある。文楽では、大内家のお家騒動で、主君に「諫言」をしたと脚本にあるので、なにか、岡山藩での史実があったかもしれない。蕃山は「陽明学派」であり、より「実践」的なのかな?ただし、文楽では、阿曽次郎は影がきわめて薄く作っている。なんといっても、深雪の「くどき」を含む人物描写がメインだからであろう。
 蕃山の師が、「近江聖人」と称される中江藤樹。その藤樹が蕃山が備前岡山藩に二度目に赴任する時の五言律詩。

送熊沢子還備前(熊沢子の備前に還るを送る)
舊年無幾日    旧年 幾日も無し
何意上旗亭    何ぞ意わん旗亭《きてい》に上らんとは
送汝雲霄器    汝が雲霄《うんしょう》の器を送りて
嗟吾犬馬齡    吾が犬馬の齡を嗟《なげ》く
梅花鬢邊白    梅花 鬢辺《びんへん》に白く
楊柳眼中靑    楊柳《ようりゅう》 眼中に青し
惆悵滄江上    惆悵《ちょうしょう》す 滄江《そうこう》の上
西風敎客醒    西風 客をして醒《さ》めしむ

簡単な語意】月日の立つのは早く、別宴で料亭に飲もうとは…君の才能と年を重ねた私私の髪の白さと、君への期待に満ちた柳の青さ、川の辺の西風は、醉いが醒めるほど冷たいと、前途有望たる弟子への餞《はなむけ》と老境にさしかかったわが身の対比を語る。

参考】髭鬚髯散人之廬